剣と槍。受け継ぐは大志
第八章 歴史変革
国王が崩御していた。私達がメッサーナ軍と戦を繰り広げている最中に、王は息を引き取ったのだ。その死は安らかなものとされているが、実際の所は悶え苦しんだのだろう。遅効性とは言え、毒での死は酷烈に違いないのだ。一部では、遺体はまるでミイラのようで、見るも無残だったという噂も流れている。
問題は国王の死ではなく、その後継だった。そして、まだそれは決まっていない。後継者候補で有力なのは、国王の息子と国王の弟である。普通なら息子が王となるのだが、まだ幼い。それで、弟が王になろうと立ち上がったのだ。
いずれにしろ、王は後継者を指名して死んだはずだが、何かと揉めている所を見ると、色々と厄介事が起きているのだろう。当然、これにはフランツも絡んでいると予想できるが、詳細は分からない。
ただ、フランツは息子を王としたいはずだ。息子ならば、傀儡にできる。育て方によっては、優れた王にする事も可能なのだ。その一方で、弟は暗愚という噂が昔から絶えなかった。どうせ、今回の騒動も佞臣どもが甘い汁を吸いたいがために、弟にくだらない事を吹き込んだのが切っ掛けとなったのだろう。
ここから先は政治家達の問題であって、私達のような軍人が踏み込むべき領域ではなかった。ただ、さっさと後継者を決めてしまわないと、メッサーナに足元を掬われかねない。とにかく、今は国王の座が空位となっているのだ。そして、こんな状況の中でも、軍だけは毅然としていなければならなかった。
レキサスが、ミュルスから凱旋していた。ミュルス反乱については、僅かな日数で鎮圧しており、上からはかなりの評価を得ている。国力を削り落すような形にならずに済んだからだ。ただ、私はやり方が気に入らなかった。武力で鎮圧したのではなく、内応を使ったのである。つまり、策略での勝利だった。
策略を否定するつもりは全く無い。だが、レキサスという名を思い浮かべると、どうしても小賢しいという思いが付きまとう。というより、らしくない。レキサスは策略を好む性格ではなく、どちらかと言うと正々堂々というのがしっくり来るのだ。とすれば、誰かの入れ知恵か何かなのか。
どちらにせよ、レキサスはこれから頭角を表していく事になるだろう。ただ、都の軍ではなく、地方軍の方での話になりそうだった。今の地方軍は、徐々に質の底上げがされているとは言え、都の軍と比べると見劣りするのが現実である。ここにレキサスを充てて、大きく改善を図ろうという狙いなのだ。
ふと、壁に立てかけてある槍が目に入った。
槍。アビスで戦ったあの男の槍には、確かに見覚えがあった。だが、明確な記憶は出て来ない。隻眼だったという事が、妙に脳裏に焼き付いている。
その男は、スズメバチ隊を率いていた。スズメバチ隊とは、いつか必ず、どこかで相まみえるとは思っていた。メッサーナが敵である限り、これは避けようのない事だろう。だから、スズメバチ隊が戦場に帰ってきた事については、それほど驚いてはいない。むしろ、スズメバチ隊を率いていた男の方に、私は驚いていた。
第一に若い。年齢は二十歳ぐらいか。それでいて、見事な槍捌きだった。隙はなく、かといって攻めが消極的でもない。高次元で完成された槍術だったと言って良いだろう。いや、本当に完成されていたのか。まだ、未完ではないのか。どこか、成長の余裕のようなものが、垣間見えていたという気もする。
そして何故か、ロアーヌの影がチラついていた。使っていた武器は槍だったが、ロアーヌの剣に通じる何かがあった。ただ、ハッとする程の清廉さも備えていて、これはロアーヌの剣には無かったものだ。
スズメバチ隊の指揮も果敢だった。一千にも満たない軍勢だったはずだが、良いようにやられた、という思いは拭えない。
私が名乗れと言った時、あの男は、もう名乗っている、と言っていた。つまり、どこかで戦った事がある。ならば、どこで。
何かが、頭の奥で疼いた。槍の軌跡が、何かと繋がりかけている。ロアーヌの剣。違う。清廉すぎる。どうでも良い事だ、と思おうとしたが、追求の念は止まなかった。むしろ、強くなっている。あの男と私の間に、強烈な宿命がある。そんな気さえもした。
槍の軌跡。アビス原野。そして、ロアーヌの剣。最後に、隻眼。
「闘神の子」
呟いていた。思い出したのだ。アビス原野での大戦で、私は一人の童と戦った。その童は、闘神の子、レンと名乗った。私はそのレンと何合と戦い、最後に抜刀からの一撃を見舞った。その時、左眼を斬ったような記憶がある。首を取るつもりの一撃だったが、かわされたのだ。
そうか。あの男の正体は、シグナスの血を引き、ロアーヌによって育てられたレンだったのか。名乗っている。なるほど、確かにそうだ。
そして、スズメバチ隊。
「数年の時を経て、ロアーヌの志は蘇ったという事かな」
レンがスズメバチ隊を率いていたのは、偶然でも何でも無いだろう。なるべくしてなった事に違いない。私がレンと戦い、左眼を奪った事も、再び戦場で出会った事も、なるべくしてなった事なのだ。
笑みがこぼれていた。面白い。素直にそう思った。これから先、幾度となくレンと、スズメバチ隊と戦う事になる。その先に待っているのは、何なのか。勝利か敗北か。生か死か。
そして、真の天下。それを奪るのは、国なのか、メッサーナなのか。
「フランツ、しくじるなよ。政治が上手く行かなければ、軍も動けん」
独り言を呟き、私は目を閉じた。とにかく今は、後継者だった。
問題は国王の死ではなく、その後継だった。そして、まだそれは決まっていない。後継者候補で有力なのは、国王の息子と国王の弟である。普通なら息子が王となるのだが、まだ幼い。それで、弟が王になろうと立ち上がったのだ。
いずれにしろ、王は後継者を指名して死んだはずだが、何かと揉めている所を見ると、色々と厄介事が起きているのだろう。当然、これにはフランツも絡んでいると予想できるが、詳細は分からない。
ただ、フランツは息子を王としたいはずだ。息子ならば、傀儡にできる。育て方によっては、優れた王にする事も可能なのだ。その一方で、弟は暗愚という噂が昔から絶えなかった。どうせ、今回の騒動も佞臣どもが甘い汁を吸いたいがために、弟にくだらない事を吹き込んだのが切っ掛けとなったのだろう。
ここから先は政治家達の問題であって、私達のような軍人が踏み込むべき領域ではなかった。ただ、さっさと後継者を決めてしまわないと、メッサーナに足元を掬われかねない。とにかく、今は国王の座が空位となっているのだ。そして、こんな状況の中でも、軍だけは毅然としていなければならなかった。
レキサスが、ミュルスから凱旋していた。ミュルス反乱については、僅かな日数で鎮圧しており、上からはかなりの評価を得ている。国力を削り落すような形にならずに済んだからだ。ただ、私はやり方が気に入らなかった。武力で鎮圧したのではなく、内応を使ったのである。つまり、策略での勝利だった。
策略を否定するつもりは全く無い。だが、レキサスという名を思い浮かべると、どうしても小賢しいという思いが付きまとう。というより、らしくない。レキサスは策略を好む性格ではなく、どちらかと言うと正々堂々というのがしっくり来るのだ。とすれば、誰かの入れ知恵か何かなのか。
どちらにせよ、レキサスはこれから頭角を表していく事になるだろう。ただ、都の軍ではなく、地方軍の方での話になりそうだった。今の地方軍は、徐々に質の底上げがされているとは言え、都の軍と比べると見劣りするのが現実である。ここにレキサスを充てて、大きく改善を図ろうという狙いなのだ。
ふと、壁に立てかけてある槍が目に入った。
槍。アビスで戦ったあの男の槍には、確かに見覚えがあった。だが、明確な記憶は出て来ない。隻眼だったという事が、妙に脳裏に焼き付いている。
その男は、スズメバチ隊を率いていた。スズメバチ隊とは、いつか必ず、どこかで相まみえるとは思っていた。メッサーナが敵である限り、これは避けようのない事だろう。だから、スズメバチ隊が戦場に帰ってきた事については、それほど驚いてはいない。むしろ、スズメバチ隊を率いていた男の方に、私は驚いていた。
