Neetel Inside 文芸新都
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ネクラが覗く世界
疑問提示文

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 男は売れない作家を自称していた。実際、その通りだった。男の文章が初めて文芸誌に掲載されたのは数年前で、一部ではこれ程の作品を書き続けていられるならばそのうち芥川賞も、と言う声もあった。
 しかし、文筆家でなくとも面白い発想の一つや二つは持っている人も多く、彼らが文筆家と区別される点はおそらくその継続性と筆致にある。小説と呼ばれる虚構と現実と暗喩が混じったお話を何作も書き続けられる体力、そして読者を飽きさせない文体が必要なのだ。
 つまり、男には継続性が不足していた。一作目が予想を上回る社会的評価を得てしまったことも男には圧力となった。文筆以外に大して金を得る手段も無く、男は書き続ける必要に迫られた。
 考える――考えれば考える程、男の中で文字が壊れていく。文字から、文章が瓦解する。この一文に、何が有って、何が無いのか。男はそれが知りたかった。文章をなぞるように細かく見つめていく。首筋にうっすら汗が滲んでいく。吹出物にあたって、痛みを感じる。机の上の時計だけがせわしなく動いていった。
 「『わたし』とは何か」そんな問いに近いものがあった。

 良い文章とは何か。良い文章を読み続ければ、自然と良い文章が出てくるようになるだろうか。男は不毛な議論を頭の中で続けながら、散歩に出ていた。
「捨て犬を探しています。黒い犬で、全長は五十センチほど。もし見つけた方がいらっしゃいましたら、こちらまでご連絡ください。薄謝を差し上げます。」
電信柱に貼られていた張り紙の右隅には、尻尾をたてた在りし日の黒い犬の写真が添えてあった。そんな写真に目をくれることは無く、男はただ文章を見つめた。この文章は何が妥当で何が明瞭で何が精緻で……。穴の開くほど眺めたあと、男は再び歩き始めた。
 薄曇りの空と湿気を含んだ九月の東京。コンクリートでできたブロック塀に空気が擬態しているかのようでもある。男は住宅地を足早に抜け、甲州街道に突き当たって左に折れた。しばらく漫然としてただ歩くのみであったが、不意に見えた本屋に入った。すぐにガラス張りの窓際にある文芸誌コーナーへ行った。
 夥しい数の文字を目で追いながら、男は考えた。
 何のために書いているのだろうか。生きるためだろうか。いいや、それは違う。少なくとも、俺はそんなちっぽけな目標のために筆を握っているのでは無い。俺には確かに書き記したい主題が有った筈だ。暗喩を交えて示したいテーマが有った筈だ。それが書けたなら、泡沫の命など側溝に打ち棄てることも吝かでない。……ただ、まだ達していないのだ。文学の森は分け入っても分け入っても深く、抜け出る道を持たなかった。
 本屋の文芸誌コーナーで他人様の文学の森をずんずんと探検していると、竹取翁のように一筋の光を放つ文章を見つけた。筆致、隠喩、主題、そのどれもが私の理想と何一つ違う所無くたった数千字の中に鏤められていた。
 完成された「わたし」が、忽然と目の前に現れた。

 男はその作家の文章をひたすらに探した。在庫切れ寸前の文芸誌のバックナンバーを取り寄せ、弱小な出版社から出ている文庫本を必死に探した。苦労を労うように、どの文章も男を虜にした。男は幸せであった。ただ幸せであった。もはやそれで良かった。読み漁った文章によれば、次回作も一切が順調に進んでいるとのことであった。名聞こそまだ博するに足りないが、徐々に浸透しつつはあるとのことだった。果たして男はその作家の作品を乱読していった。幾度も読み直したものもあった。時に一息に読み切り、時になぞるように精読した。そんな日々が続いた。
 ある日、思索に耽っていた男の頭に、不意にある考えが湧いた。それは、この作家はもしかしたら「わたし」なのではないか、というものだった。確かに男の意識下において、これまでこのような作品は書いたことも無かったし、このように明快且つ秀逸なテーマを考えつくに及ばずにいた。作家としての名前も違う、裏表紙のプロフィールでも共通点は少ない。しかし、果たしてそれが「わたし」で無いという根拠になり得るだろうか。無意識の世界は十分に自分にこういった佳作を書かせ得るだろう。名前だって、プロフィールだって、作品によって変えることは容易だ。
 「わたしでは無い」はずが、あるはずが無い。

 その作家は次の作品で果たして芥川賞を授賞した。彼の提示するテーマは世間の知る処となり、その作品は好評を博した。男の「理想」は、ついに認知されることとなった。授賞式のスピーチを襤褸のテレビで最後まで見届けた後、男は自ら命を絶った。
 読者諸賢に問う。男は果たして今も幸せであろうか?

       

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