Neetel Inside ニートノベル
表紙

絵本の中のガンファイター
04.誰がために銃は鳴る

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 荒野の夜はうんざりするほど敵ばかりだ。手頃な石で火床を作り、焚火を起こせば確かに毒トカゲやコヨーテたちは寄ってこない。その代わりに人の鼻の穴まで巣にしようとする羽虫どもがぶんぶんと飛んでくる。こいつらは弾丸をぶっ放しても怯んだりはしないので、どんなに腕の立つアウトローでもこの羽虫たちにだけは閉口してしまう。そして思うのだ、旅なんてクソ喰らえだと。そうして娼館がまた流行り町が栄え喧嘩が起こり人が死ぬ。
 最初アランはリオが羽虫を嫌がるのではないかと心配したが、それは杞憂だった。元々開拓農民として育てられた子だ、少しの汚らわしさぐらいものともしない。むしろ町育ちのアランの方が蒸し暑く鬱陶しい荒野の夜に辟易していた。もっとも羽虫が多いということは水場が近いということで、自然、次の町が近づいてきていることも示している。
 火床の上に乗せた鉄鍋に油を引いて牛肉、赤いんげん豆、たまねぎ、ピーマンをぶち込んでトマトの水煮缶を開けてかき混ぜたチリコンカンをリオとアランは肩をくっつけるように並んで食べた。リオは猫舌なのでアランが半分食べ終わる頃までふうふう息を吹きかけている。アランは娘の横顔をじっと見つめた。
「何、パパ?」
 照れてこっちを見ようとしない娘のはにかみっぷりにアランの口元が緩んだ。
「リオ、最近、ますます母さんに似てきたな」
「そう? 美人になった?」
「ああ」
「じゃあ、次の町では友達できるかな?」
 きっとできるさ、と言いかけて、アランは口を噤んだ。
 果たして友達を持つことがリオにとって幸せなことだろうか。旅は続くのだ。どこかの町で親友を作ったところで待っているのは別れだけ。留まりたいと駄々をこねられても、可哀想だが、アランには娘の願いを叶えてやれない。アランとリオが留まるということは、その町に悪党の火種が灯るということだから。
 父親が黙りこくってしまったのを曲解して、リオがチリコンカンをよそった鉄碗の底をスプーンでこつこつ叩き始めた。いたたまれない哀れさである。アランは、自分の積み重ねた悪徳が娘の不運を招いているのではないかと思った。だとしたら神というやつはうんざりするほど気が利いているし、最高のプレイヤーでもある。本人を苦しめるよりも惨い罰を考えることい関しては右に出るものがない。悪魔でさえもこうはやれないだろう。
 アランは鉄碗を地面に置いた。からりとスプーンが鉄碗の中を滑る。
「リオ、今夜はもう寝なさい。見張りは私がやるから」
「うん。でも無理しないで、パパ。いつもみたいに二時間交代でいいからね」
「ああ、ありがとう」
 火は野獣(ビースト)を退けることはできても人間を怯ませることはできない。むしろ彼ら盗賊(ナイトウォーカー)たちにとっては、獲物の存在を知らせる格好のしるしになってしまうのだ。かといって火を消して眠れば翌朝にはコヨーテたちが食い散らかした無残な死体が二つ日光消毒される羽目になるだけなので、夜明けまで交代で見張りを立てなければならない。情けない話(とアランは思っている)だが、リオにも協力してもらっていた。若い時ならいざ知らず、日中の行軍に加えて寝ずの番を二日もやれば盛りを過ぎたアランは参ってしまう。
「すまないな、毎晩。眠いだろう? 辛かったらいつでも私を起こしていいんだよ」
「ううん、いいのいいの」リオは笑顔でぶんぶん手を振った。
「パパの役に立ちたいし、それに、これぐらいできなきゃ賞金稼ぎなんてできないもんね」
 そうだな、と素直に言ってやることがアランにはできない。本音を言えば、叱り飛ばしてでも二度とリオの口から「賞金稼ぎ」などという言葉が出てこないようにしてしまいたい。そんなものになったところで、その道の先にあるのは血塗れの暗闇だけだ。
「ねえ、パパ」
 リオがすり寄ってきた。炎の気まぐれな影を浴びて、その瞳があぶられた宝石のように輝いている。
「いいでしょ?」
「今夜もか?」
「お願い……」
「わかったよ。でもリオ、もうお姉さんなんだから、そろそろ卒業しなくてはいけないよ」
「うん、うん、そのうちね!」
 アランは荷物に手を伸ばして、一冊の本を取り出した。大きさはちょっとした石盤ほどもある。茶色い革でしっかりとした装丁が施されている。表紙には金の文字でタイトルが刻印されていた。
 はぐれ者のキッド。
 ブランケットに包まって手足を縮めたリオが、父親の身体にもたれかかる。アランは娘の肩越しに手を回し、絵本の表紙をめくった。
 それはこんなお話である。




 ○




 あるところに顔に傷を持つ男がいました。名前をキッドといいました。
 キッドはガンマンでした。
 腰のガンベルトには、いつもぴかぴかに磨かれた銀色の拳銃が光っていました。
 ガンマンは、旅をする男の人のことです。
 だからキッドも旅をしていました。
 大陸を右から左へ馬で駆けていって、人々のお願いを聞いて回るのです。
 そのお願いは、いつもキッドの銃をあてにしたものでした。
 キッドは一生懸命、町の人たちのために戦いましたが、人々はあまりキッドのことが好きではありませんでした。
 人々はみんなキッドの顔の傷のことを悪くいってからかいました。
 ある男の人はいいました。
 あいつの顔はみみずのすみかのようだ!
 またある女の人はいいました。
 あの傷は悪魔の角のひねりのように醜い傷だわ!
 キッドはいつも悪口を背にして町を去りました。
 一度も人々に文句をいったことはありませんでした。
 ただ、仕事をした報酬だけがさびしくキッドのベルトに引っかかって揺れていました。


