組長のムスメ
4月某日、山崎組組長・山崎源次郎、心筋梗塞により死去。
それより2週間後――
「ほどいてよう!」
広い和室の中に溢れんばかりの組員がいた。
そして部屋の中央には、椅子に縛られた、制服姿の少女がいた。
「なんで!? なんで縛られなきゃならないの!?」
少女の言葉を無視して、若頭の銀次郎は言う。
「全員集まったな。ようし、お前等よく聞け。今日は前から内々に知らせていた通り、お嬢の種付け相手を選定する」
「種付け!?」
「次の組長は言うまでもねぇ、組長の一人娘の小夜子お嬢さんだ。しかし、いつまでも女組長ではヨソからナメられる。よって、お嬢にはすぐにでも後継ぎの男子を産んでもらわにゃならん。そこで、だ」
銀次郎は、手にした巻物を解き、それを皆に見せた。
巻き物には、「指相撲」と大きく書かれていた。
「選別方法は長老の方々とも相談した。無駄に傷もつかねえし、血も流れねえ、それでいて力を示せる方法にできたと自負している」
若い組員が一人、手を挙げた。銀次郎は発言を促す。
「なんで指相撲なんすか? こんなこと上の人に言いたかねぇけど、ちょうショボくねえすか?」
部屋には、16~40歳までの組員が集まっている。その中の決して少なくない人数が、10代と思しき若い組員の言葉に頷いていた。銀次郎は答える。
「そういう意見が出てくるのは分かる。けどな、お前等、指相撲という競技の凄さを、理解してねぇんじゃねぇか?」
「え? あれの、どこがすごいんっすか」
「ちょっと聞いてよー!! 種付けってなんなのよ銀次さんやめてよこわいよう!!」
小夜子の言葉は相変わらず無視された。
「口で言っても分からねぇだろう。というより、口で説明する手段を持たん」
銀次郎は、腕を捲った。
「来い」
若い組員に戦慄が走った。
彼の眼前には蛇がいた。龍がいた。虎がいた。
獰猛な獣を想起させるそれは、銀次郎の指だった。
俊敏な身のこなし、一瞬で相手の首根っこに噛み付く瞬間的なスピード。
銀次郎の尋常ならざる気迫に圧され、若い組員は明らかに平静さを失っていた。
「1,2,3――俺の勝ちだ」
銀次郎は、3カウントを終えると、牙を標的の首から離した。
「…わかったか?」
若い組員は、憔悴し切った表情で、小さく震えるように頷いた。
銀次郎は、小夜子を縛り付けている紐を解いて、その軽い体を抱き上げた。
「ちょ、ちょっとお……」
「…というわけで、俺が権利を得た。解散していい」
「ほ、ほんとに……嘘じゃ、なくて……?」
「行きますよ、小夜子お嬢」
二人は部屋を出た。
残された組員達は暫く無言のままでいたが、組員の一人が沈黙を破る。
「…長老と相談とか、嘘だろ? ありゃ、銀次さんの独断だぜ」
「だろうな……次の次の組長の父親になる権利を得るための闘いだぜ? それが指相撲なんてなぁ……」
「…でも」
最初に銀次郎に敗れた、若い組員が呟いた。
「銀次さん、これからエラくなるんじゃねえすか……」
「だろうな……」
「20年後にゃ、組長の父親だもんな……」
「…あの人についてきゃ、間違いねぇか」
「…だなあ……」
不思議と、それ以上の異論は出なかった。
洋室、キングベッドの上に、二人は座っていた。
「すまねえ、お嬢……」
「…………」
小夜子は、何も言おうとしなかった。銀次郎の方を向くでもなく、白い壁のただ一点を見つめていた。
「分かっています。後継ぎを作ることで、腹が膨らんでからは学校に行けないだろうし、友人方にも会えなくなる。卒業は“誠意”でなんとしてもさせますが、学校へ行けないお嬢の苦しみは筆舌に――」
銀次郎は、完全に不意を突かれた。
