冷たい風が吹き荒れる荒野をボロボロのマントを纏った人々が歩いていた。砂埃で汚れた麻袋を手に、無言で足を動かして前進を続けている。
背丈から見て大人が四人、子供が三人の計七人の集団。その中で一人の子供だけが明らかに多すぎる荷物を抱えていた。大人の男でも苦労しそうな重さの荷物を平然と背負い、抱えて歩いている。
大人は二人ずつに分かれて先頭と最後尾を歩いている。前は男、後ろは女。そしてその間に挟まれるように子供が三人。
かすかな地面の揺れを感じて、先頭の男の一人が目を細めて前方を注視する。そして顔色を変えて後ろの仲間に見たものを伝えた
「巡回車だ」
その言葉に反応して、全員が歩みを止めた。
「ベル、荷物をおろして隠れなさい」
大人の女が大量の荷物を持った子供に指示を出す。子供は言われた通りに荷物をおろすと周りを見回した。隠れる場所を探しているのだろう。
「みんなはベルの荷物を分担して持って」
女の指示に全員が従い、大量の荷物は均等に分けられた。だが、ベルと呼ばれた子供は未だに隠れる場所を探していた。何せここは広大な荒野だ。見渡す限り何もない。
隠れるための時間の猶予は刻一刻と減っていく。巡回車のタイヤの音が次第に大きくなってこちらに近づいてくる。
「ベル、こっちに来い！」
先頭にいる男がベルに手招きする。そして自分のマントの中に入るように促した。彼はこの集団で一番大柄な人間だ。一か八か、自分の中に隠してやり過ごすことにしたのだ。
「俺の背中に抱きつくようにしてくっつけ。いいと言うまで絶対音を立てるなよ」
「うん」
ベルは小さく返事をすると、言われた通りに男の背中に抱きついた。マントの中にうまい具合に隠れているため、少し距離を置いて見れば中に人が入っているようには見えない。距離を置いて見れば、の話だが。
ベルをなんとか隠し終えた人々は、再び歩き始める。まるで最初からベルという子供などいなかったかのように。
ただ一人、ベルをマントの中に隠した男だけは少し辛そうな表情を見せる。ベルが持っていた分の荷物と、ベル本人の重みが追加されているのだ。これまでの長い旅の疲れも相まって着実に彼の体力を奪っていく。
だがそれも巡回車が通り過ぎるまでのことだ。全員が何事もなくこの場をやり過ごせますようにと祈りながら足を動かす。
やがて巡回車が彼らの右方十数メートル先を通過していく。軍服を着た巡回担当の兵士が窓から彼らの方を見やる。僅か数秒のことだったが、彼らにとっては何十秒にも感じられた。
車の走行音が次第に後方へと消えていく。最後尾を歩いている女が後方を振り返り、双眼鏡で確認をする。
「オーケー。もう大丈夫」
ほっと胸をなでおろしながら、女は全員に告げた。
その言葉を聞き、全員が足を止めて荷物をおろした。そして次々と安堵の声が上がる。
「ベル、もういいぞ」
荷物をおろし終えた男がそう告げると、マントの中からベルが姿を現す。
「しかし、巡回車と遭遇する頻度が急に増えたな」
もう一人の双眼鏡を持っていた男がまいったとばかりに言う。
「街にかなり近づいているってことだろう。旅の終わりも近い」
感慨深げに男は前方を見ながら言った。
「ああ、もうすぐ俺たちの苦労は報われる。そうだ、休憩は必要か？ お前は今ので相当疲れただろう」
「いや、俺は大丈夫だ。それより日が出ている内になるべく進んだ方がいいだろう。何もなければ明日の昼には十五号に着ける。みんなが大丈夫なら日が落ちるまで進もうと思う。それでいいか？」
男は全員に呼びかける。異論をあげるものは誰もおらず、全員が首を縦に振った。
「ベル、お前も大丈夫か？」
すでに巡回車が来る前と同じ量の荷物を背負い、抱え込んでいたベルは笑顔でうなずいた。
「分かってるでしょ？ 私は大丈夫だから」
「そうか。助かるよ」
男は少し申し訳なさげな表情を浮かべながら礼を言った。
ベルに続いて、他の人々も自分の荷物を再び手に取る。そして先ほどと同じ隊列で、目的地に向かって再び歩き始める。
「なんで俺たちがこんなヒヤヒヤしなきゃいけないんだ」
子供の内の一人が小さく不満をこぼす。独り言のような語調だったが、それは明らかにベルに向けられた言葉だった。
