Neetel Inside ニートノベル
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俺の妹がこんなに正しいわけがない
第四話「雑草」

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**

 ――例えば、それは俺の世界だった。そして野霧の世界でもあったと思う。
 小さい頃は野霧たちと叢を走り回り、一緒に夜遅くなるまで遊んだ。
 小学校の帰り道の時に林や近所の小さな森の草を良く摂って、食べた。
 俺はこれを「薬草判別家」と呼んでいた。
 何でも口に入れてみたりした。何が食べられる草で、何が食べられない草なのか。
 それを実際に試すのは本当にワクワクした。
 知らない事が知っている事に体験して、世界が変わっていくその様が楽しかったんだろう。
 勿論、新しい草を毒味するのは俺だった。野霧はあくまでも隊員の一人である。
 いつだって危険な任務に先陣切っていくのが隊長の義務なのである。

 ある日、野霧が一番最初に食べたい、食べたいとせがむので、試しに一回食べさせた時に「苦い~」と言ってそのままぺっとはき出してしまった。その後暫く林を駆け回っているうちに、「お兄ちゃん、気持ち悪い……」と言って野霧はぐったりしてしまった。
 その時俺は「いかん。野霧に危険な毒草を食わせてしまった」と思った。ランドセルを放り捨てて、慌てて野霧を連れて家に帰ると、お袋が急いで野霧を病院に連れて行った。
 医者の結論としては、特に毒とかそういう事はなかったらしく、要するにまずくて気持ち悪くなっただけということらしい。

 その日の夜、親父に激怒された。
 しかしながら、親父の野太い声のお説教や石ころのような大きなゲンコツも、俺は大して痛みも感じなかった。
 俺は子供の頃から鈍かったのかもしれない。
 ただそれでも、俺の胸にはちくりと注射針を突き立てられたような痛みがあった。
 それは布団で寝込んで看病されている野霧を見ると、一層強くなった。
 ――「薬草」と「毒草」の判定などと言う大それた任務は野霧隊員にはまだ難しかったのであろう。
 恐らくこの胸の痛みの原因は、その後俺も隊長として責任を持って毒草を食べたからかもしれない。うん、そうに違いない。確かに胸がムカムカするまずさだった。
 通り一辺倒怒られた俺は最終的には一晩物置に閉じ込められた。親父殿容赦なし。
 ちなみにその時は夏だった。蚊に刺されまくったら嫌だなとか思っていたのだが、ふと隅を見ると電池式のベープマットが置かれていた。
 【虫さされに注意しろ。火事対策の為蚊取り線香は控えておいた】と達筆な字が書かれた紙が脇に据えられている。
 親父の字である。おまけに脇にはラップされた握り飯の夜食。懐中電灯。非常事態用のベル。救急セット。悲惨どころかむしろ俺の冒険心をかき立てるものばかりだった。親父の気遣いは謎である。



