Neetel Inside ニートノベル
表紙

ソル・ドル
第一部

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 一つの世界で誰が一番強いのかを決めるソウル・ドール・トーナメントの決勝を終えて二時間後、世界最強の座についた白崎雷士(しろさき・いかづち)は、光速転移センターの待合ベンチに座っていた。時刻は午前0時過ぎ。辺りには光の旅を終えた旅行者や、自分の人生を社会に捧げた星務員たちが行き交っている。
 西暦は、もう使われていない。
 人類は恒星間旅行を光の中に紛れることによって実現し、御伽噺のような数の銀河系統を植民地化していた。もう地球がどこにあるのか、そこに誰がいるのか誰も知らない。興味もないだろう。あらゆる社会基盤が時の試練に耐え切ったぶっちぎりの洗練さで覆い尽くされ、この世の悪はほとんど駆逐されていた。死ぬことはあっても老いることはない。犯罪に至る前にあらゆる衝動は政府によって有機的・無機的に解決される。人々は生まれてきたことを祝福され、またそうされた分だけ祝福し、ただ元々あったはずの名もわからなくなった他種族の星で生命を謳歌している。
 雷士は、そんな銀河で人々が熱狂するソウル・ドール・ファイトの選手だった。恒星間旅行を獲得した頃とほぼ同時期に人類の2%に発現したと言われる異能力――『ソウル』は、今では誰もが手にしている当たり前の力だ。自らの心のかたちを空間に投影させることのできる能力――人々はその力で、自分の心の形を理解することにようやっと成功したのだ。
 いま、雷士の手に握られている人形のように。
「…………」
 その人形は、黄金で出来ている。トロフィーとしてさっきもらったばかりの代物だ。そのかたちは子供が見たら恐れおののくだろう。首がなく、そこは平らで、腹に口がぽっかりと空いている。両手両足は人間と同じ本数だが、よじったような太い筋肉に覆われていて、暴力と破壊の気配を匂わせている。名前は、ハラギトと言う。自分のソウルに名前をつけるのは当たり前のことだが、雷士は面倒臭がってコンピュータにランダム設定でお任せした。そんないい加減なやり方で決まった名前が今では世界一なのだ。人の思いも大したことはない。
 ついさっきまで、雷士は手の中の人形と同じかたちをした精神を投影し、相手の精神と闘わせていた。ドームに集まった一億の人間――なにせリングは球形の空中都市で、偏執的なまでに多くの人間を収めることにかけては完成形――は熱狂していたが、雷士からすれば雑魚もいいところだった。シャケのエリート中のエリートが、サメと戦うようなものだ。どんな突然変異を起こして規格外の大きさになっても、戦闘用のサメに敵うはずがない。
 百億の人間が手にすることを欲した黄金を握り締めながらも、雷士の表情は晴れない。
 こんなものかと思う。
 これが世界か。だとしたら世界はなんとちっぽけなのだろう。ソウル・ファイターになってまだ一年も経っていない。あまりにあっけなさすぎて現実味が湧かない。
 苛立ちばかりが、募る。
「雷士!」
 雷士は顔を上げた。見ると、息を切らせた少女がこちらに駆け寄ってくるところだった。栗色の髪と小さな鼻。上気した頬と薄い唇。
 そういえば、自分には付き合っている恋人がいたんだな、と雷士は思う。確か名前は、猿渡時水(さわたり・ときみ)。
「よう」
「よう、じゃないよ」
 時水はヒザに手をついて、呼吸を整えた。
「急に会場からいなくなっちゃうんだもん。みんな心配してたんだよ?」
「ああ、そう」
「そうって……もう、どうしたの? 恥ずかしくなっちゃったの?」
 ある意味では、そうなのかもしれなかった。
 雷士は退屈そうに、手元の黄金を転がした。
「よく俺の居場所がわかったな」
「大変だったんだからね。雷士のお父さんのID借りて、国民管理センターに問い合わせて。迷子じゃないんだから、勝手にいなくなったりしちゃ駄目だよ。みんなせっかく、お祝いしようって集まってくれてたのに……」
 別にそんなこと頼んでいない。やりたければ勝手にやればいい。
 そう思ったが、口にしても無駄なので黙っていた。
 時水は、キョロキョロと周りをいぶかしげに見回す。
「ねえ、どうしてこんなところにいるの? 誰か、別世界からお友達でも来るの?」
「いや」
「じゃあ、どうして? ねえ、帰ろうよ。こんなところ縁起が悪いよ」
 時水がそう言うのも無理はない。恒星間転移は、その宣伝されているキャッチコピーの通り『一晩眠って、起きたらそこは別世界』の通り、十光年だろうが百光年だろうが転移している時の体感時間は変わらない。その代わりに、現実世界はしっかり時が経っている。たとえば五十光年離れている別の植民惑星に飛んで、着いたと同時に元いた星に戻っても、そこは百年後の故郷なのだ。例外はない。時は不可逆。それだけは人類がどれほど多くの銀河を血と脳漿で埋め尽くし制圧しても、変えられなかった夢なのだ。
 そして、あらゆる苦痛から解放されているこの時代の人間にとって、恒星間旅行などというロマンとか冒険とか、そういったフレーズがつく行為はほとんど愚行扱いされている。そんなことをせずとも、老いもせず、決められた寿命が来るまで平穏に暮らしていけるのに、なぜわざわざ知りもしない世界へ飛ばなければならないのか。しかもどの世界だって文明レベルはさほど変わらない。オリコンランキングが一位から百位まで知らないラインナップにしたいがために自分の思い出や家族、友人を捨てる馬鹿がどこにいる?
「時水、お前は帰れ」
「え……?」
 時水は、きょとんとしている。
「どういうこと? ねえ、雷士、何をしようとしているの?」
「お前には関係ない」
「関係なくないよ! わた、私たち……その……恋人じゃない! 付き合ってるんだよ!? どうして教えてくれないの……?」
「言っても無駄だからだ」
「無駄って……」
 時水は悲しそうに顔を伏せた。周囲を行く恒星間旅行者たちが、何事かと視線を向けてくる。
「そんなの教えてくれなきゃわからないじゃない……」
「わかるさ。じゃあ言ってやろうか? 俺はこれからこの世界を捨てて、22光年先の世界へいく。識別コードは23-4-52。通称『聖杯』。お前は俺についてこれない。ついてくる意味も、ついてくる勇気もない。だから言っても言わなくても一緒。わかったらとっとと帰れ。二度とそのツラ俺に見せるな」
 時水は、泣きそうな顔をした。
「泣いたりするなよ。なんで泣く? 恋人がいなくなって寂しいっていうなら俺以外にも男なんかいるだろ。いまどき、気に喰わない顔のやつなんて探す方が難しいだろうが。恋愛支援センターに行くのは別に恥ずかしいことじゃないって前から言ってるだろ。そこへ行けばいくらでも俺の代わりがいるよ」
「どうして……そんなこと言うの?」
「お前には言っても分からん」
「……家族はどうするの? お父さんは? お母さんは?」
 雷士は鼻で笑った。家族。家族? 遺伝子操作で1028通りのパターンしかない外見を持った、町を歩けば三人は似たツラと出くわす男と女を家族と思えって? それは無理な命令だ。仮にやつらが俺のソウル――俺のこの心を理解するか、あるいは破壊できる強さでもあれば別だが、あの二人は凡人だ。何もできやしない。そもそも親父とはセンスからして気が合わない。雷士? 雷(いかづち)に土(つち)を被せて潰し名にするのは何千年も前からある風習だが、雷士にとっては下らないシャレにしか思えない。その上、父親の悪筆で「土」ではなく「士」で登録されてしまった。名前の変更には三重の審査と社会不適応判定を突破する必要があり、雷士はそれを突破できなかった。いわく、「誤字もひとつの文化である」死ねばいいと思う。
「知ったことじゃない。別世界に行けば、もう戻ってきた時には親父もお袋も死んでる。関係ねえよ」
「関係なくないでしょ!? どうしてそういうこと言うの!?」
 俺もそれが知りたいんだ、とは雷士は言わない。ただ黙って、手の中の黄金を少女に押し付けた。
「え……これ……」
「やるよ。売ればいくらか資本になるぞ」
「そんな……大事なものじゃない……雷士が一年間がんばってきた……あかしなのに……」
 それこそ雷士を理解していないことを証明するセリフに他ならなかった。雷士は努力などこれまで一度もしたことがない。少なくとも誰かを倒すために個別の訓練などはしなかった。雷士はただ、自分のソウルをどうやれば上手く使えるのか考え続け、実行し続けただけだ。努力を疲労や時間で計測するならむしろ雷士などはサボっていた方に分類されるだろう。だから、雷士にとっては、世界王者のあかしなんてものは有形無形問わずに無意味。
 それが雷士の本音なのに、時水には、何千万年経っても理解できないだろう。
「雷士……」
「…………」
「いかないでよ……」
「いく」
「やめて……お願いだから……あたし雷士がいなくなったら……」
「自慢の種がなくなるか?」
「そうじゃない!」
 時水は涙を振りまいて叫んだ。
「そうじゃないよ……」
「さわるな」
 雷士は時水の胸を押して身体を離した。
「お前なんかに何が分かる? 自分のソウルも扱いきれないくせしてよ。いいか、誰もてめえに教えてくれねえってんなら俺が言ってやる。おまえは自分の弱さを俺の影に隠してなかったことにしてるだけなんだよ。俺の強さが、お前が努力しなくてもいい免罪符になってるんだ、お前の中でな」
 時水は、もうしゃくりあげることさえできない。両手の中から、ごとん、と黄金が落ちた。
 雷士はそれを見もしない。
「恥を知るがいいんだ。この世は所詮、自分でやることがすべてだ。お前も、あのドームに集まっていた客どもも、どいつもこいつも腰抜けの馬鹿だ。誰か一人でも俺に刃向かって来たか? まだ今日俺が叩きのめした雑魚の方がお前らよりはやっぱりいくらかマシなんだ。俺はこれ以上、この世界でやるべきことが見つからない。だからいく。それがそんなにおかしいか」
 時水は、何も言わなかった。顔を俯けて、去っていった。雷士は一顧だにせず、カウンターに向かう。
「口座から全額引き落としてくれていい。22光年先の『聖杯』に飛ばしてくれ」
 星間駅員は、ちらっと制帽の向こうから雷士を見た。
「人でなしだね、アンタ」
「そんな言葉がまだ残っていたのが驚きだよ」
 笑って、雷士は切符を買って、その空間の中央にそびえ立つ、光の柱の中に一歩踏み出す。柔らかな風に似た光に押し上げられ、重力が渦巻いて意味を成さなくなっているそのまた向こう――光を超えた旅路へと飛翔した。


