Neetel Inside 文芸新都
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痴れ者塚
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 今となっては、いつとも判らぬ昔の話でございます。
 
 さる小柄な老学者が、小さな国の片隅で、小さな私塾を構えておりました。
 私塾といっても、廃屋と見分けの付かぬあばら家の中に、椅子を幾つか並べただけの簡素な作りでございます。
 これは、老学者が学問を一つの道と考え、余計な飾り立てを、むしろ道を損なうものとして控えていたからでございます。
 経済的な理由も無いではなかったのでしょうが、かの私塾に納められていた書物の膨大な数を鑑みれば、やはりあのあばら家は、老学者の求道的な姿勢によって作られたものなのでしょう。
 
 さて、老学者が私塾を開いて、三年ほど経った時のこと。
 さる二人の若者が、同年同月同日のまったく同時に、私塾の門を叩いたのでございます。
 一人は、国の役人を目指し学業を志した者。
 一人は、老学者の求道的な人柄に惹かれて、道を究めんと弟子入りを決意した者。
 老学者は二人を歓迎して、門下に迎えました。
 大望を抱く若者同士、共に切磋琢磨し、よき友として高めあう事を望んでいたのでございます。
 しかし、二人の若者は同期の桜と打ち解ける事はございませんでした。
 

     

 二人が良き友となれなかったのには、大小様々な事情がございましたが、その理由を端的に申しますと、互いの持って生まれた性質が、示し合わせたかのように逆しまだったからでございます。

 一人が夜を徹して学問に励み、明け方眠りに付こうという時、もう一人は朝日と共に眠りから覚め、朗々と書を読み上げる。
 一人が諤々と己が信念を語り上げれば、一人は頑なな心は道を損なうと言ってそれを非難する。
 一人が川で釣ってきた魚をその日の夕餉にしたなら、一人は山で捕まえてきた獣の肉を夜食に食べる。
 二人が共に住み込みの門人であったことも、両者の溝を深くした一因だったのかも知れません。
 ともあれ好みも、性格も、主義も、とかく万事この通りでございました。
 あまりに何もかもがあべこべなので、実の所は本当に示し合わせて我々をからかっているのではないか、等と噂する門人もおりましたが、その門人も二人が議論を交わすときの凄まじい形相を見て以来、そのような事は口にしなくなりました。
 二人が、所謂犬猿の仲と言われるような間柄になるまで、そう時間は掛かりませんでした。
 それでも、二人がそのような畜生ではなく、一組の龍虎と喩えられていたのは、やはりその傑出した才能の為だったのでございましょう。

     

 朝と無く夜と無く、顔を合わせれば論を戦わせる二人の姿は、いきおい市井でも評判となっておりました。
 
 さて、件の二人が老学者の門下となって数年、私塾の龍虎の異名が市井にも広まり出した頃のこと。
 この小国で、それは大きな内乱が起こったのでございます。
 お世継ぎの無いまま、国王が御隠れになってしまったこと。
 折からの圧政に、民衆の不満が高まっていたこと。
 最初はどれも小さな火種でしたが、それでも地方の豪族や大商人の野心を燃え上がらせるには、十分だったのでございましょう。
 
 老学者の私塾は、辺鄙な小国のさらに辺境に構えておりましたから、幸いにも争いの火が直接及ぶようなことはございませんでした。
 しかしながら、かと言ってこのまま対岸の火事と決め込むことは、若い門人達の血気と義心とが許さなかったのでございましょう。
 今まで道を修めてきたのは、まさしくこの時の為だと、門人達はこぞって私塾を飛び出し、あるものは国難を救うために都へ、あるものは民衆のために立った大商人の下へ、馳せ参じていったのでございます。
 血気と義心とにかけては人一倍であった私塾の龍虎も、無論例外ではございませんでした。

     

