Neetel Inside 文芸新都
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私 僕

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 そろそろ「私」の話をしてもいいのではないか?するべきではないか?しないといけない気がする。よし、しよう。
 しかし、私の人生を長々と真剣に話したりすると広辞苑5冊分の量になると思われるので、私としての重要な転機を話していこうと思う。

 私は父と母から生まれた。何を当たり前のことをと思った人は一度考えを改めるべきなのだ。世の中には犬から生まれる人間も、猫から生まれるトカゲも、クジラから生まれる宇宙人もいる!・・・かもしれないではないか!
 固い頭ではこの激しい時代を生き残っていけないが父のモットーだ。流石父。人生のためになることを言う。

 話が多少逸れた。

 まぁ、父と母から生まれた私は、父の英才教育もあり、6歳になり、学校に通う頃になると、自分と他の人は色々と違うということがわかった。
 まず、6歳になり始めて知ったのが、私は女だという生物だったということだ。性別ということを些細なものだと考える父の元、私は性別という概念など教育されずに育ってきた。そのせいで、6歳になるまで父のような人間と母のような人間の二種類がいることは知っていたが、それは同じ人間が育ち方によりどちらかになるものだと思っていた。

 他にも、その時の先生が言う「一般常識」というものが欠如していたらしく、私は周りの人間とは考え方や知識が大幅に違っているらしい。その時は子供ながらに「何故大人はそんなどうでもいいことを騒ぐのだろう」などと思っていたが、それを言うとただでさえうるさい先生がもっと騒ぎそうなので、何も言わずにそのまま帰った。(背後で先生が何かを言っていたような気もするが、何分昔の記憶なので曖昧だ)
 家に帰り、そのことを父に報告すると、父は烈火の如く怒りだした。そのまま、(何故か)電話を掴むと父は学校へ怒鳴り込んだ。
その時は父があまりにも恐ろしかった私は、家で母に抱きつきながら父がいつもの父に戻りながら帰ってくるように必死にお祈りをしていたことをよく覚えている。そのままお祈りをしていた私と母の元へ、普段の父は壊れた電話を持ちつつ帰ってきた。
そのまま「お前はもう学校へ行かなくてもいい」と父から異常なほど冷静な口調で言われ、私の学校生活は1か月で幕を閉じた。
まぁ、大きくなってからまた学校というものに通うことになるのだが、それはここで話すような内容でもないのでまた後でと言っておこう。
とにかく、私は義務教育といった縛りを受けずに子供時代を大いに、存分に遊びならが過ごしていたのであった。(勿論勉学にも励んだが)

       

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