     




 夢を見ていたような気もするが、取りとめがなく、上手く言葉にできそうもなかった。それにどうせ夢なんてものは、自分が見聞きしたものが分解されて再構築されただけのもの。それでソウルの一片でも掴めると思っているやつがいたらモグリか詐欺だ。
 だが、恒星間旅行というものは、こうまで長いものだったのだろうか。もう、三日近くまどろんでいる気がする。それとも雷士の精神がやはり人より反応速度のバケモノで、体感時間が他のやつらよりも長く長く感じられているのだろうか。アドレナリンが分泌されたアスリートたちのように?
 答えが出ぬまま、終わりが来た。身体の重みが戻ってきて、五感が回復していく。眩しさに嫌気が差さなくなった頃、雷士は目を開けた。
 珍しく、驚いた。
 一面が赤茶けた錆びで覆われていた。故郷の光速転移センターとまったく同じ規格の空間が広がっていたが、そこに堆く積もりに積もった塵芥の量は比べ物にならない。こんな状態に市民が立ち入るスペースが陥っていれば星務員たちが泡を食って飛んできて無害洗剤をだれかれ構わずぶちまけているはずだったが、そこには誰の姿もなかった。駅員さえいない。雷士は、まだ自分が夢の中にいるのではないかと少しだけ疑ってかかって、そろりそろりと歩いた。雷士の夢はリアリティに溢れているので、現実を認識するのにいつも手間取る。
 だが、どうやら現実らしかった。
 いったい何がどうしたというのか? ここは『聖杯』じゃないのか? どの世界でも入り口が同じでアナウンスもないのはかえって不便じゃなかろうかと思う。まさか、百年後の故郷ってオチじゃないだろうな?
 駅を出ても、誰もいなかった。元々あったエイリアンたちの住む大地の上に何千層も重ねて作られた積層都市は、人工陽光を切られて闇に沈んでいた。壁に備え付けられたパネルに手を触れ、軽くソウルを発してみる。と、人工陽光がわずかに回復しかけたが、また沈黙した。回路は死んでいない。動力の調子が悪いらしい。まさか人間発電機になってまで灯りが欲しいわけでもないから、雷士はそのまま暗闇を行くことにした。目にソウルを集めて、夜目を効かす。深緑色の暗視状態になった世界を見渡す。
 積もったホコリに、人の足跡がいくつもあった。ということは、人間はいるということだ。ひょっとすると靴を履いたエイリアンの可能性もあるが、その時は仕方ない。これまで何十億年と人類が繁栄のために犯してきた罪を、自分もまたソウルで以て犯すだけだ。
 暗闇の道を行く。昔、こうしてわざと陽光を切った通路を家族で歩くという祭典に参加したことを思い出す。あの頃はそうした幼生期の恐怖の形成というおべんちゃらに五歳ながら虫唾が走ったが、今、こうして原因不明の闇の中にいると図らずもワクワクしてくる自分がいた。俺もやっぱりまだガキなんだな、と雷士は思う。きっと死ぬ時までそうだろう。
 ふいに、人の気配がした。何かを言い争っている。言い争う? 素敵なシチュエーションだ。管理されきった文明社会では、論争などはほとんど起こらない。ただお互いに毒にも薬にもならない感想を言い合って、それを褒め合うだけだ。ということはここではコンピュータやマシンなどといった人類を補助してくれる存在は軒並みダウンしているのかもしれない。少なくともお掃除マシンは死に絶えているのが足元を見ればわかる。
「から――えは――ッ!!」
「ぃがす――え――」
 男の声。何かに苛立っているようだ。それに、かすかに悲鳴に似たものも聞こえる。自動ドアがひしゃげて閉まらなくなった部屋からだ。雷士は背中を壁に預けて、そっと中をうかがった。
「お願いします――その子に乱暴しないでください――お願いします――」
「うるせえ。お前ら『ブルー』に、俺らに命令する権利なんかないんだよ!」
「父さん、父さん!! いやっ、離して、離してぇっ!」
「オロクシー……ああ、誰か……誰か私の娘を助けて……」
 部屋の中では、軍服のような白い服を着た連中と、ボロキレ同然のズタ布を肩からかけただけの人間がもめあっていた。ズタ布の方は禿頭の中年男と、その娘らしき黒髪の少女。どちらも顔に藍色の刺青を彫ってあった。刺青。雷士は映画の中でしかそんなものを見たことはなかった。
 もちろん、雷士に二人を助けたいなどという気持ちは起こらなかった。所詮は他人事である。雷士が出て行って殺されても誰も何も償ってはくれない。だが、一つだけ、雷士が闘う理由があった。
 ソウルだ。
 通常、人間を超えた力であるソウルは管理局によって使用を制限されている。その方法は秘匿されているが、普段使われている電波に毒電波が混ぜられていて――雷士は毒電波という単語を見るたびになぜか笑ってしまう――ソウルを使おうとする人間の精神をジャミングしているのだという。真実はどうあれ、確かなことはソウル・ドール・ファイトのリングでしかソウル・ドールを投影できないということ。あるいは、入植時にエイリアン駆逐作戦に兵士として参加するか。ちなみに、後者の方が楽しい。エイリアンにはソウルに対抗する術がまったく無いからだ。自然、駆逐は虐殺と化す。
 そして、今。
 どうも、ジャミング電波を感じないのだ。
 つまり、ソウルを何の気兼ねもなく使ってしまえるのではないか、ということ――
「くそ、この女、大人しくしろっ!!」
 白服の一人が少女を突き飛ばした。そして片手を突き出す。その周囲の空間がよじれていき、そして、その歪みから怪物の姿が現れる。
 狼男の騎士、というべきだろうか。その男のソウルは。
 ぎっしりと硬質な毛先が生え揃い、そのけものくささを隠すように中世風の鎧をまとっている。鎧は安物らしく、あちこちに傷がついているが、その傷がどうも雷士には男の悪行の勲章のように思えてならない。
 狼騎士が、剣をきらりと抜き放って少女の顎先に添えた。
「ひっ……」
「大人しくすれば痛い目には合わせねえって。人類のためなんだ。犠牲になれ」
「いや……いや……」
「女なんかに拒否権があると思うな! おいビーツー。親父の方は殺してしまえ」
「ああ」
 ビーツーと呼ばれたもう一人の白服もソウルを出した。鎖鎌を持った裸のマネキンが現れる。
 少女の父親がしりもちをついて後ずさる。
「あ、あ、あ……」
「悪く思うなよ。ソウルを持たない男、それも下級人種のブルーとあっちゃ生かしておく意味がねえ。知ってるか? 最近は空気にも値段がついているんだ」
 やめて、と父親の唇が動いた瞬間、男はにやっと笑って、鎖鎌をおのが魂に振り下ろさせた。風を切って鎌が踊る。目を瞑る父親。泣き叫ぶ少女。こだまする笑い声――
 がきん、と。
 それらすべてを断ち切る音がした。
「なんだ……おまえは……?」
 鎖鎌を、首のない戦士が鉄の筋肉に覆われた腕で受け止めていた。
 ハラギトだ。暗がりから、雷士が姿を現す。
「こんにちは」
「…………」
 白服たちは退いて、突然の乱入者を睨む。
「貴様、所属は。制服はどうした」
「私は光速転移旅行者です。さっき到着したのですが、これはいったいどういうことでしょう。この星の認識コードと通称をお教えいただき、できれば人民管理センターまでつれて行って欲しいのですが」
 もちろん、雷士はそんなこと願ってはいない。
 男たちは眉根を寄せた。
「馬鹿を言うな。こんな辺境の世界に旅行者が来るわけがない。それに、光速転移はとっくにロストしたテクノロジーのはずだ」
「ほう。ということは私はこの世界に訪れる最後の異星人というわけですか」
「……おまえ、どこから来た?」
「名もない星」
「ふざけているのか……!!」
「真剣ですよ」
 油断していた方が悪い。
 ハラギトの鉄拳が、マネキンの腹を一瞬で貫いていた。
 白い硬質な精神の欠片が宙を舞って、ぱらぱらと落ちていく。
「がっはっ……うううう」
 白服の一人が泡を吹いてその場に倒れこんだ。白目を剥いて、痙攣している。投影した精神そのものがダメージを受けたのだ。しかもこの調子では本来かかっているはずのダメージ・セービングもされていないらしい。この男は二度と他人に触れられたいと思えなくなるかもな、と雷士は思った。
「貴様っ……! 我々に逆らうつもりか!」
「あなた方こそ私に所属を明かすべきです。私は自分の身を守るためにソウルを使用しました。正当防衛です。そう、これは正当防衛……ふっ、ふふ」
 笑ってしまう。ふざけているのがとうとうバレた。
「貴様は処刑だ! 覚悟しろ!」
「願ってもない。……殺してやるからかかってこいよ」
「死ねっ!!」
 狼騎士が剣を振り上げて襲い掛かってくる。ハラギトはバックステップでそれをかわした。雷士もすっと歩みを進めて戦闘区域から距離を取る。障壁(バリア)を周囲に張っているとはいえ、モロに余波を喰えば耐久しきれまい。
「やっ! ……てえいっ!」
 狼騎士がなかなか隙のない刺突を繰り出してくる。リーチではハラギトに不利だ。チャンスがあるとすれば攻撃の瞬間、その直後。まだ次のモーションへ入っていけない美味しいところを喰ってやろう。
 雷士は狙いを済ませた。
 狼騎士の突き、それをカウンター気味にかわして右の拳を相手の腹部に――
 外れた。
 読まれていた。狼騎士は身をダンサーのようにくるりと捻って体位を入れ替え、引き手までご丁寧に取り、上段カブト割りでハラギトの胴を直上から打った。
 打たれた箇所を引きちぎりたくなる激痛が走った。雷士はその場にヒザをつきかけ、プライドで持ちこたえた。だが、ハラギトはよろけてしまう。足元がおぼつかない。
 白服がにやりと笑った。
 とどめが来る。
 狼騎士が腰を落とし、剣を腰だめに構えた。そのまま差し出すような渾身の突きを繰り出してくるつもりだ。ハラギトはそれをかわせない。その足は、まだダメージに酔っている――
「もらった!!」
 男の叫びと共に突きが繰り出された。風を切って剣が進む。その切先がハラギトの腹部に……飲み込まれた。
 剣先がずぶりと沈む。
 が、それ以上は進まない。それどころか、剣を引くこともできない。
「なにっ……!?」
 ハラギトの腹の口が、がちんと剣を噛んでいた。今までは口を閉じていたので、そこに口があるなどとは思わなかったのだろう。
「残念だったな」
 雷士の笑いに男の顔が引きつる。
「おまえは所詮モブなのだ」
 ハラギトの手刀が容赦なく狼騎士の剣をへし折った。そのタイミングをなけなしのプライドもかなぐり捨てて男は狙っていた。ソウルを引っ込めて一目散に駆け出した。
 が。
 その敗走をさらに読んでいた雷士が足を引っ掛けて転ばせた。男の背中に雷士はドンと腰を下ろす。
「ふう……」
「たっ、助けてくれ。なんでも聞く。なんでも言うことを聞く。あの女が欲しいならやる。だから命だけは、命だけはぁ……!!」
 男の顔先に、ハラギトが自分の口を近づける。虎のような口に男の歯がガチガチ鳴った。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「それはこの世界での謝罪の言葉ですか?」
 雷士は不思議そうな顔で言う。
「私の文化にはない言葉です」
 ハラギトががちん、と口を閉じた。
 男は、小便を漏らしてとっくに気絶していた。本当に殺してもよかったがやめておいた。飛び散った血から妙な病気でも移されたらたまらない。
 地面を這うようにして、顔に刺青を入れた男が擦り寄ってきた。
「あ、ありがとうございます。あなたは命の恩人です」
「だろうな」
 一瞬、男は不安そうな顔をしたが、また笑顔を取り戻した。
「ぜ、ぜひお礼させてください。あなたは光速転移者なんでしょう? その様子ですと、どうやらお望みの星に来られたというわけではないようですし、聞きたいことがあればなんなりとお答えしますよ」
「それはありがたい」
 少しもありがたくなさそうに雷士は言う。
「でもそれじゃお礼は足りないな」
「え?」
「その子をくれ」
 雷士は、まだ震えて顔を覆っている少女を指差した。
 刺青の男の顔がいよいよ青ざめる。
 それを見て、雷士は笑った。
「冗談だよ」

