Neetel Inside ニートノベル
表紙

Soul Sisters
Infest

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「駄目かなぁ」
「駄目でしょさすがに」
 桜の提案を牡丹はにべもなく撥ね退ける。
 霊能力に目覚めようがなんだろうがずるずると時間は進み、遂にテストまで1週間。
 一定時間ごとに入れ替わる彼女らの体質はとても勉強がしにくいものであるが、二人はそれでも頑張っており白木単としての成績は大抵クラスのど真ん中。
 しかし今は事情が違う。ある程度までは一緒に勉強できるからいい成績を取ってやろう。
 そう息巻く牡丹に、桜は身も蓋もない提案をした。
「あたしが周り覗いてくればいいじゃん」
 もちろん怒られた。
 少し粘ってみたものの、桜も悪いことだというのは流石に分かっている。結局は真面目に勉強するという結論に落ち着いていた。
「あーあ、生物やだなー」
 ぼやく桜にしょうがないでしょ、と言ったところでちょうどバスが来て、牡丹は桜と会話することのカモフラージュに耳に当てていた携帯を畳んだ。
 バスの扉が開く。今朝の雨のせいでバスの利用客は増えていて(牡丹たちもそのうちの一人だ)、前に並ぶ生徒たちは、例外なく幸せそうな顔で湿気に満ちた曇天の下から冷気の中に飛び込んでいく。
 早くその恩恵に預かりたいのは牡丹も同じ。暑さを感じないらしい桜が羨ましい。
 遂にその番が来た。ICカードを読み取り部にタッチさせながらタラップを上って、後ろのほうの空席に飛び込む。鞄を置いて、「こら」隣に座ろうとする桜を手で払う。
「てて」
 牡丹はただ霊が見えるだけだけれども、それでも一般人からすれば十分な魂力の持ち主、らしい。だからこうして、霊らしく大抵のものはすり抜けてしまえる桜を叩ける。
 この『叩ける』というのは重要なことで、魂力の低い一般人だとすり抜けるときにぞわりとした感覚を感じてしまったりするらしい。だからこそ牡丹が怒ったとも言える。
「そろそろ戻っておけば?」
 隣に誰も座らなかったし、前に座った男子生徒は耳にイヤホンが刺さっている。ドアの閉まるブザーに合わせて、牡丹は桜にそっと耳打ちした。
「ん」
 桜も素直に頷くと、牡丹の手を握った。
 牡丹にしか見えない、うっすらと発光するもう一人の自分が少し強く光ると、ぱっと消えた。
 同時に軽い眩暈のような感覚。桜の魂が出入りするときはいつもこんな感覚があって、実際のところちょっと苦手。
 鞄を膝の上に乗せたけれど、誰も隣には座らずにバスが動き出す。
 今すべきことは鞄から古文のノートを取り出すこと。
 それは分かっているけれど、なんとなくだるくて何もしたくない。座席に体重を預けてぼんやりと窓越しの景色を眺める。狙いすましたように変わった赤信号のすぐ先には次のバス停があって、おばあちゃんが目の前ではないどこかを眺めている。
 今年は空梅雨で、しかもバスでの帰りは桜が出ていることが妙に多かった。
 この景色を見るのも随分久しぶりかもしれないな、と思う。一度たりとも同じ光景などないはずなのに、ほんのりと懐かしい。
 そんな、感傷とも言えないような何かのせいで。
 幸か不幸か――客観的には不幸以外の何物でもないが、彼女らにとっては幸運であったかもしれない。
 街道沿いの停留所を越えた先、スーパーの駐車場のアスファルトに走る亀裂から湧き出す『それ』を、牡丹の目は捉えた。
 一見するとそれは風に煽られるレジ袋のようで、バスがもう少し速く走っていたならあるいは見逃してしまったかもしれない。
 けれど、ほんの少しの注目できる時間が気付きを与えた。
 『それ』レジ袋にしては妙に球形に近く、泥で汚れたと言うには少々不自然な色をしており、そして何より。
 駐車場の前をバスが通り過ぎる瞬間、確かに亀裂から飛び出し仄蒼く光ったのだ。
 あれは自分に反応したものなのだと、なぜだか認識できた。
 ベイビーかテンフィンガーか、どちらかは忘れたが聞かされたことのひとつが記憶から引っ張り出される。
 曰く、『霊はより強い霊に引かれる性質を持つ』と。
 それはつまり自分のほうが強いということかもしれなかったが、そんな自信など持てるはずもなく牡丹は携帯を取り出していた。
 桜は『霊を見てみたい』なんて言ってたが、冗談じゃない。
 今分かった。見るということは見られるということ。
 そして、魂を見られるというのは気持ちのいいことではない。

 牡丹の感じたことはなかなか的を射ている。
 ベイビーたちが「あえて」説明していないことのひとつに、『認識の法則』とか『ニーチェのやつ』だとか呼ばれているものがある。
