その街のひとびと
勘定
「ねえ、何にするか決まった?」
喜多磨理は目の前にいる男、西戸正直に六回目の同じ質問をした。
二人が来店した後に入ってきた三組目の客に、ちょうど料理が運ばれた時であった。
正直はメニューと書かれた本をペラペラめくり、眉間にしわを寄せながら唸り声を上げている。
「何分かかってんの。」
痺れを切らし。そう言い終わると同時にテーブルの隅にあるボタンを押した。店内にチャイムが響く。
「あ、おい。まだだってのに。」
「いつまでたっても決めないんだもの。いい加減お腹も減ったし。」
「くそ、仕方ねえな。」
頭をポリポリ掻き、悩む。しかし無情にもウェイトレスはやってきた。
「お待たせしました。ご注文は何にしますか?」
「私はクリームグラタンに自家製パンで。」
「クリームグラタンに自家製パンがおひとつ。」
磨理が言ったことをウェイトレスが反芻し、オーダーを取る。
「あー、俺はハンバーグと海老フライのセット。あとライスを大盛りでお願い。」
「ハンバーグと海老フライのセットでライス大盛りがおひとつ。以上でご注文お決まりですか?」
「どうする?」
磨理が正直を見る。
「食ってから決めようや他のは。あとは良いです。」
「かしこまりました。では、ご注文の品が出来上がるまで少々お待ちください。」
ウェイトレスは頭を下げ、その場を去る。
正直はそれを確認し、溜め息をついた。磨理はそれを見て正直を睨み、「その溜め息は私の。」と悪態をつく。
「代わりにやってくれたってんなら礼を言うけど。」
「代わりにやってやった。んじゃお礼くれお礼。」
「やだ。私のおかげで正直の注文が決まったもんじゃん。追い込まれないと決断力のない貴方のために。」
言われて顎をさする正直。しばし考えた後、「それもそうだな。」と納得がいったようだった。
喜多磨理は目の前にいる男、西戸正直に六回目の同じ質問をした。
二人が来店した後に入ってきた三組目の客に、ちょうど料理が運ばれた時であった。
正直はメニューと書かれた本をペラペラめくり、眉間にしわを寄せながら唸り声を上げている。
「何分かかってんの。」
痺れを切らし。そう言い終わると同時にテーブルの隅にあるボタンを押した。店内にチャイムが響く。
「あ、おい。まだだってのに。」
「いつまでたっても決めないんだもの。いい加減お腹も減ったし。」
「くそ、仕方ねえな。」
頭をポリポリ掻き、悩む。しかし無情にもウェイトレスはやってきた。
「お待たせしました。ご注文は何にしますか?」
「私はクリームグラタンに自家製パンで。」
「クリームグラタンに自家製パンがおひとつ。」
磨理が言ったことをウェイトレスが反芻し、オーダーを取る。
「あー、俺はハンバーグと海老フライのセット。あとライスを大盛りでお願い。」
「ハンバーグと海老フライのセットでライス大盛りがおひとつ。以上でご注文お決まりですか?」
「どうする?」
磨理が正直を見る。
「食ってから決めようや他のは。あとは良いです。」
「かしこまりました。では、ご注文の品が出来上がるまで少々お待ちください。」
ウェイトレスは頭を下げ、その場を去る。
正直はそれを確認し、溜め息をついた。磨理はそれを見て正直を睨み、「その溜め息は私の。」と悪態をつく。
「代わりにやってくれたってんなら礼を言うけど。」
「代わりにやってやった。んじゃお礼くれお礼。」
「やだ。私のおかげで正直の注文が決まったもんじゃん。追い込まれないと決断力のない貴方のために。」
言われて顎をさする正直。しばし考えた後、「それもそうだな。」と納得がいったようだった。
「話変わっけど、あいつどうなったの?」
ふと思いつき正直は言う。
「世の中には無数のあいつがいるのに。」
当然磨理は理解していない。正直は思い出すように目を上に向け、頭を掻く。
「あれだ、陸空海。雪山で遭難してたって奴。磨理が救助したって。」
「あーあれは無事だったねー。」
磨理は大して興味もなさそうに言う。実際あまり興味がなかった。
正直はその様子を見て少し驚く。二人は学生時代、付き合っているのではないかと噂をされるほど仲が良かったからだ。結局本人達の口からは何も聞けずに終わったのだが。
「なんだお前。心配してたんじゃないのか。」