     




「本当になんとお礼を言っていいか……」
「じゃあ俺が考えてやろう」
 雷士はガラクタに腰掛けてウゥンと頭上を見やった。が、首を振った。
「駄目だ。俺は人を褒め慣れていないから思いつかない」
「そ、そうですか……」
 男の顔は引きつっている。その背後で、オロクシーと呼ばれた少女が父親の背にしがみついている。その目はどこか雷士に冷たい。
「ええと、イカヅ……」
「イカヅチ」
「イカヅチ様でしたか」ささやかな会話の成功に男の顔がぱあっと明るくなる。
「確か光速転移旅行者と言っておられましたね? もともとはどこの惑星へ行くおつもりで?」
「『聖杯』だ」
「聖杯……」
 男は何度か口ずさんだが、要領を得なかったらしい。
「存じ上げませんな。もっとも光速転移が衰退したこの惑星では、この太陽系のいくつかの星の名前だけが文字通り繁栄の名残として伝わっているだけですが……」
「この星の名前は?」
「白蝋(はくろう)といいます。識別コードは98-9-NZ」
「NZ? ……知らんな。どうやら俺が『飛』んだ後に発見された世界らしい。元いた世界からどれだけ飛んだのか、見当もつかねえ」
「もともとはどれほどの年数を飛ぶおつもりだったので」
「22光年」
「……この太陽系の近辺に居住可能な世界は直近のいくつかを除けば300光年は何もないはずですが」
「じゃあ、それよりも向こう側から飛んできたってことだ」
「どうなされるおつもりで?」
 雷士は肩をすくめた。
「いきなり飛び込んできた世界で右と左の区別がつくと思うか? 職無し宿無しアテ無しだ」
「でしたら……」
 男は揉み手をしてにやにや笑った。そのために回りくどい手順を踏んだのだろう。
「ぜひとも、私どもの家へ招待して差し上げたいと思うのですが……」
「父さんっ!」
 悲鳴のような抗議の声を上げた娘をしっと父親は叱りつける。
「こら、オロク。おまえはまた人見知りの癖が出て……見知らぬ人を見たら人殺しと思えとは教えたが、彼は私たちを助けてくれたんだぞ?」
「でも……」
 またオロクシーは、雷士を妙な目で見る。
「イカヅチさんがお前に何か悪いことをしたか?」
「してない……けど……」
「なら黙っていなさい。ささ、イカヅチ様。あてのない旅路なれど、せめて見渡す限りの世界のことくらいは私どもで明るくして差し上げましょう」
「ああ、頼むよ。ところであんた、名前は?」
 男は赤ら顔をにこにこと緩めた。
「アヤマタ、といいます」
「いい名前だな」少しもそうは思わなかったので思わず褒め言葉が出た。が、雷士はそんな自分の奇妙さにも気づかずに、己の思考の中に埋没している。アヤマタ? それにオロクシー? どちらも聞いたこともない名前だ……ここがどこの文化圏に所属しているのかもわからない。もっとも黒言語(ブラック・ワード)が銀河統一言語として英語をベースに開発されてからはせいぜい先祖の文化を示し残すのは名前ぐらいしかないのだが。雷士の先祖はチョーシュー人だったらしい。どんな民族だったのかは知らない。
 アヤマタを先頭にして、三人は通路を歩き始めた。都市の規格はターミナル付近こそ似通っていたが、一つ二つ角を曲がるともう記憶とは異なり始めた。不気味に曲がりくねっていたり、角が多かったり、不必要な階段がそこかしこにある。
 戦闘用である。
 が、アヤマタは何も言わず、その横顔に血風の思い出の影がよぎることもなかったので、どうせ聞いても無駄だろう。ホコリの積み重なり具合からいって大規模な戦闘行動があったとしても数世代前だ。概要ぐらいならアヤマタも知っているかもしれないが、それなら後で聞けばいい。
 雷士は星民ジャケットのポッケに両手を突っ込んで、ほとんど観光客然としている。いきなり宇宙の闇の向こうへ飛ばされたにも関わらず、ここまで平静でいられる人類は闇と星の歴史をひっくり返してもこの男ぐらいのものだろう。
 その男の冷たい目が、オロクシーを捉えた。
 彼女の絹のような肌が、薄闇の中にぼうっと浮かんでいる。白人である。髪の毛は金色。目は祖先がしでかした遺伝子的悪戯の残滓をにおわすディープ・ヴァイオレット。父親の背中に隠れていたひ弱さから十四、五かと思ったがそれよりいくらか年上かもしれない。十六歳と七ヶ月、と雷士は誰とやるわけでもない賭けを心の中で呟いた。アヤマタが五十近い容貌をしていることから、耐老技術(アンチ・エイジング)はこの世界からは失われていることがわかる。つまり彼女の年齢は容貌相応ということだ。
 道中、一度だけオロクシーと目が合ったが、逸らされてしまった。つれない女だ。
「私たち……『ブルー』はこの先の旧倉庫地帯で暮らしています」
 アヤマタが、ペンライトの先を振っていった。
「居住区ではもう、冷暖房機構が機能していないのです」
「ははあ」雷士は訳知り顔で頷いた。
「なるほど倉庫なら冷暖房が壊れていても保温機構がちゃんとしてるってわけだ」
「その通りです。はははは、イカヅチさんはご聡明なようで」
 雷士は不思議そうな顔でアヤマタを見た。
「聡明って目下の人間に言う言葉じゃなかったっけ?」
「えっ」
 アヤマタと雷士は、暗闇の中でじっとりと見つめあった。アヤマタの瞳に恐怖の影が走るのを確かめてから、雷士は笑った。
「いや、きっと気のせいだな。なんでもない、悪かった。案内を続けてくれ」
「は、はは……そうですか……」
 アヤマタは苦笑いして先を行く。
 雷士は、オロクシーの方を見た。
「何か文句でもあるのか」
「いいえ……」
 全身から怒気を発しながら、オロクシーは唇を噛み目を伏せていた。父親が愚弄されたと思っているのだろうし、現に雷士はアヤマタに愚弄するほどの価値を見出していないが、外観的にはそうしたわけだ。
 雷士はオロクシーに肩を寄せた。耳元で囁く。
「ひとつだけ言っておくぞ。これからもその無言のクレームをやめるつもりがないなら、おまえはいつかあの連中の慰み物になるだろうな」
 オロクシーは鬱陶しそうにそっぽを向く。
「そんなこと……」
「わかるさ。この世には、人の話を黙って聞くやつは少ない。そして無言の話ともなれば、絶無と思っていた方がいい」
 オロクシーが何か言い返すヒマもなく、扉が開き、中から人の気配と喧騒があふれ出した。
「ささ、イカヅチ様。ここが我らブルーの集落のひとつ『サイコロネグラ』です。すぐに私の家へ案内しましょう。私はこれでも、ふふ、ここの町長でして」
「だろうと思った」
 雷士は勝手しったる我が家にでも入るように、サイコロネグラに足を踏み入れた。住民たちはみな雷士をいぶかしげに見やっている。住居はすべてコンテナだった。みな、顔に青い刺青を走らせている。
「こいつらから飛んでくる不審そうな目つきとまたもや無言の質問を吹っ飛ばすには、アヤマタ、あんたの話を黙って聞くしかなさそうだな」
「はは、そのようで……聡明聡明。あっ」
「いいよ気にしなくて」
 雷士たちは、一番奥にある16メートル立方のコンテナの中へと入っていった。

