Neetel Inside ニートノベル
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32
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―日本理化学大学12号館4階、赤沢研究室
―9/29 0:30 am

ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ

「うあぁぁ・・・・・・松沢先生もひな先輩も、もう帰ったのか・・・さて、TLC上げないと。」
 酢酸エチルでボロボロになったタイマーが安眠を妨害する。少し寝ぐせのついた頭をかきながら福山良路は接触の悪くなったゴム製のボタンをグイッと押し込み息の根を止める。
「この前酢エチぶっかけちゃってから接触悪いな・・・そろそろ捨てよっとー」
 排気装置のついたドラフトという実験台にセットされているフラスコを開け、ガラス製の細い管、キャピラリーと呼ばれるものの先をフラスコの液面にチョンとつけ、反応液を吸い上げる。そして、三角フラスコや試験管、サンプル瓶がごちゃごちゃと並んだ自分の机に向かい、キャピラリーをTLCプレートに押し付け反応液を付け、クロロホルムとメタノールの入った展開槽につけるというルーチンワークをこなす。5分後には結果が出るだろう。福山はボーッと夜食のことを考えながら眺める。
 TLC、Thin-Layer-Chromatographyと言い、日本語では薄層クラマトグラフィーと呼ばれる。原理自体は小学生の自由研究で黒インクが色んな色で使われていることを知るためによくやられているペーパークロマトグラフィーと似ている。TLCプレート表面には乾燥剤でお馴染みのシリカゲルの粉末が載っている。シリカゲルは乾燥材に使われるぐらいなので水と親和性が高い。一方展開浴槽に入っているのはクロロホルムという一般的な有機溶媒。よく刑事ドラマのワンシーンで背後からハンカチをあてがいふっと眠らすみたいなイメージがあるあれだ。(実際はすぐに眠くならないが・・・)あれはいわゆる「油」である。水とよくなじむ化合物はシリカゲルの表面にいたがって中々板の上を登らない。しかし、油とよくなじむ化合物は油と一緒に登っていく。この差を利用して、反応液中に何が入っているのか、反応は終わったのかを知るシンプルながら便利な方法である。
 という、なんとも間の抜けた長ったらしい説明を学部1年生の時にどこかの大学院生がしているのをふと思い出した。そうこうしている内にTLCは終わっており、福山は今晩もぺソングソース焼きそばにマヨネーズをかけまくった不健康な食べ物に思いをはせながらUVランプをTLCに当て、鉛筆で出てきたスポットをなぞった。
「やった!終わってる。特に副生成物もないみたいだし、このまま溶媒飛ばしてマヨぺソング食って帰るか。」
 そう言って鼻息まじりに給湯ポットに水を足し、ぺソングを開け慣れた手つきで
「かやくは麺の下に入れないと、蓋にこびりつくんだよね。」
 と貧乏性を発揮しながらも準備していく。お湯が沸騰するまでの間、福山はまたドラフトに向かい、フラスコをしっかり保持していたクランメルからフラスコを取り去る。さっきまで元気にフラスコ中で回転していた撹拌子はピタッと動きを止め、取り除かれた。その後、すぐにロータリーエバポレーターというなんだが仰々しい名前の装置にセット。スイッチを押すとフラスコの回転が始まり、後ろに控えているポンプが甲斐甲斐しく排気音を出す。
 富士山の上では、米が炊けない。それは気圧が低くなって水の沸点が低くなったためである。というのは、中学校か高校で聞いたことがあるかもしれない。この原理を応用してロータリーエバポレーターを使えば、ポンプでフラスコ内を減圧して有機溶媒が蒸発させ除くことが出来る。さらに、回転することによって溶液の表面積を大きくして更に飛びやすくしている・・・みたいな説明も学部1年生の時に大学院生の先輩から聞いたっけか。確か、ナイスバディで茶髪の・・・・・・
 と、追憶の彼方に引きずり込まれそうになる手前、お湯が湧けたのでぺソングにお湯を入れる。うむ。今宵も良いにおいさせて誘ってやがるぜ!
 私物用の冷蔵庫から「ふくやまりょうじ」と律儀に名前を書かれたマヨネーズを取り出し、美味しそうなソース色の麺に淡黄白色のマヨネーズをぶっかける。ヒィーハー!可愛いおべべが台無しだな・・・ジュルリ・・・そう脳内でぺソングに問いかけ一気に口に押し込む。ひぎぃぃいいい!こいつは上手いぜ!上玉だな!!などと、序盤でかっこんでいると、段々とおなかが膨れてくる。ブスは三日で慣れるというが、美人は三日で飽きるというアレなのか?だんだんと、体が受け付けなくなってくる。朝、隣の女の顔を見てみたら不細工だったとかそういう気分に似ている。しかし、福山は童貞である。最後の最後は腹に詰め込むという作業に変貌していた。恐るべし「ぺソング超大盛り」。これがぺソングに住む悪魔のなのか!と他愛のないことを考えていると、フラスコ内の溶媒は飛び、ドロドロの水あめ状になっていた。
 福山はロータリーエバポレーターからフラスコを取り外し、真空ポンプで更に溶媒を飛ばす。すると、突然泡立ち始めモコモコと全体が膨らみスポンジ状になる。
「ふむ・・・・・・アモルファスか。」
 そのスポンジ状、アマルファス状になった化合物を蛍光灯に翳す。赤色でキラキラしている。
「出来た!きれいだなぁー結晶作ってみたらもっときれいになるだろうなぁーー」
 子供のようなキラキラとした眼差しで福山はフラスコ内の赤色アモルファス状化合物を眺める。忘れないうちに「red amorphous」と観察結果を記入し、再度眺め呟く。
「初めまして!君の名前はーそうだなぁ、慣例通り、福山良路が32番目に作った化合物だから、RF-32だ!!これから、色々とあるけどよろしくね!」
 まるで、子供が子犬を拾ってきて名前を付けるように。純粋に。無垢に。汚れなく。



 こうして、RF-32は純朴な彼によって産声を上げた。福山良路、日本理化学大学薬学部薬科学科分子デバイス学研究室所属のいたって普通の理系大学生。彼はまだ、この時RF-32の本当の重大さを知らなかった。

 これが人類にとって福音となるのか、はたまた天使のラッパの罰なる響きとなるのか。

       

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