 キッドの傷は、戦争で受けたものでした。
 その戦争は、人々を守るための戦いでしたが、おおぜいの人が死んでしまったので、人々は戦争に出ていった自分の国の兵士たちをさえ憎みました。
 戦争へいったことのある男の人は、人々のお願いを聞くガンマンでなければ町へは入れてももらえません。
 そういうガンマンたちを人々は賞金稼ぎ(バウンティハンター)といつからか呼ぶようになっていました。
 あるとき、キッドは立ち寄った町の町長から、お願いを受けました。
 町の酒場に住んでいる悪党をやっつけて欲しいというお願いです。
 報酬は銅貨三枚でした。
 貧しい町には、もうそれだけの余裕しかなかったからです。
 それでもキッドは頷いて。悪党のいるという酒場へといきました。
 町の人たちは泣きながらキッドの無事をお祈りして、見送りました。
 キッドが酒場にいくと、タルのような大男が丸太のような腕でお酒を飲んでいました。
 顔は真っ赤で、目は眠たげにとろんとしていました。
 キッドの腕なら負けるはずがなさそうに思えました。
 けれどキッドは拳銃に手を伸ばしませんでした。
「弟よ!」
 とタルのような大男が叫んで、またいっぱいの酒を飲みました。
 キッドは一歩も動けませんでした。
「兄さん。ダル兄さんなのかい」
「そうだ、弟よ。おれは戦争で離れ離れになったおまえの兄貴さ」
「こんなところでなにしているんだい」
「酒を飲んで、遊んでいる」
「町の人たちが困っているよ。お金は払っているのかい」
「金なら払ったさ」
 ダルは笑って言いました。
「おれは戦場で敵の兵士を何人も殺した。おかげでこの町は焼き払われずに残っている。それが、金の代わりさ」
「戦争はもう終わったんだよ、兄さん。いつまでもこんなことをしていちゃいけないよ」
 キッドは穏やかに言いましたが、ダルは火が点いたように怒り狂いました。
「おまえ! さては町長に雇われておれを殺しにきたんだな?」
「…………」
 ダルは今度は大声で笑い出しました。
「よかった、よかった。キッド、おまえはおれの弟だ。兄を殺せるわけがないだろう。さあ、この酒をひと瓶やろう。そうして次の町へといくがいい」
 キッドは紙袋に包まれたそのお酒を持って、酒場を出ました。
 そして町の人々が口々にわけを尋ねるのも聞かずに愛馬に乗って町を出ていってしまいました。


 怖いほど綺麗な月の夜です。キッドは白い月を見上げながら思いました。
(おれはダル兄さんの弟だ。家族なんだ。殺せるわけないんだ)
 そう思って、矢のような速さで馬を駆けさせていましたが、やがて止まりました。
 そのまま、縫い付けられたようにキッドはその場を動きませんでした。
 そして何かが乗り移ったかのように振り返ると、来た道を弾丸のような速さで戻り始めました。キッドが投げ捨てたお酒の瓶が石に当たって粉々になりました。
 戻ってきたキッドを見て、ダルはまた怒り出しました。
 今度は顔が真っ青になっていました。
「キッド、きさま、兄であるこのおれを殺すのか」
 キッドはにやりと笑いました。その顔はほんのちょっぴりだけさみしそうでした。
「おれに兄貴はいない」
 そして町の大通りで二人は向かい合い一、二の三で撃ちあいました。


 バンッ!


 ダルの大きなカラダがばったりと倒れこみました。
「うう」と大きなカラダの下からダルのうめき声が聞こえました。ダルは右腕を撃ち抜かれましたが、死んではいなかったのです。
 ダルが倒されたことを知ると家に隠れていた人々がわあっと外へ飛び出してきました。
 みんな口々にキッドを褒め称え、ずっと町にいてくれるようにお願いしました。
 けれどキッドは黙って首を振って、愛馬に飛び乗るとそのまま町から出ていってしまいました。
 人々が差し出したなにものをも受け取らず、たったひとりで出ていってしまいました……




 ○




 アランがぱたんと本を閉じると、リオはもう眠っていた。その額にかかった絹のような金髪を指ですくい、アランはしばらく自分が得たものについて考えていた。それが済むと今度は火を見つめ始め、揺らめくその中に次の町の影を見た。
 明日の夕暮れにはラスティグレイブに着くだろう。


     





