千文字前後掌編小説集
舞い上がるのは落ち葉ではなく原稿でもなく
台風が近づき、大雨が降っている。軽い人間なら飛ばされそうな風が吹いている。洗濯物は当然全て部屋干しにしてある。それなのに妻が「今、あなたのトランクス外に干そうか?」と聞いて来る。
「飛ばされてしまうよ」
「飛ばされたらまた別のを干すわ」
「次々と飛ばされて僕の履く分が無くなってしまうよ」
「ノーパンで出かければいいじゃない」
「僕は変態じゃないよ」
「変態じゃないの」
妖怪ウォッチに「ウィスパー」という妖怪が登場する。主人公景太のサポート役の妖怪で、自称優秀な妖怪執事らしい。しかし妖怪情報が詰め込まれた「妖怪パッド」がなければ知ったかぶりの知識しか披露出来ず、戦闘力があるわけでもない。役に立っているところを見たところもない。私の中では「白くてうざいあれ」扱いだった。
娘にウィスパー扱いされている。
「私ケータ、こちらウィスパー!」
娘が手のひらで指し示す「こちら」は私に向いている。違うと何度説明しても繰り返してくる。
「パパはウィスパーじゃないよ。もっとイケメンの妖怪いるでしょ? せめてジバニャンとかトムニャンとかにして」
「うーん、そっか、ウィスパーちがうのー、ジバニャン? トムニャン? わかった!」
「分かってくれたか、よかった」
「私ケータ、こちらウィスパー!」
「違う!」
妻に向けてはジバニャン扱いするのだ。どういうことだ。
娘が何か歌っている時一緒に歌うと「パパ、静かに!」と怒られる。その後自分は大きな声で歌うというのに。思えば0歳時の頃にマキシマムザホルモンの「恋のメガラバ」を聞かせ過ぎたせいかもしれない。「あなたの声がうざいからじゃないの」と妻は言うがそんなはずはない。一緒に歌うことに繰り返し挑戦しても、「ストップ!」あるいは無言で口を塞ぎに来る、「静かに」が省略された強い口調の「パパ!」など、とにかく止めに来る。
一緒に歌う楽しさがわかるようになったら歌おうね。
その時はマキシマムザホルモンじゃなくてイギー・ポップとかにするからさ。
「ノーパンで会社行きなよ」「全裸で会社行きなよ」というのは妻の口癖だ。
私が会社に行く用意をしている時に、娘が起き出してきてしまった。着替えている最中でトランクス一枚姿だった私が、「パパ会社だから、ねんねしな」と呼びかけると、半べそをかきながら頷いてくれた。それだけでは寂しいだろうと軽くハグしようとしたら、「そのままの格好で会社行け」みたいに私を手で玄関へ押しやった。妻をよく見ているなと思った。起き出してきた妻も娘を後押ししていた。
言われた通りトランクス一枚の姿で駅までの道のりを歩いた。朝六時過ぎで人影はまばらとはいえ、散歩している老夫婦、朝帰りのお水系お姉さん、部活の朝練へ向かう中学生などがいた。
「おはようございます」
「またパンツ一枚出勤ですか」
「おじさん風邪引かないようにね」
世間の風は暖かいが私の体は寒かった。
交番の手前で私は鞄に入れていた服を着る。捕まらないように。これからも家族を養い支えていく為に、常識的一般社会人の振りをする為に。
一筋の強い風が吹き、一枚のトランクスが私の手から離れ空を舞う。
さあ今日も仕事だ。服を着る前にトランクスを脱いでいたせいで股間がスースーする。いつものことだ。
(了)