用心棒は機械少女
二章
「おい、びびってるのか」
自分の腕を握っている力が増したため、ゴードンはからかうように言った。
「ち、違う……」
ベルはきょろきょろと節操なくあたりを見回している。このような光景を目にするのは初めてなのだろう。
どこを見ても人、人、人。それは兵士だったり、旅人だったり、はたまた乞食であったり、様々である。
二人の目の前にあるのは建物の数々とそれらを多い囲む汚れた外壁。色々なものを継ぎ接ぎさせて作られたのか、簡単に壊れてしまいそうにも見える。
それが、今の世界における街だった。十五号と呼ばれる、新世界政府が公認する街。派遣された兵士たちが取り仕切り、文化的生活を求めた人間が集まる場所。
しかし、誰でも街に入れるわけではない。金がある者、物資がある者、技術がある者、そういった何かを持った人間が、兵士のチェックをパスして初めて街の中に入り、生活することができる。一時期の滞在であっても同じだ。基準が緩くなるだけで、チェックが必ず入る。
だから、外壁の外では街に入れなかった者やそう言った人間を相手にした商人などが溢れていた。
「ねえ、今更こんなことも聞くのはおかしいかもしれないけど……」
ベルは不安げに訪ねた
「私と一緒にいて街に入れるの?」
「大丈夫だからここまで一緒にいるんだろうが」
本当に今更だとゴードンは声を上げて笑う。
「俺から離れず、余計なことを口にしなければ問題ない。巡回車のときと同じく堂々としていればいいんだ」
そう言ってゴードンは街の入り口へと進んでいく。ベルは彼の腕をしっかりと掴みながらついていく。
二人の若い兵士が左右から近づいてくる。
「まずは荷物のチェックを――」
兵士が言い終わるまでにゴードンは懐から一枚のカードを取り出す。それを見た兵士はすぐに口を閉じた。
「一度お預かりさせていただきます」
兵士はカードを手に取ると、離れた場所にいる自分の上司にそれを見せに行く。そして数回言葉を交わした後、小走りでゴードンの前に戻ってきた。
「お返しいたします。どうぞこちらへ」
何もチェックを受けないまま、二人は兵士に導かれて暗い道を歩いていく。
「それでは、十五号でのご滞在をお楽しみください」
そう言って兵士は道の先の大きな扉を開けた。眩い光が差し込む。人々の喧騒が、光に続いて飛び込んでくる。
「ご苦労様」
ゴードンは一言そう言うと、光の中へと進んでいく。後ろでは扉が閉じる音。
「さあ、着いたぞ。ここが十五号だ」
ゴードンは子供のように笑いながら、ベルに言った。
「ここが……」
自分が今まで歩いてきた荒野とはまったく違う光景にベルは圧倒される。
「壁の外だけでも凄かったのに、ここはそれ以上だよ……」
戦前から現存していた建物と、戦後に立てられた建物が見渡すかぎりに広がっている。どこを見ても人がいて、彼らの声が溢れ返っていてとても賑やかだ。
「立ち止まってないで、宿に行くぞ」
ゴードンは自分の腕を引っ張る。それに組みついていたベルは「おっとっと」と慌ててバランスをとった。
「ねえ、さっき見せたカードはなんだったの? 兵士のチェックなしで入れちゃったけど」
宿までの道をならんで歩きながら、ベルは訪ねる。
「あれか? まあ簡単に言えば政府の要人であることを示す物だよ」
「え!? ゴードンって偉い人だったの!?」
「しーっ! 声がでかい。とりあえず話の続きはあそこでな」
そう言ってゴードンは自分の口元に持っていった人差し指を前方の建物へと向けた。古びた木の看板が少し斜めになりながらも入り口の上に貼りつけられている。肝心の文字が風化して読めなくなっていた。
「思ったより良い部屋じゃないか」
ゴードンは入り口から部屋を見回して言った。ベッドが二つ。汚れの一切ない綺麗なシーツが敷かれている。あとは時計が乗った棚と小さなテーブル、そして椅子が二つ。
ベルはゴードンの脇を抜けてベッドに駆け寄ると、思い切りそのうえに寝転がった。
「柔らかい! ベッドってこんなに柔らかいんだ。気持ちいい……」
上で何度も転がりながら初めてのベッドの感触を楽しんでいる。
「壊すなよ。お前は結構重いんだから」
「女の子にそういうこと言う?」
「だって機械だろ」
「そういう問題じゃないでしょ!」
口をとがらせながらベルは身体を起こした。
「それで、さっきの話の続きなんだけど。本当にゴードンって政府の偉い人なの……?」
「ああ、そのことだが」
ゴードンも自分の荷物を床に置くと、ベッドに腰をおろした。
「まずこのカードだが、さっきも言った通り政府の要人であることを示す物だ」
カード取りだしてベルに投げる。受け取ったそれを彼女はしげしげと見つめた。
「偽物なんだけどな」
「え?」
「声を小さくしろよ。もっと分かりやすい言い方をすると、それは偽造パスみたいなもんだ。そこに書いてある情報は全部嘘。架空の要人を示すカードなんだ」
「な、なにそれ……」
あっけにとられたようにベルは話の続きを促した。
「まあ借り物なんだがな。俺に拳銃を提供してくれた知人の物だ。彼の仕事の手伝いをするわけだから、こういった援助をしてもらえる」
「何者なの、その人は?」
「一般人だよ。見た感じは気のよさそうなじいさんだ。中身はおっかねえけどな」
「そんな人がなんで拳銃や偽造パスなんてものを持ってるの?」
「俺もそこまでは知らないよ。むしろ知りたくない。考えただけで恐くなる」
震えるような動作をすると、ゴードンは再び立ち上がった。
「そのカードはお前が持ってろ。俺はここでやらなきゃいけないことがある。さっき言ったじいさんの手伝いだ。その間、お前は街を自由に散策してていいぞ。そのカードを持っていれば一人でも問題ない。街の中は軍のおかげで治安がいいからな」
「私もゴードンについていくのは駄目なの?」
「残念だがそれは駄目だ。お前がなんと言おうと、こればっかりは絶対だ。……そうだ、金がないと散策してもつまらないだろう」
ゴードンはポケットから紙幣をいくつか取りだすと、ベルに渡した。
「小遣い……いや、賃金って言った方がお前は納得するかな。ほら、受け取れ」
「ありがとう」
ベルの中の知識に今の世界の通貨に関するものはない。それでも紙幣の量からそうとうな金額を渡されたことが理解できた。
「それじゃあ、俺は行ってくる。出歩く場合はここの場所をしっかり覚えろよ。まあ、迷子になったら人に聞けばいいが。それじゃ、また夜に」
そう言ってゴードンは一人先に宿を出て言った。
「一人で散策って言われてもなあ……」
初めての街でいきなり一人きりにされてもどうすればいいか、ベルには分からなかった。
「どうしよっかな」
受け取った紙幣を全てポケットの中に突っ込んで、ベルは考え始める。
自分の腕を握っている力が増したため、ゴードンはからかうように言った。
「ち、違う……」
ベルはきょろきょろと節操なくあたりを見回している。このような光景を目にするのは初めてなのだろう。
どこを見ても人、人、人。それは兵士だったり、旅人だったり、はたまた乞食であったり、様々である。
二人の目の前にあるのは建物の数々とそれらを多い囲む汚れた外壁。色々なものを継ぎ接ぎさせて作られたのか、簡単に壊れてしまいそうにも見える。
それが、今の世界における街だった。十五号と呼ばれる、新世界政府が公認する街。派遣された兵士たちが取り仕切り、文化的生活を求めた人間が集まる場所。
しかし、誰でも街に入れるわけではない。金がある者、物資がある者、技術がある者、そういった何かを持った人間が、兵士のチェックをパスして初めて街の中に入り、生活することができる。一時期の滞在であっても同じだ。基準が緩くなるだけで、チェックが必ず入る。
だから、外壁の外では街に入れなかった者やそう言った人間を相手にした商人などが溢れていた。
「ねえ、今更こんなことも聞くのはおかしいかもしれないけど……」
ベルは不安げに訪ねた
「私と一緒にいて街に入れるの?」
「大丈夫だからここまで一緒にいるんだろうが」
本当に今更だとゴードンは声を上げて笑う。
「俺から離れず、余計なことを口にしなければ問題ない。巡回車のときと同じく堂々としていればいいんだ」
そう言ってゴードンは街の入り口へと進んでいく。ベルは彼の腕をしっかりと掴みながらついていく。
二人の若い兵士が左右から近づいてくる。
「まずは荷物のチェックを――」
兵士が言い終わるまでにゴードンは懐から一枚のカードを取り出す。それを見た兵士はすぐに口を閉じた。
「一度お預かりさせていただきます」
兵士はカードを手に取ると、離れた場所にいる自分の上司にそれを見せに行く。そして数回言葉を交わした後、小走りでゴードンの前に戻ってきた。
「お返しいたします。どうぞこちらへ」
何もチェックを受けないまま、二人は兵士に導かれて暗い道を歩いていく。
「それでは、十五号でのご滞在をお楽しみください」
そう言って兵士は道の先の大きな扉を開けた。眩い光が差し込む。人々の喧騒が、光に続いて飛び込んでくる。
「ご苦労様」
ゴードンは一言そう言うと、光の中へと進んでいく。後ろでは扉が閉じる音。
「さあ、着いたぞ。ここが十五号だ」
ゴードンは子供のように笑いながら、ベルに言った。
「ここが……」
自分が今まで歩いてきた荒野とはまったく違う光景にベルは圧倒される。
「壁の外だけでも凄かったのに、ここはそれ以上だよ……」
戦前から現存していた建物と、戦後に立てられた建物が見渡すかぎりに広がっている。どこを見ても人がいて、彼らの声が溢れ返っていてとても賑やかだ。
「立ち止まってないで、宿に行くぞ」
ゴードンは自分の腕を引っ張る。それに組みついていたベルは「おっとっと」と慌ててバランスをとった。
「ねえ、さっき見せたカードはなんだったの? 兵士のチェックなしで入れちゃったけど」
宿までの道をならんで歩きながら、ベルは訪ねる。
「あれか? まあ簡単に言えば政府の要人であることを示す物だよ」
「え!? ゴードンって偉い人だったの!?」
「しーっ! 声がでかい。とりあえず話の続きはあそこでな」
そう言ってゴードンは自分の口元に持っていった人差し指を前方の建物へと向けた。古びた木の看板が少し斜めになりながらも入り口の上に貼りつけられている。肝心の文字が風化して読めなくなっていた。
「思ったより良い部屋じゃないか」
ゴードンは入り口から部屋を見回して言った。ベッドが二つ。汚れの一切ない綺麗なシーツが敷かれている。あとは時計が乗った棚と小さなテーブル、そして椅子が二つ。
ベルはゴードンの脇を抜けてベッドに駆け寄ると、思い切りそのうえに寝転がった。
「柔らかい! ベッドってこんなに柔らかいんだ。気持ちいい……」
上で何度も転がりながら初めてのベッドの感触を楽しんでいる。
