Neetel Inside ニートノベル
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琴羽さん達の日常
#1.薬袋陽菜

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 臥龍岡琴羽(ながおか ことは)が甘い物に目がないというのは、彼女の友人達の間ではよく知られた話で、「どこそこのお店でなになにを奢ってあげるから!」と言ってしまえば、彼女は大抵の頼み事を承諾してしまう。
 そのエピソード一つで彼女のノーテンキさは周知されるわけであるが、そんな琴羽も今回の頼み事にはわずかに不安を感じていた。
 依頼主は琴羽と同じクラスの友人、薬袋陽菜(みない ひな)である。彼女はヒナという可愛らしい名前に負けない、小柄で庇護欲を掻き立てられるような容姿をしている。体の全てのパーツが小さく、流れる砂金のような髪と愛らしい笑顔はまさに天使と形容するに相応しい。一方でフレームない細身の眼鏡は彼女に理知的な雰囲気を与えており、容貌の幼さと大人びた雰囲気の調和が、独特な色気を醸し出していた。
 もっとも可愛らしいのは外見の話で、琴羽の中では彼女は超一級危険人物に認定されている。陽菜の趣味は魔法薬の調製である。半径三百メートルを焼き尽くす爆炎薬から、龍だって恋に堕とすと触れ込む惚れ薬まで、とにかくありとあらゆる魔法薬を調製する。しかもその腕前は本人曰く“一級品にして半人前”である。どういうことか。「他の誰にも創れないような魔法薬の製造もできたりするけど、気分次第で調合は失敗する」と彼女は嘯(うそぶ)く。だが意外にも薬袋陽菜の危険性を知る人物は少ない。その理由は定かではないが、超高難易度に指定される忘却薬の作製は、彼女の最も得意な調薬であることを付記しておこう。
 陽菜からの依頼は、新薬の実験台になって欲しいというのである。およそ万人が躊躇うであろう依頼を、駅前のスイーツ一つで快諾した琴羽もまた超一級ノーテンキ人間である。彼女の名誉のために一応の補足を書き添えると、打てば響くように承諾した後に「あ、やっぱやばかったかもなぁ……」と心配する程度の理性は持っている。
 しかし今更友人の頼み事を無下にするわけにもいかず、琴羽はサークル棟の最上階最奥に位置する【調薬部】の部室の扉を開け放った。
「たーのーもー!」
 中には陽菜が一人で待っていた。部室には耐薬品性に優れた漆黒の実験台が二つ。その上に雑然と並べられた三角フラスコ、ビーカー、メスフラスコ、ピペットなどの多種多様なガラス製実験器具。試験管には色とりどりの液体が溜まり、アルコールランプに熱された丸底フラスコ内の液体はこぽこぽと控えめに突沸を繰り返していた。
「琴羽、うっさい! そんなに叫ばなくても聞こえるから! ……まったく、まぁとにかく僕の城へようこそ」
「城ってほどの規模じゃなかろうに」
「うるさいな! そういうのは気分だからいいの!」
「はいはい、そういえば前もそう言ってたっけ」
 琴羽はへらへらと笑いながら作業用の椅子の一つに腰を落とした。机の上に鞄を置く場所もなかったので、仕方なく椅子の下にしまった。
「それで、今日は私は何を飲まされるの?」
「それは飲んでからのお楽しみということで」
「うわぁ……すっごい嫌な予感がするね……」
「洋菓子屋フォルクレストーレ・あまおう苺のミルフィーユ」
 本日の琴羽を釣った餌である。
「さぁとっととその薬を私に飲ませたまえ!」
 ケーキの名前が出ただけでこのザマだった。
「はい、どうぞ」
 陽菜から手渡されたのは試験菅に入った黒褐色の液体だ。仄かにコカの葉の香りがしており、無数の小さな泡沫が水面に出現と消失を繰り返している。
「……コカコーラ?」
