CHAOS;DOLL
05.幼馴染惨状
「……て」
「…………」
「……てよ」
「…………」
「起き……ったら……」
「…………」
「…………」
「もうっ! 起きなさいって言ってんでしょこのバカシンジ!」
ばさっ、と俺を覆い隠してくれていた布団が何者かに剥ぎ取られた。
突如として暴力的な朝日がしたたかに俺の顔を打ちのめしてくる。
まぶしい。まぶしすぎる。
だれかこの光を消してくれ。
俺は手足をうごめかせて、必死に布団を求めるが、どうやら俺から布団を奪ったやつが手に持っているらしい。
俺はむなしく手足をシーツの上に滑らせ続けた。
「まったくもう遅刻しちゃうでしょうが。もういい加減観念して起きなさいよ。単位取れなくて死ぬのあんたよ? あんたなんてね高校中退の中卒じゃ誰も雇ってくれないんだからね」
「…………」
俺は息を吸って、まるで自分の足を切断するかのごとく気合を持って起き上がった。頭の中で炭酸がしゅわしゅわしている。死ぬかもしれない。
目を開けると、茶髪を頭の横で二つに結んだ美少女が仁王立ちしていた。
腕組みをし、鼻息を荒くして、そして少しだけ頬を染めてベッドに腰かけた俺を見下ろしてくる。
「やっと起きた。ほんとにもう、感謝しなさいよね?」
「ああ……?」
「たーまたま隣に住んでるってだけの幼馴染のあたしが、別にあんたのことなんて全ッ然好きじゃないあたしが、一人暮らしのあんたを気遣ってわざわざ毎日起こしに来てあげてるんだから。給料もらってもいいぐらいだわ」
なんでそんなに説明口調なんだ、と思ったがツッコミは入れなかった。お約束というやつなのかもしれない。よく知らんが。
時計を見ると【妹】とは違って、ちょうどいい時間帯だった。顔を洗って歯を磨いて着替えて家を出ればちょうど予鈴が鳴る頃だろう。俺は立ち上がって、【幼馴染】の横を通ってハンガーにかけてある着古しの制服を手に取った。
その場でパジャマのズボンを下ろす。
「きゃああああああ!! な、なにやってんのよアンタ!!! ばばばばばばバッカじゃないの!!!!!」
何って、着替えるのだが。
「そんなことわかってるわよ!!! で、でもあたしが出て行ったからにするでしょフツー!!」
「……? じゃあ出て行けよ早く……」
「い、いきなりだったから……こっちにだって心の準備ってもんが……?」
そこで【幼馴染】は俺の股間に視線をやって、ぼふっと頭から湯気を出した。黒目がちな瞳の中で星の火花が炸裂している。
「ちょちょちょ、あああああアンタなにやっ……バッカじゃないの何考えてんの!?」
「はあ……?」
俺は股間を見下ろして、
「ああ……朝だからな……勃起ぐらいするだろ」
「朝っ……とかっ、そそ、そういうことじゃないし! ていうか勃起とか言うな!」
「なんで……? おまえら俺らのそばで女子だって生理の話とかするじゃん。何が違うんだ……?」
幼馴染はぷるぷる震え始めた。寒いのか。いまは五月で、確かにまだ肌寒くはあるが。
俺が大丈夫か、と声をかけようとすると、幼馴染が爆発した。
「こんのっ……くそったれ幼馴染があ――――――――――――――――っ!!!!!」
飛んできた平手打ちをかわすには俺の運動神経が不足していた。それはもうごっそりと。
まともに喰らったビンタを受けて、俺は洋服ダンスにしたたかに後頭部を強打した。一瞬マジで吐きそうになった。
だが、俺の吐き気なんぞは他人に伝わるものではないので、【幼馴染】はふん、と鼻を鳴らし、
「いい気味だわ。デリカシーと気遣いのない腐れ男子は調教よ」
