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第1話 『老婆と少年』
第1話『老婆と少年』
西暦21XX年、ドイツ、ニュルンベルク旧市街。
今日は晴天である。悠久の時の流れに逆らう事無く、空には緩やかに流れる雲が一つ、空気はさらりとしており、風が心地よい。小春日和である。暖かい陽光の下に照らされた旧市街では今、乾いた銃声と人々の喧騒に包まれていた。といっても学童の体育祭ではない、そんな可愛らしいものではない。殲滅戦である。
この旧市街はロンドンで発生したパンデミックの恩恵を、いや被害を、ドイツの他の都市と比較して特に色濃く受けていた。新人類でありながら能力を持たない者、いわゆるスクイブ――J・K・ローリングの小説『ハリー・ポッター』シリーズに登場する、魔法使い又は魔女を親に持ちながら魔法を使えない人々の総称、正式には非保有者――が多いのだ。その為旧市街には、他の都市から失業したスクイブやマグル(旧人類の蔑称)がなだれ込んで来る。旧市街には失業者が溢れ、スラム街と化した。
類は友を呼び、市街は犯罪に塗れ、テロリストの隠れ蓑となっている。
そして現在、目下あぶり出しの最中である。
「鼻声の奴は能力の有無に係わらず射殺だ! 発見次第射殺、一匹たりとも逃がすな!」
旧市街の城壁に穿たれた穴の横で、台に立つ男がガラガラに荒れた声を拡声器でビリビリに割って檄を飛ばしている。
新人類は先天性の蓄膿症をもっているので、自ずから鼻声となる。鼻声かどうかは、見た目の区別が全く付かない新人類の有力な、いや絶対的な判断基準となっている。
その様子を少し離れた丘陵で、騒ぎになる前に逃げ出して来た人々が、呆然と眺めている。
かつての三十年戦争時代、市民を守っていた城壁は、今やセーフ・ガードの攻撃によって造作も無く崩され、進入を許している。時代遅れの、哀れな城郭都市である。
その丘の旧市街に面した斜面に、一人の少年が両手を頭に敷いて、寝そべって眺めていた。彼の美しい金の長髪が風になびいている。グリーンの瞳は退屈そうな瞼に半分覆われている。鼻の小さな、可愛らしい美少年だった。
「何をしているんだい?」
少年に気付いた老婆が、近寄ってきた。唐突に話し掛けられ、少年の眠気は少し飛んだ。
「……人を待ってるんだ」
上半身を起こしながら答えた。
「誰を?」
「うーん……知らない人、でも見付かって欲しいな。絶対楽しそうだから」
「人探し……なのかい?」
「うん、でも探してるのは僕じゃないけどね」
その言葉に老婆は全てを理解したが、気付いていない事にした。
「あ、おばあちゃん、どっち?」
老婆はドキリとした。背後にいる呆けた人達を振り向かずに首だけをねじって一瞥すると、
「あたしは神の子だよ」
そう答えた。少年はホッとした表情を浮かべた。
「“鼻づまり”とお話ししちゃいけないって言われてたんだ。よかった、でも、ちょっと鼻声だね」
「……今ちょっと風邪気味でね、とにかく、あたしゃ悪魔の子じゃないよ、信じとくれ」
神の子、悪魔の子という表現は、キリスト教に由来している。キリスト教にとって神以外の超自然現象は、つまり悪魔の所業なのだ。能力は魔術であり、魔術の行使は、偶像崇拝や犯罪・安息日違反と並んで罪として扱われている。
「そっか、うん。信じるよ」
老婆は彼の素直さにちょっと驚いた。少年のことを受動的差別主義者と踏んでいたがそうではなさそうだ。むしろ、差別という概念さえないのではないだろうか、そう思われた。老婆は孫にでも向けているかの様な表情で、よぼよぼと少年の横に腰掛けた。
「ヒトは、なんで争うんだろうね」
「ヒトって、どっちの?」
「どっちもさ」
「さぁ……、あっでも戦ってると楽しいよ」
「でも誰かが死ぬだろう? 死ぬ事は悲しくないかい?」
「うーん……でも誰だっていつか死ぬでしょ?」
「そうだね……」
沈黙が訪れる。一陣の風が二人を撫ぜる。硝煙の臭いがした。
「両親はいるかい?」
「両方いない」
「好きな人はいるかい?」
「居ない」
「大切な人は?」
「あ、それならいるよ。うちにトムが居るんだ。メガネ掛けててね、いつも褒めてくれるんだ」
「その人もいつか死ぬね」
「死なないよ!」
少年がバッと立ち上がった。体についた芝生がパラパラと落ちる。金の長髪がふわりとなびく。上体が少し前のめりになっている。
「でも死ななかった人が今までいたかい?」
老婆も少し前のめりになって聞いた、何かを掴んだ感じがしていた。
「そうだけど……だけど!」
「彼が死んだらどう思う?」
「……おばあちゃん嫌い!」
老婆は少年の反応に目を丸くして驚いた。久々に腹から笑いがこみ上げた。
「あっはっはっはっは!」
「うるさい!」
「あっはっはっはっはっは……はーっははははは!」
「うるさいってば!」
「はははは、はは、はーあ。笑いましたっと」
この老婆の独特な笑いの締めくくりに、少年も思わず笑ってしまった。
「変! おばあちゃん変だよ! あはははは!」
「変か? 変か? あっはっはっは!」
この笑いが何度か繰り返された。少年はすっかり老婆に心を許していた。
「……おばあちゃん」
「なんだい?」
「……人はどうして争うの?」
「さぁねぇ」
「え、判らないで僕に聞いたの!?」
「あっはっはっはっは!」
「ったくもう~」
「でもね、それを考えておくだけで良いんだよ」
「何で?」
「考えていれば、いつか答えが見えてくるからさ」
少年にはさっぱり判らなかった。そういう老婆はいつから考えていて、いつ答えが出せるのか聞いてみたかったが、なんとなく聞くのは止めておいた。
再び訪れた沈黙が、旧市街の騒音を実際より大きくしている様に思えた。
「マグルだろうが関係ない! 風邪引いてるそいつが悪いんだ! 殺せ、殺せ、皆殺しだ!」
檄を飛ばすこの男、腕に着けたセーフ・ガードの紋章の付いた腕章、肩に下げたライフル、拡声器を除けば休日の親父といった格好をしている。彼の足元を流れる人の群れも同じ様な格好をしている。“鼻くそ”の誰かに身内の者を殺されたのだろう、語気には強い憎悪がこびり付いている。その横で赤の制服に身を包んだ若者が、彼のヒステリーを冷静に見つめている。この若者こそ、セーフ・ガードの正式な隊員だ。台の上の親父や市街に流れ込んでいる人々は、いわば“ボランディア”だ。
彼らには無害な方の殲滅を担ってもらい、正規部隊は危険な方の発見を目標としている。セーフ・ガードの今回の目標はただ一人、グレネードマン(本名、ケン・コマキ)、日系ドイツ人、23歳。その名の通り爆発物又は爆発現象そのものを生み出す能力を持つ、典型的な複種能力者である。
正規部隊員の目的はあくまで発見の筈だった。いくら精鋭といえど能力者に、それも複数の能力を使いこなす危険人物を相手に、まともな戦闘が成立する筈がない。
発見と同時に連絡、そして気取られぬ様に尾行する事と命令が下っている……筈だった。
司令部に連絡を入れたのはグレネードマンだった。
「グーテン ターク! こちらグレネードマン、ヒヒヒ。司令部、状況報告しま~す。いいすか? いいすか?」
音声の背後に轟々と炎の音が聞こえる。その中に微かに隊員のうめき声が混じる。
「……うるっせぇっつってんだろが、おらぁ! あ、司令部、今障害物を3つ排除しちゃいました、ヒヒヒ。んで、んで、俺、今、地下つーか下水つーか、いや下水じゃねーし、地下室? マジくせ~んだけど、ヒヒヒヒ、居んのね? 今起きたばっかでさ、上なんか面白い事になってるみたいだから、ちょっち顔出すね。つー事でよろしこ」
地響きと共に旧市街の礼拝堂から粉塵が立ち昇る。
少年の手首に着けた通信機が鳴る。
「あ、見付かったみたい。おばあちゃん、僕もう行かなきゃ、またね~」
少年は無邪気に老婆に手を振ると、長い髪を束ねながら丘を駆け下りていった。
西暦21XX年、ドイツ、ニュルンベルク旧市街。
今日は晴天である。悠久の時の流れに逆らう事無く、空には緩やかに流れる雲が一つ、空気はさらりとしており、風が心地よい。小春日和である。暖かい陽光の下に照らされた旧市街では今、乾いた銃声と人々の喧騒に包まれていた。といっても学童の体育祭ではない、そんな可愛らしいものではない。殲滅戦である。
この旧市街はロンドンで発生したパンデミックの恩恵を、いや被害を、ドイツの他の都市と比較して特に色濃く受けていた。新人類でありながら能力を持たない者、いわゆるスクイブ――J・K・ローリングの小説『ハリー・ポッター』シリーズに登場する、魔法使い又は魔女を親に持ちながら魔法を使えない人々の総称、正式には非保有者――が多いのだ。その為旧市街には、他の都市から失業したスクイブやマグル(旧人類の蔑称)がなだれ込んで来る。旧市街には失業者が溢れ、スラム街と化した。
類は友を呼び、市街は犯罪に塗れ、テロリストの隠れ蓑となっている。