第一に若い。年齢は二十歳ぐらいか。それでいて、見事な槍捌きだった。隙はなく、かといって攻めが消極的でもない。高次元で完成された槍術だったと言って良いだろう。いや、本当に完成されていたのか。まだ、未完ではないのか。どこか、成長の余裕のようなものが、垣間見えていたという気もする。
そして何故か、ロアーヌの影がチラついていた。使っていた武器は槍だったが、ロアーヌの剣に通じる何かがあった。ただ、ハッとする程の清廉さも備えていて、これはロアーヌの剣には無かったものだ。
スズメバチ隊の指揮も果敢だった。一千にも満たない軍勢だったはずだが、良いようにやられた、という思いは拭えない。
私が名乗れと言った時、あの男は、もう名乗っている、と言っていた。つまり、どこかで戦った事がある。ならば、どこで。
何かが、頭の奥で疼いた。槍の軌跡が、何かと繋がりかけている。ロアーヌの剣。違う。清廉すぎる。どうでも良い事だ、と思おうとしたが、追求の念は止まなかった。むしろ、強くなっている。あの男と私の間に、強烈な宿命がある。そんな気さえもした。
槍の軌跡。アビス原野。そして、ロアーヌの剣。最後に、隻眼。
「闘神の子」
呟いていた。思い出したのだ。アビス原野での大戦で、私は一人の童と戦った。その童は、闘神の子、レンと名乗った。私はそのレンと何合と戦い、最後に抜刀からの一撃を見舞った。その時、左眼を斬ったような記憶がある。首を取るつもりの一撃だったが、かわされたのだ。
そうか。あの男の正体は、シグナスの血を引き、ロアーヌによって育てられたレンだったのか。名乗っている。なるほど、確かにそうだ。
そして、スズメバチ隊。
「数年の時を経て、ロアーヌの志は蘇ったという事かな」
レンがスズメバチ隊を率いていたのは、偶然でも何でも無いだろう。なるべくしてなった事に違いない。私がレンと戦い、左眼を奪った事も、再び戦場で出会った事も、なるべくしてなった事なのだ。
笑みがこぼれていた。面白い。素直にそう思った。これから先、幾度となくレンと、スズメバチ隊と戦う事になる。その先に待っているのは、何なのか。勝利か敗北か。生か死か。
そして、真の天下。それを奪るのは、国なのか、メッサーナなのか。
「フランツ、しくじるなよ。政治が上手く行かなければ、軍も動けん」
独り言を呟き、私は目を閉じた。とにかく今は、後継者だった。
調練中のレンは、まるで鬼だった。基礎の体力作りから騎乗での武器の扱いまで、そのやり方は苛烈を極めており、死んだ方がマシだ、と言っている兵が居る程である。しかも、この調練は未だ序章に過ぎないのだという。時には、水だけで七日間、行軍する調練をやったりもするらしい。実戦時に兵糧がいつも届くとは限らない。ましてや、スズメバチ隊は遊撃隊だ。状況によっては、兵糧が届かない事の方が多かったりするかもしれないのである。だから、先に身体で覚えさせておく。一度でも経験しておけば、次からはある程度の免疫が期待できるのだ。
俺は軍という場所に初めて身を置く事となったが、時間が経つにつれて、スズメバチ隊はかなり特殊な軍であるという事が実感できた。最初から、そういう心構えで居たのだが、俺の予想を遥かに上回ったのだ。
メッサーナ軍は各指揮官の色が強く出ている。例えば、シーザー軍は攻撃特化であり、アクト軍は堅実かつ果敢、バロン軍は臨機応変で模範的な存在、といった所である。その中で、スズメバチ隊だけは異様な存在感があった。特徴らしき特徴はない。というより、規格外なのだ。調練も他の軍とはまるで違うし、兵として期待される力量の水準もかなり高い。そして何より、レンの色がそこまで強く出ていないのである。しかし、指揮官の存在感は誰よりも強くあると言って良いだろう。
レンがスズメバチ隊の指揮官となったので、俺も自然とスズメバチ隊の兵となった。当然の事ながら、階級は兵卒である。調練や実戦の中で、指揮能力などの素質があると判断されれば、将校に取り上げられたりもするのだろう。
今の俺の所属は、シンロウという小隊長の元だった。シンロウの上には、大隊長であるジャミルが居て、さらにその上に将軍のレンが居る。将軍と言っても、レンは兵達に気さくに話しかけたりするので、兵達からは恐れられながらも尊敬されているようだ。
「シオン、スズメバチ隊の調練はどうだ?」
上官であるシンロウが話しかけてきた。俺は徒歩での武器調練を終えたばかりで、少しばかり息が上がっている。周りの兵の中には、立っているのも辛いのか、大の字で倒れ込んでいる者も居た。
「思ったより激しいです。軽々とまではいかずとも、それなりにやれるだろう、とは思っていましたので」
「何を言ってる。あんだけ身体を動かして、息が上がっているだけじゃないか。お前と比べて、俺などは死ぬ覚悟を決めた時があったぐらいだぞ。なんてたって、初っ端にジャミル殿にぶちのめされたからな」
そう言って、シンロウは大きな声で笑った。上官にぶちのめされるとは、どういう事をしたのだろう、と思ったが、俺はあえて何も聞かなかった。元はシーザー軍の出身と聞いているので、ある程度の予想はつく。あのニールの父親の軍なのだ。
「しかし、お前はゆくゆくは俺を超えていきそうだな。スズメバチ隊に所属して間も無いのに、すでに兵卒の器じゃねぇよ」
「そう言われてもピンと来ませんね。ただ、兄上の役に立ちたい。これだけは確かです」
「兄上、ね。レン将軍は何者なんだろうな。底抜けの大きさがあるように思えるが、妙に身近な存在だと感じる時もある。不思議な人だよな」
「シンロウ殿は、兄上をそういう風に感じておられるのですか」
「最初に見た時に、もうこの人がスズメバチ隊の指揮官で良いだろう、と思ったよ。ここだけの話だが、ジャミル殿が指揮官だった頃は、こんな奴が、と思ったもんだ。まぁ、それが原因でぶちのめされたんだがよ」
シンロウはレンが将軍になってから、小隊長に昇格していた。ジャミルの口添えがあったと聞いているので、ジャミルはシンロウの事をより買っているのだろう。
「とにかく、スズメバチ隊は正式に復活した。それに俺も言ってしまえば、新参者だ。シオン、これからもよろしく頼むぜ」
そう言って、シンロウは白い歯を見せて笑った。屈託のない笑顔で、気付けば俺も笑顔で頷いていた。
その日は夕刻まで調練を続けて、俺は疲れ切った身体で兵舎に戻った。まだ、完全に慣れていないというのもあるのだろうが、さすがに夕刻ともなると、疲労は限界に達する。
「シオン、居るか?」
寝台の上に身体を投げ出した所で、扉の向こうから声が聞こえた。レンの声である。
「はい」
「疲れている所にすまないが、一緒に飯でもどうだ? ニールやダウドも誘っている」
あれだけの調練の後に、と半ば呆れ気味だったが、断る理由はなかった。それにしても、レンの身体はどうなっているのだろうか。兵達と同じ内容の調練を、同じ数だけこなしたのに、声からはそこまでの疲労の色は感じられないのだ。俺とは潜り抜けた修羅場の数が違う、という事なのか。
レンには了承の返事をし、具足から軍袍に着替えて、共に繁華街に出た。さすがにピドナには活気がある。すぐにニールやダウドとも合流し、手ごろな店を選んで、四人で入った。
「今日は当然、レン将軍の奢りだよな?」
席について注文を終えるなり、ニールがレンの肩を叩きながら言った。
「勘弁してくれよ、と言いたいが、まぁ良いだろう。お前から、そう言われる事は覚悟していたからな」
「そうこなくちゃな。で、どうだ。スズメバチ隊は?」
「父上の時と比べると、やはりまだ粗削りだ。兵の数が少ない、というのもあるのだろうが」
「シオンの方は?」
「まだ慣れていないからな。調練は厳しい。ただ、上官のシンロウ殿とは上手くやらせてもらっている」
「シオン兄でも、厳しく感じる調練か」
不意にダウドが口を開いた。
「このクソガキ、スズメバチ隊に入りたいって言ってんだよ」
言いながら、ニールが鼻で笑う。ダウドがキッとニールを睨みつけた。
「確かに剣の腕は上達してきているが、身体が小さすぎるんだよ、お前は」
ニールは今でも暇を見て、ダウドの稽古に付き合っているようだ。時には、ダウド自らがシーザー軍の方まで出向いたりもしているらしい。
「もう少しで童とは言えない年齢になるな、ダウドは」
「それです、レン兄。なのに、俺はまだ身体が大きくならない。食事はきちんと摂っているのですが」
