Neetel Inside 文芸新都
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テツな女(仮)
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テツな女(仮)

「これでは、私たちは学校に行くこともできません!」
 眼鏡の女子高校生は、緊張を含んだ、しかし毅然とした声を会場に響かせた。

 大したものだ、とオレは内心感心した。
「私立学校助成金の削減に関する懇談会」と銘打たれたその会場には、オレを含めスーツで身を固めた多くの大人が、そしてTVカメラが、ずらりと並んでいた。そんな中で、彼女は「商都府」下の私立高校生の代表として出席し、助成金の削減がもたらす「被害」や「悲劇」の大きさを、データーや自らの体験を踏まえ、所々つまりながらも、堂々と展開してみせた。その論旨に歪みはない。まっすぐとこちらに向けられた彼女の視線に、正直、オレも気圧されていた。
 オレがあれぐらいの年齢の時、何を考えていただろう。ゲーム、アニメ、テスト、クラスメートとの人間関係ぐらいだったか。ホームルームので何か発言を求められるたび、ひどく緊張していたなあ。
 実際、大したものだよ。
 例え、それが自分の言葉や考えでなかったとしても。

「きみ・・・」
 私の隣で爪を噛んでいた「その女」は、小柄な身体を起こし、ゆっくりとしゃべり始めた。

「お金がないなら。公立の高校にいきなさい。」
「え・・・?。」
 眼鏡ッ子は、一瞬固まった。
「え・・・と?」
「分からない? 私立学校の学費が高いというなら、公立の学校に転校すればいいのよ。」
「き、急にそんなこと、、、。」
「ああ、でも、学費に影響が出るのは、早くても再来年でしょう。」
「・・・・。」
「心配しないでも、アナタ個人に影響はないの。」
「し、しかし、それでは私たちの若者の学ぶ権利が。」
「知ってる? 義務教育って中学校までなんだよ。高等教育は、自分で対価を払ってうけるものだとおもうけど。」
 ソイツは高校生への苛立ちを隠すことなく、話を続けていた。眼鏡ッ子の顔がどんどん青ざめて行く。彼女の両脇を固める高校生たちも同様だ。おそらくこのような対応は予想だにしていなかったのであろう。

 学校の先生は、十分な指導のうえ、「君は正しい」といって眼鏡ッ子この場に送り出したと考えられる。勝手な推測だが、彼女は優等生で先生のお気に入りなのだろう。先生が認める「正しさ」は、おそらく彼女の心を支えてきたはずである。「誰にだって学ぶ権利はある」その当然の「正義」に誰が反論することができるだろうか。ましてや公職にある人間が、ましてや高い地位に人間が、ましてや目の前にいる存在、自らが住む府の「知事」が。
「・・・・。」
 眼鏡ッ子はうつむいている。何度も目をこすっている。泣いているのではないか。
 現職商都府知事、アシダ・カナメは、高校生ら沈黙を十分に確認したうえで、次のように話を締めくくった。
「いい? 高いサービスを受けるには、高い対価を払う必要があるわ。私はその当然のことを伝えているだけ。若いうちから大人や行政に甘えていてはダメ。世の中は自己責任で動いてるの。」

 ーこの光景は、その日、全国のTVニュースで報道された。  

 公平にいって、通常であれば、見た目とは裏腹に、討論としても政治的かけひきの場としても「懇談」は高校生側の勝利だった。カナメは、理論武装と情感溢れる高校生に追いつめられ、苛立を隠せず、大人げなく子どもに全力で反論するまでに追いつめられたように見える。実際、カナメの政策構想から見ても、彼らの陳情を断るのに、そこまで感情を剥き出しにする必要はなかった。彼女の削減目標は、不透明な学校への補助金であり、教育機会そのものではないはずからだ。
「あんまりテンプレ通りだから、つい苛ついたのは事実ね。」
 懇談会の後、カナメもそう漏らしていた。

 今頃、眼鏡ッ子の先生たちはこの報道を見て歓喜しているだろう。
 まさに彼らが望んだ、そのような絵が得られたからだ。
 自らの学ぶ権利を訴えるひたむきな学生と、それを踏みにじる悪い知事。
 大人げなく子どもに牙を剥く、冷酷な知事。
 必要なのは、情に訴え陳情を通過させることでも、理を持って知事を納得させることでも、まして話し合いによる歩みよることでもない。知事を怒らせ、公衆の面前で踏みにじられること。優等生たちは、そのために捧げられた生け贄だった。

 ただし、残念ながら、その図はカナメの政治的失点とはならないだろう。
 アイツは、すべてを計算の上で、感情をむき出しにしたのだ。
「あんな『お利口そうな子』に誰が共感するのかしらね。」
 とカナメは言った。オマエがそれをいうか、と正直思う。しかし、今日会場に入っていたカメラが見たがったもの、それは、「かわいそうな苦学生」なんかじゃないのは確かだ。

 きょうび、大人は誰だって苦しい。彼らが見たいのは、時の人である「アシダ知事」が、世間知らずの甘えたお願いする「若者」に、世間の厳しさを堂々と叩き込む「鉄槌の場」であり、あるいは「子ども」を盾に、自らの「利権」の維持を図る学校の悪い大人たちの策謀を見事に退ける「破壊者」だからだ。そのような劇場を、彼らは欲している。
 つまり、時代はまさしくカナメのターンなのである。

       

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