 同年同月同日の全く同時に私塾の門を叩いた二人は、同年同月同日全く同時に旅支度を済ませ、老学者に今生の別れを切り出したのでございます。
 「お別れを言わねばなりません、老師。私はこの身を祖国の礎とするべく、これまで励んで参りました。未だ浅学非才の身ではあることは存じておりますが、この国難を見過ごすなど、私には最早出来ぬ事です」
 「この内乱、一部の民衆の不満が発端であるとの話ですが、一方で傷つき、飢える力の無い民も居るはずです。道を究め尽くさぬ身の上で、この私塾を去ることの無礼は心得ておりますが、この不仁を見逃すことは出来ません。お許しください、老師」
 
 老学者は二人の言葉を聴くと、一振りの短刀と一本の槍を持って、二人にこのように言葉をかけました。
 「お前達は、この私塾に収まる器ではなかったと言う事だろう。行くと言うなら止めはすまい。この短刀と槍は、私の最後の教えだ。お前には槍を、お前には短刀を、それぞれ預けよう」
 老学者は無論、二人も武人などではございません。
 にわかに意図の読めぬ餞別ではございましたが、それだけに学の深奥に迫るものであるのだろうと心得て、二人はこれを受けたのでございます。

     

 さて、国難を憂えて老学者のもとを拝辞した二人でしたが、やはり価値観の隔たりは生来のものだったのでございましょうか。
 一人は都から見て東側に大きく勢力を伸ばしていた豪族の下へ、一人は西側で一大勢力を築き上げていた大商人の下へ、それぞれ馳せ参じたのでございます。
 東の豪族、西の商人、どちらの勢力も、共に在所から来たこの若者を喜んで参加に迎え入れました。
 二人の才の大きさ故か、抱える国の小ささ故かは判りませんが、私塾の龍虎の異名は、ここでも知られていたのでございます。
 
 東の豪族は若者を迎え入れると、このように問いました。
 「この乱れた世の中にあって、仕える主など探せば星の数ほど居るはずだ。なぜ、あえて私の下に来たのか」
 若者は頭を下げたまま、しかし毅然とした口調でこう答えたのでございます。
 「ここならば、この国難を鎮めるだけの力を得られると考えたからです。王が御隠れになり、お世継ぎも居ない今、最早あらゆる力に大儀はありません。ならば国士が求めるべきは、より早く、より確実にこの乱を収められる力をおいて、他にありません」
 「ならば貴様は、私ではなく私の力に仕えるというのか」
 「私が仕えているのは、もとよりこの国でございます」
 「面白い物言いをする男だ。良いだろう、国に仕えるということは、即ち私に仕えるということだ。お前の力も頼りにさせてもらおう」
 
 一方、西の商人も迎え入れた若者に、このような問いかけをしておりました。
 「お噂はかねがね伺っております。こうしてお会いできたのは光栄ですが、何故わざわざ私共の所へ来て頂けたのでしょうか」
 若者は恭しく頭を下げて答えました。
 「こちらの軍に志願する、農民兵の数を見たからです。聞けば、あなたは苦しむ民衆の姿を見かねて、こちらで旗揚げなさったとのこと。乱を収めるには力で足りますが、国を治めるには徳が無ければ務まりません。是非とも、私にもお手伝いさせていただきたい」
 「さて、私にそれほど人徳が有るとは思えませんが」
 「ここで驕るような方ならば、私もお仕えしようとは考えません」
 「いやはや、勿体無いお言葉です。分かりました、こちらこそ是非ともあなたの力をお借りしたい」

こうして同年同月同日、小国の東と西に、二人の軍師が生まれたのでございます。

     

 奇しくもと言うべきでしょうか、やはりと言うべきでしょうか、東と西、同時に現れた二人の軍師の手腕は、政戦両略においていずれ劣らぬ素晴らしいものでしございました。
 しかし、その有様は、まさに二人が私塾にて競い合っていた頃の姿を髣髴とさせるものだったのでございます。