捨てセリフを吐いて出て行った。とんとんとん、と俺の部屋の外にある階段を降りながら、ぼやく声が聞こえてくる。
「もうっ、ほんとなんであたし、あんなのと幼馴染なんだろ……」
そりゃ、俺がそう設定したからだろうな。
俺は机の上の鏡で平手打ちを食ったところを見てみた。くっきりと紅葉マークが浮かんでいるだけならほほえましいが、口を開けて中を覗き込んでみると、犬歯が唇を切って血が出ていた。舌で傷口を押してみるとぐちゅ、と血が滲む。かなりデカイ口内炎ができそうな予感がする。
暴力性はかなり低く設定したはずだったが、どうも恥じらいや恐怖心の数値を高めにしたのが間違いだったようだ。処女にしておいたし、どうも男性性というものへの恐怖から暴力に逃避したらしい。まったく使いづらいことこの上ない。インターフェースに難ありだぜ、この奴隷人形。
「おーいバカシンジ! 早く降りてこないと、先行っちゃうからね! べつにあたしはそれでもいいんだけどー!」
うるせえな。殺してやるか。
だが、まァ、許してやろう。どうせこれから削除するんだし。
だが階下に降りて、本当に先にいった幼馴染が開け放した玄関の扉を見て、はたと俺は気づいた。
ドール本体がいなければ、カードが取り出せない。そして外にいる間は、まさかドールをステータスデリートするわけにもいかない。急に人間がマネキンになってそれをドールがどう対処するのかは知らないが、対処してくれない可能性もある。
どうやら、あとしばらくあの【幼馴染】に付き合わなければならないらしい。
実にくそったれだった。
○
幼馴染の足は速い。いや、俺の足が遅いのか。俺は競歩で茶髪女の側頭部から生えた二本のツインテールを追った。が、追いつけなかった。あっという間に学校まで着いてしまい、幼馴染はにこやかな笑顔をあたりに振りまきながら教室に入っていってしまう。それにしてもあいつらが言っている「オハヨウ」とはなんの言葉だろう。記憶の隅っこに引っかかっている気がするが思い出せない。
幼馴染と俺は同じクラスだ。そういう設定にしておいた。でも、同じクラスだと、揉め事が起こったときとかに気まずいと思う。だのに世の中のギャルゲーだのエロゲーだのはすぐヒロインを同じクラスにする。俺は絶対に嫌だ。なので次からは別のクラスにしてやろうと思う。
そう、もう俺は幼馴染に用はない。厳密に言えばツンデレ幼馴染だ。世の中のオタクどもはやはり間違っていた。ツンケンしていて減らず口を叩く女なんて女じゃない。死んだらいい。
俺はとりあえず自分の座席に座った。
「あ、おはよう牧くん」今日も一人が寂しいのか、真藤はへらへらしながら俺に擦り寄ってくる。
「なあ真藤、オハヨウってなんだ」
「え? 朝の挨拶だよ」
「そうなのか」
すっかり忘れていた。まあ使う機会も一生あるまい。そもそも八時二十分はそれほど早くない。
そんなことはどうでもいい。
俺は真藤の胸倉を掴んで引き寄せた。別に敵意は無い。
「なあ真藤、相談があるんだ」
「相談!」人に頼りにされることよりも、足手まといとして切り捨てられることが多いのだろう、真藤は顔をぱあっと輝かせた。俗に言う「あこがれていたシチュ」というやつだったのかも。
「この程度のことで人生が楽しくなるなんて安っぽくて羨ましいぜ」
「ちょ、牧くん牧くん、心の中の言葉が漏れてるよ、よくないよ。で、相談ってなんだい?」
「うむ。――あいつと二人きりになるにはどうしたらいいかな」
「あいつって?」真藤は小首を傾げて、背後を振り返り、野球部のエースで身長180センチオーバーの丸刈り坊主である三浦を指差し、
