Neetel Inside 文芸新都
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文芸音楽アンソロジー
マイ・ワン・アンド・オンリー/きすいと

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「キミだったら自分の葬式で何を流したい?」
 煙を見ながら呟く。隣に居た彼女は気丈にも涙を見せなかった。本当に、ただの一度も。
「何の話? 音楽? それともメッセージビデオ?」
「前者」
「そうね……」
 風に流され、拡散して消える彼だったものから彼女は眼を逸らさない。かれこれ二十分は経つ。
 悩んでいる風には見えなかった。僕の振った質問はまったくの空振りで、その小さな頭の小さな脳みそから悲しみに暮れる領域を少しも削れなかったようだ。
 彼女は歌うように口を開いた。
「エラ・フィッツジェラルド」
 僕は知っている。その歌手の名前を聞いたのはこれが初めてじゃない。僕の親友が、一週間前に丁度ソイツを一押ししていた。
「曲目は?」
「マイ・ワン・アンド・オンリー」
 今、僕たちが見ている前で煙になっている男が好んだ世界のトップ・ジャズ・ボーカリスト。その名曲。
「葬式にラブソングかよ」
「天使にラブソングよりは洒落ているでしょう?」
 どっちも不謹慎で似たり寄ったりだな。
 煙草に火を点け、煙を吐いた。弱弱しい紫煙は彼の抜け殻とは比べるべくも無い。青く澄んだ空に上っていくあれは、隣の少女の恋心も持っていく。
 まるで龍のようだった。
「事後承諾で悪い、吸わせてくれ」
「どうぞ」
 煙草に無意識に火を点けてしまうほど、やるせないのは何が理由だ?
 彼女の想いを持ち逃げした男への嫉妬か。
 それとも無二の友人を失った悲しみか。
 命の呆気無さを知ってしまった故の韜晦か。
 吸って、吐いて。溜息をも誤魔化すように。
「死んじまったな」
「死んじゃったね」
「結婚とか将来とか考えてた?」
「まあ、少しくらい」
「僕たちの年齢じゃ、本格的に考えるにはまだ早いか」
「ううん、遅かったくらい。あーあ。アイツが生きてる内に結婚しておけばよかった」
 吸って、吐いて。恋心を内燃させて、煙に変えて。
 僕の横恋慕よ、燃え尽きてしまえ。今なら彼女を残した馬鹿野郎の身体と一緒だ。
「そっか。そうだな」
 気の利いた言葉の一つも返せない。
「まだ好きなんだ?」
「うん。まだ、好き」
 聞いてるか、親友。羨ましいね。ああ、こんだけ彼女から想われる事が出来るなら、僕だって死んでやりたい。だって卑怯だろ。
 帰って来いよ。
 生き返って来いよ。
 なに、ゆらゆらと風任せ気取ってやがるんだ。
「死んでも好き」
 彼女の言葉に安心する僕と、絶望する僕が居た。
「そう、かい」
 辛うじてのプライドで言葉を失う事だけはギリギリで回避して。煙草を咥える事で、言葉を探して組み立てる時間を不自然なく作る。
「キミにそれだけ想われていれば間違いなく成仏するよ、アイツ」
「……アイツなら枕元に立ってくれてもいいのに」
 幽霊なんて信じてもいないだろう、彼女は言って。それとも恋人が死んでしまったら即宗旨変えか。
 恋は盲目だ。
「――引き摺られるなよ」
「無理を言わないで。引き摺るに決まってるでしょう?」
「いや、引き摺るなって言ってるのは想いじゃない。死ぬな、って言ってるんだ」
「……後追い心中なんかしない」
「そっか」
 彼女は僕の方を見ない、ずっと。死んでしまったヤツの方ばかり見ている。
 空を睨むその気丈な横顔を僕は格好良いと思った。
「貴方こそ、アイツに引き摺られないようにね」
「なんだよ、それ。男のために死んだりなんて、死んでもしない」
「どうかしら。……ねえ。煙草、今日に限って変えたの?」
「いつものが売り切れてたんだ」
 嘘。いつもの店のいつもの棚に、いつもの煙草は今朝だってちゃんと置いてあった。
「それがアイツの喫んでた煙草にした理由?」
「一応、僕なりの弔いの意味も有る。ただ、墓に入るのは今日じゃないらしいから線香代わりにあげてやる事は出来なさそうだ」
「ふうん」