「壊すなよ。お前は結構重いんだから」
「女の子にそういうこと言う?」
「だって機械だろ」
「そういう問題じゃないでしょ!」
口をとがらせながらベルは身体を起こした。
「それで、さっきの話の続きなんだけど。本当にゴードンって政府の偉い人なの……?」
「ああ、そのことだが」
ゴードンも自分の荷物を床に置くと、ベッドに腰をおろした。
「まずこのカードだが、さっきも言った通り政府の要人であることを示す物だ」
カード取りだしてベルに投げる。受け取ったそれを彼女はしげしげと見つめた。
「偽物なんだけどな」
「え?」
「声を小さくしろよ。もっと分かりやすい言い方をすると、それは偽造パスみたいなもんだ。そこに書いてある情報は全部嘘。架空の要人を示すカードなんだ」
「な、なにそれ……」
あっけにとられたようにベルは話の続きを促した。
「まあ借り物なんだがな。俺に拳銃を提供してくれた知人の物だ。彼の仕事の手伝いをするわけだから、こういった援助をしてもらえる」
「何者なの、その人は?」
「一般人だよ。見た感じは気のよさそうなじいさんだ。中身はおっかねえけどな」
「そんな人がなんで拳銃や偽造パスなんてものを持ってるの?」
「俺もそこまでは知らないよ。むしろ知りたくない。考えただけで恐くなる」
震えるような動作をすると、ゴードンは再び立ち上がった。
「そのカードはお前が持ってろ。俺はここでやらなきゃいけないことがある。さっき言ったじいさんの手伝いだ。その間、お前は街を自由に散策してていいぞ。そのカードを持っていれば一人でも問題ない。街の中は軍のおかげで治安がいいからな」
「私もゴードンについていくのは駄目なの?」
「残念だがそれは駄目だ。お前がなんと言おうと、こればっかりは絶対だ。……そうだ、金がないと散策してもつまらないだろう」
ゴードンはポケットから紙幣をいくつか取りだすと、ベルに渡した。
「小遣い……いや、賃金って言った方がお前は納得するかな。ほら、受け取れ」
「ありがとう」
ベルの中の知識に今の世界の通貨に関するものはない。それでも紙幣の量からそうとうな金額を渡されたことが理解できた。
「それじゃあ、俺は行ってくる。出歩く場合はここの場所をしっかり覚えろよ。まあ、迷子になったら人に聞けばいいが。それじゃ、また夜に」
そう言ってゴードンは一人先に宿を出て言った。
「一人で散策って言われてもなあ……」
初めての街でいきなり一人きりにされてもどうすればいいか、ベルには分からなかった。
「どうしよっかな」
受け取った紙幣を全てポケットの中に突っ込んで、ベルは考え始める。
結局、ベルは宿を出て街の中を一人で散策することにした。
彼女はアンドロイドとして起動してからまだ間もない。製造されたのは戦前で、自身に内蔵された記憶媒体の中にある知識も全て戦前のもの。つまり戦後――今の世界のことはほとんど知らないのだ。
少しでもこの世界のことを知っておこう。そうすればゴードンの足を引っ張ることも少なくなる。ベルはそう考えた。
歩きながら周りの建物を改めて見回す。記憶媒体の中にある一般的な建築物との違いに思わず小さな声をあげる。この世界はあまりにも汚れていて、今にも壊れそうなものばかりなのだ。戦後新しく作られたものが少ない。
街を歩く人々もまた、戦前とは大きく変わっていた。ベルにとっての人間とは、綺麗な衣服を着て清潔な身体をしているものだったが、すれ違う人々が来ているものはおせじにも綺麗とは言えず、身体からは少し鼻につく臭いを発していた。中には香水でごまかしている人もいたが、それはごく少数。香水もこの世界ではかなりの貴重品なのだ。
ベルはこっそりとマントの中を覗きこんで自分が来ているワンピースを見てみた。これまでの旅で多少汚れてはいたが、アンドロイドである彼女は老廃物を出さないため、かなり綺麗な状態を維持していた。
ゴードンがこの服を見られないようにと忠告した意味を、ようやく彼女は理解する。あまりにもこの世界に不釣り合いなのだ。
改めてマントの下が見えないように気を付けて、ベルは街の中を彷徨う。
人々の声が大きい方へと進んでいくと、市場に出た。他の場所に比べて旅人のような格好をした人が多い。ここで一時滞在して食糧などを調達しているのだろう。
人ごみの中を縫うように進む。店頭には堂々と商品が置かれており、ベルは盗られたりしないのだろうかと一瞬心配するが、すぐに考えを改めた。あたりにはたくさんの兵士もいる。盗みを働いたりすればすぐに捕まってしまう。
外壁の中は秩序が保たれている。外の世界、無法地帯とはわけが違うのだ。
それに気付いて、短い旅の中でも自分は外のシビアな世界に慣れ始めていたのだなとベルは感じた。少しずつだが世界を知り始めている、と。
市場をゆっくりと見回しながら歩いていると、前方からひと際大きい声が聞こえる。市場の喧騒とは違う、真剣さを帯びた声。よく聞くとそれは兵士の声だった。
興味を引かれて声の方へと近づく。狭い路地を兵士が数人駆けていく。
「不法侵入者は南西に向かって走っていった!」
「ちくしょう、足が速い」
「絶対に見失うなよ」
駆けていく兵士の会話から、不法侵入者を追っていることが分かった。一瞬自分のことかと思ってベルは固まるが、彼らの会話を冷静に脳内で反復して兵士が追っているのは自分ではないと理解する。
不法侵入なんてできるのだろうか、とベルは考える。入り口の警備はしっかりしているし、偽造パスのようなものがない限り難しいのではないのだろうか。
なんとなく気になり、ベルはすぐそばに座っていた老婆に話しかける。
「ねえ、おばあさん。この街に不法侵入なんてできちゃうものなのかな」
老婆はゆっくりと顔を上げてベルを顔を見やった。老婆の前には綺麗な布地がいくつか置かれていた。商品なのだろう。
「どうなんだろうねえ。この街はまだ出来たばかりだし警備や設備に穴はあるだろうよ」
この十五号は政府が管理する街の中でもかなり新しい街だ。軍が駐屯するようになってからそれほどの期間は経っていない。
「頭が良かったり身体能力が高かったりする人なら、不法侵入できちゃうんじゃないかねえ。私みたいなばあさんじゃ無理だろうけど」
そう言って老婆はほっほっほ、とのんきに笑う。
ありがとう、と礼を言ってベルは再び歩き出した。
迷子になったら人に道を聞けばいい。ゴードンはそう言った。
「じゃあ周りに人がいない場合はどうすればいいのよ」
人気のない道で立ち尽くしながら、ベルはどうしたものかと考える。
何も考えずにぶらぶらと歩き続けたのがよくなかったのかもしれない。目的を持って散策をするべきだった……と後悔する。
この街は出来たばかりとは言えかなり広大だ。先ほどのように人がたくさん集まる場所もあればこういった人気のない場所だって何か所もある。
周囲の建物を見回す。使われているのかどうかすら定かではない。活気のあった市場の喧騒もここにはまったく届かない。
しかし、ベルの高い聴覚が足音を感じ取った。素早く地面を蹴り続ける音、誰かが走っているようだ。そして足音の主はこちらに向かってくる。
突如、建物と建物の隙間から赤髪の青年が現れて、ベルの方へと近づいてきた。さきほどから無我夢中で走り続けてきたのだろう。ベルの存在に気付かず、そのまま二人はぶつかってしまう。
「いたたた……」
「わっ、誰だ!?」
赤髪の青年は驚いたようにぶつかった相手――ベルを見た。
「なんだ。一般人か……」
こわばっていた表情を緩めると青年はすぐに立ち上がった。
「お嬢さん、本当にすまない」
短い言葉で謝ると、青年は再び駆けだした。だがすぐに足を止めて立ち止まり、周りを見回し始めた。
それと同時にベルはまた別の足音が大量に増えたことを感じ取っていた。そして足音のほかに複数の男の声も。
「くそっ……」
青年の表情はみるみるうちに青ざめていく。
彼は例の不法侵入者なのではないか。そして今増えている足音はそれを追いかける兵士たちのものだ。ベルはそう考えた。
そして、さらにもう一つ。彼は不法侵入者でありさらに――
「初めて会った君に一生のお願いだ」
青年はある建物を見上げながら言う。二階建てのトタンが壁中に貼りつけられた倉庫のような建物だ。
「俺のことは見なかったことにしてくれ」
青年は膝を曲げると建物の上に向かって跳躍。精いっぱい手を伸ばして屋根に手をかけ、そのまま上り切った。
少しだけあたりを見回した後、身体を低くして駆け出す。そしてあっという間に見えなくなった。
この異常な跳躍力は明らかに人間のものではなかった。
「アンドロイド……」
先ほどの跳躍を見て、ベルはそう確信した。
赤髪の青年はアンドロイドでありながら、この街に不法侵入したのだ。兵士たちがやっきになって捕まえようとしているのも頷けることだった。
青年が駆けて行った方向を見上げていると、兵士が数人ベルの周りに集まってきた。
「君、こっちに赤い髪をした男が来なかったか?」
「不法侵入したアンドロイドなんだが」
兵士たちはその場でぽつんと立っているベルの元に詰め寄る。
「えっと……」
ベルは少し考えた後、首を横に振った。
「見てないです。私、迷子になってずっと一人でいたので……」
「本当か? 脅されて庇うようにとか言われてないか?」
「本当です。何も見てません」
ベルは少し怯えたそぶりを見せながら言い張った。
僅かな沈黙。兵士たちは疑うようにベルの顔を見るが、それ以上何も追求することはなかった。
「迷子なんだっけ。あそこの道を真っ直ぐ行った突き当りを右に曲がればそれなりに人がいる場所に出る」
兵士の一人がその方向を指さした。
「もし赤髪のアンドロイドを見かけたら近くにいる兵士に言ってくれ」
「……分かりました」
ベルが頷くと、兵士たちはまた散り散りになってアンドロイドの追跡に戻った。
誰もいなくなってから、ベルは兵士に教えられた道をゆっくりと歩き始める。
「私も、ゴードンがいなかったら……あのカードが無かったら……」
街に入ることはできなかっただろう。また、もし入ることができたとしても、さきほどのアンドロイドのように追われる身になっていたのは間違いない。
ベルは安心する。が、すぐにそれでいいのだろうか。と思い始める。同じアンドロイドなのに、自分ばかりはあたかも普通の人間のようにこの街で散策している。
全てのものが平等に生きていくことは不可能だ、というのはアンドロイドのベルでも理解していた。それでも心の中にはもやもやしたものが残る。
しばらく歩くと、また市場ほどではないが人が集まっている場所に出た。広場のような場所で、旅人や街の住居者が交流をしている。
その中で、ベルは自分の数少ない知り合いを見つけ、立ち止まった。
