思考が止まるほど美しい光景だった。
何も無い中空を見つめて、手を持ち上げた。もうそんな体力は残っていないというのに、それでも。
掴めない何かを掴もうとするように、彼は右手を動かした。視線が、傍らに転がる少女に向く。
やがて……ごとりと、何かを求めるように上げられた右手が落ちる。それは、彼の命が尽きたという証のようだった。
バイタルの消失を確認。データ収集を中断、解析終了。
最後の目標も、これで完全に沈黙した。
ガラスに手を触れさせて、それはモニター超しに目標を見た。がりがりに痩せ細った身体、垂れ流された排泄物、薄汚れたタオル、それから微笑。お世辞にも綺麗とはいえない。普通なら、誰も見たいとも思わないような状態。それでも、一瞬たりとも目を逸らすことはなかった。命の燃え尽きる瞬間と、それに至るまでの感情が燃え盛るようで、とうに感じることを放棄したはずの痛みが蘇るような錯覚を覚える。
彼の命が尽きるのを見守って長く沈黙していたエミットは、久方ぶりにそれに話し掛ける。
「ああ、今回はひどかったね。ひどく惨めで、ひどく苦しい。騙されているのも知らないで」
それは泣きそうな顔をしたが、エミットは構わず続けた。
「なにがひどいって、餓死が一番悲惨さ。焼死や轢死もひどいけど、長く続くという点において、餓死を上回るものはないよ。――それだけは経験したくないね」
それは寒さに耐えるように肩を抱いて、エミットへ視線をやる。笑う気配がして、エミットが更に言葉を続けた。
「それでもまあ、いつかのバラバラに較べたら、まだ幸せなんじゃないかな。少なくとも、想いは遂げられたじゃないか」
「そうか……そうなのかもしれないね……」
それはゆっくりと頷き、肯定した。
「今回はよかったよ。血は見ないし、概ね皆幸せ。僕はあまり、最後の瞬間だけは好きになれない」
「まあ、そのせいで餓死なんてする破目に陥ったんだけどね」
「歯がゆい?」
「自分ならもっとうまくやれる。いつだってそう思ってはいるさ、いつでもね。でも、それが視聴者っていうものだろう?」
エミットは機械を操作し、目標の掃除と事後処理の設定をする。機械が跡形もなく、綺麗さっぱりと洗ってくれる。
「さて、後処理は自動にして……ああ、楽だね。今回は綺麗なものだから」
「うん、それで」
「「次はどうしようか」」
二人の声が、同時に響いた。
ゲーム脳
プロローグ
ガラガラと音を立て、入口を塞いでいた岩が崩れた。それはまだ男が一流ではないという証だった。一人前と呼ばれるにはまだ経験が浅い。ただし、獲物を探し出す嗅覚には天性のものがあった。歳若い男が一人でやっていけるのはそれが理由だった。
事前に行った調査の通りに巨大な空洞が広がり、地下に向かって壁に沿った階段が伸びている。中は暗く、冷たい闇が大口を開けているようだった。男はセンサーアイを一度撫でると、岩を切断したカッターの刃を収納して背中の鞄にしまう。トラップの類を警戒してダミー熱源を先行させると、ゆっくりとそこに足を踏み入れる。
大物だ。今まで潜った何処よりも。
男は古代遺跡の内部を探索、発掘しては、好事家や研究者達に埋蔵品を高値で売り付けることを生業にしていた。そういった者達はトレジャーハンターと呼ばれ、遺跡の発掘ブームに乗って最近では数も増え、協会が設立されている。法的にはグレーゾーンだが、今のところ取り締まりは無い。それくらいに遺跡は数多く、埋蔵品の需要は高い。
この遺跡の年代はまだ不明だが、見た限り内部には全く乱れがない。無骨な階段は巨大なホールを一周したくらいで終わっていた。真上には入ってきた扉が見える。ホールはかなり広い。かなり大規模な遺跡であることがうかがえた。
周囲の様子を窺い、慎重に歩を進める。壁に指を這わせながら、年代はどのくらいかと男は考えた。使われている素材からして、稚拙ながらも電気を扱える年代の建造物だろう。この年代ならば、未使用の電球一つで三日は飯が食える。このくらいのアンティークは人気が高い。
天井にある電灯などの小物は後回しにし、更に歩を進めた。いくつかの部屋を覗く。何かの研究所だったのだろう。機材や資料が山のようにあった。これだけの規模の遺跡がまったくの手付かずで……男の心は弾んだ。
進める限りは進もうと思った。入口のものとは違う階段を下り、最下層へ。湿った空気。黴や苔とは違う、ツンとした臭い。環状の廊下を歩く。トラップの類はない。
扉があった。他の部屋とは隔離されたように、最下層にたった一つだけの扉。男は経験よりも直感で、ここになにかあると踏んだ。