「もう諦めろ、ダウド。お前に兵は無理だ」
「ニールさんは黙っててください」
「なんだと、生意気な」
ニールが拳骨を放ったが、ダウドはそれを華麗によけた。それが妙に可笑しくて、俺はつい笑ってしまった。
「てめぇ、なんでよけるんだよ」
「これ、攻撃回避の稽古ですよね?」
「なわけねぇだろっ」
さらに拳骨を放ったが、またもよけられた。それを二度、三度と繰り返していく内に、ニールの顔が真っ赤になり、怒鳴り声をあげた。ダウドがさすがにまずい、と気付いたのか、こちらに目を向けてくる。俺はそれをレンに流した。頭に血が昇ったニールは、レンでないと対処できないのだ。
レンがニールを宥める。その間に注文していた料理が運び込まれてきた。
「美味そうだな、おい」
ニールが声をあげ、目を輝かせた。もう機嫌は直ったようだ。相変わらず、単純な男である。
「やれやれ」
レンがそう言ったので、俺とダウドはくすりと笑った。ニールが訳のわからなそうな表情を浮かべる。それがまた可笑しくて、ついにはニール以外の三人が声をあげて笑い始めた。
「何が面白いんだよ、てめぇらっ」
ニールが怒鳴り声をあげたが、すぐにニール自身も俺達につられて笑い始める。
メッサーナに来て良かった。笑いの中で、俺はふとそう思っていた。
俺は軍という場所に初めて身を置く事となったが、時間が経つにつれて、スズメバチ隊はかなり特殊な軍であるという事が実感できた。最初から、そういう心構えで居たのだが、俺の予想を遥かに上回ったのだ。
メッサーナ軍は各指揮官の色が強く出ている。例えば、シーザー軍は攻撃特化であり、アクト軍は堅実かつ果敢、バロン軍は臨機応変で模範的な存在、といった所である。その中で、スズメバチ隊だけは異様な存在感があった。特徴らしき特徴はない。というより、規格外なのだ。調練も他の軍とはまるで違うし、兵として期待される力量の水準もかなり高い。そして何より、レンの色がそこまで強く出ていないのである。しかし、指揮官の存在感は誰よりも強くあると言って良いだろう。
レンがスズメバチ隊の指揮官となったので、俺も自然とスズメバチ隊の兵となった。当然の事ながら、階級は兵卒である。調練や実戦の中で、指揮能力などの素質があると判断されれば、将校に取り上げられたりもするのだろう。
今の俺の所属は、シンロウという小隊長の元だった。シンロウの上には、大隊長であるジャミルが居て、さらにその上に将軍のレンが居る。将軍と言っても、レンは兵達に気さくに話しかけたりするので、兵達からは恐れられながらも尊敬されているようだ。
「シオン、スズメバチ隊の調練はどうだ?」
上官であるシンロウが話しかけてきた。俺は徒歩での武器調練を終えたばかりで、少しばかり息が上がっている。周りの兵の中には、立っているのも辛いのか、大の字で倒れ込んでいる者も居た。
「思ったより激しいです。軽々とまではいかずとも、それなりにやれるだろう、とは思っていましたので」
「何を言ってる。あんだけ身体を動かして、息が上がっているだけじゃないか。お前と比べて、俺などは死ぬ覚悟を決めた時があったぐらいだぞ。なんてたって、初っ端にジャミル殿にぶちのめされたからな」
そう言って、シンロウは大きな声で笑った。上官にぶちのめされるとは、どういう事をしたのだろう、と思ったが、俺はあえて何も聞かなかった。元はシーザー軍の出身と聞いているので、ある程度の予想はつく。あのニールの父親の軍なのだ。
「しかし、お前はゆくゆくは俺を超えていきそうだな。スズメバチ隊に所属して間も無いのに、すでに兵卒の器じゃねぇよ」
「そう言われてもピンと来ませんね。ただ、兄上の役に立ちたい。これだけは確かです」
「兄上、ね。レン将軍は何者なんだろうな。底抜けの大きさがあるように思えるが、妙に身近な存在だと感じる時もある。不思議な人だよな」
「シンロウ殿は、兄上をそういう風に感じておられるのですか」
「最初に見た時に、もうこの人がスズメバチ隊の指揮官で良いだろう、と思ったよ。ここだけの話だが、ジャミル殿が指揮官だった頃は、こんな奴が、と思ったもんだ。まぁ、それが原因でぶちのめされたんだがよ」
シンロウはレンが将軍になってから、小隊長に昇格していた。ジャミルの口添えがあったと聞いているので、ジャミルはシンロウの事をより買っているのだろう。
「とにかく、スズメバチ隊は正式に復活した。それに俺も言ってしまえば、新参者だ。シオン、これからもよろしく頼むぜ」
そう言って、シンロウは白い歯を見せて笑った。屈託のない笑顔で、気付けば俺も笑顔で頷いていた。
その日は夕刻まで調練を続けて、俺は疲れ切った身体で兵舎に戻った。まだ、完全に慣れていないというのもあるのだろうが、さすがに夕刻ともなると、疲労は限界に達する。
「シオン、居るか?」
寝台の上に身体を投げ出した所で、扉の向こうから声が聞こえた。レンの声である。
「はい」
「疲れている所にすまないが、一緒に飯でもどうだ? ニールやダウドも誘っている」
あれだけの調練の後に、と半ば呆れ気味だったが、断る理由はなかった。それにしても、レンの身体はどうなっているのだろうか。兵達と同じ内容の調練を、同じ数だけこなしたのに、声からはそこまでの疲労の色は感じられないのだ。俺とは潜り抜けた修羅場の数が違う、という事なのか。
レンには了承の返事をし、具足から軍袍に着替えて、共に繁華街に出た。さすがにピドナには活気がある。すぐにニールやダウドとも合流し、手ごろな店を選んで、四人で入った。
「今日は当然、レン将軍の奢りだよな?」
席について注文を終えるなり、ニールがレンの肩を叩きながら言った。
「勘弁してくれよ、と言いたいが、まぁ良いだろう。お前から、そう言われる事は覚悟していたからな」
「そうこなくちゃな。で、どうだ。スズメバチ隊は?」
「父上の時と比べると、やはりまだ粗削りだ。兵の数が少ない、というのもあるのだろうが」
「シオンの方は?」
「まだ慣れていないからな。調練は厳しい。ただ、上官のシンロウ殿とは上手くやらせてもらっている」
「シオン兄でも、厳しく感じる調練か」
不意にダウドが口を開いた。
「このクソガキ、スズメバチ隊に入りたいって言ってんだよ」
言いながら、ニールが鼻で笑う。ダウドがキッとニールを睨みつけた。
「確かに剣の腕は上達してきているが、身体が小さすぎるんだよ、お前は」
ニールは今でも暇を見て、ダウドの稽古に付き合っているようだ。時には、ダウド自らがシーザー軍の方まで出向いたりもしているらしい。
「もう少しで童とは言えない年齢になるな、ダウドは」
「それです、レン兄。なのに、俺はまだ身体が大きくならない。食事はきちんと摂っているのですが」
「もう諦めろ、ダウド。お前に兵は無理だ」
「ニールさんは黙っててください」
「なんだと、生意気な」
ニールが拳骨を放ったが、ダウドはそれを華麗によけた。それが妙に可笑しくて、俺はつい笑ってしまった。
「てめぇ、なんでよけるんだよ」
「これ、攻撃回避の稽古ですよね?」
「なわけねぇだろっ」
さらに拳骨を放ったが、またもよけられた。それを二度、三度と繰り返していく内に、ニールの顔が真っ赤になり、怒鳴り声をあげた。ダウドがさすがにまずい、と気付いたのか、こちらに目を向けてくる。俺はそれをレンに流した。頭に血が昇ったニールは、レンでないと対処できないのだ。
レンがニールを宥める。その間に注文していた料理が運び込まれてきた。
「美味そうだな、おい」
ニールが声をあげ、目を輝かせた。もう機嫌は直ったようだ。相変わらず、単純な男である。
「やれやれ」
レンがそう言ったので、俺とダウドはくすりと笑った。ニールが訳のわからなそうな表情を浮かべる。それがまた可笑しくて、ついにはニール以外の三人が声をあげて笑い始めた。
「何が面白いんだよ、てめぇらっ」
ニールが怒鳴り声をあげたが、すぐにニール自身も俺達につられて笑い始める。
メッサーナに来て良かった。笑いの中で、俺はふとそう思っていた。
一人で原野を駆けていた。向かう先はランスの居るメッサーナである。