 翌朝は普段と違い、聞き慣れない金属同士が交わる硬質な音で目が覚めた。
 マットだけは敷いてある、薄暗い場所。
 ――そうだ、ここは物置だった。そう認識すると同時に音を立てていた場所から縦の光が差した。
 鍵の掛かっていた扉をこじ開け、溢れる光の中で得意げになった野霧がいた。
「お兄ちゃん! おとーさんから鍵奪ってきた! ついでに背中にパンチしてきた! すごい痛そうだったよ!」
「そうか偉いぞ!」
「うん! 『ぐおおおお、娘に殴られるとは……』とか言ってたし!」
 野霧の力なんて強くない筈なんだけどなあ……? まあいいか。
「おう。ありがとな。まあ腹にパンチだったらもっと良かったが」
「すごいでしょ!」
「ああ。俺なら速攻で殴り返されてる」
 それを聞いて野霧がしゅんとする。しまったと思った時はもう遅い。
「お兄ちゃん……ごめんね、わがまま言ってごめんなさい……お母さんから聞いた。私のせいで沢山叱られたって……私、もう隊員やめた方がいいのかな……」
「うーん。別にやめなくてもいいんじゃないか? 別に野霧は悪くないしな」
「でも……だって……」
 野霧が言葉を詰まらせて俯く。小さく嗚咽する。
「ほんと昨日、大変だったよね。……それでも、物置とか、酷いよ! 警察の人に訴えてやる!」
 野霧がピンクのサンダルで庭の土をぐりぐりと踏んで怒る。思わず苦笑する。
「いやいや、そもそも親父が警察の人だからな。それに野霧、別にオマエのせいじゃねえよ。昨日なんて隅にいたアリをずっと観察してたらいつの間にか眠っちゃってたから全然大丈夫だったぜ?」
「えっ?」
 野霧が目を丸くする。
「アリって面白いしな! 実はアリには働いていないアリが居るらしいんだぜ? それをフリーライダーという……ふふ……この理論知りたいか?」
 俺は親指を立てて得意げに言った。
「す、すごーい……! うん、知りたい、知りたいよ!」
 野霧は感心したように目を輝かせた。
「薬草判別家は虫研究家でもあったわけだ。最強だろ?」
「うん、最強!」
 野霧が笑った。
「でもな、実は隊員やめる奴には教えられないんだよ。最強の称号って言うのはそう簡単には得られない」
「ええーーーーーーーっ! じゃあやめない! 続ける! 隊員やる!」
「そうか。んじゃまた今度行くか。でも最初に草を食べるのは隊長だぞ?」
「分かった!」
 野霧は満面の笑みを浮かべた。野霧が喜んだ。良かった。

 そして俺はとりあえず風呂に入りたかった。
 何故かって、そりゃあ親父の防災グッズに制汗剤はなかったからさ。

**

「――って言うことが昔あったよな」
「ふふ、懐かしいね。野霧ちゃんあの時大変だったよね。でも、きょーちゃんがそんなに怒られてたって言うのは初耳だったかなあ」
 マミナがふんわりとした声で返す。
 体から畳の匂いをさせ、ゆるゆるとした空気をまとっている。
 眼鏡の奥の人懐こそうな瞳はひょっとして他人を安心させる効果があるのかもしれない。
 何だかゆったりとした気分になる。

 ネコクロ達と別れた後、俺はマミナと一緒に下校中していた。丁度委員会があったらしく帰り際に出会したのだ。俺は図書館に用事があったので先に帰ってくれと言ったんだが、「一緒に探すよー」と言ってくれたので手伝ってもらった。何だかんだでマミナには本当に世話になっている。
「俺、ほんとオマエに頼りっぱなしだなあ。……ありがとな」
 やっぱりちゃんとお礼は言っておかないとな。マミナは赤面して鞄をぱたぱたとさせる。コイツは喜んでる時こんなこと良くしてる気がする。多分。
「う、うん。っていうか、さっきの昔話だけど……わたしその時だって大変だったんだからね! 何で話に全然出てこないのー?」
「えっ?」
「えってーーー! きょーちゃん。『ランドセルを頼む!』って言って野霧ちゃんを連れてわたしをほっぽって帰ったんじゃないー」
「え? そうだっけ?」
「そうだよー! ぷんすか」
 ぷんすかという単語に意味はない。マミナはオノマトペ大好き人間なのである。
「っていうか、よくよく考えてみればわたしも薬草判別家の結成時点で居たよ。わたしもメンバーの一人だったじゃない! よく考えてみると今の思い出話って一瞬も私出てきてないよね? 完全に忘れてたよね。酷いよー。ぷんぷん」
「あ、ああ。すまん。そういやあの日出掛ける前に食ったオマエの婆ちゃんが作った和三盆うまかったよ」
「和菓子より印象薄いのわたし!?」
「す、すまん。それと、今日はやらなきゃいけないことがあったんだ。わざわざ付き合ってくれてありがたいけど、これ以上は悪いから」
「……うん」
 マミナからすとんと表情が抜ける。こいつはいつもにこにこしているから、真剣そうな顔になると何を考えているのかちょっと掴めない。いや他の奴らもほとんど掴めないんだけど。
「きょーちゃん。わたしは今のまま、不器用なきょーちゃんのままでいいと思うの」
「いきなりなんだよ? 不器用とか。事実かもしれんが」
「ううん。聞いてきょーちゃん。誰かの生き方を縛る権利なんて、誰にもないと思う」
「別に縛られてないぞ俺は」
「……。きょーちゃんは助けられてばかりって言ってたけど、それは違うんだよ。助けられている人は必ずどこかで助けている」
 それを聞いて俺はため息をついた。自嘲気味に、
「いやさ。実際俺、何も出来てねえみたいだし……そもそも今家がヤバイって事すら最近知ったわけだし……流石にアホすぎだろ」
 マミナは強く首を振った。
「違うの。……きょーちゃんはね、『気づかないことが出来る』んだよ。それは他の多くの人には出来ない。だからわたしはきょーちゃんのことが好きなんだよ」
「え? いきなり何いってんだマミナ」
「この世界には色んな人が居る。でも、無条件で強い人なんていない。強く見える人は、強がってるだけだよ。わたしも、きょーちゃんも、みんな同じ。ずるいし、弱いんだよ。逃げ場がある限り、人は逃げる。そしてそれは悪いことじゃないんだよ」
「……? まあ難しい話だから俺が全部わかんねーって事を分かっている前提か?」
「うん」
 マミナは瞳を閉じて、にっこりと笑う。
「忘れないで。わたしはいつでもきょーちゃんの味方だよ。だから……無理に変わろうとしないで」
 手を振ってマミナと別れた。