「友達だもの、心配はしてたよ。けどさ…」
磨理は自分の左手にあったコップの水を氷ごと口に含む。氷を乱暴に砕き口の中を綺麗にすると、さらに続ける。
「救助されて早々言ったことが病院には連れて行くなってどういうこと?こっちは命賭けて救助して身を案じて病院を薦めてるのに。救助してあんな態度取られたんじゃ仕事の遣り甲斐ってものもないったらないよ。触ろうとしても振り払われたし。もーなんなのったらなんだっての。」
コップを握る手に力が入る。そして自分を落ちつけるように水を飲み、氷を砕いた。そのままコップを勢いよく置こうとしたが、置く瞬間に思いとどまりそっと置いた。
それを見て正直が笑い、なだめる。
「まあ、あいつにも事情があったんじゃないか?前からそうだったじゃないか。出来る限り自己解決しようとする。それがあいつ。」
「それもそうなんだけど。何年の付き合いだと思ってんの。ちょっとくらい頼ってくれたっていいと思う。」
磨理は納得がいかないが、落ち着いてはいた。
頬杖をつきふと外を見る。外は暗く、車が忙しなく飛び交っていた。
正直も頬杖をつき、外を見る。
「諦めろ。あそこまで成長したら人間早々変わんねえよ。よっぽどのことがない限りはな。」
「遭難したことはよっぽどじゃないと。」
「…あいつにとってはそうなんだろうな。」
互いに外を見たまま話す。外の光景は変わらず、車が飛び交っていた。
両者なにも考えず、途方に暮れていた。非常に無意義な時間であることは分かっていたが、なんとなくそうしていたかったのである。
ふと思いつき正直は言う。
「世の中には無数のあいつがいるのに。」
当然磨理は理解していない。正直は思い出すように目を上に向け、頭を掻く。
「あれだ、陸空海。雪山で遭難してたって奴。磨理が救助したって。」
「あーあれは無事だったねー。」
磨理は大して興味もなさそうに言う。実際あまり興味がなかった。
正直はその様子を見て少し驚く。二人は学生時代、付き合っているのではないかと噂をされるほど仲が良かったからだ。結局本人達の口からは何も聞けずに終わったのだが。
「なんだお前。心配してたんじゃないのか。」
「友達だもの、心配はしてたよ。けどさ…」
磨理は自分の左手にあったコップの水を氷ごと口に含む。氷を乱暴に砕き口の中を綺麗にすると、さらに続ける。
「救助されて早々言ったことが病院には連れて行くなってどういうこと?こっちは命賭けて救助して身を案じて病院を薦めてるのに。救助してあんな態度取られたんじゃ仕事の遣り甲斐ってものもないったらないよ。触ろうとしても振り払われたし。もーなんなのったらなんだっての。」
コップを握る手に力が入る。そして自分を落ちつけるように水を飲み、氷を砕いた。そのままコップを勢いよく置こうとしたが、置く瞬間に思いとどまりそっと置いた。
それを見て正直が笑い、なだめる。
「まあ、あいつにも事情があったんじゃないか?前からそうだったじゃないか。出来る限り自己解決しようとする。それがあいつ。」
「それもそうなんだけど。何年の付き合いだと思ってんの。ちょっとくらい頼ってくれたっていいと思う。」
磨理は納得がいかないが、落ち着いてはいた。
頬杖をつきふと外を見る。外は暗く、車が忙しなく飛び交っていた。
正直も頬杖をつき、外を見る。
「諦めろ。あそこまで成長したら人間早々変わんねえよ。よっぽどのことがない限りはな。」
「遭難したことはよっぽどじゃないと。」
「…あいつにとってはそうなんだろうな。」
互いに外を見たまま話す。外の光景は変わらず、車が飛び交っていた。
両者なにも考えず、途方に暮れていた。非常に無意義な時間であることは分かっていたが、なんとなくそうしていたかったのである。
周りには楽しく談笑する家族やカップルの姿。店の奥では料理のする音や皿を洗う音が聞こえた。
「なあ、お前も少し熱くなったんなら俺も言いたいことがあるんだけど。」
正直は頬杖をやめて身体を前に倒し、真剣な顔で言った。
「なーに。面白い顔しちゃって。」
普段見ない顔を見て磨理が茶化す。
「少し前に市倉と飯食いに行ったんだよ。」
「亜沙子と?ああはいはい。」
磨理が相槌を打つ。
