Neetel Inside 文芸新都
表紙

小説で容量の上限を目指すアンソロジー
途中で飽きた物語

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俺は餓えていた。



誇張や比喩、ましてや冗談などではなく真剣に誠心誠意餓えていた。
三日、水以外のものを口にしていない。
空腹は耐えがたく、今なら例え給食の残飯でも豚と一緒に貪れそうだった。
いや、それはちょっと無理か。
とにかくこの飽食の時代、本来ならば親権者からの厚い擁護を受けて三食が欠けることなく享受されるのが当然という流れのなかでの飢餓は相当に辛い。
つーか、死ぬ。
皮膚病に冒された野良犬のような視線で周囲を見回せば、談笑するクラスメイト達の血色の良い顔。

温度差がある。

空腹と満腹だけの格差ではない、最早目に見える段階にまで達するその温度差は、差別。
俺はこの2年B組の中でただ一人の最下等民族としての謗りを受け、最も顕著な例としての存在無視という結論。
つまりこの2年B組俺を除いた39名の飽食の方々は、説明するに憚られる事情から俺という一人を爪弾きにしようと一致団結してあらせられるという次第である。
当初(高校入学時を示すものではない。このような待遇は学校教育を始めた当初から継続されている)こそ精神的ダメージは相当のものであったが、今現在の心境としてはそんな瑣末事よりも空腹のほうが耐え難い。
精神は壊れても肉体は生きるが、肉体が壊れるともれなく精神もご逝去と相成ってしまう。
故に、やっぱり人間が一番恐れるのはこういうフィジカルなペインだったりする。
そう、空腹は痛みだ。
胃とかも普通に痛くなるが、それ以上に体中が悲鳴を上げる。
今はまだ良いが、俺の生涯最長断食期間を更新した三月前なんてジョーク抜きで昇天しかけた。
故に、いま俺にもっとも必要なものは食料であり、友情だとか愛情だとかは食えるようになってから出直して来いという次第。
というか食えるようになって下さいという次第。
ああ、なんか駄目だ、机が食える確信を持ちそうになる弱い心を叱咤する。
ソレは木だ!
人間は雑食なんだぜ?
木だ!
じゃあ草にすっか?
草だ!
いいじゃないか。
そうだ!
「草だ!」
違う・・・。
思考経路は支離滅裂を極め、縦横無尽に疾走し狂った方向性へいざなう。
「なにいきなり叫んでんの・・?」
と、俺という強制的透明人間が大声を(それも意味不明)出力したという事実に不快感を隠しきれぬクラスメイト数名が蛇蝎を見るが如き視線を向けつつ侮蔑を吐く。
当事者としては溜まったものではないがこの際もうどうでもいいというのは先ほど説明したので割愛する。
「はあー」
ため息。
立ち上がり、人の合間を縫うようにして教室をでる。
恐らくは様々の悪念がこの背中に集中砲火を浴びせかけているのであろうが、なに、機微を解さぬ無粋な心というのはこういうものに対して大いに防具となりえる。
まったく気にすることなく教室を後にした。
「豚が___!」
豚とか言われてる!?
ちょっと傷ついた。






俺こと桜井友二は貧乏だ。
故に餓えている。
非常に分かりやすい構図。
しかしこの経済大国において、その日の食料にも困るような現役高校生という存在は非常にレアケースであり、まずもって異端と言って良い。
そもそも、この国の憲法によれば俺という人間が有している人権には文化的な生活を送る権利があるそうなのだ。
法の保護だって受けられる。
なのにこの体たらく。
無論、しかるべき理由があるが故の現在。
不満もあるし不都合も多いが、それでも貫き通さねばならぬ不器用がより勝る。
が、それは割愛する。
とにかく現状、俺は餓えている。
この一言に尽きる。
施しならば甘んじて受けよう、慈愛の手など有り難過ぎて涙が出る。
つーかダレカタスケテ。
そういう訳で、この窮地を脱するべく、教室を出た俺の足は自然と『桜井友二に文明的食生活を送らせる会(非営利的奉仕団体:非常に恣意的な通称としてSBSと呼ばれる 「S」akuraiyuujini「B」unmeiteki「S」hokuseikatuwookuraserukai)の会長閣下が在籍ましますクラスへと向いた。
階段を烈火の如く上る。
三年のクラスが一階、二年のクラスが二階、一年のクラスが三階にあるこの校舎において、上昇を強要するともなれば相手の年齢も知れるというもの。
一年の区画へとたどり着いた。
迷うことなく一年C組の扉を開ける。
そして開口一番こう言い放った。
「ヘルプミー」
小声である。
如何に筆舌に尽くしがたい空腹に見舞われている渦中といえ、人間としての理性を有する限りは付きまとう、羞恥。
それが俺の声帯の動きを抑制させるのだ。
しかし先天的サド性癖を持余すならばいざ知らず、持ちきれなくてヘドロの如く垂れ流す我らが会長閣下にとっては俺のこの羞恥という感情こそが唯一無二の娯楽であり、故に当然の結論としてこの程度の恥辱に溺れた程度で彼女の捻じ曲がって金属疲労を来たした末に打ち切れた鉄棒の断面を思わせる性根の、鋭利な切っ先が許すわけも無く。
それは、更に俺を千尋の谷へ突き落とそうとせっつくのである。
「へ、へるぷ・・・へるぷ・・ぎぶ、ぎぶみ、びぐ・・うう・・」
男泣きに泣く。
心優しき一年坊達が俺に生暖かい視線をくれるなか、大いに己が性癖を満足させた姫君が進み出た。
「先輩?どうしたんですか?どこか痛いんですか?保健室行きましょう?」
やたらとクエッションマークを駆使しつつ、本来初心であるべき一年坊が俺の手を取って問答無用で歩き出す。
この一年坊こそが我らが会長閣下、幾島美月殿であらせられる。
「この犬がまた集りに来たか」
とか俺にしか聞こえない小声で言いつつ顔は可憐な笑顔なんだ。
「今日はどうした?飯が欲しくて来たのか私の罵倒が欲しくて来たのか、その踏まれた野糞みたいな表情だけじゃ判断できねーよ」
「お腹が空きました・・」
ああ、だからこいつに頼むのは嫌なんだがそうするとあの悪夢の三月前なんだよな。
「ああそうだったのか、だったら最初からそういえよ相変わらず気の回らない。そうやってお前はこれからも私の手を煩わすのか?勘弁してくれよ、そろそろもう大人の会話の機微が分かっても良い年頃でちゅよねぇ?」
「面目ないです・・」
「面目も糞もねーよその豚の尻に似た顔じゃあなあ!」
この子の両親はいったいどんな育て方をしたのだろう?時々真剣に疑問に思う。
「ご飯下さい・・・」
しおしおと頼み込む。俺という人間は生きて屍となったのだ。
「ああ呉れてやるよありがたく思うんだな。この平成の御世に、貴様のような下賎に施しを与える私に最大限の感謝を注げ」
「はいアリガトウゴザイマス」
あれよあれよという間に体育館裏へ到着する。
いじめの定番スポットたるこのフィールドにおいて、これより始まるのはいじめなどという生易しい表現ではとても足りないような人間否定の極地である。
幾島美月殿が常時携帯している餌袋(文学的比喩などではない。その証拠に、粗末な巾着袋にはデカデカと餌袋という刺繍が施されている)を取り出す。
「さて、これが欲しいか?」
ひくり、と美月の頬が愉悦に歪む。
彼女の十八歳未満閲覧禁止的妄想物語の中で、俺という人間は既に畜生の体たらくへと貶められているのだろう。そしてそれは、これより現実となる。
「はい欲しいです」
彼女が袋から取り出したのは比較的有名なメーカーのチョコレート菓子である。
ああ、唾液と水以外の味を忘れかけたこの舌を、あの固体で満たしたい・・。
俺の言葉に、至極自然な動作でポイ、と地面に菓子を放る。
脊髄反射と見紛うばかりの超反応を駆使し、地面へ向けて垂直運動をする菓子へ飛びつく。
ガシ、とナイスキャッチ。
かくして菓子は俺の腹の中へめでたしめでたしとはいかない。
彼女の情け容赦のない蹴りが見事チョコを掴んだ俺の右腕を直撃し、ああ、と思う間もなく大地へ散る、菓子と俺。
「な、なんてことをー!」
棒読み口調で驚きつつも落ちた菓子を拾って食べた。
うんまい!
「おいおいこの犬は、本当に犬だったのか。落ちたもんを平気で食うなんざ正気と思えない」
俺からしてみれば食い物に粗末な扱いをする彼女の正気を疑いたい気分だ。
「でもまあ、犬ならわざわざ手渡す必要はないな。今から私の足に菓子を乗せるからそれを口で食え」
はいやっぱり正気じゃありませんこの人狂ってます。
「うう、チョコおいしいよぅ」
でもあんまりにも口腔を満たすカカオの味が愛しくて、嚥下したならば餓えた胃をまろやかに包んでくれていそうで。
「もぅひとつ下さい」
頭を下げるのだった。
「ホラ、早く食えよ」
ほい、と足を出す。
見事な脚線を描くその先に、ポツンと置かれる御菓子様。
「汚らしいくらいに物欲しそうな目だな。おいあんまり見るなよ、そんな視線を浴びせられると私の足が汚れるだろ?」
「スイマセンゴメンナサイ」
謝りつつ口を足先へ。
チョコを食う。
瞬間、雷に打たれたかのように会長閣下が身震いし哄笑を上げた。。
「ひゃはははは!本当に食ったよおいおいおいおい!テメエ本当に人間か?まじで疑わしく思えるんだよな最近!食い意地が張ってるってレベルじゃないぜ?プライドとかないのかよ糞並みだなひゃはは!」
マコト口汚い。
ああ、この子の将来が不安です。今すぐ黄色い救急車に拘束させて鉄格子の嵌った窓のあるお部屋に隔離するべきです。
「じゃあこれも食うか?ペッ!」
と彼女が吐き出したのはガム。
勿論口からです。
「いらない」
だってガムじゃお腹膨れないもん。
「ああ!?テメエ犬の分際で好き嫌い抜かすのかどこのお犬様だよこの野良犬風情が!!」
俺の単純かつ明快な反応に対し、彼女は烈火と化した。
何故?
あと僕人間です。
「そっちがそういう態度に出るなら、もういい。今日の餌やりの時間は終わりだ目出度し目出度し」
全然目出度くない顔で纏めようとする彼女を見ていたらお腹が鳴った。
空腹には勝てません。
彼女の吐き出したガムを仕方無しに食べる。
飲み込む。これで少しは空腹の容積が減少したと信じたい、あと良い子の皆、ガムは噛んだら屑篭にね!
「ひひっ!」
そんな俺を見て、もう狂った、としか言いようの無い表情で笑う美月殿。
本当にこの人駄目だなあ。
「食ったよ食った。それゴミだぜ?人間どころか犬も食わねえような代物を、私の命令一つで食うのかとんだ忠犬だなあひゃはははは・・は?」
彼女の愉悦は続かなかった。
何故ならばそこにヒーローが現れたからだ!
颯爽と、それはもう特撮ものの勢いで。
「・・・タヌキか」
美月がタヌキと呼んだ人物は、その言葉に些かも反応を示さず地面へ両膝を突く俺を大いに蹴り飛ばした。
垣間見える美貌。
ああ、なんて容赦のない見事なキック。
腹というか内蔵が痛いです。
「グエ」
つぶれた蛙みたいな声と姿勢で地べたを転がる。
「ぐ・・・おお・・痛いよ芹・・」
突如現れたヒーローの名は佐々野芹。
十人が十人振り向く美貌を持った高校二年生にしてSBS副会長である。
「・・・幾島・・・お前ちょっと消えてろ」
ドスの聞いた声で恫喝するのが妙に様になる。
「消えていろ?あらまあそんな不遜な言葉を吐くのはどこのどなたかしら?もしかしてわたくしの想像が間違っていないのなら小学校三年生のときに便所で小便漏らして大泣きしていた佐々野芹ちゃん?あらあうふふ、残念あと一メートルでアナタにお似合いの便器だったのにねえ!」
人様の古傷をアイスピックで抉りまくるのは美月のお家芸だ。
「・・・・・・・・」
対する芹は無言。
こんなもの構うものかとそ知らぬ振りで、地面の俺へ軽蔑のまなざしを向ける。
「また飯集ってたのか」
「えっと、はい」
殴られる。
彼女の主要言語は万国共通のボディランゲージだった。
「・・・・」
そして痛みに喘ぐ俺へ無造作に放られる四角体。
危なげなくキャッチすると、スヌーピーの絵柄が暢気そうに笑っていた。
弁当箱である。
「こ、これはこれはいつも痛み入ります、へへー」
平伏する、殴られる。
酷い・・・。
「ちょっと、人様の飼い犬に餌付けするなと何度忠告すれば理解してくださるのかしらその軽量級チャンピオンのミニマムブレイン様は?」
「・・・・」
ギロリ、とあたかもそのものが凶器のような眼光を光らせる芹。
「あらあうふふ。もしかして、わたくしの警告も覚えられない劣化脳みそではいまの言葉も理解困難でした?それは申し訳のないことをしました。じゃあ再度分かり易く、サルでも分かるように言い直します死ねこの豚」
そこで芹が切れた。振り上げられる右手。
「_________!!」
驚愕に歪む美月。
短気に駆られる芹。
しかし、静止の声が届かなかったことは、一度も無い。
「喧嘩は御法度」
呟くとそれで事足りた。
「だってこのタヌキが!」
「だってこのチビが!」
届く二つの抗議に、咀嚼で答える。
「うまいなこの弁当」
そう、俺のこの両手は誰よりもすばやく弁当の包装という名のくびきを解き放ち、神速の領域で空腹感を解消していたのだ!
「ちょっと!やめてよそんな残飯!」
という聞く者が耳を疑うような言葉と共に、最初から出して欲しかった弁当箱が差し出される。
「ソレは鳥小屋の中にでも放ってきて、これを食べなさい」
差し出されるそれをうやうやしく受け取り芹の弁当と平行して食べる。
「捨てろといっている!」
「・・・・」
「いいじゃん腹減ってるんだから」
「するとその佐々野芹とかという名前の小学校四年生のときに全校集会中、こともあろうに小便を漏らした小便女の作ってきたのかも怪しいような残飯弁当は残飯であるということに異論はないということですね?言質はとったからなおい聞いたか佐々野芹!」
「_____」
染み込む圧力。
「んな訳ないだろ。旨いよ、芹」
途端解消される圧力。
「旨い?それが?残飯が?どういう舌してんの?ねえ?馬鹿じゃない?アンタも馬鹿だけど負けず劣らず舌も馬鹿だね?っていうか死ねば?」
「こっちも旨いよ、美月」
「当たり前だ!誰が貴様の如き下賎に評価を求めた!?冗談じゃない、私の持ってきた弁当がそこの中学校一年生のときに寝小便を垂らして情けなく泣いた佐々野芹に劣る道理がないことくらい、犬脳みそでも分かるだろうそうだろう!」
「両方おいしいの!」
「・・・・・てめえ何様だ?」
美月が切れた。
しかしそこに芹が割ってはいる。
「私、毎日アンタの作って持ってきてるから、来るといい。こんなヤツの、いうこと聞くこと、ない」
舌足らずにうれしいことを言ってくれる。
これで手さえ早くなかったらなあ。
「冗談じゃない!私だって毎日餌袋に餌積めてんだ!」
それに負けじと美月が噛み付く。
これで口さえ悪くなかったらなあ。
今にも噛み付きそうな二人を必死でなだめつつ、それと平行して一生懸命弁当を口に運ぶ。
こういう騒ぎになると、食いっぱぐれる可能性大だからだ。
「わかった、じゃあ明日から二つとも食べぐへっ」
語尾が変になったのは、俺の発声器官に欠陥があるとかじゃなくて、単純に芹に殴られたから。
「痛いから本当に痛いんだからね?」
幾分真剣味の強い顔で訴えるが芹は無言。
「・・・・・・・・不愉快だ。お前なんて死んじまえよ野良犬。あとタヌキ」
美月もぷりぷりして帰ってしまう。
「ちょっと?美月?あ、あ、芹まで。どこいくのさ」
一瞥もよこすことなく芹もこの場を去った。
「ふーん」
幸運にも残った弁当二つを抱えつつ、後味の悪さを噛み締めた。
がしかしそんなものをいつまでも噛み締めていても腹などふくれないという結論に至り、そそくさと昼食を再開するのであった。