 東の豪族に軍師として迎えられた若者は、まず練兵と称して、豪族の抱える兵を広場へと集めました。
 そして集められた兵を前に、若者はこのような命令を下したのでございます。
 「訓練を始めるに当たって、まずお前達の心を量る。これより何があろうとも、前を向いたまま目を逸らさぬように」
 一体何のつもりだろうかと、兵士たちが不思議がりながらも前を向いておりました。
 すると若者は突然、手に隠し持っていた十数個の宝石を、空に向かって投げ上げたのでございます。
 投げ上げた宝石が地面に落ちると、若者は兵士達にこう言いました。
 「今、この宝石を一瞬でも目で追ったものは名乗り出よ」
 数秒の沈黙の後、三名の兵士が名乗り出ました。
 若者は、地面から宝石を拾うと、その三名に耳打ちしながら一つずつ宝石を手渡しました。
 「さあ、他には居ないか」
 今度は十名の兵士が名乗り出ました。
 それを見た若者は、豪族にこの十名の斬首を進言したのでございます。
 豪族は、首をかしげて若者に尋ねました。
 「なぜ先に名乗り出た三人には褒美を与えたのか」
 若者は笑いながら答えました。
 「先の三人に渡したものは、褒美ではなく手切れ金でございます。私は兵達に、何があっても前を向くようにと命令しました。先の三名は、自分が命に背いた事を申し出て参りましたので、この宝石を持って、どこへなりと去るようにと耳打ちしたのでございます」
 豪族はまだ合点がいかぬといった面持ちで、更に尋ねました。
 「では、なぜ後の十人の首を切るのか」
 若者は顔から笑みを消して答えました。
 「彼らは、先の三人が宝石を得るのを見てから名乗り出たからでございます。それはつまるところ、始めから命に背いた事を隠していたのか、あるいは欲に駆られて見ていないものを見たと偽ったということ。命に背くものよりも、主を謀るものの罪が重いのは当然のことでございます」
 東の豪族は、若者の言葉を聞いて大きく頷くと、その日の内に十名を処刑し、兵たちへの戒めとしたのでございます。
 若者はこの後も、軍の柔軟性は、寧ろ厳格な規律による滅私こそが要であると説き、精強な軍隊を作り上げたのでございます。

 一方、西の商人に仕えていた若者も、同じく練兵と称して兵士を集めておりました。
 そして、東の若者と全く同じ命令をし、こちらは路傍の石を放り投げたのでございます。
 しかる後に、若者は商人に進言しました。
 「この石を目で追ったものを、一軍の将としてお取立て下さい」
 商人が何故かと問いますと、若者はこのように答えたのでございます。
 「戦場において最も大切な事は、機に臨み変に応じる才覚でございます。私もいずれは戦場に出る身、いつまでも無事で居られるとも限りません。空から降ってきたものが石ではなく敵の放った矢であったならば、私は一万の忠義者に見殺しにされていたでしょう。そうなった時の為にも、そうならぬ為にも、己の料簡を持った人間には、相応の裁量を与えておきたいのです」
 商人は若者の意見を聞き入れ、軍師の下に中級指揮官の席を設け、若者の推薦した人物をそこに据えたのでございます。
 また、他の有力な商人や豪族に対抗するため、積極的に近隣の小勢力と同盟を結ぶよう商人に進言したのも、この若者でございました。

 かくして、東の豪族と西の商人は、軍師の策に従い着実にその勢力を拡大していきました。
 そして、東の豪族が周辺諸侯を平定し、西の商人が他の有力諸侯と大同盟を結んだ頃には、東の豪族と西の同盟軍は、互いにこの小国を二分する大勢力となっておりました。
 
 互いに手強い論敵であると学生の頃から競い合ってきた二人の若者は、数年の時を経て、今度は不倶戴天の仇敵として、再び戦場にて合間見える事になったのでございます。

     

 私塾を飛び出した時、最早今生の別れと道を分けた二人でございましたが、互いが互いに敵国の軍師であると知った時、何故か両者共に驚きは無く、さもあらんと頷くばかりでございました。

 東の豪族が、その知らせを聞いて軍師に尋ねました。
 「西の軍師とは同門であったと聞くが、どのような者か」
 軍師はそれを受けて答えました。
 「才はあれど大局の見えぬ男です。いずれ目先の徳とやらに囚われて西の軍師を務めているのでしょうが、奴さえ居なければ、この乱は半年は早く収まっておりました」
 「なるほど、それだけ手強い相手ということか」
 「才の使い方を知らぬ分、面倒だという事です。将軍、どうか出陣の準備を。大同盟とは言え烏合の衆、盟主たる西の商人を討てば、連中は自然と瓦解するでしょう」