錆びたベンチに座っている二人の男女と一人の子供。ベルを見つけて起動させた旅人たちだった。彼らは二つの家族の集まりだった。ベルが見つけたのはその内の一家族だった。
少しの間だったが、一緒に旅をした人間だ。さらには言えばベルが初めて目にした人間でもある。
話しかけようか、とベルは考える。自分を起動してくれたことに対するお礼を言わずに別れてしまった。だけど自分から彼らの元を去ったわけだし……。
ベルは立ち止まって悩み続ける。
「声、かけてみよう」
やらずに後悔するよりはやって後悔した方がいい。きっとそう決まっている。そう信じてベルは彼らのいるベンチへと向かっていく。
彼らの元まで後数メートルという所で子供がベルの存在に気付いた。すぐに子供は両親にベルがいることを伝える。彼らは全員ベルの方を見た。
完全に視線が合う。少し浮かれてベルは手を振ろうとする。だが、彼らはすぐに視線をそらすと、ベンチから立ち上がって足早にその場から去っていく。
まるでベルと関わり合いを持ちたくない、そんな風に。
再び立ち止まると、ベルは振ろうとしていた右手をおろした。
「そうだよね」
小さく呟く。
「街の中でアンドロイドと関わったら、大変だもんね。せっかく長い旅でここまで来たんだから、問題を起こしたくないよね」
呟きは周囲の人々の声にかき消される。
「分かりきってたことでしょ。あの夜、みんなの元を去った時から」
ベルは自分に言い聞かせるように呟き続ける。
自分の存在が仲間の迷惑になるから、だからベルは彼らの元を去ったのだ。自分の存在が、巡回車に怯えなければいけない状況を作り、街に入る時のことまで彼らの頭を悩ませた。だから……。
日が傾き始める。次第に広場から人が減っていく。ベルはとりあえず空いているベンチに腰をおろした。
「あの人も……私も……アンドロイドだから……」
赤髪の青年の姿を思い浮かべる。この街にきて、アンドロイドであることの不遇さを再認識する。
どうして、私たちアンドロイドはこんなにも忌み嫌われなければいけないのだろう。ベルは思う。私はまだ、その理由を知らない、と。
彼女はアンドロイドとして起動してからまだ間もない。製造されたのは戦前で、自身に内蔵された記憶媒体の中にある知識も全て戦前のもの。つまり戦後――今の世界のことはほとんど知らないのだ。
少しでもこの世界のことを知っておこう。そうすればゴードンの足を引っ張ることも少なくなる。ベルはそう考えた。
歩きながら周りの建物を改めて見回す。記憶媒体の中にある一般的な建築物との違いに思わず小さな声をあげる。この世界はあまりにも汚れていて、今にも壊れそうなものばかりなのだ。戦後新しく作られたものが少ない。
街を歩く人々もまた、戦前とは大きく変わっていた。ベルにとっての人間とは、綺麗な衣服を着て清潔な身体をしているものだったが、すれ違う人々が来ているものはおせじにも綺麗とは言えず、身体からは少し鼻につく臭いを発していた。中には香水でごまかしている人もいたが、それはごく少数。香水もこの世界ではかなりの貴重品なのだ。
ベルはこっそりとマントの中を覗きこんで自分が来ているワンピースを見てみた。これまでの旅で多少汚れてはいたが、アンドロイドである彼女は老廃物を出さないため、かなり綺麗な状態を維持していた。
ゴードンがこの服を見られないようにと忠告した意味を、ようやく彼女は理解する。あまりにもこの世界に不釣り合いなのだ。
改めてマントの下が見えないように気を付けて、ベルは街の中を彷徨う。
人々の声が大きい方へと進んでいくと、市場に出た。他の場所に比べて旅人のような格好をした人が多い。ここで一時滞在して食糧などを調達しているのだろう。
人ごみの中を縫うように進む。店頭には堂々と商品が置かれており、ベルは盗られたりしないのだろうかと一瞬心配するが、すぐに考えを改めた。あたりにはたくさんの兵士もいる。盗みを働いたりすればすぐに捕まってしまう。
外壁の中は秩序が保たれている。外の世界、無法地帯とはわけが違うのだ。
それに気付いて、短い旅の中でも自分は外のシビアな世界に慣れ始めていたのだなとベルは感じた。少しずつだが世界を知り始めている、と。
市場をゆっくりと見回しながら歩いていると、前方からひと際大きい声が聞こえる。市場の喧騒とは違う、真剣さを帯びた声。よく聞くとそれは兵士の声だった。
興味を引かれて声の方へと近づく。狭い路地を兵士が数人駆けていく。
「不法侵入者は南西に向かって走っていった!」
「ちくしょう、足が速い」
「絶対に見失うなよ」
駆けていく兵士の会話から、不法侵入者を追っていることが分かった。一瞬自分のことかと思ってベルは固まるが、彼らの会話を冷静に脳内で反復して兵士が追っているのは自分ではないと理解する。
不法侵入なんてできるのだろうか、とベルは考える。入り口の警備はしっかりしているし、偽造パスのようなものがない限り難しいのではないのだろうか。
なんとなく気になり、ベルはすぐそばに座っていた老婆に話しかける。
「ねえ、おばあさん。この街に不法侵入なんてできちゃうものなのかな」
老婆はゆっくりと顔を上げてベルを顔を見やった。老婆の前には綺麗な布地がいくつか置かれていた。商品なのだろう。
「どうなんだろうねえ。この街はまだ出来たばかりだし警備や設備に穴はあるだろうよ」
この十五号は政府が管理する街の中でもかなり新しい街だ。軍が駐屯するようになってからそれほどの期間は経っていない。
「頭が良かったり身体能力が高かったりする人なら、不法侵入できちゃうんじゃないかねえ。私みたいなばあさんじゃ無理だろうけど」
そう言って老婆はほっほっほ、とのんきに笑う。
ありがとう、と礼を言ってベルは再び歩き出した。
迷子になったら人に道を聞けばいい。ゴードンはそう言った。
「じゃあ周りに人がいない場合はどうすればいいのよ」
人気のない道で立ち尽くしながら、ベルはどうしたものかと考える。
何も考えずにぶらぶらと歩き続けたのがよくなかったのかもしれない。目的を持って散策をするべきだった……と後悔する。
この街は出来たばかりとは言えかなり広大だ。先ほどのように人がたくさん集まる場所もあればこういった人気のない場所だって何か所もある。
周囲の建物を見回す。使われているのかどうかすら定かではない。活気のあった市場の喧騒もここにはまったく届かない。
しかし、ベルの高い聴覚が足音を感じ取った。素早く地面を蹴り続ける音、誰かが走っているようだ。そして足音の主はこちらに向かってくる。
突如、建物と建物の隙間から赤髪の青年が現れて、ベルの方へと近づいてきた。さきほどから無我夢中で走り続けてきたのだろう。ベルの存在に気付かず、そのまま二人はぶつかってしまう。
「いたたた……」
「わっ、誰だ!?」
赤髪の青年は驚いたようにぶつかった相手――ベルを見た。
「なんだ。一般人か……」
こわばっていた表情を緩めると青年はすぐに立ち上がった。
「お嬢さん、本当にすまない」
短い言葉で謝ると、青年は再び駆けだした。だがすぐに足を止めて立ち止まり、周りを見回し始めた。
それと同時にベルはまた別の足音が大量に増えたことを感じ取っていた。そして足音のほかに複数の男の声も。
「くそっ……」
青年の表情はみるみるうちに青ざめていく。
彼は例の不法侵入者なのではないか。そして今増えている足音はそれを追いかける兵士たちのものだ。ベルはそう考えた。
そして、さらにもう一つ。彼は不法侵入者でありさらに――
「初めて会った君に一生のお願いだ」
青年はある建物を見上げながら言う。二階建てのトタンが壁中に貼りつけられた倉庫のような建物だ。
「俺のことは見なかったことにしてくれ」
青年は膝を曲げると建物の上に向かって跳躍。精いっぱい手を伸ばして屋根に手をかけ、そのまま上り切った。
少しだけあたりを見回した後、身体を低くして駆け出す。そしてあっという間に見えなくなった。
この異常な跳躍力は明らかに人間のものではなかった。
「アンドロイド……」
先ほどの跳躍を見て、ベルはそう確信した。
赤髪の青年はアンドロイドでありながら、この街に不法侵入したのだ。兵士たちがやっきになって捕まえようとしているのも頷けることだった。
青年が駆けて行った方向を見上げていると、兵士が数人ベルの周りに集まってきた。
「君、こっちに赤い髪をした男が来なかったか?」
「不法侵入したアンドロイドなんだが」
兵士たちはその場でぽつんと立っているベルの元に詰め寄る。
「えっと……」
ベルは少し考えた後、首を横に振った。
「見てないです。私、迷子になってずっと一人でいたので……」
「本当か? 脅されて庇うようにとか言われてないか?」
「本当です。何も見てません」
ベルは少し怯えたそぶりを見せながら言い張った。
僅かな沈黙。兵士たちは疑うようにベルの顔を見るが、それ以上何も追求することはなかった。
「迷子なんだっけ。あそこの道を真っ直ぐ行った突き当りを右に曲がればそれなりに人がいる場所に出る」
兵士の一人がその方向を指さした。
「もし赤髪のアンドロイドを見かけたら近くにいる兵士に言ってくれ」
「……分かりました」
ベルが頷くと、兵士たちはまた散り散りになってアンドロイドの追跡に戻った。
誰もいなくなってから、ベルは兵士に教えられた道をゆっくりと歩き始める。
「私も、ゴードンがいなかったら……あのカードが無かったら……」
街に入ることはできなかっただろう。また、もし入ることができたとしても、さきほどのアンドロイドのように追われる身になっていたのは間違いない。
ベルは安心する。が、すぐにそれでいいのだろうか。と思い始める。同じアンドロイドなのに、自分ばかりはあたかも普通の人間のようにこの街で散策している。
全てのものが平等に生きていくことは不可能だ、というのはアンドロイドのベルでも理解していた。それでも心の中にはもやもやしたものが残る。
しばらく歩くと、また市場ほどではないが人が集まっている場所に出た。広場のような場所で、旅人や街の住居者が交流をしている。
その中で、ベルは自分の数少ない知り合いを見つけ、立ち止まった。
錆びたベンチに座っている二人の男女と一人の子供。ベルを見つけて起動させた旅人たちだった。彼らは二つの家族の集まりだった。ベルが見つけたのはその内の一家族だった。
少しの間だったが、一緒に旅をした人間だ。さらには言えばベルが初めて目にした人間でもある。
話しかけようか、とベルは考える。自分を起動してくれたことに対するお礼を言わずに別れてしまった。だけど自分から彼らの元を去ったわけだし……。
ベルは立ち止まって悩み続ける。
「声、かけてみよう」
やらずに後悔するよりはやって後悔した方がいい。きっとそう決まっている。そう信じてベルは彼らのいるベンチへと向かっていく。