-県立八坂高等学校特別授業課題 私の経験したいじめ 生徒内ディスカッションにおける発言-

そいつの第一印象は汚ないだった。
続く第二印象も第三印象も汚いで統一され、本当はこれ以上見たくも無かった。
が、しかし同じクラスという環境にいれば、嫌でも目に入るし、時には会話をしなくてはならない事態に発展してしまう。
私はそれを嫌った。
そして、クラスの殆どの生徒が私と同じ意見だった。
結果、かかる精神的負担を軽減すべくそいつを除いたクラスが一丸となって臨んだのが、集団無視という行動だった。
かねてよりいじめ問題が沸騰し世間を騒がしていたために、過剰な反応を示せば神経質になった教師に釘を刺されるのは目に見えていたからだ。
私だっていじめが悪いだなんてことは承知していたが、その程度の道徳感でその時の嫌悪を帳消しに出来るとはとても思えず、割と積極的?に無視をしていた。
しかし私達にそこまで毛嫌いされているのにも関わらず、そいつは大して堪えた風もなく毎日登校してきた。
一見して平穏な日々は、二ヶ月ほど続いた。
ある日、誰かがそいつの給食をひっくり返したことで、その平穏は破られることとなる。
陰気で根暗なそいつは、肝が太いのか世間に淡白なのか、多少の嫌がらせを受けても柳に風と受け流すようなやつだったのだが、そのときばかりは烈火の如く怒り猛った。
ひっくり返した者も含めて数名の男子生徒へ暴行を加え、彼らの給食を煽るように食し、そのまま嵐のように下校してしまったのだ。
問題になった。
悪いのはそいつ、という認識で話は進められ、校長以下数名に叱責を受けてさすがのヤツも項垂れていた。
皆、胸のすくような思いになった。
結果、集団無視という比較的穏やかな加害は明らかな加害へと変貌し、露骨ないじめが始まった。
庇うものなど一人もおらず、教師も彼を問題児と認識したのか関わることを嫌っていた為に、多少の羽目を外しても露見されることはなかった。
そいつは貝のように口を閉ざし、亀のように身を屈めながら、それでも毎日登校してきた。
何故だろう、と不思議に思う。
前回のクラスにおいてもいじめはあったが、そのとき標的にされたやつはすぐに登校拒否になった。
そして親から糾弾された学校側が問題の解決にあたり、しかし結果としてはそいつの転校という形で決着がついた。
しかし、ヤツは違う。
まずいつまで経っても親の干渉がない。
黙っているのだろう。
いじめは既に相当の段階にまでエスカレートしている。
ここまでされて黙っているというのもたいしたものだ。
大したものだが、こちらとしては拳の仕舞い時の見当を失ってしまったため、歯がゆく感じている者もいる。
教師からの干渉も無い。
学校側としては問題の勃発よりはその露見を恐れているらしく、一度問題児認定されてしまった彼に対しては積極的に関わろうとしない。
後で知ったことだが、そいつの家は問題持ちで、そこも含めての不干渉だったといえる。
クラスの誰もが、彼を嫌い疎ましく思い、しかし心のどこかではこれ以上問題が大きくなることを恐れていた。
しかし誰もが制止の声を上げる事ができない。
いじめの凄惨さを加害者という立場で見てしまった以上、もしも自分が被害者側に回ってしまったらと思えば制止などかけられるわけもなかった。
このいじめは、時の流れとともに総意となってしまったのだ。
たとえ声を上げたとして、はじめの一声は例外なく一人の口である。
一人で総意に立ち向かおうという酔狂なものなど、一人もいなかった。
故にそいつは殴られ罵倒され唾棄され軽蔑された。
なのに毎日、登校してきた。
呆れるほどの辛抱強さといっていい。
この時分、私はやつを気味の悪い長虫を見るような目で見ていた。
そして数ヶ月のときは流れ、進級に伴うクラス替えと共に私とそいつの関係は終わった。
最後まで、加害者と被害者という関係だった。
そいつ・・・桜井友二は、いまなにをしているのだろうか?



桜井友二は貧窮していた。
なぜならば、今月の食費が尽きたからだ。
「ガーン」
口に出して衝撃を表現するがなんの解決にも寄与しない。
「やばいなあ。次の給料日まであと五日・・・また水だけなのかなあ」
罵倒されるか殴られるかすれば、昼飯にはありつけそうなんだが・・。
「あーあ」
嘆息、空を見上げる。
腹は膨れないし、懐も暖まらないけれども嫌いな行為じゃない。
なんでもかんでもの行動原理が金銭的なもの食料的なものにばかり根ざすと、きっと碌な大人になれないと思う。
「金、金、金か・・」
そんなに金ばっかり言ってると金になっちゃうぞ。
・・・それもいいかなあ。
くい、と服が引かれた。
処は校門前、下校途中の生徒が雪崩と押し寄せてくる中での立ち止まりは迷惑以外の何物でもない。
「おっと、すいませ・・・パセリか」
殴られる。
「訂正、芹か」
人いきれの中で俺の服を引くのはSBS副会長であらせらあれる佐々野芹殿だった。
「ちょっと外れよう」
さすがにこの人の濁流のなかで落ち着いて話すことなど出来まい。
コクリと頷いてついてくる。
雰囲気的には年下で背も低くてどっちかっていうと可愛い系の芹である、当然俺の後ろをトコトコとついてくる。
しかしそれは雰囲気だけで、年は同年、身長など俺と殆ど変わらず、顔もシャープな美人系なので傍目から見れば前を歩く俺と後ろを歩く美人、といった風に切り離されて見られてしまう。
だから俺と歩いていても良くナンパされるんだよなあ。
どうでもいいけど。
そして校庭の端までくると立ち止まった。
向き合うと、芹がキョロキョロしながらそれでも目を合わせてきた。
「ゆーじ」
明らかにわざとっぽい舌足らずな声は、彼女の外見と中身が釣り合っていないからそう見えるだけだという事実に誰も気づかない。
「ごめん」
謝られる。
「いいよ」
なんで謝られるのか分からないが、とりあえず許す。
「・・・・・あっと、明日、もってくから」
「え、なに?」
「お弁当」
じっ、と上目使い(しかし身長はあまり変わらないので、どちらかというとこう、メンチ切られてる感じがする)で俺を見つめる。
「ああ、弁当」
合点する。
昼のことを謝っているらしい。
「弁当ね、そういやこれ返してなかった。はい」
弁当箱を差し出した。
「あ・・・うん。足りた?」
「そりゃあ二つも食えばね」
ハハハ、と久方ぶりの満腹感に満足しつついい笑顔。
殴られた。
「あのね、芹ね、あのね」
頬を押さえながら、子供のように加減を知らぬ芹を諭そうとするが、羞恥に顔を染めた彼女は、ちょっとでも責めれば今にも逃げ出してしまうだろう。
まこと、彼女と正常な人間関係を続けるのは難しい。
「・・・明日、弁当作ってくれるの?」
出来るだけ悪意のない笑顔で問いかける。
「・・・・・ん、うん」
「そう、ありがとう」
礼を言う。
すると芹は逃げ出した。
「・・・・・・・・・・うーん」
彼女は不思議だなあ。
時には好ましいこともあるが、日々謂れのない暴力に晒され続ける身としては、早急に人間らしい常識を身に着けてほしい。
「人間らしい、か」
一人ごちて含み笑い。
貧しくても悦に入ることだってある。
いまがその時か。
俺の唯一の財産は思い出で、それがそうさせるのだ。
そう、かの佐々野芹は、かつて人間ではなかった。



人間ではない、という言い方には語弊がある。
彼女が学名ホモサピエンスであることに間違いはなく、また日本国民としての国籍も戸籍も有している。
ただ、扱いが雑に過ぎた。
俗に言われるところの虐待なる行為を両親から受け続けた彼女は、あたかも自身は犬馬の類であるかのごとく認識していたフシがあった。
俺達がまだ小学生だった頃の話だ。
性別も違えば学年も違う俺と彼女の最初の会話が以下。
「早く人間になりたい」
「べ○かよ」
嘘である。
「芹も、あの頃に比べれば笑うようになったもんな」
感慨深く、頷く。
かつての彼女は透明人間だった。
いるもいないも関係なし、その存在に何一つの価値も認められずにただ肉体を維持出来る最低限の熱量を摂取し消費していただけ。
佐々野芹は、人ではなく物だった。
初めて彼女と出会ったのが体育館裏。
俺が俺の同級生にいじめられ、芹が芹の同級生にいじめられているところでばったり遭遇するという中々にスリリングな出会いだった。
互い、被害者の身の上ながらその心の底辺には相違があった。
ある程度の諦観はあるとはいえ、それでも捨てきれない尊厳を持余しながらいじめられる俺と・・・あたかも、すべてを諦めてしまえたかのような、芹の達観し切った表情。
否、あれは達観などではなく不感。
感受性を放棄してしまった物の顔。
それが、芹だった。
具合の悪い場面を見られてしまった、と互いに頬を掻き合いながら三々五々と散るいじめっ子達の中、その標的たる二人だけは一定の距離を保ちながら見詰め合っていた。
見詰め合う、とは違うかもしれぬ。
俺は芹を見ていたが、芹の視線は俺を見てはいなかった。
人物として人を見るのと、景色として人を見るのとでは大きな違いがあるからだ。
芹は、後者の心持で俺を見ていた。
仮定、俺がその場に居なかったとしても芹は同じ姿勢、同じ角度で視線を一定させていただろうと窺わせる程に、無機質なものだった。
生来、このように失礼な視線を感じたことはなかった。
なにせ、物、として見られているのである。
先ほどまで散々に俺や芹を嬲っていたいじめっ子達ですら俺を人間であると認めた上でその愚行に及んでいたというのに。
その消極的な視線は、俺をいらだたせた。
「・・・・・」
「・・・・」
しかしそこは同じ身の上、弱いものいじめがいかに愚かしいかなど、身をもって知っている。
だからなにをするまでもなく立ち上がり、煮えきらぬ感情を飲み下して立ち去ろうと決意した。
矢先、俺の腹が鳴った。
俺の餓えとの壮絶な戦いは年季が入っている。
その時、秋の紅葉のように小さい手が俺にチョコレートを渡したのだ。
・・・・・。
「あれ、美化されてるなこれ」
回想を中断し脳内のチューニングを微調整する。
「ああやっぱり。そうだよここで殴らなきゃ芹じゃないって」
再度回想。
俺の腹が鳴った場面。
少年は、餓えている。
故に少しでも食料の気配を感じれば敏感に察知し、物乞いと遜色のない視線を向けつつも己には過ぎたものだと諦め水で胃を誤魔化してきた。
しかしその荒行もすでに二日目、幼い身には酷だった。
無論給食という名の、俺にとっては唯一食料が供給される場面もあることにはあるのだが、諸般の事情により最近はそれすらも満足に口にしていない。
だから、目の前に佇むその下級生が手に持っているものに心底惹かれた。
もはや、恋焦がれるような心地といってよい。
「お・・・お前、その手にあるのはおチョコ様・・・!」
菓子類を崇拝している辺りでもう俺の人間性は根底から駄目なのだろうが、死活問題の入り混じった微妙な境界線上に位置しているだけにおいそれと考察の手を伸べることはしない。
下手な結論に行き着いたら、小学生程度の精神防壁では防御不能の事態に陥る恐れがあると本能的に察していたのだ。
要は苦労人。
とにかくこのとき、如何なる偶然なのか、佐々野芹の手にはこれ見よがしにチョコレート菓子が握られていたのだ。
随分あとになってから、どうしてチョコを持っていたのか聞いたことがある。
なにせこのときの芹には嗜好品を楽しむ余裕など皆無であり、チョコレートなどという物品を携行する理由が思いつかなかったからだ。
それにそもそも学校に御菓子を持ってきちゃいけません。
すると芹は照れくさそうに、朝母親がくれたから、と答えていたっけ。
彼女に虐待を施していた者は、同じ手で時に愛情も注いでいた。
良くありがちな話だ。
ただ、その格差が極端であるというだけ。
まあ、それほど子供にとって迷惑な話もないか。
とにかく、芹は時々優しくなる母親から貰った菓子を、磨耗した心なりにうれしく思い、ただ握り締めて・・・包装の中でチョコが溶けようが構いもせずに握り続けていたんだった。
食べる、という意識は働かなかったのだろう。
もう、そういう部分は壊れて消えていたのだと思う。
人間にとっての最後の砦とも言える感情・本能だけが大部分を占める彼女の行動理論は、そのチョコレートという物体を母親の愛情という本来不可視であるべき事象へ置き換えて、自身の感情に従い、それを大切に、放さぬよう握り締めていた。
そういう次第と思われる。
なんとも健気ではないか。
なんとも可憐ではないか。
しかし当時の俺はただの餓鬼、それも餓えた餓鬼。
一目散に飛び付いた。
そして己が何をされているのか理解せぬ白痴の表情を崩しもしない芹の体を押し倒し、たおやかな黒髪は砂まみれ、でも小さな手だけは閉じられたままで。
食らいついた。
貪った。
多分手とか噛んだ。
そして、そこで初めて自分が握っていた大切を、奪って噛んで貪った俺という存在を芹が認知した。
殴られた。
間髪入れずに謝った。
俺かっこ悪い。
だから美化していたのか・・・記憶って恐ろしい。
なんかこれ以上回想しても自分の情けない部分しか出てこなさそうなので中止する。



「見てたわよ、犬。あなた、犬言語だけじゃなくてタヌキ言葉も話せたのね。すごい、関心しちゃう、これほど人類に貢献できない技能ってほかに類を見ないかも。つーか放課後の貴重なひと時を使ってまであの小便女と話すだなんて、アンタはよっぽど小便が好き見たいねこのスカトロ野郎、今度テメエの好きそうな公衆便所紹介いてやるからいっそ一生引きこもってろよ、お前みたいな下種にはお似合いだ。ああ、なんだその不満そうな顔は?まるで便所虫みてえだぜ?いや悪い悪いわたしとしたことが失言だった。みたい、じゃなくてもうそのものだな便所虫!カモドウマ!ダンゴムシ!コウカアブ!ゲジゲジ!より取り見取りだなあどれがいい?」
校門を出て一番に会ったのが彼女とは、俺も余程神様に嫌われているらしい。
もうこっちのコウモンも縮み上がるって話。
まったく彼女はなんなのだろうか、もう家の宗派が俺を侮辱することを神への唯一の崇拝手段と断定しているか、前世に彼女を殺してしまったのかくらしか見当がつかない。
「美月か・・・元気だな」
取りあえず当たり障りのない返事を返す。
「ああゴキゲンさ。アンタの時化て脂ぎった顔面さえ目前になかったら更にゴキゲンなんだがな。ああ喋るな?二酸化炭素が増えるから。呼吸も漏れなく止めてくれると有難いぜ、地球規模で。ほら貢献しろよストップ温暖化!でもなあ、お前如きが死んでもなにも変わりはしないか、そうだよね、だって所詮犬だもの」
ふーむ、俺を侮辱しないと突如呼吸困難に陥る奇病に罹っているという線も捨てがたいな。
「あーと、美月、さん?今日はさ、バイト行かないといけないから・・・用がないなら行くよ?」
「何様だテメエ!!ザケンナ誰が貴様の如き下賎に用向きなどあるものかっ、少しは考えて物をいえ考えて!」
左様ですかさようなら。
最早哀れむような心持で美月の真横をスルーする。
「__________」
「・・・・・・クチャクチャ」
「あー」
失敗した。
美月を越えたと思えば、今度はこれか。
目前には不良さんが二人ほど屯ってましました。
条件反射の要領で残金チロルチョコ二個分の財布に手を伸ばす。
「あんだテメエなに見てんだよ?」
下手に意識したのが失敗の素、見事に絡まれる。
これはもう俺にとっては今月の生命線たる金銭的解決に頼るしか道はあるまい。
「あ、すんません。ほんとごめんさない」
素直に謝ると、これが不思議なことに彼らを激昂させた。
「馬鹿にしとんのかオラアア!」
ひぇえ。
財布を差し出す。
「誰がんなもん要求したよバカタレが、ちょっとこっち来いや」
最近の不良様は金銭的に裕福でいらっしゃるようで、純粋にサンドをその根源的目的としていらっしゃるらしい。
「ぼ、ぼぼ、暴力とか・・良くないですよね?」
聞く。
「だまっとれ」
黙る素直なおれ。
あー、殴られる。
駄目だ、諦めよう
どうか被害が最小に留まりますように・・。
「おいゴミと生ゴミ、テメエらどこの犬の手綱引っ張ってくれてんだ?」
そこに登場したのは毒舌から生まれたプリンセス美月さん。
もう皆死んじゃえばいいのに・・。
一瞬、ものすごくネガティヴな思考に覆われる。
「んだコラ、ヤベ上玉じゃんやりぃ」
「俺らついてねえ?ついてねえ?」
「だよなあ」
不良様二人組みは和気藹々。
たっくん、あっくんなんていう渾名を互いに連呼していらっしゃる模様。
処は薄闇、人気はなし。
護法者(護られるほうのニュアンス)であらせられる未成年二人組みは目標を専一のものとし団結、結果として俺への戒めは開放される運びと相成った。
ラッキー。
脱兎の如く逃げ出した。
背中に罵倒が浴びせられたが知りません。
良い喪失を、と神に祈った。