そして現在、目下あぶり出しの最中である。
「鼻声の奴は能力の有無に係わらず射殺だ! 発見次第射殺、一匹たりとも逃がすな!」
旧市街の城壁に穿たれた穴の横で、台に立つ男がガラガラに荒れた声を拡声器でビリビリに割って檄を飛ばしている。
新人類は先天性の蓄膿症をもっているので、自ずから鼻声となる。鼻声かどうかは、見た目の区別が全く付かない新人類の有力な、いや絶対的な判断基準となっている。
その様子を少し離れた丘陵で、騒ぎになる前に逃げ出して来た人々が、呆然と眺めている。
かつての三十年戦争時代、市民を守っていた城壁は、今やセーフ・ガードの攻撃によって造作も無く崩され、進入を許している。時代遅れの、哀れな城郭都市である。
その丘の旧市街に面した斜面に、一人の少年が両手を頭に敷いて、寝そべって眺めていた。彼の美しい金の長髪が風になびいている。グリーンの瞳は退屈そうな瞼に半分覆われている。鼻の小さな、可愛らしい美少年だった。
「何をしているんだい?」
少年に気付いた老婆が、近寄ってきた。唐突に話し掛けられ、少年の眠気は少し飛んだ。
「……人を待ってるんだ」
上半身を起こしながら答えた。
「誰を?」
「うーん……知らない人、でも見付かって欲しいな。絶対楽しそうだから」
「人探し……なのかい?」
「うん、でも探してるのは僕じゃないけどね」
その言葉に老婆は全てを理解したが、気付いていない事にした。
「あ、おばあちゃん、どっち?」
老婆はドキリとした。背後にいる呆けた人達を振り向かずに首だけをねじって一瞥すると、
「あたしは神の子だよ」
そう答えた。少年はホッとした表情を浮かべた。
「“鼻づまり”とお話ししちゃいけないって言われてたんだ。よかった、でも、ちょっと鼻声だね」
「……今ちょっと風邪気味でね、とにかく、あたしゃ悪魔の子じゃないよ、信じとくれ」
神の子、悪魔の子という表現は、キリスト教に由来している。キリスト教にとって神以外の超自然現象は、つまり悪魔の所業なのだ。能力は魔術であり、魔術の行使は、偶像崇拝や犯罪・安息日違反と並んで罪として扱われている。
「そっか、うん。信じるよ」
老婆は彼の素直さにちょっと驚いた。少年のことを受動的差別主義者と踏んでいたがそうではなさそうだ。むしろ、差別という概念さえないのではないだろうか、そう思われた。老婆は孫にでも向けているかの様な表情で、よぼよぼと少年の横に腰掛けた。
「ヒトは、なんで争うんだろうね」
「ヒトって、どっちの?」
「どっちもさ」
「さぁ……、あっでも戦ってると楽しいよ」
「でも誰かが死ぬだろう? 死ぬ事は悲しくないかい?」
「うーん……でも誰だっていつか死ぬでしょ?」
「そうだね……」
沈黙が訪れる。一陣の風が二人を撫ぜる。硝煙の臭いがした。
「両親はいるかい?」
「両方いない」
「好きな人はいるかい?」
「居ない」
「大切な人は?」
「あ、それならいるよ。うちにトムが居るんだ。メガネ掛けててね、いつも褒めてくれるんだ」
「その人もいつか死ぬね」
「死なないよ!」
少年がバッと立ち上がった。体についた芝生がパラパラと落ちる。金の長髪がふわりとなびく。上体が少し前のめりになっている。
「でも死ななかった人が今までいたかい?」
老婆も少し前のめりになって聞いた、何かを掴んだ感じがしていた。
「そうだけど……だけど!」
「彼が死んだらどう思う?」
「……おばあちゃん嫌い!」
老婆は少年の反応に目を丸くして驚いた。久々に腹から笑いがこみ上げた。
「あっはっはっはっは!」
「うるさい!」
「あっはっはっはっはっは……はーっははははは!」
「うるさいってば!」
「はははは、はは、はーあ。笑いましたっと」
この老婆の独特な笑いの締めくくりに、少年も思わず笑ってしまった。
「変! おばあちゃん変だよ! あはははは!」
「変か? 変か? あっはっはっは!」
この笑いが何度か繰り返された。少年はすっかり老婆に心を許していた。
「……おばあちゃん」
「なんだい?」
「……人はどうして争うの?」
「さぁねぇ」
「え、判らないで僕に聞いたの!?」
「あっはっはっはっは!」
「ったくもう~」
「でもね、それを考えておくだけで良いんだよ」
「何で?」
「考えていれば、いつか答えが見えてくるからさ」
少年にはさっぱり判らなかった。そういう老婆はいつから考えていて、いつ答えが出せるのか聞いてみたかったが、なんとなく聞くのは止めておいた。
再び訪れた沈黙が、旧市街の騒音を実際より大きくしている様に思えた。
「マグルだろうが関係ない! 風邪引いてるそいつが悪いんだ! 殺せ、殺せ、皆殺しだ!」
檄を飛ばすこの男、腕に着けたセーフ・ガードの紋章の付いた腕章、肩に下げたライフル、拡声器を除けば休日の親父といった格好をしている。彼の足元を流れる人の群れも同じ様な格好をしている。“鼻くそ”の誰かに身内の者を殺されたのだろう、語気には強い憎悪がこびり付いている。その横で赤の制服に身を包んだ若者が、彼のヒステリーを冷静に見つめている。この若者こそ、セーフ・ガードの正式な隊員だ。台の上の親父や市街に流れ込んでいる人々は、いわば“ボランディア”だ。
彼らには無害な方の殲滅を担ってもらい、正規部隊は危険な方の発見を目標としている。セーフ・ガードの今回の目標はただ一人、グレネードマン(本名、ケン・コマキ)、日系ドイツ人、23歳。その名の通り爆発物又は爆発現象そのものを生み出す能力を持つ、典型的な複種能力者である。
正規部隊員の目的はあくまで発見の筈だった。いくら精鋭といえど能力者に、それも複数の能力を使いこなす危険人物を相手に、まともな戦闘が成立する筈がない。
発見と同時に連絡、そして気取られぬ様に尾行する事と命令が下っている……筈だった。
司令部に連絡を入れたのはグレネードマンだった。
「グーテン ターク! こちらグレネードマン、ヒヒヒ。司令部、状況報告しま~す。いいすか? いいすか?」
音声の背後に轟々と炎の音が聞こえる。その中に微かに隊員のうめき声が混じる。
「……うるっせぇっつってんだろが、おらぁ! あ、司令部、今障害物を3つ排除しちゃいました、ヒヒヒ。んで、んで、俺、今、地下つーか下水つーか、いや下水じゃねーし、地下室? マジくせ~んだけど、ヒヒヒヒ、居んのね? 今起きたばっかでさ、上なんか面白い事になってるみたいだから、ちょっち顔出すね。つー事でよろしこ」
地響きと共に旧市街の礼拝堂から粉塵が立ち昇る。
少年の手首に着けた通信機が鳴る。
「あ、見付かったみたい。おばあちゃん、僕もう行かなきゃ、またね~」
少年は無邪気に老婆に手を振ると、長い髪を束ねながら丘を駆け下りていった。
少年の金髪は、転げ落ちる様に遠のいて行く。
「無邪気だね……」
その先にあるものを、彼は理解出来ているのだろうか。
「お前さんのその無邪気さが、いずれ必ずお前さんの身を引き裂くよ……」
やがて少年は遠く小さくなって、林に吸い込まれる様に消えていった。
「あたしにはどうする事も出来ないんだけどね」
老婆は深いため息を吐き出すと、フッと肩の力を抜いて、遠くを見つめた。
その視線の先に、一機のヘリコプターが林の中から空気を切り裂きながら上昇していた。
数分前まで礼拝堂だった場所は、既に解体が完了していた。
体中に土煙を被った中年の男が一人、瓦礫の山の中腹で立ち尽くしていた。
彼は幸運にも落ちてきた瓦礫の隙間に入り、周りに転がる同年代の人達と同じ末路を歩まずに済んのだ。
だが彼は幸運に感謝していられる程、暇ではなかった。首根っこまで上ってきた心臓の鼓動を聞きながら、吐瀉物を撒き散らすだけで精一杯だった。
ひとしきり胃を、それこそご自慢の鼻の穴の様に空っぽにすると、人の気配に気付いた。
上の方から視線を感じる。
山の頂ではまだ砂埃がもうもうと舞っていた、その中に人の影がゆらゆらと映っている。
「Speak!」
敵か味方かさえ判らず、そう叫んだ。震える顎を必死に喰いしばっていた所為で、何だかこもった声で聞き取りづらい。
影は答えない。影の全容は判らない、しかし明らかに近寄って来ている。
背筋が凍った。手に持ったライフルを必死に突き出す。そして叫ぶ。
「Speak! 止まれ!」
影は止まらない。ライフルを握った手に汗が噴き出して、汗腺がチクリと痛んだ。親父の顔は蒼白の色を成し、口元はグッと下に引っ張られ、今にも舌を噛んで死んでしまいそうだ。
「止まれえぇぇーー! うあああああああああ!」
親父は狂った様に発砲した。それこそがむしゃらに、めくらめっぽう連射した。
発砲した反動で銃口が大きく上に逸れ、一発も当たらない。影が近付いてくる。
親父はライフルをかなぐり捨てて、腰に付けたハンドガンを……。
落とした。影が近付いてくる。
親父は崩れる様に地面に伏し、拳銃を拾う。手が震えてトリガーに指が入らない。手が滑る。足音が、近くに聞こえる。
指が入った!
