Hs(エイチ・エス)
白雪。
「ただいま。」
狭い廊下に響く私の声。
靴を脱ぎ、電気を点けて居間へと歩く。
年中出しっぱなしのコタツの上には
晩ごはんが用意されてるということも無く
家に帰ってくると、まずご飯の支度を
しなくてはいけない、ということも無い。
トースターの横にそなえてる
うすい食パンに手をのばし
冷蔵庫からマヨネーズを出した。
私の主食。我ながら不健康だ。
食パンを頬張りながら、
テレビをザッピング。形式だけだ。
どうせ一巡したってテレビなんてみない。
鞄の中には宿題を溜めてるが
これもやらない。やらなくたって
卒業できてしまうんだ。
こんなのに労力を払いたくない。
部屋の隅に置かれてるパソコンに
電源をつける。ログイン画面を待つ間に
もう1枚食パンを取りに行く。
mixiをチェックして、Skypeに入って
ネットで知り合った人たちとチャットして
眠くなったら電源を落として寝る。
ふと、この時間を何か別のことに使えたら
私って、凄い人になれるんじゃないの?
とか、考えた時期もあった。
考えただけで終わる、典型的なアレなパターンだ。
そして、やったわけでもないのに
自分ができないことを何かのせいにする。
あの子ができすぎるんだ。
今からやっても遅いって。
小さいころからやってたらなあ。
そんな私が得意なのは、
ネット上で男をたぶらかすことである。
まったくのクズだ、と自嘲気味に
笑う日々である。
嗚呼、私はクズだ。
何故、姿が見えないだけでこうも
ネット上の人達は威厳を張れるんだろう。
今日も男たちを馬鹿にしてると、
ふと、妙な話題にたどり着いた。
「白雪ちゃんさあ、」
「HSって、知ってる?」
白雪は、私のハンドルネームだ。
ネット上でくらい、可愛い名前でありたい。
誰かのハンドルネームだろうか。
適当に返しておく。
なあにそれ(*´ω`*)、っと。
「俺も知らねえんだけどさ、」
「なんか仮面かぶった変態なんだって。」
「めっちゃキモくねぇ?w」
この前送ってきたお前の写メと
どっちがキモいんだよ。
キモオタに変態扱いされるHSに
同情してしまった。といっても
日常的に仮面かぶって生活してるなら
HSも同レベルだろうか。
仮面、か。
私は、お世辞にも
あまり顔がよくない部類に当てはまる。
それが原因かは分からないが、
いじめを受けたこともある。
そのとき一番仲が良かった女の子から突然
無視をされ、次第には
誰にも相手をされなかった。
今でこそ自覚はあるが、その当時には
嫌われる人柄であった自覚はない。
なのに急に無視が始まった。なぜ?
残ったコンプレックスを、私は
責めざるをえなかった。
もしも仮面をかぶれたならば。
顔を笑われずに済むならば、どれだけ
気楽な人生を過ごせただろうか。
HSに対して、同時に
羨ましさみたいなものを感じてしまった。
何故仮面を被ってるのだろうか。
同じようなことで悩んだのだろうか。
あるいはただの変態なんだろうか。
HSのことを考える時間が
とても有意義に感じられた。
長い授業が少しでも短く感じられる。
なんとなく楽しい気持ちになってしまった。
「何にやにやしてんの?」
「気色悪っ」
そんな
なんとなく楽しい気持ちを
一瞬にして粉微塵に吹き飛ばすのは
角の席に座ってる伊藤と山本だった。
「そんな顔面で笑われたら不愉快だわ。」
「あっ、そうだ!」
伊藤が席を立つ。
手に持ってたのは太い油性のペンだった。
二度目なので、何をされるか分かっていた。
「塗りつぶしたらわかんなくなんじゃね?」
「いいねぇー、つぶそうつぶそう!!」
持ってたペンで私の顔を
塗りつぶそうとする。抵抗はするものの
やっぱり勝てない。山本が遠くから
馬鹿みたいな大声で私をあざ笑う。
念のために言っておくが、今は授業中である。
普通なら、席から立つことも、大声で笑うことも
許されないはずなのに、それが通ってしまう。
さらに言っておくが、先生の目も、生徒の目もある。
先生はまるで私が存在しないかのように
黒板に向かって、授業をすすめようとする。
皆は次の標的になるまいと、あらゆる手段を使う。
直接被害を加えようともしないものの、
遠くから私をみて笑うやつもいる。
胸の辺りがぎゅっと締め付けられる。
なんで頭で感じてるのに、胸が苦しくなるんだろう。
だから”心”臓なのかな。
時間をやり過ごすために、とにかく何でも
無駄なことをたくさん考えた。
でも、なかなか時間は過ぎない、終わってくれない。
チャイムが鳴り、この顔で授業は受けれまいと