帰宅。
家は襤褸。
風呂無しトイレ共同の糞アパートメント。
「落ち着くー」
四時間の休憩期間の後着替え、夕暮れの町へ。
これからが本番です。
アルバイト。
交通整理員です、時給がいいのです。
会社へ出向き原付で現場へ向かう。
工事業者の人たちへの挨拶もそこそこに、赤色灯を振りながら歩行者を誘導。
ゴー、という重機の音。
道路の拡張工事に伴い歩道が潰される為、新たに作った臨時歩道へ歩行者を誘導する。
ただ、夜間工事の為歩行者はまばらなので、手持ち無沙汰になる。
(やることねー)
夜空を仰ぐ。
本来ならば未成年の夜間バイトはどこでも禁止されているが、この会社は規模が小さく身分確認も雑だった為に上手く誤魔化している。
設定では天涯孤独の二十歳、フリーター。借金持ち。
「今日は1時までか・・」
ただ、時間通りに工事が終わることは稀なので誤差二時間を覚悟する。
また睡眠不足だなあ・・。
朝から夕方まで働ければいいのだが、学校があるからなあ。
学校を止めようか、とは常々思っている。
しかし実行に移せないでいる。
別段、学歴に未練はない。
親しい友人も少ない。
なら、何故?
「・・・・あーあ」
落ちぶれても、俺は桜井友二だということだろう。
間髪入れずに、芹と美月の顔が浮かんだ。
「ま、なんとかなってるし、いいか」
そしてまた問題を先送りにする。
その日は結局、夜中の二時まで突っ立っていた。
顔見知りの工事業者の人から貰った缶コーヒーが夕飯になった。




帰宅。
就寝。
そして起床。
不規則な生活サイクルは確実に肉体を痛めている。
「若さじゃカバーしきれないよ・・」
弱音を吐きつつ制服に着替え、今日も学校へ向かう。
しかし玄関を一歩出るとそこは地獄か。
幾島美月殿が佇立しておりました。
鬼面のような形相。
反射的に謝った。
「すんません」
「きたねえ口臭吹きかけて謝ったつもりか?ああ?テメエ昨日はよくも置き去りにしてくれたな糞。お陰で最悪な気分だ」
「ということはついに脱処女ですかっ!おめでとうございます!」
取りあえず太鼓持ちする。
「死ねよ前向きに。あんなゴミに誰が接触を許すかっての、一声叫んだら逃げってったつーの」
「はあ。えーっと・・・すげーっすね!鶴の一声っすね!」
「だから死ねって言ってんだろ耳ねえのか単細胞」
大層ご立腹のご様子。
「ええと・・・ま、前向きに善処させていただきます」
「今日はほかでもない。雑種に絡まれた哀れな野良犬を助けてやった大恩人に恩を返す機会を与えにやってきた」
どうも俺の言葉など聞く耳持たないようで。
「遊園地に連れて行け」
この人はなんなのだろう。
しかし良く見ると私服だ。
学校に行く気が無いのは一目瞭然。
_________甘え癖って奴は、結構直らないものらしい。
「あのー、今日は平日で純然たる登校日なのですが?」
「関係あるか。行きたい時が行き時だ」
遊園地。
なんともハイソな響きである。
そのような交遊費、この懐には1銭もないというのに。
「お金ないです」
「特別に貸してやる。無金利無担保。ただし返金しない限り貴様はタヌキと会話してはならない」
善良だろ?と笑われる。
つまり、昨日の出来事にかこつけて俺の弱みを握り、それを元手に俺との交遊及び芹への接触制限をしようという一石二鳥作戦らしい。
ああ、相変わらずなんて単純で明快で分かりやすい思考なんだ美月サン。
「・・・うーん。でも学校サボっちゃ駄目だよ」
「なんでだよ」
「いや、なんでって・・。駄目なものは駄目でしょ?いつも不思議に思うんだけど、どうして皆駄目って言われてることをやるのかなあ?」
駄目だといわれていることは悪いことで、それをすると自分が悪者になると分かっているのに皆やろうとする。
その思考が分からない。
「じゃあなんだ、犬は赤信号は絶対わたらないのか?んなわけないうだろう?そんなのは個々人のモラルに寄るべきものであり、一義的、主観的な論法で解決できる類じゃないんだ」
まあ、それはそうなんだろうけれど。
だからこそ、分からないのもまた事実。
客観など、人の心には存在しようがない故に。
「まあ、いいや。とにかく、遊園地ですか?・・・・うーん、でも学校がなあ」
生来の貧乏性が学費を惜しむ。
「どうせその低スペックの脳みそじゃたいした結果は得られないんだから。来いよ」
今日の美月さんは言い方がもの柔らかい。
多分、断られるのが怖いんだろう。
そう思うと途端に断ろうという気概が萎えていく。
まあ、確かに昨日の不義理は清算する必要があるしな・・。
一日くらい、いいか。
「わかった、行こう」
「あっ」
瞬間、花開くような笑顔。
しかしすぐにソレを隠滅し、あくまで苦りきった表情を演出しつつも頷く美月。
「しゃーねーな。じゃ、行くか」
取り繕うような不機嫌で、それでも足並み軽く遊園地へと向かう人影、二つ。
まあ、偶にはこういうのも、悪くない。



遊園地なんていう大規模なテーマパークが徒歩でいける距離にある訳もなく。
電車とバスを乗り継いで現場に到着したのは午前11時であった。
「結構かかったなあ」(この場合、交通費を示す)
「そうだな」(この場合、移動時間を示す)
目前に構える遊園地入り口を見据える。
そこには平日なのに混雑しているという不思議空間。
皆仕事は?学校はいいの?
「犬、これでパスポートを買って来い」
ポイ、と一万円を渡される。
途端くらむ視界。
一万ダメージ。
「ふふ、これだけあれば一月暮らせるぜ?」
むしろそっちのほうがずっとアトラクションだから。
「いいから行けよ」
はやる心を抑えきれぬ様子の美月殿。普段の毒舌も精彩を欠いているご様子。
「遊園地なあ」
遊園地。
口中で呟いて、これが俺の人生における初遊園地であることに思い至る。
「知識としてはある程度理解しているが・・」
それでも百聞を履行しているのかと問われれば返答に窮する程度、一見にどの程度肩を並べられるか。
窓口に並び、パスポートを二人分入手する。
別料金として入場料を取られると聞かされたときに、販売員のお姉さんに殺意が芽生えたが我慢した。
「買ってきたよ」
「死ねよ」
ああ、美月さんだなあ。
「じゃなかった。ご苦労。それじゃあ、行くか」
「うん、最初なに乗る?」
ちなみに俺が知っているアトラクションはジェットコースターと観覧車とお化け屋敷とミラーハウスとメリーゴーランドのみ。
さて、三月さんの口からどんな奇天烈な単語が飛び出すことか・・。
ちょっと期待した。
「ジェットコースター」
失望した。
顔に出ていたらしい、美月が普通に嫌な顔をするので申し訳ない気持ちに包まれる。
「あ、ああ。ジェットコースターね。俺乗ったことないけど、楽しいの?」
「いや。怖い」
そう答える美月の顔は真実恐怖に歪んでおり、とてもこれらか嬉い楽しい遊園地へ赴くものの表情とは思えなかった。
「あのさ、嫌なら別のにしようよ?」
「・・・・お前は?」
「俺?」
美月さんの思考には俺の希望を尊重する、という認識だけが限定的に欠けているとばかり思っていたのだが・・・早合点だったらしい。
なんだ、ちゃんと尊重されてるジャン俺。
「お前はジェットコースターが怖いのか?」
怖いのかと聞かれても乗ったことありません。っていうか俺が乗りたいものを聞いたわけじゃなかったのね。
「いや乗ったことないから。ていうか遊園地初体験だから」
俺の返答に、美月さんの表情がもういっそ同情を誘うくらいに愉悦に歪んだ。
(どういう神経してやがる・・)
多分、初体験という言葉がツボだったのだろう。
彼女と会話するときは、気の利いた言葉よりも自分に害の及ばない言葉を捜すほうに専念したほうがいい。
「ほう。そうか。そうか。そうか」
殊更に納得を繰り返していらっしゃるご様子。
なんかもう疲れてきた。
「では初めての遊園地で右も左も分からない犬を、私が手ずからエスコートしてやるとしよう」
犬ばりに帰巣本能が疼き出す。
「まず左手。あれが当遊園地最大の売りである国内最速最長のジェットコースター『いいんじゃねえの』だ。正直何一つよくない。あと峠で両手を離す人間の気が知れない。故に除外。震災の際、真っ先に倒壊することを祈る」
俺も美月さんも恐怖に娯楽性を見出せない人種なので、除外にはなんの異論も無い。
「次にその」
そろそろと移動しつつ、先ほどのコースターよりも幾分小型の、全長十メートル程度のアトラクションを指差す。
「奇怪な蛸は生理的に受け付けない。あんな複雑な動きをして稼動部に負担がかからないわけが無い為、きっとそのうち事故を起こす」
蛸、という呼称は言いえて妙だ。確かにそのアトラクションは中心部より360度に数本の足を張り出し、それを上下させつつ回転する仕組みのようだ。本当、何が楽しいのか皆目見当がつかない。
ちなみに名前は『オクトパスインパクト』矢張り蛸をイメージしたものらしい。
「どうせやるなら吸盤のほうに焦点を定めれば良かったのにな・・」
そうすれば話題性を確保できただろうに。
そう思わせるほどに、遊園地初心者の俺としても単なる回転上下運動というベクトルは退屈に過ぎた。
「あっ」
美月さんが隣でうれしそうな声を上げつつ、俺をちらちらと上目使いに見てくる。
「ん?」
義務的に聞き返す。
「あ、あの」
と、彼女が指差す方向を眺める。
それはなんの変哲も捻りも考察も進化も感じられぬ、純然たるメリーゴーランドだった。
「あの馬や馬車を模した乗りものに騎乗して緩やかに回転しつつ心地よい上下運動を感じさせるアトラクションは絶品だ」
太鼓判を押される。
「あー、あれ。メリーゴーランドっていうんでしょ?なんか昔みたドラマで恋人同士が乗ってた奴」
「それだ」
断定された。
「あのカップルなー。可愛そうだったなー。結局彼女がエイズになっちゃって。最終回みてないけど、どうなったのかな」
「んなこた知るか。とにかく、乗るぞ」
「あ、うん」
スタッフにパスポートを掲げる。
当然のように二人で座れるスペースを提供された。
「馬乗りたかった」
かぼちゃの馬車風乗り物に腰を下ろしつつ不平をたれる。
「後で一人で乗ればいいだろう。お似合いだな、写メに取って後日携帯に送ってやるよ」
それは恥辱だ。
「でも携帯持ってないから」
勝ち誇ったようにいう。
馬車から蹴り出された。
スタッフの人に怒られる。
「あ、すんません。本当ごめんなさい」
誠心誠意謝ったら更に怒られた。うーん、現代人はストレスとの戦いだからなあ。
俺って怒られやすい体質らしいし。
「美月さん、はしゃぎ過ぎは周囲に迷惑がかかるぜ?」
クールに決める。
蹴り出された。
スタッフの人にまた怒られる。
若干手が出た。サービス業としてそれはどうか?
「見てないで助けてくれればいいのに・・」
へこみながら美月さんに訴える。
「また逃げだされるのがオチだろ」
クールに返された。言葉も無い。
心弾む音楽と共にメリーゴーランド、始動。
「ヤベえ、何一つとして高揚感が湧いてこない」
その動き、緩やかに過ぎる。
音楽もチープで、興ざめを助長させる以上の効力を発揮しない。
「こういうときは、甘い言葉をささやくのがマナーってもんだ」
美月さんにいわれて、ちょっと頭を捻ってみる。
「カサブランカしか思い浮かばない」
瞳に乾杯する場面じゃないことだけは確かだ、自分のボキャブラリに絶望。
「他人の言葉を借用するな、テメエの身一つで勝負して来い」
予想以上に男らしい返答。
これは応えなければ男が廃る。
「君の瞳に乾杯」
怒られた。
謝った。
「・・・・妹たあ、上手くいってるかい?」
そんな訳で、緩やかな回転の最中、普段あまり口に上らない話題を突いてみる。
話題に上らないのは忌避させる要因があるわけで。
でも、きっと美月は俺に触れて欲しいと、その誰も触れようとしない部分に手を伸ばして欲しいと思っている訳で。
それを知っていて、こんな場面があるわけで。
きっと、彼女は望んでいた。
舞台を提供し、下地を造り、会話を誘導し、けれども決定的を喋れずに。
あくまで俺が望んだ会話として、彼女はこの言葉を欲しがっている。
そんなの、いつだってわかってる。
わかっててやらない俺は、きっと汚くて最低で、彼女の言うとおり犬なのだろう。
それでも、一声鳴くのは彼女のため。
そう思い込んで、聞いた。
「・・・・まあまあ」
あまりに不透明。
つまり、踏み込めの合図。
「悪いのは俺だ、それを理解している。その上で再度聞く。上手くやってるか?」
一瞬の逡巡。
けれども決然と。
「出来るわけ、ないだろ」
予想違わぬ返答。
まあ、そうなるだろう。
彼女には双子の妹がいる。
一時期、姉妹丼を画策した俺によりその関係性を決壊させてしまって早数年。
まったく、馬鹿な男もいたものだ。
「そうか。姉妹丼には未だ遠いようだね!」
「気持ちよく死んで来い」
稼働中の馬車から落とされそうになるのを必死で踏みとどまる。
「や、やめ、やめて!」
必死に懇願するとその願いは聞き届けられた。
背中に嫌な汗をかく。
放送でこの危険行為を注意された。かなり放送禁止用語が混じっていたことを追記しておく。
「絵理には、悪いことをした」
何度が謝罪したがそれを聞き入れることはしてくれなかった。当然だと思う。
「・・・お前、悪くないじゃんよ」
「それは美月の贔屓目だ」
「・・また平行線か?嫌だよ」
誰が悪いか。
その悪者を断定するために度々俺と美月の会話は弾んだ。
結局、悪者が決まることはなかった。
俺は俺が。
美月は絵理が。
絵理は俺が。
こんがらがっている。
そういうのは得意じゃない。
三角関数も碌々理解していないのだ、三角関係など身に余る。
「そうだな・・。何か一つ、進捗する状況があれば変わる物事もあるのだろうが。俺も君も絵理も自分の主張を曲げることはしない。それは自分が正しいと思っているからだ。正しいことは正義だ。これを曲げることは容易ではないことは、歴史的観点から見ても明らかである」
過去、如何なる残虐非道を尽くした者にもその胸に正義はあった。
ヒトラーは千年王国。新撰組は士道。
あとは・・ああ、やっぱりボキャが少ない。
「故に平行線。誰もが自分の聖域を侵されることに嫌悪を抱く」
「・・そうだな。でも、私は最近、この関係に倦怠感を抱く。正直、打破したい心境だ。そういう訳で、その・・・提案する」
美月が手を上げた。
同時に回転が止まり楽しい楽しいゴーランドが終了を告げた。
降りろと恫喝してくるスタッフにパスポートを威圧的に提示しつつ、美月の言葉を待つ。
「提案とは?」
回転が始まる。
チープな音楽と、ともすれば眠気すらも誘う緩やかな動きの連続。
その最中、美月の唇は本心を吐露した。
「絵理を許す。だから、お前は私だけを選んでくれ」
「それでは円満な解決には至らない」
絵理の思惑を完全に無視することになる、それでは俺と美月の問題いか解決しない。
「完璧を求めるから停滞するんだ。もうお互い、妥協点を見極めて行動する時期だと思う」
今が潮時だと美月は言う。
「キツイよ、それ」
「・・・貴様の惰弱性は理解している」
「だったら、もう少し違う・・」
「ない」
これ以上は、ない、と美月は言う。
「分かっているだろう?これが私の出来る最大限の譲歩だ。私が譲歩してるんだから、アンタもしてくれないと困る」
「むー・・」
緩やかな回転に身を任せ、思考に浸る。