 後者で言うなら『汝が深淵を覗き込むとき、深淵もまた汝を覗き込んでいる』ということになるが、より分かりやすく言えば『相手のことを知れば、お互いに影響を受けやすくなる』ということになるだろうか。
 古今東西、霊というのは目に見えないものである。
 だが「寒気がする」だとか「奇妙な物音がする」なんていう心霊体験は「見た」ものよりも遥かに多い。見た場合でもおおよそその前に音や気配を感じていたりする。
 これは単純に「見ることのできるだけの魂力を持っている人間が少ない」と言うこともできるが、その逆もまた真。
 つまり、「霊の力が小さすぎて、音や気配だけでしか存在を示せない」ということもありうるのだ。
 しかし一度その存在を認識してもらえれば、どういう原理かお互いの魂力は増す。
 そうして魂力の増したお互いは徐々により強い繋がりを築くことができるのだ。
 牡丹が感じた気配というのも「見てしまった」ために強くなった魂力と、その繋がりだろう。
 そう推測しながら、ベイビーは電話を切った。
「電話、どっちからでした?」
 雑居ビルの一室にある、『多摩川レコード』と書かれた看板。
 名義ごと買ったため、何がどう多摩川と関係があったのか分からないここがベイビーたちの事務所だ。
 散らかった部屋の中、相変わらず隈を作ったセンサーがパソコンの画面から目を離さず問いかける。
「牡丹ちゃん。いやァすごいね、早速霊見つけちゃうなんて」
「え、パナくないすかそれ」
「やりますねー」
 ベイビーの言葉に、部屋の中にいた二人の男が反応する。
 片方は剃りこみにピアス。よく見ると垂れ目で愛嬌があると言えばあるがヤンチャしてますと全身で訴える格好がそれを打ち消している。
 もう一人は30代後半だろうか。顎鬚を伸ばして眼鏡をかけているぐらいが特徴のやや冴えないと言っていい男で、山と積まれたCDケースにラベルを貼って整理しているようだ。
「ニコタマなんて今まで何も起きてないのがおかしい人材だからねェ。こんな早いとは思わなかったけど」
「いっこ前にツバつけた、何ちゃんですっけ? あの子とか全く連絡ないスしね」
 ピアスの男は事務所の壁を見やって、そこにぶら下がる鈴と上の名前を確認するとああ真奈ちゃんか、と呟く。
「まあ無事っぽいからいいでしょ」
「無事じゃ困るってーの」
 笑うピアス。センサーが少し顔を顰めた。
「そゆこと言わないのザンギリくん。で、来たからには消しにいかないといけないんだけどォ」
「じゃオレはまた戦力外スね」
 ピアス――ザンギリというらしい――はつまらなそうに自分の座る椅子の脚を蹴る。
 その仕事がないことを残念がる姿勢がセンサーの気に障っていることには気付いていない。
「じゃあテンさんと、あと僕ですかね」
「だねェ。ザンギリくんはともかくモジャさんは一度あの子達と会っとくべきだろうし。明後日開けといて」
「了解です」
 顎鬚の男が頷いて、またCDケースにラベルを貼りはじめる。
「あーあ、オレもJK生で見てぇー」
 何故か部屋の隅にあるロデオマシーンの上にまたがって、ザンギリが呟く。
 センサーはこいつと二人きりになったら聴覚を飛ばそうと決めた。

     

「お疲れさまー」
 スーパーに着いた途端、ベイビーの声が聞こえた。しかしその姿は見えない。
 どこだどこだと駐車場を見渡すと、霊のいた亀裂のすぐ近くに停めてあるバンからベイビーの顔が覗いている。
 距離にすれば10mほどだが、聞こえた声の大きさからしてなかなかに声を張り上げていたはずだ。
 今スーパーから出てきたおばさんは気にしていないようだけれど、なんとなく恥ずかしくなって駐輪場に小走りに向かう。
 テストまで土日を挟んであと4日。
 いよいよ切羽詰まってきたときだけど、「霊を退治するためにちょっと協力してほしい」という話に流されて、桜は(流されたのは牡丹なのに)勉強時間を切り崩してここまでチャリを漕いできた。
 チャリを停めて一息ついて見上げた空は一面の白雲で、なのにこの暑さはどうしてか。
 吹く風すらかすかな熱気を孕む中、車へと歩み寄る。バンの扉が開いて、3人の男が降りてきた。
 うち2人はお馴染みのベイビーとテンフィンガー、そして残りひとりが
「どーも、初めまして」
 初めて見る、顎鬚を生やした男。
「どうも」
 反射で頭を下げてから、はっと気付いて『飛び出した』。
「おぉ」
 早速トバシとして魂を出して見せた桜に、顎鬚が感嘆の声を上げる。
「白木桜です」
「白木牡丹です」
 ふたりで順番に名乗って、もう一度頭を下げる。
「いやいや凄いですねー。本当に魂ふたつあるんだ」
「言った通りでしょォ? ――紹介するよ、こちらモジャさん」
 モジャさん?
