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文学練習
さなぎ

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『さなぎ』
 
 私は退屈だった。
 あまりにも退屈すぎてしまったのである。

 4月の末、桜の木の輝きが花の桃色から葉の緑色へ変わった頃、私は大学生でありながら自宅で1日の大半を過ごす生活をしていた。
 自宅であり、城である築30年のアパートの一室。そこで私は芋虫であった。
 桜が散ったとはいえまだ肌寒いため、布団にくるまったままの活動を余儀なくされていた。カーテンの隙間から太陽の光が指す薄暗い部屋の中で、布団によって丸々と太った芋虫のような格好でキーボードを叩き、ディスプレイの光によって青白い顔をより青白くさせている全くもって生気の感じられない男が私なのだ。
 実に残念である。
 なぜ私はこんなことをしているのだ。暗い高校生活とはおさらばし、夢の大学デビューを果たし、花のキャンパスライフを送る予定だったのだが、なぜこのようになってしまったのか。
 答えは単純であり、他人とまともに話さず教師にすら呆れられていた私がバラ色の大学生活を送るなどということができるわけがなかったのだ。あの頃の私はおかしかった。おそらく受験勉強における睡眠不足からくるものだろう。夢を見ていたのである。あまりにも寝ていなかったため、ついには眠らずに夢を見ることをしてしまったのだ。
 花のキャンパスライフなどという予定があまりにも稚拙で願うことすら恥ずかしいものだと気づくのにさほど時間は必要なかった。1週間、いや3日もすれば私が他人とコミュニケーションをとることが難しく、そのような人間は他人に好かれれることが不可能だとはっきり悟ることができた。
 というか高校時代がそのようなものだったのだから、考えることもなく当たり前なのである。
 人はすぐに変わることが出来ないのだ。
 私が大学をサボりがちになってから1年が経とうとしていた。

 その日の私はいつもどおりであり、ディスプレイの中に住む目が顔の半分近くをしめる緑色の髪をした少女が歌を歌い踊る姿を、死んだ魚よりも濁った目で眺めていた。
 少女が踊り終わり画面がブラックアウトしたので、マウスに手を伸ばそうとしたとき、ピンポーンという甲高い音がこの城へ来訪者が来たことを告げた。私は素早く体中に血と生気を巡らせ玄関のドアへと向かった。
 ガチャリ、とドアノブを回すとそこには百合の花のような白いワンピースの可憐な女性が立っていた。
 「こんにちは」
女性はそう言ってぺこりと頭を下げる。
 火曜日16時に決まって我が城へ現れるこの女性は頼子さんと言い、二十代後半くらいの黒髪と白い服がよく似合う独身の女性である。独身や二十代後半というのは私が聞いたわけではなく彼女がペラペラと喋ったものであり、私が彼女にそのようなことを聞いたわけではない、聞けるわけがない。
黒髪と白い服が似合うというのは、私の主観であるがおそらく世界中のどの人間に聞いてもこれには同意してうなずくであろう。それくらい彼女はキレイな女性なのだ。
 いつもはこのあとに、ありがたいお言葉と宇宙をバックにこちらを指さす男の描かれたパンフレットをくれるのだが、今回は違うようだ。
 私の「こんにちは」という薄い声に対して食い気味に彼女は言った。
 「実は、今日はキミに頼みたいことがあるの。」
 「頼み、ですか?」
 「ええ、今から私と出かけましょう?」
 「はい?」
 「なによ、いいじゃない。ココへ通ってもう1年くらいになるのよ。あなた全然入信してくれないんだから、一緒に出かけるくらいしなさいよ」
 彼女は馴れ馴れしいのである。他人との距離をつくらず、私のテリトリーに踏み入ってくる。そういう人間のほうが勧誘がうまくいくのだろうか。私は全く入信する気にならなかったが。
 なにが目的なのだろうか。私は残念ながら整った顔をしているわけでもないし、財がないことはこの城を見れば一目瞭然である。
 だが目的が分からないからと言って断ることもしなかった。また夢を見ていたのかもしれない。もし夢だとしても一日中を芋虫で過ごす夢よりは退屈しないですむであろうと考えた私は、快く了承した。
 「え、あ、いいですよ。」
 何が良いのか自分でも全く分からなかったが、曇天の彼女の顔を晴らすことが出来たのでまぁ良しとしようなどと、格好つけたことを思ってみたりして自分を納得させた。
 「ほんと?ありがとう。でも、その服装じゃちょっとまずいかも。」
 「あ、そうですね。えっと、じゃあちょっと待っててください。すぐ着替えてきます。」

 彼女が私を待つ間に、家に上げてお茶のひとつでも出すのが礼儀なのだろうが、この城に入ることが彼女にとって苦痛以外のなにものでもないだろうと思った私は、失礼ながら彼女にドアの前で待ってもらうことにした。
 あわやゴミ屋敷と化しそうな部屋の中を探しまわり花のキャンパスライフを思い描いていた時に買い、使われることがなかった比較的キレイな服を掘り出した。
 選んだ服の組み合わせが似合ってるかどうかなどということは考えている暇はなく、考えるだけ無駄な欲にまみれた妄想を理性で押しつぶしながら、春とはいえいまだ肌寒い4月の夕方にボロアパートの前で待つ彼女のもとへ早急に向かった。
 「すみませんお待たせしてしまって。」
と、頭を下げる私に
 「ううん、いいの。いきなりごめんね。それにしても、そういう格好なかなか似合うじゃない。」
と、彼女。
 世辞なのだろうが、彼女いない期間と年齢が等しいような私にとっては、女性の口から自分の容姿に対してプラス要素の内容の言葉があるだけで舞い上がりそうだった。
 しかし、そのような私を置いてスタスタと行ってしまう彼女を追うため宙を舞うことはやめ、彼女のあとを急いで追った。