     

















物語は遡る。
小学校。
まだ他人でしかなかった俺と幾島姉妹が出会ったのは、なんの変哲も無い図書室の一角だった。
一卵性双生児である二人の外見が酷似しているのは勿論のこと、両親らの溺愛と遊び心により服装までも同じなのだから、どちらがどちらかなんてわからない。
「死ねよブス」
「口を開くな、細菌がうつるだろーが」
「いいから死ねって、本当」
「黙れ、私に向かって言葉を吐くな。呼吸もするな。鼓動も止めろ。つまり死ね」
「ちっ・・」
「はン・・・」
口喧嘩していた。
この二人、他人の目があるところでは大層仲良しさんを演じていたのだが、度々こうして二人きりになっては日々の鬱憤を互い貶しあうことによって解消していたらしい。
仲が悪かった。
しかし当時の俺はそんな裏事情は露知らず、見知らぬ双子の下級生が人気の無い場所でこそこそと陰湿な喧嘩をしているようにしか思えない。
この図書室の一角はありとあらゆる場所からの死角である。
背丈の二倍以上ある書架に囲まれ、正面に回られでもしない限り誰にも見つかることは無い。
置いてある本の種類は小難しく小学生が好んで読むものでもなし。
つまり、いじめから逃げてきた俺のベストスポットだったのである。
「・・・・・」
いまここを出ると、きっと俺を探してハイエナのようにうろついているクラスメイトらに拿捕されてしまう。
結果、誰にも負けぬ早業で入手した、給食の余りプリンを奪われた上で色々やられる。
(冗談じゃねーぞ、これは俺の夕食だ・・)
ポッケに入れたプリン様を抱えるようにして守る体勢。
しかしまだ敵は俺を察知してはいない。
今のうちに隠れなければ!
「ちょっと失礼」
仕方が無いので、仲悪く陰湿な悪口の応酬合戦を繰り返す姉妹の間に割って入った。
そして奥まで行くと座り込む。
あとはただ、時の流れるのを待つだけだ。
授業開始時間までの一本勝負。
食品が関わってくる以上、俺にとっては死活問題だ、切実にもなる。
「あ・・・・・・・・・・・わ」
「お・・・・え」
しかしそんな俺の胸のうちなど知る由もない二人は、突然の闖入者へ戸惑いの視線を向けてくる。
「ちょっとアンタなに?」
一人が俺に喧嘩腰で話しかけてくる。
無視した。
これ以上の厄介ごとはごめんだ。
「てめえのツレか、美月?」
「んなわけねえだろ、死ね」
「ああ?舐めてんのかこのウスノロ野郎」
「誰がアンタなんざ舐めるか舌が腐る。あと死ねよ」
「うっせーよテメエこそ言葉喋るな犬の分際で」
「死ね、あと死ね、ついでに死んでくれ、出来れば死んで、手が空いてたら死んで」
ウザイ応酬が始まる。
辟易した。
「君ら、仲悪いねえ」
相手が下級生であることと、安全地帯で鉢合わせてしまった親近感も手伝ってか、珍しく俺の口が開いた。
「_____」
「__________」
途端。
二人の顔色が蒼白になる。
それは、悪いことをしているのを見咎められた子供の反応だった。
「いや、そんなことない」
「うん、そんなことない」
二人して否定してくるが目は泳ぐし冷や汗は流れるし挙動が不審だしと嘘吐きこの上ない。
「へえ」
取りあえず納得はしておく。
別段、深く関わるつもりで話しかけたわけじゃない。
ただ無言、というのは辛く厳しいことだったからだ。
そんな、何気ない一言のつもりだった。
なのに二人の反応振りは常軌を逸している。
「あのさ、アンタこのこと誰にも言うんじゃねえぞ?」
不可思議な一言。
「このこと?」
「だから、頭の螺子のしまりが悪い野郎だな、私達が喧嘩してたことだよ!」
「おい喧嘩はしてねえだろ!?」
「あ、ああ。そうだった、言葉の綾だ。あれは喧嘩じゃない、いいな?わかったな?」
「・・・・あー、うん」
取りあえず頷く。
「絶対分かってないじゃねーか!なんだその腑抜けた返事はっ!阿呆臭い顔だな!」
怒られる。
なにをこの下級生、と意気込むがすぐに心の中でしおれた。
・・・・・必死だった。
その二人の視線は切実で、意味不明の要求だとしてもおいそれと無碍にしてはならないような気がした。
仕方なく、頷いた。
「だから信じられねーよ!死ねよ、いっそ死ねよ本当死ねよ嘘でもいいから死ね!」
信じてくれなかった。
あー、なんなんだろう、この姉妹。
結果、俺と幾島姉妹との交流が始まった。


「今思えば、やたら死ねを連呼する方が美月だったのかな・・?」
今をもって、あの頃の二人を判別できていない。
「いや?絵理の糞馬鹿も死ねとか良く垂れてたよ」
違うのか・・・じゃあどうやって判別するんだろう?
「おい、物思いに耽るのも大概にしろ、返事を聞いてない」
「ああ、返事・・・返事ねえ」
「繰り返すなオウムか馬鹿それともオウム程の知能も有していないのか哀れな奴だな」
「貶して哀れむな悲しくなるから」
「だったら私の要求にはやく応えろよ」
「NO」
「ああっ!?」
「と言えない日本人」
恫喝で一瞬心が折れた。
でもすぐに持ち直す。
「でも俺は日本人だけどNOというよ」
「訳分からなねえよ死ねよ、私がこれだけ譲歩してやってんのにも関わらずそういう糞言うか普通?」
「あのね、美月」
唇を湿らせ、一拍置いて言う。
「_________」
否、言おうと思った、か。
俺は絵理も大事なんだ、と。
どの口が?この口が。
度し難い、嫌悪感。
彼女と同じ世界に存在することに苦痛を感じる。
居た堪れない、苦痛を感じる。今すぐ逃げ出してしまいたい。
「なんだよ?」
「いやあ・・」
腑抜ける。
止めだ、面倒臭い。
なにをらしくないことを。
「なんなんだろーねえ」
あとは痴呆の如く緩やかに天蓋を見つめる。
「おい、またかよ・・・」
苛立ちを多分に含んだ美月の声。
もう、届かない。
「・・・・・お前、格好悪くなったよ」
責められる。
「そーかねえ」
柳に風と受け流す。
「嫌いたい」
「そーなんだ」
「ああ」
ぐるぐる回るメリーゴーランド、馬も馬車もゴキゲン一直線。
「いっそ、嫌いたい」
「ふーん」
回る回る。
これは楽しいかもしれないぞ?
「なんで?」
「んー?」
刹那、泣き声にも似た彼女の声色。
「なんで、嫌えないのさ?」
「いやあ」
ただ、天蓋を見つめていた。



その後、嬉し恥ずかし初遊園地は恐ろしいほどに盛り上げを見せないまま終了を告げた。
最後まで、俺と美月さんは無言だった。
喋る糸口が見つからない、というよりも互いに意地でも喋るものかという根競べ。
結果は引き分け。
無言のまま別れを告げて現在に至る。
『いっそ、嫌いたい』
「あふぅ・・・」
ベットに飛び込み悶絶。
「なにこのラブロマンス・・・」
自己嫌悪。
あとロマンスじゃないと思う。
「・・・絵理かあー」
最近、会っていない。
彼女は俺達とは違う学校に通っている。
相当、嫌われた。
美月と絵理は見た目も中身も似ているけれども、決定的に違うものがあった。
罪悪の有無。
絵理には後ろ暗いものがあった。
それを指摘し、あろうことか口汚く罵った俺を彼女は憎んでいる。
当然だ、おれは同じ口で彼女を擁護し続けたのだから。
恨まれた、嫌われた、失望された。
まあ、今となっては過去の話。
当然後悔はある。
でも、後悔できるようになったのは本当に最近になってから。
それまで俺は、全然駄目駄目だった。
「ふう・・・」
ため息。
気付けばバイトの時間が迫っている。
切実にサボりたい欲求が高まるが、そんなことをすれば死んでしまう。
明日を生きるために労働に励まなくてはならない。
いっそ死んでしまえば楽なのに、なんて。
相変わらず、ネガティヴな思考は付きまとう昨今だった。




「はい、これ美月ちゃんにあげるね」
「わーい。ありがとう絵理ちゃん、大好き!」
「うふふふ」
「えへへへ」
見るも寒々しい演技をしているのは幾島姉妹。
処は校庭、課外授業という名目で皆々、思い思いの絵を描いては楽しんでいた。
「・・・あ?」
上級生たる俺たちの学年も同じ授業内容だったため、偶然この光景を目にしたときは驚いた。
あれだけ口汚く陰湿に罵りあっていた者達がこれ見よがしに仲良しを演じているのだ。
気持ち悪いったらありゃしない。
つい、声を掛けた。
「よー、なんだお前ら、仲良いのか」
ヒクリ、と一人の米神がうずいたように思えたが、それを気に掛けさせぬ速度と要領で仲良し光線を発する二人。
「えー、誰ですか?」
「うん、見たことないよねー」
揃ってとぼけやがる。
「アン?この前図書室でお前らが喧嘩してるときに・・」
睨まれた。
その眼光、かえるを射殺すが如き鋭さ。
つい、押し黙る。
「ちょっとアンタ、わけわかんないこと口走らないでくれる?迷惑。あと、死ね」
非常に小声で恫喝される。
「いや、わけわかんねーから」
「あんたの存在が理解不能だっての」
「美月ちゃーん、絵里ちゃーん?絵は描けましたかー?」
そこに彼女らの担任教師がニコニコしながらやってくる。
「はーい、描けましたあ」
純粋無垢百パーの笑顔で応じる片割れ。
「あ、あ、ちょっと待ってよぉ、まだ出来てないのぉ」
人畜無害百パーの態度で応じる片割れ。
俺から言えることは、気持ち悪いということだけ。
「んだお前達・・・?猫被りか?」
取りあえず聞く。
「死ね、即刻」(小声)
「生まれてこなければ良かったのにな、お前」(小声)
責められた。
どうも、公称二人は仲良しらしい。
「うーん」
敢えて突っ込むことも考えたが、その生産性の低さに眩暈すら覚えた為、大人しく踵を返した。
俺には関係ねーしな。
そのまま去ろうとしたが、後襟をむんずと掴まれ行動を抑制される。
「んだよ」
振り返れば幾島姉妹の鬼気迫る表情。
「お前」
「放課後」
「体育館裏に」
「来い」
二人交互に、息ぴったりに命令された。
その目は、いつかのように切実で。
なんとも、断りにくく無視しにくい雰囲気に包まれてしまった。
「あー」
母親の顔が、頭を過ぎる。
曰く、女の子を無下に扱ってはならぬ。
「・・・うん」
お母さんの言うことに間違いはないので、ここは素直に頷いた。
「逃げんなよ」
「覚悟しとけよ」
揃っておざなりな捨て台詞を残して、仲良し光線を発しつつ去っていった。
「はー」
ため息。
「俺も、絵、描こう」
授業内容を消化することに専念した。



__________寝ちまった。
時刻はバイト一時間前。
割と急がなくてはならない。
「うう、くそ。昼間疲れたからな、精神的に」
泣きべそをかきながら手早く支度を済ませ出発。
最大速度で勤務先へ向かった。
到着すると先輩(とはいっても定年退職後、年金では立ち行かずに仕事をしているような人なのでめちゃくちゃ年上だ)の運転で現場へ。
良く喋る人なので、相槌を打つのも重労働だ。
「今日は車線潰すみたいだから、ちょっと忙しいかもなあ」
「はあ」
そんなこんなで前回と同じ現場へつくと、挨拶もそこそこに工事が始まる。
今日は電柱の撤去に伴い重機を車線へ侵入させるため、片側通行になる。
首に下げた無線機を使って、反対側の先輩と連絡を取り合いながら車を流す。
夜とはいえ、車の流れは多い。
「はーい、とまってくださーい」
赤色灯を振りながら停止を求める。
が、派手な装飾を施された車は停止する素振りを見せずにそのまま進行しようとしやがった。
「ストップ!」
車の目の前に回りこむ。
流石に止まったが、ウザイくらいにクラクションを鳴らされる。
(うるせえ)
表面上、頭を下げておくがそれ以上をする気にはならない。
反対車線の車が通り過ぎる。
『こっちいいぞー、どうぞ』
「了解です」
確認後、車を誘導。
挑発的なクラクションを再度鳴らされた後に、猛スピードで通り過ぎていく。
「はあ」
神経を使う。
車というのは存外いい加減なものだ、ということを最近は痛感している。
鉄の塊が動いているのだから事故れば大惨事だなんてのは火を見るよりも明らかなのに、その運用については余りにいい加減に思えてならない。
無免許というわけでもあるまいに、平気で一方通行に逆側から進行しようとしたり、一時停止をまったく平気で見落としていたり、速度超過など当たり前だったり。
今のように、ガードマンの制止を無視しようとしたり。
そりゃあ、交通事故もおきるわな。
安全運転を声高に叫ぶ気持ちも分かるというものだ。
モラルを持つ。
そんな簡単なことを、驚く程に沢山の人が出来ていない。
いい大人が、なにをしていやがるのだろう、と思えてならない。
『こっち通るぞー』
「はい、どうぞ」
そんな未成年の主張は誰の耳にも届くことなく、時間だけが経過する。
そして、夜は更けていく。