親父は恐ろしい勢いで振り返り、足音がする先へ銃口を向けた。その先には若者が立っていた。
長身に栗毛の短髪、サングラスを掛け、エナメルのダウンジャケットを着ている。
若者がにたりと笑った。
親父はフッと息を飲み込んだが、声は出なかった。唇を噛み締めて、狙いを付ける。頭を……いや胸だ!
指にグッと力を入れた、咄嗟に目をギュッと閉じた。
沈黙が訪れる。銃声はしなかった。安全装置(セーフ・ガード)を外していなかったのだ。動かないトリガーが指に食い込んだだけだった。
「ック……ヒヒヒヒヒヒヒヒ! おっさんビビリ過ぎ、マジ……、マジで……ダッッセェー! ヒヒヒヒヒヒ!」
若者の嘲笑は、親父の恐怖心を怒りに変えた。今度こそ安全装置を外し、撃った!
刹那、閃光が走る。銃口は真っ直ぐに若者の胸に向けられていた。しかし弾丸は90度左にずれ、横にあった瓦礫に着弾した。
親父は何が起こったのか理解出来なかった。しかし、銃が効かない事だけはハッキリ判った。心の中の誰かが呟く。化け物だ、銃が効かない、本物の化け物だ。こんな化け物に、勝てる訳がない。
ついに心が敗北を認めてしまった。最早こうなってしまっては、親父が全盛期の弁慶だろうが、アキレスだろうが、誰であろうが負けてしまう。後は惨めに死を待つばかりとなった、只々恐怖を感じながら。
親父は嗚咽を漏らしながら後ずさった。震える手で何とか銃を若者に向ける。駄目と判っていながらも、撃たずには居られなかった。一発撃った。ピカッと光ると弾丸は空へ飛んでいってしまった。また一発撃った、足元に着弾した。今度は二発、一発は空中で爆ぜ、もう一発は若者のジャケットをかすった。最後の一発は鋭角に反射し、親父の足に命中した。
「ぐあぁぁぁぁぁああああッ!!」
「ヒヒヒッ!」
「ひ……人殺し!」
「そっス」
「化け物!」
「それで?」
「この……“鼻くそ野郎”!」
若者の眉がピクリとした。親父は死を覚悟した。若者はスッと上体を反らすと、冗談めいた動作で額をパチンと叩いた。
「……ヒヒ、いいねぇ~。俺、おっちゃん好きだぜ」
若者がふと横を向いた瞬間、親父の右側で閃光が走った。持っていた拳銃が爆発したのだ。親父は右手に違和感を感じ、見ると悲惨な光景が目に飛び込んできた。彼の指は飛び散り何処かへ行ってしまって、指の代わりに拳銃の破片が食い込んでいた。状況を飲み込むと同時に激痛が走る。
「あああああぁぁぁぁぁ!!」
えぐれた右手を腹に抱え、親父は悲痛な叫び声を上げた。腹に隠した右手からどろどろと血を流れ、ジーパンに血が滴り落ちる。しっかり握れば出血は止まるのだが、気が動転している彼にそんな高等なことは所詮無理だった。
「俺の……俺の指! 俺の指を返せ!」
若者はベソかきの子供を優しくなだめる様に、ゆっくりと首を左右に振った。
「だーめ、ヒヒ」
親父の顔は鼻も目も口もぐずぐずになっている。
「俺は……俺はまともに生きてきたんだ」
溜め込んできたものが、入れ物が圧迫されて破け、ドロリと出てきた様な、低い粘り気のある声だった。
「今までまともに、セーフ・ガードに土地踏み荒らされても、お前ら“鼻詰まり共”が毎月金をせびりに脅しに来ても、俺は誰にも反抗しなかったんだ。誰にもだ! 平和に、平穏に、何事も無く生きる為の最大の努力をしたんだ! だから娘だってお前らに渡した! なのに……なのにお前らは俺の家も! 土地も! 滅茶苦茶にしやがった!」
「あーごめん、それ俺じゃない」
「死ね! クソ! 死んじまえ!」
「ヒヒ、マジ可哀想」
「お前ら全員、鼻かんで地獄落ちろ、“鼻くそ”!」
「おーよちよち、いま楽にしてあげるからねー」
親父の鼻が光り始めた。脈が真っ赤に透けて映る。何処までが骨で、何処からが軟骨で出来ているのかがよく見えた。
ヘリの内部では、少年が通信機から出ている映像に話しかけていた。平面ではあるがホログラムの様だ。
「こんなの重いだけだって、要らないよ!」
少年は横の座席に置かれた箱型の装置を指差して言い放った。装置にはベルトやバンドが着いている。どうやら少年が背中に背負う事になっているらしい。
「してなさい、していないと死んでしまうよ」
相手は少し枯れた声の男だが、映像を見る限りそれほど年老いている様ではなかった。銀髪の爆発した様な髪型で、白衣を着ている。科学者の様だ。
「死なないよ! むしろ重くって死んじゃうよ!」
通信機から呆れたため息が聞こえた。
「……窓はあるかい?」
「……あるけど」
「下を見てごらん」
「嫌だよ! 怖いよ!」
「何を言ってるんだ、そこから飛び降りるだぞ」
少年がそーっと窓から下を覗く。街がまるでミニチュアの様に見えた。
「やっぱり無理だよ!」
「心配は要らない。その装置をしていれば、無傷で着地出来る」
「でもこれだって要らないじゃん!」
膝に置かれたメットを指差す。
「それも必須だ」
「でもこれだって!」
足元に置かれた少し丸いみを帯びた筒を指して言った。
「ソレも必要な物だ。それとも、私を信じられないのか?」
少々怖い顔をして見せた。少年が黙るには十分だった様だ。
「……わかったよ」
少年はしぶしぶ、飛び降りる準備を始めた。
今やヘリは礼拝堂跡地上空に到達していた。
礼拝堂だった瓦礫の山で若者が一人、深呼吸をしている。
「やっぱこういう空気? つの? い~ぃですよねぇ~、ヒヒヒ」
今やそこに居るのは彼だけだった。
ふと彼が空を見上げると、ヘリが近づいていた。今まで何故気付かなかったのか不思議だった。銃声に紛れていたのかも知れない。
「あらららららら、あんなん出ましたけど。落としていいの?」
若者にヘリの影が掛かる。彼はサングラスを外し、眩しそうに見上げながら、ワクワクしていた。
「あ~らでも高すぎだわ。無理だ」
そういって若者が眺めていると、ヘリの他に風を切る音が聞こえてきた。高音域の、ヘリではないフラットで単調な、しかしクレッシェンドが効いた、だんだんと大きくなる音が……。
「おいおいおいおい、マジかよ、おい!」
ヘリの影に何かが見えた。若者の足元が光り、次の瞬間彼は少し離れた場所で宙を舞っていた。落下物が彼の居た場所を直撃した。
若者は爆風で自分を吹き飛ばし、なんとか回避出来た。しかし、余りの出来事に受身を取れずに瓦礫の上にドスンと腹から落ちた。
「いって~……、つか今の何?」
打った腹を擦りながら起き上がり辺りを見渡すも、舞い上がった煙で視界が遮られている。その時、煙の向こう側から無邪気な声が聞こえてきた。
「凄い! 無傷だ! へぇ~、アルもやるね~、見直しちゃったよ」
ゆっくりと煙が引き、二人は互いの姿がぼんやり見えてきた。若者は落ちてきた奴が赤い色をしているのに気がついた。赤はセーフ・ガードの色だった。
「あ~はい、はい、はいはい。流石の俺も状況掴めて来たよ」
「あ! 探されてた人だ!」
若者はついさっき尾行されていたのを思い出した。
「あー、あいつ等全員俺が殺しちゃいましたけどね」
「あれ? そういえば何でここ、こんなにグチャグチャなの?」
「それも俺」
「スゲー!」
若者は少年の無邪気さに不気味な感じがした。そもそもこの状況が物凄く異様に思えた。武装した小隊に自分の居場所を探らせて、ミサイルか爆弾か何かが降って来るのかと思っていた。しかし降って来たのは、子供が一人だけ。セーフ・ガードは何を企んでいる? 捕獲し、懐柔するつもりか? それとも人体実験に使おうってのか?