 翌日、夕暮れ。
 アランとリオは赤茶けた丘に差し掛かっていた。周囲には枯れ草しか生えていない広大な荒地。見通しはいい。敵はいない。
 敵。
 アランは思う。敵、そんなものがいる場所に娘を巻き添えにするとは。本当は今すぐに自分のこめかみに銃口を当てて引き金を引くべきなのかもしれない。それだけがすべての決着を瞬時につけられるやり方でないと誰に言い切れる? 出所した悪党たちはアランの首を狙っているのだ。名も無い道に獲物の首が転がっているというのが一番いい復讐のやり方なのではなかろうか。
 それでも、悪党どもはすでに知っているか、あるいはすぐに知るだろう。アランの娘の存在を。顔は似ていなくても首の周りに身の振り方に困った少女がぽつんと立ちすくんでいたら推定有罪でやつらは手を出すだろう。殺すにしろ、生かすにしろ。
 だから死ねない。
 全員殺し尽くすか、あるいは戦意を殺ぐまでは。
 ふと背後を見るとリオが岩棚で戸惑っていた。馬を操りながら大小の岩石が点在する丘を登るのはカウボーイでさえ骨が折れる。ましてずっと平野で暮らしていたリオには初めての体験だ。しかし、弱音ひとつ吐かずについてくる。それどころか汗の浮かんだ顔には笑みさえ見える。
 アランは複雑な思いを隠しながら、丘を先に超えた。昔取った杵柄で馬の扱いはまだまだアランの方が一枚も二枚も上手だ。それもいつまで続くかわからないが。
 リオはすぐに追いついてきた。
 二人の目の前に、墓場が広がっている。
「お墓……」
 リオがきょろきょろと辺りを見回した。
「こんなに大勢の人が死んだの?」
「ああ」
「どうして」
「人はいつか死ぬからね」
 アランは気にせずカッカッと馬を進めた。リオは風で角が削れた墓石をしばらく眺めていたが、父の後を追った。墓場は、おどろおどろしさも、まがまがしさもなく、ただ寂しい場所だった。
 何人の墓碑銘を見過ごした後だったか、どこからかザッザッと土を掘る音が聞こえてきた。アランはその音を避けてさっさと墓場を通り過ぎようとしたが、叶わなかった。
「誰かいる」
 とリオが言った。帽子のつばのすぐ下で目が好奇心に爛々と輝いている。
「あっちだ」
 いくな、と止める前にリオは手綱をすばやく振るって、走っていってしまった。十メートルもいかないうちに止まって、枯れ木の裏を覗き込んだ。
「やめろ、話しかけるなリオ」アランが追いついてきて言ったが、遅かった。
「なにしてるの?」
「…………」
 木の裏に、ひとりの少年がいた。
 褐色の肌。南国人か、とアランは思った。合衆国に半占領された国の民だ。年の頃は十七か、十八か。汚れきって茶色くなったシャツを着て、つるはしを振るい穴を掘っている。何も言わない。そばには木の棺が置かれていた。
「墓守だな、きみ」
 少年はちら、とアランを見やり、その目が腰の拳銃に向くと露骨に嫌そうな顔をした。穴に向き直り、鈍重な機械のように掘削作業に戻る。リオが父の袖を引いた。
「ねえ、ハカモリって何?」
「お墓を守る番人のことだよ」
「ふうん」
 リオは興味深そうに穴と棺を見比べ、言った。
「ねえ、あなたさ、名前はなんていうの?」
 少年は無視した。リオは気にせずニコニコしながら馬から下りた。アランが頭を抱える。
「リオ、彼は忙しいから迷惑をかけては……」
 聞いちゃいない。
「あたし、リオ・フリージア・ターナーっていうの。リオでいいよ、あのね、ムーンライトリヴァーの向こうからニュー・インを通ってここまできて……」
「べつに聞いていない」
 と、少年がにべもなく一蹴した。
 ぐっと一瞬息を詰まらせ、表情がこわばったが、リオは負けなかった。
「……ここまできて、賞金首を追ってんの。すごいでしょ?」
「すごい? なにが?」
「あたしとパパはね、バウンティ――」
「人殺し……」
 吐き捨てるように少年が言った。その黒い瞳にはぎらぎらとした怒りが宿っていた。
「人を撃って、死体を作って、金をもらうなんて最低の人間がやることだ。ぼくに話しかけるな。あっちへいけ」
「パパ、こいつ殴るね!」
「あっ」
 制止を聞かずにリオがばっしんばっしん少年の背中をぶっ叩き始めた。上段からの張り手である。
「痛いっ! や、やめろよなにすんだ馬鹿!」
「わけもなく人のこと悪く言っちゃいけません」ばっしんばっしん。
「おいやめっ、やめて、ぎゃっ!」
 ひとしきりぶっ叩かれ、とうとう地面にへたり込んだ少年に膝を折ってリオが笑いかけた。
「ハンセーした?」
 悪魔の笑みである。少年は涙目になってアランを見上げた。
「すまない少年。しかし我々としても一方的にそしりを受けるいわれはない。特にこの子は、神に誓って、人殺しなどではない。潔白だ」
「…………」
「できれば名前を教えてくれないか? それで君が私の娘を不当に痛罵したことは水に流そう。どうだね、お互い名も知らぬままいがみ合うなんて寂しいじゃないか」
 少年はしばらく戸惑っていたが、渋々白状した。
「カルロス」
 やはり南国人の名だ。
「よろしく、カルロス。私はアラン・ターナー。この子の父親だ」馬から下り、
「もうすぐ日が落ちる。最寄の町はまだ一時間ほどかかるだろう。できれば今日は君の家にお呼ばれさせてもらってもかまわないだろうか。でなければ我々は、いつも通り野営するだけなのだが、君ともう少し話がしてみたいのでね」
「…………」
 リオがまたさっと張り手をするフリをするとカルロスが逃げるように立ち上がった。ズボンについた汚れを払い落とすと、
「わかった。いいよ。馬は小屋の前に繋いでくれ、厩舎はない――でもちょっと待ってくれ。この棺を埋め終わるまで」
 名も知らぬ誰かの生涯が完結するまで、二十分とかからなかった。その間に日は没し、あたりに夜が立ち込めた。