とっくに電源の切れた稚拙な電子ロックを通電解除し、重い金属の扉を開く。果たしてそこは、真っ暗な空間だった。だだっ広く、ただ暗い。機械の駆動音が聞こえる。生きている機械がある……? 例は少ないが、まるで無いというわけでもない。当時の機械が生きて発見されたとなれば、これは間違いなく大きな収穫だ。ヘッドライトの光を強くすると、足を踏み入れた。一歩進んで眉をしかめる。
――臭い。何かが腐ったような匂いがした。
辺りを手持ちライトで照らし、部屋の中を見て、男は悲鳴を上げた。
骨、骨だ。無数の人骨がそこにある。折り重なるように倒れ伏し、虚空を見上げて事切れている。十や二十ではきかない。ボロボロになった骨。不自然に欠けた物もある。栄養状態が悪かったのだろう、形を成していないものもあった。こういった遺跡の中でミイラや人骨を見るのは珍しいことではない。ただ……この量は異常だった。
ふと、男は気付いた。これは骨だ。それはいい。しかし、この匂い、腐ったような匂いは一体――――。
改めて見回してみる。骨、骨、骨。そして気付く。無数の骨に紛れて、まだ肉の付着する死体があることに。
肉――腐った肉だ。骨ではないし、ミイラでもない。まして屍蝋の類でもない。それはこれらの死体が、死後まだ間もないことを意味している。
――どういうことだ? ずっと昔の遺跡に、ずっと昔からの生き残りがいるということか?
男はそう思い至った。前例のないことだが、まったく有り得ない話でもない。もしそうならば、空前絶後の大発見だ。男はギルドへ連絡をするか一瞬迷い、自分で調査をすることにした。功名心がそうさせた。手柄は出来る限り欲しかった。周囲の様子を見ようと、光量を上げた瞬間。
ずっ……と、何かが動く気配がした。
「ひっ……」
視界の端にアラートサインが点った。熱源があることを伝える。感知が遅い。こんなものなんの意味もない。
なんて役立たずだ! 男が安物のセンサーアイに悪態を吐いた時。
ひしっ……。
男のズボンの裾に、何かが引っ掛かる。否……掴んでいるのだ。何かが。
悲鳴を上げることも忘れて、男は固まった。腰が砕け、尻餅をつく。
男の視界に、二つの目が……映った。男の意識はそこで途切れた。
男が目を覚ました時、煌々とヘッドライトが目を焼き、自分の周囲以外の場所が殊更に暗かった。センサーアイで見ると、気を失ってから五分程経過している。
男は立ち上がろうとして、自分の足にしがみつくように事切れた遺体があることに気付く。ついさっきまでは生きていた。間違いなく。顔を見る。どうやら男のようだ。まだ少年といっても差し支えないような風貌。頬はこけ、服を握る手も骨ばかり。無残なまでに、がりがりに痩せている。これはおそらく餓死だろう。
男はこの遺跡が自分の手には負えないと判断する。生きた人間が住む遺跡など聞いたことがない。それ以上の調査を諦め、地上に取って返し、その足でトレジャーハンターの協会へ走った。報告を聞くと、協会はすぐに動いた。調査隊を結成し、大規模な機材が搬入された。男は第一発見者として調査隊の幹部に据えられた。
そして、以下がとりあえずの調査報告である。
・遺跡の名称は不明。なんらかの研究所だったと思われる。
・地上に施設無し。地下六階の構造と発見された設計書にあるが、更にかなり広い地下空間が広がっている模様。詳細不明。要工事及び調査。
・下層に大量の人骨及び死体。少なくとも一名は発見の直後まで生存? 十代の半ばから後半と思しき男性。死因は栄養失調による餓死? 要調査。
・発見された死体に共通項。同年代の可能性。要調査。
事前に行った調査の通りに巨大な空洞が広がり、地下に向かって壁に沿った階段が伸びている。中は暗く、冷たい闇が大口を開けているようだった。男はセンサーアイを一度撫でると、岩を切断したカッターの刃を収納して背中の鞄にしまう。トラップの類を警戒してダミー熱源を先行させると、ゆっくりとそこに足を踏み入れる。
大物だ。今まで潜った何処よりも。
男は古代遺跡の内部を探索、発掘しては、好事家や研究者達に埋蔵品を高値で売り付けることを生業にしていた。そういった者達はトレジャーハンターと呼ばれ、遺跡の発掘ブームに乗って最近では数も増え、協会が設立されている。法的にはグレーゾーンだが、今のところ取り締まりは無い。それくらいに遺跡は数多く、埋蔵品の需要は高い。
この遺跡の年代はまだ不明だが、見た限り内部には全く乱れがない。無骨な階段は巨大なホールを一周したくらいで終わっていた。真上には入ってきた扉が見える。ホールはかなり広い。かなり大規模な遺跡であることがうかがえた。