「あ、ねぇねぇ。ヒトはさぁ、なんで戦うんだと思う?」
「はぁ? つか、ヒトってどっちの?」
「両方」
「両方って、お前……。どっちかにしろよ」
「えー、そーだなぁ~……うーん」
妙な沈黙が訪れた。少なくとも、頭の中身はガキだ、と若者は思った。
「よし、じゃー選んで」
「え、俺が?」
思わず面食らった。
「……じゃ俺の話でいいか? 俺は、楽しいから、かな」
とりあえず答えた。
「あ、それ僕も!」
「えーマジかよ~。俺、お前と一緒とかマジ嫌なんですけど」
「そんな事どうでも良いからさ! とにかく戦おうよ!」
「お前、人に話振っといて……自由だな」
粉塵は既に晴れていた。お互いが互いの姿を見る。少年は装甲に身を包み、重厚な機器を背中に背負っている。セーフ・ガードのイメージカラーの赤に塗られた装甲が体中を保護している。が、頭部だけ丸裸だ。少年が勝手にヘルメットを外してしまった様だ。一応メットは持っていて、左脇に挟まっている。ポニーテールの様にまとめた金髪が、赤い装甲に映える。右腕に接続された銃器は、口径が巨大な割に銃身が極端に短かった。その内部に、青い球体が内蔵されている構造が見える程だった。
何度もセーフ・ガードと対峙しているグレネードマンだったが、この装備をしているしている者を見たのは初めてだった。
「それでやろう、っての?」
「うん」
気付けば旧市街は銃声も、喧騒も、嘘の様に消えていた。
「無邪気だね……」
その先にあるものを、彼は理解出来ているのだろうか。
「お前さんのその無邪気さが、いずれ必ずお前さんの身を引き裂くよ……」
やがて少年は遠く小さくなって、林に吸い込まれる様に消えていった。
「あたしにはどうする事も出来ないんだけどね」
老婆は深いため息を吐き出すと、フッと肩の力を抜いて、遠くを見つめた。
その視線の先に、一機のヘリコプターが林の中から空気を切り裂きながら上昇していた。
数分前まで礼拝堂だった場所は、既に解体が完了していた。
体中に土煙を被った中年の男が一人、瓦礫の山の中腹で立ち尽くしていた。
彼は幸運にも落ちてきた瓦礫の隙間に入り、周りに転がる同年代の人達と同じ末路を歩まずに済んのだ。
だが彼は幸運に感謝していられる程、暇ではなかった。首根っこまで上ってきた心臓の鼓動を聞きながら、吐瀉物を撒き散らすだけで精一杯だった。
ひとしきり胃を、それこそご自慢の鼻の穴の様に空っぽにすると、人の気配に気付いた。
上の方から視線を感じる。
山の頂ではまだ砂埃がもうもうと舞っていた、その中に人の影がゆらゆらと映っている。
「Speak!」
敵か味方かさえ判らず、そう叫んだ。震える顎を必死に喰いしばっていた所為で、何だかこもった声で聞き取りづらい。
影は答えない。影の全容は判らない、しかし明らかに近寄って来ている。
背筋が凍った。手に持ったライフルを必死に突き出す。そして叫ぶ。
「Speak! 止まれ!」
影は止まらない。ライフルを握った手に汗が噴き出して、汗腺がチクリと痛んだ。親父の顔は蒼白の色を成し、口元はグッと下に引っ張られ、今にも舌を噛んで死んでしまいそうだ。
「止まれえぇぇーー! うあああああああああ!」
親父は狂った様に発砲した。それこそがむしゃらに、めくらめっぽう連射した。
発砲した反動で銃口が大きく上に逸れ、一発も当たらない。影が近付いてくる。
親父はライフルをかなぐり捨てて、腰に付けたハンドガンを……。
落とした。影が近付いてくる。
親父は崩れる様に地面に伏し、拳銃を拾う。手が震えてトリガーに指が入らない。手が滑る。足音が、近くに聞こえる。
指が入った!
親父は恐ろしい勢いで振り返り、足音がする先へ銃口を向けた。その先には若者が立っていた。
長身に栗毛の短髪、サングラスを掛け、エナメルのダウンジャケットを着ている。
若者がにたりと笑った。
親父はフッと息を飲み込んだが、声は出なかった。唇を噛み締めて、狙いを付ける。頭を……いや胸だ!
指にグッと力を入れた、咄嗟に目をギュッと閉じた。
沈黙が訪れる。銃声はしなかった。安全装置(セーフ・ガード)を外していなかったのだ。動かないトリガーが指に食い込んだだけだった。
「ック……ヒヒヒヒヒヒヒヒ! おっさんビビリ過ぎ、マジ……、マジで……ダッッセェー! ヒヒヒヒヒヒ!」
若者の嘲笑は、親父の恐怖心を怒りに変えた。今度こそ安全装置を外し、撃った!
刹那、閃光が走る。銃口は真っ直ぐに若者の胸に向けられていた。しかし弾丸は90度左にずれ、横にあった瓦礫に着弾した。
親父は何が起こったのか理解出来なかった。しかし、銃が効かない事だけはハッキリ判った。心の中の誰かが呟く。化け物だ、銃が効かない、本物の化け物だ。こんな化け物に、勝てる訳がない。
ついに心が敗北を認めてしまった。最早こうなってしまっては、親父が全盛期の弁慶だろうが、アキレスだろうが、誰であろうが負けてしまう。後は惨めに死を待つばかりとなった、只々恐怖を感じながら。
親父は嗚咽を漏らしながら後ずさった。震える手で何とか銃を若者に向ける。駄目と判っていながらも、撃たずには居られなかった。一発撃った。ピカッと光ると弾丸は空へ飛んでいってしまった。また一発撃った、足元に着弾した。今度は二発、一発は空中で爆ぜ、もう一発は若者のジャケットをかすった。最後の一発は鋭角に反射し、親父の足に命中した。
「ぐあぁぁぁぁぁああああッ!!」
「ヒヒヒッ!」
「ひ……人殺し!」
「そっス」
「化け物!」
「それで?」
「この……“鼻くそ野郎”!」
若者の眉がピクリとした。親父は死を覚悟した。若者はスッと上体を反らすと、冗談めいた動作で額をパチンと叩いた。
「……ヒヒ、いいねぇ~。俺、おっちゃん好きだぜ」
若者がふと横を向いた瞬間、親父の右側で閃光が走った。持っていた拳銃が爆発したのだ。親父は右手に違和感を感じ、見ると悲惨な光景が目に飛び込んできた。彼の指は飛び散り何処かへ行ってしまって、指の代わりに拳銃の破片が食い込んでいた。状況を飲み込むと同時に激痛が走る。
「あああああぁぁぁぁぁ!!」
えぐれた右手を腹に抱え、親父は悲痛な叫び声を上げた。腹に隠した右手からどろどろと血を流れ、ジーパンに血が滴り落ちる。しっかり握れば出血は止まるのだが、気が動転している彼にそんな高等なことは所詮無理だった。
「俺の……俺の指! 俺の指を返せ!」
若者はベソかきの子供を優しくなだめる様に、ゆっくりと首を左右に振った。
「だーめ、ヒヒ」
親父の顔は鼻も目も口もぐずぐずになっている。
「俺は……俺はまともに生きてきたんだ」
溜め込んできたものが、入れ物が圧迫されて破け、ドロリと出てきた様な、低い粘り気のある声だった。
「今までまともに、セーフ・ガードに土地踏み荒らされても、お前ら“鼻詰まり共”が毎月金をせびりに脅しに来ても、俺は誰にも反抗しなかったんだ。誰にもだ! 平和に、平穏に、何事も無く生きる為の最大の努力をしたんだ! だから娘だってお前らに渡した! なのに……なのにお前らは俺の家も! 土地も! 滅茶苦茶にしやがった!」
「あーごめん、それ俺じゃない」
「死ね! クソ! 死んじまえ!」
「ヒヒ、マジ可哀想」
「お前ら全員、鼻かんで地獄落ちろ、“鼻くそ”!」
「おーよちよち、いま楽にしてあげるからねー」
親父の鼻が光り始めた。脈が真っ赤に透けて映る。何処までが骨で、何処からが軟骨で出来ているのかがよく見えた。
ヘリの内部では、少年が通信機から出ている映像に話しかけていた。平面ではあるがホログラムの様だ。
「こんなの重いだけだって、要らないよ!」
少年は横の座席に置かれた箱型の装置を指差して言い放った。装置にはベルトやバンドが着いている。どうやら少年が背中に背負う事になっているらしい。
「してなさい、していないと死んでしまうよ」
相手は少し枯れた声の男だが、映像を見る限りそれほど年老いている様ではなかった。銀髪の爆発した様な髪型で、白衣を着ている。科学者の様だ。
「死なないよ! むしろ重くって死んじゃうよ!」
通信機から呆れたため息が聞こえた。
「……窓はあるかい?」
「……あるけど」
「下を見てごらん」
「嫌だよ! 怖いよ!」