     




 コンテナの中は外壁こそ無骨な鋼鉄製だったが、内装は普通の一般家庭のものとさほど変わらなかった。台所があり、給水のパイプが行き交い、テーブルの上には枯れかけた花瓶が置かれている。アヤマタは雷士を手前の席に勧めた。雷士は目礼して座る。アヤマタは対面に、オロクシーは男二人からL字になる位置に腰を下ろした。
「さて……どこから話せばいいものか……まずはこの世界のことからでしょうか。さっきお話した通り、この惑星は白蝋。大した資源もございません、大気がほぼ居住可能というだけで植民されたけちな星でございます」
「だろうな」
「……この惑星の秩序がいつから崩壊したのか、私どもには伝わっておりません。知識階層はほとんどが向こう側……『サラブレッディアン』の方へ流れたようですから」
 雷士は眉を上げる。
「サラブレッド? さっきの連中のことか」
「サラブレッディアン。元々は惑星の管理局へ勤めていた一部の人間たちが、どういう経緯からか一般市民の弾圧を始めたのです。一説によればコンピュータが発狂したからだとも、惑星領事館が発狂したからだとも言われています」
「どっちにしろ発狂か」
「はい。彼らは私たちの祖先から技術や知識を奪い、安全な上層都市から追い出したのです……彼らの仕業によるものかどうかはわかりませんが、下層都市では都市の維持システムのバランスが崩れていました」
 雷士は腕組みをして、テーブルの木目を見つめた。ありえない話である。都市は完璧に設計されているからこそ都市なのだ。その平和が壊されることはない、誰かが故意にやらなければ。
「彼らは私たちを『ブルー』と呼び、顔に刺青を彫ることを強制しました。従わないものたちはソウル・ドールによって殺されました……私の父も、私の兄も、だいぶ昔に彼らの手で……ううっ……」
 アヤマタは心の傷に自ら触れて、涙を流した。オロクシーが立ち上がって、父の肩を撫でさする。雷士は不思議そうな目つきでそれを眺めていた。
「ちょっと待てよ。あんたらはソウルを使えないようにされているのか?」
「え?」
 アヤマタはわざわざハンカチで涙をぬぐって、目を瞬いた。
「そんなはずがないじゃありませんか。表に食糧精製タンクがあったのがわかりませんでしたか? あれの動力も我々のソウルでまかなわれています。でなければどうして我々が生きていけましょう? もはや人類に残された、そしてエントロピーを打破するたったひとつの動力こそがソウルであるというのに?」
 宇宙時代、核やそれ以外の原始的な発電機等は完全に衰退し、さきほど雷士が照明にやってみせたように人間の持つ異能『ソウル』がそれらのエネルギーを賄うものとなっている。10の力を得るために1の力しか使わないソウルの助けがなければ、完全な世界などというものは作れない。
「なら」
 雷士はテーブルの上に足を乗せた。どうせ雑巾で拭った跡もわからないボロ卓である。
「あんた方もソウルでもって戦えばいい。さっき俺がやってみせたように」
「はっ」
 アヤマタはまるで雷士が嘆かわしいことを口走ったかのように広い額を打った。
「なんてことを言うんですか。そんなことできるわけありませんよ」
「なぜ?」
「なぜって、決まっているじゃないですか。勝てないからです」
「なぜ?」
 アヤマタは時間が巻き戻るのを見たような顔をした。
「あの……サラブレッディアンは我々よりも優秀な遺伝子保有者たちですし、失われた科学技術によって健康な肉体と精神を維持しています」
「ソウルには関係ない」
「それは……いえ、関係しますよ」
 アヤマタは座りなおした。
「ソウルはその本人が有している人格の強度がモノを言います。信念や、情熱や、愛情、誇りのようなものです。彼らは毎日を文化的に暮らしていますし、お互いのことを信頼し合っています。それはもう強固な繋がりで、私たちは彼らが仲良く談笑しているのを見るととても我々をいたぶる圧制者とは思えないほどです」
「だから?」
「だから……我々のような劣ったものたちが、彼らに勝てるわけないじゃないですか……」
 そう言ってアヤマタはまた涙をハンカチで拭った。
 雷士の頬がひくひくと引きつっていた。
「なるほど。自分たちは腰抜けだからソウル・ファイトで勝てないと。あんたはそう言ってるわけだ」
「事実、そうなのだから仕方ありません。……若いのの中には彼らに反抗しようとして挑んだものもありましたが、みんな殺されました。愚かなことです。逆らわなければ殺されなかったかもしれないのに……」
「いや、それでいいんだ」
「え?」
「殺されなかったかもだと? 殺されなかったらどうだというんだ」
「どうって……」
「アヤマタ、表へ出ろ」
「えっ? あっ」
 雷士は十七歳の細腕で四十男の肩肉をちぎれるような強さで掴むとコンテナの外に放り出した。
「ああっ」
「父さんっ!」
 またもオロクシーが過保護な母親のように床にへたばった父親へ縋りつく。周囲のブルーたちは、遠巻きに様子を窺うだけだった。
 雷士がコンテナから出てくる。
 きっとオロクシーが彼を睨んだ。
「いきなり何をするんです! どうかしてるんじゃないの!?」
「どうかしているのはそっちの方だ」
 雷士はぺっと唾を吐いた。
「アヤマタ、お前は間違っている」
「え……?」
「圧制者へ挑んだ若いやつらの考えは正しい。たとえ死んだからどうだというんだ。見ろ、貴様ら、自分たちの情けないざまを!」
 雷士は手を広げて、薄暗く、狭苦しく、物質然とした温かみのない倉庫を指した。
「過去に何があったか知らないが、少なくとも、これが今の貴様らの生活の全貌だ。よく考えろ。本当に、守るべき価値があると思うのか? こんな場所に、こんな暮らしに。強者から逃げ回り、やつらの要望通りに従う人生。こそこそと這いずるその姿はムシケラそのものだ。俺ならこんな暮らしを死ぬまで続けるくらいなら闘って死ぬね。その方が潔い」
「生きながらえて、生まれる価値もあるでしょう!」
 アヤマタが渾身の力を込めて叫んだ思いも、雷士は切って捨てる。
「いや違うね。お前は本当にその言葉の意味を考えていない。その言葉を、ただこの場を潜り抜ける方便として使っているだけだ。本当の言葉じゃない。生きながらえて? いつかチャンスが来る? ただひとつの生き死にも、ただ一度のチャンスも作ろうとしないやつがよく言うぜ。いいか、待つことは死だ。それは格闘でもそうだし人生でもそうだ。なんでもそうだ。逃げることは負けで、負けはつまり死ぬことだ。お前たちは死なねばならない」
 雷士の演説に、にわかに、ブルーたちが色めき立つ。雷士には予想済みのことだった。弱虫ほど図星を指されると赤くなる。
「俺はこれでも故郷ではソウル・ファイトのチャンピオンだった」
 ブルーたちが失笑した。スポーツの王者に何が分かるというのか、ここで行われているのは待ったなしの地獄なのだ――表情でそう言っていた。だが表情では、雷士には届かない。
「俺はさっきサラブレッディアンを二人倒した」
 偶然だろう――気配がそう言う。調子に乗るのも不思議ではない偶然。
「だが、やつらが俺より弱かったとは思わない。やつらの牙は本物だったし、気を抜けば俺は殺されていただろう。それは仕方のないことだ。世の中に馬鹿は思っているよりも少ない。誰だって勝てる自信が無ければ喧嘩は吹っかけない。どれほどいきがっていてもだ。どれほど強気な男でもだ。勝算なく突っ込んでいける鬼印(キジルシ)はそう多くない。やつらは俺を殺せる力があったから俺と殺しあう気になった――だがそれはこっちだって同じことだ」
 雷士は、つかつかと食糧供給タンクに近寄った。やはりそこにもパネルがあり、そこにソウルを注ぎ込むとノズルから食糧が供給されるようになっている。ノズルの下には桶が置かれていた。まるで井戸のよう。
 そのパネルに雷士は手を置く。
「俺に言わせてもらえば死ぬ気になって鉄砲玉にもなれないやつはそうはいない。そういうやつは、最初から最後まで自分に嘘をつき続けたやつだ。そういうやつは何を与えられても上手く使えない――使おうとしない以上は。しかしなるほど、お前らの気分も分かる。絶望してるんだろう? もう嫌になってるんだろう? 勝てるわけがないと。だがどうだ、ほんの少しの希望でもあればいくらか気分も晴れるんじゃないか? それで死ぬ気になれるかどうかは知らないが――」
 雷士は、手持ちのソウルの五十分の一ほどを食糧供給タンクにぶち込んだ。
 ばぢっ、と青いスパークが走った。ブルーたちはその眩しさに目を覆ったが、雷士はそうしなかった。その目がノズルの先を見る。そこから、怒涛のごとく黄金色の食糧があふれ出した。それは一抱えもある桶をあっという間に満タンにした。雷士はそれを蹴っ飛ばして次の桶を足でセットした。それもまた満タンになる。
 呆然とするブルーたち――
 そのショーが終わった時にはもう、二十か三十かの桶が満タンになっていた。なにで?
 カレーで。
 普通は、食糧供給タンクに当番のソウル・ユーザーがソウルを注ぎ込んでも濃灰色の栄養食然としたゲルしか出てこない。だが、雷士のソウルが作り出したそれは、もはや幻のメニューといっても間違いではない、あのカレーだった。それも三十杯も。
 常人技ではない。栄養以上のものを精製するのはひどくソウルを喰うのだ。アヤマタがやれば一週間は寝込んで立ち上がれないだろう。それを、こんな、ただのガキがやってみせたのだ。平和な時代から飛んできた、のん気な光の旅人ごときが――
 その旅人が、パッとパネルから手を放した時にはもう、サイコロネグラのブルーたちはみな彼の一挙手一投足に目を奪われていた。雷士は笑う。
「確かにお前らは屑だ。死んだ方がいいよ。あんな風に偉そうにかさにかかって来るやつらを追い返せねえなら男は去勢するべきだし女は大人しく股を開くことにしてるも同然だ。いつかやってくる破滅が今日じゃないなんてことは幸せでもなんでもないんだ。なあ? お前らなんか一人残らず死ねばいいのさ。だから」
 雷士は言った。
「お前らの命を俺によこせば、使い物になるようにしてやろう」
 ブルーからの返事は無かった。
 だが、彼らのその胸の内までは沈黙していないことを、雷士のよく利く目玉は見抜いていた。とりあえず、光を超えて、一つの集落の思想を変えた。
 次は何を変えてやろうかと、雷士は考える。