彼らの元まで後数メートルという所で子供がベルの存在に気付いた。すぐに子供は両親にベルがいることを伝える。彼らは全員ベルの方を見た。
完全に視線が合う。少し浮かれてベルは手を振ろうとする。だが、彼らはすぐに視線をそらすと、ベンチから立ち上がって足早にその場から去っていく。
まるでベルと関わり合いを持ちたくない、そんな風に。
再び立ち止まると、ベルは振ろうとしていた右手をおろした。
「そうだよね」
小さく呟く。
「街の中でアンドロイドと関わったら、大変だもんね。せっかく長い旅でここまで来たんだから、問題を起こしたくないよね」
呟きは周囲の人々の声にかき消される。
「分かりきってたことでしょ。あの夜、みんなの元を去った時から」
ベルは自分に言い聞かせるように呟き続ける。
自分の存在が仲間の迷惑になるから、だからベルは彼らの元を去ったのだ。自分の存在が、巡回車に怯えなければいけない状況を作り、街に入る時のことまで彼らの頭を悩ませた。だから……。
日が傾き始める。次第に広場から人が減っていく。ベルはとりあえず空いているベンチに腰をおろした。
「あの人も……私も……アンドロイドだから……」
赤髪の青年の姿を思い浮かべる。この街にきて、アンドロイドであることの不遇さを再認識する。
どうして、私たちアンドロイドはこんなにも忌み嫌われなければいけないのだろう。ベルは思う。私はまだ、その理由を知らない、と。
日が落ちて空が暗闇に覆われる。ぼうっとベンチに座り続けていたベルは、巡回していた兵士から遅い時間に出歩くなと注意され、宿に戻った。
「遅かったじゃないか、俺はもう寝るところだったぞ」
部屋に入ると、すでにゴードンがベッドの上に寝転がっていた。
ゴードンの言葉に返事をしないまま、ベルはベッドに腰をおろした。彼女の浮かない表情に気付いたのか、無視されたことを気にせず心配そうに声をかける。
「元気がないな。何かあったか」
ベルは返事をしない。
ゴードンは少しの間返答を待っていたが、すぐに諦める。
「まあいい。俺は寝るからな」
「……待って」
「どうした。言ってみろ」
ゴードンは優しげな声で続きを促した。
「私たちは、アンドロイドはどうして忌み嫌われているの?」
「そうか、まだ話したことなかったな」
ゴードンは上体を起こすと、ベルの方に向き直った。
「俺もそこまで詳しくないんだが、知ってることは全部教えよう。まず、このようにアンドロイドが忌み嫌われるのは今の新世界政府がアンドロイドを徹底的に排除しようとしているからだ。これはお前も知っているな?」
ベルは頷く。
「なぜ政府がアンドロイドを禁忌するのか。これは十年前の大戦が関わっている。俺もその頃の記憶はかなりあやふやなんだが、まあそこらへんは目を瞑ってほしい。
ロボット工学において世界最高峰の技術を誇る国があった。名前は知らん。そこが世界中の国に喧嘩をふっかけたんだ。無謀な戦いだと誰もが最初は思ったらしいが、その国の兵士はほとんどがアンドロイドだった。戦闘機能に特化したアンドロイドだ。それらはあっという間に他国の軍隊を蹴散らしていったそうだ。だが、いくらアンドロイドの性能がよくても圧倒的な数の差があったわけだ。時間が経てば他国の対アンドロイド戦術も確立してきて互角の戦いになっていった。
そんな中、ある国のスパイがアンドロイドの国の政府の中枢へと潜り込んだ。この国が戦争をふっかけた理由が意味不明だそうでな。その真意を探るのが目的だったそうだ。スパイがそこで見たのはアンドロイドがその国の首相や議員になり代わって国を動かしていた、というまるで小説や映画のような光景だったらしい。
高度な知能を持つアンドロイドを量産してしまったばかりに、その国がアンドロイドに乗っ取られてしまったわけだ。それを知った他国のお偉いさん方は仰天した。この戦争に負けたら人類そのものがアンドロイドにとって代わられてしまうからな。
んでもって、色々あって戦争は終結した。誰が勝ったのか分からないほど各地に被害が出た。それは短い旅の間でよく分かっただろう。
戦争終結直後、どこからともなく新世界政府を名乗る軍隊が現れた。どの国も疲弊しきったところに十分な戦力をそろえて現れたんだ。誰も抵抗できず、新世界政府は荒廃した世界を統べた。それが現状だ。
今回の戦争でアンドロイドは存在してはいけない、そう考えたんだろうな。現存しているアンドロイドは排除されるようになった。
分かりやすくまとめると、アンドロイドが恐いから存在は許しません。そういうことなんだ。俺の知る限りでは」
ふう、とゴードンは一息ついた。
「何か質問は?」
「……ううん、ない」
ベルはぼんやりとした表情で答えた。
「今の話を聞いて、どう思った?」
「何とも。なんというか、納得しちゃった。スケールが大きすぎてどうしようもない」
「そうか」
それだけ言って、ゴードンは再び身体を横にした。
「じゃあ、俺は寝るからな」
「ねえ」
「まだ何かあるのか」
「眠れないの」
「横になってずっと目を閉じてればそのうち寝付く」
「そうじゃなくて。私はアンドロイドだから眠れないの。眠る必要がないから。だから夜はずっと暇」
「一緒に徹夜しろってか?」
「してくれるの?」
「馬鹿言え。こっちは機械の身体でもなけりゃ徹夜できるほど若い身体でもないんだ。明日もやることがあるしな。……そうだ」
何か閃いたようにゴードンは手を叩いた。
「妄想でもしてみたらどうだ」
「妄想?」
「俺も一人旅していたときはよく妄想の世界に浸っていた。記憶を失う前の俺はどんな人間でどんな環境でくらしていたんだろう、ってな」
「それって楽しいの?」
「楽しいったらありゃしない。妄想の中なら俺はどんな人間にもなれるし、世界だって変えられる。暇なら試しにやってみるといい」
「妄想、かあ」
「明かり、消していいか?」
「あ、うん。おやすみゴードン」
「ああ、おやすみ」
部屋が暗くなる。窓から差し込む月明かりだけが、部屋の一部を照らしていた。
ベルはテーブルと椅子を窓際に動かすと、そこに腰をおろした。頬杖をついて窓から夜空を見上げる。
「妄想……」
ゴードンに勧められた通りに、ベルは自身の思考回路の中に、仮想世界を作り出す。どんな世界がいいだろう、私の理想の世界……。起動してから今までの短い経験の中から、自分の理想を作り出す。
アンドロイドが忌み嫌われず、人間と共生している世界。自分が誰にも迷惑かけず、誰からも必要とされる世界。
妄想で固めた世界に自分自身を投影させる。回路の中のユートピア。自分だけの理想郷。
「…………」
しばらくして、ベルは諦めたように頬杖をやめて、椅子の背もたれにもたれこんだ。
「全然だめ。何も楽しくない」
ベルは僅か数分で自身が想像し、創造した仮想世界から現実に戻った。妄想に浸り、楽しむことができなかった。
「ゴードンは楽しいって言ったけど、空しいだけじゃない」
アンドロイドの思考回路と人間の思考回路は違う。コンピュータは現実的な思考しか紡ぎ出さない。人工の感情は空想から何も感じ取らない。
「いくら妄想したって、現実は何も変わらないもの」
目を瞑り、ため息をつく。呼吸をする必要がないから、ため息はほとんど形だけのようなものだ。
「夜、長いなあ……」
月と星々は静かに世界を照らし、見下ろし続ける。
翌朝、ゴードンは再び仕事だと言って宿を出る。ベルはそれを見送りながら、自分はどうしようか考えていた。
ポケットにはそれなりの額の紙幣。どうせならぱーっと使うべきではないか。この部屋にいてもつまらないし、結局街の中を散策するのが一番の暇つぶしになるはずだ。
宿を出て、ベルはゆっくりと歩き始める。昨日となんら変わり無いのどかな雰囲気。何も考えずに歩いているうちに、また市場に辿り着いていた。ここも昨日と変わらない大きな賑わいを見せている。
「何買おうかな……」
ベルは市場をゆっくりと歩きながら、色々な露店を見て回る。食料品が多く目につく。中には調理済みのファーストフードのようなものもあった。
アンドロイドは食事をする必要がない。だが、味覚はしっかりと備わっており、道楽としての食事をするだけの機能は備わっていた。摂取した食べ物は内蔵された人工臓器によって処理され、疑似排せつを通して対外に排出する。それだけの人間の模倣ができる。
「そう言えば私、今まで食べ物を食べたことがない」
理由はそれだけで十分だった。ベルは吸い込まれるようにして一つの露店に近づく。
……が、自分のすぐ後ろを二人の兵士が駆け抜けて行き、ベルは足を止めた。思わず兵士たちが駆けて行った方へと振り向く。
「今度こそ捕まえる」
この一瞬で、そんな一言をベルの聴覚は聞き取った。
「まさか……」
ベルは赤髪の青年アンドロイドを思い浮かべる。彼はまだ捕まっていないのでは。頭から完全に食べ物のことは消え去り、兵士たちが向かった先へ向かい始めた。
市場から離れて人はどんどん少なくなる。バタバタと幾重にも聞こえる足音は兵士たちのものだろう。
自分はどうするつもりなのか。ベルは自問自答する。
「私は……」
あの赤髪のアンドロイドを、助けたい。そう思っていることに気付く。
果たしてできるのか。そもそも助けていいのか。次々と問題が浮かび上がるが、振り払うように頭を動かして、なかったことにする。
「このまま捕まって廃棄されるなんて、悲しすぎるよ」
アンドロイドは許されない。そういう世界なのだ。昨夜はそう納得していたはずだった。だが、煮え切らない思いがベルを行動させる。
どこに赤髪の彼がいるのかは分からない。だけど、探さなければ見つからない。
ベルは走り出す。ただがむしゃらに。
「遅かったじゃないか、俺はもう寝るところだったぞ」
部屋に入ると、すでにゴードンがベッドの上に寝転がっていた。
ゴードンの言葉に返事をしないまま、ベルはベッドに腰をおろした。彼女の浮かない表情に気付いたのか、無視されたことを気にせず心配そうに声をかける。
「元気がないな。何かあったか」
ベルは返事をしない。
ゴードンは少しの間返答を待っていたが、すぐに諦める。
「まあいい。俺は寝るからな」
「……待って」
「どうした。言ってみろ」
ゴードンは優しげな声で続きを促した。
「私たちは、アンドロイドはどうして忌み嫌われているの?」
「そうか、まだ話したことなかったな」
ゴードンは上体を起こすと、ベルの方に向き直った。
「俺もそこまで詳しくないんだが、知ってることは全部教えよう。まず、このようにアンドロイドが忌み嫌われるのは今の新世界政府がアンドロイドを徹底的に排除しようとしているからだ。これはお前も知っているな?」
ベルは頷く。
「なぜ政府がアンドロイドを禁忌するのか。これは十年前の大戦が関わっている。俺もその頃の記憶はかなりあやふやなんだが、まあそこらへんは目を瞑ってほしい。