 二人して髪の毛に目をやるが、ベイビーのように天パだったりするわけではない。
 じゃあどこがモジャなのか。胸か。胸毛なのか。
「……胸毛じゃないよ」
 二人して同じ思考に行き着いていた桜と牡丹、驚愕の表情でベイビーのほうを振り返る。
「胸毛って、ああそういうことですか」
 一拍遅れて意味を理解したモジャは苦笑する。
「だから変な呼び方やめようって言ってるじゃないすか」
「いいじゃんさァ定着してるんだし。第一テンフィンガーくんはフルネームで呼んでるよボク」
「そうですけど。えっとね、モジャさんてのはまああだ名って言うか、ベイビーさんが勝手に呼んでるやつで本当は」
「声帯模写、です」
 モジャの口から回答が発せられた。
 ただし、「白木単」の声で。
 またも驚愕の表情を浮かべる二人に向けて、モジャは今度はテンフィンガーの声で
「僕は魂力を『音』として出すことができるんです。人の声真似が特に得意でして、だから声帯模写、転じてモジャってわけです。ちなみに今は口で喋ってますけど、例えば」
 口を閉じると、桜たちに見えるように人差し指を立てる。その指先が淡く光り、
「「やろうと思えば手とかからでも話せます」」
 テンフィンガーの声とモジャ自身の声で、同じ言葉が吐き出される。
「「それともうひとつ」」
 この奇妙なステレオ状態のまま、牡丹に指を向ける。指先の光が強くなって、
「!?」
 突然、牡丹の肩が跳ねた。
「聞こえましたか?」
 今度は口から地声で問いかけると、牡丹はがくがく頷いて
「第九、ベートーベンの」
「正解です。――とまあこういう風に、一直線に飛ぶ『拡がらない』音を出したりもできます」
 おおー、と感心する桜。一方牡丹は「なぜ自分に」という点が納得いかず素直に感動できない。
「どう? スゴいでしょ」
 なぜか得意げなベイビーと頷く二人。率直に言って、『手が出てくる』とか『引きずり出せる』とかよりも遥かに分かりやすい形で凄い。
「じゃ、紹介も済んだところで本題に入りますか」
 テンフィンガーが『手』を両方とも出しながら言う。
「だねェ」
 ベイビーが牡丹の元に歩み寄ると、
「念のため確認するけど、大丈夫かい? ボクたちと違って、霊に遠慮はないぜ」
 その言葉に牡丹は少し怯んで、でもすぐに頷く。
「オーケー、なら大丈夫だ。じゃ、やってもらうことを説明するぜ」
 二日前に霊を見た、あの駐車場の亀裂の近くに一行は牡丹は近寄る。その少し後ろ、好奇心に少しばかりの警戒の混じった距離に桜が浮かぶ。
「牡丹ちゃんの見た霊ってのは、多分『ずべら』とか呼ばれてるやつだ」
 アスファルトを靴で叩いて、
「この辺ねェ、昔はちょっとした林だったらしい。そこを開発するときに死んだ虫だとか、あとはアスファルトのせいで出てこれなかったセミなんかの霊が寄せ集まってできたのが『ずべら』。亀裂ができたから地上に出てこれるようになったんだろうねェ」
「……じゃ、害はないんですか?」
「いやァ、そういうわけじゃない。子どもなんかは霊の影響を受けやすいからねェ、下手すると憑かれる」
 だから滅する、と言ったところで、駐車場に車が入ってきた。迷惑にならないように一旦退いて、
「――まァ、スピーディーにやってしまおう。モジャさんヨロシク」
 はいはい、と言ってモジャが履いていたサンダルを脱ぐ。そのままアスファルトの熱に顔を顰めつつ亀裂の近くに足を置いた。
「いいかい牡丹ちゃん。今モジャさんが羽音を作って地下に流してる。かなり高い確率で『ずべら』は反応するだろうから、出てきたら――しっかりと、見てほしい」
 真剣なベイビーの顔と、それと比べて遥かに簡単なお願いに牡丹は拍子抜けする。
「見るだけ、ですか?」
「そうだ。前に『目を逸らせ』って言ったけど、アレは電話で言ってたみたいに向こうから『見られない』為でもあるからなんだ。けど今は事情が違う。キミが見ててくれれば、それは向こうへの『楔』にもなる。簡単に言えば、『ずべら』が逃げるのを防げるんだよ。分かった?」
 正直いくらか分からなかった。
