Neetel Inside 文芸新都
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文芸音楽アンソロジー
crollo-decrescendo/Thollys Gurry

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 魅入られた。
 宇宙の果てから不意に届いた音楽に。
 僕がここにいる理由を問われたならば、そう答える。

 SETI──人類以外の文明を宇宙に求めようという試み。
 そして、時空超越航法、いわゆる『ワープ』と呼ばれた技術。
 銀河系に広がろうとするには、人類の絶対数も手に入れることが出来る資源も甚だ脆弱であった。
 限られた資源、限られた人員。宇宙から届けられた、音楽。

 そして僕は、その千光年の片道切符に志願し、許された。
 正確にいうならば、片道切符ではない。調査し手に入れたデータは勿論持ち帰ることが前提だ。SETIで捉えたデータは、あくまでも電波であり、それは光の速度を超えない。電波の発信主が文明であった場合──音楽のように聞こえた周波数が偶然ではなかった場合──『ワープ』ならば、光の速度に先んじて情報を持ち帰ることが出来る。音楽を奏でた者がワープ技術に達しているとは限らないからだ。

 もっとも、音楽は数学だ。今回捉えられた電波は、偶然ではありえない確率で音楽であり、数学だった。
 そして、美しかった。ローレライとコードネームがつけられるほどに。
 こんな音楽を奏でるとは、どれほど美しい文明なのだろう。外見は関係ないのだ。心が美しいならば友好的な関係を築くのもそう難しくはないはずだ。
 いや、早計しては駄目だ。天才でも嫉妬で身を持ち崩した音楽家もいる。他人を傷つけ消費することを作品の糧とした作曲家もいる。作品の美しさと心の美しさは比例するとは限らない。
 そのような感情の往復は、既にこの時に始まっていた。

 そして、出発の準備は着々と進んだ。勿論、その間も音楽は届き続けていた。
 片道切符に志願した、と言った。片道切符ではない、とも言った。
 実のところ、片道千光年の道のりとなると、現在の技術だと十年はかかってしまう。往復だと、都合二十年になる計算だ。ワープには点検とエナジーの充填が不可欠であり、これは仕方のないことで、志望者が常に足りない理由でもある。無事に帰還したときに英雄扱いされる反面で、文化的に隔絶されてしまうのだ。
 友達はみな、それを受け入れることが出来なかった。
 長期間の航海に適する年齢の者は、他の事にも適するのだ。勉学、恋愛、何よりも、享楽的な時間を過ごすこと。
 そして、家庭を持ち子孫を残すこと。
 幸運なことに、僕にはそんな心配も相手もなかったし、なによりもローレライに魅入られていた。むしろそれは、僕にとっては受け入れるだけの恋愛も同然だとも言えた。拒絶される恐れのない、求めるだけで満たされる恋愛。
 僕にはそれで充分だった。

 そして、訓練や事務的な手続き、探査船の建造が終わり、最終的な意志確認が行われ全てのチェックを通過した上で、僕はローレライに応えるべく大気圏を離脱した。

 それから僕がしていたことといえば、ひたすらローレライに向かうこと。亜光速航行中に機関の点検をし、ワープエンジンのエナジーを充填し、そして、その地点ごとのデータを収集し星図を作成すること。ワープ前とワープ後では数十光年から百光年を超える位置の隔たりが出来てしまう。遠いのならば影響は小さいのだが、星や物体などの大質量が近ければ近いほど影響が無視できなくなる。重力は勿論だが、喩えていうならば『車窓から見える山は動かないのに標識の文字が読めない』状態が、光年単位で起こってしまうのだ。調査は念入りにしなければならない。
 戻った時に、この星図を買い取ってもらうことでその後の生活の保障とされる契約であるし、なによりも、無事にローレライと出会うために。

          *

 最初の異変は、残り五百光年を切った頃であった。ローレライからの旋律に違和感を覚えたのだ。
 ローレライにとっては五百年奏で続けた、僕にとっては五年以上焦がれ続けた旋律。それを今になって変更するのはどういう意味があるのか。ローレライの主は長命種なのかもしれない。または弟子達が気紛れで変奏したのかもしれない。その真意を問うことも、やらなければならないことに加えられた。

 次のワープ後の観測でも新たな違和感があった。また旋律が変化したのだ。
 現在の距離は、残り四百光年弱。
 文明が進歩したのか、中心を担う者たちの意識が変わり、美意識が変化したのか。
 それでもなお、ローレライの音楽は美しくあり続けていた。

