Neetel Inside 文芸新都
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男の子女の子
1話 女の子男の子

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しんと静まり返った部屋の中に、カーテンの隙間を通って太陽光線が注ぎ込まれる。
遠くの方で自動車の通る音がかすかに聞こえる程度の、静かな朝。
―6時30分。その静寂を打ち破って、目覚ましという名の悪魔が叫び声をあげた。
うう、と呻き声を漏らしながら、僕の手がそれを掴む。
顔は枕に伏したまま、手探りで目覚ましのスイッチを強引に切ると、再び部屋は静かになった。

からだが、重い

徐々に覚めてきた頭の中で、そんな感覚が脳を駆け回る。
僕はうつ伏せになっていた体を仰向けに翻し、瞼を開いて天井を見た。

からだが、おかしい

ガバッと起き上がり、無表情のまま深く息を吸い込み、そして吐き出した。
これまでの一連の動作が、いやに気だるく感じられる。つまり、目覚めが悪い。
嫌な朝だなぁと思いながら、僕はベッドから足を降ろした。

顔でも洗ってサッパリしよう。
まだぼんやりした意識ながらそう思い立ち、部屋のドアに向かい鏡の前を通った…その時だ。
僕は何か違和感を感じた。
あれ?と思いながら、立てかけてある鏡を覗き込む。
そこには鬼も悪魔も、幽霊もいなかった。当たり前のように、自分自身だけが映っている。
しかし、僕は悲鳴をあげた。そこには僕の姿ではなく、誰とも知らぬ女の子の姿が映っていたのだから。



大声をあげてみると人間、案外冷静になれるもので、そこでいろいろな事に気がついた。
まず、声まで女になっている。試しにもう一度発声してみたが、どう考えても女のそれである。
身体もそうだ。足元を窺うと小さく膨らんだ乳房に隠れ、足の指先が僅かに見える程度だ。
身長も縮んだ気がする。元がどれくらいあったかなど思い出せないが、とにかく縮んだ気がする。
再び、鏡の中の女を見つめる。間違いない。どうやら僕は、本当に女になってしまったようだ。

そんな事を考えていると、階段を上がってくる足音と共に「ユキコ?何わめいてるの?」という声が近づいてきた。
ユキコ?僕はユキコなのか?というか、いつからユキコ?何言ってるんだ、母さんは?
あたふたしていると、ドアが勢いよく開かれた。
「何してるの?」
見覚えのある顔が、不思議そうにこちらを窺っている。間違いなく、僕の母さんだ。
「あ、いや、別に」
僕の方は、そう答えるしかなかった。
「近所迷惑だから、朝から大声出さないでよね」
「う、うん」
「それと早く支度しなさいよ。今からトースト焼くからね」
「わ、分かった」
それだけ言うと、母さんはドアを閉め、階段を下りる音と共に遠ざかっていった。
何の問題も無かった、と言わんばかりに。

「どうなってるんだ…」
母親も自分の身体も、すべてが、僕が女であることを肯定している。
唯一女であることを否定しているのは僕の意識だけ。
こうなってくると、心身二元論の意味が分かるような気もする。

それより、だ。
振り返って学生服を探した僕の目の前に、強敵が現れた。
それは、ハンガーに掛けられた女子学生用の制服だった。




階段を降りそそくさとテーブルに着いた僕を見た母さんは、呆れるようにとがめた。
「あんた、リボン」
「え?」
「結び方、逆」
呆れられるのも当然である。僕が女物の制服の着かたなど、知っている訳が無い。
リボンの結びなど分からないし、実はスカートだって満足に穿けているという自信がない。
「入学したての1年生じゃないんだから」
そう言いながら母さんは、胸元のリボンを締め直してくれた。
「あのさ、スカートも、変じゃないかな…」
「あんたねぇ…」
ついでにと言ってみたが、思った通りの反応だ。
彼女は僕を座らせたまま、ホックの留め金を確認すると「問題なし」と僕の横尻を叩いた。

テーブルの上に目を移すと、そこには焼きたてのトースト。
食欲などあるわけがないが、とにかく食べてしまわないと、と無理やり頬張る。
一口、また一口と口の中に詰め込んでいくが、味が分からない。
というのも、すっかり意識はトーストから脳内に移っていたからだった。

学校に行って、授業を受けて、何事もなく帰って来れるのだろうか?
だいたい友達が僕の姿を見たら何と言うだろう?
いや、もしかして母さんのように、僕を女として受け付けるのだろうか?
そうすると名簿の名前はどうするんだ?ユキコって名前で授業を受けろというのか?
そしたら、僕の本当の名前はどこにいくんだ?僕の本当の名前は…

トーストが、喉を通らなくなった。
なぜならその時、僕は僕の名前を思い出せなくなっていたからである。
冗談じゃない、何で思い出せないんだ。僕は確かに男の名前だったはず、姿も男だった…はず…

血の気が引いていくのが分かる。
思い出せない、自分の顔も、名前も、姿形も、はっきりと思い出せない。
漠然と「男だった」という意識こそあるが、それを形にすることができないのだ。

「か、母さん」
僕はトーストの食い切れを眺めたまま、背中越しに呼びかけた。
「なーに?」
キッチンでもう一枚のトーストを焼いているであろう母も、こちらを見ずに背中越しに返事をした。
「学校…や、休みたいんだけど」
「はぁ?」
語気が強くなり、こちらを振り向いて喋ったのが伝わる。
「具合が悪いから、休みたい。お願い…」
泣き出したい衝動を抑えながら、僕は切実に訴えた。
こんな整理のつかない状況で、外に…学校に行けるわけがない。

しかし母さんは、仮病を見透かしたように冷たくあしらった。
「何言ってんのよ」
そしてそれだけ言うと、母はテーブルの反対側に着いた。
「学校で嫌な事でもあったの?」
ありそうだから嫌なんだよ、とは思っても言えない。
「ないけど…」
「じゃあ行きなさいね」

登校命令を受け、僕は目の前が暗くなるのを感じた。
食べ終わった食器を運ぶ手に、力が入らない。
足は霧の上を歩くかのように、文字通り地に着いていない。

―7時。僕は追い出されるように、家を出た。

       

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