Neetel Inside 文芸新都
表紙

お題短篇企画
ポカリ/ピヨヒコ

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 タコのカルパッチョが乗った細長い楕円の皿でエイト・ビートを刻んでいたらバーテンに怒られた。銀色のフォークで皿を打つのを止め、バーテンを見ると彼は途方もなく呆れた顔でこちらを見ていた。
「直哉くん、良い皿なんだよそれ、欠けちまったら困る」
「ああ、ごめん。それじゃストローもらえる?」
 ストローを受け取り咥える。息を吹き出すと先端が笛のように鳴ったので、僕は二・三度頷いてからそれで皿を打った。フォークでするよりマイルドなエイト・ビートがバーテンをよりいっそう呆れさせる。
「もう一杯飲みたいな」
「何にする?」
「ソルティ・ドッグ」
「どっち?」
「オールド」
 僕は煙草に火を点けて、くらくらする脳に煙を流し込んだ。店に入って二時間が経過していた。その間、ソルティ・ドッグだけを七杯とタコのカルパッチョを三皿たいらげていた。額に浮かぶ脂をぬぐい匂いを嗅ぐととても臭かった。
「汗が酒臭い!」と僕。
「指が酒臭いんじゃないかい」とバーテン。
 ストローで刻むリズムは酩酊と裏腹に正確だ。
「よく飽きもせず同じ酒ばかり飲めるね」
 と言われても僕はリズムを乱さない。そしてそのまま応じる。
「好きなんだ。とても懐かしい気持ちになるから」
「懐かしい」
「そう、懐かしい」
「前世は甲板夫かい?」
「まさか。思い出すんだよ」
 バーテンがこちらを見た。
「オールドスタイルのソルティ・ドッグは、ほら、あの味に似てるんだ、あの、あれさ」
「なんだい」
「ポカリセット」
「ポカリスエット?」
 いや、違うね。ポカリセットさ、と僕が言うと、彼は発音についてそれ以上追求すること無く、かわりにどういう意味か聞いた。彼は氷を砕く手を止めていたし、僕は拍を打つのをやめていた。
 懐かしいんだよ、と僕は語る。

 ◇

 大塚製薬のポカリスエットには粉末タイプがあるんだけど知ってるかい? スーパーマーケットとか薬局なんかで売っていて、水に溶かすとポカリスエットができるんだ。
 うちの婆さんはよくそれを作っていた。老人にとってポカリスエットはある種の万能薬で、風邪を引けば飲むし汗をかけば飲むし疲れたら飲むしわけがなくても飲む。そう、そのジンがかつてそうだったように。
 さて、僕がまだ小さかった頃、婆さんは粉末ポカリスエットを作って僕に飲ませた。夏は麦茶に並んで量産されていた。熱射病、当時は熱射病って言ってたな、それはいいや、とにかく熱射病にならないようにって僕に飲ませるんだ。
 その粉末ポカリスエットってのは、なんでか知らないけれど少しだけ塩気が強く感じる。誰が作っても少しだけ塩っぱい。うちの婆さんってのがまた、その元々ちょっと塩っぱいポカリスエットに塩を投入するんだよ。塩だぜ、ポカリスエットに塩。最低だろ?
 そう、笑えるんだ。塩入りポカリスエット。は、は。
 正直に言って不味い。婆さんの作るポカリスエットは不味い。自動販売機から吐き出される本物と比べるとほぼ別の飲み物だった。しまいに、婆さんはポカリスエットのことをポカリセットって発音するんだ。尚更パチモンだろ、それじゃ。
 とにかく、いくら僕が婆さんを大好きだとしても、ポカリセットは嫌いだった。だってポカリスエットの香りがするのに味はポカリセットなんだぜ、信じられない。裏切りさそれは。冷たい便座みたいな裏切りだ。冷たい便座……恐ろしい……。
 けれど婆さんは僕の気も知らずポカリセットを量産する。僕はそれに抗議できず無言で消費する。飲まなかったら申し訳ないという気持ちが先にたってしまうんだ。そうやって、ずっと黙って飲んでいた。それは中学生になるまで続いた。
 中学にあがると、自我とかいうやつが芽を出して、精神的成長痛とでも言うのか、無性にイライラする時期があった。
 まずは父親との衝突。ついで母親の軽蔑。特に語るまでもない卑近な苦悩さ。なんてことない思春期の反抗はやがて婆さんにも向いて、僕はいよいよポカリセットのボイコットを実行した。
 婆さんのポカリセットに、不味いとまでは言わないものの手を付けなくなり、冷蔵庫にはカビが生えそうなそれがいつまでも残っていた。婆さんはもう自身では茶の湯しか飲まなくなっていた。婆さんに老いってやつを感じたね、その時はとても鮮烈に。
 冷蔵庫を開けるたびに苛立ちと罪悪感が僕を冷やすんだ。ポカリセットが善意と愛の賜物だってのは、当時の僕でもよく解っていたんだから。冷蔵庫で愛が腐っていく。僕はそれを毎日見ていた。そんな日々を繰り返していく内に、僕は婆さんと喋らなくなり、下手をすると目も合わせない日さえ出てきた。
 ポカリセットはそれでもずっと冷蔵庫の一隅に陣取り続けた。
 僕は絶対に手を付けないのに。婆さんはそれに気づいていたはずなのに、ずっと、ずっと、ずっとあるんだ。