「っぽく仕上げた魔法薬。中身は違うよ」
「……合法?」
「グレーゾーン!」
「半分アウトじゃん!」
「今更だよ。忘却薬だってギリギリっていうかアウトだしね」
「なんで陽菜捕まらないの?」
「……それ、本当に知りたいの?」
「ごめん、やっぱり聞きたくない」
「うん。賢明な判断だね、さすが僕の琴羽。褒めてつかわす」
 琴羽の頭をなでりなでりする陽菜。
「今すっごい飼い慣らされてる気がするんだ!」
「おーよしよしよし」
「はすはす」
「ノッてくんな」
「え!? そっちからやったのに! 酷くない!?」
「酷くない。さぁ早くその薬を飲もう!」
「断定ですかそうですか。……うーん、じゃあ飲みます!」
 琴羽はごくりと一口でコカコーラ風味の魔法薬を飲みほした。口の中で炭酸が弾け、舌に爽やかな酸味と甘みが押し寄せる。鼻を抜けるコカの香りがすっと琴羽の意識をクリアにし、爽快な後味が口内に残った。
「どう?」
 陽菜が興味津々といった様子で感想を尋ねる。
「……まさにコカコーラって感じ?」
「味は完璧みたいだね」
 陽菜は手許のメモにカリカリと何事かを書き込んだ。
「それで、これはなんの効能が?」
「えっとね、黒歴史を思い出すの」
「…………」
「…………」
「……え?」
「名前は黒歴史薬」
「うっわ……ネーミングセンスないなー……」
 思った言葉をそのまま口に出した瞬間。琴羽の脳裏に三年前の記憶が甦った。
「うわ、わ、わ、あああああああああああああ!!! 『中学の頃にアメリカドラマに感卦されていた自分が理科の実験で失敗して“ごめんなさい…でも実験に失敗はつきものでしょ? それにこれくらいのハプニングがないと授業なんてかったるくてやってられないわ”とか言ってすいませんでした!!!』 ってうぇえええええ!!!? なんで私こんなことしゃべってるの!?」
「黒歴史薬は一番最初に思いついた黒歴史を自動的に言語化して、強制的にしゃべらせる嬉し恥ずかし効能があるんだよ?」
「嬉し恥ずかしとかそんな生易しいレベルの羞恥心じゃないよ!!!」
 顔を真っ赤にして叫ぶ琴羽に、陽菜は涼しげな微笑みで答えた。
「ちなみに今のような“黒歴史発作”はしばらく定期的に訪れます」
「後遺症までッッ!?」
「そしてこちらがその発作を抑える魔法薬になります。なんと一瓶5000円の大特価!」
「完全に悪徳商売じゃないのさ!」
「結構儲かりそうだと思わない?」
「天使みたいな顔してなんてあくどいことを……」
「というわけで、琴羽。これから黒歴史薬の量産体制に入るから、助手をお願い。もちろんバイト代は払うよ?」
「そんなあくどいことに手を貸すなんて、」
「わかった、じゃあこうしよう。バイト代は全学琴羽のお好きなケーキ類で支払う。放課後、どこでも好きなケーキ屋でごちそうしてあげる。なんならケーキセットでいいよ?」
「OK、早く調剤をはじめましょう」
「こっち持ちかけておきながらなんだけど、琴羽はもう少し自分の欲望に抗う術を覚えるべきだと思うんだ」
「私の甘欲の前には全ては偏に風の前の塵に同じ!」
「平家物語の著者及び琵琶法師の面々に全力で謝罪しろ! っていうか甘欲ってなんなのさ……」
「スイーツに対する、」
「ニュアンスで分かるからちょっと黙ろうか。はぁ……まぁ琴羽の気が変わらないうちに調剤を始めようか」
「あいあいさー!」

 その後、琴羽達の通う公立・邑夢(ゆうめ)魔法高等学校では、昼休みになるとどこかの教室で自らの黒歴史をはき出す生徒が後を絶たなかったとか、薬袋陽菜の羽振りが急に良くなったとか、臥龍岡琴羽が最近太ったとかいう噂が流れたそうな。

       

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