「あんたの持つ荷物の量がそれだけで済んでいるのは誰のおかげだと思っているの？」
その言葉を聞き取った女が、後方から叱りつけるように言った。
「分かってるけどさ」
そう言ったきり、子供は再び黙り込んだ。
「ベル、あんたは気にする必要ないからね。私たちは感謝しているんだから」
「うん、ありがとう」
ベルは女の優しい言葉にうなずくと、少し顔を俯かせた。後ろにいる女からは気付かれない。
再び沈黙。彼らはただひたすらに足を前に動かす。
「今日はここまでだな」
先頭の男が足を止め、後方の仲間に告げる。
「もう陽も完全に落ちた。十分進めたことだし、今夜はここで休もう」
男の言うとおり、空は漆黒に覆われ、あたりは真っ暗になっていた。見えるのは星々と月の光、そして遠くに見える街の明かりだけ。これ以上歩き続けるのは危険である。
各自が荷物をおろして中から食糧を取り出し、食事を始める。
「もうすぐだね」
「ああ、長い道のりだった」
前方に見える明かりこそが彼らの目的地、十五号という番号で呼ばれる街だった。
この荒廃した世界で人間らしく生きていくためには、街へ向かうしかない。仕事が、家が、食糧が、そこにはあるのだ。だから彼らは必至に長い道のりを歩き続けてきた。
食事を終えた彼らは、寝袋を取り出す。起きていてもやることはない。明日のために少しでも身体を休める必要がある。
それぞれが寝袋に包まる中、大人の男二人はゆっくりと立ち上がり、みんなの元から離れていく。
「明日の昼には街につく。それは良いとして――」
他の仲間に聞こえないような場所で、二人は密談を始めた。
「問題はベルだ。彼女をどこで切り捨てるか」
「やはり、それしかないんだな。分かってはいたが……」
「罪悪感があるのは分かる。だが、俺たち全員が生きていくためには仕方がないだろう。彼女がいたらきっと街には入れない。入れたとしても、彼女と一緒に居続けるのは危険すぎる」
「ああ、それは承知している。何かいい案はあるのか？」
「いいや、ない。出来る限り彼女を傷つけないような方法はないかと考えたが、俺には思いつかなかった。正直に言うしかないだろう」
「君はもう俺たちには必要ない。この場で別れてくれ。そう、言うんだな」
「それがベルにとっても最善だろう。彼女を政府に引き渡すことだって考えたが……」
「それだけは反対だ」
「分かってる。俺だって彼女には感謝してる。だからここで別れるんだ」
「いつ、その話を切りだすんだ？」
「明日の朝だ。街は目前だ。別れるなら早い方がいい。巡回車に怯える必要もなくなるからな。実際、子供たちはその恐怖から相当強いストレスを感じているはずだ」
「そうだな……分かった。明日の朝、だな」
「お前は気に病まなくていい。話は俺がつけるから」
「……すまないな」
「人間だと思わなければいい。残酷だが、精神衛生上それが一番いい。さあ、そろそろ戻ろう。長話になるとみんなが不安になるかもしれない」
男たちは何もなかったように振舞いながら、みんなの元に戻る。幸い、他の仲間はみんな既に就寝していた。ただ一人を除いて。
眩い日の出を受けて、全員がほぼ同時に目を覚ます。ゆっくりと身体を起こして行動を開始した彼らは、すぐに一人が欠けていることに気付く。
「ベルがいない……」
全員が昨夜までベルがいた場所を見やる。そこに残っているのは寝袋と彼女が運んでいた荷物だけ。
「気付いていたのかもな」
男が小さく呟く。
「別に問題はないだろう。わざわざ話をする必要がなくなったんだ」
もう一人の男がそう答えると、ベルが使っていた寝袋を別の麻袋に入れた。
「さあ、しっかりと食事を済ませよう。そうしたらすぐに出発だ。昨日より荷物が多くなるからな、しっかり力を蓄えるんだ」
男の指示を聞いて仲間たちはすぐに食事の準備を始めた。大した栄養価はないものだが、残り半日を歩き続けるためには必要なエネルギー源。
素早く食事を取り終えた彼らは遥か前方に見えている街へ思いをはせながら、再び歩き始める。
もう彼らの中の誰もベルのことなど考えてはいなかった。
彼女は彼らにとって必要な存在ではなくなってしまったから。