 ○



 ログハウスとも言えない、掘っ立て小屋がカルロスの家だった。墓守の少年は賞金稼ぎ二人組を家の中に招き入れると、ランタンに火を灯した。それだけがこの家の灯りだった。
「座って」
 アランとリオはテーブルに並んで腰かけた。
「ここに一人で住んでいるのかい」
「そう」
「ご両親は?」
 カルロスは黙ってアランの手元に目を落とした。アランにはそれだけですべてが分かった。身に覚えが無いわけではなかった。南国人は先住民とほとんど変わらないほどの虐待を開拓農民やアウトローたちから受けてきた人種だ。それにカルロスの拳銃を見た時の反応。
 カルロスの親はガンマンに殺されている。
 べつに珍しい話でもない。
「銃なんて嫌いだ……」
 カルロスは吐き出すように言った。テーブルの上で握り締めた拳が震えている。
「誰が作ったのか知らないけど、あんなものがあるから戦争が起こるんだ。そんなものを腰から下げて偉ぶる馬鹿がいるから……」
 カルロスはそこでちらっとアランの顔色をうかがったが、それでも言い切った。
「人が無駄に死ぬんだ」
「……そうかもしれない」
 アランの反応が意外だったのかもしれない、少年の瞳がわずかに見開かれた。それでもその奥に宿った憤怒の炎はそう易々と消えはしなかったが。
「だが、私が今狙っているのは少なくとも悪党だけだ。カルロスくん、ラスティグレイブにはよく行くかね?」
「たまに。歓迎はされないけど」
「レイジィ・ブルーという男が逗留してはいないか?」
 カルロスは頷いた。
「来てる。サルーンにいるよ。毎日馬鹿騒ぎしてる」
「一人かね」
「たぶん」
「やつが好きかね」
「死んだ方がいい」
 アランはパン、と膝を叩いた。
「よし、なら望みを叶えてやろう。明日、日の出と共にラスティグレイブへいって殺してきてやる」
「こ、殺すの」
 何を当たり前のことを、と言いかけてアランは自分の隣で黙りこくっているのが誰なのかを思い出した。
 リオはカルロスの話が始まってから一言も喋らずに下を向いている。膝の上の帽子をじっと見つめて、何も言わない。
「――やむをえなければ、な。リオ」
「ん?」
「今夜はここへ泊まらせてもらって、明日はカルロスくんに遊んでもらいなさい」
「――わたしは足手まといってこと?」
「そうだ」
「この間はあんなに役に立ったのに」
「たまたまだ。調子に乗るんじゃない。ブルーは2200ドルの賞金首だ。この間の連中とはケタが違う」
「だいじょうぶだよ、わたしはパパの娘だもん」
「怒るぞ」
「パパ……でも、パパ一人で行かせられないよ」
「私を誰だと思ってるんだ? サシで負けるほどもうろくしちゃいないさ」
 食事にしよう、とカルロスが場の雰囲気を察して立ち上がった。手伝うよ、とアランも台所へ立ち、リオはぼんやりと二人の背中を見つめていた。その脳裏にはカルロスの言葉がぐるぐると回っていた。
 ――銃なんて嫌いだ。


     




 リオはカルロスの父親が使っていた部屋で寝かせてもらうことになり、アランはカルロスの部屋の床で寝ることになった。
「どの道ベッドはどっちにもひとつきりしかないんだし、親娘で寝たらいいのに」
 とカルロスは言ったが、アランがまだ自分への警戒を解いていないことには気づかなかった。



 夜中。
 眼を覚ましたカルロスは、床から寝息がしないことに気づいた。
「ねえ」
「……ん?」
 アランが身じろぐ音。
「聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ」
「黒塗りのホークって人を知らない?」
「……。いくつくらいだ」
「五年前に、二十くらい」
「じゃあ知らないな。俺はもう十五年も前に一度アウトロー稼業から足を洗ったんだ。それからずっと開拓農民さ」
 そいつがどうかしたのか、とアランが聞いた。カルロスは壁の木目を見つめながら、
「そいつが父さんと母さんを殺したんだ」
「ふうん」
「……。なぜって聞かないの?」
「人を殺すのに理由がいらないやつらもいる」
 カルロスはアランのその素っ気無い態度にむかっ腹が立った。
「どうして。なんでそんな冷たい人間になれるの」
「人間というのは元々冷たい生き物だよ。利害が合致すれば協力しあうこともあるが、気に入らないの一点張りでわけもないのに敵視しあうなんてのはザラだ。ほら、おまえにもいたことがないか、パッと目が合った瞬間にこいつ殺してえって思うやついるだろ」
「い、いないよそんなの……どうかしてるよ。むっとすることはあっても、殺したいだなんて……どうして……」
「殺す、というのが最も簡潔なやり方だからな」
 アランは豚の習性でも喋るように続けた。
「何よりも最速で見たくないものを消せる手段だ。だが少年、おまえは正しい。本当はどうかしてるのさ、人間というのは、同属相食むことをしないはずなのだ。それをするというのは、もはや人間じゃなくなっているということだ」
「外道……」
「そうだ。でも俺から言わせてもらえば、誰だって外道だし、外道じゃないとも言える。俺はもう誰がそうで誰が違うのか、そんなことを考え続けることに嫌気が差した。だからおまえも人間には期待しないで生きるがいい。生きることそのものにも期待をするな。所詮これだけのものだ、異国の地で知らない誰かの墓を守っていくことだけがおまえの人生だ」
 カルロスは黙った。アランは寝返りをうった。いまの暴言は、隣の部屋に聞こえていただろうか。
「なあカルロス、俺は十五年経っても気狂いの血が抜けきってない。抑えても抑えてもこんな風にふとした拍子に吹き出してしまう。すまなかったな、言い過ぎたよ」
「……」
「でもな、わけもなく人を嫌いになることもあれば、わけもなく好きになることもある。それが救いだ。カルロス、さっき、どうして人を殺すんだって言ったよな」
「うん」
「俺から言わせてもらえば、そんな言葉が出てくるだけあんたはまともな人間だということだ。そして俺はそういうまともなやつは尽く気に入ることにしている。だからおまえのことは今気に入った。それで何を安心しろと言えるわけでもないが」
「……」
 明日、とアランは言った。
「俺はリオを置いていこうと思う。日の出よりも早く俺は出て行く。リオには買出しにいったとでも伝えておいてくれ」
 カルロスは首だけを暗闇の中、声がする方へ向けた。
「いいの? 娘さんを一人置き去りにしてしまって」
「おまえが何かするとでも? そうならないと思うことにしたし、あいつの腕っ節は悲しいことに俺に似た。それでも組み敷けると思うならそうするがいい、レイジィ・ブルーの次に、おまえのための墓穴を掘ってやる」
 アランはそれきり黙りこんだ。しばらくすると、すぅ、すぅ、と寝息が聞こえ始めた。それを聞くともなしに聞きながら、カルロスは闇を見つめ、得体の知れないもどかしさのようなものを味わった。少なくとも自分が毎夜空想していたよりも、ガンマンにはいろんな人間がいるらしいことをこの少年は学んだ。


