Neetel Inside ニートノベル
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Y‐UMA
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 夷隅涼は誰もいない、濃いオレンジに染まった教室の窓の縁に腰掛けて整然と並んでいる机とイスを見ていた。本当はそこにもうひとりいるべきなのに、影法師はひとつだけだった。
夏の始まりにふさわしい、けだるい夕暮れだった。
 悠馬、お前はいったいどこにいるんだ。
 涼はよびかけたつもりだったが、その声はだれかの鼓膜に届くまえに空気の中で溶けてしまった。おもわずためいきが続く。
 悠馬が消えたのは二日前、もうそろそろ期末テストの足音が聞こえてくるころだった。学校に残っている生徒はあまりいなかった。涼もそのひとりだった。
もっとも、涼は勉強するためにはやく帰ったのではなく、買っておいたとっときの漫画を読むがためにいそいそと教室を出た。情けない理由だ。
 どうやら悠馬は放課後も学校にいたらしい。すくなくともそれだけは確かなことだ。しかしいつ、どこで消えたのかはまったく定かではない。音楽室でみかけたのが最後というのもいれば、理科室に入ったきり出てこなかったという声もある。
だが、これらはきわめて主観的な証言で、役には立たない。証言というものは、そもそもそういうものなのだが。
 涼を含めこのクラスの人間が悠馬について知っている事実はそれだけだ。今日の朝、ホームルームで担任がまどろっこしく煙に巻くように話したことを簡潔にすれば、悠馬が行方不明になったという一言に納まる。しかし、言葉というのは長さが一番重要ではない。中身が最も重要なのだ。
 涼は誰も悠馬がどこで消えたか、前提として学校で消えたのかさえもあやふやだということに納得がいかなかった。誰よりもはやく教室のドアを開けて家路を辿った涼が偉そうに言えたことではないが、悠馬という存在が消えたことを誰も認知しなかったというのは、あまりにもおかしいんじゃないのか。
涼はそう思わざるを得なかった。
 ここで考えたところでしかたないか。別に、悠馬が消えたところでどうも思わないさ。
 自分に言い聞かせて、涼は教室を出た。残っているのは、微風にすこし体を揺らすカーテンの影のみだった。
 涼が住む町はとても小さい。一応鉄道はあるが、一時間に二本程度のローカル線。
小中高はそれぞれ一校のみで、ほとんどの子供が生まれた時から十八歳まで続くエスカレーターに乗っている。ほんの一部の頭がいい生徒は電車で隣町の県立高校へとエスカレーターの乗り換えをする。涼の友人にも、乗り換えた者がいた。
 その他娯楽施設はなく、鄙びたホテルは若いカップルの御用達となっていた。それくらいしか活気がある場所はない。それもかりそめの活気だ。唯一いい所は、海があるくらいだろうか。
 涼はこの町が嫌いではなかったが、好きにはなれなかった。正確に言うと、この町の人が。高校を出れば就職するか、大学へ進学するかでこの町に残るか、それとも去るかが決まるのだが、涼は後者を選ぶつもりだった。
 涼は細いアスファルトを右へ左へ曲がった。小学生のころから使っている近道。ほんとは大きい道のほうが安全かもしれないが、高校生の男子を襲う輩はいないのだから、そんなことしたって時間の浪費にしかならない。
 涼の頭を風が撫でる。
 すこし、潮のにおいがした。
 それにまじって、なぜか動物の臭いもした。記憶に臭いの正体を探すが、思い当たらない。一番近いのは、幼少の時、家族旅行で行った牧場の。
 馬の臭い。
「やあ、夷隅涼くん。さがしたよ、家を訪ねてもいなかったもんだから」
 振り向くと、だれもいなかったはずの小さな路地には、馬の頭をもつ男が立っていた。

     

