Neetel Inside ニートノベル
表紙

70000歳
カツラちゃん

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 渡したち人類が今の単為生殖の形態を持ち始めたのは、今からおよそ700年前とされています。それ以前はどのように生殖を行っていたのでしょうか。
 皆さんも知っての通り、700年前、人類は2つの種族に分かれていました。渡したちの祖先は《女性》、もう一方は《男性》と呼ばれていました。この2つの種族が、生殖器……今でいう排泄器ですね、それらを互いに組み合わせ、《男性》が《女性》に生殖液を注入する。そのような回りくどい手順を踏むことで子孫を形成しました。それが不合理の代名詞とされる、有性生殖、と呼ばれる行為です。
 なぜ、《男性》は絶滅したのでしょう。厳密な記録は大津波によって喪失しましたが、現存する資料をもとに《男性》が衰退した理由は2つに絞られています。
 ひとつ。単為生殖の確立によって、《男性》の生殖液が不要になり、《男性》自体も不要になった。……当時、単位生殖の技術は一部の不妊症で悩む女性だけでなく、すでに、広く社会に普及していました。単為生殖とは知っての通り、脳から発せられる特殊な信号が子宮に刺激を与えることで卵子の細胞分裂を開始させる……つまり、《渡し》の命を次世代に《渡す》、非の打ち所がない完璧な生殖行為のことです。
 ふたつ。渡したちの細胞染色体はXとXなのですが、《男性》はXとYという非常に都合の悪い遺伝子形態をとっていました。特に染色体Yには数多くの遺伝病が書き込まれており、環境の変化が著しい700年前では、《男性》が生存し続けることは困難でした。ちなみに単為生殖では、染色体Yの入り込む余地はないので、環境に適応できない《男性》を産む可能性は一切ありません。
 よって、コンノと呼ばれる種を最後に、《男性》はこの地上から消滅しました。ちなみにコンノは700年前の大津波で死亡したと伝えられています。



『子供を産むプロセスには2種類ある』
 と、ミクリヤは教えてくれた。シミズの授業中、モロボシの膝の上に乗りながら、余った紙にペンを走らせる。
『まずは単純に、適齢期になると脳から発せられる特殊な信号が卵巣に届き、子宮の中で細胞分裂が起こる。そして胚が発生し子宮内膜に着床する。これがさっきシミズの言っていた単為生殖だ。この特殊な信号というのが』
「それではミクリヤさん、答えは?」
 と、シミズが不意打ちのようにミクリヤに質問を当てた。全く注意を払っていなかったので、何を質問したのかモロボシにはわからなかった。しかしミクリヤは平然と、
「ジェンダーフリーです」
「その通りです。つまり……」
 何事もなかったかのように、ミクリヤは続きを書き始める。
『この特殊な信号というのが、生殖の神秘を読み解く大きな鍵になる。中枢神経が特定の刺激を受けた際、その信号は発生する仕組みになっているのだが、現在、それがどういうプロセスで生成されるのか、解明されていない。個体差もある。例えばこの教室で言うと、コバヤシ属は現在200種を超えており、祖コバヤシは毎年10人の子を産む。けれど渡しの祖ミクリヤは生涯で渡し1人しか産まなかった。どうしたらその特殊な信号が発せられるのか。それが解明されれば子孫の調節が可能になるだろう』
「それじゃあ次はモロボシ。ここ答えてみてちょうだい」
 とシミズ。
「……」
 ボーヴォワール、とボソッとミクリヤが呟いた。
「ボーヴォワール」
「よくできました。それからサルトルと……」
『そしてもう一つ。これは祖科以外の血筋では禁忌とされていて、発覚したら属ごと根絶やしにされるプロセスなんだが、例えば単為生殖だと、何から何まで自分の遺伝子で作るから、子はいわば親のコピーなわけだ。もちろん個体の成長は育った環境にもよるところが大きいから、完全なコピーにはならない。しかし体質は同一だから、性質的に弱い部分を次世代に引き継いでしまう。そして病というのは、得てしてそう言う遺伝の弱い部分が狙い撃ちにされるんだ。それを打破するために、形質の変異が求められる。新しい性質を自らの血統に取り込むわけだ。具体的にどうするのかと言うと、他者の特殊な細胞を子宮に注入する。その特殊な細胞というのが、渡したちに流れている血液だ』