 ○


 アランはボクシングをやったことが何度かあるが、ボディブローというのは本当にどれほど分厚い腹筋を持ってしても後々効いてくるもので、嘘のように膝が落ちてくる。なぜ今、そんなことを思い出したのかといえば、アランの心の中に巣食うアンドリューが囁いてくるからだった。ほら、あそこの角の老婆を見ろよアラン。あいつの息子をおまえが殺したんじゃないと誰が言える? なあ?
 ラスティグレイブへ入ったアランは職探しを兼ねた旅人を装いながらも、町人の視線が気になって仕方が無かった。ちらっとこちらを見てぷいっと顔を背けられただけでも、何か含みがあるような気がしてくる。頭を振った。しっかりしろ、死ぬなんてびっくりするほど簡単なことなんだぞ。
 プランは練ってある。
 根回しを済ませたアランに残ったタスクは、実行のみだった。
 アランは通りに立って、一軒の娼館兼酒場を見上げた。驚くべきことに二階の窓が開いていて客と女の声が駄々漏れになっているが、そばでチャンバラをやっているガキどもは一向に気にしたそぶりを見せないし、洗濯物を干している顔色の悪いそれらガキのうちどれかの母親だろう中年女は娼館の存在すら忘れ果てているのではないかと思われた。面倒ごとに首を突っ込むのは荒野のタブーのひとつだが、改めてそのトカゲの肌のような手触りにアランは嫌気が差してきた。さっさと済ませて、最寄の執行官がいる町までいき、ブルーの死体を引き渡してしまいたい。
 酒場のスイングドアの前に立つ。そこからちらっと中を覗き込んだ。
 顔に刺青をした褐色の肌をした青年が、カウンター背を向けて座って、グラスを傾け酒を飲んでいた。まだ日も高くないことから徹夜だったのだろうと思われる。すでに充分に酔いが回っているらしく、足先でポーカーをやっている連中の背中を小突いてはクスクス笑っている。先住民にしては虚弱にすら見えるほどの面構えだったが、街中にいれば虚弱だろうがなんだろうがガンマンにとってはさほど関係が無い。昔、車椅子に乗ったガンマンを見たことがあったが、かえって安定した射撃で連戦連勝していたことをアランは知っている。
 当然だが、アランはブルーの面を今初めて見た。
 できるやつだ、と思った。
 まず第一にカウンターに背を向けているのが目立たないがファインプレーだ。入り口から急襲してきた敵を座ったまま射撃できる。しかも射線がポーカーをやっている連中の隙間を一直線に開いている。下手糞が襲ってきてもポーカーズが壁になる可能性もあるし、あるいはブルー自身が誰かの首根っこを引っつかんで盾にもできる。攻めにくいことこの上ない。また娼館となっている二階への階段にも対応できる位置だし、上のテラスからは身を乗り出してもブルーの姿が見えない。
 アランがブルーの立場でもそうするという位置取りだった。
 だが、もう殺すことに決めてしまったので、愚痴愚痴考えるのはやめにする。要は殺せばいいのさ。殺せば。
 アランは右手を銃のグリップに貼り付けた。汗がほどよい接着剤となって銃との一体感を感じる。アランの目がスイングドアを入ってすぐのテーブルを捉えた。どこの馬鹿が乱痴気騒ぎの末にやらかしたのか、一点、銃痕がある。天啓。
 アランはスイングを体当たりして跳ね開け、突入した。
 ポーカーズが振り向く前にテーブルを足で引っ掛け倒し、盾にした。脳に刻んである酒場内のマップを思い浮かべながら銃痕の後に銃口を差し込む。誰かがあっという前に終わらせたかった。もっともブルーはとっくに動いているだろうが、それ込みで殺す。
 引き金を引き絞ったまま、銃のハンマーを左手で連続して叩いた。ファニングと呼ばれる射撃技術で、コツは天賦のセンスか飽くなき反復練習(ドリル)。アランは前者だった。
 悲鳴があがった。ポーカーズが何人かやられたのだろう。もっともその顔ぶれが壁に貼ってある手配書とほとんど一致していることにアランは気づいていたから、謝る気はなかった。ボーナスのようなものだ。
 六発撃ち尽くすとアランは脱兎のごとく逃げ出した。背後で銃声がして屈んだ背中を銃弾がかすめた気がしたが仮に当たっていても今はそれどころではない、スイングドアを超えて脇へ跳び射線から逸れないことにはすぐに死ぬ。
 反撃してきたことを考えるとブルーは生きているらしい。ポーカーズの誰かが撃ってきた可能性もあるが、賞金の額からして大した連中じゃない、生き残りがチンピラなら勝ったと判定する。そして勝負が決まらないうちは最悪の事態を想定していればいい。
 アランはそのまま酒場の隣の銃砲店へ飛び込んだ。この店には町へ入った当初から目をつけていて、すでに店主の親父にも200ドル支払っていた。
 当たり前だが、銃砲店では火気厳禁である。くわえ煙草で入店しようものなら親父に箒で顔面を殴打されても文句は言えない。いつ何時どれかの弾薬に点火してしまって店の中が花火大会になる可能性があるからだ。しかし、逆に考えれば、注意さえしていれば火器を使っても問題は無い。たとえば店の奥、ショーウィンドウに背中を預けてリボルヴァに弾丸を装填していたところで二メートル離れた45口径の弾薬がいきなりわけもなく爆発したらそれは意地悪な魔法使いがそばにいるか、あるいは親父の行いが日頃から悪いかであって、アランのせいでは決してない。そして入り口から見た店内というのはそこかしこが弾薬の密林だが、店の奥から見た入り口はそうではない。持ち逃げを警戒して入り口そばに商品を置く店は少ないから、火薬を不随意爆裂させる可能性は極めて少ない。
 ブルーは怒りに任せて店の扉をくぐった瞬間に凍るだろう。どれほど酔っていても火薬の恐ろしさを忘れていてはガンマンは務まらない。ガンマンになる前に、銃を持った子供のままで死ぬだけだ。親を踏んでも神を罵っても、弾丸と拳銃にだけは敬意を払わなくてはならないのだ。それが名うての人殺しになるための条件。
 足音がぞっとするような速さで近づくと、扉が蹴破られてはめ殺しのガラス窓が粉々に砕け散った。そこから現れたのは刺青の先住民、ブルーだ。顔中を血管にして怒り狂っているが、それでもやはり凍った。
 勝った。
 だが、アランは撃たなかった。急に死に逝くブルーに哀れを覚えたからか、いいや違う。
 首筋に、ライフルの銃口が突きつけられていた。
「親父……」
 店主の親父は抜けた前歯を見せながら笑った。
「すまんな、あんたからは200もらった。でもブルーには300もらってるんだ。それも二度三度とね、定期的に。いいやつだ、金払いがいいやつは、わしの味方だ」
「参ったな……」
 アランはちらっとブルーを見た。ブルーは扉の枠にもたれて、すっかり怒りを消した顔つきでにやにやと笑っている。腕さえ組んでいる。なめた態度だが、仕方が無い。今のアランにはなんの武威もないのだ。
「銃を捨てなよ、おっさん」とブルーが言った。
「ベルトごとね」
 アランは泣き顔を作って見せた。安いプライドはとっくの昔に焼き捨てた。
「勘弁してくれ――出来心だったんだ、すまない、許してくれ、見逃してくれ、すぐに町を出て行くよ、あんたがここにいることは誰にも言わない」
「へええ。そりゃよかった、安心してまだまだウィスキーの空瓶を作れるってわけだ。でもよ、なめるなよ、目が死んでないやつの言うことだけは信じねえって決めてるんだ」
「…………」
「表へ出な」
 ブルーはくいっと顎で外をしゃくり、背を向けかけた。そしてアランが動かないのを見て、立ち止まった。
「ベルト捨てろってば。股間を撃ち抜かれたくなけりゃあな」