     




 それでは現状を打破しよう、と雷士は小さなコンテナボックスの上に乗り、自分を見上げてくるブルーたちを睥睨した。
「では諸君、革命を始めよう。お前たちは今、何に『困って』いる?」
 サラブレッディアンたち、と誰かが言う。雷士はそいつを見やって、
「やつらはどうやってお前たちを困らせる?」
「見かけるたびにソウルで暴力を――それもスプラッターな暴力を――振るってきます。二週間に一度、やつらは僕たちのうち一人を連れ去っていきます。三度に一度は戻ってきません……連中は我々からソウルを搾取しているんです。あいつらにとって、僕たちは乾電池でしかないんだ!」
「その通り」
 雷士は当然というように頷いた。とても味方とは思えない――いやきっと、味方ではないのだろう。彼は誰の味方でもない。自分自身の味方でさえも、きっとない。
「ではまずその二週間に一度やってくるという災いを打破しよう。オロクシー、そのイベントはおまえがとっ捕まっていたこととは別なんだな?」
 オロクシーは伏し目がちに、ぼそぼそと呟いた。
「あれは偶然、出会ってしまったんです。資材を取りに行く途中で……」
「ふむ」
 雷士は頷いた。
「連中の人数は?」
「八人ほどが一度にやってきます」
「次の『搾取』はいつだ?」
「明日です」
「なら今日、連中を倒せば嫌な明日は来ないわけだな」
 オロクシーはちらっと雷士を見上げた。
「助けて……くれるんですか?」
「助ける? ……何か勘違いしているんじゃないのか。お前たちを助けるのは、お前たち自身だ。他の誰もお前たちに価値を見出さない、生きていて欲しいと願わない以上、おのれの生存を続行させるのは自分以外において他にない。……屑ども!」
 雷士は声を張り上げた。
「ソウルを使えるやつはこれから俺と一緒に来い。七、八人でいいぞ」
 誰も手を挙げない。
 雷士はコンテナボックスを下りた。俯くブルーたちを睥睨して、その中の一人の胸倉を掴み、パァンと頬を打った。
「ううっ……」
「黙っていれば済むとでも思っているのか? 俺が根負けして、仕方ない、お前たちは可哀想だから俺一人で闘おう、とでも言うとでも? お前らの中での予想だともう少し荒々しいかな? その人をナメた沈黙に俺が逆上して一人で撃って出る。帰ってくれば儲けもの、戻ってこなければ何事もなかったことにする」
 雷士は胸を押さえた。
「悲しいなあ! 俺もお前らにとっては『どうでもいい命』のひとつというわけだ? 助けてやったのに? メシだってくれてやったのに?」
「そ、そんな……どうでもいいだなんて思ってませんよ!」
「でも、手は挙げないんだろう」
 頬を打たれた男さえも黙った。
 雷士はそれをおかしそうに見る。
「そう、それがお前らだ。そこまで腰抜けでなければいつまでも奴隷でなんているものか。いいか、奴隷をやめたければ奇襲で先手を打ってぶち殺す。相手が準備できていない時に卑怯な手を使って確実に殺す。でなければ一生そのままだ。忘れるな、お前らは今、『生きている』とは呼べないことを」
 沈黙を破るものがあった。
 す……、と二、三の手が挙がる。それに釣られてまたいくつか。最終的には六人が雷士の元に集まった。みな、若い男だ。
「素晴らしい」雷士は六人の肩を叩いて回った。
「お前らは少しは生きている価値がある。ああ、見所があるとも。ソウルは出せるな? 出せなければ手は挙げまいし、出せなくても気にするな。今の気持ちを忘れるな。その一手を挙げたことこそ、ソウルファイトの奥義において他ならない。さあ行くか、勝てば明日からやつらが奴隷さ」
 雷士はそのままポケットに手を突っ込んでふらっと歩き出した。なんの装備も持たない。なんの準備もしない。まるで散歩に行くような風だった。そして呼び止めても彼が止まることなどないともうわかっていたので、六人は文句も言わず彼の後に従った。
 サイコロネグラを出る。
「場所は?」と雷士。
「ここから歩いて一時間ほどです。ホバーバイクでもあればすぐなんですが」と青い花の刺青をした男が言った。雷士は手をひらひら振って、
「気にするな。歩くのもそう悪くない。今の内に覚悟を決めておけ。何人か死ぬかもしれん」
 重苦しい沈黙が立ち込める。
「死んでもいいのさ。あの倉庫で震えてる連中よりはいくらかマシだ。……まったくなぜ理解しないのだろうな? 俺が八人募集したからといって、だからなんだというんだ。『全員でかかればもっと有利なのがわからないのか』な? どうせ無駄だと思ったから言わなかったが、どうしてまァああも頭数だけ揃っているのに一斉攻撃を考えないのかね」
 懐中時計の刺青をした男が言う。
「やつらは最初に刃向かったものを神経地獄に繋ぐと脅すんです」
 神経地獄とは脳を摘出して永遠の苦痛のみを入力する培養槽へと封印されることを指す。おおよそ宇宙科学の生み出した悪夢と言って差し支えない。神経地獄へ繋がれることに比べれば死などほんの一瞬のことでしかない。
 が、雷士は取り合わない。眉ひとつ動かさない。
「神経地獄ね。それがそんなに恐ろしいか」
「恐ろしくない人間などいません」
「俺がいるぜ」
「あなたは理解していないんじゃないですか? それとも思考放棄しているか」
 雷士は時計の刺青をした男を見た。
「おまえ、なかなか骨のあるやつだな。この俺に口答えするとは」
 時計は脂汗をかいていたが、弁明も言い訳もせずに雷士をじっと見返した。
「よし、じゃあ俺の考えてやろう。いいか? 確かにお前の言うとおり神経地獄に接続されたら半永久的な苦痛に苛まれる。だが、こうも考えられる。半永久的に自我というものは存続できるのだろうか? 苦痛を与えられていくうちに、きっと脳の中にある心とかいうものは、壊れてしまうんじゃないのか?」
 ブルーたちは黙っている。
 雷士は通路の奥の闇を見つめながら続けた。
「心が壊れて、ただ苦痛のみを再生する脳世界。それを受けているのは確かに自分の脳なのだろう。だが、その中にはもう『自分』はいないのだ。ただ入出力の再生機としての脳が残るばかり……『魂』はそこにはない」
「……烈しく乱れる脳波のグラフを見てもそれが言えますか? イカヅチさん」
「言える」
 まるで教師に自分のイタズラを白状できるかと聞かれた子供のように雷士はそう答えた。
「たとえ音声出力されていてもそう思う。苦しい、辛い、俺が悪かった。地獄の中で延々と、仮にこの俺が繰り返したとしても、それはもう俺じゃない。少なくとも今の俺はその俺を俺とは認めない。どこかの別の誰かだ。俺じゃない。なら、神経地獄に繋がれようと知ったことじゃない。俺は、俺にできることをできなくなった時が、死ぬことなんだ」
 雷士はブルーたちを見やった。
「お前らもそう思えば、ソウルを上手く使えるんだが……どう見ても無理そうだな」
「俺はやれますよ」
「そう願いたいね」
 雷士はぴっとブルーたちの一人、その顔を指で示した。
「お前らの名前を聞いておこう、かと思ったが、どうせ覚えていられないからあだ名をつけるぜ。フラワー、クロック、フィッシュ、ウイング、シザース、アーチ。それでいいな?」
 すべて刺青の柄を言葉にしただけである。が、それ以外でこの型破りな男が自分たちごときの名前を覚えるとは思えなかったので、ブルーたちはその屈辱を甘んじて受けた。刺青のことを言われるのはブルーたちにとって最大の恥辱なのである。
「なに怯えてるんだ?」
 雷士はフラワーの肩を叩いた。
「遠足だと思えばいいんだよ。怖がるな? 怖がる暇もなく敵を倒せ。気づいた時には勝負を終えていろ。そうでなければ反撃される。反撃されたくなければ、闘いたくないと真に思うなら、徹底的に先手必勝の構えを崩すな。反撃されても、そのことに、自分で『気づくな』……それがアドバイスだ、俺からお前らにくれてやれるたったひとつの助言(アドバイス)」
 いつの間にか、一時間ほども経っていたらしい。
 七人の前に、青白い光が迫ってきた。足元をなめるその光は、閉じたドアの隙間から漏れてきていた。中からは、誰かが楽しげに笑い合う声とバリバリと何かを租借する音、そして絶えず液体が注がれている気配がした。
「宴もたけなわ」
 雷士はうれしそうに言う。その目が闇を吸って鈍く輝く。
「生も死も、たけなわ」
 ブルーたちに合図さえせずに、雷士は己の分身(ソウル)であるハラギトを召喚して、ドアを情け容赦なく蹴り破らせた。
 光が溢れる。騒音が満ちる。
 戦争の時間だった。