 どこへ行くのかはわからなかったが、彼女の凛とした背中を見ながら歩いているとそんなことはどうでもよかった。
 お互い会話もなく歩き続け、着いた先はインターネットでも話題になっているラーメン屋で、外食に興味がない私でも知っている有名店だった。
 「ここよ。一人で入るのは躊躇しちゃって、でも食べたくてねぇ。」
 そういいながら彼女が扉を開けると、私の鼻にニンニクと汗の匂いが襲いかかってきた。おもわず眉間にシワを寄せてしまうほど強いその匂いはラーメンとそれを食す人々から発せられていた。
 店自体は中々の人気のようで狭いカウンターには汗をかきながらラーメンを啜る巨体の男どもが並んでいた。
 全くもって不快である。彼女がいなければすぐにでも逃げ出したいくらいであった。
 しかし彼女はさほど気にしていないようなので、文句は麺と一緒に腹の中へ収めた。
 雑談もほどほどにラーメンをさっさと食べ終わった私と彼女は外へ出た。私の不機嫌さが伝わってしまったのかもしれない。そう思うとすこし申し訳なくなる。
 日は暮れかけ、夕日が私と彼女を照らしていた。
 「じゃあ、次へ行きましょ」
 「え、まだ行くんですか?」
 そうよ、と軽く返事をすると彼女はまたスタスタと歩き出した。
  
 次の目的地への間、彼女は一言だけ呟いた。
 「あたし、宗教やめようと思うの。」
 もしかするとそれは空耳だったのかもしれない。私が聞き返しても彼女は口をつぐみ開けることはなかった。
 彼女が次に向かった先は駅であった。
 ちょうど学生とサラリーマンの波が出てくるところだったが、彼女はその黒い波を物ともせずかき分けていった。私が苦戦しながら彼女を見失わないように必死に追うと、彼女は切符を手に私が来るのを待っていた。
 「さ、行くわよ。」
 そういうと彼女は私の手首を掴み、半ば強引に改札をくぐりホームへと出た。
 目的の電車が来るにはまだ時間があるようで、彼女は自販機で飲み物を買いベンチに座った。私も彼女の隣に座る。
 「どこへ行くんですか。」
 「わかんない。行ける中で一番遠いところ聞いて買っちゃった。」
ふふ、と笑う彼女はとても美しかったが笑顔の中に悲しみが見えた。
 コミュニケーション能力に乏しい私には彼女にどう声をかけて良いのか分からなかった。
 ただ、この場から離れたいという思いはなかった。それが彼女を助けたいという思いからなのか、私が退屈な日常におさらばしたかったのかは全くわからなかったが、考えることはしなかった。
するだけ無駄だと思えた。

 まぶしい光とともに電車が入ってきてドアを開く。私と彼女はその電車に吸いこまれるように乗り込み、ボックス席で向かい合わせに座った。
 電車が動き出すと彼女は口を開き話し始めた。
 「あたし気づいちゃったの。宗教なんかにはなんの意味も無いことに。3年前に彼氏にフラれたときに勧誘されて入っちゃたんだよね。その時は本当に救われた気がした、毎日が輝いて見えて、お祈りをすると心が洗われるような気持ちだった。でもね、全て偽りだったのよ。教祖は金を得ることだけに執着していたし、幹部は体の関係を強要してきた。そうやって裏を知っていったとき、嫌になっちゃったのよね。今まで何してたんだろって。全てが嫌になってどこかへ行きたかった。けど一人じゃ不安で、その時キミを思い出したの。こんなこと言っちゃ悪いかもしれないけど、キミは社会的に死んでるんだろうなってなんとなくわかったんだよね。それでもしかしたらキミなら一緒に現実から逃げてくれるかも知れないって思ったの。」
 そこまで言うと彼女ははぁ、とため息を漏らし涙を流した。
 「ごめんね。こんなことしちゃって。次の駅で降りて帰ろうか。」
 「いえ、いいんです。これでいいんです。」
私の言葉は彼女にとって予想外だったようで、驚いた顔でこちらを見た。
 「これでいいんですよ。行きましょう。」
 「ありがとう。」
 そう言いながら微笑んだ彼女はとても美しかった。

 それから私たちは最果ての地へ着くまでしゃべり続けた。
 まるで、記憶をなくしたもう一人の自分に今まで自分がやってきたことを伝えるかのように何も隠さず、ありのままの自分をお互いにさらけだした。
 話せば話すほど、知れば知るほど私と彼女の間にあったものがなくなっていき、一つになるようであった。
 私は彼女に、彼女の存在に感謝していた。世界がこれほど楽しく見えたことはない。
 そう言うと彼女はあたしもよ、と笑顔で返してくれた。
 今までの死んでいたような期間は、この時のためにあったのではないかと都合の良い解釈をしたくなるほどである。
 それほどまでに、彼女との時間は幸せなものだった。

 最果ての地へ降り立った時、私は大きな羽が生えた自由な蝶になったような気持ちであった。

 さて、これからどうしよっか
 
 困った様子ではあったが、不安は感じられない彼女の言葉。
 私も同じであった。
 そして私は彼女の手をとり、一歩を踏みだした。

 行きましょう、新しい世界へ。


       

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