 言って彼女は人差し指と中指を僕の顔の前に突き出した。
「頂戴」
「……煙草?」
「煙草。アイツの代わりに、吸ってあげる」
「煙草は喉に悪い。歌を生業にしてる君は喫まない方がいいよ」
 二本の指が伸び縮みを繰り返す。よこせ、ってジェスチャなのは、それは分かるが。
「先に言っておく。美味しいものじゃない」
 言いながら一本を彼女に差し出す。
「弔いよ。味なんて二の次」
 僕の指から煙草が抜き取られる時に、彼女の爪が触れた。でも、それだけ。チラリともこちらを見ようとはしない。
 それ以上詰まることの無い距離。絶望的な距離。
 死んでしまった彼と生きている彼女の間の方が、よほど短い。
 ぷかり、煙が彼女の口から浮かび上がり、天国へと旅立っていく。あの煙に詰め込まれているのはきっと、これでもかって量のアイラブユー。
 ラブ・レター・フロム・エラ。僕の親友が好きだったジャズ・シンガーの十八番はラブソング。
 吸いなれない煙草を歌うように彼女は口にする。その唇にはアイツが好きだった煙草。彼女の世界に僕はいない。彼女によって今後歌われる愛し愛しはその一切がフロム・グラウンドで天国行き。
 死んだってのに。もういないってのに。ソイツはもう幸せも不幸も無い場所にいっちまったってのに。
 それでも僕の好きな人はきっと一心不乱に弔うのだろう、慰めるのだろう。
 経の代わりに念仏の替わりに、ラブソングを歌い続ける。
 幸せを願うのが愛ならば。彼女は彼を愛している。
 僕は彼女を愛してはいない。
 彼女の幸せなんて願えない。彼女を幸せに出来るこの世界で唯一の男は死んだのだから。
「煙草って本当に美味しくない」
「だから言っただろ?」
「でも、アイツを思い出せた。アイツはこれと同じ匂いをさせてたわ」
 こんな事を言わせて、泣き出しそうな顔で笑わせておいて。一体、僕にこれ以上何が言える。
 何が出来る?
「天国に、この煙は昇っていくのかなあ……」
 煙草か。彼か。彼女がぼんやりと呟いて。
「私の歌は……あんな高くまで届くかな」
 現実を言えば。きっと届かない。届け先のアドレスが無いのだから。天国なんてヒトの想像。僕はそんなものを信じちゃいない。
 彼は燃えて――消えたんだ。どこかに行ったのではなく、完膚なきまでに消えたんだ。でも、ここでそれを彼女に告げれば。
 僕は彼女の歌を聞けなくなるかも知れない。
 彼女が歌わなくなってしまう事だけは避けたい。けれど。彼女に彼の死を、消失を理解させれば、その愛は瓦解するかも分からない。結果、矛先を僕に――、
 僕に、向けるような女を僕は好きだと思えるのか?
 それでも好きだと言い切れない自分。
 死んでも好きだと言い切った彼女。
 彼女の好きと僕の好きは、同音異語なんだろう。
 やがて、彼女は煙草を棄てて歌いだす。空に向けて。彼に向けて。風に揺られて木々が揺れる音を伴奏に。
 それはアイツが好きなトップ・ジャズ・ボーカリストの指折りのラブソング。

 曲目は「マイ・ワン・アンド・オンリー」。

 きっと届くよ、なんて根拠も無い希望論を口にしようとして……止めた。
 その代わりに、この一曲を彼女が歌い終わったらとっておきの秘密を教えてあげようと心に決める。
 アイツがエラを好きだと言い出したのはキミと付き合いだしてからで、その理由が「好きな女に俺のためにラブソングを歌ってくれなんて真っ向から言えるかよ!」だって事を。
 なあ、親友。
 彼女はこれからもずっと歌い続けるだろう、お前のために。お前一人のために、だ。僕はきっとそれをそばで見守り続けるさ。ああ、守ってやるとも。
 こんな切なく力強い歌声を聴かされては他の女なんてもう到底好きになれそうにない。
 だからさ。
 代わりと言ってはなんだが、このラブソングを端で聞くくらいはお裾分けに預かってもいいか?
「届いたかな?」
「届いたよ」
 キミがどれだけアイツを想っているか。
 弔いにラブソングを。滑稽だけど、悪くない。

 彼女が歌っている間、煙は踊るように揺れていた

       

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Neetsha