     




 リオは布団の中に入ってからも、カルロスの言葉について考えていた。
 銃なんか嫌いだ、とあの南国生まれの少年は言った。
 考えてみれば何もかもが初めてのことばかりだった。南国生まれの人間に出会ったのも初めてだし、まともに同じ年頃の男の子と喋ったのも初めてだったし、銃を嫌う人間に出会うのも、そしてきっと銃に大切ななにかを奪われた人間に出会うのも、初めてだった。
 それまでにリオにとって『銃』というのは一種の免罪符だった。たとえおもちゃの銃であろうとグリップを握って振り回し、家畜を追い立てていればこの世で一番偉いのはリオだったし、それを父が見かねて止めるようなこともなかった。それでいいんだと思っていた。『キッド』ほど気に入っていなかったのでうちへ置いてきた絵本の中のガンファイターたちはみんな正義の味方で、悪いやつを懲らしめて荒野へと去っていくのだ。それがお決まりで、悪役が勝つ話なんてひとつもなかった。
 そこで、この現実というリオが読み始めた物語では『悪』が勝つこともあるのだと学べばリオは普通の女の子になれただろう。普通の大人になれただろう。だがリオはそうしなかった。
 夜中。
 まだアランはブルー狩りに出ておらず、カルロスの部屋で眠っている。
 むくり、と起き上がった。ランプに近づいて手擦りマッチで火を灯した。暗闇の中、小さな太陽のように火はめらめらと燃え、小さな宇宙がそこにできたようだった。
 ベッドに斜めにかけられたガンベルトからリボルヴァだけ引き抜いた。
 いつ触っても手に馴染むグリップの感触を確かめ、はめ殺しの窓の前に立った。
 背筋を伸ばす。
 暗闇に、パジャマ姿の自分が映っている。こうして見ると、旅に出る前と何も変わっていない。ただの十五歳の女の子だ。金髪で、生意気そうで、痩せている。ガラスに映る自分の瞳を見ながら、顔も覚えていない母のことを思い出そうとする。記憶の中の母は、顔の造詣こそおぼろで何一つはっきりしないけれど、いつもうっすらと笑いながらリオを抱いた身体を揺すっている。
 少なくとも、母と父の出会いは銃によるものだった。どこかの誰かが火薬と鉄塊をこねくり回して銃を作り出さなければ、自分はいま、ここにいない。でもだからといってカルロスに「さァ銃を好きになれ」とぐいぐいグリップをほっぺに押しつけたところで何の意味もないことはわかっていた。
 ない頭を捻って考える。
 なにも考えずに、弾丸の入ったリボルヴァを両手で構えてみた。ファニングする際に使う腰だめの構えではなく、両手でしっかりとグリップを覆って肩幅に足を開いたオープンスタンス。かと思えば一転してトリガーガードに指先を引っ掛けたガンスピン。さすがによちよち歩きからおもちゃの銃で鍛えてきたことだけはあってリオのスピンはサマになっている。だが、残念ながらおつむが弱い。ガンベルトをしていないことをすっかり忘れて勢いよく何も無い空中に銃口を突っ込もうとし、指からトリガーガードがすっぽ抜けた。
「あっ」
 だがリオは、床に落ちそうになったリボルヴァをつま先でポンと跳ね上げた。器用なものである。そしてまたガードに指を引っ掛けてスピン。前転後転をひとしきりやると今度は目にも止まらぬ早業で左手へリボルヴァを流してまたスピン。リオの両手を回転する拳銃がいったりきたりした。
「よっ、ほっ、やっ、とっ……」
 リオの足がリズムを取り始める。最初は足踏み程度だったのがジャンプや回転、蹴るまねや位置のスイッチなども交え始める。最後はほとんど踊るようにした挙句に、ぽいっとリボルヴァを枕に投げてばたりとその場に倒れた。
 疲れた。
 ぜえはあと呼吸しながら、カルロスのことを考える。
 言葉には上手くできない。だから身体で教えるしかないとリオは思った。
 銃は人殺しのために生まれたかもしれないけれど、人を楽しませることもできるんだよというそんな簡単なセリフがリオには思いつけない。十五年間父親と過ごしてきた少女には、同じ年頃の子供にどんな言い方をすればいいのかが、まだわからなかった。