     



 室内はちょっとしたパーティの最中だったらしい。十二、三人の白服を着たサラブレッディアンたちがそこにたむろしていた。壁際にかかっている「お誕生日おめでとうバッシクルくん」の飾り文字から雷士はおおよその事態を把握した。そして、いの一番に自慢のハラギトを、ソファの中央に座ってロウソクの火を吹き消そうとしている白服に向って突っ込ませた。鼻めがねをかけているその男は悲鳴を上げる間もなかった。
 めきり、と骨の砕ける音。
 とっさに自分のソウルでガードしたようだったがそんなことはお構いなしの一撃だった。ハラギトの左フックは男のソウルを貫いて腕の骨を完全にへし折って壁際に吹っ飛ばした。
 まずは一人。
 白服たちが次々にソウルを出す。が、それよりも数コンマ早くブルーたちが攻撃をしかけていた。見るに耐えない細々として頼りないソウルばかりだったが、それでもまたその波状攻撃で二人を沈黙、もう二人に手傷を負わせた。だが、いいことばかりではなかった。攻撃に参加しなかったブルーがいたのだ。彼らはソウルを出すには出したが、先手を霧消させて白服とじりじりにらみ合っていた。攻撃できたはずである。だが、彼らはそうしなかった。シザースとウイングと呼ばれているブルーたちだった。
 先手で突っ込めないやつが、相手の進撃に応対できるわけがない。
 白服が吼えた。
「だらああああああっ!!」
 ピンク色をしたピエロのソウルが、シザースのソウルを貫き、本体の腹にまで穴を開けた。シザースはだらり、と舌を口から溢れさせ、自分の傷口をつまらない冗談のように見下ろして、意識を失った。
 死んだ。
 ウイングもほぼ同様にして、斧を持ったネズミ兵に首をはねられてその場に倒れこんだ。鮮血の絨毯がこぽこぽと床に広がり、それは雷士の靴にまで伝わった。
 雷士は渋面を作って、ハラギトに胸の中に起こった不快感を注ぎ込んだ。ネズミ兵の斧を腕から生えているかぎ状の突起で受け止め、さばいたハラギトはその体さばきを利用してそのまま腹部の口でネズミ兵の首を噛み切った。白服の一人が痙攣を起こして倒れ伏した。
「馬鹿が」
 雷士は死んだシザースとウイングを見やっている。
「攻めろと言ったろう」
 背後から奇襲を狙っていたクワガタ兵をハラギトの裏拳で黙らせる。
「イカヅチさん!! か、加勢してください」
「いまいく」
 雷士はトイレにでもいくかのように気軽に、三人の白服とそのソウルに囲まれていたフラワーを救援した。ハラギトを胴体から突っ込ませ、フラワーのツタとミイラ男を融合させたようなソウルごと敵兵をなぎ倒した。
「ぐあっ……な、何をするんですか。俺にまで攻撃するなんて……」
「お前は覚悟ができていたろう。白服どもはまさか俺が味方ごとやるとは思ってなかった。だからダメージは二、三倍通ったはずだ」
「そ、そんな無茶苦茶な……」
「無茶を通してこその戦争だ。……おい、どけ!」
 転がっているフラワーのソウルを足で蹴りのけ、野獣のような笑みを浮かべながら、雷士は一人の白服の前に立った。
「あんたがボスか?」
「…………」
 大柄で浅黒く、紫色の瞳をした男は仁王立ちになったまま、ソウルを出そうとしない。それは戦闘準備ができていないわけでも、ましてや恐怖に怯んでいるわけでもない。いつでも出せるから出さないのだ。つまりかえってこの無防備なスタイルこそが、男の実力の証書代わりになっているということだ。
 雷士はくつくつと笑った。
「ソウルを出せよ。それとも降伏するか? 命乞いするなら許してやるぜ、やりたくなくても手元が狂えば殺しちゃうかもしれないからな」
「おまえ、何者だ」
 男は雷士の眼光からその素性を探ろうとしているかのように、目を細めた。
「刺青はどうした?」
「さあ、俺はブルーじゃないんでね」
「ターミナルそばで二人殺したのもお前の仕業か」
「ああ、死んだのか。お気の毒だな」
「わかっているのか……?」
 サラブレッディアンは拳を強く握り締め、歯を気炎で消し飛ばしかねないような勢いで怒鳴った。
「貴様は我々優越種を殺してしまったのだぞ! 人類に対する冒涜だ……選ばれてこの世に生を受けたものから、受けてしかるべき当然の権利を剥奪し、その生涯を終わらせるなど……」
 雷士は肩をすくめた。
「これまたコテコテの選民思想だな。お仲間には優しいってのがいつの時代でもお前ら人間気取りの特徴だ。見ていて虫唾が走るぜ。優越種? 俺に負ける程度のだろ」
「ブルーではないなら裁判を受ける資格がある。黙秘権も」
「裁きを受けるヒマもなければ、だんまり決め込むかしないかはあんたに認めてもらわなくても俺が勝手にするこった」
 雷士は片手を突き出して、ハラギトに左の鉄拳を繰り出させた。大振りなその一撃を男はかわして、床を転がった。その目にチカリと光が灯る。
 ソウルを出した。
 ブルーたちがどよめく。
「で、でかい……」
「なんていう大きなソウルなんだ……」
「こんなの見たことがねえよ……!」
 雷士は爛々と目を輝かせて、そのソウルを見上げた。
「……へえ」
 それは、ヒルに似ている。
 茶褐色の胴体は樹齢数千年の老木よりも太い。手足はなく、申し訳程度に産毛が生えている。目もなければ鼻もない。ただ口が先端にあり、そこからは胴体、そして尻すぼみに消えていく尾。それだけ。
 それが、部屋の半分以上を占拠していた。
 男の姿はない。ソウルのうしろに隠れたのだろう。本体を叩かれればソウルも消える。滑稽な一手だがソウル越しに本体を攻撃する手段が見当たらない以上は鉄壁の守りだ。
 ブルーたちは、逃げる算段を始めた。死んだ二人を担いで、雷士の背中に怒鳴る。
「何してるんですか!? 勝てっこないですよ、そいつきっと管理官クラスだ、下手に逆らえば他の地区からも掃討部隊を召集する権利がある……」
「黙ってろ」
 雷士はボキボキと拳を鳴らした。馬鹿にしたような笑みが張り付いているが、それがまさにシールのように動かないものだから、かえって不気味だ。
「こんなサイズのソウルは俺も初めてだ。どうしてやろうかな」
『逃げるなら今の内だぞ』
 ヒルの化け物が臭い息と共に言った。雷士の前髪がぶわっとめくれあがり、その息吹の悪臭に薄ら笑いも消し飛んだ。
「くせえぞ、てめえ。いったい何を考えて生きていたらこんなに醜い心ができるんだ」
『醜くても、勝てばいいのさ』
「同感だけどよ」
 雷士はふっと息を吐く。
「いくぜ」