市倉亜沙子とは磨理の友人で、正直とは仕事仲間である。
磨理が頷いたのを見て正直は口の前に手を置き、視線を落とす。
「んでテキトーに話して食い終わったわけよ。俺は普通に勘定済ましたわけよ。でも市倉のやつはなんも言わんかった。どう思うよこれ。」
磨理は目を瞬かせた。言っている意味が分からなかったのだ。
正直が慌てて言い直す。
「いやだから、勘定の前になんか言うことあるだろって話よ。割り勘にしようかとかよ。」
ばつが悪そうに正直は言う。本人も体裁を気にしているのか思いあまり言いたくはないのだろう。
「言いたいことは分からないでもないよ。とりあえず人間として小さいとかいう話は置いておいて。」
「そうしてくれ、と言いたいところだが俺はこれを小さいとはあまり思わん。むしろおかしい思ってるくらいだ。世の中が勝手にそういう風潮にしてるだけだ。」
正直は声を荒げながら拳を握りしめた。
「俺は自分がケチだと自負しているほどだ。けど俺の中の日本人の血が男ならば女には奢らなければいけないと勝手に命令しやがり、意に反して財布を開いて五千円札を出してしまった。一生の不覚だ。これぞまさに不覚。」
うなだれ、握った拳が震える。
並々注がれたコップの中の水が揺れる。
「俺が勘定どうするかと聞かなかったのも悪かったかもしれない。それにしてもだ。それにしてもだろうが。気が利かねえのかあのアマは。気が利くのが日本人だってどっかの国の人が言ってたろうが。」
「はいはい分かった分かった。」
二人がそんなやりとりをしていると、店の奥から料理を持ったウェイトレスがやってきた。
「なあ、お前も少し熱くなったんなら俺も言いたいことがあるんだけど。」
正直は頬杖をやめて身体を前に倒し、真剣な顔で言った。
「なーに。面白い顔しちゃって。」
普段見ない顔を見て磨理が茶化す。
「少し前に市倉と飯食いに行ったんだよ。」
「亜沙子と?ああはいはい。」
磨理が相槌を打つ。
市倉亜沙子とは磨理の友人で、正直とは仕事仲間である。
磨理が頷いたのを見て正直は口の前に手を置き、視線を落とす。
「んでテキトーに話して食い終わったわけよ。俺は普通に勘定済ましたわけよ。でも市倉のやつはなんも言わんかった。どう思うよこれ。」
磨理は目を瞬かせた。言っている意味が分からなかったのだ。
正直が慌てて言い直す。
「いやだから、勘定の前になんか言うことあるだろって話よ。割り勘にしようかとかよ。」
ばつが悪そうに正直は言う。本人も体裁を気にしているのか思いあまり言いたくはないのだろう。
「言いたいことは分からないでもないよ。とりあえず人間として小さいとかいう話は置いておいて。」
「そうしてくれ、と言いたいところだが俺はこれを小さいとはあまり思わん。むしろおかしい思ってるくらいだ。世の中が勝手にそういう風潮にしてるだけだ。」
正直は声を荒げながら拳を握りしめた。
「俺は自分がケチだと自負しているほどだ。けど俺の中の日本人の血が男ならば女には奢らなければいけないと勝手に命令しやがり、意に反して財布を開いて五千円札を出してしまった。一生の不覚だ。これぞまさに不覚。」
うなだれ、握った拳が震える。
並々注がれたコップの中の水が揺れる。
「俺が勘定どうするかと聞かなかったのも悪かったかもしれない。それにしてもだ。それにしてもだろうが。気が利かねえのかあのアマは。気が利くのが日本人だってどっかの国の人が言ってたろうが。」
「はいはい分かった分かった。」
二人がそんなやりとりをしていると、店の奥から料理を持ったウェイトレスがやってきた。
手だけでは足りず、腕にも料理を置いているが、先程呼んだ時と大差ない速さで歩いている。
それを見て正直は感嘆する。
「お待たせしました。クリームグラタンに自家製パンの方。」
「はい。」
磨理が手を上げた。料理が置かれていく。グラタンがくつくつと鳴るのを聞いて、唾液が増えるのが分かった。
「ハンバーグと海老フライのセット、それとライスです。」
「はーい。」
さっきまでの怒りはどこへいったのか、のんきに返事をする正直。既に頭は感心と食欲で支配されていた。
「鉄板は熱くなっておりますのでお気を付け下さい。ではごゆっくりどうぞ。」
ウェイトレスは頭を下げ、別の客の方へ行く。