帰宅し即睡眠。
起床の後、寝不足の頭を振って登校した。
(今日は五時からバイトして、そのあと十時からバイトか)
今現在、コンビニと警備員のバイトを兼任している。
考えただけで憂鬱になる。
ただ生きるための労働でしかない。
得た金銭はすべてが生活費となり、そこに娯楽等の費用は含まれない。
それですらキツキツなのだ。
これ以上仕事を増やしたら・・・死ぬかな・・・?
流石に、きついだろう。
そしてお決まりの空腹感。
まだ給料日には至らない。
「ふむ」
目先の問題を解決せねば。
幸い、コンビニのバイトにおいては廃品という形でまだ食べられる食物が得られるために、それを当てにすることとする。
「ゆーじ」
校門で呼び止められる。
振り返れば佐々野芹。
「ああ」
「昨日、学校来なかったけど、なんで?病気?」
「いや、美月と遊園地行ってた」
殴られた、しかる後に蹴られた。
「酷い・・」
素直に言っただけなのに。
美月を見ると、顔を真っ赤にさせてお冠の様子。
どうも、かなり気に障ったらしい。
「んな怒ることかよ?」
聞く。
殴られる。
後悔。
異様なコミュニケーションを交わす男女を好奇の視線が掠めてゆく。
「ちょ、ちょっと場所変えようか?」
出来るだけにこやかに提案する。
「ん」
頷く。
移動。
屋上へ。
ちらほら人の姿は見えたが、登校ラッシュの校門に比べれば微々たるものだ。
「あのな、芹。いつも言ってるけど、人を殴るのはよくないぞ?」
取りあえず、開口一番諭すような口調で一番の願いを伝える。
「・・・」
ムス、としながらも頷く芹。
「よし、分かってくれればいいんだ。別にすぐに直せとは言わない、時間をかけてゆっくりと、それでいて着実に、な」
ウインク。
これで俺からの要件は終わった。
芹が待ちかねたように口を開く。
「昨日、なんで遊園地行ったの?その・・・アレと」
アレ、とは美月を示す。
芹は、彼女のことを良く思っていない。
同時に美月も芹を快く思わない。
「なんでって・・誘われたからだけど」
「誘われたら行くのか?」
「まあ、気分とか状況とかにもよるけど、行く、かな」
「__________」
芹の顔が至近へ。俺の耳元に口をつけるような距離感で一言。
最低、と口中で噛み潰すように言われた。
「うう、なんかすげー傷ついた」
こういう小技に弱いからな、おれ。
「っていうか芹、人からの誘いを受けることがどうして最低なんだ?むしろ無下にするほうが人として間違っているんじゃないのか?」
ぐ、と芹の拳が上がる。身構える。
しかしそれを小刻みに震わせながらしまうと、芹は口を開く。
「約束破った」
簡潔に応えられる。
「約束?はて、なにかあったかな?」
殴られた。
しかしこれは予想出来たので半身を後ろへずらしてダメージを軽減する。
「だから殴るなってば。約束なんてなかったよ」
「嘘」
「嘘って・・・昨日だろ?なんかあったか?」
「そうじゃない」
「?」
「・・・・・・・・・」
今にも泣き出しそうな顔をされる。
「あー。えーっと。うーん」
考え考え、それでも答えは浮かんでこない。
わからない。分からないことを考えても無駄。最短の解決経路。人に、聞く。
「なんの約束だったっけ?」
なぐ・・・られはしなかった。
「・・もう、いい」
意気消沈の体も露に、踵を返す芹。
「そう、もういいんだ」
手は、伸びない。
彼女は待っている。彼女は望んでいる。彼女は切望している。
それは、叶わない。
叶えてやることが出来ない。
「じゃあ」
「・・・・」
別れた。
それでもまた交わる。
人間関係とは、不思議なものだ。



同日、昼休み。
飢え。
空腹。
何度かSBS会員の下へ向かおうかとも思ったが、会長様と副会長様とは気まずいままの為、行く気になれない。
すると最早、頼るべきは最後の砦。
SBS会員にしてもっとも良識的に俺と接することが出来る稀有な人材。
その人物は、一階にいる。
三年の教室群を前に気圧されること数秒、それでも止まぬ空腹の嵐に背中を押される形で突入したるは三年B組。
「すいません、金城さんいますか?」
手短な人に呼び出しを掛けてもらうと数秒後、機嫌の悪そうな顔でその男はやってきた。
「殆ど目の前に居たんだから直接呼べよ」
文句を言われる。
「はあ、まあこういうのも礼儀かと」
「お前のボケた礼儀は逆に神経を逆撫でするだけだっての」
「あの金城さん、御託はいいんでご飯ください」
「それが、人に、ものを、頼む、態度か?」
いちいちアクセントを利かせて問いかけられる。
「ええとはいスンマセン」
「謝ってないよそれ本当」
金城正木。上級生であり同性であり友人であり先輩である。
チャラい系の外見とは裏腹に真面目一直線の男で、赤信号は、渡らない。
「飯か・・つっても今日は弁当でな、お前に分けてやると俺が餓える」
「・・・・・」
悲しい顔をする。
「最近、お前の表情洒落が無くなってきたよな」
真に迫っているらしい。
「これでなんか買えよ」
五百円玉を手渡された。
「ぅ・・・・」
食い物は集る癖に、現金を渡されるとなぜか凄い情けない気分に襲われるのは何故?
しかし餓えているのも事実、そしてそれがこの硬貨で解消できることもまた等しく事実。
俺が取るべき行動はただ一つ。
「いつか返します、ありがとうございます」
丁寧に頭を下げた。
「期待しないで待ってる」
それだけ言うと、金城さんは教室に戻っていった。
__________そして、訪れる温度差。
いつ味わっても良いものじゃない、だから自然距離が開く。
俺と彼はもう、馴染みの川べりを走り回っていた頃の関係じゃない。
その事実が、胸に重く圧し掛かるのだ。



同日、放課後。
策敵するプレーリードッグみたいに美月が顔を出し、教室を見回している。
気に掛けたクラスメイトが用向きを尋ねるが黙秘。
このクラスにおいて、俺という存在が禁忌であることを知り抜いているためだ。
視線が合う。
見るものにソレと感じさせない速度でアイコンタクトを交わし、そのまま去る。
ため息をつきつつ、彼女の背中を追う。
距離は一定。速度も一定。
他人の距離、けれども姿を見失わないように。
彼女の小さな背中が語る。
虚しい、と。
確かに、このなんと空虚な絆か。
この場合、手と手を取り合い、笑顔を向け合って談笑し歩むが常道であるはず。
それを俺は拒むのだ。
虚しい。
物言わぬ背中は語り続ける。あるいは、責め続ける。
もう、話す前から暗雲たる気分が立ち込めてきた。
そのままお互い微妙なモチベーションで体育館裏へ。
人気のないスポットというのは大概にしていじめの定番スポットである。
つまり、俺常連。
ふう、なんか引きこもりたくなってきた。
「桜井友二、昨日の約束を覚えているか?」
美月さんが背中を向けたまま話しかけてきた。
どうも、あの気まずい雰囲気を持ち込むつもりはないらしい。
お互い、水に流していきましょう的な流れだ。歓迎。迎合。
「昨日の約束?なんかあったっけ?」
というかまた約束か、さっきもそれで芹の臍を曲げたばかりだというのに。
今年度俺的ワーストワード受賞候補だな。
「_________タヌキとは金輪際、会話しないという約束だ」
「いや確か違うだろ?金返すまで、っていう条件だったよな?」
確認する。
「貴様にそのような余裕は無い」
俺の懐具合を的確に責める美月さん。ぐうの音も出ないたあこのことよ。
ああ、借金はかくのごとく身を滅ぼす。
「まあ無いけど・・・なんとかするよ。幸い、先月は夜間バイト多かったし、結構余裕出ると思うから」
はい、そうなんです。
凄く頑張りました。
「なっ・・・」
想定外、と顔に書いて美月さんが振り向いた。
「・・・そんなの、利子分にしかならねえよ」
「無金利って言ったよねっ!?」
寝耳に水!?
「いつ言った?」
「いや昨日バリ言ってたから」
「何時?何分?何秒?地球が何周回ったとき?」
貴様は小学生か。
「その話はもういいや。ええと、戻そう。芹と会話しない約束だっけ?」
「・・・ああ」
「今日もう話しちゃったよ」
「死ね取りあえず。何故貴様は約束の一つも守れないんだ?あれか、健忘か?それとも頭の賞味期限が切れて蛆虫が湧いているのか?もしかしたら人間ですらなかったか?」
「いや人間ですけどね・・。しかし、うっかり忘れてたよ」
「うっかりで済ますな馬鹿。お前のように他人との契約を尊重しない阿呆がいるからこの世から争いが無くならないんだよ害虫男。ちょっと死んで来い世間の為に」
「ううん、でも金返すまで芹と会話しないってのはキツイ・・・ん?」
「あんだよ?」
思い当たる、今日の会話。
気まずい空気を何とかしようなどという積極性を、佐々野芹は持ち合わせていない。
俺も、面倒ごとは嫌い。だから。
「ああ、金返すまでは会話しない、よ?」
そういう結論に至る。
凄くいい加減て、分かってる。
でも仕方ない、面倒だから。
ここで美月とやりあうのも面倒だし、芹との仲違いを解消するのも面倒だった。
解決するには、状況に流されるのが一番だ。
知にも働かず情に棹すこともなく、ただ漫然と、流れる水の要領で、たとえいつかは泡沫と消えようと、流れ流され生きてゆく。
甘美に思えるのは楽だから。
だったら、それでいいじゃないか。
誰も、俺を責めないし、俺も、俺を責めないから。
それでいいじゃないの。
「ほう、犬にしては上出来の返事だ。特別にこれをくれてやる」
俺の返事に満悦の芹は、小ぶりな弁当箱を放ってよこす。
危なげなくキャッチ、平伏。
楽だ・・・。
「いつ如何なるときも今日のような心がけでいれば、私も貴様をそこまで無下には扱わない」
傲然と告げられるお褒めの言葉。
平伏。
「結構結構、昨日の貴様は死だが、今日の貴様に免じて特に許そう」
だらしないくらいに顔を緩めて美月さんが頷きを繰り返す。
「この分なら、タヌキに化かされてることに気付く日も近いだろう」
言い捨て、美月さんが満足げに立ち去っていった。
「・・・・・・・弁当ゲット、そして精神的ダメージはほぼゼロ・・・」
俺は、今日の成果に打ち震えていた。
あれだ、芹シカトしよう。
そうすりゃ楽だ。
すげー、楽。
美月も怒らないし。
頭は回転(しかしこれは空転に他ならぬことを本人だけが気付かない)を繰り返し繰り返し、俺にとってもっともベストな今後の生活設計を構築し始めた。
「楽っていい・・・」
麻薬中毒状態だった。



佐々野芹は異常児である。
処構わず小便を撒き散らす特技(特異な技能)があるというだけで、その認識は不動のものとなっていた。
評判は、別クラスである俺の耳にも届いていた。
興味はなし。
我が身もままならぬのだ、他人に割く意識など一ミリも存在しない。
にも関わらず、その佐々野芹。
どのような経緯か、飼育係などという面倒極まりない委員に指名されたらしく、現在俺と同じ臭い小屋の中にいる。
互い、無言のまま作業をしている。
作業といってもやる事は週に一回の掃除と毎日の餌やり。
これも委員内でローテーションを組んでいるので、実質作業量はそれほどでもない。
にも関わらず、最近毎日顔を合わせている。臭い小屋の中で。
簡単な論理だ。
実践的押し付けられ要員であるところの俺や佐々野芹はクラス内で最も人気のない飼育係を命じられ、更にその委員会内でも面倒な作業は片っ端から押し付けられる。
サボればいいのだが、そうするとこの臭い鶏や臭いウサギや臭い雉が死ぬか衰弱して問題になる。
その場合、槍玉に挙げられるのは俺だ。
泣く泣く、早起きをして餌をやり足しげく通い小屋を掃除する。
しばらくすれば愛着なども湧いてくるため、それほどに苦痛を感じることもなくなった。
それに、動物は言葉をはかないから気が楽でいい。
「チョメ太、そこどけ」
今では以心伝心、俺の要求にチョメ太が赤い鶏冠を揺らしながら移動する。
「佐々野、邪魔」
佐々野も従う。
というかこいつはどちらかというとチョメ太の側に近い。
あまり作業もしないし。
でも、来る。
不思議な奴だ。
喋らないし笑わないし悲しまないし。
でも、怒ったことは一度だけ。
以来、少なくとも初めて会ったときに感じた気味悪さは薄れている。
「・・・・ん、こんなものだろう」
自分の仕事に満足。
でも臭いのはどう頑張っても消せない。
「お前も、もうすこし良い臭いがすればなあ」
チョメ太に言うと、困ったように一声鳴いた。
「こけー」
芹も鳴いた。心なし興奮気味。
「わからん・・・」



その日、所用があって朝の餌やりに遅れると、佐々野芹が一人で小屋の中にいた。
「・・・よう」
いつもは俺が餌をやっているとひょこひょこやってくるので、なんだか変な感じだ。
「・・・・・・・・」
佐々野芹は微動だにしない。
まあ、こいつが挨拶を返さないのはいつものここだ。
「ん?」
佐々野芹の目前。
転がっている。
その鶏冠には思い入れが多い。
「あ・・・・・」
佐々野芹が一心に見つめているものの正体が、知れた。
「チョメ太!!!」
駆け寄って抱えおこす。
あの雄雄しい鳴き声は聞こえてこない、そしてもう二度と聞けないことを予感させる、熱のない体。
「・・・・・・・・・」
死んだ。
いや、死んだのか?
瞬間、嫌な予感。
佐々野芹を見る。見つめていた。俺を、見つめていた。
「・・・・おい?」
聞く。言外に。
「・・・・・・・・・・」
無言の返答、それは肯定?否定?
「お前、これは・・・」
洒落にならない。
「どういう、ことだ?」
やっとそれだけ聞く。
「・・・・」
無言。
しかし、無反応ではない。確かに、彼女の瞳は俺の瞳と合わさっている。
光彩が、青く揺れた。
「・・おいっ!!」
叫ぶ。
「・・・・」
応えない。流石に、頭に血が上る。
「なんか喋れよ、それじゃ何も分からねえよ」
これで“なんか”とか応えたら絶対殴ってやる。
「・・・・・・」
が、無言。手ごわい。
話したくないのか話せないのか話す気がないのか話し方がわからないのか、それすらも判然としない。
「チョメ太が死んでるんだぞ?それがどうしてそういう態度に出るんだ?つまり、そういうことなのか・・・?」
・ ・・・・殺したのか?
周囲に人気はないことと、現場の状況、そして佐々野芹という奇矯な人格とを合わせて考えれば、最初に思いつく可能性。
芹は、応えない。
「・・・・」
無言、沈黙、静寂。
無意識に手が上がる。
「ぶつぞ」
脅す。無意味。
「___________」
ここまでくると確固たる意思すら感じられる、それは意図的無視。
「いいかげんに、しろ・・・!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だって、突いた」
喋る。最初、それが佐々野芹の言葉だと認識できなかった。
右の耳から左の耳へ抜けたその言葉という音が、じわじわと脳に浸透し遅れて理解し認識した。
だって、つついたから。続く言葉は、考えるまでもない。
理由を言った。そして目の前に結果がある。
だから殺したのか!
「最低だな、どうかしてやがる」
胸に熱いものが満ちてくる。
この一種判然としない、エネルギーそのもののような感情を俺は知っている。
殴った。
佐々野芹はなんの抵抗もなく倒れ、うめき声一つ漏らさずに砂まみれ。
惨めで無様で、憎らしい。
「突かれたら殺すのか、だったら俺は殴ったぞ、殺すのか?」
感情のままに口走る。
「・・・・・・・・・そうじゃない」
否定。なにを?
「なにがそうじゃない」
「・・・・・」
無言。歯がゆい。殴れば喋るのか?なら、殴る。
その細枝のような腹を蹴り上げてやろうとしたところで、はたと気付く。
佐々野芹の、めくれた上着の中の、白い肌に刻まれた醜いケロイド。
その他、雑傷もちらほらと。
_________同情の、余地もない。
「自分がやられて嫌なことを、するんだな」
この口で言ってやった。なら、先程俺がしたことはなんだ?
間違っている、論理的に矛盾した。度し難い、破綻。
何故?どうして?簡単だ、俺が、嫌だったからだ。
佐々野芹がそういうことをしたという事実が、許せなかったからだ。
認める。
そこから始まるものもある、でも今回は終わる部類だ。
殴った。でも、本来は殴るべきではなかった。
自分がやられて嫌なことはするな。母親の教え。絶対。
守らなかった。守れなかった。理性ではなく、感情が逆らった。
母の教えを実践するには不干渉を極めるしかないと、学校に入学して幾許も経たない内に理解していた。
自分がやられて嫌なこと。そういうことをする連中が、溢れている。
しかし害を成されそれを仕返せば、俺は教えを破ることになる。
自分を尊重するか教えを尊重するか。
幼い俺は後者を取った。そして実践。
実践する上で、そのように振舞うには何者にも干渉しないことが一番だと結論した。
雑多な人間関係を築けば結果的に教えを破る事態に直面する可能性が高くなるからだ。
誰がどこでなにをしていても気にせず看過する。
そういうスタンスで、いままでやってきた。
だから今回の佐々野芹のしでかしたことについも、気にも留めずに無視していれば良かったのだ。
それをしなかった。したくなかった。
俺の底辺で叫びまわるおれ自身が、その行動を許さなかった。
そして、暴力へ結びつく。
「だって・・・」
佐々野芹の言葉に感情が混じる。
「だって、チョメ太が、つついた」
ほら、と手の甲を見せる。傷跡など見受けられない。チョメ太としては戯れただけなのだろう。
「それで?」
「それで・・・それで・・・だって、だって、つついた」
何か伝えたい。でも伝わらない。
言葉じゃなくちゃ伝わらないのに、言葉じゃ伝わらないこともある。
そんな機微を、佐々野芹が有する訳も無く。ただ不器用に、つついたつついたと主張する。
繰り返す、繰り返す。次第に、言葉に占められる感情の色合いが強くなる。
三十秒後、決壊。佐々野芹が泣き出した。
「だ・・・・って・・・・・だ・・・って・・・」
伝えたい伝わらない。
悲しい悔しい。
俺が分かったのは、それだけ。
「わかんねえよ」
本当、分からない。
「・・・・・・・チョメ太が嫌いで殺したのか?」
分からないなりに、自分なりのボーダーを定め、その返答次第で佐々野芹に対する今後の対応を考えようとした。
YESならば、嫌い。NOなら、好き。
そういう単純な理屈と感情。いつだって求められるものはシンプルだ。それは人の心の定規も例外ではない。
「・・・・違う」
応えはNO、だった。
だから、俺は静かに涙を流す佐々野芹の頭に手を置いて、慰めるように数度言葉を掛けた。
きっと恐らく、心から。
ちなみにこの顛末が本当の解決をみたのは数年後。
佐々野芹が突然思い出語りを始めたのがきっかけだった。
あれは本当に唐突だったから、最初はついにコイツも狂ったか、などと邪推したものだ。
その彼女のいうに、よもやチョメ太が自分に攻撃するとは思わなかったらしい。
確かに、俺の後ろをちょこちょことついてくるだけで何一つ世話をしていないように見えた芹だが(事実その通りだが)毎日顔を出していたその事実に変わりはない。
本人の頭の中では一生懸命お世話した。愛情を注いだ。そういう風に思い込んでも仕方のないものだったであろう。
そういう認識の上だと、当時コミュニケーション不能者の芹が手を差し出して(これは物理的な距離だけでなく、精神的な距離間をも縮めるつもりであったのだろう)つつかれた、という結果は衝撃的なものであったのだろう。
だから殺したのか、異常だ狂ってる。そういう解釈もある。
逆論、それほどに怒った、それほどに傷ついた。
そいういう、見方もある。
物事は一面的には語れない。だが主観というものは強制的に一面性を要求する。感情が、理性が、そして心が。
俺の心は芹に味方した。
「それは、辛かったな」
同情。彼女の笑顔。ささやかな幸せ。
そんな、空間。
事実、幸せだったのだ。