 もちろん、涼が驚いたのは無理がない。もしも涼がもうちょっと幼かったら、きっと文字にできない叫び声でもあげて逃げているだろう。
 だが、涼も成長して、すこしの余裕と冷静さはもっている。背中を向けることはしない。べつに負けになるからとかそういうことではないけれど。
 言葉を返すのはためらった。迂闊にしゃべって、なにかされたら困るし、こんなところクラスのだれかに見られたら次の日にどんな噂が立つかわからない。
「あれ、もしかして夷隅涼くんじゃなかった。ああ、それは失礼。なにぶん生気がある人間なんてもん最近見ていなかったから」
「いや、夷隅ですけど」必要な言葉は返す。
「ん、夷隅、何くんなの」
 馬男、仮にそう呼ぶことにするが、目の前の馬男は涼との間を縮めながら、小さい子をなだめるような聞き方をする。涼はじりじりと後退した。
 それでも、馬男はもう涼が垂らした黒い影を踏むほどの距離まで近づいていた。
 はたして、こいつが何者なのか。それがわかればこの妙なスピードで跳ねる心臓も落ち着くだろうに、まったく嫌気がさすくらいに時間はゆっくりと流れていた。
「夷隅涼です」
「ああよかった。間違ってたらどうしようかと思ったよ」
 こんなこと聞いても、意味ないだろうが涼は聞かずはいられなかった。
「あの、どうして僕のことを探してたんですか」
 馬男にしては、それは愚問だったらしく、馬らしく歯茎を露わにして笑う。なんだかムカッときた。
「涼くん、いっしょにこの町を変えましょう」
「え、どうやって」
「うぅん、どうやって。難しい質問だな。それはおいといて、君は復讐にうってつけの相棒なんだよ。それは分かってくださる」
「いえ、全然」
 こうして夕日が涼のうなじを時間をかけて舐めている間に、その正面にある額にはすこしばかり汗がにじんでいた。夏服と肌のあいだを走る風も、いまは慰め程度の涼しさでしかなかった。
「そもそも、復讐っていうのは具体的にどんなものなんですか。誰に、いつ」
「急がなくても時間はまだまだ、いや、意外にないかもしれない。ともかく、ここでは話しにくいことなのです。お許しを」
 涼はだんだん、この馬男と話しているのがバカらしくなってきた。そもそも考えなくとも、こんな怪しいやつと話す道義などない。そろそろ太陽の方向へ背をむけようかと考えた。
 しかし、馬男は涼の関心をくすぐる名前をつぶやいた。
「悠馬。涼くんの学校から二日前失踪した男子」
「どうして、それを」驚きが隠せなかった。正直、この馬男の存在よりも、悠馬が行方不明になったことを知っているという事実のほうが、驚きというか、怖かった。
 涼の驚く顔をみて、馬男は何がおかしいのか含み笑いをした。
「驚きましたか。じつは、悠馬のことを私はよく知っているのです。涼くん。君は、悠馬について知りたい。それとも、知りたくない」
 こうして会話しているのを電線の上にずっととまっている鳥はどう思っているのだろうか。不思議か、怖いか、滑稽か。それともそんなことを考えるほど脳が大きくないかもしれない。
 涼は一息吐いて、馬男の鼻っ面をみて答えを言う。
「どちらかというと、知りたい」
 馬男の含み笑いは満面の笑みへと変わっていた。
「良い選択です、夷隅涼くん」

     

 笑顔のまま馬男は顔がぶつかるかぶつからないかという近さまできた。涼はもう、恐れる気持ちを捨てていた。そう思うのが阿呆らしい。
「なあ、俺、アンタのことなんて呼んだらいい」涼はつぶらな馬の目をまっすぐ見て尋ねた。体は完璧に人だというのに、臭いは馬そのものだ。
「そうですねえ、メズ、とでも呼んでくれれば」
 メズ。つまりは、馬頭ということか。涼の知っている数少ない雑学の中に、その言葉はあった。しかし、それはあまりよいものではなかったと記憶している。馬頭というのは、地獄の労働者である。
 目の前の馬男は、馬頭というには十分な風貌をしている。しかし、馬頭ははたして、本当にいるのだろうか。
「私の頭はホントに馬の頭。なんなら、思いっきり首根っこをつかんで引張ってごらんなさい」
 まるで涼の心を見透かすように、メズは言う。その顔は、なんとなく自信に満ちているように見えた。
「なら、遠慮なく」涼は太い首を手をいっぱいにひろげて掴み、上へ持っていこうとした。しかし、首が外れることはなく、涼の手は優しく馬頭の首を撫でるだけだった。
「これはカブリモノじゃないんだってこと、わかったかな」
「ああ、アンタの頭は確かに馬の頭だよ、メズ。でもさ、根本的に言うと、俺はメズの存在が信じられない。地獄の役人だろ。なんでそんなヤツがここにいるんだよ」
 間髪入れずに言いきると、メズはさぞ不思議そうな顔をした。
「どうして。私はここにいるじゃないですか。どうして目の前で見ている物を無いというのか、私には不思議でしかたないですねえ」
 もっともだ。でも、その理屈はこの場合通用しない。馬頭というのは人々の空想が生みだしたものだから。
 きっとメズにとって、自分という存在はあたりまえなんだろう。それは当然のことだ。
 涼はこの収拾できない事実を正当化させて、話を次のステップに進めた。
「じゃあさ、復讐っていうのは」そういいかけて、慌てて口をつぐむ。これはここでは話せないことらしい。
 となると、自宅まで行くしかないだろう。涼はここでとめていた歩みを再開させた。メズは後ろから一定の間をあけてついてきた。
「おい、メズ」ふと涼は首をメズに向けて尋ねる。
「なんでしょうか」
「アンタは俺の家の場所、どうしてわかったんだよ」
「現のことは筒抜けです。涼くん、ゆめゆめ忘れぬように」
 はあ、なるほど。気の抜けた返事しかできなかった。いまひとつ要領を得ない答えだったが、メズのいうことのほとんどはそういうものなんだろう。
「ところで、涼くん。ひとつ君に警告をしたい」
「何を」軽トラを見送って、交差点を渡る。
「これから涼くんには色々な邪心がつきまとうでしょう。どうか、どうかそれらに心を染められないようにしてほしい」
 あんまりメズが真剣な声で言うもんだから、涼は足を止めてしまった。
 邪心。それは如何なるものなのだろうか。メズに聞きたかったが、きっとそれは「ここでは話せないこと」のひとつであろう。
 ゆるやかな漁港へと続く下り坂の途中。涼の家に着いた。
「じゃあ、聞かせてもらうよ。復讐とか、その他諸々」
「ええ、どうぞ。私も詳しくお話ししたい」
 すこし歪んだ音を立てて、涼は引き戸を開けた。