 ――適当に会話を合わせることには慣れているつもりだが、今回は特に会話が噛み合ってない気がした。普段はもう少し分かりやすいことを言う奴なんだけどなあ。
 そして何となくゼナとネコクロのやりとりを思い出した。服とか、プログラムとか。
 目に見えるモノを作るって、すごいな。努力家って言うのはあいつらみたいな奴のことを言うんだろう。

     

 マミナと別れてから、近くの河川敷に移動して、鞄から本を取り出してパラパラ開きながら歩く。
 タイトル『植物 (小学館の図鑑NEO)』。
「ふむぅ。これは食べられる草か……」
 そう。食べられる草探し。イッツサバイバル。ポリ袋を装備。

 ――そうしてかれこれ一時間ほど経過して、日が西に沈むちょい手前。大体十種類くらい見付かった。が、収穫量は少ない。見ているだけならいいんだが、摂ろうとすると腰の疲労がヤバイ。これ……すごくキツいです……。
「ぜえぜえ……やっとポリ袋30%くらい埋まった……」

「ッチ。はぁはぁ……アンタって本当に馬鹿だね。連絡の、一本、くらい、寄越せっつーの……」
「野霧……」
 顔を上げると、今や自宅に一台しかない共有自転車のサドルをまたぎ、ハンドル部分に両腕、その上に更に超不機嫌顔をのっけた妹が一人。
「どうした?」
「別に……」
 野霧の別には不機嫌の証である。何だか分からないが怒らせたらしい。とりあえず謝る。
「すまん」
「あのさ。うちで普段何食べてる?」
「パンの耳と水」
「そうだよね。草は食べてないよね」
「まあ、そうだが……草も食べられるぞ」
 野霧が呆れたように、
「……食べられるだけで食べたくないでしょ?」
「そんな事はない」
「アタシは嫌だよ。草なんかいくら食べたっておいしくないし、ろくに栄養にならないよ。調理するための手間もばかにならないし。大体そこら辺の草食べて生きていけるなら、農家の人はいらないでしょうが。じゃがいもとか、麦とかお米とかちゃんとあるでしょ。雑草なんかいくら食べたって雑草だよ! こんなの、ブチブチむしってストレス解消だよ!」
 自転車から降りて、ご丁寧に停車位置をレーンから外して鍵をかけて留めた後、草をむしって自転車道に投げる。
「お、おい。やめろって。礼儀正しく無礼を働くんじゃない。昭和天皇曰く、雑草という草はないんだぞ」
 野霧が振り向いて意地悪そうに笑う。
「腹が立つんだからしょうがないじゃん! だったら昭和天皇は雑草に囲まれて育ったって言うんですかぁ? 美しい花を見て育ったんじゃあないの? そうでしょ? アタシはそれを証明できないけど、きっとそうでしょう?」
 一言一言に絡んでくる。場末の酔っ払いじゃあるまいし。
「それはまあ、そうかもしれないが……」
「……確かにあの女の言う通りかもしれないね。『環境が人を育てる』。ちゃんとした名前を貰えるのは、いつだって選ばれたものなんだよ……ダーウィンだってそう言ってる。進化とは最適化であるって。与えられた環境に最適化されるのが進化……じゃあさ、前提となる状況が最悪な場合、進化するとどうなるの?」
「……さあ」
 答えようにも、難しくてよく分からない。
「『慣れる』ってことだよね。こんな状況にも適応できるように、私たちが変わっていくの……?」
「なあ、野霧。なんかあったのか?」
「……別に」
