Neetel Inside ニートノベル
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 ――時は流れ、八月二日。
 今日は、あの白の少女の真相を確かめようと決めてから三日が経過した月曜日。
 俺は久しぶりのアルバイトに備え、万全の体制を整えようとしていた。
 いつもより早い朝七時に起きると、素早く朝食を済ませ入念に歯磨き。そして、十時過ぎにはこれまで一度も行ったことのない美容院で髪をカットしてもらい、今現在は手鏡で自分の冴えない顔を幾分でも良く見せるための最終チェックを行っている所である。
 勇気を出して彼女に声をかけてみる――いろいろ考えた上でその決行日を今日に決めたのは先日の夜のこと。
 人との付き合い方に慣れている人ならなんとも思わないことなのかもしれない――ただ、彼女が何をしているのか聞いてみるというそのことに、俺はとても緊張していた。
 残念なことに、俺はかなりの上がり症な人見知り。それも、異性に対してはとことんといった具合なのである。
 生まれてから十七年間、彼女なんてものは出来たことがない。
 男友達とは何事もなく話せるものの、何がどうして駄目なのか、家族以外の女性と話すにはかなりの勇気を必要としていた。
『おにぃは、もっと人と関わってみるといいと思う』
 かつて、妹にそう言われたことを思い出す。
 非常に情けないことだが、コンビニのバイトを始めたきっかけも、実はその一言に押されてのことなのだ。
 彼女にはどう話しかけたらいいだろうか……そもそも、いきなり歳の離れた男に話しかけられることで、変質者と間違えられたりしないだろうか……。
 そんな思いから、せめて清潔感だけはしっかりしていこうと思った俺は、まるでデートでもするかのような気持ちになり、生まれてはじめて自分の身なりを気にしていたのである。
 そして、手鏡に写る自分の顔を見ながら、何やってるんだろうなこいつ……と一瞬我に返りかけたところで、
 ――コンコン。
 ドアをノックするその音に、俺の意識は鏡の中から外の世界へと戻されることとなった。
「……おにぃ、ちょっといい?」
 少し高めのききなれた声。それは、まぎれもなく妹のものである。
「あ、ああ」
 咄嗟に手鏡をテーブルの上に伏せ返事をした俺は見たものは、返事を待っていたのかも怪しいタイミングで開け放たれたドアだった。直後、予想に違わず俺の部屋へ入ってきた妹は、俺のベッドへと一目散に走りこみダイブを決めようとしている真っ只中である。
 ノックをしているあたりからして一応の遠慮はしていたようだが、いざ開放されるとそこがまるで自分の部屋であるかのような妹のこの振舞はいかがなものだろうか。
「えっと、今日はフライドくんMIXとボテマヨを二つ買ってきてほしいんだけど……」
 自慢のボブカットの髪をぼさぼさに乱したままベッドにつっ伏した姿勢でそうのたまう妹に、俺は眉間を軽く押さえながら突っ込むべき言葉を探る。
「……おい、パンツ見えてるぞ? それに、そのラインナップは確実に太る」
 横目に見やる妹の姿は、決して太っているとはいえない――むしろ痩せ型の体型である。その容姿は家族としてのひいき目を差し引いたとしてもそれなりに美人だと思うし、兄としては鼻を高くしていられるというもの。それをわざわざバイト先の油ギッシュで高カロリーなアイテムで変貌させるというのは、俺としては非常に遺憾である。

     

「えー、私は普通以上に食べても太らない体質なんだよぉ。おにぃ、ボテマヨかってきてよぉ……」
 ……妹は、パンツが見えているという突っ込みにもまるで動じていない様子である。
 はだけた赤いミニスカートを直すわけでもなく、妹はクッション枕を手に取りそれをばふばふとさせながらボテマヨとフライドくんMIXを要求し続けている。
 なんだかわざとらしすぎるそれらの行為に、俺は少々警戒する。
 妹が穿いているそれは、黄色地の生地に猫のプリントが施されているというものであり、中学二年にもなった妹にとってはやや子供っぽいように思えるものだった。それに、妹は猫のことがあまり好きではないと思っていたから、これは少々意外なことである。
 俺は一度咳払いをすると、パンツのことはいったん思考のすみに追いやり、とりあえず妹のせがみに駄目押しをすることにした。
「なあ、お前はそんなにボテ腹になりたいのか? せっかくの自慢のかわいい妹のお腹が三段になっていく姿をみるのは、俺にとってはまるで心に針を突き刺されるような気分なのだが……」
「別に、私はおにぃの妹じゃないもん! 私はおにぃにとってはただの猫らしいから、もし太ったとしてもおにぃの心に針なんか刺さらないんだもん! おにぃの意地悪!」
 そう言い、妹は不機嫌そうにぷいと顔をそむける。
 そんな妹の行動に、俺は少し戸惑い昔のことを思い出し始めていた。
 俺は、かつて人懐っこい妹の姿を見て『猫っぽいな』と言ったことがある。すると、妹はその言葉を嫌がり『私はだれかれかまわず懐くわけじゃないもん!』と怒り出し、その後しばらく口をきいてくれなかったのだ。
 それはもう何年も前のことになるのだが、もしかしたら、妹は今でもそれを気にしているのだろうか……。
「なぁ……」
 暫くして、俺は無言で枕をばふばふとさせている妹に向かい、そっと語りかけていた。
「……なに?」
 僅かな時を置いて、妹は不機嫌そうな声色のまま答える。
「別に、俺は意地悪をしているわけじゃない」
「じゃあ……ボテマヨ」
「それは、駄目だ。……太るぞ?」
「たとえ何がおきたとしても、駄目?」
「ああ、何がおきても駄目だ」
「それじゃ、もし私がおにぃが今日女の子と会うことをみんなにばらすと言っても?」
「…………へ?」
 思わずそう答えてしまった俺の返事を聞た妹は、いつのまにか怪しい笑みを浮かべていた。
 一方、そんな妹の表情を見た俺は、いったいどんな顔をしていたのだろうか……。もし、今この場に俺一人だけだったとしてら、すぐにでもテーブルの上に置いた手鏡でその面構えを確かめていたところである。
「そのうろたえ方、やっぱりビンゴだにゃあ!」
 妹はこれまでになくマクラをばふばふとさせ、全身で喜びを表現していた。それは、ついさっきまで思ったそぶりでしていたその行為とは、まったく異なったものだった。