     

「なにか飲む」
「そうだなあ、じゃあ人参ジュースを」
 なるほどね。妙な納得をして涼は冷蔵庫を開けた。父さんのだけど、この際いいだろう。
 コップに注がれた薄い朱色の液体を、メズはうまそうに飲んだ。馬の表情はよくわからないが、雰囲気で大体の感情はわかる。さっきだってちゃんと汲み取れた。
「なあ、涼くん。これ甘すぎやしないかな」
 涼は一瞬反応に困って、その後少し肩をすくめてみせた。先程は偶然だったらしい。
 文句を言いつつも、メズは人参ジュースを飲みきった。大きく息を吐いて、畳に座る。
「さて、これからのために必要な話をしましょうか。ここなら安心して話せます」
「復讐のこと」学ランをハンガーに掛けながら問う。
「ええ、そうです。でもその前に、悠馬についての情報を話す約束でしたね。さっそく始めるとしよう」
 涼はシャツを洗濯カゴに入れたり、部屋着に着替えたりする前に悠馬の話をするのは遠慮したかった。落ち着いて聞きたいからだ。
「あ、ごめん、ちょっと待って」クローゼットから服を適当に引っぱり出して、椅子に掛けていたジャージを穿く。この季節には合わない薄い長袖だったが、別にかまわない。
 とにかく、メズに悠馬のことを聞くのが最優先すべきことだったのだ。
「では、悠馬がどうして消えたのか、ということから」
「教えてくれ」おもわず前のめりになる。
「それは、呪いのせいです」
 予想外の単語がメズの口から出てきた。呪い、それは非常に曖昧な言葉。
「呪いとはなにか。気になるでしょう。簡単に言えば、悠馬は罪を犯してしまったのです」
「どんな、誰にたいして」
「この土地の神と、我が王に」
「我が王ってことはそれってさ」涼は背筋を誰かに人差し指で撫でられる感覚を覚えた。言葉にできないほどの恐怖が波のように迫りくる。
「閻魔様です。いやはや、すごい度胸だ。私なんて顔をあわせるのも恐れ多い」
「だったら、この土地の神っていうのは」
「それは具体的な名前では言いにくい。神というのは概念であって、存在ではない。つまり、本来ならば名前があるべきものではないのです」
 メズはもっともらしい顔でそう言った。
 悠馬が犯した罪。それはまさしく、神への冒涜だった。


     