 けど、とりあえず最後の一言で役に立つということは分かったので頷いておこう。
 そんな思考が、少なくとも桜には透けて見えていた。
 それを指摘しようかとちょっと悩んだとき――気配を感じた。
「来ます!」
 鋭いモジャの声。確かに、何かが近づいてくるのが桜にもうっすらと感じられる。
 テンフィンガーの『手』が幾分遠巻きに構え、ベイビーが何やらしゃがみこむ。モジャの足がアスファルトから離れる。
 そして、そいつは姿を現した。
 牡丹はそれを逃さないように、しっかりと見据える。
 赤茶けたクラゲ、というのが一番近いだろうか。
 と言っても上から潰されたような球形で、直径はフリスビーほどだろうか。しかしその輪郭は微細に波打ちながら少しずつ形を移ろわせている。
 何年も庭先に放っておいた植木鉢のようなくすんだ赤茶色で、発光してはいるもののテンフィンガーの『手』の放つ光と比べればあまりにもぼんやりとしすぎている。
 それは牡丹に引き寄せられるようにふわりと動き、
「お疲れ様、牡丹ちゃん」
 直後、その下のアスファルトが一気に光り輝いた。
 その光は魂力の篭められた証。
「『ドナー・ドリーマー』――――引きずり出させてもらうぜェ」
 ずべらが震えた。表面に波紋が現れ、形が歪んで再びアスファルトに沈み込もうとするかのように拡がるが、逆にじりじりと弾き返されていく。
 なおも足掻くその中心に、光る拳が振り下ろされた。
 黒板を引っかいたような音。それがずべらの悲鳴だということを桜は魂の感覚で、牡丹は「繋がり」で感じとった。
 男達はその悲鳴にも全く動じない。赤を濃くしながら、地面に叩きつけられたずべらは『手』とドナー・ドリーマーによって挟まれた状態から逃れようと形を変えていく。
 ナメクジのような形になりながらアスファルトの表面を這いずっていくところへ、テンフィンガーの空飛ぶ手刀が打ち込まれた。
 ずぶりと沈んで、突き抜ける。
 狙い済ました一撃はずべらの3割ほどを切断した。悲鳴はもはや音ではなく、切断された箇所から溢れる魂力として放たれた。桜が思わずじりりと下がる。
 千切れたそれを『手』が掴んだ。辛うじて掌に収まる大きさと見て、そのまま握りこむ。
 悲鳴はなかった。
 ただ、その欠片が『消えた』ということは、確かに理解できた。
「そろそろですかね」
 モジャが拳を握る。その手が薄緑の光を纏い始めた。
 残ったずべらは更に震えを増し、どす黒い赤となって今度は丸く凝集しようとする。テンフィンガーもそれに応えるように叩きつけていた『手』を持ち上げる。
 完全に球となったずべらは一旦浮き上がると、アスファルトに向けて急降下する。
「んンー、無駄」
 だが、ドナー・ドリーマーは優しくない。
 なおもアスファルトは仄かに輝きずべらを拒絶し、そこへと『手』が迫る。
 それを避けるにはずべらの動きはあまりに緩慢で、両手ががしりとずべらを掴んだ。
 ふたつの魂がぶつかり合って光る。押しつぶされないようにとずべらは懸命の抵抗を見せる。
 が、
「大丈夫ですか、テンさん」
「ああ、あいつに俺の『手』に勝つパワーはねえ」
「さすがです」
 モジャが笑って、握った拳から人差し指と中指を立てる。
「じゃ、お疲れ様でした」
 そこから、薄緑の光が放たれた。
 それは見事にずべらを撃ちぬき――――炸裂した。
 喰らったところから、血のような赤に薄緑が混じる。その光はたちまち表面を覆いつくし、内にまで浸透する。
 そして、ぱっと消えた。
 断末魔も何もなく、ふわりと溶けるかのように、ずべらはこの世からいなくなった。
 桜と牡丹がその事実を受け入れられずにいる中、大人たちはやれやれといった雰囲気を漂わせる。
 牡丹の「見られている」感覚はもうすっかり消えて、それは素直に喜ぶべきなのか。
 分からなくて、アスファルトを見るのもなんとなく嫌で、視線は桜のいる空のほうへ向く。
 雲は変わらず一面を覆っていて、でもさっきより肌で感じる熱が柔らかくなっている気がする。
 きっと、もうすぐ日が暮れる。

     