スズメバチ隊をまとめるのは、そう難しい事ではなかった。これも全て、ジャミルが上手くやってくれていたからだろう。俺が指揮官になって、やるべき事というのは驚くほど少なかったのだ。スズメバチ隊の指揮官は俺という事になっているが、内情に最も詳しいのはジャミルである。この影響からか、ジャミルは俺の副官と言っても良い存在になっていた。
そんなジャミルにスズメバチ隊を任せ、俺はピドナを発ったのだった。シオンが付いていくと言い出したが、その前に兵としての調練が先だった。シオンの単騎としての実力はすでに頭抜けているが、集団戦となるとまだ粗削りな面が否めない。頭抜けているが故に、他の兵達と呼吸が合わないのだ。どうしても突出しがちとなり、孤立気味になってしまう。シオンはこれを欠点として認識しているようだが、まだ頭でわかっているというだけだった。しかし、この欠点を克服すれば、シオンは傑出した存在になるだろう。
シオン以外にも、これはと思える人材は何人か居る。その一人がシンロウであり、これはジャミルが見出した男である。突出した長所はまだないが、全体的に能力の水準は高い。的を絞って育てれば、良い指揮官になり得ると思えた。
まさに、スズメバチ隊は蘇ろうとしていた。ただ、軍としての性格は父の時よりも柔らかくなったのかもしれない。父のスズメバチ隊は、とにかく峻烈だった。それでいて、どの軍よりも強い絆があり、どの軍よりも兵が父を、すなわち指揮官を信じていた。
俺はどうなのだろう。兵達に認められている、という気はしている。だが、父と比べた時にどうなのか。父は多くは語らずとも、兵達とは心の奥底で繋がっているという感じがあった。これはおそらく、兵が父を信じていたと同時に、父も兵を信じていたから出来ていた事だ。
父のようになりたい、という思いはあった。だが、同じやり方では上手く行かないだろう、という事も何となくだが分かった。だから、俺は兵達と語った。共に調練をこなした。そうしている内に、僅かではあるが俺と兵の間に絆が出来たような気がした。
槍のシグナスの血を継いでいる。ルイスには、そう言われた。あえて何も聞かなかったが、兵の心を掴むという点については、実父に近いものを俺が持っているという事なのだろう。これは、誇りだった。
いずれにしろ、俺は父の時とは違うスズメバチ隊を作らなければならない。剣のロアーヌは、すでにこの世にはいないのだ。
俺は通常よりも早い足で馬を駆けさせ、九日をかけてメッサーナに到着した。ランスには、ピドナを発つ前に手紙で会いに行くと伝えてある。
「スズメバチ隊の指揮官、レンだ」
俺はメッサーナの門前で馬から降り、門番の兵らに向けて言った。
「これはレン殿、お待ちしておりました」
門番の一人がそう言い、俺の顔をジッと眺めてニコリと笑う。その門番の口ひげには、白いものが多く混じっていた。
「なるほど、御父上に似ておられる。まさしく、槍のシグナスの息子ですな」
そう言われたが、どう返して良いかわからず、俺は目を伏せた。
「あぁ、申し訳ありません。私はシグナス槍兵隊の一人だったので、つい懐かしんでしまいました。さて、ランス殿がお待ちです」
「父は」
門番が道を空けようとした所で、俺は口走った。
「父は偉大でしたか」
「はい。シグナス将軍の勇姿は、未だ目に焼き付いております。私は戦で片腕の腱を痛め、もう戦う事はできなくなりましたが」
「シグナス槍兵隊は、アクト将軍が引き継いでいます。もちろん、志も」
「存じております。レン殿は、ロアーヌ将軍の遺志を継がれるのでしょう」
「はい。そして、ランス殿に会いに来ました」
俺がそう言うと、門番は柔らかい笑顔を作って道を空けた。それで、もう門番の方は見なかった。何故か、自分の目がしらが熱くなっていたのだ。
そのまま、ランスの居る政庁に向かい、私室を訪ねた。扉の前には、一人の年老いた侍女が立っている。
「ランス殿に会いに来ました。今、よろしいですか?」
「レン様ですね」
侍女にそう言われ、俺は頷いた。入って良いという仕草をされたので、俺は扉を開けて部屋の中に入った。
「おぉ、レンか」
その声を聞いた瞬間、俺は胸を衝かれる想いに襲われた。ひどくか細く、今にも消え入りそうな声だったのだ。
「ランス殿」
寝台に歩み寄り、手を握る。その手は悲しいほどやせ細り、シワで覆われていた。
「会いたかったぞ、レン」
「俺もです。長く留守にしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、良い。こうして会いに来てくれた。それだけで私は十分だよ」
ランスの眼を見つめる。生気が、消えようとしていた。しかし、理不尽なものではない。天命なのか。ランスの死は、もう目前に迫っている。
「ランス殿、聞いて欲しい事があるのです」
「うむ。私で良ければ、聞こう」
言って、ランスが咳き込んだ。背中をさすろうとしたが、手で制された。良いから話せ、という事なのだろう。
「旅の中で、俺は二つの答えを見出しました。一つは、俺が戦う理由。そしてもう一つは、天下を取るために必要な事」
「ほう。戦う理由は、ロアーヌやシグナスの大志を受け継ぐ、という所か?」
「まさしく。旅をしていく中で、俺は様々なものを見てきました。そして、それらはメッサーナに居ては絶対に分からなかった事ばかりです」
「その通りだ、レン。ならば、天下を取るために必要な事とは?」
俺はランスの眼を見つめた。これを伝えるため、俺はランスに会いにきたのだ。
「国を興す。王を抱え、国を興す事です」
言った。その時、空気が張り詰めたような気がした。王という絶対的存在を抱え、天下取りに乗り出す。ランスは、これをどのようにして受け止めるのか。
「レン」
不意に、ランスの表情が儚く見えた。
「私は安心して死ねそうだ。お前の言った事は、私が考えていた事と全く同じだよ」
「ランス殿?」
「もうメッサーナは天下を争っていると言っても過言ではない。つまり、国と並び立っているのだ。だから、王を抱えてメッサーナという国を興すべきだ。レン、お前は天下を旅してきた。そのお前が言うのだ。これはすなわち、天命という事だろう」
ランスの手に、力がこもった。僅かに熱も帯びている。
「バロンをこの場に。あの男に、私の、いや、メッサーナの全てを託す」
そう言ったランスの眼は、生気で溢れていた。しかし、間もなく消えゆく命であろうという事は、何故かハッキリと分かった。
スズメバチ隊をまとめるのは、そう難しい事ではなかった。これも全て、ジャミルが上手くやってくれていたからだろう。俺が指揮官になって、やるべき事というのは驚くほど少なかったのだ。スズメバチ隊の指揮官は俺という事になっているが、内情に最も詳しいのはジャミルである。この影響からか、ジャミルは俺の副官と言っても良い存在になっていた。
そんなジャミルにスズメバチ隊を任せ、俺はピドナを発ったのだった。シオンが付いていくと言い出したが、その前に兵としての調練が先だった。シオンの単騎としての実力はすでに頭抜けているが、集団戦となるとまだ粗削りな面が否めない。頭抜けているが故に、他の兵達と呼吸が合わないのだ。どうしても突出しがちとなり、孤立気味になってしまう。シオンはこれを欠点として認識しているようだが、まだ頭でわかっているというだけだった。しかし、この欠点を克服すれば、シオンは傑出した存在になるだろう。
シオン以外にも、これはと思える人材は何人か居る。その一人がシンロウであり、これはジャミルが見出した男である。突出した長所はまだないが、全体的に能力の水準は高い。的を絞って育てれば、良い指揮官になり得ると思えた。
まさに、スズメバチ隊は蘇ろうとしていた。ただ、軍としての性格は父の時よりも柔らかくなったのかもしれない。父のスズメバチ隊は、とにかく峻烈だった。それでいて、どの軍よりも強い絆があり、どの軍よりも兵が父を、すなわち指揮官を信じていた。
俺はどうなのだろう。兵達に認められている、という気はしている。だが、父と比べた時にどうなのか。父は多くは語らずとも、兵達とは心の奥底で繋がっているという感じがあった。これはおそらく、兵が父を信じていたと同時に、父も兵を信じていたから出来ていた事だ。
