プロローグ
────斯くして、千年に及ぶ聖ローラン王国の栄華は終わりを告げ、世は千々に乱れる。
やがて数十年の時を経て、大陸は四つの国々にまとめあげられた。
肥沃な大陸中央の平野は、聖ローランの正統たる後継者シャルルマーニュ王を擁する聖ルナ王国が。
海洋貿易で栄える南方沿岸州は、同じく聖ローランの正統後継者を主張するティアリア女王のミラ王国。
針葉樹に覆われた極寒の北の地は、質実剛健で知られるフリードリヒ皇帝がラーハイド帝国を。
貧しく痩せた西方山岳地帯は、成り上がりの騎士オズワルドがゼラーナ帝国を。
────だがそのような天上の王侯貴族達の争いなど、地を這う民草には関係の無い話だ。
聖ローラン時代末期から、大陸の治安は乱れに乱れ、悪党山賊が跋扈するようになった。
四つの国々の緩衝地帯たる自由国境地帯は、無法がまかりとおり、山賊や傭兵が支配する小国家も生まれている。
かつては各地を行商人が交易で巡る為、赤土で作られた赤レンガによる街道が整備され、赤い街道は大陸の血管のように張り巡らされていった。
私のような旅人、吟遊詩人は、血液のように世界を循環していた。
それが今やどうだ。
ああ、まるで翼をもがれた哀れな竜、ミネルヴァのようじゃないか!!
「……それで終わりか?」
殺気を帯びた野太い声。
傭兵が好きそうな血なまぐさい古のローラン時代の騎士物語、意外にも人間臭い天上の神々の話、秘境の妖精や魔物の怪しげな話などなど。
小鳥のように囀るのが仕事の吟遊詩人とは言え、そろそろ話の種も尽きようとしていた。
「え、えーっと……」
ごくり、と生唾を飲みこむ吟遊詩人。
彼の周りにいた仲間の行商人は全て殺されるか逃げていった。
今の彼の周りには、血なまぐさい臭いを漂わせた野盗達。
命を長らえさせるべく詠んでいた詩だが、遂には自らの現状を嘆くだけになってしまったという訳だ。
それまで楽しげに聞いていた野盗達も目つきが変わり、抜き身のナイフや三日月刀を手元で弄び始める。
吟遊詩人は磨り減った革靴の中が、じわりと生暖かく湿っていくのを感じる。
(ああ、ボルトリーク商店でゼーン銀貨三枚もはたいて買った流行の革靴だったのに)
生き死にの瀬戸際だというのにどうでもいいことが頭をよぎる。
「詩はそれで終わりかって聞いているんだが?」
「は…はい。もう、何も…ああああ、ありま…」
「じゃあ死ね」
遂に、野盗の一人が三日月刀を振りかぶる。
(もっと綺麗なものを見ながら死にたかった)
この世で最期に見たものが薄汚い野盗のおっさんの顔だとは。吟遊詩人は己の運命を呪いながら目を瞑る。
…………が、いつまで経っても意識はなくならない。
恐る恐る、吟遊詩人が目を開けると、野盗の一団は消えていた。
いや、足元に夥しい血痕がある。目を凝らしてみると、人の手足や生首なども転がっている…。
「ひぃっ!」
驚き、腰を抜かし、その場でへたりこむ。
ドドド、ドドド、ドドド。
地面を棍棒が叩くような地響き。
何事だと辺りを見回す暇もなかった。
見晴らしが余り良くない山道の中、森の影から現れたのは、黒と銀の塊。
黒毛の軍馬と見事な鋼の鎧を身につけた騎兵達だった。
聖ルナ王国領内である。ということは、彼らはこの国の正規兵か、はたまた傭兵か。旗印を掲げていないのでどこの軍かは分からない。
その謎の騎兵達の中から一人の騎兵が進み出て、吟遊詩人の前で馬の足を止めた。
ハッと息を飲み、吟遊詩人は言葉を失う。
薄紫色の長髪を馬の尾のように束ね、鋼の鎧装束と漆黒の外套をまとった見事な騎士ぶり。
(────おんな…?)
軍装、ぞっとする冷たい眼差し。だが柔らかそうな頬や唇が女である事を強調する。
いつも彼がそらんじるほどに詠む詩の中に登場する戦女神アルテナのような美しさを感じさせた。
「旅の方」
吟遊詩人が嫉妬するほど、歌のように良く通る声で、女は言った。
「先程、あなたを襲っていた野盗どもは、偶然通りかかった我々が蹴散らした。が、我々は先を急ぐ身。残念ながらあなたを護衛して連れていくことはできない」
「ああ…は、はい」
「この山道より下にも村はあるが、山賊が根城としてしまっている。先程の奴らはそこから来た一団であろう。こちらは危ない。来た道を引き返すべきだろう」
「か、かしこまりました」
「だがまぁ」
女はにやりと笑う。
「数刻待てば、その村の山賊どもは全て討ち滅ぼされる。それからゆるりと村を訪ねてもよかろう」
ドドド、ドドド、ドドド。
それだけ言い残し、女は騎兵達に紛れて去っていく。
吟遊詩人はしばらく呆然としていたが、やがて我に返ると、背負っていた荷物から木版を取り出し狂ったように鉄筆を走らせる。
ここに、新たな物語が生まれたのだ。