「あ・・・・・・・」
「お・・・・・・」
放課後。下駄箱で芹と鉢合わせる。
互い、何かを推し量るように見つめあうこと数秒。
先に目線を逸らしたのは俺だった。
「・・・・・・・・」
そのまま通り過ぎようとする。
芹の手が伸びた。精一杯の主張。
袖を掴む。
振りほどく。
終了。
胸に苦い味。
でも、面倒だった。
「______」
「__________」
そのまま、背中を見せ合って分かれた。
数歩歩くとそこには美月さんが笑顔で待っていた。
「上出来だ」
うれしそうに言うと、俺の手を引っ掴んで歩き出す。
背中に感じる視線。
誰のものかなど問うまでもない。
これもまた、面倒だった。が、自分の感情などどうとでも処理できる。
________。
「あ?」
どうとでも、処理できる?
馬鹿な。だったら今、俺がこんな無様を晒すはずがない。
そうじゃない。そうじゃないんだ。
「つ・・・」
深く・・・駄目だ、禁止。考えるな思考するな考察の手を広げるな。
流されろ、と意識した。
しかし果たして、意識してそうすることは真に流されていると言えるのだろうか?
答えは、NOだ。
間違っていることを確信して、だから是正できるか?
それも、NO。
俺には無理だ。
芹の視線を無視。
意識を目前にのみ集中させる。その効果範囲に美月は含まれない。
彼女が横で何かを言うが俺の耳には届かない。
世界は静寂に包まれる。
自分を、何か得体の知れない、けれどもとても緩衝性に優れた物体が覆っているイメージ。
誰も侵入できないし、させない。
そういう、強いんだか弱いんだかわからない心持。
俺が一番好きな状態。スタンス。
機械的に足を運ぶ。
誰かがついてくる。誰だろう?気にしない。意識から除外。
空の青さも、風の匂いも、すべてが一切合財、消えてなくなる。
そう、消えてなくなるんだ。
心持一つで人は世界すらも滅ぼせる。
対象を消すのではなく、対象を認識する受容器官を麻痺させる手法。
俺の一番好きな状態。スタンス。
自分を含めたすべての、除外。
いま、それが叶った。
久しい感覚に満足を覚える。じき、その満足感すらも消えて透明になる。
自宅のベッドで目を覚ますまでは、この心地よく安心できる空間が維持されることだろう。
・・ずっと、このままならいいのにな。
だが、その願いは叶わない。
忘れたか、彼女の強さを。侮ったか、彼女の気持ちを。そして、知り尽くしているだろう、自分の弱さ、脆さを。
腕を引かれた。強く、激しく。
視界の端に流れ映る寂しげな横顔。視界の正面にある、意思の塊のような瞳。
その意思は、信じることで維持されている。
俺を、信じることで維持される。
その意思は、俺を信じているのにも関わらず、俺が裏切っても揺るぐことはない。
堅い基礎の上に成り立っている。
「無視、しないで」
拳ではない、言葉の暴力。それは俺の内面を散々に蹂躙し、破壊する。
「・・・・・・・・・・・・」
佐々野芹は、逃げること良しとはしなかった。
「おい、タヌキ」
見かねた美月さんが手を伸ばす。
叩き落とされる。
もとより身体的有利に立つ芹が、美月を恐れる理由はない。
少女の暴力は、時にその正統的方策にも用いられる。
威嚇し攻撃し除外するのはただ、己のために。
渦巻く激情、彼女にはなかったはずのもの、いつのまに育んだのか。
気付けば、産湯のように心地よい感覚は消えて去り、肌には外界の感触。
連れ戻された。
「・・・・聞こえなかったんだ」
取りあえず言い訳。
「嘘」
あえなく看過される。
「悪かった」
謝罪。
「許さない」
迷いない拒絶。
道は、閉ざされた。って俺弱。
「はあ」
ため息。空を見上げる。
もうこのまま、微塵も動かずにいてやろうか、と子供じみた考え。
だがそれも、芹に力ずくで向かい合わされて選択不可。
彼女はなにを望むのか。それを寸分の狂いもなく推察し実現することができれば場は収まる。
彼女の望むもの。
一瞬、取るに足らぬ考えが浮かぶも却下。俺が狂う。
その代案として金銭的解決が候補に挙がる。
財布には、相変わらずチロルチョコの購入がやっとの残高しかない。
「・・・・・これで手を打とう。互い何も詮索せずに上手くやろう」
迷わず差し出す。
「いらない」
駄目だった。頑張ったけど駄目だった。諦め。
背中を向ける。
掴まれる。
美月さんの怒声。周りを歩く人々の好奇の視線。
「恥ずかしいなあ」
やんわりと抗議。
「ふざけるな」
一喝された。もうだめ、袋小路、どん詰まり。
もう、やりたいようにやればいい。
「なにを怒っているのか知らないけれども、そして何を望んでこのような行為に及んでいるのかも知らないけれども、好きにすればいい」
嘆息。俺の態度に芹の表情が激怒のそれに変化する。
怒りたければ、怒ればいいさ。
殴りたければ、殴ればいいさ。
泣きたければ泣いてもいいし、笑いたければ笑えばいい。
俺は気にしない。俺は構わない。俺は、どうでもいい。
だから引き止めるその手を、離してはくれまいか。
たどたどしく、そのような意味合いのことを言った。
矢張り、芹は怒るばかり。
解決の方策が思い当たらない。
「なにがしたいの?」
ついに俺も怒りはじめる。
「はあ?」
「だから、なにがしたいのさ?なに怒ってんの?謝ればいいの?金?殴りたい?教えてよ分からないから」
「どうして、そうなる・・・」
芹の言葉に力がなくなった。
彼女の目には、失望の色が浮かんでいる。
失望?勝手にすればいいさ、俺に期待したそっちが悪いだけのことじゃないか。
「帰る」
「ちょ・・」
「帰ると、言っている」
芹に掴まれた腕を大きく振るう。
それでも袖を掴んだ指先は離れない。
「放せよ」
「・・・・・・・・・・・・」
一瞬、泣きそうな顔。でもすぐに覆い隠して俺を一瞥。そして侮蔑。
「・・・・・・・・」
強く激しく、俺の腕を振って放ると芹は背中を向けた。
無言。
彼女の背中で推し量るに、これが決別の潮か。
それならそれで構わない。いつまでもダラダラダラダラと、どうかと思っていたからだ。
彼女から離れていくのならば何の問題もあるまい。
こんなときまで薄汚い自己弁護を内心で繰り返し繰り返し、“教え”への背反がないことを確認する。
これは不義理ではあるが、裏切りじゃない。
彼女が勝手に俺を嫌っただけだ。
否。
嫌われるような振る舞いこそが、裏切りそのものではないのか?
その可能性に思い当たると、いてもたってもいられない。
必死で駆け出そうとする足を押しとどめる。
友達を裏切るな。
そう教えられた。
しかし友情を締結する上で何かしらの諸契約を結んだわけでもないし、友情自体にも規律など存在するべくもない。
視界を道徳的・倫理的観点とした上で、俺に不義理がないことが裏切らないことだと、そういうことなのだと思う。
だがもしもそうであるならば、俺はもう何度も芹や美月を裏切っている。
「・・・・・・・」
発汗、取り返しのつかないことをした予感。
手が足が、意思とは関係なく小刻みに震える。
「・・・・・・・・・・・あ」
喉が熱い。急激な嘔吐感。
「せ・・・・・」
芹、と唇は動いた。でも、上手く喋れない。
しかし_______道徳的にも倫理的にもケチの付けようがない友情など有り得ない。
そう努力する姿勢。
それこそが不可欠のものなのだ。
俺は努力をしたか?
答えはYESだ、甘えじゃない。
もう、十分ではないのか?
もう、いいんじゃないのか?
「・・・・・・・・・・・はは」
そこまで考えて、このような思考が初めてではないことを思い出す。
もう何度も何度も、これと同じような思考経路をたどった覚えがある。
その結論はいつも変わらない。
それは違う、と。
頭の警鐘は痛いくらいに掻き鳴らされて、俺を急かす。
「芹っ」
そしてまた、呼び止める。
また、だ。
このような不手際、初めてじゃない。
かつて何度もあった場面。
俺は許しを乞う。心から。
彼女は許す。心から。
茶番、という単語が頭を過ぎった。
違いない。
結局、お互い、本気じゃないんだから。
彼女は離れるつもりなんかないんだろうし、俺も彼女が嫌いになんてなれないから。
なのにこうして、気持ちと気持ちがすれ違う。
最初から計算ずくのニアミスかもしれない。
もしそうなら、もっと上手くやれればいいのにな。

     















幾島姉妹が、やってきた。
下級生たる彼女らが俺を訪ねてきたということで、それを肴にさっそく吊るし上げに掛ろうと躍起になるクラスメイト数名を上手くかわして、彼女らをねめつけた。
何の用だ、と聞く。
「あのー、この前先輩が落としたもの届けにきたんですけどぉ」
片方が発言した。
「あ、そうなん?サンキュ」
「いえいえ、つきましては、少々お時間をいただけますか?なにぶんモノがモノですから」
もう片方が発言した。
モノがモノ?そんな大層なもの落としたか?というか最近落としものをしたという認識はない。
「?そうか、わかった」
取りあえず付いていく。
「しっかし、いつ見ても気持ち悪いなお前ら、腕とか組んでるし。ププ」
つい本音。
「えへへ、恥ずかしいなあ」
「そうだよねー」
ニコニコニコニコと、春の川辺のタンポポみたいな笑顔を交し合っていた。
「・・・・・」
もしかして、本当は仲良いんじゃないのか?



「いつまで人の腕触ってる気だ?放せよ絵里菌が感染するだろ」
「はン。誰が好き好んでアンタの臭い腕なんざ握るもんか。今すぐ手を消毒しに行きたいよ」
悪かった。
体育館裏にまでやってきた途端、二人の雰囲気が目に見えて険悪なものに変わった。
状況の変化を演出する際に、ガラリと変わる、なんていう表現方法を聞くが、まさにそんな感じ。
ガラリと変わった。
「ええと。お、俺の落し物は?」
とにかく、要件だけを聞く。
深追い禁止。
「ああ?落し物だ?テメ阿呆か?どうして私がアンタみたいなのにそんな過分な親切をしてやらなけりゃいけないの?っていうか少し考えれば分からなくない?馬鹿?」
なくない?のアクセントを上げて挑発してくださる。
ウザ度がうなぎのぼり。
「・・・ええっと、つまり落し物というのは俺を呼び出すための方便ってわけね」
「わざわざ確認するなっての。そんなことする暇があるなら死ねよまず。まあいいや、そうだよやっと気付いた?」
こいつら同じ顔してるから直前までどっちと会話していたのかいまいちつかめない。
もういいや、一緒くたで話そう。
「そうか、そりゃ気付かなかった。それで、呼び出したからには要件があるんだろう?下手な嘘ついて呼び出したくらいなんだ、余程のことだろうな?」
「用件だ?お前頭に何詰めてんの?寄生虫でも飼っているんじゃないのか」
「・・・・・・」
まともに話し合う姿勢には見えない。
「いいから、早く言えよ。用件」
「その前に聞いてんだろうが。お前頭に、何詰めてるんだ?」
殺すぞこのガキ・・・。
「脳みそだよ、そんなことも知らないのか下級生」
「脳みそだあ?だったらなんでお前は、放課後体育館に来いと言ったのにも関わらず、来なかった?」
「・・・・・・・・・・・?」
話がつながらなかった。
「放課後?」
「そうだよ。昨日、言っただろうが。どうして来なかった?」
「・・・・・・・・・・・・」
なんのことやら。
しかし思い返してみると、そんなようなことを言われたような記憶もあるようなないような。
「忘れてた」
そんな約束自体、忘却の彼方一歩手前だったが、余分なことは言わずにそういうことにした。
「そうか死ね」
「あんまり死ね死ね言うなよ・・」
こうも連発されるとげんなりしてくる。
「うるさいな喋るなよ。特にお前のようないかにもいじめられている風情の社会的弱者を見ているとどうしても死んで欲しくなるんだよ。なんでか分かるか?」
「分かりたくもないし」
「それはお前が屑だからだ」
断言される。むかついた。
「あーはいはい。じゃあまあいいや。細かいことは置いておいて、何の用なのさ、結局?別段、親交を深める場面でもなし、お互い限られた時間だ、サックリいこうじゃないの」
「異論はない。では言おう。私は貴様に要求がある」
「なにさ?」
「決まっているだろーが、昨日の話だよ!私達が喧嘩してたこと、誰にもいうんじゃねーぞ!」
「おい、喧嘩はしてないだろうが!」
「そ、そうだな。お前如きにいわれるまでもないさ。そう、喧嘩はしていなかった。なののにお前は私達が喧嘩していたという間違った認識を持っているらしい、そこを正したいんだ」
分かったか、と問われる。
大体のことは了承した。
「ああ、つまり世間的には二人は仲良しさんだから、実は仲悪いってことを周りにバラすなって事っしょ?」
「そうそう。じゃないそうじゃない!ええい聞き分けの悪い奴だな、どれだけライトなんだお前の頭は!いいか、何度も言わせるな?お前は私が言ったことを馬鹿みたいに復唱してそれをそのまま真実と諒解していればいいんだ、変に思考を巡らせる必要もなければ邪推などもっての他と知れ。再度言う。以後、幾島姉妹の関係についての質問やそれに類する質問等を受けた時は、私達は仲良し姉妹だ、と言え。無論、貴様の頭の中の間違った認識もこれに置き換えておくように。分かったか!?」
「何キレてんだよ・・・」
引く。
「分かったかと聞いたんだ!」
「あー、はいはい。分かった分かった」
もううんざりしてきたからいい加減に頷く。
「ッ信じられるか!」
じゃどうすりゃいいのさ?
「死ねよ」
まあ確かに、死ぬより他はないか。
「つーかよ、信じる度量もない癖に、他人に要求押し付けるなよな」
やれ、と言って頷かれ、それを信じられないとはどういうことだ。
彼女達が欲しいのは確約だ。口約束なんかじゃない。
絶対に口外しないこと。
簡単なようでいて、難しいその要求を貫徹するためには恫喝などでは役不足と分かっているのだろう。
それが故のこの懊悩、しかし無駄と知りつつ、釘を刺さなければいてもたってもいられない。
ともなれば、これはそれなりに大きな話になってくる。
すくなくとも、彼女らにとっては切実な問題なのだ。
「うるさい、すべては貴様の存在が信用するに値しないからこそこのような由々しき事態になっているのだ。身から出た錆だな」
なんたる牽強付会。
「・・・ふむ。じゃあ教えてやるよ、絶対に俺が口外しない方法が一つある」
この時ばかりは、少女達の目が年相応に輝いた。
「明日以降、放課後毎に定期的な食料供給をしてもらおう。無論、俺にだ」
ババン、と言い放つ。
少女達は呆気に取られた。
「その供給が継続される限り、俺の口は堅く閉ざされる。ギブアンドテイクって奴だ。互いの利害関係が一致するわけだから、これほど信用できることはあるまい?」
名案だった。
俺の空腹は解消されるは彼女達の秘密は守られるはで、ケチのつけようがない。
唯一の懸念は、彼女達の経済力が耐えうるか、というものだったが・・・。
まあ、別段高級食品を買って来いといっているわけではない。
給食の残り物でも十分に構わないのだからね!
「・・・・本当に、本当?」
一人が聞く。
「本当に本当だな」
「絶対の絶対?」
一人が聞く。
「絶対の絶対だな」
そのどちらにも力強い肯定を返す。
するとやっと安心した表情を浮かべる幾島姉妹。
「分かった、それなら明日からアンタに飯を持ってくる」
「うむ。作業は二人で分担し、食料に関しては君たちに任せる。気分がいい日は俺にそのおすそ分けをくれればいい、食料で。イラつくことがあれば俺もその気持ちを分かち合おう、食料で。憎む気持ちがあるのなら、俺も憎もう食料で。愛する気持ちがあるのなら、俺も愛そう食料で。涙を流したのなら教えてくれればいい、食料で。声を上げて笑ったのなら、教えてくれ食料で。要はつまり君たちの気持ちを食料という形で届けてくれればいい、それが一番手軽だろう?」
「あー、うん」
「そっすね」
わかったような顔で頷く姉妹は確実に理解していなかった。
まあ、いい。
「万事解決だな」
宣言した。
異論は、なかった。