目の前の料理を見て、意味もなく二人は沈黙する。
正直がナイフとフォークを取り出した。
「どーれ、いっただっきまーす。」
磨理もスプーンを取り、手を合わせる。
「いただきますっと。」
二人は黙々と食べる。美味しいだの熱いといった感想も何もなく、ただただ自分の腹を満たすことだけに集中している。二人は食事は静かに食べたいだけなのだが、若い男女が同じテーブルで黙々と食事をすることは、傍から見たら少々滑稽に思えた。
二人を知っている人は食事中に会話をさせようと試みているのだが、全て失敗に終わる。そして口を揃えてこう言うだろう。言うだけ無駄だ、と。
先に食べ終わり、コップに手を掛けたのは正直だ。水を一気に飲み干すと、立ち上がり、お代わりをしに行った。
戻ってくる頃には磨理も食べ終わり、背もたれに全体重を乗せ、溜め息をついていた。
「まあまあだね。」
「嘘こけ。グラタン来た時今にも喰いかかるような眼してたぞ。」
「空腹は最高の調味料ってやつだよ。」
「言ってろ。」
正直は席につき、コップ片手に磨理を見る。
視線に気づいて磨理も正直を見た。
「なーに。あんた私もじゃないかとか疑ってんの?」
ふん、と鼻息を鳴らし口を拭いた。
「そうだな。別にさっきあんな話したんだから気を使えとは言わねえよ。他人の愚痴をテキトーに相手してくれたしな。感謝したいくらいだ。」
「良いよ別に、お互い様だし。」
微笑む。つられる様に正直も笑う。
「美味かったな。」
「そうだね。」
「また来るか。」
「暇だったらね。」
正直は水を飲み、立ち上がる。
「帰るか。」
「帰ろう。」
レシートを持って勘定に済ませようと向かおうとした時、後ろから肩をたたかれた。振り向くと、千円札と少量の小銭を渡された。
レシートの合計金額のちょうど半分であった。
完
それを見て正直は感嘆する。
「お待たせしました。クリームグラタンに自家製パンの方。」
「はい。」
磨理が手を上げた。料理が置かれていく。グラタンがくつくつと鳴るのを聞いて、唾液が増えるのが分かった。
「ハンバーグと海老フライのセット、それとライスです。」
「はーい。」
さっきまでの怒りはどこへいったのか、のんきに返事をする正直。既に頭は感心と食欲で支配されていた。
「鉄板は熱くなっておりますのでお気を付け下さい。ではごゆっくりどうぞ。」
ウェイトレスは頭を下げ、別の客の方へ行く。
目の前の料理を見て、意味もなく二人は沈黙する。
正直がナイフとフォークを取り出した。
「どーれ、いっただっきまーす。」
磨理もスプーンを取り、手を合わせる。
「いただきますっと。」
二人は黙々と食べる。美味しいだの熱いといった感想も何もなく、ただただ自分の腹を満たすことだけに集中している。二人は食事は静かに食べたいだけなのだが、若い男女が同じテーブルで黙々と食事をすることは、傍から見たら少々滑稽に思えた。
二人を知っている人は食事中に会話をさせようと試みているのだが、全て失敗に終わる。そして口を揃えてこう言うだろう。言うだけ無駄だ、と。
先に食べ終わり、コップに手を掛けたのは正直だ。水を一気に飲み干すと、立ち上がり、お代わりをしに行った。
戻ってくる頃には磨理も食べ終わり、背もたれに全体重を乗せ、溜め息をついていた。
「まあまあだね。」
「嘘こけ。グラタン来た時今にも喰いかかるような眼してたぞ。」
「空腹は最高の調味料ってやつだよ。」
「言ってろ。」
正直は席につき、コップ片手に磨理を見る。
視線に気づいて磨理も正直を見た。
「なーに。あんた私もじゃないかとか疑ってんの?」
ふん、と鼻息を鳴らし口を拭いた。
「そうだな。別にさっきあんな話したんだから気を使えとは言わねえよ。他人の愚痴をテキトーに相手してくれたしな。感謝したいくらいだ。」
「良いよ別に、お互い様だし。」
微笑む。つられる様に正直も笑う。
「美味かったな。」
「そうだね。」
「また来るか。」
「暇だったらね。」
正直は水を飲み、立ち上がる。
「帰るか。」
「帰ろう。」
レシートを持って勘定に済ませようと向かおうとした時、後ろから肩をたたかれた。振り向くと、千円札と少量の小銭を渡された。
レシートの合計金額のちょうど半分であった。
完