     

 まさかとは思うが、妹は最初からこの展開を狙っていたのだろうか……。
 俺がすんなりとボテマヨを買ってくる事なんかハナから期待してなくて、わざと拗ねたふりを見せた後にここぞというところで俺の弱みを引き出し攻勢に出る……それも、わざわざ子供っぽい猫プリントのパンツを穿いてそれを見せ付けるなんていうリスクを犯してまでも――いや、妹なら目的次第ではやりかねないことだ。
「……お、おいちょっと待て」
「ん? なんにゃ?」
「お前は何でそんなに喜んでいる?」
「おにぃは、その真意を知りたいのかにゃ?」
「あ、ああ……」
「えっとね、私は、おにぃの弱みをがっつりこの手に握りこんでしまったことに歓喜してるんだにゃああああああ!」
 ばふばふばふばふばふばふばふばふ……。
「弱み? この俺にそんなものあるはずがなかろう」
「おにぃは本当にそう思っているのかにゃ?」
「ああ、当然だ」
「じゃあ、もし私がおにぃの友達の吉原君や神田君に『今日おにぃは皆を裏切って女の子とアバンチュールしちゃうんだにゃ!』とか言っても大丈夫なんだにゃ?」
「おい、何だその妄言は……」
「さっきのおにぃの反応からして、これは真っ赤な嘘ってわけでもないにゃ! それに、今まで美容院に見向きもしなかったおにぃが急に美容院に行ったという女の子と会う疑いのある準備をしていたことを吉原君達が知ったとしたら……ああ、私にはこれ以上考えられないにゃあああ」
「そ、それだけはやめてくれ……いや、下さい……」
「……ん~、きっと、私がおにぃの妹にちゃんと戻れたとしたら、たぶんそんな告げ口なんてしないと思うんだにゃあ。だけど、私はおにぃの魔法で猫になっちゃって、ふらふらといろんな人になついちゃう子になってしまったんだにゃあ。これは非常に残念なことだにゃあ……」
「残念って、お前……さっきは俺の弱みを握りこんだことに歓喜してるとか言っていなかったか?」
「にゃ? おにぃは私をこのまま猫ちゃんのままにして、いろんなことをいいふらしてほしいのかにゃ?」
「ごめんなさい」
「にゃ! おにぃが素直になると、私もなんだか元の妹に戻れそうだにゃ!」
「じゃ、じゃあ……」
「でもまだなにかが足りないにゃあ……。そう――フライド君MIXとボテマヨを二つ、あとはバーゲンダックが一個あれば、私は完全に元の妹に戻れるような気がするにゃ!」
「おい、なんか一個増えてんぞ!」
「にゃ? え~と吉原君の電話番号は確か……」
「ぜひ、買ってこさせていただきます!」
「にゃ! 妹の留美は、きっとそんな素直なおにぃが大好きなんだにゃ!」
 ばふばふばふばふばふばふばふばふ……。
 実は、我が妹は猫のことがものすごく好きなんじゃないだろうか……。
 かつて猫のようだと言われることを嫌った妹の姿は既にここにはなく、逆にそのネタを駆使して俺をおちょくるまでに成長したその姿を見た俺は、なんだか不思議な気持ちに包まれていた。
 ただ、妹におちょくられていたということに対しては、嫌な気分はまったく湧き上ってこない。逆に、わざとらしく猫語を駆使する妹の姿を思い返すと、思わず笑みがこぼれてきてしまう。
「とりあえずは、契約成立だな。まぁ、今回だけはリクエスト道理に買ってくるから、お前はちゃんと元の妹に戻ってまってるんだぞ?」
「――!」
 ばふばふばふばふばふばふばふばふ……。
 母曰く、その音は俺がバイトに出かけてからも、暫く鳴り続けていたとのことである。

       

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Neetsha