「なんかさー」
「ん?」
 その日の夜。
 テストを目前に控え、余裕のないふたりは数学の勉強の真っ最中だ。
 くるくるとペンを弄びながら、身体を机に埋め込んで牡丹の向かいに浮かぶ桜が呟く。
「エグかったよね、今日の」
「あー」
 牡丹も回そうとして、しかしすぐに落とす。
 霊だから何かズルをしているのかと思ったが、普通に上手い。なぜだ。
「もうちょい気合とかで何とかなるもんだと思ってた」
「超殴ってたよね」
「あれ見てたらさ、なんか可哀想になっちゃって。あたしは繋がりあったわけじゃないからだと思うんだけど」
「……うーん」
 あの感覚の心地悪さは確かだし、消えてよかったとは思う。
 けど、目の前でアレを見せられると、
「よくわかんない」
「わかんないか」
 そう言って、またノートに視線を落とす。
 斜め読みしてはいるものの、頭に入ってくる気がしない。軌跡って何なんだ。
「でもさ」
「ん?」
 今度は牡丹が口を開く。
「あれ見た後、普通にビール買って帰る感覚もよくわかんなくない?」
「わかんないわかんない」
「慣れてるんだろうけどねー」
「ねー」

「霊丸でしょアレ」
「魔貫光殺砲ですってばぁー!」
「ボクは霊丸派だねェ。ザンギリくんは?」
「オレ霊丸わかんないんスけど。つかまずその技見てないスし」
「あれザンギリくん幽白読んだことないの?」
「ほーら男はやっぱりドラゴンボールなんすよぉー」
「いーや霊丸。絶対霊丸。読めば分かる。絶対霊丸派になる」
「僕の技なんだから僕が呼びたいように呼ばせてくださいよぉぉぉぉ」
「だっ、ちょ、モジャさんこぼれるこぼれる」
「あーザンギリくんの膝枕だぁーきもちい」
「ダメっすわこれ。完全できてますわ」
「だからモジャさんには飲ますなとあれほど」
「本人飲みたがるんだからタチ悪いよねェ」
「後で平謝りするしね」
「ベイビーさん責任取ってアルコール抜いてくださいよ」
「なんの責任だよ。モジャくん魂力割とあるから効きにくいんだよねェ」
「酒でドーピングしてますしね」
「ゲロくらいなら多分できるけど」
「「やめてください」」
「いいよーゲロとかじゃんじゃん吐くよー」
「おいちょっと待てよモジャさん! モジャさぁーん!」

「「……エグかった」」
 ハモらざるを得なかった。
 長かったテストも終わった。特に最後の科目であるところの数学は終わった。
 今回の二人のテストは完全分業制。2時間の出ずっぱりは桜の魂力が保つか怪しいので、1時間交代でテストを受けるという方式だ。
 今までのいつ入れ替わるか分からない状態に比べて遥かに勉強しやすいし解きやすい、素晴らしい形式――のはずだったが、数学に関しては別だ。
 そもそも50分で数学のテストをやれというのが間違っている。二人とも苦手だからどっちがやるかで揉めに揉め、最終的に「半分ずつやろう」と結論を出して。
 どっちもできなかった。
 周りを見るとげっそりした顔の中にちらほらと、諦めて追試を受けることを決意したもの特有の吹っ切れた清々しさが見える。
 桜はその一人であるところの、斜め前の席に座る羽原 麻奈(はばら まな)、通称ぱらちゃんの頭を軽く撫でた。
 その肩が跳ねて、背後を振り返る。そして牡丹と目が合った。
「どうしたぱらちゃん」
「お前かしろたん」
「なにいきなり」
 とりあえずすっとぼけてみる。やったのは桜だし。
 ぎろりと睨んでくるぱらちゃんの目はむやみやたらとでかい。目力半端ない。
 151cmで背中にかかる伸ばした髪に前髪はぱっつん。総合的に見てかわいい部類に入る彼女がいまひとつモテない原因は自分が見上げる身長の人間に対しては威圧的な目をしているから説が濃厚である。
「ん、違うとなると――アレか」
「……アレ、ね」
 ぱらちゃんの目が爛々と輝く。牡丹は困ってそっと桜を見る。目を背けられた。
 『アレ』とはこの2年7組を中心に、まことしやかに囁かれる噂。
 なぜか授業中にだけ現れては、ささやかな怪現象を起こして退屈な授業に花を添えるという幽霊――――はっきり言えば、桜だ。
