京 出町なすび
2、君のどこに当たっていたかは別として
立ち込める汗の臭いは全て僕の体臭。
そんなわけないでしょそこの見知らぬ女子。
「す、すいませ」
でもなぜか言ってしまう小心なデブ心に萌え。
全席立ち見って、まるで人間サウナだね。蒸すよ。僕、蒸し豚になっちゃうよ。
ああ、でもそうなって君に食べてもらえるならいっそ本望だよ右近。
などと妄想に耽っていると素敵な大音響で曲が始まった。
体中の脂と肉を揺さぶる快感フレーズが怒涛のように流れだす。
ところがどっこい。
あ、あれ……?
歌声が何故君の声。
お兄さんは? てか、衣装がスク水って……。
ステージでライトに照らされた彼女の姿に僕は絶句した。
「後ろでキモって言った奴、殺――す!」
右近、言ったところで無理ないよ。
容姿も良い。歌声も良い。水着もまぁ良い。しかし残念にも君は皆にとって男子過ぎる。
似合いすぎる無精髭がより一層その衣装との違和感を引き立てているよ。
この貴重な姿をお宝画像にしてオナニーできる男子は学校できっと僕意外にいないだろう。僕なら壁紙にしたっていい。
しかも股間の不自然なモッコリ形、それ何? そこには一体何を入れているんだよ。
「どこまで女子の恥じらいを……、君は」
呟きは周囲を包む音楽に消されて誰の耳にも届かない。勿論君にも。
ま、眩しすぎる。そこまで男子であろうとする君に僕は、濡れる!
そしてこのエントランスホールの異様な盛り上がりはどうだ。定員オーバーで溢れた観客が二階へ続く階段まで広がっているじゃないか。
ヤジやエールが色々飛び交う中、君はすっかり客を自分の世界へ引き込んでしまっている。これはもうお兄さんのステージじゃなくなってしまっているね。
そんな君に見惚れながら、人波の中で僕は体のあちこち痛いです。
デブも肘で突かれると痛いんです。足踏まれると痛いんです。ぶつかられると転ぶんす。
心ある皆さん、近くのデブに優しさを。あなたの思いやりが今日一人のデブを救うのです。
「ぐはっ!」
誰かの拳が僕の頬をえぐった。
でもやっぱり何もいえない僕がいましたとさ。
ライブの終盤、右近はお兄さんが掛け持ったもう一つのバンドで軍服を着て登場した。
彼女の剃り落とされた不精髭とピンクにされた頭髪からそのバンドの趣旨がうかがえる。
既に場内は絶好調。
キツイです僕。胸が痛いです。息が苦しいです。
ヘッドバンキングとかジャンプとか、そういう運動もう無理です。ごめんなさい。
ああ、遠い。君が遠い。僕の右近が……。遠い。
ああああああぁぁ……。
―――。
「ブーちゃん、大丈夫か?」
気を失った僕はライブ終了後もエントランスホールで転がったままだった。
制服についた汚れから察するに、周囲の皆様はそんな僕を相当放置しておいて下さったらしい。僕のシャツやズボンには所構わず踏んづけられた跡があった。
消灯されたステージ周辺に人は誰もいない。
何だろう、僕、切ないくらい体の肉が痛いんですけど……。
「右近、あ、あの……」
「ああ、これ? 」
いや、まだ何も聞いてないよ。言ってないよ。
「凄いだろ。触ってみ。こいつを股に入れてた」
右近は手に握っていたものを僕の頬にぺトッと落とした。
「――! 何、これ……」
この生っぽい感触、さては君のことだ大人の玩具か何かだろうか。
なすびのような色形のそれは柔らかく生温かかった。
このライブを見に来て、右近に聞きたいことが沢山あった。けれどそれら全て忘れてしまうくらい僕はそのなすび的物体の触わり心地に浸ってしまっていた。
これはゼリー? ゴム? シリコン? スライム?
不思議だ。どこで買ったのだろう。
「これはね、鴨川の妖精だ。ブーちゃん」
僕の反応を面白がっていた右近は得意気にそう言った。
何なんですかそのファンタジー。
つづく