ロボット工学において世界最高峰の技術を誇る国があった。名前は知らん。そこが世界中の国に喧嘩をふっかけたんだ。無謀な戦いだと誰もが最初は思ったらしいが、その国の兵士はほとんどがアンドロイドだった。戦闘機能に特化したアンドロイドだ。それらはあっという間に他国の軍隊を蹴散らしていったそうだ。だが、いくらアンドロイドの性能がよくても圧倒的な数の差があったわけだ。時間が経てば他国の対アンドロイド戦術も確立してきて互角の戦いになっていった。
そんな中、ある国のスパイがアンドロイドの国の政府の中枢へと潜り込んだ。この国が戦争をふっかけた理由が意味不明だそうでな。その真意を探るのが目的だったそうだ。スパイがそこで見たのはアンドロイドがその国の首相や議員になり代わって国を動かしていた、というまるで小説や映画のような光景だったらしい。
高度な知能を持つアンドロイドを量産してしまったばかりに、その国がアンドロイドに乗っ取られてしまったわけだ。それを知った他国のお偉いさん方は仰天した。この戦争に負けたら人類そのものがアンドロイドにとって代わられてしまうからな。
んでもって、色々あって戦争は終結した。誰が勝ったのか分からないほど各地に被害が出た。それは短い旅の間でよく分かっただろう。
戦争終結直後、どこからともなく新世界政府を名乗る軍隊が現れた。どの国も疲弊しきったところに十分な戦力をそろえて現れたんだ。誰も抵抗できず、新世界政府は荒廃した世界を統べた。それが現状だ。
今回の戦争でアンドロイドは存在してはいけない、そう考えたんだろうな。現存しているアンドロイドは排除されるようになった。
分かりやすくまとめると、アンドロイドが恐いから存在は許しません。そういうことなんだ。俺の知る限りでは」
ふう、とゴードンは一息ついた。
「何か質問は?」
「……ううん、ない」
ベルはぼんやりとした表情で答えた。
「今の話を聞いて、どう思った?」
「何とも。なんというか、納得しちゃった。スケールが大きすぎてどうしようもない」
「そうか」
それだけ言って、ゴードンは再び身体を横にした。
「じゃあ、俺は寝るからな」
「ねえ」
「まだ何かあるのか」
「眠れないの」
「横になってずっと目を閉じてればそのうち寝付く」
「そうじゃなくて。私はアンドロイドだから眠れないの。眠る必要がないから。だから夜はずっと暇」
「一緒に徹夜しろってか?」
「してくれるの?」
「馬鹿言え。こっちは機械の身体でもなけりゃ徹夜できるほど若い身体でもないんだ。明日もやることがあるしな。……そうだ」
何か閃いたようにゴードンは手を叩いた。
「妄想でもしてみたらどうだ」
「妄想?」
「俺も一人旅していたときはよく妄想の世界に浸っていた。記憶を失う前の俺はどんな人間でどんな環境でくらしていたんだろう、ってな」
「それって楽しいの?」
「楽しいったらありゃしない。妄想の中なら俺はどんな人間にもなれるし、世界だって変えられる。暇なら試しにやってみるといい」
「妄想、かあ」
「明かり、消していいか?」
「あ、うん。おやすみゴードン」
「ああ、おやすみ」
部屋が暗くなる。窓から差し込む月明かりだけが、部屋の一部を照らしていた。
ベルはテーブルと椅子を窓際に動かすと、そこに腰をおろした。頬杖をついて窓から夜空を見上げる。
「妄想……」
ゴードンに勧められた通りに、ベルは自身の思考回路の中に、仮想世界を作り出す。どんな世界がいいだろう、私の理想の世界……。起動してから今までの短い経験の中から、自分の理想を作り出す。
アンドロイドが忌み嫌われず、人間と共生している世界。自分が誰にも迷惑かけず、誰からも必要とされる世界。
妄想で固めた世界に自分自身を投影させる。回路の中のユートピア。自分だけの理想郷。
「…………」
しばらくして、ベルは諦めたように頬杖をやめて、椅子の背もたれにもたれこんだ。
「全然だめ。何も楽しくない」
ベルは僅か数分で自身が想像し、創造した仮想世界から現実に戻った。妄想に浸り、楽しむことができなかった。
「ゴードンは楽しいって言ったけど、空しいだけじゃない」
アンドロイドの思考回路と人間の思考回路は違う。コンピュータは現実的な思考しか紡ぎ出さない。人工の感情は空想から何も感じ取らない。
「いくら妄想したって、現実は何も変わらないもの」
目を瞑り、ため息をつく。呼吸をする必要がないから、ため息はほとんど形だけのようなものだ。
「夜、長いなあ……」
月と星々は静かに世界を照らし、見下ろし続ける。
翌朝、ゴードンは再び仕事だと言って宿を出る。ベルはそれを見送りながら、自分はどうしようか考えていた。
ポケットにはそれなりの額の紙幣。どうせならぱーっと使うべきではないか。この部屋にいてもつまらないし、結局街の中を散策するのが一番の暇つぶしになるはずだ。
宿を出て、ベルはゆっくりと歩き始める。昨日となんら変わり無いのどかな雰囲気。何も考えずに歩いているうちに、また市場に辿り着いていた。ここも昨日と変わらない大きな賑わいを見せている。
「何買おうかな……」
ベルは市場をゆっくりと歩きながら、色々な露店を見て回る。食料品が多く目につく。中には調理済みのファーストフードのようなものもあった。
アンドロイドは食事をする必要がない。だが、味覚はしっかりと備わっており、道楽としての食事をするだけの機能は備わっていた。摂取した食べ物は内蔵された人工臓器によって処理され、疑似排せつを通して対外に排出する。それだけの人間の模倣ができる。
「そう言えば私、今まで食べ物を食べたことがない」
理由はそれだけで十分だった。ベルは吸い込まれるようにして一つの露店に近づく。
……が、自分のすぐ後ろを二人の兵士が駆け抜けて行き、ベルは足を止めた。思わず兵士たちが駆けて行った方へと振り向く。
「今度こそ捕まえる」
この一瞬で、そんな一言をベルの聴覚は聞き取った。
「まさか……」
ベルは赤髪の青年アンドロイドを思い浮かべる。彼はまだ捕まっていないのでは。頭から完全に食べ物のことは消え去り、兵士たちが向かった先へ向かい始めた。
市場から離れて人はどんどん少なくなる。バタバタと幾重にも聞こえる足音は兵士たちのものだろう。
自分はどうするつもりなのか。ベルは自問自答する。
「私は……」
あの赤髪のアンドロイドを、助けたい。そう思っていることに気付く。
果たしてできるのか。そもそも助けていいのか。次々と問題が浮かび上がるが、振り払うように頭を動かして、なかったことにする。
「このまま捕まって廃棄されるなんて、悲しすぎるよ」
アンドロイドは許されない。そういう世界なのだ。昨夜はそう納得していたはずだった。だが、煮え切らない思いがベルを行動させる。
どこに赤髪の彼がいるのかは分からない。だけど、探さなければ見つからない。
ベルは走り出す。ただがむしゃらに。
どれだけ走っていたのだろうか。疲れを知らぬ機械の身体で駆けまわり続け、気付くと再び市場の中にいた。
むやみやたらに走り回るだけで簡単に見つかったら苦労はしない。もっと頭を使って探すべきじゃないのか。ベルはそう思い始める。
空を見上げる。雲ひとつない晴天。太陽が真上から世界を照らしている。
「空を飛ぶことができたら簡単に見つかるかもしれないのに……」
そう呟いた直後に、自分が妄想をしていることに気付く。昨夜はつまらないと放棄したが、困っている時は妄想にすがってしまう。ベルはそんな自分を笑う。
空を見上げるのをやめようと首を下に動かした時、視界の隅に何かが映る。反射的にベルはそれの方へと視線を動かす。
とある露店の後ろにある家屋の屋根。そこに人影が見えたのだ。目を凝らす。ズーム機能が自然に発動する。その人影は赤髪の青年。まさに今ベルが探している相手だった。
赤髪のアンドロイドは市場の人ごみの中をきょろきょろと見回しているようだった。だが、何かまずいものを見たのか、首を引っ込めて身を翻す。
ベルはとっさに先ほどまで彼が見ていた場所を見やる。ちょうど兵士が一人、歩いているところだった。
再び視線を赤髪のアンドロイドへ。彼は今にも走り出そうとしていた。
「見失っちゃう」
ベルはすぐさま駆け出した。露店と露店の間を通り抜け、彼がいた家屋へと向かう。扉に鍵はかかってないようだったが、人が多いため不法侵入するわけにはいかない。それに彼はもうここの屋根からいなくなっているだろう。
その家屋と隣の家屋の間を通り抜けていく。上を見やると十メートルほど先の建物の上に赤髪のアンドロイドがいた。
声をかけて引きとめようと一瞬考えるがすぐに止める。まだ近くに兵士がいるのだ。捕まってしまう可能性が高い。ベルは自身の機械仕掛けの思考回路の冷静さに感謝する。
静かに赤髪のアンドロイドを追いかける。兵士にはまだ気付かれていない。だんだんと人気が少なくなっていく。
大量のスクラップが置いてある薄汚い倉庫のそばに、赤髪のアンドロイドは降り立つ。チャンスだと思い、ベルは小さく声をかけた。
「あのっ」
その声に過敏に反応し、赤髪のアンドロイドはベルに接近、そのまま地面に組伏せる。だが、相手が少女だということに気付き、慌てて解放する。
「す、すまない……。その、追手と勘違いして」
「大丈夫、気にしないで」
ベルはすぐに起き上がって彼と向き合う。
「君は昨日の……」
赤髪のアンドロイドはベルを見て言う。顔はしっかりと覚えていたようだ。
「あの、あなたはアンドロイドなんですよね。それで街の兵士に追われている」
早く話を進めるため、ベルはすぐに本題を切りだす。
「あなたを助けたいの。この街から逃がすお手伝いを」
「君がかい?」
驚いたように彼は言った。年端もいかぬ少女が兵士を出し抜く手助けをすると言っているのだ。当然の反応だった。
「確かに俺はアンドロイドで、この街に不法侵入して兵士たちに追われている。だが、君が俺を助けるだって? 君のような子供にできるのか?」
彼の言うことは正論だった。一介の少女が力になれることなんて無いに等しいだろう。
「それに、信用できるかどうかも分からない」
厳しい顔つきで、彼は続ける。
「アンドロイドを引き渡した人間は報奨金が与えられる。それを目当てに俺を騙している可能性だってあるだろう」
疑心暗鬼。彼の状態を表す言葉はまさにそれだった。追われる身、自分を守るためには何者も疑ってかからなければならない。
「それは……」
どうするべきか。ベルは逡巡する。ここで自分がアンドロイドだということを明かすべきか否か。明かせば彼からの信用を得られるだろう。だが、それによってゴードンに迷惑がかかる可能性もある。彼を助けたいのは本心だが、ゴードンに迷惑をかけたくないというのも本心である。
「どうした。黙ったってことは図星なのか?」