 授業中どうしても眠いときのお遊びだったのだが、ちょっとやりすぎた。
 まだはっきりした名前がついていないので『アレ』と呼ばれているが、名前をつけて文化祭でやるお化け屋敷のコンセプトにしてやろうという案まで出ているほどの人気者である。
 何かあったら疑われるのも当然だが(そして正解なのだが)、正体を知っている側からすると苦笑するしかない。
「しろたんちょっと写真撮ってみない? なんか写るかも」
「心霊写真を狙って撮ろうとするんじゃない」
 写るのかわからないし。
「いいからいいから」
「んー」
 渋る素振りを見せながら、リュックの中を探る。
 テストが終わった金曜日という、そこはかとない開放感がクラスには溢れている。
 早く担任が来て解放してほしいと思いながらのおしゃべりの輪は、嫌いじゃなかった。
「おおーさすが」
「はい撮るよー笑ってー」
 そして、男子は滅多に見られない、笑っているぱらちゃんはとてもかわいい。
 シャッターを切るときに自分と同じ顔がピースサインをしながら写真に入っていたが、それも許容してしまう程度には。

     

 魂力が足りないのか、写ってはいなかった。
 そのまま残念がるぱらちゃんと駅前のマックに雪崩れこんでガールズトークにひたすら興じて、気がつけば夕焼けもどこへやら。
「じゃねー」
「ばいばーい」
 塾の自習室へと向かうぱらちゃんを見送って、自転車を発進させる。
 下がる気のさらさらない全身にまとわりつく暑さに蒸し焼きにされかかっている人ごみの中を、自転車を押すのが面倒臭い桜はゆっくりバランスを取ってゆっくりとペダルを踏む。
 ほとんど人が歩くような速度で、それでもバランスを崩さず進めるのはちょっとした自慢だ。
 引っかかった十字路の信号でも両足を地面から離して――流石に無理そうだからやめた。地面に足をつかないだけなら普段からよくやってるし。
 幽体離脱ができて一番いいことは多分空が飛べることだ。
 そりゃ授業中ちょっとしたイタズラに興じるのは楽しい。けど、それは『いいこと』とはちょっと違うと思う。
 それよりも、何をするかを考えるとき。
 天井近くまで一気に浮かび上がって、クラス全体を上から眺めるのはすごく楽しい。
 誰も彼も前から見られることは意識していても、まさか真上からの視線があるなんて思ってもいない。対教師用防御まで含めて丸見えだ。
 40人が同じ教室で同じ方を向いて座って同じ授業を受けて、それでも驚くほど色んなことが行われている。そのことがすごく面白い。この感覚を味わえるのは自分だけで、とても素敵ないいことだ。
 ……時折芹崎くん(男子バレー部)がオタク系の絵を一心不乱に練習しているとか、大国くん(吹奏楽部)が無表情のまま携帯でエロサイトを閲覧しているとか恐ろしいものが見れたりもするが、それはまあ置いておいて。
 いつかあれを写真に収められたら面白いのにな、と思う。
 ようやく信号が変わった。渡ってしまえば人の流れはふたつに分かれて、だいぶ自転車で走りやすくなる。桜が乗るのは左に曲がるほうの集団で、坂を一気に下って帰る。
 はずだったのだが。
 曲がろうとした桜の耳に、聞きなれない音楽が飛び込んできた。
 多分笛、だと思う。祭りなんかで聞くあれだ。微かな音でどこから聞こえてくるのかがぼんやりしているのも似ている。多分この辺の居酒屋から流れてきているのだろうけれど、何か妙に気になる。
 なんとなく前から聞こえている気がしたので、直進してみる。幽体離脱して探してもよかったけれどどうせすぐ見つかるだろうし、自転車を漕いでいるときに入れ替わると一瞬怖い思いをするのはよく知っている。
 やっぱりちょっとずつ近くなっている。耳を頼りに途中の駐車場で曲がって、なぜか大漁旗が飾ってある食堂を通り過ぎる。笛の音は徐々に大きくなってきていて、けれどあまりお店のあるところでもなくなってきている。というかこれ結構大きい音で鳴ってるんじゃじゃないか、
 突然、リュックにつけていた鈴が大きく鳴った。
