何が起こっているのか理解できない。
なぜなら、俺は今まさに男に告白されているからだ。それも、普通の男じゃない。いや、変な男だともっとおかしいが……。というのは、コイツがマジで男だからだ。
――って……、前にもこんなパターンがあったような気がする。でも“それ”とは全然違う……。
いまはちょうど、待ちに待った(俺はそうでもなかったが)林間学校一日目。登山の途中だ。始めは活動班と歩みをともにしていたが、途中で疲労が臨界点に達したため、俺は山の随所に設置されているベンチの中の一つにへたれこんでいた。『いつも窓から眺めている風景より、澄んでいていい景色だ』なんてことを考えながら。
活動班のメンバーには、先に山頂を目指しておくように言っておいたので、安心して休める。そう思って俺は、しばらくベンチに腰を掛けていた。だが、アイツが現れてから、俺は急展開を迎えることになった。そう、同じクラスの同級生 米倉 正義(よねくら まさよし) が現れてから。
米倉は、俺の前に突然あらわれると、唐突にこんなことを言った。
「僕から君に、話したいことがあるんだけど……いいかな?」
俺には別に断る理由もなかったので、「別にいいけど」と、軽く相槌を入れておいた。しかし、それが間違いだったのだ。
――米倉の『話したいこと』とは、俺への“告白”。
もちろん、米倉は女子生徒ではない。少し髪が長めで、ほっそりとした体つきではあるが、肩幅や手の大きさなどは男子生徒のそれであった。
『僕と付きあってくれないか?』
それが米倉の唐突な告白の言葉。そして、その言葉が彼の口から発されてから数秒。現在に至る。
『僕と付き合ってくれないか?』だと? 冗談じゃない、気持ち悪い。何なんだコイツは。それに、コイツが所属してる活動班の他のメンバーはどこへ行った? ……まさか、俺に告白するために活動班から抜け出して……考えるだけで鳥肌が立ってくる。
「無理に決まってんだろ! 冗談もほどほどにしろ!」
「……冗談じゃないんだ。本気なんだ、僕と付き合ってくれ。嫌かな? 男だから? でも、それは違うと思うんだ。愛や恋は、性別という枠に収まっている必要は無いと思うんだ」
「いや、『それは違うと思うんだ』じゃねぇよ! マジで無理だからな。お前がそういう趣味でも俺は違うんだ」
「……それなら、僕とキスしようよ。い――」
「なんでそうなった!! 意味がわからんわ気持ち悪い!!」
つい取り乱してしまった。しかし、何を言ってるんだこいつは。気持ちが悪い。
俺は米倉に身の危険を感じたので、臨界点に達していたはずの疲労感を振り切ってベンチから腰を上げ、その場から逃走を試みた。……が、俺が走り出したと同時に、米倉の足も動き出したのだ。
「は……!? なんでついてくるんだよぉぉぉ!!」
「……キスできるまではどこまでもついていく!!」
き、気持ち悪い。悪すぎる!!
しばらく俺は、あらん限りの力を振り絞って走り続けた。おかげで、少しずつではあるが米倉との間合いは広がっていった。とはいえ、俺の体力は再び臨界点に達そうとしていた。
――や、やばい!! このまま足の回転を止めてしまえば、米倉の餌食に……!!