父のようになりたい、という思いはあった。だが、同じやり方では上手く行かないだろう、という事も何となくだが分かった。だから、俺は兵達と語った。共に調練をこなした。そうしている内に、僅かではあるが俺と兵の間に絆が出来たような気がした。
槍のシグナスの血を継いでいる。ルイスには、そう言われた。あえて何も聞かなかったが、兵の心を掴むという点については、実父に近いものを俺が持っているという事なのだろう。これは、誇りだった。
いずれにしろ、俺は父の時とは違うスズメバチ隊を作らなければならない。剣のロアーヌは、すでにこの世にはいないのだ。
俺は通常よりも早い足で馬を駆けさせ、九日をかけてメッサーナに到着した。ランスには、ピドナを発つ前に手紙で会いに行くと伝えてある。
「スズメバチ隊の指揮官、レンだ」
俺はメッサーナの門前で馬から降り、門番の兵らに向けて言った。
「これはレン殿、お待ちしておりました」
門番の一人がそう言い、俺の顔をジッと眺めてニコリと笑う。その門番の口ひげには、白いものが多く混じっていた。
「なるほど、御父上に似ておられる。まさしく、槍のシグナスの息子ですな」
そう言われたが、どう返して良いかわからず、俺は目を伏せた。
「あぁ、申し訳ありません。私はシグナス槍兵隊の一人だったので、つい懐かしんでしまいました。さて、ランス殿がお待ちです」
「父は」
門番が道を空けようとした所で、俺は口走った。
「父は偉大でしたか」
「はい。シグナス将軍の勇姿は、未だ目に焼き付いております。私は戦で片腕の腱を痛め、もう戦う事はできなくなりましたが」
「シグナス槍兵隊は、アクト将軍が引き継いでいます。もちろん、志も」
「存じております。レン殿は、ロアーヌ将軍の遺志を継がれるのでしょう」
「はい。そして、ランス殿に会いに来ました」
俺がそう言うと、門番は柔らかい笑顔を作って道を空けた。それで、もう門番の方は見なかった。何故か、自分の目がしらが熱くなっていたのだ。
そのまま、ランスの居る政庁に向かい、私室を訪ねた。扉の前には、一人の年老いた侍女が立っている。
「ランス殿に会いに来ました。今、よろしいですか?」
「レン様ですね」
侍女にそう言われ、俺は頷いた。入って良いという仕草をされたので、俺は扉を開けて部屋の中に入った。
「おぉ、レンか」
その声を聞いた瞬間、俺は胸を衝かれる想いに襲われた。ひどくか細く、今にも消え入りそうな声だったのだ。
「ランス殿」
寝台に歩み寄り、手を握る。その手は悲しいほどやせ細り、シワで覆われていた。
「会いたかったぞ、レン」
「俺もです。長く留守にしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、良い。こうして会いに来てくれた。それだけで私は十分だよ」
ランスの眼を見つめる。生気が、消えようとしていた。しかし、理不尽なものではない。天命なのか。ランスの死は、もう目前に迫っている。
「ランス殿、聞いて欲しい事があるのです」
「うむ。私で良ければ、聞こう」
言って、ランスが咳き込んだ。背中をさすろうとしたが、手で制された。良いから話せ、という事なのだろう。
「旅の中で、俺は二つの答えを見出しました。一つは、俺が戦う理由。そしてもう一つは、天下を取るために必要な事」
「ほう。戦う理由は、ロアーヌやシグナスの大志を受け継ぐ、という所か?」
「まさしく。旅をしていく中で、俺は様々なものを見てきました。そして、それらはメッサーナに居ては絶対に分からなかった事ばかりです」
「その通りだ、レン。ならば、天下を取るために必要な事とは?」
俺はランスの眼を見つめた。これを伝えるため、俺はランスに会いにきたのだ。
「国を興す。王を抱え、国を興す事です」
言った。その時、空気が張り詰めたような気がした。王という絶対的存在を抱え、天下取りに乗り出す。ランスは、これをどのようにして受け止めるのか。
「レン」
不意に、ランスの表情が儚く見えた。
「私は安心して死ねそうだ。お前の言った事は、私が考えていた事と全く同じだよ」
「ランス殿?」
「もうメッサーナは天下を争っていると言っても過言ではない。つまり、国と並び立っているのだ。だから、王を抱えてメッサーナという国を興すべきだ。レン、お前は天下を旅してきた。そのお前が言うのだ。これはすなわち、天命という事だろう」
ランスの手に、力がこもった。僅かに熱も帯びている。
「バロンをこの場に。あの男に、私の、いや、メッサーナの全てを託す」
そう言ったランスの眼は、生気で溢れていた。しかし、間もなく消えゆく命であろうという事は、何故かハッキリと分かった。
ランスの居室の前だった。急な呼び出しで、私の他にはクライヴ、シーザー、ルイスといった面々が呼ばれており、さらにはクリスも北の大地からこちらに向かっているという。
メッサーナの古参将軍達が、ランスに呼ばれているという事だった。例外といえばアクトであるが、これにはピドナの守りを任せており、呼ばれても行けないという事情がある。
このメッサーナの地に、文武の主だった者達が招集される。これは何を意味しているのか。考えたくない事だが、ランスの死が近いという事を示しているのか。
至急、メッサーナに来られたし。書簡と共に、伝令兵はそう言った。ピドナで軍務をこなしていた時の事だ。ランス直々の呼び出しだったので、その日の内に私はホークと共にピドナを出た。
問題は留守中に戦が起きないか、という点だが、これは可能性は低い。国では王が急死し、今は後継者問題で揉めているという。ただ、軍はしっかりと統制されているために、全く動けないという訳ではなかった。だから、アクトに留守を任せたのだ。
「バロンです。ただいま、到着致しました」
扉を前にして、私は言った。
「うむ、入ってくれ」
ランスの声だった。思ったより活力がある。それで何故か、気が楽になった。今になって気付いたが、どこかで緊張していたらしい。
扉を開けて、私は部屋に入った。すでにクリス以外の面々は揃っており、レンやヨハンも居る。そのまま、眼をランスの方にやった。
「これは、ランス殿」
声のイメージとは裏腹に、ひどく弱々しい姿だった。寝台の上に横たわり、優しい笑みを浮かべている。髪は真っ白になっていて、それがはっきりと老いを感じさせた。しかし、不思議と悲愴感はない。
「久方ぶりだな、バロン。お前がピドナを見てくれるおかげで、私はずいぶんと楽が出来た」
出来た。何故か、過去形だった。しかし、その何故かは分かっていた。ただ、自分が認めたくないだけだ。
「バロン、ゴルドはまだ元気でやっているのか?」
私の父親代わりの男である。齢はもう八十をとうに超えているが、病を得る事もなく故郷で元気に暮らしている。
「はい。もう退役して、今は隠居暮らしをしていると聞いています。元々は私の軍師でしたが、歳が歳ですので」
「羨ましいな。私よりもずいぶん、歳を取っていたはずだが。まぁ、人の生とは案外そういうものなのかもしれん」
そう言って、ランスは少し笑った。他の面々は、どこか険しい表情をしたまま立っている。
「ランス殿」
ヨハンが言った。それで、どこか空気が張り詰めたものになった。
「うむ。クリスがまだだが、仕方ないかな。私も、もうしんどくなってきた」
ランスのこの言葉が、何かひどく重要な事のように聞こえた。ヨハンの方に眼をやったが、ランスだけをじっと見つめている。
「バロン、お前に頼みごとがあるのだ。聞いてもらえるか?」
「出来得る限り」
そう返答したが、言われる内容は何となくだが予想がついた。これだけの面々が、この場に集まっているのだ。
「メッサーナをお前に託したいのだ」
予想は的中した。メッサーナの軍権を預けられるというのは、以前から考えていた事だった。本来なら、最古参のクライヴが預かるのが適当だが、ランスが私に言ってきたという事は、クライヴ本人が承諾しなかったという事なのだろう。
「メッサーナの軍権、ですか」
「違う。全てだ」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。違うとは、どういう意味なのか。そして、全てとは。
「全て、というと、首領になれ、という事ですか?」
ランスには男子が二人居る。そうなれば、次期首領は実子が継ぐのが当たり前の事である。だから、私が承諾するわけにはいかない。もし承諾してしまえば、メッサーナの根本が揺れ動く事になる。