 涼はメズに説明の続きをうながす。
「それで、その罪っていうのは」
「彼は立ち入ってはいけない所へ行ってしまった」
「え、それだけ」思わぬ肩すかし。
「いやいや、それは大変な罪なのです。そこは神のみぞ立ち入ることが認められた場所。さしずめ神社の本殿のようなもの」メズは首をおおげさに振ってみせる。
 涼はこの町にそのような場所があったか記憶を探った。あるとしたらどこだろうか。
 山のほうだろうか。でも、それは考えづらい。ちょうどうまく林道の空白地域になっているのはごくごく小さいのだ。最大の証拠として、役場が発行している地図。それに記されていないのだから、あるはずがない。
「ごめん。それはにわかに信じられない」
 素直に心の中で出した結論をいう。
「まあ、最初はそう思うだろうね。でも、涼くんはきっとその場所に近々入ることとなる」
「いまさっき人が入れないって言ったじゃないか。なんだ、俺はアンタみたく頭が馬ってわけじゃないんだぜ、メズ」
 冗談めかしてみるものの、メズは真剣な眼差しをかえることなく
「いいえ、涼くんは入れるのです。入る資格がある。残念ながら、悠馬にはそれがなかったのです」というものだから、涼は居心地が悪くなった。
「ええと、まあ、仮にそういう場所があって、俺が入る資格を持ってるとするよ。じゃあ、俺が入れる理由を教えてくれ」メズの言うことは、いちいち想定の遥か遠いものばかりだ。理由を聞いていなければやってられない。
「涼くん、なんでなんでをくりかえすのはよくない。それは餓鬼のやることですよ」
 メズはそんな涼をたしなめる。そう返されるととりつく島もない。でるのはため息ばかり。
「じゃあ、せめてその場所だけ教えてくれよ」
「申し訳ない。本来ならばいますぐにでも案内したいのだが、もう暗くなりそうだ。神の眠気を邪魔しては、どうされるかわからないので」
 復讐しようとかいう割に、やけにメズは情報の出し惜しみをした。そもそも悠馬の消えた理由しか聞いてない。今更ながら、メズは精神異常者なのかもしれないという憶測が涼の頭をかすめた。
 警戒心を簡単に取り払って家にまでいれた自分に、涼はただただ後悔するのみだった。
「まあ、涼くん。そうあせらないで。復讐というのはその呪いを取り払ってしまおうということなので、そこに行かなきゃ話が始まらない。でもすぐには行けない。たしかにいじらしく思うかもしれませんが、ここは耐えましょう」
 メズは涼の肩をやさしく叩き、立ちあがる。
「では、ここらで私はおいとまとさせて頂こうかな。また明日、放課後にでも」
「おい、おいとまするってどこに帰るんだよ」
 メズは玄関間際でふりかえり、あたりまえのように答えた。
「もちろん地獄へ。門限があるので、はやくしないといかんのです」
 メズはその言葉を最後に、涼の目の前で姿を消した。瞬間的に。
 悠馬の消え方も、こんな感じだったのかもしれない。
 ふざけた想像をして、涼は自分の部屋へむかった。メズがなんであれ、悠馬に関係することを聞けたのは、収穫となった。

     

 
 残りすくない一日は、夕食を食べ、とっときの漫画を読み、風呂にはいって全消費された。
 会社から帰ってきた涼の母はキッチンに洗ったコップが二つあることに不信感を抱いたが、同じコップで違うものを飲むとまずくなるからとごまかした。そろそろ寝ようかというところで帰ってきた父にはガラス瓶の人参ジュースがすこし少なくなっていると言われたが、それは気のせいだとごまかした。
 安易に飲み物を出したことを涼は後悔し、自分の考えの浅さを嘆いたのは布団にもぐりこんでからすぐのことだ。
 涼はなかなか布団に入った後も眠れずにいた。初夏の熱気のせいではない。メズだ。メズはしつこく復讐復讐と言ってきて、それは何かと尋ねたら門限なのでと帰ってしまった。
 いったい何のつもりだったのだろうか。
 まさか自分の幻想か。しかし、この手はメズの太い首に触れた。でも、本当にメズは地獄からやってきた馬頭なのか。
 その他にもこの町にあるという神のみぞ立ち入ることができる場所、悠馬の犯した罪、色々なことがごっちゃになって涼を苦しめる。
 そもそも、なんで俺はこんなに悠馬のことを知りたがっている。別に友達じゃない。それどころか話したことも――
「あるよ」
「えっ」耳のそばでした声に、涼は心臓をはねあがらせた。
 見渡すとそこは自分の部屋ではなく、深い森の中だった。着ていたはずの寝巻は半袖半ズボンになっていた。寝ていたはずなのに、スニーカーを履いて立っていた。そして、横には見知らぬ女の子が笑っていた。
 女の子はショートカットで、スカートやワンピースではなく自分と同じような恰好をしていた。水色のシャツが目に眩しい。歳は七、八歳といったところだろう。
 涼も女の子と同じ目線の高さにいた。顔が近すぎて、なんだか照れくさい。
「ここはどこなの」
「リョウ、思いだして。私たちがいつも一緒だった頃。手を繋いで港まで歩いた頃。それから、こうして門の中に入ったこと」
「なんのことだかさっぱりわからないよ」
「今は思い出せなくていいわ。これからじっくり時間をかけて取り戻していきましょうよ」
 女の子の妖しいくらいにまっすぐな瞳をみつめていることしかできない涼の肩に、優しく、そっと女の子は手をそえる。
「私たちの、居場所を」
 目を見張った。
 そのつもりだったが、それは目覚めのようだった。
 朝日がやけに目に染みた。

       

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Neetsha