何とか自分を奮い立たせ、さらに走り続けていると、見覚えのある面子が前方を歩いているのが見えた。小柄で、ぶかぶかな制服を着た女子生徒と、ツンツンとした頭の男子生徒。そして、どこかでみたポニーテールと、見覚えのある横顔。
間違いない。後ろ姿だけでわかる、俺の行動班だ。
「結城ぃ!! 杉坂ぁ!! 蔵崎ぃ!! 内原ぁ!!」
俺は全員の名前を順々に呼び上げた。これでもかというくらいの大声で。
「ゆ、雄一郎君!? ど、どうしたの!?」
結は身体ごと後ろに向けて、驚いた表情を浮かべた。きっと俺の声のボリュームに驚いているのだろう。
「た、助けてくれぇぇぇぇ!! 俺の貞操の危機だぁぁぁぁ!!」
「え? 逆ナン? 逆ナンパなのか!?」
ツンツン頭の蔵崎が、そう言いながら嬉しそうにこちらを見ている。
『逆ナン』? そんなものじゃない。『ホモナン』だ。
後ろから俺のことを追尾してくる米倉の存在に気がついたのか、明日香の顔がこわばっていた。
ほどなくして、俺は数十分のブランクを埋めるようにして、活動班に追いついた。そして、肩越しに後ろを確認すると、予想通り変態野郎米倉の姿が見えた。「坂上くぅーん」と吐き気を催すような声で叫びながら、こちらへ向かって走ってきている。
「ゆーちゃん、どうしたの?」
俺が息を絶え絶えにしているのを見て、狐に化かされたような顔で理沙が首を傾げた。かわいい――が、今の俺はそれどこではない。
「皆……よく……聞いてくれ……。俺は今……変態野郎の米倉に追いかけられているんだ!!」
「よ、米倉が変態野郎?」
結が『変態野郎』という言葉に反応を示した。
俺はさらに言葉を継いだ。
「あいつは……変態野郎は、俺に『キスをしよう』としつこく何度も何度もせがんでくるんだ!!」
そう言った瞬間、四人の顔から血の気が引くのが分かった。そして同時に、四人とも米倉に軽蔑の視線を送っていた。
そんな視線を真正面から受け止めながらも「坂上くぅーん」と叫び続ける米倉。
同情はしないが、少し哀れに見えた。
☆
あのあと、俺達全員は『変態野郎』改め『ホモ米倉』に追尾され続けたが、俺達が山頂まで到達すると、まるでスイッチがオフになったかのように“ホモ米倉”は、ぱっと足を止めた。きっと、山頂で生徒たちのチェックをしている教師に気づいたのだろう。
まったく……米倉のおかげで山の景色を満喫することができなかった。とんだ迷惑だ。
ちなみに今、俺達はホテルのロビーに到着したところだ。ここで俺達は今日と明日の二日間、宿を取るのだ。まぁ、ホテルといっても、豪勢で華美とは言い難いものだが。
ホテルの外壁や天井は、長年使われているためもあってか煤けていて、多少のひび割れのようなものも目立っている。中の設備もお世辞にもキレイとは言えないものが殆どだ。まだ自分達が泊まる部屋を拝見してはいないが、大体似たような感じなのだろう。
「まったく米倉があんなに気持ちわりぃ奴だとは知らなかったぜ……」
蔵崎は嘆息まじりにそんなことを呟いた。
それに同意するように、結が大きく息をつきながら言った。
「はぁー……まったくだよねー。びっくりした」
「巻き込んで悪かったな」
「いやいや、気にしなくていいよー」
「そうだ、気にすんな! ちょいびびったけど面白かったしな」
蔵崎が楽しげにそう言うと、全員が苦笑した。
「でも、本格的にキモかった……米倉……」
「うん。ちょっとね……」
どうやら、明日香も理沙もさすがに“アレ”は気持ち悪いと思ったようだ。
「あはは」
蔵崎がなにやら笑っている。
俺は全然笑えたもんじゃない。男に追いかけられて、『キスをしよう』とまでせがまれたのだから。あれには、気持ち悪いどころか、恐怖心さえも覚えた。
本当にいるんだな、同性愛者……。
俺は思い出すだけで気分が悪くなりそうになった。
蔵崎は笑顔の余韻を残しながら「んじゃあ」と言い、言葉を継いだ。
「到着した班から部屋に入ってろって“しゃくれ顎”が言ってたから、そろそろ部屋いこーぜ」
「そーだねー。そろそろ部屋行こっか」
ちなみに、『しゃくれ顎』というのは、俺達二組の担任の教師だ。顎がしゃくれているため、そう呼ばれている。単純且つ酷く適当なあだ名だ。
「じゃあねー」
結がそう言いながら部屋へと歩いていくと、理沙と明日香もそれに同行していった。
しばらく女子達が歩いていく後ろ姿を眺めたあと、蔵崎がこんなことを漏らした。
「まったく……女子達と同じ部屋じゃないっていうのがおかしいよなぁー」
「……!?」
おかしいのは貴様の頭だ! と突っ込んでやりたかったが、そんな仲ではないので「そうだな」とだけ言っておいた。
「んじゃあ、いこーぜ。俺達も」
俺達はロビーを後にした。