「それも違う。メッサーナを国として興して欲しいのだ、バロン。お前に、王になって欲しいのだ」
目を見開いていた。言葉は何も出て来ない。というより、何を言っているのか。
「この場に居る者達も、私の言う事に賛同してくれた。まぁ、シーザーだけは反対気味であったがな」
「言っている意味がわかりません。すでにこの国には王が居ます。そして、今は後継者を」
「そうだ。だが、今のメッサーナを考えた時、我々はすでに国と並び立っている事に気付いたのだ。ならば、国を興すべきではないのか。民は、優れた王を必要としている」
「ランス殿」
「もう、国は寿命を迎えたのだ。お前と出会った時、私はそういう話をしたと思う。だからこそ、新しい国が必要なのだ。国として天下を取って欲しいのだ」
ランスの言う事はわかる。だが、私が王となるのか。ならば、何故。私にその器量があると見られたのか。そもそもで、私は今の国の礎を作り上げた高祖父の血を引いている。そんな私に、国を興せというのか。王になれというのか。
「私の息子では、無理なのだ。同様にヨハンも、クライヴも無理だ。お前しか居ないのだ」
「私は、高祖父の血を引いているのです。この私が、メッサーナという国を興せば」
血の冒涜となるのではないのか。高祖父の血は、私の誇りなのだ。何者にも汚せない、私の誇りなのだ。
「バロン。今の国をそのままに、メッサーナで天下を取れるのか。絶対的な主を欠いた状態で、天下が取れるか」
「そんな事は、わかりません。しかし、現に戦えています。時をかければ」
「時をかけた結果が、今であると私は思う。すなわち、天下が取れていない。バロン、そなたの高祖父は確かに偉大だ。だが、高祖父は今のような国を、望んでいたのだろうか。すでに、この国は壊されているのだ、バロン。私はお前と出会った時、そう言った」
「覚えています。しかし」
「高祖父の血を引くお前が国を倒さずして、誰が倒すのだ」
私が、国を興す。そしてメッサーナ王となり、高祖父が作り上げた国を。
血が熱くなっていた。何者にも汚せない誇り。王となれば、この誇りを私自身が汚してしまう事になるのではないのか。
「バロン将軍」
レンが私の名を呼んでいた。
「国を興してください。高祖父が夢見たはずの国を、バロン将軍が作り上げてください」
言われて、私は目を閉じた。そして、レンの言った事の意味を、よく考えた。高祖父は何を想い、国を作り上げたのか。民の平穏を願い、天下を統一したのではないのか。ならば、今の国は。そして、メッサーナが取るべき道とは。私が成すべき事とは。
目を開いた。
「やってくれるか、バロン」
何も言わず、私はただ頷いた。そうする事しか出来なかった。死にゆく一人の男が、命を振り絞ったのだ。命を賭して、私に成すべき事を授けてくれたのだ。
ランスがニコリと笑う。
「これで私も安心できる」
そう言って、ランスは窓の方に目をやった。私もそれにつられて目をやると、木々に葉が生い茂っているのが見えた。
「ちょっと前まで、桜の花が咲いていたと思ったのだがな」
「もう夏ですよ、ランス様」
ヨハンが言った。声が、震えている。それが何故かは、すぐに分かった。
「ヨハン、バロンを頼むぞ。ルイスと協力して、政務を助けてやってくれ。そして、クライヴ、シーザー、これからも軍の主力となり、メッサーナを支えよ」
それぞれが、返事をした。みんな、声が震えている。
「レン。そなたの父上、シグナスと同じように、兵から好かれる将となれ。ロアーヌと同じように、自らに厳しい将となれ。そして、二人のように、天下一の男となれ」
「はい」
「クリスと会えないのが残念であるが、これからも兄のように慕うのだぞ。弟たちの事で困った事があれば、クリスに相談するのだ。そして、お前の姿が見れて、本当に良かった」
レンの返事はなかった。唇が震えている。声を出せば、もう涙が出てしまうのだろう。
「バロン」
呼ばれた。心は引き締まっていた。
「後は、任せた」
そう言って、ランスは目を閉じた。もう、呼吸の音は聞こえなかった。私の背後で、嗚咽が響いている。
決して、優れた男ではなかった。突出した点を持っているわけでもなく、何かに秀でていたわけでもなかった。ただ、人から好かれていた。そして、深い情を持っていた。だからこそ、メッサーナの首領だった。
「必ず、天下を」
私の頬を、一筋の涙が伝った。
メッサーナの古参将軍達が、ランスに呼ばれているという事だった。例外といえばアクトであるが、これにはピドナの守りを任せており、呼ばれても行けないという事情がある。
このメッサーナの地に、文武の主だった者達が招集される。これは何を意味しているのか。考えたくない事だが、ランスの死が近いという事を示しているのか。
至急、メッサーナに来られたし。書簡と共に、伝令兵はそう言った。ピドナで軍務をこなしていた時の事だ。ランス直々の呼び出しだったので、その日の内に私はホークと共にピドナを出た。
問題は留守中に戦が起きないか、という点だが、これは可能性は低い。国では王が急死し、今は後継者問題で揉めているという。ただ、軍はしっかりと統制されているために、全く動けないという訳ではなかった。だから、アクトに留守を任せたのだ。
「バロンです。ただいま、到着致しました」
扉を前にして、私は言った。
「うむ、入ってくれ」
ランスの声だった。思ったより活力がある。それで何故か、気が楽になった。今になって気付いたが、どこかで緊張していたらしい。
扉を開けて、私は部屋に入った。すでにクリス以外の面々は揃っており、レンやヨハンも居る。そのまま、眼をランスの方にやった。
「これは、ランス殿」
声のイメージとは裏腹に、ひどく弱々しい姿だった。寝台の上に横たわり、優しい笑みを浮かべている。髪は真っ白になっていて、それがはっきりと老いを感じさせた。しかし、不思議と悲愴感はない。
「久方ぶりだな、バロン。お前がピドナを見てくれるおかげで、私はずいぶんと楽が出来た」
出来た。何故か、過去形だった。しかし、その何故かは分かっていた。ただ、自分が認めたくないだけだ。
「バロン、ゴルドはまだ元気でやっているのか?」
私の父親代わりの男である。齢はもう八十をとうに超えているが、病を得る事もなく故郷で元気に暮らしている。
「はい。もう退役して、今は隠居暮らしをしていると聞いています。元々は私の軍師でしたが、歳が歳ですので」
「羨ましいな。私よりもずいぶん、歳を取っていたはずだが。まぁ、人の生とは案外そういうものなのかもしれん」
そう言って、ランスは少し笑った。他の面々は、どこか険しい表情をしたまま立っている。
「ランス殿」
ヨハンが言った。それで、どこか空気が張り詰めたものになった。
「うむ。クリスがまだだが、仕方ないかな。私も、もうしんどくなってきた」
ランスのこの言葉が、何かひどく重要な事のように聞こえた。ヨハンの方に眼をやったが、ランスだけをじっと見つめている。
「バロン、お前に頼みごとがあるのだ。聞いてもらえるか?」
「出来得る限り」
そう返答したが、言われる内容は何となくだが予想がついた。これだけの面々が、この場に集まっているのだ。
「メッサーナをお前に託したいのだ」
予想は的中した。メッサーナの軍権を預けられるというのは、以前から考えていた事だった。本来なら、最古参のクライヴが預かるのが適当だが、ランスが私に言ってきたという事は、クライヴ本人が承諾しなかったという事なのだろう。
「メッサーナの軍権、ですか」
「違う。全てだ」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。違うとは、どういう意味なのか。そして、全てとは。
「全て、というと、首領になれ、という事ですか?」
ランスには男子が二人居る。そうなれば、次期首領は実子が継ぐのが当たり前の事である。だから、私が承諾するわけにはいかない。もし承諾してしまえば、メッサーナの根本が揺れ動く事になる。
「それも違う。メッサーナを国として興して欲しいのだ、バロン。お前に、王になって欲しいのだ」
目を見開いていた。言葉は何も出て来ない。というより、何を言っているのか。
