俺が一番失いたくないもの。
……って、何だ?
数日前、羽々斬に言われたあの言葉は、未だ頭から離れない。
『いやーこないだは悪かったな白金! そんでさそんでさ、今度また改めて面接受けられる事になったから一緒に――』
こいつではない。
切断から流れるように着信拒否を決めた俺はクリームリゾットを食べながら(作ったのは当然俺だ)再度考える。
「あら、これおいしいわね……白金くん、やっぱり結婚しましょ結婚。私のためだけに毎日ご飯を作りなさい。そして毎日私の身体を労りなさい。棒で」
こいつでもない。
……別に、人に限った話でもないのか?
俺の周りにはクズと悪人しかいない。失ってもいいとは思わないが、一番ではないだろう。
一番失いたくないもの。即ち、一番大切にしているものだろう。
俺に物欲は、あまりない。霰の家にすっかり住み着いているが、以前住んでいた部屋から特に何も持ってくる必要もなかった。
力……《ストーム》の力は、まだ失いたくないのが正直なところだ。だが、無くなったら無くなったで元の生活に戻るだけだ。固執はしない。
きっと、一番失いたくないものとは……俺の根幹に関わる事だろう。
果たしてそれは、『魔剣』を身に宿しても守れるものなのだろうか。
それとも……『魔剣』を宿さねば守れないもの、なのか……?
「さっきから私の事無視して、何を考えているのよ白金くん。あまり私をないがしろにすると後悔することになるわよ」
下着姿に白衣と言うだらしない格好でスタンガンを構える霰。
「口に物を入れながら喋らない」
「うっさいわね。私の勝手じゃない」
こいつとの同居生活も、まあなんとか慣れてはきた。
クズで悪人で阿婆擦れの淫乱ド痴女だが、それを除けばかわいいところもあるにはある。見た目とか。あとは見た目だな。
「……霰。お前はさ、一番失いたくないものってあるか?」
「何よ唐突に。そんなの自分の命に決っているじゃない」
……ああ、そうか。それがあったか。確かに俺も、自分の命は大事だ。
だが……それを失ったら、喪失感に嘆いて狂う事も無いだろう。
「じゃあ、二番目は?」
「私の天才的な頭脳よ。これを失ったら、私は白金くんの逆ヒモになるしか生きる術はないわ」
「三番目は?」
「お金」
「……四番目は?」
そうね、うーん、と霰は口を手で押さえて考えこむ。
「……美貌と健康、かしら」
何というか、俗っぽい考えだ。
まあ、俺だって達観した考えを持っているわけでもない。
「そう言う白金くんはどうなのよ? 一番は私として、二番は?」
「それがわからないから、聞いてるんだよ」
と言うか、何で自分が一番だと思い込んでいるんだろうかこいつは。どこに大事にされる要素があるのだろうか。
そこで携帯にメッセージが届いた。
まさか田中じゃあるまいな……と思ったら、意外な人物からであった。
「桝田……? 何の用だろう……?」
灰塵衆に行った時に連絡先を交換しておいたが、まさか向こうからアクションがあるとは思わなかった。
動画の宣伝とかだったらこいつとも縁を切ろう、そう思って確認すると――
『柏木隊長の目撃情報だってさ。暇なら素の本人に会ってみれば? 怪人態しか見たことないんだろ』
「!!」
添付画像は、簡単な地図と後ろ姿に◯のついた写真の二枚。
ややぼやけているが、革ジャンを羽織る姿は一般人にしか見えない。
「どうしたの、白金くん?」
血相を変える俺に、霰が半分くらいどうでも良さそうに尋ねる。
「ちょっと、行ってくる」
問いには答えずに俺は簡単に身だしなみを整えて上着を着こみ、玄関へと向かう。
「え、ちょっと……本当にどうしたの?」
「大丈夫、大した用じゃない。でも、行かなくちゃいけない」
心配をかけまいと言った台詞が、どうにも嘘くさいものとなってしまった。
霰の目も、訝しげなものに変わる。
「……そう。よくわかんないけど、夕飯までには帰ってきなさい。何度も言うけれど私自炊できないから」
「ああ」
背を向けて扉を開く俺に、彼女は続けた。
「……粗チンを馬鹿にされるのが嫌でヤらせてくれない白金くんのことも、二十三番目くらいには失いたくないわ。
あなたは私の所有物なんだから、ちゃんと、帰ってきなさいよね……」
珍しく、やや弱気な声色だった。台詞はそうでもないが。
「俺に変な設定をつけるな。わかってるよ」
振り返らずに出て行き、寒空の下を走りだす。
……俺もだ。
一番には程遠いが、二十三番目ぐらいには……失いたくない。
「なんだよ、これ……!?」
地図の方角へと進んでいると、煙が空へと登っていたので俺はそちらへと向かった。
家事か何かか、と思っていたが。近付くに連れて、異様な雰囲気が肌に伝わってくるのを感じた。
人が、逃げていく。泣いたり、喚いたりする人も大勢いた。
ただの火事なら、むしろ野次馬が集まるはずだ。明らかに不自然であった。
人の波に逆らうようにして現場へと向かうと――そこは、火と臓物と、肉を焼くような臭いが混じりあっていて。
道路は抉れ建物は倒壊し、人間の姿を保っている『もの』は皆無だった。
ミサイルでも降ってきたかのような、惨状がそこにあった。
直感が、理解する。
この先には、恐らく、いや、間違いなく……柏木がいる。それも、人間の姿ではないだろう。
「――変身」
走る。
走る。走る。
瓦礫を、人間だったものを、視界に捉えながらも。
どれもこれも、直視するに耐えないものであったが。俺は見てしまった。
「…………ッ!!」
まだ一人で歩くこともままならないであろう乳児の、頭だけが潰されて、脳症と血が入り混じったものが飛散していた。
その傍には、母親であろう女性が自分の子供に手を伸ばしていた。だが腰から下が千切れて、内臓が飛び出ている。
言うまでもなく、二人とも死んでいた。無残に。
それを見た瞬間。
人並みにはある俺の良心が、激しい熱を持ったのを感じた。
前方に、奴はいた。俺は拳を固く、固く握り締める。
殺すことに、躊躇はない。
『あれ』はもう――人間では、ない。