 桜が動いたから鳴ったというのではない。驚いて桜が自転車を停めたのに、鈴はちりちりと鳴っている。見るとうっすらと光っていた。
 魂力。
 この鈴はベイビーに貰ったもので、確か『霊避け』と言っていた。つまり、何かいるってことじゃ――
 そこで、再び笛の音を聴いた。
 今まで鈴に掻き消されていたのに、少しずつ笛の音が大きくなってきている。もしかしたら、笛の方から近づいてきているのかもしれない。
 それはつまり霊が近寄ってきているということで、なのに不思議と恐ろしく感じなかった。
 なんとも不思議な音色だ。聴いているだけでなんとなく楽しい気分になっていく。なのに優しく引き込まれるようで、いつまでも聴いていたくなる。
 気がつけば再び自転車で走り出していた。どんどん笛の音が大きくなっていく、それがすごく嬉しい。鈴はまだ鳴り続けていて、うるさい。いっそ捨ててやろうかと思ったけど、今は笛の音にちょっとでも近づきたいから我慢する――――いた!
 それは、自動販売機の上に座っていた。
 元は本屋だったらしい閉まったシャッターの前、表の道からは少し離れた薄暗さの中、煌々と輝く自販機とは対照的に少し儚げな光を放ち、笛を吹く小人。
 その背中には4枚の翅があって、なんというか見事なまでに妖精だった。
 ぽおっと見入っていると、妖精が笛を吹くのをやめてこっちに飛んできた。あ、と思う間もなく背中のほうに回りこまれて、さっきからずっと耳障りだった鈴の音が止んだ。
 ふわりと前に回りこんできて、得意げな笑顔を見せられる。この子が止めてくれたのは明らかで、演奏の邪魔をして悪かったと思う。ごめんね、と謝罪が口をついて出た。
 妖精は笑顔のまま、気にするなよという風に首を振って手を差し出してきた。
 多分握手を求められていて、それで水に流すよ、ということなのだろう。でも妖精の腕は自分の指よりさらに細い。
 ちょっと悩んで人差し指を差し出してみると、妖精は嬉しそうに、本当に嬉しそうにその指をその小さな両手でぎゅっと握りしめて――――

 鈴の音が鳴ると同時に、その場にいた全員が手を止めた。
 鳴り続けているのも確認すると、それまでやっていたことを全て放り出して鈴の周りに駆け寄ってくる。
「誰!?」
「誰っていうか――ああそうだ、単ちゃんです!」
「またあの子たちか! 持ってるな!」
「一旦静かにお願いします!」
 モジャの一喝で全員が静まり返った。ベイビーがそっと自分の席に取って返して、ノートパソコンを操作し始める。
「――どうなんすか?」
「まだはっきりとは言えないけど、かなり強い」
「位置は駅の東口方面。それっぽいねェ」
 ベイビーが見つめる画面には、駅前の地図とそこを移動する赤い点。
 鈴の音は更に大きくなっていく。画面の赤い点の動きが少し速くなり、止まり、そして
「――――こりゃほぼ確定だねェ」
 鈴の音もまた、止んだ。
「憶えられた?」
「おそらく。あ、皆さんもう騒いでいいですよ」
 そう言われると同時に、全員が動き出した。
「今位置はどうなってます?」
「少し移動した、多分車に乗せられてる。一旦待ち」
「もう鈴は完全に潰されたっぽい。まあこっち側は生きてるはずだから持ってきますか」
「お願いします。僕は一旦単ちゃん家に電話かけてきます。ザンギリくん、そこの携帯取って」
「うぃっす。――じゃオレは車回してきます。なんか買ってくるもんありますか?」
「眠眠打破。箱で」
「……お疲れ様っス」
「もう慣れてますから」
「悪いとは思ってるよォ、サッちゃん。これ終わったら休めるじゃない」
「信じてますよ」
 いよいよ濃くなってきた隈をセンサーは手で撫でる。
 そう、彼らは遂に獲物を捕らえた。
 そいつはこの街に潜む霊能力者。本人を見たものはいない、霊能力者にしか聞こえない笛の音で人を魅きつける妖精と『ハーメルン』というふざけた名前だけが知られている。
 元々『裏』ではそれなりに有名な存在だった、しかし少々今回はやりすぎた。
 霊能力者の多くは、寺や神社に自分が霊能力者であることを告げている。戸籍と同じように「霊籍」を管理されているのだ。