私は学校を早退した。下校時も、できるだけひと気が
無いところを歩いて帰らなければならない。
駅まで着くと、
トイレにこもり、私は涙を流した。
家に帰るとすぐに、洗面所に駆け込んだ。
少しでも早く、顔に付いたインクをとりたかった。
汚い顔を、みにくい顔を、ゴシゴシとこすった
消えればいいんだ、消えればいいんだ。
心の中で何度も叫んだ。
伊藤も山本も、インクも、私の顔も。
顔を流す水が、黒く濁って排水溝へ流れ落ちた。
インクは流れ落ちても、胸の痛みは流れ落ちない。
苦しくなると同時に、いがいがした感覚を持ち始めた。
いつもより早めにパソコンを立ち上げ、
日課を始めた。何も考えないために。
インターネットを構築した人に
私は一生頭があがらないだろうと思う。
昨日のキモオタからメッセージが
飛び込んできた。私の気分とは裏腹に
明るい雰囲気の文章に
どうも返す気になれない自分は
このメッセージを無視した。
しばらくすると、また画面下が
青く点滅する。めんどくさいから
メッセージを確認してログアウトしよう。
キモオタの箱を開いた。
「どしたの?」
「無視?」
最初は軽かった。
「いい加減返事しなよ?」
「何調子乗ってんのお前」
「俺のことどう思ってるか知らんけど」
「相手してやってることに感謝しなよ?w」
スクロールしてると、よくあるような
誹謗中傷が並んでいた。耐性は
ついてる方だ。そう思っていた。
また青く光った。
私はこのとき、少しでもこのキモオタに
心を許していたことを心底後悔した。
「女だと思って良い気になってんじゃねえよ」
「お前鏡みたことある?お前なんかよりまだ
ゴキブリの方がいいわ。」
「気持ち悪いんだよ、お前の顔」
嗚呼、ここでもなのか。
私の右手が、無意識に電源のボタンを連打を始めた。
パソコンの電源が落ちてしばらくして、
落ち着いた私は、ぼそっとつぶやいた。
「ああ、死のう。」
トースターの横に手を伸ばしたが、
もう食パンのストックは無かった。
どうせ死ぬんだ、空腹だろうが
満腹だろうが関係ないか。
はは・・・と、枯れ気味に笑った。
冷蔵庫のマヨネーズを取り出し、
チューブを咥えておもむろに吸い上げた。
むせ返りそうな思いを殺して、おもむろに。
すぐに嘔吐した。
黄色い液体が床の上に広がった。
自らの吐き出した物を両手ですくいあげて
口もとへと運んで、下品に音を立てて
それを飲み込んだ。
頭の中で
カチッ、と音がした。
気がした。
「ぎゃあああはははは!!!」
頭より先に
口が、のどが声を発していた。
沸きあがる高揚感に身をまかせて
ただただ叫び続けた。
なんでもできそうな気さえした。
今の私がかなり危ないことを、
今の勢いでなら本当に死ねそうだと
私は自覚した。
私はこの、あがったテンションを持って
外へと飛び出した。
空も飛べそうな気がした。
赤色を青色に変えれそうな気がした。
団地に風穴も、嫌いなあいつらを
木っ端微塵にしてやることも
なんでもできそうな気がした。
実際は何も、できないんだけど。
死に方は決めていた。
飛び降りしかない、そう思った。
どうせなら後味を悪くしよう!
公園に立ち寄り、砂場に
二人の名前を描いた。
「どちらにしようかな、天の神様の・・・」
「私のゆう通り、山本に決定!!」
いつも安全圏内からあざ笑う
あいつの態度がどうも気に入らなかった。
下校の時に、あいつが駅近くの
マンションに入ってくのをみたことがある。
そこの屋上から飛び降りよう。
胸を躍らせて、軽い足どりで公園を出た。
マンションの脇についた螺旋階段をかけて上った。
上るにつれて、自らが何かから解放されるような、
そんな錯覚に陥った。
不思議と、親の顔も浮かばないし
今までの思い出も走馬灯のように
よみがえったりもしない。
躊躇いがなかった。
どうせなら顔から落ちよう。
このひどい顔からも解放されよう。
半分を切った辺りから、息があがり出した。
苦しさに負けてしまわない様に、
私は歌を歌った。
「うーえーをーむーいて、あーるこおー」
涙がこぼれないように。
私は必死に上をむいたつもりだった。
でも駄目だった。私は駄目だったんだ。
ならば最後くらい、笑顔でいよう。
私は笑顔でうたを歌った。
20段を切った。カウントダウンを始める。
もうこの頃には下にいた時ほどの余裕はなく
精一杯息を吐き出すように、か細い声しか
出せなくなっていた。それでも私は
できる限りの精一杯の声でカウントをした。
10段を切った。
ここにきてやっと、涙があふれてきた。
さっきまでの高揚感も薄れ、ただただ