周囲の様子を窺い、慎重に歩を進める。壁に指を這わせながら、年代はどのくらいかと男は考えた。使われている素材からして、稚拙ながらも電気を扱える年代の建造物だろう。この年代ならば、未使用の電球一つで三日は飯が食える。このくらいのアンティークは人気が高い。
天井にある電灯などの小物は後回しにし、更に歩を進めた。いくつかの部屋を覗く。何かの研究所だったのだろう。機材や資料が山のようにあった。これだけの規模の遺跡がまったくの手付かずで……男の心は弾んだ。
進める限りは進もうと思った。入口のものとは違う階段を下り、最下層へ。湿った空気。黴や苔とは違う、ツンとした臭い。環状の廊下を歩く。トラップの類はない。
扉があった。他の部屋とは隔離されたように、最下層にたった一つだけの扉。男は経験よりも直感で、ここになにかあると踏んだ。
とっくに電源の切れた稚拙な電子ロックを通電解除し、重い金属の扉を開く。果たしてそこは、真っ暗な空間だった。だだっ広く、ただ暗い。機械の駆動音が聞こえる。生きている機械がある……? 例は少ないが、まるで無いというわけでもない。当時の機械が生きて発見されたとなれば、これは間違いなく大きな収穫だ。ヘッドライトの光を強くすると、足を踏み入れた。一歩進んで眉をしかめる。
――臭い。何かが腐ったような匂いがした。
辺りを手持ちライトで照らし、部屋の中を見て、男は悲鳴を上げた。
骨、骨だ。無数の人骨がそこにある。折り重なるように倒れ伏し、虚空を見上げて事切れている。十や二十ではきかない。ボロボロになった骨。不自然に欠けた物もある。栄養状態が悪かったのだろう、形を成していないものもあった。こういった遺跡の中でミイラや人骨を見るのは珍しいことではない。ただ……この量は異常だった。
ふと、男は気付いた。これは骨だ。それはいい。しかし、この匂い、腐ったような匂いは一体――――。
改めて見回してみる。骨、骨、骨。そして気付く。無数の骨に紛れて、まだ肉の付着する死体があることに。
肉――腐った肉だ。骨ではないし、ミイラでもない。まして屍蝋の類でもない。それはこれらの死体が、死後まだ間もないことを意味している。
――どういうことだ? ずっと昔の遺跡に、ずっと昔からの生き残りがいるということか?
男はそう思い至った。前例のないことだが、まったく有り得ない話でもない。もしそうならば、空前絶後の大発見だ。男はギルドへ連絡をするか一瞬迷い、自分で調査をすることにした。功名心がそうさせた。手柄は出来る限り欲しかった。周囲の様子を見ようと、光量を上げた瞬間。
ずっ……と、何かが動く気配がした。
「ひっ……」
視界の端にアラートサインが点った。熱源があることを伝える。感知が遅い。こんなものなんの意味もない。
なんて役立たずだ! 男が安物のセンサーアイに悪態を吐いた時。
ひしっ……。
男のズボンの裾に、何かが引っ掛かる。否……掴んでいるのだ。何かが。
悲鳴を上げることも忘れて、男は固まった。腰が砕け、尻餅をつく。
男の視界に、二つの目が……映った。男の意識はそこで途切れた。
男が目を覚ました時、煌々とヘッドライトが目を焼き、自分の周囲以外の場所が殊更に暗かった。センサーアイで見ると、気を失ってから五分程経過している。
男は立ち上がろうとして、自分の足にしがみつくように事切れた遺体があることに気付く。ついさっきまでは生きていた。間違いなく。顔を見る。どうやら男のようだ。まだ少年といっても差し支えないような風貌。頬はこけ、服を握る手も骨ばかり。無残なまでに、がりがりに痩せている。これはおそらく餓死だろう。
男はこの遺跡が自分の手には負えないと判断する。生きた人間が住む遺跡など聞いたことがない。それ以上の調査を諦め、地上に取って返し、その足でトレジャーハンターの協会へ走った。報告を聞くと、協会はすぐに動いた。調査隊を結成し、大規模な機材が搬入された。男は第一発見者として調査隊の幹部に据えられた。
そして、以下がとりあえずの調査報告である。
・遺跡の名称は不明。なんらかの研究所だったと思われる。
・地上に施設無し。地下六階の構造と発見された設計書にあるが、更にかなり広い地下空間が広がっている模様。詳細不明。要工事及び調査。
・下層に大量の人骨及び死体。少なくとも一名は発見の直後まで生存? 十代の半ばから後半と思しき男性。死因は栄養失調による餓死? 要調査。
・発見された死体に共通項。同年代の可能性。要調査。