「何を言ってるんだ、そこから飛び降りるだぞ」
少年がそーっと窓から下を覗く。街がまるでミニチュアの様に見えた。
「やっぱり無理だよ!」
「心配は要らない。その装置をしていれば、無傷で着地出来る」
「でもこれだって要らないじゃん!」
膝に置かれたメットを指差す。
「それも必須だ」
「でもこれだって!」
足元に置かれた少し丸いみを帯びた筒を指して言った。
「ソレも必要な物だ。それとも、私を信じられないのか?」
少々怖い顔をして見せた。少年が黙るには十分だった様だ。
「……わかったよ」
少年はしぶしぶ、飛び降りる準備を始めた。
今やヘリは礼拝堂跡地上空に到達していた。
礼拝堂だった瓦礫の山で若者が一人、深呼吸をしている。
「やっぱこういう空気? つの? い~ぃですよねぇ~、ヒヒヒ」
今やそこに居るのは彼だけだった。
ふと彼が空を見上げると、ヘリが近づいていた。今まで何故気付かなかったのか不思議だった。銃声に紛れていたのかも知れない。
「あらららららら、あんなん出ましたけど。落としていいの?」
若者にヘリの影が掛かる。彼はサングラスを外し、眩しそうに見上げながら、ワクワクしていた。
「あ~らでも高すぎだわ。無理だ」
そういって若者が眺めていると、ヘリの他に風を切る音が聞こえてきた。高音域の、ヘリではないフラットで単調な、しかしクレッシェンドが効いた、だんだんと大きくなる音が……。
「おいおいおいおい、マジかよ、おい!」
ヘリの影に何かが見えた。若者の足元が光り、次の瞬間彼は少し離れた場所で宙を舞っていた。落下物が彼の居た場所を直撃した。
若者は爆風で自分を吹き飛ばし、なんとか回避出来た。しかし、余りの出来事に受身を取れずに瓦礫の上にドスンと腹から落ちた。
「いって~……、つか今の何?」
打った腹を擦りながら起き上がり辺りを見渡すも、舞い上がった煙で視界が遮られている。その時、煙の向こう側から無邪気な声が聞こえてきた。
「凄い! 無傷だ! へぇ~、アルもやるね~、見直しちゃったよ」
ゆっくりと煙が引き、二人は互いの姿がぼんやり見えてきた。若者は落ちてきた奴が赤い色をしているのに気がついた。赤はセーフ・ガードの色だった。
「あ~はい、はい、はいはい。流石の俺も状況掴めて来たよ」
「あ! 探されてた人だ!」
若者はついさっき尾行されていたのを思い出した。
「あー、あいつ等全員俺が殺しちゃいましたけどね」
「あれ? そういえば何でここ、こんなにグチャグチャなの?」
「それも俺」
「スゲー!」
若者は少年の無邪気さに不気味な感じがした。そもそもこの状況が物凄く異様に思えた。武装した小隊に自分の居場所を探らせて、ミサイルか爆弾か何かが降って来るのかと思っていた。しかし降って来たのは、子供が一人だけ。セーフ・ガードは何を企んでいる? 捕獲し、懐柔するつもりか? それとも人体実験に使おうってのか?
「あ、ねぇねぇ。ヒトはさぁ、なんで戦うんだと思う?」
「はぁ? つか、ヒトってどっちの?」
「両方」
「両方って、お前……。どっちかにしろよ」
「えー、そーだなぁ~……うーん」
妙な沈黙が訪れた。少なくとも、頭の中身はガキだ、と若者は思った。
「よし、じゃー選んで」
「え、俺が?」
思わず面食らった。
「……じゃ俺の話でいいか? 俺は、楽しいから、かな」
とりあえず答えた。
「あ、それ僕も!」
「えーマジかよ~。俺、お前と一緒とかマジ嫌なんですけど」
「そんな事どうでも良いからさ! とにかく戦おうよ!」
「お前、人に話振っといて……自由だな」
粉塵は既に晴れていた。お互いが互いの姿を見る。少年は装甲に身を包み、重厚な機器を背中に背負っている。セーフ・ガードのイメージカラーの赤に塗られた装甲が体中を保護している。が、頭部だけ丸裸だ。少年が勝手にヘルメットを外してしまった様だ。一応メットは持っていて、左脇に挟まっている。ポニーテールの様にまとめた金髪が、赤い装甲に映える。右腕に接続された銃器は、口径が巨大な割に銃身が極端に短かった。その内部に、青い球体が内蔵されている構造が見える程だった。
何度もセーフ・ガードと対峙しているグレネードマンだったが、この装備をしているしている者を見たのは初めてだった。
「それでやろう、っての?」
「うん」
気付けば旧市街は銃声も、喧騒も、嘘の様に消えていた。
グレネードマンこと、ケン・コマキは今、この状況を理解しきれていなかった。
ヘリが飛んでいたのはジンヴェル塔と比べてもかなり高かった。多分100mより高かった筈だ。確かに少年は装甲をしているが、ローラースケートをする時のサポーターに似て厚みはない。あの衝撃を0にするなんて、そんな無茶が出来る程の作りには見えなかった。
もしかしたら保有者かもしれない、そう思った。だが同時に、それは有り得ないとも思った。Emptyは新人類に嫉妬して作られた機関だ、んなプライドのねぇ事は、流石に馬鹿でもしねぇだろ。第一に声が違う。少年は明らかにマグルの声だった。
とにかく考えていてもラチが明かない。手始めにケンは少年をからかってやろうと思った。両膝の裏に小さな爆発を起こすつもりだった。ちょっと派手な膝カックンだ。
しかし、爆発地点はズレた。少年の後ろの瓦礫がポンと鳴る。
「はぁ?」
「あれ、何かした?」
「うっせぇ、ジッとしてろ……」
再び狙いを定めた。今度はその自慢の御髪を根元からバッサリやってやるぜ。
少年の足元がボンと鳴る。
「ねぇ、さっきから何してるの?」
「……効かねぇ」
能力が強制的にズラされている様だった。これは新手の超能力かもしれない、いや少年は何が起きてるか気付いてない。何かの作用か、それとも無意識か、何にしろ……。
「ヒヒ!」
ケンは興奮した。
「いいねぇ、いいぜぇ! そういうの大好きだ!」
ケンが両手を天に掲げると周囲の瓦礫が宙に浮いた。少年ごと浮かそうと思ったが、やはりそれは出来なかった。それを満足そうに確認すると、ケンは大きく息を吸い込んだ。口元が上に吊り上がって、もうどうしようもなかった。
「殺ろうぜ! 兄弟!」
少年のグリーンの目がキラキラと輝きだした。まるでパパと遊園地にでも行く子供の様だ。
「そうこなくっちゃ!」
二人は同時に距離を取った。少年が宙に浮いた瓦礫に触れた。瞬間、爆発が起こる。そこら中に浮く瓦礫は、全て爆弾となっていたのだ。しかし彼はまたも無傷だった。ケンはヒューと口笛を鳴らす。
「そうこなくっちゃ、ヒヒ!」
少年は右腕の銃器でグレネードマンを狙う。瓦礫がスッと射線を避けて、グレネードマンを丸裸にした。標的は中指をおっ立てて、ベロを出して挑発していた。
「いいぜ、来いや!」
銃器が鳴る。ヒュゥーンと言うエネルギー充填音の後、バシュッと弾が発射された。握り拳大の、黄色い光の球体が物凄い勢いでケンに迫る。しかし、弾は大きく横に逸れた。
「メットをぉぉ! 被らんかぁぁ! 馬鹿垂れがぁ!!」
瓦礫に埋もれてしまったヘルメットが枯れた声で怒鳴った。少年はそれを慌てて掘り出した。平面のホログラムが映し出されると、銀髪の爆発頭の科学者が出た。大分息が上がっている。恐らく今まで何度となく怒鳴っていたのだろう。
「ごめんごめん、忘れてた」
「メットを被って右肩のコードと接続しろ! 照準調整機能がなければバスターもオモチャだ! 何度説明させるんだ!」
「えー、初耳だよ!」
「5度目だ!」
「も~うるさいなぁ……。これでいいの?」
「違うわ!! それはヒッグス緩衝遮蔽装置の……えぇい! 青いプラグだ!」
「全部青いんだけど……」
「はぁ……右から三番だ。抜いたプラグは元に戻しておきなさい」
「あれ、どれ抜いたっけ?」
「くぁswでfrtgyふじこlp;」
科学者のセリフは最早何を言っているのか判らなかった。
ケンはそんな二人を無視して、銃の性能に唖然としていた。
大概の銃弾は爆発能力で逸す事が出来るのだが、あれは違った。ズラす事も、かき消すことも出来なかった。そして着弾地点は、直径30cmの穴が開いていた。もしあのエネルギー弾をまともに喰らったら、えぐり取られて即死だ。
死ぬ、あの何だか判らない銃器に撃たれて、自分は死んでしまう。そう思うと歓喜が胸で踊りだす。死ぬ!