 野霧の『別に』は十回あったら九回はふてくされている。今回は二回連続なので確実。
「何かあったんだろ。言ってみろよ」
 雑草を踏みつぶしたり、むしって投げつけたりする野霧に呼びかける。
 野霧は嫌そうに、
「ッチ。何も出来ないクセに……。別に何もないよ。会話もね。ちょっとガッコでハブられただけ」
「すまん。ハブるってなんだ?」
「だからさあ、アンタなんでそんなことも知らないの? 会話とかに誘われなかったり、仲間はずれにされるって事だよ……!」
「すまん……しかし、すると俺は中学校時代から三年間以上ハブられていたということになるのか?」
「……え!?」
「いや、単純に気のせいだったのかもしれねえが……常に俺の半径二m以内に人が居ないなとか、あれなんか周りの机の距離心なし離れてね? とか。マミナは居たんだけどさ」
 そもそも高校一年の時はマミナ以外と喋った記憶もほとんどない。野霧の友人と知り合いになってからは別だが。もっとも、俺の記憶なんて全く頼りにならないのだが。
「……うん、多分気のせいだよそれ。あの女が居たのも気のせいだよ」
「いや……流石にそれは多分いたと思う」
 そう、と言って野霧が苦笑する。
「まあねえ。あの女なら居るだろうね。つきまとって……ストーカーだよ」
「おい。そういう言い方はないだろう? 失礼すぎる」
「……あっそ。じゃあそのマミナとかいう単語出すのやめてくんない?」
 野霧はつまらなそうに口を尖らせる。
「そりゃ無理だよ」
「……あっそ!」
 とにかくマミナの話題は駄目らしい。話を変えようと試みる。
「ううむ……そういやさ、せあやと奈賀子はどうなんだ? あいつら、ハブるとか、そんなくだらねーことしないだろ?」
 野霧が腰を上げて、両膝とスカートを手で払った。
「ん。二人とも違うクラスだからねー。それにそんな格好悪いところ見せられないし」
「何言ってんだ? お前は格好悪くない。逆だろ? そんなことする他の奴が格好悪いだけだ。大方お前が可愛いからひがんでるんじゃねえの? 野霧は何も間違ってないと思うぜ……?」
「……ふーん」
 野霧は急に立ち上がり、髪の毛を軽く整えてから両手を後ろに回した。そして中腰で作業している俺の後ろに回り込む。
 俺は振り向いたが、夕日が逆光になって野霧の顔が良く見えなくなる。思わず手を額にかざす。
「……あは、ま、そーかもね。可愛いしね。しょうがないところもあるかな」
 コントラストの効いた野霧の顔は、幸せそうな笑みだった。さっきまで怒っていたのが嘘みたいに、もう上機嫌になっている。
 その感情の変化が早すぎて分からない。でも、「どうして機嫌が良くなったんだ?」なんていちいち聞くわけにもいかない。それでまた怒り始めたら意味がないし。

 ――いつもこんな感じだ。俺に分からない何かがあって、誰かが反応した。こんなことはもう日常的に覚えていられないほどに良くあることで、それ故に対処しきれない。
 理由すら追及できない。だって人の気持ちが分からない以上、深く詮索するわけにもいかないだろ? 昔からその繰り返し。喜ばせても、怒らせても、理由が分からない。
 でも、俺に分からない何かだとしても、元気になれるなら。
 分からなくても、いいんじゃないだろうか……それで誰かの幸せが続くなら。
 それって正しいんじゃないか?