「この場に居る者達も、私の言う事に賛同してくれた。まぁ、シーザーだけは反対気味であったがな」
「言っている意味がわかりません。すでにこの国には王が居ます。そして、今は後継者を」
「そうだ。だが、今のメッサーナを考えた時、我々はすでに国と並び立っている事に気付いたのだ。ならば、国を興すべきではないのか。民は、優れた王を必要としている」
「ランス殿」
「もう、国は寿命を迎えたのだ。お前と出会った時、私はそういう話をしたと思う。だからこそ、新しい国が必要なのだ。国として天下を取って欲しいのだ」
ランスの言う事はわかる。だが、私が王となるのか。ならば、何故。私にその器量があると見られたのか。そもそもで、私は今の国の礎を作り上げた高祖父の血を引いている。そんな私に、国を興せというのか。王になれというのか。
「私の息子では、無理なのだ。同様にヨハンも、クライヴも無理だ。お前しか居ないのだ」
「私は、高祖父の血を引いているのです。この私が、メッサーナという国を興せば」
血の冒涜となるのではないのか。高祖父の血は、私の誇りなのだ。何者にも汚せない、私の誇りなのだ。
「バロン。今の国をそのままに、メッサーナで天下を取れるのか。絶対的な主を欠いた状態で、天下が取れるか」
「そんな事は、わかりません。しかし、現に戦えています。時をかければ」
「時をかけた結果が、今であると私は思う。すなわち、天下が取れていない。バロン、そなたの高祖父は確かに偉大だ。だが、高祖父は今のような国を、望んでいたのだろうか。すでに、この国は壊されているのだ、バロン。私はお前と出会った時、そう言った」
「覚えています。しかし」
「高祖父の血を引くお前が国を倒さずして、誰が倒すのだ」
私が、国を興す。そしてメッサーナ王となり、高祖父が作り上げた国を。
血が熱くなっていた。何者にも汚せない誇り。王となれば、この誇りを私自身が汚してしまう事になるのではないのか。
「バロン将軍」
レンが私の名を呼んでいた。
「国を興してください。高祖父が夢見たはずの国を、バロン将軍が作り上げてください」
言われて、私は目を閉じた。そして、レンの言った事の意味を、よく考えた。高祖父は何を想い、国を作り上げたのか。民の平穏を願い、天下を統一したのではないのか。ならば、今の国は。そして、メッサーナが取るべき道とは。私が成すべき事とは。
目を開いた。
「やってくれるか、バロン」
何も言わず、私はただ頷いた。そうする事しか出来なかった。死にゆく一人の男が、命を振り絞ったのだ。命を賭して、私に成すべき事を授けてくれたのだ。
ランスがニコリと笑う。
「これで私も安心できる」
そう言って、ランスは窓の方に目をやった。私もそれにつられて目をやると、木々に葉が生い茂っているのが見えた。
「ちょっと前まで、桜の花が咲いていたと思ったのだがな」
「もう夏ですよ、ランス様」
ヨハンが言った。声が、震えている。それが何故かは、すぐに分かった。
「ヨハン、バロンを頼むぞ。ルイスと協力して、政務を助けてやってくれ。そして、クライヴ、シーザー、これからも軍の主力となり、メッサーナを支えよ」
それぞれが、返事をした。みんな、声が震えている。
「レン。そなたの父上、シグナスと同じように、兵から好かれる将となれ。ロアーヌと同じように、自らに厳しい将となれ。そして、二人のように、天下一の男となれ」
「はい」
「クリスと会えないのが残念であるが、これからも兄のように慕うのだぞ。弟たちの事で困った事があれば、クリスに相談するのだ。そして、お前の姿が見れて、本当に良かった」
レンの返事はなかった。唇が震えている。声を出せば、もう涙が出てしまうのだろう。
「バロン」
呼ばれた。心は引き締まっていた。
「後は、任せた」
そう言って、ランスは目を閉じた。もう、呼吸の音は聞こえなかった。私の背後で、嗚咽が響いている。
決して、優れた男ではなかった。突出した点を持っているわけでもなく、何かに秀でていたわけでもなかった。ただ、人から好かれていた。そして、深い情を持っていた。だからこそ、メッサーナの首領だった。
「必ず、天下を」
私の頬を、一筋の涙が伝った。
ランスの死は、世間を震撼させた。メッサーナの始祖とも言うべき存在が、ついに亡くなったのである。葬儀は盛大に執り行われたが、喪に服す期間は十四日と異例の短さとなり、俺達は悲しみに耽る暇もなかった。
これはランスが生前に指示していた事らしく、その他にも墓は質素なものを指定していたり、息子達の処遇についても触れられていた。つまりは遺言という事だが、その内容が自分の死を問題にするな、とでも言いたげなものばかりで、俺達は困惑するしかなかった。しかし、これがランスという人間なのだ。
喪を終えた後、メッサーナの本拠はピドナへと移された。ピドナはメッサーナ領の中央に位置する事から、政務や軍務が執り行いやすい。また、メッサーナ領内で最も栄えている都市でもあるのだ。ただ、国境であるコモン関所が近いため、他の都市と比べて戦が身近にある。この辺りは、バロンの性格が出たという事なのだろう。
バロンがメッサーナを建国する。この事について、すでに民にはお触れを出して知らせており、一部では祝福の声もあがっていた。今のところ、反対意見はなく、あとは戴冠式を済ませるだけである。これを終えれば、メッサーナは一つの国となり、メッサーナ国となる。そして、バロン王の誕生となるのだった。
また、宰相と大将軍になる者も決まっていた。宰相はヨハンであり、大将軍はクライヴである。二人は政治と軍事の最高権力者となるが、だからといって絶対的な力を持っているわけではなかった。むしろ、各々の下に付く文官・武官のまとめ役のようなものと認識した方が良いだろう。
そして、俺はスズメバチ隊を率いる将軍だった。しかも、将軍の中で最も若い。この事は利点とも欠点とも思わなかったが、周囲と見比べるといささかの不安を感じる事もあった。
今のメッサーナの将軍は、壮年の男ばかりである。大将軍となったクライヴも、退役が視野に入る年齢だ。その他の将軍も、十年や二十年先を考えると戦場に居られなくなるだろう。つまり、今のメッサーナには後進が居ない。
一方の国はハルトレインを初めとして、次々と後進がでてきているという。メッサーナとは違い、後進を育てるというのが当たり前になっているのだ。この辺りは、さすがに歴史があると言って良いだろう。この点は、メッサーナも見習わなければならない所である。
「ついに今日、メッサーナが国となるのだな」
共に歩きながら、クリスが言った。クリスが言うように、戴冠式は間もなく始まる。
「はい、兄上。しかし、バロン将軍もよく決心してくれたと思います」
「それは私も同意だ。一国の王となるプレッシャーは、相当なものだろうな。そういえば、メッサーナ建国はお前が発案したと聞いたが」
「はい。ですが、ランス殿の頭の中にも建国の案はすでにあったようですよ」
「ほう、そうだったのか。しかし、国を建てるとは、凄い事を思いつくものだ。ある意味、天下取りよりも話が飛躍している」
「と言うより、天下を取るのに国家が必要だという事ですよ、兄上。そして、メッサーナは国家となり得る資格を持つに至った。ランス殿は、そうお考えになったのだと思います」
「成長したなぁ、レン。ちょっと前まで、ロアーヌさんに叩きのめされていたと思っていたが」
「昔の話ですよ。まぁ、父上が生きていたとしたら、やはり今も叩きのめされるのでしょうが」
「どうだかな。言葉の端に、自信が見えるぞ。今ならロアーヌさんに勝てるかも、とちょっとは思ってるんじゃないか?」
そう言って、クリスは意地悪そうな笑みを顔に浮かべた。
「思ってませんよ、兄上。俺など、簡単に捻られます」
「そう尖るなよ。だが、今のメッサーナで一番強いのはお前だ。そういう意味で、期待してる」
「俺はまだまだです。俺の知っている最強は、他を寄せ付けなかった。そういう崇高さがあった」
父の強さを超える事は、おそらく出来ないだろう。だが、競うつもりはなかった。強さとは己の問題であり、比較するものではないと思っているからだ。それに、父の強さと俺の強さは、別の次元の話だという気もする。