自分は今から死にに行くんだという
現実を、一段一段かみしめ始めた。
5を切る。
4、3、2、1・・・
「えっ・・・」
屋上につくと私は
呆気にとられた顔を浮かべてしまった。
「鴨がネギしょってとは、よく言ったもんだよ。」
仮面をかぶった変態が立っていたのである。
噂の変態が、目の前に姿をあらわした。
カーディガンにシャツを着て、
ジーンズにコンバース。
探せば結構いる服装。
この定番っぽさを覆すのが
顔に被った、プリキュアの仮面。
「なあ、頼みたいことがあるんだが。」
そういって、変態はこちらへと近付いた。
「キュアホワイト、やってくれないか。」
私はこの仮面を、完全に変態だと認識した。
「ブラックだけだとどうも、」
「町の平和を守れそうにないんだ。」
「もうね、ドツクゾーンに負けっぱなし。」
「ぶっちゃけていうと、仮面の下は」
「あざだらけだ。」
「正義のヒーローは、どれだけ戦っても」
「来週までには怪我も疲れも大丈夫みたいだけど」
「実際は、そうでもないみたいで」
「増してや、普通の生活の方でもまあまあ」
「風当たり、強くてさ。」
「僕は、待ってたんだ。キュアホワイトを。」
変態の背景をべらべら喋られたところで
私の勢いは止められない。私は死ぬんだ。
変態を横切って、柵へと向かった。
「君に出来るか。」
変態の声が、私をとらえた。
「確かに、そうすることでドツクゾーンから」
「逃げられるかもしれない。」
「僕の口からこんなことを言うのもなんだが、」
「僕も何度も考えたよ。」
「だが、君に出来るか?」
出来るさ。
「出来ないね。」
出来るよ。
「学校から逃げるくらいだもの。」
うるさい。
「死ぬのを受け入れることは、もっと怖いよ。」
「うっせぇんだよ、そっから見てろ!私は出来るんだ!!」
頭に熱が回る。変態の煽りにのってしまった私は
早足で柵に向かい、手をかけた。
「次はどんな顔で生まれようかな?」
「そうだな、来世ならホワイトやってあげてもいいかな。」
そういって私は柵の向こう側へと下りた。
ここから一歩でも足を進めると
そのまま地面まで急降下して
トマトみたいにぶっつぶれるんだろう。
「君にもしも来世があったとしても、」
「もうその時代にキュアホワイトはいないよ。」
「というか、来世に君の枠はない。」
「もう少し痛い言い方しようか。」
「お前のキモイ容姿を受け入れるやつは来世にいないよ。」
プツっと、何かが切れる様な音がした。
なんて表現をするけど、あれは嘘だ。
熱を持った頭のど真ん中が、じわじわと
冷え上がる感じだよ、ぶち切れたときってのは。
ぶち”切れた”って言葉を表現するには
それが一番分かりやすいのかもしれないけど。
「てめえの方がキモいんじゃねえの?」
「仮面かぶって何やってんだよ?気色悪い、」
「何がキュアホワイトやってくれだよ」
「てめえの母ちゃんにでも頼めっつうんだよ。」
「何がドツクゾーンだよ、おめえも学校で」
「いじめられてんじゃねぇの?」
「逃げたのはお前の方なんじゃねえのかよ!」
思い当たる誹謗中傷を
変態にぶちまけていた。屁理屈でも
しょうもないことでも、
とにかくなんでも変態にぶつけまくった。
変態は微動だにもせず、
私をまっすぐ見つめ続けた。
ひとしきり言いきった私の目から
ぼたぼたと涙がこぼれ始めた。
よく泣く日だ。
「今吐きだしたのは、間違いなく君の」
「汚い部分だった。」
「でも、今流してるのは間違いなく」
「君の綺麗な部分のはずだよ。」
「上を向こう。綺麗な部分まで流しちゃ駄目だ。」
そう言って変態は、
仮面をかぶった顔で天を仰いだ。
変態の首元がちらっと光ったように見えた。
「学校を受け入れられる覚悟が無いと、」
「どうやら死を受け入れるのも難しいみたいなんだ。」
変態は柵に近付いて手首を見せた。
「ありとあらゆる手段を使ったよ。」
「縦にも裂こうとした。だけど駄目だったんだ。」
「いざという時に手とか震えちゃうんだよね。」
「僕はどうやら、この世界に好かれてるらしい。」
手を広げて、自らを抱きしめて見せた。
台詞ががった言葉が、自虐的に聞こえた。
「君に何があったかは分からない。」
「でも、もう少しだけ死ぬのを送らせてみないか?」
手を差し伸べる。
「君にぴったりの仕事があるんだ。」
「キュアホワイトを、やってみないか。」
柵をかけ上り、変態に力いっぱいの
ローキックをかました。
変態は右足を抱えてうずくまり、
疲れた私の足にもなかなかこたえ、
私も真似をしてうずくまった
この日から私は、キュアホワイトになった。