芹との仲違い?を解消し、美月さんの恨みがましい視線を感じながら帰宅。
支度を済ませるとすぐに出発。
バイト先は少し離れている。
我が校はその保守的教育方針からアルバイト全面禁止を掲げているため、万一の発覚を警戒しての処置だ。
途中、見知った顔を目撃した。
とある商店街である。
最初、美月さんかと思った。
しかし制服が違う。ワインレッドを基調としたそのデザインは近隣のお嬢様学校のものであり、美月さんの顔でその制服を着ているということは、つまり彼女は美月さんではないということ。
幾島絵里。
絵里さんは友人と思しき数名の女子と雑貨店の前においてあるワゴンの前で談笑している。
まあ、普通にあるほほえましい光景だ。特殊性癖のある方々にはたまらない光景だろう。
生憎俺はそういうのとは無縁だったため、こそこそと隠れながら通り過ぎようとする。
即効でバレた。
どうにも、そういう星の元に生まれついたものの宿命らしい。
「あっ」
という彼女の発言と。
「う」
という俺の発言が重なった。
二人は顔見知りです、という宣言をしたようなものだ。
純正培養であると推測される絵里さんのご友人方が黄色い声を上げた。
それだけですくみ上がる俺の肝。
「きゃあ、誰々?絵里ちゃんの知り合い?もしかして彼氏!?」
彼氏を辛子と同じ発音で発言するあたり、お嬢様臭が色濃いと判断。
「え、ち、違うよ。姉貴の知り合いだって」
「姉貴って、美月さん?もしかして美月さんの彼氏!?」
別な一人の発言。どうにも、何が何でも色恋沙汰に繋げたいような意思を感じるのは俺の気のせいか?
「知り合いだってば。・・・あー、桜井、さん。お久です」
口調は穏当だが、視線は去れと告げている。
無論、去る。
「久しぶりだね、絵里さん。おっと、すまないね、俺今日急いでるから、それじゃあまた」
シュタ、と好青年演じて片手を上げる。
「えー、久しぶりに会ったんですよねー、積もる話もあるんじゃないんですかあ?」
空気を察しろよ、と名も知らぬ少女に心の中で突っ込む。
「やあ、でもバイトがあるから」
「アルバイトしているんですか?」
「ええ」
「どこですか?」
いや、どこって・・・。
「ちょっと遠いトコのコンビニだけど・・」
「へえーコンビニでバイトしてるんですね!」
「ええ、まあ」
こういう会話は嫌いだ、というか苦手だった。
お互い何も知らない身の上での、一からの積み重ねというものは非常に面倒くさい。
どう打ち切ってやろうかと、そればかり頭の中で考える。
「絵里ちゃんとはどういったご関係なんですかっ?」
「まあ顔見知りです」
「どこで知り合ったんですかっ?」
「小学校のとき、少し」
「少し、なんなんですかっ?」
気のせいか、さっきから同じ人にしか質問されていない。
グループの明らかに中心点にいるであろうその少女。
絵里さんはというと、明らかに不快そうにしていつつもその少女に遠慮して何もいえない様子だった。
傍目にも、その少女の人間力(その社会的地位も加味した総括的能力。造語)はグループでも飛びぬけている。
それは遠慮の少ない、体当たり的な質問の踏み込み方からも伺える。
「少し、遊んだことがあってね。だから顔見知り」
「へえ、失礼ですけどお年はいくつですかっ?」
溌剌とした笑顔に厭味成分は感じられず、全体的に好ましい容姿をしてもいる。
男女を問わず、好かれる人なのだろう。同時に、それと同じくらい嫌われる人種でもある。
「絵里さんの一つ上ですよ」
「あ、じゃあやっぱり先輩さんですねっ。よかった、敬語使っておいて」
アハハ、と笑う。それに追従するグループ。
しかし、場の雰囲気は既に俺を不要であると結論しているように見受けられる。
ただ、そのリーダーだけが執拗に俺に絡んでいた。
「コンビニでバイトしてらっしゃるって聞きましたけど、その制服開明ですよね、あそこアルバイト禁止ですよ?いけないんだー」
アハハ。追従する少女達。
「はは・・・」
苦笑い。
「何か欲しいものでもあるんですか?」
「欲しいもの?そりゃああるさ」
衣食住。これに勝るものはない。
「なんなんですか?」
衣食住だ、とは正直に答えづらい。
「秘密」
嘘をつくときの通例として、少し茶目っ気を交えて応えてみた。
「えー、余計気になりますよー」
結果、彼女が俺との距離を狭めてきた、物理的に。しかしこれは精神的距離にも作用する。
つまり、失敗。茶目っ気など慣れぬものを披露したツケか。彼女は、俺が御しやすいかもしれないという想定を持ったようだ。
「あの、千尋ちゃん・・・」
ここで絵里さんが口を挟んできた。いい加減、俺が視界に移ることに耐えかねてきたようだ。
「この人、急いでるみたいだから・・・」
「えー、いいじゃんちょっとくらい。ね、いいですよねっ」
軽くいなす千尋さん。
ほう、千尋というのか、名前が発覚しただけで彼女という人間の像が俄かに輪郭を帯びてきた。
「それにこの人とか言っちゃってるし。そんなに浅い関係なの?」
「そーだよ」
絵里さんが口を尖らせて肯定する。
その表情、仕草、どれをとってもその質問が不快であったことを示しており、逆説、彼女と俺が浅からぬ縁であることを窺わせている。
「へえー」
結果、千尋さんは俺と絵里の関係に疑問と興味を抱き、この年頃の少女の通例として持っている好奇心という病気を遺憾なく発揮させる要因となった。
「ええっと、千尋さんでよかったかな?」
名前で呼ぶ、これだけでこう、上手くいえないが人間と人間を結ぶ目に見えない、言葉にも仕切れない一種異様なもの同士が結ばれた気がした。
「はい、そうですよ。あ、自己紹介がまだでしたね、私は桜井千尋です!お気づきと思いますが同じ苗字ですねっ。紛らわしいのは嫌いなので千尋と呼んでください。あ、それと差し支えなければお名前を頂戴できますか?」
桜井・・・・?
珍しいといえば珍しいが、鈴木や山田などと比べれば程度のものなのだ、なのになにかが引っかかった。
「あ・・・桜井、友二です。よろしく」
桜井、千尋・・・?
記憶に引っかかる。
俺と母さんの犠牲の上で順風満帆の男が、同じような名前の娘を持っていた・・・。
「桜井友二さんですか。へえ・・・」
彼女の瞳に常とは違うものが含有される。
互い、認識した。
異母兄妹。
「よろしければ・・・連絡先など教えてもらえますか?」
「・・・・・・・・・・やめといたほうがいいんじゃない?」
彼女は皮を被ったが、俺はその努力を放棄した。面倒だから。
「お父さんに聞けば分かることだからいいですけど」
「へえ、素直に教えてくれると思ってる?」
「まさか・・・」
「・・・・・・・・・・あの?」
グループが俺と彼女に困惑する。
わずらわしいだけだった。
「連絡先が駄目なら、アルバイトの後でもいいのでお時間、いただけますか?」
「無理だね。夜も働くから」
「・・・・・・・・・その後で構いません」
「俺が構うさ。夜間は出歩かないほうがいい」
「それじゃあ、いつ、会えますか?」
「会わないほうがいい」
「ちょっと、友二!」
絵里さんが耐えかねたように割り込む。
「絵里ちゃん、ちょっと邪魔しないで」
「邪魔しないでって・・・・なに?なんか変だよ?」
「変じゃないよ。ちょっと、この人と私には話し合わなくちゃいけない問題があると発覚しただけ」
「発覚しただけって、いま会ったばっかりじゃない」
「説明する気はないから。ゴメン、あとは皆で楽しんできてくれないかな?埋め合わせはするから」
それは懇願ではなく恫喝だった。
少なくとも、俺にはそう思える。
なるほど血を、引いていることだけはある。
否定的な意識は生まれるが嫌うほどじゃないのが救いだ。
まあ、そういう意味では別段、俺はあの父すらも嫌っているわけではないのだが。
わずらわしい。それだけだった。
「アルバイトまでどれくらい時間がありますか?」
「もう今すぐ駆け出さないと間に合わない」
「じゃあ、二人で走りましょうか」
「・・・・・・・分かったよ。なら歩いて向かうくらいの余裕はある。話そうか」
「ありがとうございます」
歩き出した。
肩を並べる。
少女達の疑問の声が上がるが無視。
彼女も同意見だったようだ。
「まず最初に断っておきますが、私はお父さんから通り一遍の説明などは受けていません。すべて状況から判断した程度の知識しかありませんので」
まあ、自ら汚点を語るような人ではないから当然か。
「アンタの親父の、浮気相手の息子だよ、俺は」
正確には、違うが。
「じゃあ私は、アナタのお父さんの正妻の娘です」
「それで、わざわざ俺と肩並べて歩いて、何はなしたいの?」
「まあ、最初に聞きたいのは、どうしてお父さんから援助を受けないのかってことですね」
戸籍上、俺の保護者は彼女の親父だった。
が、観念の上ではこれ以上なく食い違っている、ソレが故だ。
「恨んでるんですか?」
「恨んでるんなら、戸籍の上でだってあの人の息子にはならないさ。失踪でもなんでもしてる。ただ単に、普通に生活をするだけなら俺一人でなんとかなる。それだけの話だよ」
「分かりませんね。あなたは未成年なんですから、しかるべき庇護の下で生活するべきなんだと思いますが?ただ感情がそれを受け入れなくて、だからこそ今のように子供じみた反発心で金銭的問題を解決している、それだけなんじゃないんですか?」
確かに、俺が問題を起こせばそれは保護者たる彼女の父親にも波及する。
これは、独立とは言いがたい。
だがソレは問題を起こせば、という仮定の話。
仮定など、並べれば切がないようなものにはそうそうに妥協点を見出すべきだ。
「君のその発言には二つ、間違いがある」
「なんですか?」
「まず理想は空想であるという認識の欠如。そして、これは反発ではない」
独立だ、と口中で吐く。
俺が彼女の父親の庇護下に入ったのは高校に進学するためだ。
美月と芹がいるから。
彼女の父親に保証人になってもらったのは、そしてこれからもなってもらうのは手間がないからだ。
あの人はその程度なら、二つ返事で頷いてくれる。罪の意識から。
「分かりませんよ。私の発言のどこが空想なんですか?それと、あなたのは明らかな反発じゃないですか」
「空想だよ。金銭的問題を解決している、それだけじゃないか、と君は言った」
「言いました」
「俺はいつも餓えているし、家賃だって滞納などザラだ。正直きつい。バイトだって夜間のほうは身分を詐称しているくらいだからね。さて聞こう、この境遇の上で、これは独立ではないと君は言えるか?」
「いえますよ。何度も言いますが、金銭的な問題以外はうちの父に頼っているじゃないですか。何か問題を起こせば父に迷惑が掛る身分じゃないですか」
「それを言えば、世の二世達は皆々、妻を持ち子を持ち、家を持っても独立していないことになる。それは親がいるからだ。問題を起こせば迷惑が波及するからね」
「その人たちは問題が起きても自分たちでカバー出切るじゃないですか。でもアナタは未成年でしょう?まず親に行きます、世間は」
「なにをすれば親に行くのさ?」
「それは・・・だからアルバイトが学校に発覚したら」
「即日で退学するが?」
「口だけでしょう」
「違うね」
「・・・なら、たとえば・・犯罪を起こしたら」
「犯罪を起こした成年は独力でそれを解決できるのか、なんて世の中だ」
「・・・」
「な、空想だろう?本当に独立できている人間なんていやしない。問題は必ず周囲に波及する。大なり、小なり、ね」
「そうやって息巻くのは勝手ですけどね、再度言いますが、アナタは未成年者なんです。それだけで、周囲に波及する効果って奴はとても大きなものになるんです。例えば、そうしてアナタが独立の真似事をしている段階ですら、世の人から見れば糾弾の対象になるんです。あなたが意固地になるのは勝手ですが、なんて私にはいえません。どうして私が父の援助を受けないのか、という会話を始めたのかその気持ちが分かりますか?
援助を受けないこと、それ自体が迷惑だからなんです。なるほどアナタは立派にやれています。その年で、通学しながらも働いて自分の食い扶持を稼ぐなんていうのは並大抵のことではないと思います。凄いです、でも迷惑なんです」
迷惑なんです、と面と向かって言われては言葉に詰まるものがあった。
父ですら、遠慮からそのようにハッキリとはモノを言わなかったから。
それが会って数時間も経たない異母妹に言われたともなれば、堪える程ではないが多少の衝撃はある。
「いいですか、アナタにはその日の生活を保障してくれる確かな後ろ盾があるんです。これを蹴って、わざわざ好き好んで清貧に身を窶している姿というのは少々・・・滑稽に過ぎるんですよね。これがもしも、後ろ盾もなにもない状態で、向学心からそのような生活を送っていると仮定したのならば本当に立派な人だったんですが・・・。アナタが今現在、どんな苦労を背負っているにせよそれは滑稽なだけなんですよ」
滑稽とな。まったく侮るような視線と共に、わずかな怒りすらも滲ませて彼女は言うのだ。
「もういい加減、反抗期は終わりにして下さい」
反抗期。
苦痛の連続でしかない俺の毎日は、その一言に封ぜられた。
認めるか?否。それは出来ない。
「終わらないよ。なぜかわかる?」
「分かりませんよ、そんなの。でもどうせ下らない理由じゃないんですか?」
胸に火花が、少しだけ散った。懐かしい感覚に身を任せ、口から出てきたそれは、本心。
「母さんがね、恨んで死んだんだ、君の父親を」
「それで?」
「その心情を斟酌した結果、ってことさ」
「分かりません」
「引っ付いて子供作って、でも立身出世の為にそれを切り捨て別な家庭を築いた男が君の父親。俺はその子供だけれど、その前に母さんの息子だからって自覚があるんだよ」
「・・・・・・・・」
理解し兼ねるような表情を浮べる異母妹
「つまり、お父さんが嫌いなんでしょう?あなたのお母さんではなく、私のお母さんを選んだお父さんが嫌いでその庇護下に入らないんだから、やっぱり反発じゃないですか」
「誰がいつ、君のお父さんが嫌で庇護を拒否したと発言したのかな?」
「それは、私の想像ですけど、状況的に、そうそう的外れということはないと思いますが?」
「そう取られても仕方はなしか。言っておくが、別に俺は君の父親が憎いわけじゃない。
勿論好きでもないけどね。俺には母さんがいて、その人は最高の母さんだったから、父親なんて必要なかったからね」
「でも、いまは実際にこうして一人で生活している。桜井の性も名乗っている」
「何もかもを君のお父さんに迎合したら、お母さんが怒る。だって、死ぬ、間際にだって・・・お母さんは君の父さんを罵っていたんだから。滅多に愚痴なんて言わない人だった。でも、君のお父さんのこととなると話が違う。嫌っていた。そういう意味では桜井の性なんて名乗るわけには行かなかったけれども・・・俺は、別に君のお父さんを嫌っているわけじゃないから。つまり、これは妥協点なんだ。お母さんと俺の気持ちを混ぜ合わせた、丁度いい中間点。それがこの状態」
「・・・・・・なにさ、それ・・・」
吐き捨てるように、桜井千尋は呟いた。
「とても下らない。そんな理由でお父さんを苦しめないでください。確かにお父さんは間違いを犯したかもしれないけれども、ちゃんと悔い改めているんです。そういう気持ちを無下にして、なんとも思わないんですか?」
彼女の発言は自分本位に過ぎる、と思ったがそれは違うか。彼女は彼女の父親のことについてのみ懊悩しているのだから、これは“自分”本意とは少しずれている。
だが、それはほんの少しの格差に過ぎない。往々にして、この程度の格差は誤差として許容されてしまう。
父親のことで“彼女”が苦しんでいる時点で、それは矢張り“自分”本意なのだ。
まあ、それを言ってしまえば世の中に、人のためだけにものをいえる人間など殆どいやしないだろうが。
無味乾燥とした数値的、統計的評価のみが他人本位だ。
感情が混じった時点でそれは別物に変貌する。
それでも、彼女の感情が父親側に傾いている、という事実に関しては評価に値することである。
むしろ、そういう微妙かつ微小の格差を持ってして、自分と他人を分け隔てるのだろうから。
「なんとも思うさ。だから籍に入るとか保証人になってもらうとか、そういう実務的な物事の他にも接触している。時々、だけれどもね」
「その程度でなにかしているつもりにならないでください。お父さんからの保護を受けて、そりゃあ一緒には住めませんけれども月に何回か会食なりして、そういうふうに家族してくださいよ」
「そりゃあ、駄目だろう。母さんが嫌がる」
「じゃアナタの気持ちはドコに行くんです?」
俺の気持ち?分かりきったことを聞く。
「母さんが嫌がることはしたくない。君のお父さんが嫌がることも、なるべくなら避けたい。これが俺の気持ちだよ」
まごーことなき、ね。
「それはアナタの気持ちじゃないです。私が言っているのは、他人の希望を斟酌した上でのアナタの行動指針ではなく、そういう状況をすべて無くした上でのまっさらな気持ちのことなんです」
「・・・うーん。難しいね。まあ、君のお父さんに興味はない。ただ義理はあるから、それを最低限返そうと努力している。これならどう?」
「実の父親に対してそういう認識を持っているんですか」
怒りが含まれる声色。
「はは。一度は捨てられたんだぜ?母子共々。恨んでないだけ、マシなんじゃないの?」
「過ぎたことです。いちいち蒸し返さないでください」
過ぎたこと、ときたか。まあ、事実だ。
「とにかく、今のアナタの馬鹿げた生活を許容するだなんて私にはできません。今すぐ、父の庇護下に入ってください」
「勘違いするなよ。俺は、誰の許しも得たいと思っちゃいない。ベストと思ったことをした。母さんが死んで自暴自棄にもなったけど、この事柄に関してだけは抜け殻なりに最大限の努力をした。それを否定する権利を、お前が持っているとは思わない」
胸の火花が広がった。
「俺なりに、父と母を尊重した。結果がこれだ。最上だと自負している。いまさらお前の父親への同情心の一つや二つじゃ、とてもじゃないが覆らない」
アルバイト先に到着。
おざなりな別れを囁いて、そのまま背を向ける。
これ以上、話すことはなかったからだ。