 ○



 アランが出て行く時、カルロスは目を覚ました。普段、他人と暮らし慣れていないために耳慣れない物音に身体が敏感に反応してしまったのだ。けれど目も開けなかったし、声もかけなかった。ひょっとすると今生の別れになるかもしれなかったが、カルロスはどうしても、銃を腰から下げた人間に――しかもそのグリップに使い込んだすれが見られるようなやつに笑顔を見せることはできなかった。ましてや心を許すなど。
 そうして走り去っていく馬のひづめの音を聞きながらとろとろ眠った。が、それほど深い眠りではなかったらしい。再びカルロスが目を開けた時、まだ日の位置はさほど上がっていなかった。
 伸びをして、ベッドから降り、表へ出た。今日もまた棺が担ぎこまれれば手間賃を受け取って人間を地面に埋める一日が始まる。最初の頃はさすがに滅入ったが、今ではもう慣れた。少なくとも生きたまま埋めるわけではないし、墓穴から死体が這いずり出てくるわけでもない。
 小さな柵で区切った庭先には一本のリンゴの木が植えてある。その根元に、アウトロースタイルに着替え終わったリオ・ターナーが帽子を顔に乗せて寝転んでいた。カルロスは無視して、釘の弱くなった墓穴などの手入れへいこうとしたが、リオが帽子を指先で持ち上げてじっとこちらを見上げてきたので冷や汗が出た。
 気まずい。
 思わず立ち止まってしまい、斜めに視線がぶつかり合った。お互いなんとも言わない。カルロスは改めてこの賞金稼ぎの少女を見る機会を得た。
 かわいい子だ、と思う。けれど異国人のカルロスにとっては白人はだいたいどれも同じような顔に見えるのだが。それでもリオは不細工ではない。仮に不細工だったとしても肌つやだけで百点満点が取れるだろう。風呂に入ったばかりかのように朝もやを吸ったもちもちした肌は何を食べればそんなつややかになるのかと見るものを戸惑わせる。
 父親と接する時とは打って変わって無表情なリオに、カルロスはどうしていいのかわからなくなった。青く澄んだ瞳にじっと見つめられていると何もかも見透かされているような気がして落ち着かなかった。
「な――なに?」
 ちょっと上擦ってしまったが、なんとかカルロスはそう言い切れた。
 リオは立ち上がって、ポケットに手を突っ込んだまま、庭に転がった缶詰の容器をつま先で蹴り始めた。なんなんだよ――とカルロスが思っていると、おもむろに缶を蹴り上げた。手で掴む。そして今度は落ちていたリンゴの実を拾い上げ、またブーツの脇にしまってあったナイフも取り出した。
「よっ」
 ひょいひょいひょい、とリオは缶とリンゴとナイフをジャグリングし始めた。カルロスは仰天した。
「やっ――な、なにしてんのさ、やめなよ、危ないよ! あっ、ナイ、ナイフ」
 カルロスはサーカスを見たことがない。だからリオの行動はまったくの奇行に思えた。気でも違ったかと思う。
 リオはそ知らぬ顔をして、行商人のスミスから又聞きしただけの曲芸を続ける。あまりのことにカルロスは気づきもしなかったが、いつの間にかナイフを柄ではなく刃の方をしかも指先二本だけでつまんで投げ回していた。
「ほっ、やっ、とっ」
 カルロスは慌てふためき疲れて、その場でしりもちをついてリオを見上げている。その惚けた顔にリオはちょっと嗜虐的な喜びを感じた。この程度でレイディ・リオ様の技の底だと思うなかれ、だ。
 右手がナイフを放り投げた瞬間、手首から先が消えたようにしか見えないスピードでガンベルトのリボルヴァを掴みあげた。そのまま放り投げジャグリングの輪の中に混ぜる。カルロスの顎が落ちかけた。もう声も出ないらしい。弾の詰まっていない拳銃を回しているなら缶と同じだ、だがもちろん銃弾は45口径の弾薬が六発きっちり詰まっていたし、なにより――撃鉄が起こされていた。
 シングルアクションのリボルヴァは一度撃鉄を起こせば発砲するまで決して元には戻らない不可逆の機構を持っている。安全装置などこの時代の拳銃には備わっていなかったが、あえていえば倒れた撃鉄こそがセイフティだったのだ。それが解除されていた。
 いつ暴発してもおかしくない拳銃が缶とリンゴとナイフと一緒に綺麗な円を描いていた。それは、童話的だったとさえ言える。
 リオはフンフンと鼻歌を歌いながらその場をよろよろ動き始めた。それでも銃は暴発することなく、四つのアイテムは円を維持することをやめなかった。そしてカルロスでさえ見飽き始めるほどの時間が過ぎた頃、おもむろになんの前触れもなくリオがジャグリングをやめて発砲した。