「あれ?」
「あれと二人きりになったら俺の菊門は破裂する」俺のセリフは聞こえていなかったのだろうが、不穏な気配を感じたのか、友達連中と談笑していた三浦がぶるっと肩を震わせた。恐れおののきたいのは俺の方だ。
「ちげえよ。ほら、俺の幼馴染の……」
設定しておいてなんだが、俺はやつの名前を思い出せなかった。真藤はさっきと逆向きに小首を傾げ、
「じゃあ水橋くん?」
「ちげえよ、もう一人の方」
「ああ、加奈ちゃんね。何、どうして二人きりになりたいの?」
「告白する」
冗談で言ったのだが、真藤は名前の通りに真に受けて顔を真っ赤にした。そしてわなわな震えると、手足をバタバタさせながら、
「ま、牧くん! そういうのは自分の心の中だけに留めておかなきゃだめなんだよ!」
「心の中ってどこだ。まあいいや。なんかねえか。少しは俺の役に立て」
「ひどい言い草だなァ……まあでも加奈ちゃんでしょ? なんの問題もないじゃない」
「なんで」
「なんで、って、言ってみればいいと思うよ。普通に、ちょっと来てって」
「ほお。よし、信じてやろう。たまにはな」
「ひどいよ牧くん……」
俺は席を立って、加奈とかいう幼馴染に近づいた。やつは細目とテンパと小デブのどうしようもない女子どもと和気藹々と喋っていた。人形のくせにな。
「おい、佐奈」
「……。加奈ですけど」
「どっちでもいいよ。ちょっと来い」
「は? なんで?」
おい真藤、話がちげえぞ。真藤を振り返ると、両手で顔を覆っていた。しっかりと指の股から俺たちの動向をうかがっている。俺たちはわいせつ物なのだろうか。
俺は初対面に近い幼馴染を振り返って、
「二人きりで話がしたい」
とはっきり言ってやった。従順度は低めの設定だが、誘えば断りはしないだろう。そう踏んでいた。
が、加奈は顔を真っ赤にさせたかと思うと、
「な、な、な」
ひきつけを起こしたように何度かしゃくりあげた。壊れたのかな、と俺は思い、手をやつの頬に伸ばした。正体がバレる前にステータスカードを書き換えてこの一連の出来事をなかったことにしておかねば。
俺の指がやつの頬に触れた途端、やつが噴火した。
「い、い、いきなりなに言い出すのよこのデリカシなし男――――――!!」
キレの鋭いアッパーカットが俺の顎を打ち抜いた。教室が回転する。視界を一瞬よぎってはどこかへ吹っ飛んでいくクラスメイトたちがみな一様に驚いていた。誰が一番驚いたかって俺が一番びっくらこいたに決まっている。意味がわからない。どうかしている。等価交換ってなんだろう。
俺は真藤の二つ前、知らない女子の机に頭から突っ込んで、床に転がり落ちた。痛いとか痛くないとかじゃない。死ぬかと思った。あいつは今すぐ警察に突き出すべきだ。人として間違っている。
が、クラスの連中の反応はといえば、
「――すげえな美滝のやつ。牧が天井すれすれまで浮いたぞ」
「――後の昇竜拳弐式である」
「――やっぱり美滝ちゃんは一流だよなァ。あこがれるなァ」
どいつもこいつも人の痛みのわからんやつらばかりだ。俺は人間に絶望しながら、辛うじて机を掴んで立ち上がった。そうこうしているうちに担任が入ってきて、結局なにもかもうやむやになった。ステータスカードを早く抜き取ってやりたい気持ちをなんとか抑えながら、因数を分解したり農民の一揆について学んだりした。放課後まで耐え抜けば、いくらでもチャンスはあるのだ。
だがもうむやみに刺激するのはよそうと思う。俺は天下無敵の主人公さまじゃない。これ以上殴られると、死んじゃうかもしんない。