一歩、一歩。
死、そのものが近づいてくるような感覚に、全身の毛が逆立つ。
「ひっ……」
彼女は恐怖に足を震わせ、ぺたんと地面……俺の隣に尻餅をついた。
顔面は蒼白。目元に涙が滲んでいるその姿は、とても極悪人には見えない。ただの、女の子だ。
「お前のせいで、俺の探し物も綺麗さっぱり吹き飛んじまいやがった……土産の方は、お前で代用するしかねぇな」
歩み寄る、漆黒の怪人。
どうする。
このままじゃ俺も彼女も、こいつに殺される。
身体を持ち上げようとするも、未だ残る痺れに阻まれて倒れ、顎を打ち付けてしまった。
もう少し……時間を。時間を稼げさえすれば。
「なあ!」
「あん? ……ああ、その声はさっきの新型怪人か。どうした?」
俺の言葉に、怪人は反応を見せる。その足も、同時に止まる。
「なんでお前は、そんな簡単に人を……殺せる? どうして、お前は人を殺すんだ?」
的外れな質問なのはわかっている。でも、俺にはどうしても、それが理解できなかった。
怪人は、そんな俺を鼻で笑う。
「理由なんてねぇ。殺したいから殺すんだ」
快楽殺人者。確か、自分のことをそう言っていた。
目的のための手段として殺人を犯すのではなく、目的として殺人を行う。
「理解に苦しむな……」
どんな理由であれ、人を殺すと言う行為を肯定はできない。
だが、殺すのが楽しいからなんて理由は、その中でも最低最悪のものだろう。
俺の中に、感情が芽生える。
熱い何かが身体を駆け巡り、重い身体を持ち上げるエネルギーと化す。
怒りか。正義感か。
わからないし、そんな事はどうでもいい。
大事なのは動けるという事と、動きたいと思っている事だった。
俺は、立ち上がる。
左手首の腕輪に手をかけ、力の限り捻り上げる。
そうして、光に包まれる。
「……変……身ッ!」
体調は万全じゃない。
敵の力は強大だ。
守る相手は、俺を売り渡そうとしていた。
だがそれは、戦わない理由にはならない。
「お前が彼女を殺すと言うのなら……俺はお前を倒す!」
彼女の前に立ちはだかる、白い怪人と化した俺。
漆黒の怪人は顎に手をやり、考えるように問いかける。
「理解に苦しむな。どうやらその糞女は、お前を利用してたんだろう?」
「そうだな。散々利用したあげく他の組織に売り払おうとしていた。糞女である事は否定しない」
「……チッ」
糞女が後ろで小さく舌打ちした。どうやらあまり反省はしてないらしい。
まあ、構わない。
「なんでお前は、そいつを助けようとするんだ?」
俺は、その質問を鼻で笑った。
「理由なんかない。助けたいから助けるんだ」
強いて上げるとしたら、彼女の泣き顔が存外かわいかったって事。その程度だ。
「……ハハハハハッ!! そいつはおもしれぇ!!」
しばしの沈黙の後、漆黒の怪人は心底おかしいと言わんばかりに大笑いしだした。
「……何がおかしい。馬鹿と言われて否定しないが、お前の行動よりかはマシだろう」
俺の怒りも意に関せず、漆黒の怪人は手をヒラヒラさせた。
「いやいや、相当の馬鹿だよお前は。お前みたいな馬鹿は大嫌いだぜ」
「そうか、俺もお前が死ぬほど嫌いだ。両思いだな」
言うや否や、俺は拳を握り締め突進する。
振り抜く拳は、相手の顔面目掛けて伸びる。
スピードで勝る漆黒の怪人は、余裕を持ってそれを左に避けた。
……問題ない。
俺は踏み込んだ左足を軸に、回し蹴りを見舞った。
全力のパンチそのものをフェイントとして放たれた右足は、漆黒の怪人の胴に突き刺さる。
「ぐっ……!?」
……手ごたえ、あり。
当たった直後にバックステップでいくらか衝撃を逃がされたものの、確実にその攻撃は効いていた。
……通じる。
俺の力は、こいつに届く。
だが、こいつの攻撃の破壊力は俺とは桁が違う。
攻撃の手を休めてはいけない。
俺は近くに落ちてたスタンブレードを拾い、敵に投擲すると同時に自らも接近する。
ブレードに追いつくように、速く。
怪人の力で投げられたその刀を、易々と受け止める事はできまい。当然、相手は回避する。
その回避した直後を狙い、足払い。
バランスを崩したその顔に、今度こそ全力の拳を打ちつけんとする。も、片手で受け止められ、強引にぶん投げられる。
距離を離した二人は、同時に受身を取って立ち上がった。
「なるほどなるほど……格闘技にしちゃ荒過ぎるが、何かしらかじってるようだ。センスあるよお前」
奴の言うとおり、前に少し日本拳法を習っていた。技は全然別物だが、師匠との稽古は今になってこれ以上ないほど役に立っている。
しかし、長期戦になると不利なのはこちらだ。技を見極められたら勝ち目はない。
そう思い、息切れを無理矢理押し込めて三度近づく。
と、急に漆黒の怪人は右手を天にかざした。
背筋が、震える。
「『サイコ・……』」
反射的に、俺は右へ跳んだ。
何が来るかはわからないが、何が来ても一撃必殺だ。
今ので、避けられたのか? 一体何が……。
避けるのに必死だった俺が、漆黒の怪人に目をやると。
「『キック』」
飛んできたのは、蹴りだった。
「へぶっ……!?」
顔面にクリーンヒットする、足裏。
俺は10m程吹き飛ぶように転がって、大木に背を打ちつけた。
「な……何がサイコキックだ……ただのキックじゃないか……それ……」
「ああ、ただのキックだ。お前が勝手に隙を見せてくれたから随分当てやすかったぜ」
見事に、騙されてしまったというわけらしい。
しかも、俺のダメージは深刻だった。ただのキックを一発食らっただけで、スーツの限界が近くなっている。
圧倒的だ。だが……まだ倒れるわけにはいかない!
立ち上がろうとする俺に対して、漆黒の怪人は言った。
「じゃ、そろそろ俺帰るわ」
「へ?」
「門限だから」と帰宅する友達の如く、漆黒の怪人は踵を返し去っていこうとする。
「……どういうつもりだ」
「いや、もう結構な数ぶっ殺したしな。満足した。その糞女もどうでもよくなったし」
「……俺を殺すんじゃなかったのか」
「そんなこと一言も言ってねーよ。何勝手に被害妄想垂れ流してるんだ」
「……俺が大嫌いなんだろう」
「ああ、大嫌いだ。だから殺してやんねぇ。じゃあな、正義の味方」
一度も振り返ることなく、漆黒の怪人は闇の奥へと溶けるように消えていった。
残されたのは、変身の解けた俺とへたり込んだままの彼女と、死体だけ。
「助かった、の……?」
「どうやら、見逃されたみたいだな」
彼女は安堵のため息を吐くと、俺に向かってガンを飛ばしてきた。
「悪かったわね、糞ビッチあばずれ女で」
「……そこまで言ってない。助けたんだ、もう少し感謝してくれてもいいんじゃないか?」
そう言うと、彼女は恥ずかしそうに頭を掻き、怪人の耳にも聞こえるかどうかの声で呟いた。
「…………助かったわ。どうもありがとう」
その言葉は、疲れた身体に心地良かった。
全身から一気に力が抜けるのを感じて、俺は眠気に身を任せる。