「ロアーヌさんは孤高だった。あの人は孤高過ぎたんだよ。レン、あまり言いたくない事だが、ロアーヌさんのようにはならないでくれ」
クリスの口調が少し真剣になったので、俺は思わずクリスの方に顔を向けた。
「大丈夫ですよ。それに俺には、二人の弟が居ますから」
「シオンとダウドか。今度、ゆっくりと話をしてみたいな。俺とは違い、本当の義兄弟なのだろう?」
俺とクリスは義兄弟の契りを結んだわけではなかった。あくまで、俺が兄として慕っているだけなのだ。だが、クリスも俺の事を弟のように可愛がってくれていて、実際の所は義兄弟のようなものである。
「今度、紹介しますよ。シオンは少し気難しい所がありますが、ダウドはすぐに懐くと思います」
そんな会話をしながら、俺とクリスは戴冠式の場に入った。式場は二階建ての建物で、通路には赤い絨毯が敷かれている。その絨毯の先には二階屋外への扉があり、その扉の先では民が新王の登場を今かと待っているようだ。
他の文官・武官の面々と共に指定された場所に着席し、新王を待った。場内はざわつく事もなく、静粛である。
しばらくして銅鑼が一度だけ鳴った。官吏が一斉に立ち上がる。
「これより、戴冠式を始めます。新王となる者よ、ここへ」
ヨハンの声だった。王座の隣に居て、両手で王冠を持っている。
大扉が開かれた。そして、バロンが現れる。
バロンはゆっくりと歩き、ヨハンの前で跪いた。そして、少しの会話のやり取りをした後、ついに冠を戴いた。
新王の誕生である。場内は拍手喝采となった。そのまま、官吏と共に二階屋外へと向かい、バロンは民の前に姿を現した。
「今日この日、メッサーナは国となった」
バロンの第一声だった。同時に民は熱狂の声をあげ、祝福を持って新王を迎えた。その後も、バロンの演説に区切りが付く度に民は声をあげ続けた。
王となったバロンは、一体何を想うのか。鷹の目と呼ばれた一代の英傑は、一国の王となった。歴史の第一歩を、踏み出したのだ。
「私は、メッサーナは、必ず天下を取る」
バロンは最後にそう言った。
その時、俺は目を閉じていた。天下を取るためには、国を倒さなければならない。
メッサーナ建国は、国を打倒するための第一歩だった。
これはランスが生前に指示していた事らしく、その他にも墓は質素なものを指定していたり、息子達の処遇についても触れられていた。つまりは遺言という事だが、その内容が自分の死を問題にするな、とでも言いたげなものばかりで、俺達は困惑するしかなかった。しかし、これがランスという人間なのだ。
喪を終えた後、メッサーナの本拠はピドナへと移された。ピドナはメッサーナ領の中央に位置する事から、政務や軍務が執り行いやすい。また、メッサーナ領内で最も栄えている都市でもあるのだ。ただ、国境であるコモン関所が近いため、他の都市と比べて戦が身近にある。この辺りは、バロンの性格が出たという事なのだろう。
バロンがメッサーナを建国する。この事について、すでに民にはお触れを出して知らせており、一部では祝福の声もあがっていた。今のところ、反対意見はなく、あとは戴冠式を済ませるだけである。これを終えれば、メッサーナは一つの国となり、メッサーナ国となる。そして、バロン王の誕生となるのだった。
また、宰相と大将軍になる者も決まっていた。宰相はヨハンであり、大将軍はクライヴである。二人は政治と軍事の最高権力者となるが、だからといって絶対的な力を持っているわけではなかった。むしろ、各々の下に付く文官・武官のまとめ役のようなものと認識した方が良いだろう。
そして、俺はスズメバチ隊を率いる将軍だった。しかも、将軍の中で最も若い。この事は利点とも欠点とも思わなかったが、周囲と見比べるといささかの不安を感じる事もあった。
今のメッサーナの将軍は、壮年の男ばかりである。大将軍となったクライヴも、退役が視野に入る年齢だ。その他の将軍も、十年や二十年先を考えると戦場に居られなくなるだろう。つまり、今のメッサーナには後進が居ない。
一方の国はハルトレインを初めとして、次々と後進がでてきているという。メッサーナとは違い、後進を育てるというのが当たり前になっているのだ。この辺りは、さすがに歴史があると言って良いだろう。この点は、メッサーナも見習わなければならない所である。
「ついに今日、メッサーナが国となるのだな」
共に歩きながら、クリスが言った。クリスが言うように、戴冠式は間もなく始まる。
「はい、兄上。しかし、バロン将軍もよく決心してくれたと思います」
「それは私も同意だ。一国の王となるプレッシャーは、相当なものだろうな。そういえば、メッサーナ建国はお前が発案したと聞いたが」
「はい。ですが、ランス殿の頭の中にも建国の案はすでにあったようですよ」
「ほう、そうだったのか。しかし、国を建てるとは、凄い事を思いつくものだ。ある意味、天下取りよりも話が飛躍している」
「と言うより、天下を取るのに国家が必要だという事ですよ、兄上。そして、メッサーナは国家となり得る資格を持つに至った。ランス殿は、そうお考えになったのだと思います」
「成長したなぁ、レン。ちょっと前まで、ロアーヌさんに叩きのめされていたと思っていたが」
「昔の話ですよ。まぁ、父上が生きていたとしたら、やはり今も叩きのめされるのでしょうが」
「どうだかな。言葉の端に、自信が見えるぞ。今ならロアーヌさんに勝てるかも、とちょっとは思ってるんじゃないか?」
そう言って、クリスは意地悪そうな笑みを顔に浮かべた。
「思ってませんよ、兄上。俺など、簡単に捻られます」
「そう尖るなよ。だが、今のメッサーナで一番強いのはお前だ。そういう意味で、期待してる」
「俺はまだまだです。俺の知っている最強は、他を寄せ付けなかった。そういう崇高さがあった」
父の強さを超える事は、おそらく出来ないだろう。だが、競うつもりはなかった。強さとは己の問題であり、比較するものではないと思っているからだ。それに、父の強さと俺の強さは、別の次元の話だという気もする。
「ロアーヌさんは孤高だった。あの人は孤高過ぎたんだよ。レン、あまり言いたくない事だが、ロアーヌさんのようにはならないでくれ」
クリスの口調が少し真剣になったので、俺は思わずクリスの方に顔を向けた。
「大丈夫ですよ。それに俺には、二人の弟が居ますから」
「シオンとダウドか。今度、ゆっくりと話をしてみたいな。俺とは違い、本当の義兄弟なのだろう?」
俺とクリスは義兄弟の契りを結んだわけではなかった。あくまで、俺が兄として慕っているだけなのだ。だが、クリスも俺の事を弟のように可愛がってくれていて、実際の所は義兄弟のようなものである。
「今度、紹介しますよ。シオンは少し気難しい所がありますが、ダウドはすぐに懐くと思います」
そんな会話をしながら、俺とクリスは戴冠式の場に入った。式場は二階建ての建物で、通路には赤い絨毯が敷かれている。その絨毯の先には二階屋外への扉があり、その扉の先では民が新王の登場を今かと待っているようだ。
他の文官・武官の面々と共に指定された場所に着席し、新王を待った。場内はざわつく事もなく、静粛である。
しばらくして銅鑼が一度だけ鳴った。官吏が一斉に立ち上がる。
「これより、戴冠式を始めます。新王となる者よ、ここへ」
ヨハンの声だった。王座の隣に居て、両手で王冠を持っている。
大扉が開かれた。そして、バロンが現れる。
バロンはゆっくりと歩き、ヨハンの前で跪いた。そして、少しの会話のやり取りをした後、ついに冠を戴いた。
新王の誕生である。場内は拍手喝采となった。そのまま、官吏と共に二階屋外へと向かい、バロンは民の前に姿を現した。
「今日この日、メッサーナは国となった」
バロンの第一声だった。同時に民は熱狂の声をあげ、祝福を持って新王を迎えた。その後も、バロンの演説に区切りが付く度に民は声をあげ続けた。
王となったバロンは、一体何を想うのか。鷹の目と呼ばれた一代の英傑は、一国の王となった。歴史の第一歩を、踏み出したのだ。
「私は、メッサーナは、必ず天下を取る」
バロンは最後にそう言った。
その時、俺は目を閉じていた。天下を取るためには、国を倒さなければならない。
メッサーナ建国は、国を打倒するための第一歩だった。