「野霧。あんま無闇に草ちぎるなよ。可哀相だろ?」
「うん……やめるよ。ごめんね、草」
 雑草から草にレベルアップ!
 野霧の手から離れた元雑草は、少し強い風に乗ってひらひらと舞い散っていく。野霧は髪が乱れないように片手で軽く押さえつつ、もう片方の手をウェットティッシュで拭く。
「あのさ……狂介は大変じゃないの? だって今ってアタシたち……ぶっちゃけ、チョー不幸じゃん」
「……俺は、鈍いらしいな」
「うん。激ニブ。どっかおかしいと思う。ビョーインいけってほどじゃないケド」
「あのさ、不幸って何だ?」
「え?」
「俺は今、自分が不幸じゃないと思うんだよ。確かにたった一人だったら辛かったかもしれない。でも、みんなも居てくれるだろ? だから不幸じゃないんじゃないのか?」
 前から思っていたことを言った。家にお金がないと理解出来たことすらつい先日の事なんだ。
 多分、言ったらまずいと思っていた。野霧の意見とは違うから。予想通り不機嫌そうな声に変わってしまう。
「……傍から見たら百人が百人不幸だって言うよ。食べる草なんて探してる時点で」
「でもそれは他の奴がそう言ってるだけだろ。俺は違う。野霧は間違ってないかもしれない。けど、この俺の感覚も間違ってないんじゃないかと思うんだ……っと」
 野霧は――激昂していた。
「……違うよ。アタシはいつだって正しい! 家族のことを、アンタのことを考えてるんだよ! アンタが現実を受け容れてないだけッ! 鈍いから正確にこの惨めさを認識出来ていないだけなんだッ! 自分だけの世界に安住しようとしているだけ! だってこんな現実は認められない! 変えなきゃ駄目なんだ……ッ! いまそこにある現実を否定しなきゃ、アタシたちは食べていけない! ねえ、狂介も分かって! アタシたちは乗り越えなきゃいけない……変わらなきゃいけないんだよ!」
「……俺は間違ってるのか」
「狂介。アタシの顔を見て」
 両手で顔を掴まれて、引き寄せられる。傍から見たらキスしているように見えるかもしれない至近距離。
 昔のあの頃のように、夕焼けに照らされた野霧は綺麗だった。
 無邪気さが失せ、代わりに強い意志を持つ瞳を持つようになった。
 何をするのかと思った。ひょっとして本当にキスするのかとも一瞬だけ思った。
 でも、予想したことのどれとも答えは違っていて。
 野霧はただ一言だけ、言った。一言一言を噛むように優しく、ゆっくりと。

「薬草判別家はね……お金にならないんだよ」

 ただ、それだけだった。俺は珍しく野霧の言いたいことが分かってしまった。
「そうか。それなら仕方ないな」
 俺は分厚い辞典を閉じて鞄に入れた。袋だけは捨てていくわけにも行かないので持ち帰ることにした。
 野霧は俺の顔から両手を離して、帰るよと言って自転車の後部荷台にちょこんと乗った。俺に漕げという暗黙の指示だ。袋をハンドル前部のカゴに押し込める。
「落ちるなよ」
「運転が下手じゃなきゃね」
 昔と変わることなく、腰に回された手は温かかった。家に着く前にどうしても一つだけ聞いておきたいことがあった。
「じゃあ俺たちは何を食べていくんだ?」
 ――他人だよ。背中越しにそう聞こえた気がした。


       

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Neetsha