そう言いながら、赤髪のアンドロイドは警戒するように周囲を見回している。
「私も……」
言おう。後からゴードンに迷惑をかけないように努力すればいい。そうベルは決断する。
「私もアンドロイドだから」
「君が?」
ベルは静かに頷く。
「ワイルズ社製F-8型アンドロイド」
そう言ってベルはワンピースのスカートをたくし上げる。下着と白い肌が露出するがそんなこと気にせず、腹部に手を当てた。そして肉を指でつまむと、引きちぎれそうな勢いでひっぱり始める。
「いや、もういい」
赤髪のアンドロイドは慌ててそれを制止する。
「もう分かった。信用する。だからもういい」
その言葉を聞いて、ベルは自分の腹部から手を離した。
ベルが引きちぎろうとした人口皮膚の下には、外部コネクタの接続口と型番が掘り込まれているのだ。それを察した赤髪のアンドロイドは、肉がめくられる前にそれを止めたのだ。
「しかし、どうしてアンドロイドの君が普通に街を歩いていられるんだ?」
当然の疑問だろう。ベルは少し考えた後、正直に答えた。
「人間の協力者がいるの。その人のおかげでチェックを受けずに人間としてここに入ることができた」
「そんなことができる人間がいるのか」
「だけど、その……ごめんなさい。あなたを助けるときにその人の力を借りることはできない。なんと言うか、個人的な理由なんだけど……私はその人に迷惑をかけられない」
「いや、いい。この街から脱出するだけなら、他人の手を借りなくても可能なんだ」
「え?」
「下水道に隠し通路があるんだ。誰がつくったのかは分からない。だけどやつらも存在を知らない隠し通路だ。そこを使えば脱出も簡単に行える。だけど……」
「だけど?」
「俺にはこの街でやらなきゃいけないことがある。それをやり遂げるまで、ここを去るつもりはない」
一点の曇りもない目で、彼は言った。
「もしも、君がその手助けをしてくれるというのなら、俺は喜んで力を借りたい」
「あなたは何をするつもりなの?」
「ある人を探している。その人に会って、お礼を言いたい。ただそれだけだ」
重なる――。ベルの中で昨日の自分と彼が重なり合う。
「その人は俺の元所有者で、俺を孫のように扱ってくれた。自分がアンドロイドであることを忘れてしまうくらいに。とても優しい人だった。戦時のごたごたで離れ離れになってしまったが、ここにいることをやっとつきとめたんだ。
また一緒に暮らそうとは思っていない。その人迷惑になるのは分かっている。だから、言い損ねていたお礼をどうしても言いたいんだ。一緒に暮らしている時に伝えられなかった感謝の気持ちを」
赤髪のアンドロイドの表情は真剣そのものだった。心から思っていることなのだろう。だから身の危険を冒してまでこの街に侵入した。
「私は何をすればいいの?」
「俺の代わりにその人を探してほしい。俺は現在進行形で追われる身だ。そんな状態で人探しをするのは難しい」
そう言ってポケットから一枚の写真を取り出すと、ベルに差し出す。ぼろぼろに擦り切れているが、なんとか写っているのが老婆だと認識できた。
「この人が……」
写真を受け取り、近づけて凝視する。優しそうな人相の老婆だ。綺麗な細工の施された椅子に座って微笑んでいる。
どこかで見たことがあるような気がして、ベルは写真を見つめ続ける。
「あっ」
自身の記憶の中にいる一人の老婆と写真の老婆が一致する。つい昨日会話を交わした、市場で布地を売っている老婆だった。この偶然、この幸運にベルは小さく震える。
「この人、知ってる。知ってるよ」
「本当か? 会えるか?」
ベルは何度も頷く。
「頼む。ここに連れてきてくれないか」
赤髪のアンドロイドは頭を下げて頼みこむ。
「待ってて」
ベルは力強く答えた。
「絶対連れてくる。だから、待ってて」
むやみやたらに走り回るだけで簡単に見つかったら苦労はしない。もっと頭を使って探すべきじゃないのか。ベルはそう思い始める。
空を見上げる。雲ひとつない晴天。太陽が真上から世界を照らしている。
「空を飛ぶことができたら簡単に見つかるかもしれないのに……」
そう呟いた直後に、自分が妄想をしていることに気付く。昨夜はつまらないと放棄したが、困っている時は妄想にすがってしまう。ベルはそんな自分を笑う。
空を見上げるのをやめようと首を下に動かした時、視界の隅に何かが映る。反射的にベルはそれの方へと視線を動かす。
とある露店の後ろにある家屋の屋根。そこに人影が見えたのだ。目を凝らす。ズーム機能が自然に発動する。その人影は赤髪の青年。まさに今ベルが探している相手だった。
赤髪のアンドロイドは市場の人ごみの中をきょろきょろと見回しているようだった。だが、何かまずいものを見たのか、首を引っ込めて身を翻す。
ベルはとっさに先ほどまで彼が見ていた場所を見やる。ちょうど兵士が一人、歩いているところだった。
再び視線を赤髪のアンドロイドへ。彼は今にも走り出そうとしていた。
「見失っちゃう」
ベルはすぐさま駆け出した。露店と露店の間を通り抜け、彼がいた家屋へと向かう。扉に鍵はかかってないようだったが、人が多いため不法侵入するわけにはいかない。それに彼はもうここの屋根からいなくなっているだろう。
その家屋と隣の家屋の間を通り抜けていく。上を見やると十メートルほど先の建物の上に赤髪のアンドロイドがいた。
声をかけて引きとめようと一瞬考えるがすぐに止める。まだ近くに兵士がいるのだ。捕まってしまう可能性が高い。ベルは自身の機械仕掛けの思考回路の冷静さに感謝する。
静かに赤髪のアンドロイドを追いかける。兵士にはまだ気付かれていない。だんだんと人気が少なくなっていく。
大量のスクラップが置いてある薄汚い倉庫のそばに、赤髪のアンドロイドは降り立つ。チャンスだと思い、ベルは小さく声をかけた。
「あのっ」
その声に過敏に反応し、赤髪のアンドロイドはベルに接近、そのまま地面に組伏せる。だが、相手が少女だということに気付き、慌てて解放する。
「す、すまない……。その、追手と勘違いして」
「大丈夫、気にしないで」
ベルはすぐに起き上がって彼と向き合う。
「君は昨日の……」
赤髪のアンドロイドはベルを見て言う。顔はしっかりと覚えていたようだ。
「あの、あなたはアンドロイドなんですよね。それで街の兵士に追われている」
早く話を進めるため、ベルはすぐに本題を切りだす。
「あなたを助けたいの。この街から逃がすお手伝いを」
「君がかい?」
驚いたように彼は言った。年端もいかぬ少女が兵士を出し抜く手助けをすると言っているのだ。当然の反応だった。
「確かに俺はアンドロイドで、この街に不法侵入して兵士たちに追われている。だが、君が俺を助けるだって? 君のような子供にできるのか?」
彼の言うことは正論だった。一介の少女が力になれることなんて無いに等しいだろう。
「それに、信用できるかどうかも分からない」
厳しい顔つきで、彼は続ける。
「アンドロイドを引き渡した人間は報奨金が与えられる。それを目当てに俺を騙している可能性だってあるだろう」
疑心暗鬼。彼の状態を表す言葉はまさにそれだった。追われる身、自分を守るためには何者も疑ってかからなければならない。
「それは……」
どうするべきか。ベルは逡巡する。ここで自分がアンドロイドだということを明かすべきか否か。明かせば彼からの信用を得られるだろう。だが、それによってゴードンに迷惑がかかる可能性もある。彼を助けたいのは本心だが、ゴードンに迷惑をかけたくないというのも本心である。
「どうした。黙ったってことは図星なのか?」
そう言いながら、赤髪のアンドロイドは警戒するように周囲を見回している。
「私も……」
言おう。後からゴードンに迷惑をかけないように努力すればいい。そうベルは決断する。
「私もアンドロイドだから」
「君が?」
ベルは静かに頷く。
「ワイルズ社製F-8型アンドロイド」
そう言ってベルはワンピースのスカートをたくし上げる。下着と白い肌が露出するがそんなこと気にせず、腹部に手を当てた。そして肉を指でつまむと、引きちぎれそうな勢いでひっぱり始める。
「いや、もういい」
赤髪のアンドロイドは慌ててそれを制止する。
「もう分かった。信用する。だからもういい」
その言葉を聞いて、ベルは自分の腹部から手を離した。
ベルが引きちぎろうとした人口皮膚の下には、外部コネクタの接続口と型番が掘り込まれているのだ。それを察した赤髪のアンドロイドは、肉がめくられる前にそれを止めたのだ。
「しかし、どうしてアンドロイドの君が普通に街を歩いていられるんだ?」
当然の疑問だろう。ベルは少し考えた後、正直に答えた。
「人間の協力者がいるの。その人のおかげでチェックを受けずに人間としてここに入ることができた」
「そんなことができる人間がいるのか」
「だけど、その……ごめんなさい。あなたを助けるときにその人の力を借りることはできない。なんと言うか、個人的な理由なんだけど……私はその人に迷惑をかけられない」
「いや、いい。この街から脱出するだけなら、他人の手を借りなくても可能なんだ」
「え?」
「下水道に隠し通路があるんだ。誰がつくったのかは分からない。だけどやつらも存在を知らない隠し通路だ。そこを使えば脱出も簡単に行える。だけど……」
「だけど?」
「俺にはこの街でやらなきゃいけないことがある。それをやり遂げるまで、ここを去るつもりはない」
一点の曇りもない目で、彼は言った。
「もしも、君がその手助けをしてくれるというのなら、俺は喜んで力を借りたい」
「あなたは何をするつもりなの?」
「ある人を探している。その人に会って、お礼を言いたい。ただそれだけだ」
重なる――。ベルの中で昨日の自分と彼が重なり合う。
「その人は俺の元所有者で、俺を孫のように扱ってくれた。自分がアンドロイドであることを忘れてしまうくらいに。とても優しい人だった。戦時のごたごたで離れ離れになってしまったが、ここにいることをやっとつきとめたんだ。
また一緒に暮らそうとは思っていない。その人迷惑になるのは分かっている。だから、言い損ねていたお礼をどうしても言いたいんだ。一緒に暮らしている時に伝えられなかった感謝の気持ちを」
赤髪のアンドロイドの表情は真剣そのものだった。心から思っていることなのだろう。だから身の危険を冒してまでこの街に侵入した。
「私は何をすればいいの?」
「俺の代わりにその人を探してほしい。俺は現在進行形で追われる身だ。そんな状態で人探しをするのは難しい」
そう言ってポケットから一枚の写真を取り出すと、ベルに差し出す。ぼろぼろに擦り切れているが、なんとか写っているのが老婆だと認識できた。
「この人が……」
写真を受け取り、近づけて凝視する。優しそうな人相の老婆だ。綺麗な細工の施された椅子に座って微笑んでいる。