 同刻、西の商人も軍師に尋ねておりました。
 「東の軍師とは同門であったそうですが、どのような方ですかな」
 軍師は厳しい顔で答えました。
 「才は確かのものですが、微に入り細を穿つ事を知らぬ男です。鳥瞰を持って物を推し量ったとて、鳥の目で人の心は見えませぬ」
 「それでは、あなたの方が一枚上手という事ですかな」
 「いえ、先に言ったとおり、人心を掴めずとも、その才は豊か。厄介な男です。しかし、いずれにせよ彼を討たねばこの乱は終わりません」

 東の豪族、西の同盟が戦場に選んだのは、この国でかつて都と呼ばれていた場所でございました。
 乱の発端にして、今ではこの乱世の象徴であるかのように荒れ果てた姿を晒している廃都を、決戦の舞台としたのでございます。

 都の東に陣を敷いた豪族の軍師は、決戦の前に、兵士に命じて一つの塚を作らせました。
 それは、西の軍師の魂を鎮めるためのものでございました。
 戦の前に敵の首塚を作る事で、戦意の高揚を図ったのでございます。
 「思えば、共に私塾を出たあのとき、老師が奴に餞別として小刀を渡していたのは、その視野の狭さを戒めんと考えての事だったのだ」

 『西の痴れ者 槍の教えを忘れ 刀を抱きてここに眠る』

 東の軍師は、塚にこのように文字を刻むと、兵を率いて都へと進みました。

 一方、西の軍師も、布陣を終えると一つの塚を作りました。
 「考えてみれば哀れな男だ。老師が選別に渡したあの大槍は、小さく弱い民を省みぬあの男の姿と、まるで同じではないか」

 『東の痴れ者 刀の教えを忘れ 槍を抱きてここに眠る』

 西の軍師は、このように打ち刻むと、都へ向けて進軍しました。

 
 戦力、兵站、用兵、全てにおいて伯仲していた両陣営は、その後三日に渡ってぶつかり合いました。
 東が果敢に攻め込めば、西は巧みにそれを受け、西が反撃に転じれば、東も合わせてよく守る。
 最後の戦という事もあって、その戦いぶりは全てを投げ打つ激しいものでございました。
 そして、将軍も軍師も、皆が剣を取って前線へと赴く熾烈な消耗戦の中、かつて私塾の龍虎と謳われた二人の軍師は、互いの体に小刀と大槍を突き刺し、三日目の夕方、共に息絶えたのでございます。

     

 結局、三日に渡って打ち合うも遂に決着付かず、この戦を機に、小国はかつての都を境にして、二つに割れてしまったのでございます。
 かつて二人の師であった老学者は、その最期を伝え聞くと、二国を渡って二人の塚を参り、嘆きました。
 「槍は遠くの獲物を突く分には小刀に勝るが、懐に入られれば取り回しの良い小刀には及ばぬ。互いを認め、補わねば正道には至らぬのだ。二人は共に正しく、共に賢かった。しかし今では、己では何も考えぬ者が中道を称し、ただ二人を痴れ者と呼ぶばかりだ」
 老学者は、その後二人が戦った廃都の中で暮らし、半月ほどして、後を追うように鬼籍に入りました。
 そして老学者の嘆きを聞いた両国の民は、国の境である都の只中に、一際大きな塚を作ったのでございます。



 


 老学者と二人の若者の物語は、これでお終いでございます。
 
 塚でございますか。
 いえ、何分、いつとも分からぬ昔の話。
 もうどちらの国にも、二人の首塚は残っておりません。
 ああ、痴れ者塚のことでございますか。
 それならば、かの二国の境にある、都の跡地にいらっしゃると良いでしょう。
 大きな塚でございますから、刻まれた文字もそのままに、まだしっかりと残っておりますよ。

 『国の大事に関わる事なら 気取ってないで口で言え』

 いつとも分からぬ、昔の話でございます。

       

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Neetsha