「クレイジー……」
グレネードマンは手をワキワキさせながら、右腕をゆっくりと掲げた。おびただしい量の瓦礫が空を覆った。その瓦礫の一つ一つが淡い光を放っている。
「デストロイヤー!」
掲げた右手を握り締めると同時に、全ての瓦礫が少年に降り注いだ。耳を劈く爆発音と失明してしまう程の光が辺りを支配した。大地が揺れ、周囲の建築物が倒壊してゆく。その余りの威力に、放った張本人さえ吹き飛ばされてしまった。ケンはその勢いのまま空高く昇り上空に留まって、右目のレンズが割れてしまったサングラス越しに、旧市街の全体像を見た。
素晴らしい眺めだった。彼の産まれた街は、瓦礫の大草原に生まれ変わっていた。彼は少し寂しくも感じたが、むしろ今の姿の方がこの街の本質を表していると思った。なまじ文化が残ってるからイケないのだ、そう思った。
それはそうと、少年はどうしているだろうか。無事だろうか? まさか死んだ? 死んだ?
「死んだ? 死んじゃった? 俺、殺しちゃった? ヒヒヒヒ!」
もうもうと舞う煙の中に青い光が見えた。煙から出るとキラリと光る。一直線にケンに向かって来た。少年のエネルギー弾だ。黄色の銃弾とは違い、青色の銃弾は巨大だった。サッカーボールより2回りも大きい。
「ヒヒ、やった! 生きてる! 生きてるよ!」
一瞬で距離が縮まる。巨大なエネルギー弾が迫り来る。ケンはそれをギリギリでかわした。右側の服が焼けて、腕がヒリヒリした。空へ飛んでゆく弾の方を振り向いて、それをマジマジと見た。
「……馬鹿でけぇ」
ふっと下を見ると、煙が一箇所だけポッカリと晴れていた。そこに少年がいて、少年とケンの間には無数の黄色い銃弾があった。
「ヤッベェ!」
ケンは重力の力を借りて鉛直に落下軌道を取った。少年の方を見るとヘルメットをしている。成程、道理で避け辛い。前後左右にふらふらと避け、偶に爆発で予測不可能な動きをしてみせる。自身の肉体を制御しながら、爆発の制御をしなくてはならない。大技を繰り出した後のグレネードマンには、かなりきつかった。
銃弾の大雨がピタリと止まった。ケンは溜息を吐いて、汗だくの額を拭った。腕が額にペチペチと当たって上手く拭えない。腕が震えていた。
「……ヒヒ、ガッタガタ……じゃん」
途端、強烈な頭痛がケンを襲った。脈に合わせてグサリ、グサリと痛む。
「頭が……血が! ぐぅ! ぐあぁ! あぁ!」
脳を巡っている血に無数の針が入っているかの様な、鋭い刺す様な痛みだった。特に額周辺が酷い、割れそうだ。いや、もう割れているかも知れない。心臓が脈を打つ毎に血に含まれた針が全身に広がる様だ。
「から……体……が。ぐぁぁ! な……がぁ! 何だ、これぇ!!」
ケンは真っ逆さまに落下し、地上に叩きつけられた。ある程度降下していたのが幸いし、命に別状はなかった。しかし、叩きつけられた衝撃など気にならない程の激痛が体中を切り刻んでいた。ケンは地面でのた打ち回った。
超能力の酷使に対するリスクだった。
超能力は細菌の代謝産物が脳内に取り込まれて、初めて使えるようになる。
細菌は嫌気性だ。しかも偏性、つまり酸素が存在する場所では絶対に生きて居られない。人間などの酸素がないと死んでしまう生物を、偏性好気性の生物という。偏性嫌気性細菌はその逆で酸素があると死滅する。通常副鼻腔内で皮膜を作り、嫌気的なコロニーを形成して、内部の細菌を守っている。しかし過度の能力の使用は副鼻腔内の細菌の代謝を著しく上昇させ、皮膜が弱くなる。また過度の興奮は血中の酸素濃度を上昇させ、今回の様に体内環境の面からも皮膜を刺激すると、皮膜が壊れ副鼻腔内に血液が進入する。流れ込む大量の酸素が細菌を大量に死滅させる。と同時に血中に、人間にとって有害な、細菌の死骸が流れ込む。そして体中が様々な毒素で犯され、激痛となって感染者の体を襲う。
遠くからヒュゥーンウンウンウンウンとリズミカルな、機械音が聞こえる。煙の中に揺らめく青い光源が現れる。すぅっと持ち上がり、一定の高さで静止すると、バシュゥーンという音と共にエネルギー弾が射出された。弾はケンの左腕を吹き飛ばした。腕をえぐり取られた傷口から血が勢いよく噴出した。
血に含まれていた毒素が一気に排出されて、ケンは少し楽になった。代わりに体がふらふらした。貧血だ。このままでは死んでしまう。ケンは自らの傷口に火を放った。
「ぐぁぁぁ! ヒ……ヒヒヒヒ、ヒヒヒヒィィィぁぁぁぁああ!!」
出血は止まった。どうやら全ての副鼻腔が駄目になった訳では無いようだ。全ての細菌が死滅してしまえば、超能力は使えなくなってしまうのだから。しかし、グレネードマンとしての能力はもう使えない様だった。
「はぁ……はぁ、ヒヒ。ボロッ……ガハ……ボロじゃねぇか、ヒヒヒ」
少年が煙の中から悠々と現れた。彼はもう助からないだろう。ケンにはそれが堪らなく嬉しかった!
「はぁ……死ぬ! 俺、死んじゃう! ヒヒヒヒヒヒ!」
少年は銃器を彼に向ける。しかし、カチリカチリと鳴るだけで、一向に弾が出ない。ヘルメットの横にホログラムが出る。
「弾切れだ。ナイフに持ち替えろ」
少年は右腕の銃器を取り外すと、腿に装着されていたナイフを取り出す。
「なぁ……、兄弟。おめぇ強ぇな」
「うん、お兄さんが弱いんだけどね」
「ヒヒヒ、初めて聞いたわそれ……。ヒヒ……ガハァ……ヒヒヒヒ」
ケンは笑いながら体を起こし、胡坐をかいた。痛みは嘘のように引いていた。気分は最高に良かった。
「なぁ、お前最初によ……。なんで人は戦うのかって聞いたよな?」
「聞いたよ」
「楽しいからって言ったけど、ありゃ嘘だ。俺は復讐って奴の為に戦ってたんだ。……なぁ兄弟。お前もそうだろ、あ? その歳でそんな人殺しやっててよぉ。たまんねぇよなぁ」
「そうでもないよ」
「……ッヒヒ。気も強ぇじゃねぇか、兄弟。……でも、お前もアレだろ? 復讐なんだろ?」
少年は彼が何を言っているのかさっぱり判らなかった。ケンはその様子に、そのキョトンとした表情に、逆に強い憎しみを感じた。
「そうだよな! やっぱそうだよなぁ! ヒヒヒ、誰だよ? 誰が殺されたんだ、え? 親か? 兄弟か? 友達か?」
「さっきから何言ってるの? 僕よく判らないんだけど……」
「今更誤魔化すんじゃねぇよ! ……俺は沢山殺してきたんだぜ!? ヒヒ……、さっきお前の親父ぐらいの歳の野郎をぶっ殺したぜ。ヒッヒヒヒ。楽しかったなぁ~、豚みてぇにブヒブヒ言って、ヒヒヒヒ。内臓だけ爆発させてやったらもー! のた打ち回って! ヒヒヒヒ、死んじまったぜ!」
「へぇ」
「へぇ……ってお前……」
「それで?」
言葉を失った。何だコイツ。何なんだよ。
再びモニターが映し出された。
「回収対象は頭部だ。頚動脈を切り裂いて血抜きをしろ。その後……」
「ふざけんじゃねぇ!!!!!」
ケンの言葉が科学者の言葉を遮った。しかし科学者はそれを無視し、指示を続けた。
「その後! 頸部を切断して頭部をパックへ入れて……」
「ざけんじゃねぇよ!!!」
ケンが叫んだ。涙声だった。
「何だよそれ……。何だよそれぇ!!」
「……以上だ」
「オッケー」
「おいテメェ、何がオッケーだこの野郎……」
