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カレーと納豆
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カレーと納豆

 同棲ってのは、結婚の前段階なんだろうか。
 もしそうなのだとしたら、もう俺は、正直、ゴメンだ。
 真剣に、そう思う。

 俺はれっきとした東北人だが、納豆が大嫌いだ。
 どの位嫌いかというと、口に一粒でも入れると、蕁麻疹が出てきて、卒倒してしまうくらいだ。
 いいだろ、別に。水戸出身なのに納豆嫌いな阪神のエースだっているんだから。
 だけど。それなのに。
「? 食べないの?」
 最悪だ――
 つくづく思う。付き合っているといっても、所詮一緒に生活もしていない人間のことなんか、全然知らないって言うか、知りようも無い、ということを。
 まさか、可奈子の大好物が、納豆だったなんて。
 しかもその好きっぷりが、俺の大好物のカレーに納豆ぶちまけて、ルーがすっかりネバネバになる「納豆カレー」にしてしまう程だなんて。
 俺は、人生で一番と言ってもいい程の、嫌な顔をしてやった。
 可奈子は、俺の顔を見ずに、明るい口調で、
「こんなに美味しいのに。やっぱカレーは納豆だよね!」
 同意を求めるな、同意を!
 …可奈子の立場から考えたら、さ。分かるよ、まあ。
 俺を、本当に好きでいてくれるんだな、ってことは、さ。
 俺のことが好きで、この同棲生活をうまいこと円滑に進めて……多分、結婚まで行きたいと思ってくれてるからこそ、可奈子にとって一番いい食事を、出してくれたのだろう。
 可奈子には、何の悪意も無い。いや寧ろ、完全なる善意から来ている行為であることは、疑いの余地もないだろう。
 …でも。
「…ゴメン、俺、納豆食えないんだ、一切」
 そんな善意に、苦笑いを作ってでも応えてやれるだけの器量は、お前の惚れた男には、ないんだ。
 分かってくれ。
“気持ちが通じなかった”なんて思わないでくれ。
 可奈子、お前が好きだ。
 お前は美人だし、性格も明るいし、女特有の陰湿さもなくさっぱりしてる。理想の女だと、俺は、本当に思う。
「納豆が大好物」という、ただその一点だけを除けば、お前は俺にとって完璧超人だよ。
 そう、それだけを、除けば。
 可奈子。俺の顔を見てくれ。
 そして、出来れば、全てを察してくれ。
「カレーは、大好きなんだけどね……でも、納豆だけは、どうしてもダメだ」
「…………」
 さあ、見ろ。俺のこの、嫌そうな顔を見ろ。
 そして、言ってくれ。
「もう納豆は出さない」と。
 可奈子は、俺の顔を見た。沈んだ表情で。いや、これは、ただ沈んでいるだけでは――
「…そう。つまり……あたしのことが、嫌いなのね」
 …ええええ?
「だって、そうでしょ!? 好きな食べ物っていうのは、その人の人間性をも表している場合が多い! これは数多の実験・研究からも明らかなこと! 納豆が嫌いってことは、あなたは心のどこかで、あたしのことを嫌ってるッ!!」
 はあああああぁ!?
 ふざけんなよ。
「違うって! お前のことは好きだよ! だけど、俺は、どうしても納豆だけはダメなんだ! だから、これからは俺のいる時に納豆を食わないでくれればそれでいいんだよ!」
「何言ってるの!? あたしが納豆抜きで生きられるわけがない。それならあなたは、毎食外食してよ」
「おま……」
 …ここまで、納豆狂いだとは。
 可奈子は、なにか諦めたような顔をして、ぽつりと言う。
「…もう終わりだね、あたし達」
 可奈子は、俺に背を向けて、荷物の片付けをし始めた。
 本当に、終わってしまうのか?
 …納豆で?
 …俺は……
「…あたし、嬉しかった。あなたのこと、大好きで、一緒に住もうって言われて。だけど……こんなことになるって分かってたなら、あたし絶対……」
 可奈子は、涙声になってた。
 …俺も、お前が好きだ。
 納豆は、嫌いだ。
 可奈子は好きで、納豆は嫌い。
 …そうか。そういうことか。
 今こそが、「運命の別れ道」なんだ。
 そういう選択って、後から振り返った時に初めて、あの時選択したんだって気付くもんだと何かで読んだけど……でも、俺は確かに今、間違いなく人生の岐路に立っている。
 納豆を食うか、食わないか。
 可奈子が欲しいか、欲しくないか。
 …決まってる。
 悩む必要なんて、ない。
「可奈子」
「え?」
 俺は、スプーンを強く握った。手が震える。
「…見てろ!」
 俺は立ち上がる。
 覚悟完了。
 俺は、スプーンの上に乗っている納豆カレーを、思い切り口内に入れた。
 ――卒倒した。
「きゃあ!」
 薄れゆく意識の中、俺は確かに、可奈子の顔を見ていた。

 意識は、低空飛行していた。
 途切れるわけでもなく、元に戻るわけでもなく。
 ただ、可奈子の太股の上に頭が乗っていることは、ハッキリと意識していた。
「…かなこ」
「なに」
 可奈子の顔は、柔らかくなっていた。ぼんやりと見えているだけだが、間違いないと思う。
「…すきだ」
「…うん、あたしも」
「だけど、まじで納豆は……」
「…ゴメン、こんなに、倒れちゃうほど嫌いだなんて、知らなくて……」
 知らなくて、当然だ。
 俺達は、まだお互いのことを何一つ知らないに等しい。
 朝、新聞を読むか読まないか。
 朝イチのトイレの長さ。
 皿洗いをするか、しないか。メシを炊くか、炊かないか。
 風呂の長さ。
 知らないこと、ばかりだ。
「いいんだ、これから、しっていきたい……全部はムリだと思うけど、できる限り……」
「あたしもう、納豆食べない、我慢する。あなたが苦しむ姿、見たくないから」
 …それは……
「…ダメだ」
「え」
「すきなもんは、食え。おれだって、見るのもやだけど、でも、慣れるから。見るだけは、大丈夫なようにする……」
 …今、同棲の――ひいては、夫婦生活の――秘訣が、分かった。
 他人と一緒に生きるとは、許容し合うことだ。
 平等に、許容し合うこと。
 …難しそうだな……
「…ありがとう、ゴメンね、ゴメンね……」
「…なくなよ」
 可奈子の涙が、俺の頬に落ちてきた。
 それは、とっても暖かい。

 確かに、同棲は結婚の前段階かもしれない。
 恋人との関係を、物の好き嫌いで判断してるようじゃ、結婚しても長続きしないだろう。
 そういうことが分かるんだから、やっぱりそうなのだ、と思う。
 今回の俺達のような事件は、この広くて狭い日本で、毎日のように起こっているのだろう。
 案外、納豆が原因で別れたカップルって多いのかもしれない。

 まあ、俺らは、結婚するけどね。

       

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