 ◇

 へえ、とバーテンが嘆息して、僕にソルティ・ドッグを寄越した。
「ソルティ・ドッグを飲むとそれを思い出す?」
「そう、思い出す。ソルティ・ドッグのオールドスタイルは、ポカリセットの味によく似ているから」
 そうなの、と彼は僕の酒を一口奪った。そして舌を鳴らして味を確かめ首を傾げた。
「わからんね。普通のソルティ・ドッグじゃ違うのかい」
「違うね。ジンで作るからポカリセットに似るんだ」
「ウオッカじゃダメだと」
「そうさ。それじゃ、ダメだ」
 煙草を咥える。僕と彼は黙って煙を呑む。いつの間にかスピーカーは眠り、僕以外の客が居ない店内は、二人の煙が延びる音しか聞こえない。
「その話を聞くと」
 煙を散らして彼が言う。
「ジンで作ったソルティ・ドッグは嫌な思い出の形見に思える」
 は、は。僕は笑った。
「これがまた、もう少し続きがあるんだ。聞くかい」
「聞かせてくれよ。客に薀蓄たれるよりは楽しい」
「職務怠慢だね」
「真面目なバーテンが嫌いなだけ」
 いいよ、この思い出は見世物だ。
 女の話があるんだ。あ、もう一杯。塩多めで、そう、多いのが良いな。
 ポカリセットみたいにしてくれよ、塩っぱいんだ、アレ。