「へ?」
少年は相変わらずキョトンとしている。その様子が、今度は無性に憎たらしかった。
「何にもねぇのかよ!? テメェには!! 人を殺す理由は、“楽しいから”だーぁ!? ふざけんじゃねぇ! 人を殺していいのはなぁ……人殺しってぇのはなぁ!!」
「もーうるさいなぁ」
少年が気だるそうに歩み寄ってくる。ケンは初めて恐怖を感じた。このままでは死んでしまう。何にも無い奴に、何でもなく、ただただ殺されてしまう! そんなのは真っ平御免だ、だから今まで、今まで沢山……。
「ぅぅううおおおおおお!!」
渾身の力を込めて炎を放った。瓦礫を持ち上げてぶつけた。彼の最初で最後の、抵抗だった。しかし何もかも効果がない。いや……。
「あいたッ」
「あ……当たった」
「あれぇ? どうしたんだろう」
モニターが出る。
「バッテリー切れだ。どうでもいい、早く実行しなさい」
「りょーかい」
「ぅぅぉぉぉおお!」
突然、少年の体が浮いた。といっても地上から数cmだ。しかし行動の自由を奪うには十分だった。
「潰れろぉ!」
少年の赤い装甲がベコベコと凹み、グシャリと潰れた。
「ヒ……ヒヒヒ、ざまぁ……」
ケンは頸部に軽い衝撃を受けた。頭からサーっと、何もかもが抜けて行く感覚がした。後ろには下着姿の少年が居た。一瞬で装甲を脱ぎ、その刹那ケンの背後に回っていたのだ。恐ろしいスピードだ。
「……! …………ッ!!」
ケンは最早声が出なかった。血がケンの頭上2mの高さまで吹き上がっている。目の前で花火がチカチカして、視界が真っ白になっていく。
嫌だ! 俺は! こんな死に方は嫌だ! ケンは少年のナイフをペンチで掴んだ様な怪力でひったくると、自分の体を十文字に切り付けた! 腹まで到達したナイフが、でろりと溢れ出る内臓に埋まる。傷口からは血が一滴も滲み出ていなかった。首から血はもう出ていなかった。
「……変な死に方」
物体と化した元超能力者の顔は、とても不思議な顔をしていた。なんとも説明しがたいが、“人生の全てを注ぎ込んで買った、確実に勝てる筈の馬券が、大穴に抜かれて借金まみれになった”そんな感じの顔だった。
ニュルンベルク旧市街は漸く静寂を得た。強烈な風が市街にまとわりつく粉塵を洗い流してくれた。空はカラリと晴れ渡っていた。
闇に生きた若者が天に昇るには、余りにも清々しく、心地良すぎた。
次回『赤の天使』
ヘリが飛んでいたのはジンヴェル塔と比べてもかなり高かった。多分100mより高かった筈だ。確かに少年は装甲をしているが、ローラースケートをする時のサポーターに似て厚みはない。あの衝撃を0にするなんて、そんな無茶が出来る程の作りには見えなかった。
もしかしたら保有者かもしれない、そう思った。だが同時に、それは有り得ないとも思った。Emptyは新人類に嫉妬して作られた機関だ、んなプライドのねぇ事は、流石に馬鹿でもしねぇだろ。第一に声が違う。少年は明らかにマグルの声だった。
とにかく考えていてもラチが明かない。手始めにケンは少年をからかってやろうと思った。両膝の裏に小さな爆発を起こすつもりだった。ちょっと派手な膝カックンだ。
しかし、爆発地点はズレた。少年の後ろの瓦礫がポンと鳴る。
「はぁ?」
「あれ、何かした?」
「うっせぇ、ジッとしてろ……」
再び狙いを定めた。今度はその自慢の御髪を根元からバッサリやってやるぜ。
少年の足元がボンと鳴る。
「ねぇ、さっきから何してるの?」
「……効かねぇ」
能力が強制的にズラされている様だった。これは新手の超能力かもしれない、いや少年は何が起きてるか気付いてない。何かの作用か、それとも無意識か、何にしろ……。
「ヒヒ!」
ケンは興奮した。
「いいねぇ、いいぜぇ! そういうの大好きだ!」
ケンが両手を天に掲げると周囲の瓦礫が宙に浮いた。少年ごと浮かそうと思ったが、やはりそれは出来なかった。それを満足そうに確認すると、ケンは大きく息を吸い込んだ。口元が上に吊り上がって、もうどうしようもなかった。
「殺ろうぜ! 兄弟!」
少年のグリーンの目がキラキラと輝きだした。まるでパパと遊園地にでも行く子供の様だ。
「そうこなくっちゃ!」
二人は同時に距離を取った。少年が宙に浮いた瓦礫に触れた。瞬間、爆発が起こる。そこら中に浮く瓦礫は、全て爆弾となっていたのだ。しかし彼はまたも無傷だった。ケンはヒューと口笛を鳴らす。
「そうこなくっちゃ、ヒヒ!」
少年は右腕の銃器でグレネードマンを狙う。瓦礫がスッと射線を避けて、グレネードマンを丸裸にした。標的は中指をおっ立てて、ベロを出して挑発していた。
「いいぜ、来いや!」
銃器が鳴る。ヒュゥーンと言うエネルギー充填音の後、バシュッと弾が発射された。握り拳大の、黄色い光の球体が物凄い勢いでケンに迫る。しかし、弾は大きく横に逸れた。
「メットをぉぉ! 被らんかぁぁ! 馬鹿垂れがぁ!!」
瓦礫に埋もれてしまったヘルメットが枯れた声で怒鳴った。少年はそれを慌てて掘り出した。平面のホログラムが映し出されると、銀髪の爆発頭の科学者が出た。大分息が上がっている。恐らく今まで何度となく怒鳴っていたのだろう。
「ごめんごめん、忘れてた」
「メットを被って右肩のコードと接続しろ! 照準調整機能がなければバスターもオモチャだ! 何度説明させるんだ!」
「えー、初耳だよ!」
「5度目だ!」
「も~うるさいなぁ……。これでいいの?」
「違うわ!! それはヒッグス緩衝遮蔽装置の……えぇい! 青いプラグだ!」
「全部青いんだけど……」
「はぁ……右から三番だ。抜いたプラグは元に戻しておきなさい」
「あれ、どれ抜いたっけ?」
「くぁswでfrtgyふじこlp;」
科学者のセリフは最早何を言っているのか判らなかった。
ケンはそんな二人を無視して、銃の性能に唖然としていた。
大概の銃弾は爆発能力で逸す事が出来るのだが、あれは違った。ズラす事も、かき消すことも出来なかった。そして着弾地点は、直径30cmの穴が開いていた。もしあのエネルギー弾をまともに喰らったら、えぐり取られて即死だ。
死ぬ、あの何だか判らない銃器に撃たれて、自分は死んでしまう。そう思うと歓喜が胸で踊りだす。死ぬ!
「クレイジー……」
グレネードマンは手をワキワキさせながら、右腕をゆっくりと掲げた。おびただしい量の瓦礫が空を覆った。その瓦礫の一つ一つが淡い光を放っている。
「デストロイヤー!」
掲げた右手を握り締めると同時に、全ての瓦礫が少年に降り注いだ。耳を劈く爆発音と失明してしまう程の光が辺りを支配した。大地が揺れ、周囲の建築物が倒壊してゆく。その余りの威力に、放った張本人さえ吹き飛ばされてしまった。ケンはその勢いのまま空高く昇り上空に留まって、右目のレンズが割れてしまったサングラス越しに、旧市街の全体像を見た。
素晴らしい眺めだった。彼の産まれた街は、瓦礫の大草原に生まれ変わっていた。彼は少し寂しくも感じたが、むしろ今の姿の方がこの街の本質を表していると思った。なまじ文化が残ってるからイケないのだ、そう思った。
それはそうと、少年はどうしているだろうか。無事だろうか? まさか死んだ? 死んだ?
