私はきっと、Fコードを弾けない呪いにかかっているんだ。
ビンテージのアコースティックギターのネックを、己の内にある、どうにもならない悔しさの首を絞めるように強く握った。母の実家の押入れにしまってあったギターを発見してからこの一ヶ月、初心者向けの教則本に習って練習してきた。Fコードが初心者の壁であるということは、以前から知ってはいたが、実際に直面してみるとよくわかる。人差し指のセーハが甘いと音がビビってしまうし、強く押弦しても、細い六本の弦が指の腹に食い込んでとても痛い、その痛みに耐えながら残りの指を押弦しても、綺麗なFコードの音色にはならないのだった。悔しさ故に頬を膨らませながら思う。努力が足らないのか、才能が足を引っ張っているのか、そのどちらも考えたくない彼女が出した答えが、そう、Fコードの呪いであった。現段階ではどうにもならない、手の届かない事例や現象を呪いと呼んでしまえば、努力や才能で補える問題ではなくなるため、しかたのないこと、の一つとして処理できるというわけだ。実際には慣れの問題なのだろうが、Fコードを弾けない自分を許せない彼女は、たった今、自分に自分で自分が創りだした呪いをかけたのである。
いつかFコードの音色をかき鳴らせる日を待ち遠しく思いながら、今日も彼女は廃ビルの屋上でFコードの練習に一人耽っている。