 ハラギトを突っ込ませる。同時に雷士は霍乱のために反対方向へ。気絶した白服のガン・ベルトからソウルメーカーをスリとって走りぬけたのが目立たないファインプレー。ソウルメーカーはソウルドールに割いている以外のソウルを充填して精神の弾丸を撃ち出す銃器だ。雷士の世界でも高級官僚しか所有できない一種の権力シンボルだったが、まさか実戦で使うことになるとは。
 ソウルメーカーを連続して三発ぶっ放し、正反対の方向からハラギトのハンマーじみた右フックがヒルのボディを叩いた。ブルーたちの眩んだ目には一秒以下の出来事にしか見えなかったが、正確には二・八秒かかっていた。
 だが、そんな雷士の早業も、
『ククッ』
 ソウル・ヒルには通じなかった。フックブローは柔軟性に富んだ巨体に吸い込まれて雲散霧消し、ソウルメーカーの弾丸(ブリット)はシャボン玉のように産毛に弾かれて割れた。
 たらり、と雷士の頬を汗が伝う。
 だが弱音は吐かない。何も見なかったかのように懲りずに愚かに銃を連射しハラギトにはショートパンチのラッシュを命じた。相手に弱みを見せたら負けだ。雷士はそれを腹の底から理解していた。
 愚かしくも攻撃、愚かしくも攻撃、愚かしくも、
 攻撃――――!!!!
『無駄だ。俺にはそんな攻撃は通用せん』
 無視した。だが、ヒルが身を捻って尾を振り、ハラギトを部屋の反対側まで吹っ飛ばされてまで沈黙は保てなかった。雷士はよろけて、その場に跪いた。
 顔色が真っ青になっている。
「うう……」
『フフフ、苦しそうだな? 魂を直に打たれたのだから当然か……』
 雷士は相手にしなかった。背後を振り返って叫ぶ。
「ブルーども! 俺に加勢しろ!」
 ブルーたちは、凍りついたように動かない。それを見た雷士のこめかみに青筋が浮かんだ。
「てめえら何ブルってんだ! 状況わかってんのか!? いま逃げ出したってどうにもならねえんだ、ここでこいつを殺せばすべてが変わるんだぞ!!」
 だが、ブルーたちは一歩しりぞいた。お手伝いを命じられてイヤイヤをする子供のように。
「ふざけるなよ……」
 血のような声を吐き出す雷士。
「てめえら、その肩の上で動かない二人に申し訳ねえとは思わねえのか。わかってるのか、そいつらは死んでるんだぞ!! 仇を取らずに済むのか、ああ!?」
 笑い話だ。
 フラワーが逃げ出した。それを追うように残りのブルーたちも逃げ出した。悲鳴もあげなかった。シザースもウイングも置き去りにされた。
 それが、弱者の出した答えだった。
 雷士は、呆然としている。
 悲しいとか、空しいとか、そんな気持ちはなかった。ただ、驚いていた。
 ああ、弱さとは、ここまで醜いものなのか――。
 そう、つくづく再認識させられた。
『おやおや。頼みの手下もみんな逃げ出してしまったようだね』
「あいつらは手下なんかじゃない。いま、違うものになった」
 雷士は震えている膝に喝を入れて、すっくと立ち直った。
「おまえを殺したら、次はやつらを殺しにいく」
『……おまえ、用心棒じゃないのか? 雇い主を殺したらまずいんじゃないのか?』
「そっちに寝返りたいほどやつらのことは嫌いになった」
 ヒルが笑う。
『寝返る? なるほど、いい考えだな。お前からしたら当然の要望かもしれん。だが駄目だ。お前はもう優越種を殺してしまっている。仮におまえがそうでも同族殺しは死刑だ』
「死刑ね。どっちが死ぬのか決めようぜ」
『訂正しよう。おまえは優越種ではない。この状況で命乞いすらしないとは……思考回路が阿呆すぎる』
 ハラギトが構える。ヒルがその口をすぼめる。
 一瞬、青写真のように景色が止まった。
 それを壊したのは、ハラギト。
 一瞬のダッシュで加速し、粉々になったバースデーケーキの残骸を踏み抜いて跳躍。そのまま右の拳をヒルの上顎に叩き込もうとした。ジャンピング・アッパーだ。
 ヒルの顎にハラギトの赤銅色の拳が突き刺さる――
 その瞬間、あっけなく、
 ばくり、と。
 ハラギトはヒルに飲み込まれた。
 なんの回避運動もできない速さだった。それまでのヒルの動きからは想定していないほどのこじんまりとした動き――だが必殺の動きだった。いままでは、わざとぬるぬると動いてこちらの目をだましていたのだ。
 雷士の目が見開かれる。
 浅黒い肌の男が、ヒルの頭頂部に姿を現した。
「残念だったな。お前の負けだ。屑どもに加担した自分の馬鹿さ加減を恨むんだな」
「そうだな――」
 雷士は素直に頷いた。
「やっぱり予定に変更はない。
 おまえを殺して、やつらも殺す」
「最後のハッタリか……気持ちはわかるがな。それでも、もうお前の木偶人形は俺のソウルの中で消化されていくのを待つだけ……」
 と、そこまで男が言った時だった。
 その顔に、はっきりと苦悶の色が走った。
「がっ……!?」
 男はその場に膝をつき、頭をヒルの表面へとこすりつけ、震えた。
「な、んだ……この痛……み……は……!?」
 男の苦悶に応じて、ヒルも身もだえして暴れ始めた。尾がパーティ会場にかすかに残っていた内装を壊し尽くす。
 男がヒルの上から転がり落ちた。
 その頭を、靴の裏で踏みしめて雷士は笑う。
「形勢逆転だな」 
「くっ……うっ……!!」
「俺も焦ってるんだぜ」
 見れば雷士も顔中に脂汗を浮かばせていた。
「お前の中を俺のソウルの『口』が食い破ろうとしているわけだが……その前にお前に消化されてしまう可能性も、まだある……」
 靴底に力を込めて、
「だが俺は勝つ。我慢比べだ。どっちが死ぬのか……楽しいな? ええ?」
 受けている苦痛は、恐らく同じだ。
 それなのに、一方が踏みにじり、一方が屈している。
 それが精神の差だったのかもしれない。
 ぶちり、と。
 嫌な音がして、怒涛のごとくあふれ出した鮮血の中を雷士のハラギトが飛び出してきた。その背後には醜い裂け目が生まれたヒルの胴体がのたうっている。
 が、それが嘘のように消えた。
 雷士は靴を男からどけた。もう乗せておく意味がないからだ。
 ハラギトを引っ込めて、その場にしゃがみこんだ。全身にひりひりとした疼痛が残っていた。かなりのダメージを喰ったらしく、寒気がする。精神崩壊ギリギリのところまで追い込まされた。
 初めてだったかもしれない。
 白崎雷士がここまで追い詰められたのは――
 幻の苦痛に震える身体を抱きしめて、雷士は笑う。
「は、は、は――」
 静かなパーティ会場に、一人、雷士の引きつるような声だけがこだまする。誰も聞かない、誰も知らない、おそろしいその光景は、たっぷり十分間は、続いた。
 寂しい十分間だった。

     