 ◇

 中学二年生の頃、初めて家出をしようと思ってね。動機なんて今更細かく覚えちゃいないけれど、父親と喧嘩したとかその程度さ。もしかしたら母親と喧嘩したのかも知れないし、別に喧嘩してなかったのかも知れないけれど、とにかくこんな家ごめんだ! って夜中に家を出ようとした。
 玄関でこっそり靴を履いてると、暗い廊下の奥から婆さんが出てきたんだ。そして、直哉どっか行くのかって聞いてくる。僕は、家出しますとは言えず、別にって返した。
 そうすると、婆さんは何も言わずに水筒を渡すんだ。僕は戸惑って、なにこれと聞くと、婆さんはにやっと笑って言うんだよ。ポカリセットだよって。
 おいおい、まじかよ勘弁してくれよ、いつまでポカリセットとか言ってんだよ僕は家出するんだよ、って思ったけど、言わなかった。なんだか急に恥ずかしくなってね。婆さんはもしかしたら、僕が家出することを知っているのかもしれない。それで、気がすんだらすぐ帰るつもりだったのも見抜いているのかもしれない。そう思わせるくらいに、冷静で万全な声色だった。
 僕は乱暴に水筒を受け取って、気をつけてねと送り出す婆さんを振り返らずに家を抜けた。
 あれはもう秋の只中だったから夜は随分と寒かった。ポケットに入れた財布と、右手に持った水筒が僕の全てだった。たったそれだけで世界に飛び出したんだから、家を抜けた途端に寂しくなってしまって。笑うなよ、本当のことなんだから。
 夜の町を、それも深夜の町を一人ぼっちで徘徊した所で、僕には行く所なんて検討もつかない。友人の家に行くわけにもいかず、ファミレスなんて無いほど寂れた町だから、早速手持ち無沙汰になった。
 とりあえず歩かなきゃ。留まっていると凍ってしまいそうに寒いんだから。しばらく田んぼ脇の畦道をゆっくりと歩いた。見上げると星満載の空があり、月はどこにも見えなかった。頬に風があたり、スニーカー越しに砂利の感触がして、歩くのが楽しくなってきた頃だった。
 いつの間にか僕は母校の前まで来ていた。小学校ね。当時の僕が中学二年生だったから、小学校なんてたかだか二年前の話に過ぎないけれど、白くて大きな小学校はとても懐かしかった。
 それで、小学校の周りをぐるっと歩いた後、グラウンドに入ってみたんだ。小学生の頃は広大なグラウンドだったけれど、中学生になってみるとやけに狭く感じられた。錆びたサッカーゴールとトンボがけしたダイアモンドとを抜けて、築山の麓まで進んだ。
 僕の母校には小さな築山があるんだよ。冬になって雪が降ると、そこでスキーの練習をするんだ。その築山には土管のトンネルが一本通っているんだけど、それを思い出して僕は高揚した。ねぐらを見つけたぜ、ってさ。家出して土管の中で眠るなんて最高じゃないか。男なら憧れるね、そうだろ?
 トンネルへ入るには四つん這いになる必要があった。トンネルの中は土や虫の死骸で薄汚れているのが常だけれど、そんな事気にならないくらい僕は興奮していた。トンネルの中で一泊するんだ、これは中々できない経験だぞって。
 でもね、僕はトンネルに入ってすぐ硬直することになる。
 居たんだよ先客が。真っ暗なトンネルの中に、女が一人いたんだ。

 ◇

 誰? と声がした。僕は何も応じられず、かといって逃げ出すこともできず、黙りこくってその場で固まってしまった。
 誰なの、とまた聞こえて、急に視界が明るくなった。懐中電灯で照らされたんだ。白い光がトンネルに広がって、今までの逃避行は急に幕切れした。
 眼の奥が引っ張り上げられるような淡い痛覚があって、目の前に女が見えた。歳は幾つくらいだったんだろうね。僕は女性の年齢を予想するのが苦手なんだけど、恐らく彼女は三十には行かないくらいだったと思う。
 彼女は僕を見ると、子どもがこんな時間に何してんのと呆けた調子で言ってきた。トンネルに浅く反響するか細い声だったなぁ。
 僕は別にと応えて、それで言葉を取り戻し、誰ですかと訊いた。彼女は、秘密、って応えた。
 危ない感じじゃなかったよ。状況だけ見たら危ないけれどね。危機的な雰囲気なんて無くて、そうだな、夜道で猫を見つけた時みたいな、仄かな幸運のようなものを感じたな。
 なにしてるんですか? と聞くと、彼女は別にと返した。懐中電灯は僕の顔面から照準を外し、土管の壁に向けられていた。彼女は毛布に包まっていて暖かそうだった。

 それで、キミは何してるの。と、彼女。
 散歩。と、僕。
 嘘。と、彼女。
 家出。と、僕。
 そう、実は私も。と、彼女。

 ここに居てもいいかと聞くと、彼女は別に構わないと短く許した。僕たちは、狭い土管で小さく丸まりながら、お互いの家出の理由なんてちっとも探らなかった。しばらく沈黙が続いて、トンネルの外から鈴虫の声が柔らかく届く頃になると、僕の体はいよいよ冷え始めた。
 ここはすごく寒いですね。言うと彼女は、毛布を僕へ寄越した。僕に渡したら寒くないかと遠慮したが、しかし彼女は自分はもう暖かいから大丈夫だと言った。
 彼女が包まっていた毛布は甘い香りがした。そしてとても暖かかった。彼女の体温を感じ、甘い匂いにつつまれていると、まるで彼女自身に抱かれているかのような錯覚が僕を縛った。初対面の上、暗闇の中だからろくに顔も見えやしない。感じるのは、微かな体温と甘い香りだけ。それでも、僕は彼女の温もりにうっかり惚れてしまいそうになったのを覚えてる。
 ねえ、なにか飲み物もってない? と彼女が僕を見た。
 ずっと毛布に包まっていたら喉が乾いちゃって。
 そこで僕が渡したのはポカリセットの入った水筒だった。
 もちろん事前に伝えたさ、これはすごく不味い飲み物だよって。