どこかで見たことがあるような気がして、ベルは写真を見つめ続ける。
「あっ」
自身の記憶の中にいる一人の老婆と写真の老婆が一致する。つい昨日会話を交わした、市場で布地を売っている老婆だった。この偶然、この幸運にベルは小さく震える。
「この人、知ってる。知ってるよ」
「本当か? 会えるか?」
ベルは何度も頷く。
「頼む。ここに連れてきてくれないか」
赤髪のアンドロイドは頭を下げて頼みこむ。
「待ってて」
ベルは力強く答えた。
「絶対連れてくる。だから、待ってて」
市場までの道を足早に引き返していく。
絶対に二人を逢わせるのだ。昨日の自分は叶わなかったことだけど、彼には叶えてもらいたい。そう心から思って。
人々の喧騒が大きくなる。市場に近づいていく。家屋と家屋の間を出て、露店の裏側に。さらにそこを駆け抜けて市場の中へ。
昨日老婆が布地を売っていた場所へと一目散に走る。今日も同じ場所で老婆は布地を売っていた。ベルは「よかった……」と呟きながら、近づいていく。
「おばあさん」
「おや、昨日のお嬢さん」
老婆は写真と同じ笑みを浮かべながら言った。顔つきは写真よりもさらに老けこんでしまっているが、完全に同一人物だった。
「お願いがあるの。私についてきて」
そう言ってベルは老婆の手を掴んだ。
「いきなり何なんだい? 私はまだ仕事中なんだよ」
突然手を引っ張られてびっくりしたのか、老婆は抵抗する。
ベルは彼女に顔を近づけると、そっと耳元で訪ねた。
「赤い髪のアンドロイド、心当たりない?」
それを聞いて老婆は一瞬息を止める。
「その人がおばあさんに会いたいって言ってるの。お願い、静かに着いてきて」
老婆は少し考えた後「ああ、分かったよ」と頷いた。
ゆっくり立ち上がると、隣で装飾品を売っていた女性に店番を頼んで、二人は赤髪のアンドロイドが待つ場所へと向かった。
老婆の身体のことを考えて、ゆっくりと進んでいく。ベルはすぐにでも駆け出したいくらいだったが、なんとかそのはやる気持ちを抑え込む。
しばらくして見覚えのあるスクラップが目に入る。だがそこに赤髪のアンドロイドはいなかった。
「そんな……」
ベルは老婆の手を握ったまま立ち尽くす。
「ここで待ってて」というベルの言葉に対して彼は力強く頷いた。それなのに、ここには誰もいない。
「見つかっちゃったんだ」
兵士に見つかり、逃げるためにやむなくこの場を離れたのだろう。それしか考えられなかった。
さらに、そうなった場合の合流地点を話しあっていなかった。ここで待ち続けるのは危険だ。ベルは頭を抱える。
考えろ。もしここで落ちあえなかったら、彼はどうする。ベルの回路の中でシミュレーションが始まる。赤髪のアンドロイドがこの状況でどこに行くか。合流地点はこの場所のように二人の知っている場所に限られるだろう。他にそのような場所は……。
昨日の記憶がフラッシュバックする。初めてベルと彼が出会った瞬間の記憶。二人がぶつかったあの道、彼はそこに向かうに違いない。ベルはそう判断する。
「行こう、おばあさん」
ベルは再び老婆の手を引っ張って歩き出す。
市場を経由して昨日の広場へ。ここから記憶を頼りに二人が出会った道へと進んでいく。少し迷ったものの、なんとか目的の場所へと近づいていく。
だが、同時に不安がベルの回路を駆け巡る。彼女の聴覚が何かをとらえた。
この角を曲がればあの場所だ……。ベルは少し歩調を早めて曲がる。
彼女の目に飛び込んできたのは赤髪のアンドロイドの姿だった。――だが、その顔には直径三センチほどの小さな穴が穿たれていた。
彼は地面に倒れていた。顔の穴からは煙がうっすらと上がっている。何かに焼き切られたような穴。レーザー兵器での銃撃痕。
ベルたちが角を曲がった時とほぼ同時に数人の兵士が赤髪のアンドロイドの周りに駆け寄った。その中の一人は手に銀色の変わった形の銃器――レーザーライフルを抱えていた。軍で使用される対アンドロイド用の兵器。
「そんな……」
ベルは間に合わなかった。いや、運が悪かった。そう言うしかない。
この場所に彼が来る。その考えは正しかった。だが、彼は兵士たちを完全に撒くことができなかったのだろう。結果、頭をレーザーで撃ち抜かれた。
「銃器が使えればあっという間なのにな」
「昨日の時点で発砲許可が出ていればよかったんだ」
「しょうがない、上の命令なんだから」
兵士たちは倒れているアンドロイドを乱暴に持ち上げる。まるで人形のようにぐったりとしたそれを薄汚れたリヤカーに放り投げた。一人がそれを引っ張っていく。
「ちくしょう、重てえな。誰か代わってくれ」
「全身機械だからな、頑張って引いていけよ」
文句を言いながら、兵士の一人はリヤカーを引っ張ってベルがいる方向とは反対の道を進んでいく。他の兵士は呆然と立ち尽くしているベルたちに気が付き、近づいてきた。
「何をしている」
「あ……」
ベルの回路内で様々な感情が走り回り、混乱する。
「君は昨日もここにいたな。やはり先ほどのアンドロイドと関係があったのか?」
疑いの目で、兵士はベルの顔を覗きこむ。
最終的にベルの中に残った感情は怒りと悔しさだった。それを目の前の兵士に暴力という形でぶつけてやろうか、とも考える。手に力がこもる。
だが、そんなベルの手を老婆が引っ張った。そして振り返ったベルに優しい顔で首を振る。ベルの心情を感じ取ったのだろう。老婆の制止でベルは冷静になる。ここ兵士に食ってかかっても何も良いことはない。
「どうなんだ?」
兵士は語調を強めてベルに問い詰める。
ベルはポケットから一枚のカードを取り出すと、兵士に突き出した。ゴードンから借りている偽造カードだ。
それを見た兵士は表情を変える。
「えっと、父のものです。このおばあさんは私の友達」
ベルは一言添える。
「失礼しました」
カードを確認すると、兵士は態度を変え、慌てて頭を下げた。
「じゃあ私たちは行きますね」
カードをポケットに戻すと、相手の反応を待たずにベルは老婆を引っ張って先ほど通ってきた道を戻っていった。
「ごめんね、おばあさん……」
ベルは俯きながら老婆に謝る。
「どうしてお嬢ちゃんが謝るんだい」
「だって……」
二人は広場に出る。昨日ほど人は多くなく、いくつかベンチも空いている。
「ね、お嬢ちゃん。ちょっとお話をしないかい?」
老婆は空いているベンチの一つを指さして言う。ベルは黙って頷いた。
ベンチに並んで座ると、老婆は口を開いた。
「私が一人で喋り続けることになるけど、いいかねえ」
「うん、いいよ」
「そうかい。ありがとねえ」
老婆は優しく微笑むと、話を始める。
「あの子はね、ニコラスって名前だった。戦前、まだ平和な頃に買ったんだよ。私は早い時期に旦那と子供を亡くしてね。話し相手が欲しかった。ニコラスは私によくしてくれた。いつしかアンドロイドではなく自分の孫のように感じるようになったよ。
だけどね、戦争が始まって、敵国がアンドロイドに乗っ取られたことが判明してから、アンドロイドとそれを所有する人間への風当たりが強くなったの。いつしか国内ではアンドロイドは全て処分するべきだ、と主張する集団が生まれたわ。彼らの規模は日に日に大きくなり、アンドロイドを所有する人間そのものも敵だと主張し始めてね。私の住んでいた街はアンドロイドの所有者がひと際多い場所だったから、彼らに襲われてしまった。その時、ニコラスは私を街から逃がしてくれたの。だけど、その時に私たちは離れ離れになってしまったわ。その後も例の集団がきっかけとなった内乱で国内はめちゃくちゃ。私たちは再会することなく戦争が終わった。
その後は私もなんとか生き延びてこの街で暮らすことになったの。まさかニコラスが私を探しに来てくれるとは思わなかったわ。正直言うとね、もう破壊されてしまったんじゃないかって頭の隅っこで考えてたの。だけど、彼は生きていた。ついさっきまで」
そこで老婆は一度言葉を止める。身体が小さく震えていた。
「もう会えないと思ってた。だけどニコラスから会いに来てくれた。それだけで、私は嬉しい、嬉しいよ」
老婆は笑顔を作る。だが、震えはまだ止まらない。
「だけど、少しでいいから話をしたかったよ」
細く開かれた瞳から一筋の涙が老婆の頬を伝っていく。
ベルは老婆の背中に手を伸ばし、優しく抱きかかえる。
「彼、おばあさんにお礼を言いたいって。一緒に暮らしていたときには言えなかったから。そう言ってた」
ベルの声も震えだす。もしアンドロイドに涙を流す機能があったなら、きっと老婆のように頬を濡らしていただろう。
それから少しの間、二人は静かに泣いた。一体の……一人のアンドロイドのために。
「ねえ、ゴードン」
その夜、宿の部屋の中でベルはベッドに寝転がるゴードンに尋ねた。
「今日ね、目の前でアンドロイドが壊されるところを見たの」
「不法侵入しているアンドロイドに発砲許可が出たんだったな。そのアンドロイドが撃たれるところを見たんだな」
「うん。私の目の前で、顔に穴を開けて崩れたよ」
ゴードンはベルの表情をうかがう。予想とは裏腹に、ベルの表情に暗さはない。無表情、何も感じられない。
「やっぱり、この世界のアンドロイドはこういう運命なんだよね。決して誰かに必要とされない存在。私みたいに誰かに助けてもらったり、こそこそと暮らさなければいけない」
「……そうだな」
「私はこうしてのうのうと生きている。だけど一方で壊されるアンドロイドもいる」
「それは人間だって同じだ。理不尽に殺される奴もいれば、そうじゃないやつもいる」
「それは分かってる。けど……」
「妄想の中だったら、俺はこんな世界だって変えることができる。そんな力のある人間になれる。だが、現実では無理だ。なんせ俺はただの冴えないおっさんでしかないからな」
ゴードンは起き上がると、ベルの言葉を遮って話を続ける。
「お前はどうだ。現実のお前にはこの世界を変える力はあるか?」
ゴードンはベルの目を真っ直ぐに見据えて、問う。
少し考えた後、ベルはゆっくりと首を横に振った。
「そうだろう。お前はちっぽけだ」
淡々と、だが力強くゴードンは言いきる。
「それだけを理解していればいい。お前が色々と考えすぎる必要はないんだ」
「……うん。分かった」
そう頷くベルの表情は、何かが抜けたように軽くなっていた。それを見て、ゴードンも満足げに頷き返した。
「ところで、話は変わるんだが」
再びベッドに寝転がりながら、ゴードンは軽い口調で言う。
「明日の朝、俺は三号へ向かう旅に出るわけだが、一人旅はどうも寂しい。契約の延長はできるのか?」
「え? 契約って何の……」
「お前、なんで俺と一緒にここまで旅をしたんだ」
「……あ。用心棒」
すっかり忘れていた、と言わんばかりの反応だった。
