Neetel Inside 文芸新都
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三十七パーセントの青春
二〇〇八年四月七日

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 箪笥の中の長袖をあまり取り出さなくなる頃に、それはやってくる。
 カレンダーの最後に引っ付いている薄い「1」の文字が、僕を睨んでいるようにも見える。こたつに突っ込んでぬくぬくと過ごしていた時間が、終わりを告げようとしている。こんな季節までこたつを出しているのはうちだけなんだろうけど。
 ここ何日……いや、二月に受験が終わってからはずっと一日中ゲームをして過ごしていた。受験前に買い貯めていたゲームを消化し続けていた。もちろんすぐに全部やり終えてしまって、だらだらと寝て過ぎる毎日ばかりだった。
 今日は四月七日。机の上に広がったままの資料には、明日が入学式だと記されている。
 楽しみなはずもなかった。唯一苦手なものが他人とのコミュニケーションである僕が、数百の赤の他人と強制的に出会うことになる入学式に出席するなんて、自ら公開処刑を所望するようなものだった。
 しかし出席しなければしないで後々もっと面倒なことになる。それを回避するにはやっぱり入学式に出て、無難に自己紹介を終えて、特に目立つこともなく、無事に三年に及ぶ高校生活を過ごすしかなかった。他に選択肢は残されていない。
 逃げ道なんて、最初からなかった。
 夕食のハンバーグを食べながら、一人。窓の向こうに浮かんでいる空は幻想的に朱く、千切れ雲が風に流され、肉眼でギリギリ分かる程度の速さで動いている。踏切を通る電車の音は遠い。点滅する街灯にはカラスが一羽とまっていて、こちらをじっと見据えていた。
 いつもと変わらない、午後八時の風景。
 他の家から流れてくる、幸せそうな会話とおいしそうな匂い。
 ある団地の三〇二号室にあるのは、高校生(仮)の独り言と固いハンバーグ。
 羨ましいと思ったことは一度もなかった。自分以外の人……他人と話しながらの食事なんて、考えられなかった。中学校はその所為で、身体に青痣はなかったけど卒業アルバムの寄せ書きもなかった。アドレス帳に載っているのは、違う地面に立っている父親の素っ気無いアドレスだけだった。
 でもそれで悲しんだことは一度もない。欲したこともない。一人の世界に慣れすぎた所為で、仮にそれが欲しくなって手に入れたとしても、居心地が悪くなり、吐き気がして、きっと捨ててしまう。それなら最初から持たなければいい。そういう信念が染み付いている。
 きっと鼻で笑う人もいるだろう。きっと同情してくれる人もいるだろう。
 だけど生憎僕は他人とは関わりを持っていない。故に、そんな声を聞くこともない。
 最後の一口を口に運ぶ。少し生焼けの合い挽き肉を嚥下して、僕は静かに片づけを始める。ブラウン管の中では芸人がくだらないことをひけらかして笑いを誘っている。
 それが面白いのかは分からない。周りの人は猿のように笑って手を叩いているから面白いのだろうけど、僕は一ミリたりとも口角を上げることはなかった。そういえば笑うなんてこともしばらくご無沙汰だった。
 僕は昔からこんな性情であったわけではない。話すとなれば、また時間がかかる。
 溜まっていた洗物を片付け終えると、僕は窓を開けてベランダに出る。そして置いてある古ぼけた椅子に座ると、夜空を見上げる。昔から続けている習慣の一つだ。こうしている間だけは、何もかもがどうでも良く思えてくる。目の前の柵を越えて飛び降りようかと思ったことも少なくない。今日は若干曇ってはいたけど、それでも星は瞬いていた。
 この空が朝日に染められる頃、僕はまた新たな一歩を踏み出さなければいけなくなる。そのことを考えるだけでも、いろんな感情の混じった溜め息が口から漏れた。
 肘掛に置いた腕で頬杖をついた、その時。
 墨を流し込んだような真っ黒の空に、一閃の光が走った。
「…………流れ星?」
 ほんの一瞬だったけど、夜空に星のきらめきが流れた。こんな時期に流星群以外で流れ星を見るなんて、珍しいことだ。もしかしたら今ので今年の運全てを使い切ったかもしれない。
「何か面白いことでもあればいいんだけどな…………」
 僕を楽しませてくれるエンターテインメントがあるとは思えなかったけど、希望的観測を込めて呟いた。
 視線を落とすと、僕は椅子から立ち上がって部屋の中へと戻る。
 そして数分後に、灯かりは落とされる。





 物語は静かに、鼓動を始める。







 一章  New spring regains me old light



       

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