小夜子が、キスをしてきたのだ。
薄い唇が、銀次郎の厚い唇に吸い付く。甘い匂いを伴う唾液が、銀次郎の口内に入った。
小夜子は、余韻たっぷりに、唇を放した。
小夜子は、悪戯っぽく笑って、驚いた? と囁くように言った。
「…お嬢……」
「別に嫌じゃないよ、あたし」
「でも、随分抵抗したじゃあないですか」
「…銀次さんなら……いいんだ。銀次さんは、あたしの大好きな“お兄ちゃん”だもん」
銀次郎はまだ30前だが、既に組の上位に登り詰めようとしている男だった。昇り龍に障害はなく、小夜子の父の源次郎も厚い信頼を寄せていた。そして小夜子は幼い頃、まだ組に入りたての銀次郎に遊んでもらったことが何度もあった。
兄弟のいない小夜子にとって、銀次郎は兄同然の存在だったのだ。
「銀次さん以外だったら、絶対ヤだったけど」
「…お嬢!」
銀次郎は、力強く、それでいて優しく、小夜子を抱き締めた。
「俺は、今日どうしても勝ちたかった……汚いとお思いでしょうが、絶対に勝てると確信できる種目を選びました。幹部方へは何も通していない。完全な独断です」
「…うん。嬉しい」
嬉しいと、小夜子は言った。
「そこまでして、勝ちたがってくれたんだよね?」
「…………」
銀次郎の厳つい顔が、ほんの少し赤くなった。
「…優しくしてね? あたし、まだ、したことないから――」
「…勿論です」
二時間後。
キングベッドには、二人の重みが掛かっていた。
「大丈夫ですか、お嬢」
「うん……」
二人は裸で寝ていた。小夜子は疲れた顔をしている。
「なあんか、お腹の中がジンジン痛いけど……」
「すいやせん」
心底申しわけなさそうに、銀次郎は言った。
「…でも、あったかくもあるんだ……奥の方、一杯泳いでて」
小夜子は、下腹を優しく擦った。
「きっと、男の子だよ」
「そうでないと、俺の立場がねえです」
「ううん。そうでないと、じゃなくて――絶対、男の子だよ」
「なぜです?」
「ふふふ……ヒミツ」
3月の空は澄み渡っていた。
世界に果てなどないと思わせられる、圧倒的な説得力。
未来への可能性を一杯に持った、学生達が今日、卒業して行く。
山崎組の“誠意”は強力無比で、出席日数も足りない、テストも受けていない小夜子も無事今日という日を迎えられたのである。
「3年4組29番、山崎小夜子さん」
「はい」
担任の声は、何故か小夜子の時だけ若干の震えを含んでいた。
『学校卒業目出度い』
そう達筆に書かれた幕が、和室に飾られていた。
小夜子に出された食事は、鯛の尾頭付きをはじめとした縁起のいい、豪勢なものばかりだった。
幹部の一人が、小夜子に言う。
「組長、こうして皆の衆集まったわけですから、なにか一言――」
「分かりました」
小夜子は立ち上がった。全員の目が、小夜子に集中する。
「…皆、今日は私などのためにこうして集まってくれてありがとうございます。途中、3ヶ月ほど学校に通えなかった私が今日、卒業証書を頂けたのも、ここにいる皆さんの“誠意”のおかげです。皆さんへの感謝を胸に大事にしまって、これからは山崎組の」
ここで、話が中断された。小夜子の胸の中にいる赤ん坊が、愚図りだしたのだ。
小夜子はオムツの中に手を入れた。どうやらうんちやおしっこのせいではないと分かると、胸をさらけ出して、乳首に赤ん坊の口を誘導させた。
「金ちゃんは、食欲旺盛だねえ。きっと立派な男の子になるよ」
小さく咳き込んだ赤ん坊の背中をとんとん、と慣れた手付きで叩いた。
隣には銀次郎がいた。厳つい顔も、今日はどことなく柔和に見える。
「…私達の未来は、希望に満ちています」
穏かな笑顔で、小夜子は言った。