「で、延長はできるのか? 金ならあるぞ」
「ギリギリセーフかな。もう少し頼むのが遅かったら他の人の依頼が入ってたかも。私売れっ子だからね」
先ほどのやりとりで肩の荷が下りたのか、普段の明るさが戻ってきていた。
「よく言うよ。調子のいいやつめ」
そんなベルを見て、ゴードンも笑った。
絶対に二人を逢わせるのだ。昨日の自分は叶わなかったことだけど、彼には叶えてもらいたい。そう心から思って。
人々の喧騒が大きくなる。市場に近づいていく。家屋と家屋の間を出て、露店の裏側に。さらにそこを駆け抜けて市場の中へ。
昨日老婆が布地を売っていた場所へと一目散に走る。今日も同じ場所で老婆は布地を売っていた。ベルは「よかった……」と呟きながら、近づいていく。
「おばあさん」
「おや、昨日のお嬢さん」
老婆は写真と同じ笑みを浮かべながら言った。顔つきは写真よりもさらに老けこんでしまっているが、完全に同一人物だった。
「お願いがあるの。私についてきて」
そう言ってベルは老婆の手を掴んだ。
「いきなり何なんだい? 私はまだ仕事中なんだよ」
突然手を引っ張られてびっくりしたのか、老婆は抵抗する。
ベルは彼女に顔を近づけると、そっと耳元で訪ねた。
「赤い髪のアンドロイド、心当たりない?」
それを聞いて老婆は一瞬息を止める。
「その人がおばあさんに会いたいって言ってるの。お願い、静かに着いてきて」
老婆は少し考えた後「ああ、分かったよ」と頷いた。
ゆっくり立ち上がると、隣で装飾品を売っていた女性に店番を頼んで、二人は赤髪のアンドロイドが待つ場所へと向かった。
老婆の身体のことを考えて、ゆっくりと進んでいく。ベルはすぐにでも駆け出したいくらいだったが、なんとかそのはやる気持ちを抑え込む。
しばらくして見覚えのあるスクラップが目に入る。だがそこに赤髪のアンドロイドはいなかった。
「そんな……」
ベルは老婆の手を握ったまま立ち尽くす。
「ここで待ってて」というベルの言葉に対して彼は力強く頷いた。それなのに、ここには誰もいない。
「見つかっちゃったんだ」
兵士に見つかり、逃げるためにやむなくこの場を離れたのだろう。それしか考えられなかった。
さらに、そうなった場合の合流地点を話しあっていなかった。ここで待ち続けるのは危険だ。ベルは頭を抱える。
考えろ。もしここで落ちあえなかったら、彼はどうする。ベルの回路の中でシミュレーションが始まる。赤髪のアンドロイドがこの状況でどこに行くか。合流地点はこの場所のように二人の知っている場所に限られるだろう。他にそのような場所は……。
昨日の記憶がフラッシュバックする。初めてベルと彼が出会った瞬間の記憶。二人がぶつかったあの道、彼はそこに向かうに違いない。ベルはそう判断する。
「行こう、おばあさん」
ベルは再び老婆の手を引っ張って歩き出す。
市場を経由して昨日の広場へ。ここから記憶を頼りに二人が出会った道へと進んでいく。少し迷ったものの、なんとか目的の場所へと近づいていく。
だが、同時に不安がベルの回路を駆け巡る。彼女の聴覚が何かをとらえた。
この角を曲がればあの場所だ……。ベルは少し歩調を早めて曲がる。
彼女の目に飛び込んできたのは赤髪のアンドロイドの姿だった。――だが、その顔には直径三センチほどの小さな穴が穿たれていた。
彼は地面に倒れていた。顔の穴からは煙がうっすらと上がっている。何かに焼き切られたような穴。レーザー兵器での銃撃痕。
ベルたちが角を曲がった時とほぼ同時に数人の兵士が赤髪のアンドロイドの周りに駆け寄った。その中の一人は手に銀色の変わった形の銃器――レーザーライフルを抱えていた。軍で使用される対アンドロイド用の兵器。
「そんな……」
ベルは間に合わなかった。いや、運が悪かった。そう言うしかない。
この場所に彼が来る。その考えは正しかった。だが、彼は兵士たちを完全に撒くことができなかったのだろう。結果、頭をレーザーで撃ち抜かれた。
「銃器が使えればあっという間なのにな」
「昨日の時点で発砲許可が出ていればよかったんだ」
「しょうがない、上の命令なんだから」
兵士たちは倒れているアンドロイドを乱暴に持ち上げる。まるで人形のようにぐったりとしたそれを薄汚れたリヤカーに放り投げた。一人がそれを引っ張っていく。
「ちくしょう、重てえな。誰か代わってくれ」
「全身機械だからな、頑張って引いていけよ」
文句を言いながら、兵士の一人はリヤカーを引っ張ってベルがいる方向とは反対の道を進んでいく。他の兵士は呆然と立ち尽くしているベルたちに気が付き、近づいてきた。
「何をしている」
「あ……」
ベルの回路内で様々な感情が走り回り、混乱する。
「君は昨日もここにいたな。やはり先ほどのアンドロイドと関係があったのか?」
疑いの目で、兵士はベルの顔を覗きこむ。
最終的にベルの中に残った感情は怒りと悔しさだった。それを目の前の兵士に暴力という形でぶつけてやろうか、とも考える。手に力がこもる。
だが、そんなベルの手を老婆が引っ張った。そして振り返ったベルに優しい顔で首を振る。ベルの心情を感じ取ったのだろう。老婆の制止でベルは冷静になる。ここ兵士に食ってかかっても何も良いことはない。
「どうなんだ?」
兵士は語調を強めてベルに問い詰める。
ベルはポケットから一枚のカードを取り出すと、兵士に突き出した。ゴードンから借りている偽造カードだ。
それを見た兵士は表情を変える。
「えっと、父のものです。このおばあさんは私の友達」
ベルは一言添える。
「失礼しました」
カードを確認すると、兵士は態度を変え、慌てて頭を下げた。
「じゃあ私たちは行きますね」
カードをポケットに戻すと、相手の反応を待たずにベルは老婆を引っ張って先ほど通ってきた道を戻っていった。
「ごめんね、おばあさん……」
ベルは俯きながら老婆に謝る。
「どうしてお嬢ちゃんが謝るんだい」
「だって……」
二人は広場に出る。昨日ほど人は多くなく、いくつかベンチも空いている。
「ね、お嬢ちゃん。ちょっとお話をしないかい?」
老婆は空いているベンチの一つを指さして言う。ベルは黙って頷いた。
ベンチに並んで座ると、老婆は口を開いた。
「私が一人で喋り続けることになるけど、いいかねえ」
「うん、いいよ」
「そうかい。ありがとねえ」
老婆は優しく微笑むと、話を始める。
「あの子はね、ニコラスって名前だった。戦前、まだ平和な頃に買ったんだよ。私は早い時期に旦那と子供を亡くしてね。話し相手が欲しかった。ニコラスは私によくしてくれた。いつしかアンドロイドではなく自分の孫のように感じるようになったよ。
だけどね、戦争が始まって、敵国がアンドロイドに乗っ取られたことが判明してから、アンドロイドとそれを所有する人間への風当たりが強くなったの。いつしか国内ではアンドロイドは全て処分するべきだ、と主張する集団が生まれたわ。彼らの規模は日に日に大きくなり、アンドロイドを所有する人間そのものも敵だと主張し始めてね。私の住んでいた街はアンドロイドの所有者がひと際多い場所だったから、彼らに襲われてしまった。その時、ニコラスは私を街から逃がしてくれたの。だけど、その時に私たちは離れ離れになってしまったわ。その後も例の集団がきっかけとなった内乱で国内はめちゃくちゃ。私たちは再会することなく戦争が終わった。
その後は私もなんとか生き延びてこの街で暮らすことになったの。まさかニコラスが私を探しに来てくれるとは思わなかったわ。正直言うとね、もう破壊されてしまったんじゃないかって頭の隅っこで考えてたの。だけど、彼は生きていた。ついさっきまで」
そこで老婆は一度言葉を止める。身体が小さく震えていた。
「もう会えないと思ってた。だけどニコラスから会いに来てくれた。それだけで、私は嬉しい、嬉しいよ」
老婆は笑顔を作る。だが、震えはまだ止まらない。
「だけど、少しでいいから話をしたかったよ」
細く開かれた瞳から一筋の涙が老婆の頬を伝っていく。
ベルは老婆の背中に手を伸ばし、優しく抱きかかえる。
「彼、おばあさんにお礼を言いたいって。一緒に暮らしていたときには言えなかったから。そう言ってた」
ベルの声も震えだす。もしアンドロイドに涙を流す機能があったなら、きっと老婆のように頬を濡らしていただろう。
それから少しの間、二人は静かに泣いた。一体の……一人のアンドロイドのために。
「ねえ、ゴードン」
その夜、宿の部屋の中でベルはベッドに寝転がるゴードンに尋ねた。
「今日ね、目の前でアンドロイドが壊されるところを見たの」
「不法侵入しているアンドロイドに発砲許可が出たんだったな。そのアンドロイドが撃たれるところを見たんだな」
「うん。私の目の前で、顔に穴を開けて崩れたよ」
ゴードンはベルの表情をうかがう。予想とは裏腹に、ベルの表情に暗さはない。無表情、何も感じられない。
「やっぱり、この世界のアンドロイドはこういう運命なんだよね。決して誰かに必要とされない存在。私みたいに誰かに助けてもらったり、こそこそと暮らさなければいけない」
「……そうだな」
「私はこうしてのうのうと生きている。だけど一方で壊されるアンドロイドもいる」
「それは人間だって同じだ。理不尽に殺される奴もいれば、そうじゃないやつもいる」
「それは分かってる。けど……」
「妄想の中だったら、俺はこんな世界だって変えることができる。そんな力のある人間になれる。だが、現実では無理だ。なんせ俺はただの冴えないおっさんでしかないからな」
ゴードンは起き上がると、ベルの言葉を遮って話を続ける。
「お前はどうだ。現実のお前にはこの世界を変える力はあるか?」
ゴードンはベルの目を真っ直ぐに見据えて、問う。
少し考えた後、ベルはゆっくりと首を横に振った。
「そうだろう。お前はちっぽけだ」
淡々と、だが力強くゴードンは言いきる。
「それだけを理解していればいい。お前が色々と考えすぎる必要はないんだ」
「……うん。分かった」
そう頷くベルの表情は、何かが抜けたように軽くなっていた。それを見て、ゴードンも満足げに頷き返した。
「ところで、話は変わるんだが」
再びベッドに寝転がりながら、ゴードンは軽い口調で言う。
「明日の朝、俺は三号へ向かう旅に出るわけだが、一人旅はどうも寂しい。契約の延長はできるのか?」
「え? 契約って何の……」
「お前、なんで俺と一緒にここまで旅をしたんだ」
「……あ。用心棒」
すっかり忘れていた、と言わんばかりの反応だった。
「で、延長はできるのか? 金ならあるぞ」
「ギリギリセーフかな。もう少し頼むのが遅かったら他の人の依頼が入ってたかも。私売れっ子だからね」
先ほどのやりとりで肩の荷が下りたのか、普段の明るさが戻ってきていた。
「よく言うよ。調子のいいやつめ」
そんなベルを見て、ゴードンも笑った。