 雷士は意識を失ったサラブレッディアンたちを踏みつけながら部屋を出た。まださっきの戦闘のダメージが抜け切っていない。ソウルの使いすぎで視界が滲んでいたが、アタマを振ってそれを払う。
 戦闘は確かに終わった。だがブルーどもが雷士を置いて逃げ出したことに変わりはない。恩を仇で返されて黙っていては相手を付け上がらせるだけだ。分からせてやらねばならない。
 雷士はよろけながら、元来た道を辿った。だが、ブルーたちに先導を任せていたために正しい道順がわからなかった。途中途中にある食糧供給タンクで胃袋は満タンにしておけたが、寒さばかりはどうにもならなかった。故郷では空調設備のおかげで防寒対策などしなくてもよかった。雷士が着ている星民服は薄手で、風通りがよかった。
 腕をさすりさすり、帰り道を探した。
 結局、サイコロネグラへ帰りついたのは翌日の明け方だった。雷士はネグラの入り口の前に立ち、ゲートパネルにありったけのソウルをぶちこんでぶっ壊した。かすかに放電しながら開いていく倉庫へ足を踏み入れる。
 人気はなかった。一人、サッカーボールを持った子供が、雷士をぽかんとした顔で見上げていた。雷士はその子供のアタマをクシャクシャかき回しながら聞いた。
「大人はどこだ?」
「まだ寝てる」
「そりゃいいや、平和で。……お前らは普段、どんな生活をしているんだ?」
「ソウルを代わりばんこで補充してる……あとは、壊れてる機械を直したり。だいたい仕事を持ってくるのはサラブレッディアンたちだけど……」
「そうか。よく答えてくれたな。おまえは賢い大人になる。もういけ。こんな朝っぱらから一人で遊んだりするな。寝てろ。寝ていられるうちにな」
 雷士は子供の背中をポンと叩いた。子供は何度も振り返り振り返りしながら、小さなコンテナのひとつに入っていった。雷士はもうそちらを見ていなかった。アヤマタのコンテナの前に立ち、例によって規格外のソウルを平然とぶっ放し、扉を開けた。
 ぬっとその中に入ると、ブルーたちがわんさか集まっていた。アヤマタも、オロクシーも、逃げ出したブルーも。
「ひっ」
「よう、久しぶりだな。いやいや、ひどい目に遭ったよ」
 雷士は断りもせずに、テーブルに乗った誰かの茶碗を持ち上げて、中の水をごくりと飲んだ。
「ここは冷える世界だな。ソウルなんかいくらあったって熱にはならねえんだからどうにもならねえ。危うく凍死するところだ。なあ? 俺が帰り道わかったと思うか?」
 俯いて座っていたフラワーの頭を壊れたテレビにでもそうするように雷士はパァンと叩いた。フラワーの癖ッ毛が左から右へそのまま流れた。そのあまりの傍若無人さに何人か立ち上がりかけたが、雷士の目を見るとまた元通り椅子に座った。
「いいもの食べてるな」
 テーブルの上に乗った、昨日雷士が作ったカレーの残りを、雷士は指でそのまますくってなめた。
「ああ、美味い。美味いなあ」
「イ、イカヅチさん、お詫びなら致します」
 アヤマタの消え入りそうな声に雷士はつかつかと近寄って、キスでもしそうな距離に頬を寄せた。
「お詫びって?」
「その……イカヅチさんさえよければ……う、うちの娘を差し上げます」
「父さんっ!?」
「黙れオロクシー! どの道いずれ女は嫁ぐんだ、強い夫を持てばお前も幸せだろう!!」
「そんな……」
 糸が切れたようにオロクシーが脱力した。それを見もせずにアヤマタが揉み手する。
「どうでしょう。これでもうちの集落では器量よしの方で……もちろん気に喰わなければいいのです、ええそれはつまり……後々になって気に喰わなくなっても、という意味ですが」
「へえ。やり逃げオッケーってこと?」
 アヤマタはニヤニヤ笑いを浮かべているだけだ。雷士もそっくりそのまま同じ笑みを浮かべた。
「そりゃあいいや」
「でしょう、でしょう」
「おまえ、こいつの父親だろう」
「ははは……べつに私になど気を遣わなくても結構でして……これからもサイコロネグラをイカヅチさんが守ってくだされば……」
 雷士はアヤマタの胸倉をいきなり掴んだ。
 アヤマタは、殴られる瞬間まで笑っていた。
 家具が横倒しになり、宴会用のカレーが床にぶちまけられた。
「イカヅチさん、町長に何を!」
「黙ってろフラワー。娘を差し出すだと? よくもまァそんな口が叩けたもんだな。こいつはオマエのものか? オマエが産んだってか? へぇそりゃあいい股ぐらに穴が開いてるかどうか確かめてやる」
 アヤマタのベルトに手を伸ばした雷士をさすがにブルーたちが三人がかりで止めた。
「イカヅチさん、イカヅチさん!! もうやめてください! 謝りますから、謝りますから!!」
「誠意のこもってねえ謝罪なんぞいるか」
「じゃあどうすればいいんですか!!」
「それが俺にもわからねえからこうなってるんだ」
 雷士の裏拳がフラワーの鼻っ柱を叩き潰して、壁まで彼の身体を吹っ飛ばした。ずるずると崩れ落ちるフラワーに仲間たちが駆け寄る。その一人が言う。
「あんた、悪魔だ……」
 雷士はすりむけた拳にぺっぺとツバを吐きつけて、膝立ちになったブルーたちを睨んだ。
「どっちが悪魔だ。都合のいいときだけヨイショしやがって。肝心な時は俺に一声もなく逃げ出したくせによ。謝ればいいのか? じゃあ俺も謝るよ。悪かった、ごめんなさいね、ほらこれでチャラだ。また昨日みたいにヨイショしてみろアーチ」
「くっ……」
「許して欲しいか? 許してやるよ。どの道、俺がここでてめえらを皆殺しにしようとも、何もせずに立ち去っても同じことだ。お前らわかってんのか? 俺たちは昨日、敵をボコボコに伸したんだぞ? どう考えても逆襲しに来るに決まってんだろ。あと二、三日もしないうちにここは火の海さ。俺に出て行ってほしそうな顔してたよなフィッシュ。ホントに出て行ってやろうか?」
 みな、黙り込んだ。
 アヤマタが、呻きながらも立ち上がり、雷士の手をとろうとした。雷士はそれを振り払った。
「さわるな」
「助けてください……」
「俺は助けようとした」雷士はまっすぐ前を見ていた。
「ただし、お前ら自身の命を使えとは言ったが」
「助けてください……」
「無理だアヤマタ。お前らの考えは甘すぎる。自分の命も使わずに助かろうなんていうのは、無理だよ」
「助けてください……」
「俺が助けても、お前たちには生きていく強さがない。いずれ死ぬ。同じことだ」
 雷士は背中を見せた。刺されるにせよ襲われるにせよ、雷士なら相手の指が動いた段階でそいつを殺せる。
「俺はいく。お前らには付き合いきれん。てめえの面倒はてめえで見ろ。自分で自分のケツもふけねえなら死んじまえ。その両腕はなんのためについているんだ」
 雷士は一歩踏み出した。本当に立ち去る気だった。この男は性格破綻者だったが、己の言葉に嘘をつくことだけはしなかった。だが、そんな剛毅というべきか狂気というべきか、荒くれだった心の持ち主も次の展開には度肝を抜かれた。
 最初は、誰かが襲い掛かってくるのだと思った。怒鳴り声をあげて、突っ込んできたのだと。
 違った。
 アヤマタを先頭に、ブルーたちが悲鳴を上げて走っていった。男たちはそれぞれ自分のコンテナに飛んで入ると女房子供を引っ担いでまた出てきて、先頭をただ一人突っ走るアヤマタの後を追っていった。みんな狂乱の叫びをあげていた。まるっきりパニックを起こしていた。
 一歩踏み出した姿勢のまま、雷士は取り残された。
 ふ、と笑う。
 蜘蛛の子散らす、とはまさにこのことだ。助かる見込みがないとわかれば今度は家も誇りもかなぐり捨てての遁走劇。確かにここは住みよい場所ではなかったかもしれないが、それでも多少は愛着が湧いたっていいものだろう。
 それもなし、か。
 つくづく生きていればいいという考え方。雷士は冷たい天井を仰いだ。
「それで、なんでお前はいかなかったんだ?」
 首だけで、振り返る。
 そこには、ぺたんと床に座り込んだままのオロクシーがいた。俯いて、自分の手を品定めするかのようにこねくり回している。
「なぜ、と聞かれても――私にもわかりません」
「お前のオヤジはいっちまったぜ」
「そうですね」
「追いかけないのか?」
「置いていかれたのに、追いかけろっていうんですか?」
 その答えを聞いて雷士は面白そうに笑った。
「それもそうだな。――ほら」
 言って、雷士は手を差し伸べる。オロクシーはそれをお化けでも見るような目つきで見た。
「なんだよ。俺だって誰かに優しい気持ちを持つことくらいある」
 だが、オロクシーは雷士の手を取らずに、自分で立ち上がった。雷士はむしろ、そっちの方が満足げだった。
「これからどうする」
 と聞いた。
「これから? そんなもの、ありません。私はもう終わりです。サラブレッディアンに捕まるか、野盗に殺されるか……」
「野盗ぉ? とても銀河の星々を征服した文明に残った言葉とは思えんな」
「残ってしまったのだから、仕方がないでしょう」
「人間なんてそんなものってことか。へっ、何百光年も旅してコレか――歯応えのある未来だぜ」
 雷士はぺっとツバを吐いて、歩き出した。オロクシーも、なし崩し気味にではあったが、それに続いた。
「この辺に他の集落はないのか」
「あります。ここから下層に13層、17層、31層にひとつずつ。ですが13層以外とはほとんど没交渉です。それに、向こうはうちのことを嫌っていて……」
「町長が気に入らないってんじゃないのか?」
「……お恥ずかしながら」
「アヤマタが嫌いってことは俺とは気が合うか、殺し合いになるか、どっちかだな。よし行こう」
「いいんですか?」
「他にコートを貸してもらえそうな道筋を知らん。お前も寒いだろ。俺の上着を着てろ」
「いいです」
「うるせえ黙って着ろ。女が凍えてる時に上着を自分が着てるのが、俺には我慢ならねえだけなんだ」
 雷士はほとんど無理やり自分の星民服をオロクシーに羽織らせた。それを二、三歩離れて眺めて、ニヤニヤと笑う。
「似合わんな」
「……」
「嘘だよ。いや嘘じゃないが、もっといいのを下で見繕おう」
「町長の娘である私がいて、入れてもらえるかどうか……」
 心配そうに伏目になるオロクシーの背中をポンと雷士は叩く。
「何言ってんだ。入れてくれないなら無理やり入ればいいだろう」
「そんな考え方をするのは、あなただけです」
「お前もそのうちこうなるさ。素質あるって」
「そんな素質、ちっとも嬉しくない……」
「そう言うな。慣れれば案外楽しいぜ」
 意外にも、会話が途切れることもなく、雷士とオロクシーはサイコロネグラを後にした。取り残された倉庫は、まるですべてが夢だったかのように静けさを取り戻し、その腹の中に沈黙と静寂を溜め込む仕事に、実に八九年ぶりに、戻ったのだった。それは、どこか宇宙のそれにも似た静けさだった。
 そんなに悪くない、静けさだった。




『ソル・ドル  第一部完』

       

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Neetsha