Neetel Inside 文芸新都
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異国
異国

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 なんという国だろう、ここは……そう男は驚嘆した。
「この国は……全てが逆立ちをしているんですね」
「あなたからはそう見えますか? 私達からはむしろ、あなたが逆立ちをしているように
見えます」
「それはそうでしょう。何せ、ここと私はまるきり正反対なのですから」
 男からは、全てが反対に見える国だった。人も、家も、草木も、何もかもが反対だった。
「さあ、ついてきてください。この国を訪れる方は皆、これから見るものに驚愕し、そして
満足して帰っていくのですよ」
 男を案内するのは、この国の老人だった。顔は、豊かな髭に隠れて男からは見られなかった。


「…………」
 男は、思わず息を呑んだ。
 天辺が雲に隠れている塔があった。その雲の中を突き抜けて、人が絶え間なく落ちてくる。
 そもそも“空から落ちてくる”という事象自体、男には理解できなかったのだが。
「どうです? 壮観でしょう」
 誇らしげに胸を張りながら、老人は言った。
「わが国は土がとてもやわらかいのです。それもあって、こうした勇壮な行為を臆さず決行する
若者が後をたたないのですな。ほら、あそこの者など、70をとうに過ぎたような老人ですよ。
ただの無茶だと笑う者もおりますが、これ程頼もしい国民を抱える国もそうはないでしょう」
 確かに、土はやわらかかった。次々と人が落ちてきては、ぼよんと弾む。落ちてきては弾む。
落ちてきては弾む――怪我をしていそうな者は1人としていない。
「…いや成程。確かに、これには皆驚くことでしょう」
 納得した口ぶりで、男は言った。老人はぶんぶんと首を縦に振った。こちらも納得したのだろう。
「やわらかいとは思っていたが、これほどとはね……ああ、あと、もう1つ不思議なことがある
のだけど、訊いてもいいかな?」
 老人は嬉しそうな声で、
「どうぞどうぞ」
「なぜ、空から落ちてくるのでしょう?」
「はい?」
 老人は、意表を突かれたような声を上げた。
「それは……当たり前のことなのではありませんか?」
「とんでもない。私の国では、空に浮いているのが普通なのです。なぜかこの国では浮けないの
だが……国が違えば、そうした部分も違ってくるものなのだろうか」
「…あなたの国も、面白そうですな――おい、皆!」
 老人は、空から落ちてきたたくさんの者達に声を掛けた。
「この方は異国から来られた方なのだが、我らの国とは大分違った文化をお持ちらしい。興味
深いと思わないか?」
 思う思う! そんな声が、若者を中心に聞こえてきた。老人はまたうんうん頷いて、
「そうだろう」
 と言った。そして、煽るように手を広げて、
「そこでどうだろう? この方の国の文化をご教授いただくというのは!」
 賛成賛成! さっきよりも反響が大きかった。
 男は戸惑いながらも、体の奥のほうから湧きあがって来る誇らしさに恍惚とする自分がいる
ことにも気づいていた。男もやはり、この国の人間に負けない位に“国を誇りたい”という欲求を、
自らも知らぬうちにその体の内に備えていたのである。
「…分かった。教えましょう」
 わあと、歓声が上がった。
「まず、皆さん私と同じ体勢を作って下さい」
 男の声に応え、皆一斉に両手を地面につけ、逆立ちとなった。
「そして、心を落ち着けるのです。心には、美しい青空を描いて」
 そうすると男の目には、茶色の地面が、真っ青な空に見えてきたのだ。
「どうです? 土がどこかに行ってしまって、視界一杯の青空が広がってきませんか」
 皆、ざわついていた。なんだい見えないぞ、いやいや青い空が見えてきたぞ! それはお前の
視線が上向きになっているからだ! いや、本当に見えてきたぞ! …俺も、土が空に見えて
きた……
「素晴らしい!!」
 老人は逆立ちしながら叫んだ。
「もちろん、私達には私達の立ち方があります。ずっとこの、地に手を着いて立つ体勢を保つ
ことはできないでしょうが……これはこれで、素晴らしい風景が見えるものですね。いやいや、
世界は広いものです……」
 老人のその言葉を聞いて、男はとても嬉しくなった。やっと見ることの出来た老人の顔は、
まさしく破顔一笑であった。


 これが、この国のもう1つの名物が産声を上げた瞬間だった。

       

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