「死んだ? 死んじゃった? 俺、殺しちゃった? ヒヒヒヒ!」
もうもうと舞う煙の中に青い光が見えた。煙から出るとキラリと光る。一直線にケンに向かって来た。少年のエネルギー弾だ。黄色の銃弾とは違い、青色の銃弾は巨大だった。サッカーボールより2回りも大きい。
「ヒヒ、やった! 生きてる! 生きてるよ!」
一瞬で距離が縮まる。巨大なエネルギー弾が迫り来る。ケンはそれをギリギリでかわした。右側の服が焼けて、腕がヒリヒリした。空へ飛んでゆく弾の方を振り向いて、それをマジマジと見た。
「……馬鹿でけぇ」
ふっと下を見ると、煙が一箇所だけポッカリと晴れていた。そこに少年がいて、少年とケンの間には無数の黄色い銃弾があった。
「ヤッベェ!」
ケンは重力の力を借りて鉛直に落下軌道を取った。少年の方を見るとヘルメットをしている。成程、道理で避け辛い。前後左右にふらふらと避け、偶に爆発で予測不可能な動きをしてみせる。自身の肉体を制御しながら、爆発の制御をしなくてはならない。大技を繰り出した後のグレネードマンには、かなりきつかった。
銃弾の大雨がピタリと止まった。ケンは溜息を吐いて、汗だくの額を拭った。腕が額にペチペチと当たって上手く拭えない。腕が震えていた。
「……ヒヒ、ガッタガタ……じゃん」
途端、強烈な頭痛がケンを襲った。脈に合わせてグサリ、グサリと痛む。
「頭が……血が! ぐぅ! ぐあぁ! あぁ!」
脳を巡っている血に無数の針が入っているかの様な、鋭い刺す様な痛みだった。特に額周辺が酷い、割れそうだ。いや、もう割れているかも知れない。心臓が脈を打つ毎に血に含まれた針が全身に広がる様だ。
「から……体……が。ぐぁぁ! な……がぁ! 何だ、これぇ!!」
ケンは真っ逆さまに落下し、地上に叩きつけられた。ある程度降下していたのが幸いし、命に別状はなかった。しかし、叩きつけられた衝撃など気にならない程の激痛が体中を切り刻んでいた。ケンは地面でのた打ち回った。
超能力の酷使に対するリスクだった。
超能力は細菌の代謝産物が脳内に取り込まれて、初めて使えるようになる。
細菌は嫌気性だ。しかも偏性、つまり酸素が存在する場所では絶対に生きて居られない。人間などの酸素がないと死んでしまう生物を、偏性好気性の生物という。偏性嫌気性細菌はその逆で酸素があると死滅する。通常副鼻腔内で皮膜を作り、嫌気的なコロニーを形成して、内部の細菌を守っている。しかし過度の能力の使用は副鼻腔内の細菌の代謝を著しく上昇させ、皮膜が弱くなる。また過度の興奮は血中の酸素濃度を上昇させ、今回の様に体内環境の面からも皮膜を刺激すると、皮膜が壊れ副鼻腔内に血液が進入する。流れ込む大量の酸素が細菌を大量に死滅させる。と同時に血中に、人間にとって有害な、細菌の死骸が流れ込む。そして体中が様々な毒素で犯され、激痛となって感染者の体を襲う。
遠くからヒュゥーンウンウンウンウンとリズミカルな、機械音が聞こえる。煙の中に揺らめく青い光源が現れる。すぅっと持ち上がり、一定の高さで静止すると、バシュゥーンという音と共にエネルギー弾が射出された。弾はケンの左腕を吹き飛ばした。腕をえぐり取られた傷口から血が勢いよく噴出した。
血に含まれていた毒素が一気に排出されて、ケンは少し楽になった。代わりに体がふらふらした。貧血だ。このままでは死んでしまう。ケンは自らの傷口に火を放った。
「ぐぁぁぁ! ヒ……ヒヒヒヒ、ヒヒヒヒィィィぁぁぁぁああ!!」
出血は止まった。どうやら全ての副鼻腔が駄目になった訳では無いようだ。全ての細菌が死滅してしまえば、超能力は使えなくなってしまうのだから。しかし、グレネードマンとしての能力はもう使えない様だった。
「はぁ……はぁ、ヒヒ。ボロッ……ガハ……ボロじゃねぇか、ヒヒヒ」
少年が煙の中から悠々と現れた。彼はもう助からないだろう。ケンにはそれが堪らなく嬉しかった!
「はぁ……死ぬ! 俺、死んじゃう! ヒヒヒヒヒヒ!」
少年は銃器を彼に向ける。しかし、カチリカチリと鳴るだけで、一向に弾が出ない。ヘルメットの横にホログラムが出る。
「弾切れだ。ナイフに持ち替えろ」
少年は右腕の銃器を取り外すと、腿に装着されていたナイフを取り出す。
「なぁ……、兄弟。おめぇ強ぇな」
「うん、お兄さんが弱いんだけどね」
「ヒヒヒ、初めて聞いたわそれ……。ヒヒ……ガハァ……ヒヒヒヒ」
ケンは笑いながら体を起こし、胡坐をかいた。痛みは嘘のように引いていた。気分は最高に良かった。
「なぁ、お前最初によ……。なんで人は戦うのかって聞いたよな?」
「聞いたよ」
「楽しいからって言ったけど、ありゃ嘘だ。俺は復讐って奴の為に戦ってたんだ。……なぁ兄弟。お前もそうだろ、あ? その歳でそんな人殺しやっててよぉ。たまんねぇよなぁ」
「そうでもないよ」
「……ッヒヒ。気も強ぇじゃねぇか、兄弟。……でも、お前もアレだろ? 復讐なんだろ?」
少年は彼が何を言っているのかさっぱり判らなかった。ケンはその様子に、そのキョトンとした表情に、逆に強い憎しみを感じた。
「そうだよな! やっぱそうだよなぁ! ヒヒヒ、誰だよ? 誰が殺されたんだ、え? 親か? 兄弟か? 友達か?」
「さっきから何言ってるの? 僕よく判らないんだけど……」
「今更誤魔化すんじゃねぇよ! ……俺は沢山殺してきたんだぜ!? ヒヒ……、さっきお前の親父ぐらいの歳の野郎をぶっ殺したぜ。ヒッヒヒヒ。楽しかったなぁ~、豚みてぇにブヒブヒ言って、ヒヒヒヒ。内臓だけ爆発させてやったらもー! のた打ち回って! ヒヒヒヒ、死んじまったぜ!」
「へぇ」
「へぇ……ってお前……」
「それで?」
言葉を失った。何だコイツ。何なんだよ。
再びモニターが映し出された。
「回収対象は頭部だ。頚動脈を切り裂いて血抜きをしろ。その後……」
「ふざけんじゃねぇ!!!!!」
ケンの言葉が科学者の言葉を遮った。しかし科学者はそれを無視し、指示を続けた。
「その後! 頸部を切断して頭部をパックへ入れて……」
「ざけんじゃねぇよ!!!」
ケンが叫んだ。涙声だった。
「何だよそれ……。何だよそれぇ!!」
「……以上だ」
「オッケー」
「おいテメェ、何がオッケーだこの野郎……」
「へ?」
少年は相変わらずキョトンとしている。その様子が、今度は無性に憎たらしかった。
「何にもねぇのかよ!? テメェには!! 人を殺す理由は、“楽しいから”だーぁ!? ふざけんじゃねぇ! 人を殺していいのはなぁ……人殺しってぇのはなぁ!!」
「もーうるさいなぁ」
少年が気だるそうに歩み寄ってくる。ケンは初めて恐怖を感じた。このままでは死んでしまう。何にも無い奴に、何でもなく、ただただ殺されてしまう! そんなのは真っ平御免だ、だから今まで、今まで沢山……。
「ぅぅううおおおおおお!!」
渾身の力を込めて炎を放った。瓦礫を持ち上げてぶつけた。彼の最初で最後の、抵抗だった。しかし何もかも効果がない。いや……。
「あいたッ」
「あ……当たった」
「あれぇ? どうしたんだろう」
モニターが出る。
「バッテリー切れだ。どうでもいい、早く実行しなさい」
「りょーかい」
「ぅぅぉぉぉおお!」
突然、少年の体が浮いた。といっても地上から数cmだ。しかし行動の自由を奪うには十分だった。
「潰れろぉ!」
少年の赤い装甲がベコベコと凹み、グシャリと潰れた。
「ヒ……ヒヒヒ、ざまぁ……」
ケンは頸部に軽い衝撃を受けた。頭からサーっと、何もかもが抜けて行く感覚がした。後ろには下着姿の少年が居た。一瞬で装甲を脱ぎ、その刹那ケンの背後に回っていたのだ。恐ろしいスピードだ。
「……! …………ッ!!」
ケンは最早声が出なかった。血がケンの頭上2mの高さまで吹き上がっている。目の前で花火がチカチカして、視界が真っ白になっていく。
嫌だ! 俺は! こんな死に方は嫌だ! ケンは少年のナイフをペンチで掴んだ様な怪力でひったくると、自分の体を十文字に切り付けた! 腹まで到達したナイフが、でろりと溢れ出る内臓に埋まる。傷口からは血が一滴も滲み出ていなかった。首から血はもう出ていなかった。
「……変な死に方」
物体と化した元超能力者の顔は、とても不思議な顔をしていた。なんとも説明しがたいが、“人生の全てを注ぎ込んで買った、確実に勝てる筈の馬券が、大穴に抜かれて借金まみれになった”そんな感じの顔だった。
ニュルンベルク旧市街は漸く静寂を得た。強烈な風が市街にまとわりつく粉塵を洗い流してくれた。空はカラリと晴れ渡っていた。
闇に生きた若者が天に昇るには、余りにも清々しく、心地良すぎた。
次回『赤の天使』