 次は、旋律ではなかった。地球の音楽でいうならばベース音に喩えればいいのか、音楽を支えるべき音が削られていた。そして、今までの違和感の正体もすべて音が削られたことによるものであったことに思い至った。
 現在位置、残り三百光年とちょっと。ローレライの文化は、ここ二百年ほど単純化を是とする風潮が続いたのだろうか。
 それでも、まだローレライは美しかった。
 何も問題ない。早く会いたい。

 あと、二百五十光年。装飾音らしき部分が削られていた。
 まさか、この探査船に気付いて警戒信号を発しているのではないのか。ならば、このサイズの飛翔体を二百五十光年先から観測できる技術があるのか。いや、それならば何故言語らしき信号ではないのか。そもそも音楽のみで会話をする文明なのか。
 いや、この探査船を発見する技術があるならば、もっと明確に警告を意味する信号に変化するはずだ。こんなに美しい警告は余計に誘き寄せるだけだ。
 僕は、まだ発見されていないと判断し、もし発見されても友好的に振舞えば問題ないだろうと結論し、先を急ぐことにした。

 ついには、ローレライからの音楽は、美しさの片鱗こそ残すものの、すっかり音は削りつくされていた。
 残りの距離は約百光年。一度のワープで飛び越えられる距離だ。
 僕は暫し逡巡する。
 はたして、外部の存在の僕が足を踏み入れるべき状態なのか。この段階で出来る限りの調査をし、引き上げるべきではないのか。そう思い至ることに理由などひとつしかない。あまりに変わり果てたローレライと対面するのが怖かったのだ。憧れの美少女と同窓会で出会うかのような期待感と、実際に声をかける気の重さの関係に近いのかもしれない。
 いや、しかし。なんらかの手助けが必要な状態であるのならば、必要な作業を早急に済ませて向かうべきではないのか。そして、元の──千年前の旋律に回帰させるべきではないのか。千年もの間、音楽を奏でることができる文明であるのだから、もちろん楽譜など必要なデータは残されているだろう。なんらかの理由で不可能になっているのだとしても、そのためのデータは幸いにも保存してある。

 ふと苦笑する。観測すればいいのだ。行かねばわからぬではないか。千年前の旋律への回帰を望むかどうかさえ。
 そうして僕は、それらの迷いを振り払い、ワープエンジンに点火した。

          *

 ワープが完了して目の前に現れたのは、氷の惑星だった。
 いや、かつては──計算上では千年ほど前には温暖な気候を維持できる公転軌道上を廻っていたはずの、惑星。その軌道を維持できず、次第に中心たる恒星から遠ざかり凍り付いてしまった惑星。
 それが、美しいまま氷に閉ざされていた。

 ローレライの──電波の発生源を探し、惑星に降り立つ。
 文明の痕跡は打ち壊されることなく風化していた。石畳やレンガが整然と並び、清潔な文化があったことを容易に想像させる。もし、今、恒久的に適温が維持できるならば、休眠型の植物や菌類は活動を再開するだろう。
 それほど整然と、滅びていた。

 電波の発生源は、ひときわ大きな山に開けられたトンネルの奥だった。
 歩を進めると、トンネルは登り勾配になっていた。明かりや仕掛けなどは一切なく、掘ったまま固められたような土壁が直線で続いていた。意外と大きなトンネルで、乗ってきた探査船もぎりぎりで入れるくらいの広さがあった。

 足音の反響が変わる。広い部屋に出たらしい。
 ライトを向けると、そこには地熱を動力としたオルゴールがあった。
 それは無骨で、絶対に壊れまいとする意志すらあるように、そこに聳えていた。永遠の墓守たる自分に誇りを持っているようにさえ見えた。
 その櫛状の金属板は力尽きたかのように所々が欠けながらも、一音一音、確かめるかのように奏で続けてゆく。

 この、宇宙へ旅立つ術を持てなかった幼い文明が自らの滅びを悟った時、電波──文明が作り出すものの中で一番最後まで消えず、一番遠くまで到達することができるもの──を旅立たせることを選択し、それが地球に、そして僕に届いたのだ。
 光あれ。そう願った者もいた。
 僕は思う。せめて、音楽あれ。それが電波という形であれ、宇宙を充たせばいい。
 千年。その壊れゆく過程までもが美しい。
 今、地球に届いているローレライの旋律は、欠けていない。
 これから千年以上かけて、徐々に壊れゆくのだ。その過程だけを聴かせながら。

 魅入られた。
 宇宙の果てから不意に届いた音楽に。
 僕がここにいる理由を問われたならば、そう答える。

 そして僕は、この夭逝した文明の魂の鎮かなる事を願い、胸に手をあて天を仰いだ。

       

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