 ぱんぱんになったボールが破裂するような音が三連続で続いた。空中でリンゴが砕け散り缶に穴が空き、ナイフの刃がひしゃげた。そして落ちてきた缶だけをリオはブーツのつま先で蹴り上げた。空中へ舞い上がった缶を見上げながらリオはバックステップを取り背中がほとんど倒れたままファニングで射撃。缶がまたさらに高く青空へ跳ね上がり、リオはそこから柵に飛び上がり全力で三歩疾走、ジャンプしてログハウスの屋根に飛び上がりそのまま飛び込み横転ざまにさらに発砲。またもや弾丸に貫かれた缶がくるくると回転しながら落ちていき、それがしりもちをついたカルロスのそばに落ちかけたところでリオが屋根から身体をくの字にして飛び降りた。
 そのまま空中で、両足を投げ出したまま、両手構えで引き金を絞った。カルロスは、発砲する瞬間のリオの目をその時確かに見た。
 カルロスの太股のそばに落ちるはずだった缶が斜め上からの弾丸に殴りつけられて、後方の地面にめりこんだ。中に入った四発の弾丸がカラカラと音を立てた。
 どすっと両足で着地したリオは、ふっと銃口から漂う紫煙を吹き消すと、前方に三回転、後方に四回転させてスチャッとベルトにリボルヴァを叩き込んだ。腕を組んで、指先で帽子のつばを持ち上げたながら、お得意の「ふふん?」と聞きたげな顔で少年を見下ろした。最初はカルロスに華麗なガンプレイを見せて銃のポジティブな面を見せようと思っていたはずなのに、いつの間にかただ自分の銃技を見せびらかしたい気持ちの方が強くなっていた。
 いずれにせよ、カルロスはこれでリオの友達になってくれるはずだ。いや、最初から友達だとちょっと居心地が悪いので、最初は、そう子分にでもしてやろう。腕っ節の差はたったいま見せつけたところだし、ちょうどいいこと尽くしだ。
 だが、カルロスの反応はリオが想像していたものとは違っていた。
 カルロスは思い出したように立ち上がると、ずかずかとリオに近づいていき、その腕を掴んで怒鳴った。
「なにしてるんだよ!!」
 心臓が止まるかと思った。
「危ないだろ!? 誰がそんなことしてくれって頼んだ!? もう二度とそんなことをぼくの前でするな、したら絶対に許さないからな!!!」
 きぃん、と耳が痛むほどの大声。
 リオは、親にだってそんな風に叱られたことはなかった。
 ショックで、悲しいとか怖いとかそんな名前のつけられる感情を味わう暇もなく目に涙が浮かんできた。息が詰まる。
 やばい。
 泣く。
 掴まれていた腕を振り払った。
「べっ――べつにあんたのためにやったわけじゃない!!!」
 じゃあなんのためにやったんだ? エクササイズか? 朝のカロリーは消化できたか? 馬鹿で意地悪な心の中の自分の喚き声から耳を塞いで、
「あれぐらいなんともない!! あんたみたいな臆病者にはできないだろうけどあたしは賞金稼ぎだからあれぐらいできるし全然平気だし今まで一度もミスしたことなんてない!! だから、だから――あんたに心配されるいわれなんてない!! 何様のつもり!? 土くさい墓守のくせに、毎日毎日死体ばっかいじってるくせに、汚い臭い喋るなあたしに話しかけんな!! 死んじゃえこの馬鹿!!」
 言い過ぎるだろうということは途中でわかっていた。それでも途中でやめることができなかった。
 はあはあと荒い呼吸をしながらリオは地面を見つめ続けた。何も言わない少年の顔を見られなかった。何も言わない少年が怒りに我を忘れて殴りかかってきてくれたらどれだけいいだろうと思った。手が震えた。撃鉄の起きた拳銃のトリガーガードに指を引っ掛けることよりもただ顔を上げることが怖かった。
 パパ。
 この期に及んで自分に嫌気が差したが、リオは今の会話をアランに聞かれていたらと思うと気が狂いそうだった。カルロスの心配よりもリオは自分の身を心配した。こんな罵倒を人にしたと知られた親子の縁を切られるかもしれない。この荒野のど真ん中に置き去りにされてしまうかもしれない。そんなことはないと思いながらも、嫌気が差すほど嫌いになってしまった自分の言葉など露ほども信用できなかった。
「あの……」
 情けなくなるほど震えた声しか出なかった。
「ぱ、パパは……」
「出て行ったよ」
 ぞっとするような冷たい声で言った。
「人殺しをやりにいった。君も出て行け」
「え……」
 リオはカルロスの目を見た。そこにはただ、空しさだけがあった。
「もう君の顔は見たくない」
 ぼそっと呟いて、カルロスは家の中へ入っていった。リオだけが取り残された。泥を踏むように頼りない足取りで、リオは厩舎へ向った。茫然自失のまま馬にまたがり、思い出したようにリボルヴァの弾倉に震える指先で弾丸を込めながら、旅に出てから初めて、家に帰りたいと思った。

       

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Neetsha