「ねえモロボシ! 嘘でしょ!? 冤罪なんでしょねえ! 嘘だって言ってよ! 嘘で良いからさ! 何で? ねえ何で? 何でモロボシががタマキ殺さなきゃならないの!? 全然意味わかんないよ!!」
 突然部屋に殴り込んできたツツジは、音もなく現れたヒノキによって締め出された。
 ふたたび、静けさが室内に帰ってくる。
 ニィは苦笑いして、モロボシを見つめた。モロボシはニィの瞳に映る自分の顔をぼんやり眺めた。
「……すまないね、キュウの失礼な姿を見せてしまって」
「……いえ」
「さて、質問を続けようか……喉乾いたかな?」
「いえ」
「そうか。それで……タマキを手にかけて、偶然通りかかったシミズにその現場を目撃された、と」
 モロボシは頷く。
「目撃したシミズを殺そうとは思わなかったのかな?」
「必要ない」
「もう一度確認するが、タマキを殺した理由は?」
「ない」
 ニィはモロボシの瞳の奥を覗き込んだ。ニィもきっと、モロボシの瞳に映る自分の表情を見つけたのだろう。やがて、やれやれといった体で溜息をつき、
「……しかし渡しも迂闊だったよ。モロボシの言うシコク地方には、街が一つもないなんてね。ちゃんと調べておくべきだった。いや、忙しかったことを言い訳にするつもりはないよ。ただ、キュウの友人ならと信用していたのさ。取りあえず街の属祖たちと会議して君の処遇を決める。君の出身も気になるところだし。それまでちょっと拘束させてもらおう。ヒノキ」
「はい」
「地下に」
 ヒノキはモロボシを縛っていた縄をほどき、モロボシを強制的に立たせる。両腕が後ろで縛られているので立ち辛い。ヒノキが椅子を後ろに引いてくれたので助かった。
「こちらです」
「ひとつだけ、質問したい」
「……何かな?」
 興味深そうにニィは尋ね返した。モロボシは言う。
「なぜ、血液を子宮に入れたら、駄目なのか」
 沈黙。やがてニィは、ふっと鼻で笑って、
「生殖の話か。なるほど、キュウから聞いたんだな。ふむ、そういうことに興味を抱く年頃か。そうだな……建前を言えば、血を混ぜることは非常に不衛生だ、新しい病を生み出してしまう可能性が高い、そう言って禁止している。本音は、そんなことをすれば、オリジナルがたくさん現れて困るからだ」
 オリジナルとは、祖科、つまり街の独自性の基盤となる種族、のことである。
「それは無論、権力の話に絡んでくる。誰が街を治めるのか、それはやはり皆の祖先だろう。そして、その祖先の直系の子孫こそが、為政者にふさわしい。つまり、オリジナルが無秩序に生み出されれば、権力を唱える人間が大量に現れ、平和を維持することが難しくなるというわけだ。……しかし、それよりも重要なことがある」
 例えば、街に病が襲いかかったとして、誰が生き延びなければならないのか。
 その役目を担うのが、渡したち祖科の一族だ。病に倒れなかった属と交わり、その性質を受け継ぎ、街全体を生き延びさせる。命を《渡す》のは皆の役目だが、命を《繋ぐ》のは、ツツジ科だけの特権だ。



 ニィはなぜ、自分に、誰にも語るべきではない本音を話したのだろうか。
 それは、自分がこの先何事もなかったかのように解放されることは、万に一つもないという証明でもある。
 身体を縄で縛られたままヒノキに先導されて、地下へ続く階段の前に立った。初めてツツジの家に来た時、足を踏み入れた場所である。階段を降りる。全身を闇にとっぷりと浸けさせると、カツン、カツンと足音が反響するのが聞こえた。空気がひんやりとしている。
 ……そして、ヒノキはあの厚い扉の前で立ち止まった。
「お待ちください」
 じゃら、と鍵の束を取り出して、一つ一つの錠前を外していく。そして最後の一つがカタン、と音を立てたとき、重厚な扉はゆっくりと開かれた。内部からは冷気を孕んだ暗闇が漏れ出す。
「どうぞ」
 ヒノキに背中を押されて中に入る。電灯のスイッチが押され、部屋の全貌が明かされる。
 監獄だった。
 真ん中を短い廊下が走っており、その左右に対面するように檻が三つ並んでいる。一番奥に、人の動く気配があった。さらにヒノキに背中を押され、一番手前の檻に入れられる。
 ガチャン、と重たげな錠が下りた。
「しばらくはここで。では」
 電灯が消され、重厚な扉が閉まって行く。
 ガチャリ。
 部屋は完全な闇に閉ざされた。
 モロボシは取りあえず手探りで壁を探し、そこに凭れてずるずると座り込んだ。暗い。何も見えない。空気は不吉なぐらい冷たい。肺が凍えそうだ、と思った。



「取引?」
 斜陽の差し込む教室で、タマキの死体を挟み、モロボシとシミズは対峙していた。
 シミズの表情は、逆光になってわからない。
「ええ、あなたが渡しの罪を被ってくれれば、渡しはタマキにお金を返す。どう?」
 まったく公平でない取引であることはモロボシにもわかった。
「たとえあなたが渡しを告発したところで、タマキの家の、病気の子は誰も助けてはくれないでしょう。でも渡しなら、あなたに恩義を胸に感じて、継続した投薬を約束するわ」
 今思えば、まったくもって信憑性はなかったし、シミズが口から出まかせを言っていることは明らかであった。
 しかし、モロボシは頷いた。



 ……どれだけ時間が流れたのだろう。
「おしっこのやつか」
 不意に声が聞こえた。あの時も聴こえた、幼くしわがれた声。それも遠くからではなく、すぐ近くから聞こえた。もしかすると音源は檻の中かもしれない。
 ぺた、とモロボシの頬に小さな手が触れた。形を確認するように、小さな指先が細かく動く。モロボシは尋ねた。
「誰」
「名乗る名前はとっくに捨てたわ」
「なら、何て呼べば良い?」
「……お前、渡しを知らぬのか」
 モロボシは頷く。すると、クスクスと笑う声が聞こえた。
「なるほど……そういうことか。お前、面白いな。まるで無垢な赤子のようだ」
 最近700年ぶりに目覚めたので、もしかするとそれに近いかもしれない。そう言おうとしたが、説明が面倒だったのでやめた。
「渡しを知らぬなら仕方あるまい。モロボシ」
「え?」
 なぜ、自分の名前を知っているのだろう――?
「良いかよく聞け。渡しの名はカツラ。齢は6。ツツジ科に滅ぼされた一族の生き残りだ」



       

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