すぐ近くにあると思っていたモノが、本当はとてもとても遠いところにあって、幻影ばかりを追いかけては消え去る像に愕然し、再び姿を現したそれをまたも追い求めるような。
或いは、果てもないぐらい遠く感じていたモノが、実は隣で擦り寄っていたのに、それを分からず勝手に失望するような。
傍から見ていたら馬鹿馬鹿しいことこの上ないやり取りを、延々と繰り返していたのだろう。そうして一向に気付くことなく何度も押し引きをやっている内、いつの間にか本当のことを、本心を見失って、誤解してすれ違うのだ。
どうしてこうもややこしいのだろう。
好きなら好きと伝えるだけで、後はその結果如何で事が進むだけで、ごく単純に、簡単に済むはずなのに、どうして私たちはこうはならないのか。
何故言葉を発した後のことや、周囲の視線や体裁や、先々のことまで気を回して、壊れそうなほど苦しい思いをせねばならないのだろうか。
考え詰めても、答えも、結果も出ないのに。
蜃気楼は、空気の密度と光の屈折によって起きるという。
ならば、その密度差と屈折を起こしているのは誰なのか。
〆