 少なくとも江戸時代は全て寺でやっていたそうだが、明治に入って廃仏毀釈のごたごたと戸籍を寺で管理しなくなったので結構どうでもよくなってしまったらしい。
 どうやって登録するのかといえば意外と簡単で、彼らは案外自分の能力をもてあましているもので、たまたま他の霊能力者に能力を使っているところを見られるというのもそこまで珍しい話ではない。
 霊籍を登録しているものは地域の霊能力者の集まりなんかで見たことがある人が大半だし、能力を見られ慣れているからそこまで驚きはしない。
 だから大きなリアクションを取る奴がいたら、そいつに最寄りの寺か神社で事情を話すよう言えばいい。手続きは本人の心拍数と反して事務的で、あっさり終わる。
 とはいえ、便利な能力があればよからぬことを企む輩のいるのも事実。
 裏の存在である彼らは当然霊籍を持たず、故に表からは「いないもの」として扱われる。表と裏は基本的に相互不干渉を貫いているのだ。
 しかし、ハーメルンはそこを破った。
 霊籍を持つ者、特に若いのが最近この辺りで行方不明になっている。人口比に対する霊能力者の割合としてありえないほど、だ。
 表側が調べをつけた結果浮かび上がってきたのはハーメルン、しかし裏の存在であるこいつは秘密裏に認識こそすれども大っぴらに手は出せぬ。
 そこで話がいったのが同じ裏であるベイビーたち。
 あくまで裏同士の潰しあいという形で事を収めてほしい、という依頼の下、彼らは動いている。
 しかし裏同士で事を済ませようと思えば使えるのは霊籍のない者のみ。そこで彼らは一計を案じた。
 霊籍を持たない、最近霊能力に目覚めたばかりの人間。彼らを見つけだし、知識を与えて霊を探すことを依頼する。表なら絶対にしてはいけないと言われるような危険な行為だ。
 見つけたいと思えば、見つかりやすくなる。その原則を利用して囮をばら撒き、発信機付きの鈴で居場所を炙り出す。
 この計画はたった今見事成り、今ベイビー、テンフィンガー、センサーの3人は地図上を移動する点を眺めている。
「連絡オッケーでーす」
 モジャが入ってくる。彼は今まで白木家に能力で作った「白木単」の声で友達の家に泊まる旨の電話をし終えたところであり、仕事とはいえ30を過ぎた髭のおっさんが女子高生を演じることに一抹の虚しさを覚えている。
「お疲れ様さん……お」
 マンションらしき建物の前で点が止まった。しばらくして、またゆっくりとマンションの中へ動き出す。
「運ばれてるぽいすね」
「住所ってこのソフトで出せましたっけ?」
「多分出せる。ちょっと待ってて」
 ベイビーが画面内を何箇所かクリックし、
「……多分、引きずり出せると思う」
「落ち着いてください」
 諦めてドナー・ドリーマーを使おうとしたところで『手』がマウスを奪い取った。
 テンフィンガーがじっくり画面を眺めて、上のほうのバーをあれこれ探してクリックする。
 住所がポップアップで表示された。
 無言で全員の視線がベイビーに注がれる。ベイビーはそっと目を逸らし、しかしその視線が画面に戻って、
「おォ!?」
 叫びを上げた。全員の視線が再びベイビーに注がれ、しかし今度はそれを意にも介さずに頭をがしがし掻き毟る。
「はいはいはいはい、なるほどねェ――。種明かしされれば簡単だ、ボクとしたことがこんな簡単な構造に気付かなかったなんて全く恥ずかしい」
「ベイビーさん、説明を」
「任せてくれ。あ、サッちゃんそのマンションの情報は買わなくていい」
「え」
 業者に電話をかけようとしていたセンサーが手を下ろす。
「実はね、ここ知ってるんだボク。コロやってた頃に扱った」
「おぉ」
「で、持ち主が変わってないなら――多分変わってないけど――結構ヤバいかもしれないぜ、あの子達」
 聞いている三人の眉間に皺がよる。
「ここ、ハコ(麻薬の密売所)だ。それもヤクはヨモツヘグイ」

       

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