翌日早朝、肩を怒らせた不審人物が我が家に無断で侵入してきた。
寝ぼけながら歯を磨いている途中だった俺は、突如響く玄関戸の開閉の音に腰を抜かしつつ視線を向けた。
「うわ、え・・・美月さんじゃないか。どうしたのこんなに朝早く?また遊園地?」
美月さんは、むっ、としながら靴を脱いで部屋へ直行してしまう。この間、無言。
「美月さん?何のようなの?」
急いで口をゆすいで、なにやら挙動の不審な彼女の前に座る。
ちゃぶ台とタンス以外の家具はないので、六畳一間でも随分広く感じられる。
「あ、お茶でも入れようか」
腰を浮かす。
「必要ない。あと私は美月じゃねえよ」
私服だったので気づかなかった。そういえば、今日は土曜日だ。
「ああ、絵里さん」
頷く。言われてみれば、少しだけ髪の長さが違うような、同じなような。
ジロジロ眺めて観察するが、やっぱし同じに見えた。
更に観察し結論。
美月さんだ。
大体、絵里さんがこの部屋を訪れるわけがない。
時々彼女はこういうことをする。
でも俺は騙された振りをして、納得した上で彼女の話を聞くのだ。
「昨日、会ったじゃんよ」
じゃんよ、と言われても返答に窮する。恐らく家で絵里さんに昨日の顛末を聞き、なにやらの感情に突き動かされてきたのだろう。
しかし、それだけでは絵里さんに扮する理由には至らない。
「ええ、その節はどうも」
取りあえず相手の出方を伺う。
「いや、どうも・・・」
相手も同じ考えのようだ。
こういう事態に陥ると状況の打開は難解を極める。
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・」
茶もないので沈黙を紛らわせることができない。
さて、どうしたものか。
「ええと、昨日のことが心配で、来たの?」
彼女の予備知識を測る質問。
「あ、うん。そうそう、心配だった。ええと、千尋、とは知り合いなの?」
大体のことは知っているらしい。
それならば話も早い。
「うん、知り合い」
「どんな?」
「異母妹」
「・・・・・・・・・マジ?」
「マジ」
美月さんの顔が驚きに彩られた。
「居たんだ、妹」
「俺も会ったのは初めてでね。自己紹介を聞いたときにもしかして、と思ったら案の定だった。物凄い偶然だよね」
互いに再会する意図など持ち合わせていなかったのだから、偶然以外の何物でもない。
「・・・桜井、千尋?」
「そう」
「・・・・そっか、異母妹、か」
「うん」
美月さんが俯く。
「なあ」
掛けられた声は、沈痛なもの。
「?」
「平気か?」
「平気だよ」
浅い仲ではない、この応酬だけで事足りた。
「ならいいんだ。お前の顔くらいつまんねえこと聞いたな」
なんでそういうこと言うかなあ。照れ隠し、照れ隠しって思い込むのにも限界があるってのに。
「それで、今日の用件はそれだけ?」
「いや、まだある」
「なにかな?」
「決別しよう」
「・・・また急な話だね・・」
些か呆れの混じった返答を返す。まるで子供のやることだ。
「考えた末の結論だ」
「そうか、なら仕方ないね。さようなら永遠に、美月さん」
「ああ・・・ああ?違う、私は絵里だ」
絵里だ、と美月さんの顔で言い張る。
「いや、実際もう見分けつくから」
「・・・・・・・・・・・マジ?」
「マジ」
心底驚かれた。
「未だに両親ですら間違えるのに・・・」
「はは、美月さんのほうが美人だからね」
取りあえず無意味に持ち上げてみる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
物凄い持ち上がった。
______美月と絵里の違いなんて、簡単だ。
まぶた。
美月のそれは奥二重、絵里のそれは一重なんだよね。
だから、よーく見れば誰にでも区別がつくわけさ。
なのに、未だにこのことは俺しか知らないらしい。
ちょっと優越感。
キモ、俺。
「それじゃあ何だ、お前は私が絵里を偽る時、いつも騙された振りをして裏で笑っていたというのか?」
「そんな訳ないじゃない。どうして美月さんが絵里さんを偽るのか、その理由をまず考察し、しかる後にその心情を酌量若しくは加味した上で意見を聞いていたんだよ。端から間違いを指摘するよりはずっと思いやりに溢れているとおもうけれど?」
「お前、嫌な奴だな・・」
美月さんの表情が驚きに変わる。どうにも、新たな俺の側面が大層意外だったらしい。
「どうしてこれがいやな奴になるの?」
「どうしてって・・・そんなことも分からなくなっちまったのかよ」
「なっちまったって・・・まるで 以前はそうでなかったかのような口ぶりだね」
「事実、そうだった」
断言される、さりとて昔の自分などそこまで明確に覚えていられるものではない。
「いつまでも被害者面なだけならいざ知らず、唯一の取り柄だった性根すらも腐らせるたあ大した馬鹿者だな。本当、これ以上汚してくれるなよ、頼むから」
「何を頼むというのさ。俺が何を汚しているというのさ」
「お前はお前を汚してる。確かにあの事はショッキングだった。それは認める。でももう立ち直ってもいい頃合じゃねえか?」
「____________」
口は貝と化す。
彼女の問いに返す言葉を、俺は未だ見出せない。
もしくは、見出すことを嫌がっているのかもしれない。
かもしれない?随分と曖昧だな、自分のことくらい明確に定義してみせろよ。
それが、できなくなった。
つまり彼女はそういうことを言いたいのだろう。
・・・・・・・・・気力が湧かない。
生きることは、苦しいことだ。
つまり苦しいことが、生きることなんだろう。
俺は生きている。だから苦しい。それが、甘え。それが彼女の言う被害者面。
人との繋がりを蔑視してはならないのは共同体における重要な適性だが、それが薄い。
薄いというよりは、軽視している。
死にたいのかもな。
だって苦しいから。
苦しいのは嫌で嫌なものは嫌で、生きることが苦しいことなら逆説、死ねばこれを解決せしめることができる。
思考は変わらず、取りとめもない。
生産性もなければ必要性も皆無の無為な言葉の羅列が澱と積もり沈殿する。
思考。若しくは死考。
『雪が降ったら俺は死ぬ。そう思うと、随分気持ちが楽になった』
この町に雪は降らない。滅多に。時には、振る。
風花程度を雪と定義するかは彼のその時の状態に寄るであろう。
グレーゾーンに当たる気候は二度あった。
彼は、生きた。
きっとまだ好きなものが、捨てられないものがあるのだろう。
金城正木。俺は俺の死を思うとき、決まって彼の物語を思い出す。
それはまだ俺達が近所の川べりを走り回っていられた時分。
この町に、滅多に降らない雪が降り積もる、二つ前の冬のことだった。



問題児という生徒はどこの学校にも生息する。
不特定ではないものの、多数の人間が寄り集まる場において爪弾き役が一人は紛れるのは自明の理といえた。
その中で、金城正木という一つ年上の生徒は際立って問題児だった。
問題児の中の問題児。
問題児オブ問題児。それが彼だった。
家は裕福。しかし多忙な両親は幼少の彼を構おうとはせず暖かい家庭など露知らず。
結果形成される歪な性格性癖。
異常な自己顕示欲に裏打ちされた徹底的な自己中心主義。
またその我侭を貫き通す経済的バックボーンの存在と暴力特性。
そして、弱者への被虐。
後に彼は言った。友達が欲しかったんだと。
キッカケというものは極端なものだ。些細か多大かの両極端。
前者が彼、後者が俺。
友達が欲しかった。
そう嘯きながら彼の威に下る者を従え人を殴り、貶めた。
その冬、その標的に、俺も選ばれた。


「お前、愛人の子供だってな」
覚えたての卑俗な言葉を誇るように振りかざし、彼は俺を名指してそう呼んだ。
「・・・・・・・」
別段、腹を立てるまでもない。似たようなことは言われなれている。
ただ、彼の瞳は少々真っ直ぐに過ぎた。
ここまで真剣に人間を直視するいじめっこを、俺は知らない。
「おい、何とか言えよ」
無言を恭順と諒解したか、早速彼を数人の取り巻きが俺を囲い小突きだす。
少し、痛い。
「・・・・・・・」
言葉を返す行為に意味はない。
このような場合、どのように正論を吐いたところで有らぬ揚げ足を取られていたぶりの口実にされるだけである。
「なんだコイツ、白けるなあ」
金城が取り巻きの一人に命じて俺を羽交い絞めにさせる。
「逃がすなよ」
そう言い、十分な踏み込みと共に繰り出される体当たり。
肩口をぶち当てるそれは見事俺の胸に的中し、未だかつてない鈍痛を味わう。
咳き込み崩れ落ちようとするが、背後でガッチリと俺をホールドする者はそれを許さない。
「何回やって泣き出すか賭けようぜ」
得意満面でそう提案する彼に、子分共がこぞって己が予想を喚きだす。
「・・・・・・・・・・」
胸が痛い。これが、また普通に痛いのだ。
威嚇だとか叱責だとか、そういう意味での薄い暴力なら受けたことがある。
しかしここまで明確に人間を害しようとするむき出しの暴力がここまで痛いものだとは知らなかった。
理解する。
これは危険だ。
「あの・・・・」
声を出す。
金城が振り向いた。その目は爛々と輝いている。
「あ?なんか言ったか?」
「ええっと・・・スイマセン」
謝る。未だかつて、謝って許してもらったことがない。
「ばーか」
おざなりな嘲りの言葉と共に、再度衝撃を受け、今度は地面に転がる。
砂が口に入る。
「_______っ」
地面に転がされるのは慣れているけれど、そこに痛み成分が加味されるだけでここまで無様な思いを抱くとは知らなかった。
一瞬、拳を固めて一矢報いようという埒のない考えが頭を掠めた。
馬鹿馬鹿しい。さらに痛めつけれられるだけじゃないか。
逃げよう。
そう思い立ってからの行動は迅速だった。
立ち上がった手で掴んだ砂を撒いて動揺を誘い、その隙に一目散で逃げ出した。
よしこのまま真っ直ぐレッツホーム、かと思いきや襟首が引き戻されて、仰向けに大地へ引き倒された。
「・・・・・・・おいおい、随分と舐めたまねしてくれるじゃねえか」
金城正木が、サディスティックな表情も露に馬乗りになってくる。
「逃がすかよ、馬鹿」
胸倉を掴まれる。
指を服の襟に絡め捻じられた。容易には解けまい。
しかしこの体勢からでは十分な踏み込みなど期待出来ない。それほどの実害はないだろうと判断。
瞬間、金城が絡めた腕を伸ばして一歩後退した。それは拙いと俺も歩を進める。
出鼻をくじかれたと、金城の顔に怒気が浮かぶ。
拳が飛んできた。
それは体重の上乗せがなされていない、簡素な拳だったが目標が問題だった。
眼球だけは、どんな人間も鍛錬できない。
器質的なダメージとしては、打撃による圧迫程度であればさしたることはないだろう。
しかし、それでも危険性は高い。失明ということはないであろうが、三日程度は目がつぶれる。






冗談じゃない。





       

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Neetsha