 ◇

 彼女はポカリセットをあっという間に飲み干した。そして、なにこれポカリスエット? と怪訝な顔つきで僕を見た。
 いや、ポカリセット。不味いでしょ。
 彼女は空になった水筒の中を覗きこみ、懐中電灯で照らし、匂いを嗅いでから、とても美味しかったと言った。
 嘘だ、塩が入ってるんだよ?
 それを聞いて、彼女は得心いったように頷く。
 なるほど。塩が入ってるんだ。だから美味しいのね。
 僕はちっともわからなかった。塩が入っているから不味いんだよ、と反論するも、彼女は小さく笑って、塩が入ってるから美味しかったんだよと言った。
 キミが作ったの? と、彼女は僕を懐中電灯で照らした。

 いや、婆さんがいつも作ってる。
 そう、どうして塩が入っているの?
 さあね。意味がわからないよね。
 そうかな。
 そうさ。
 もしかしたら、キミが泣いた時の事を考えているのかもね。
 なんだって?
 泣いた時。
 なんだそりゃ。

 彼女は頬を拭って鼻をすする。そして、恥ずかしそうに言った。
 私、今までずっと泣いてたんだけれど、涙って塩っぱいじゃない。泣くと体から塩気が無くなっていくから、こうやって塩を摂らないとダメなのよ、きっと。

 彼女は時々泣きたくて堪らなくなる時があるらしくてね。
 それは例えば家族と上手くいかなかったり、仕事でミスをやらかしたり、料理の味付けに失敗したり、トイレの水が尻に跳ね返ってきたり、はっきりと理由のわかるときもあれば、あるいは朝起きた瞬間に大いなるデストルドーに苛まれていたり、なにもかもが面倒になってしまったり、起因の判然としない時もあるらしい。
 そういった感覚、中学生の僕にわかるかと彼女は聞いてきた。僕はわからなくもないと答えた。恐らく、無闇に苛立ったり、ポカリセットが飲めなくなったりする感覚に近いのだろうと言った。すると彼女は、僕を小馬鹿にしたような口調で、子どもにはわからないかなって言ったんだ。それに加えて、女はいろいろ大変なのよって。
 中学生時分の僕には女性の言う大変さなんてよく解らなかったから、なんだか惨めな気持ちになって黙ってしまった。反論の余地などないような感じさ。今思えば、女も男も人生は平等に苦痛そのものなんだから、言い返しても良かったと思う。苦痛の因子が違ってきた所で、苦痛の見た目が違ってきた所で、人生辞めたくなる気持ちに性差はないのさ。
 今だからこそそう思えるが、しかし当時の僕は黙った。
 僕が黙るのを見て、彼女は満足した様子で髪を掻き揚げた。なんだろうね、自分の苦痛が他人に伝わらなかった時の、あの不遜な優越感って。

 さて、彼女は、泣きたくて堪らない日の夜に決まって家出をするらしい。毛布一枚を担いで、小学校の築山を目指し、土管で大泣きしてから眠るのだ。
 私は頭がおかしいのかもしれない。
 と、彼女は寂しそうに言った。
 僕は無言を返して、少しだけ彼女に近づいた。
 触らないでね、と彼女は笑った。
 よく笑う女だったな、そういえば。

 僕と彼女は一枚の毛布に包まることにした。僕の右半身と彼女の左半身はぴたりと張り付いていて、触らないでねと言われたのにこれは良いのだろうかなんて、なんだかそっちにばかり気を取られていたんだ。
 すると、彼女は静かに泣き始めた。僕は驚いて、しかしなにもできなかった。女が泣くのは男にとって恐ろしい事件の一つだけれど、あの時も僕は彼女の嗚咽に恐怖していたよ。とても。

 なんかさあ。
 と、彼女が独り言を始めた。この、長い独り言を僕は殆ど覚えている。今になってようやくわかる気がするんだよ、彼女の言ったこと。そのまま言うから、女言葉になるけど、笑うなよ。
 おい、もう笑うなって。まだ真似してないって。
 笑うんじゃねえ。ちくしょう、まあいいや。

 ◇

「なんにも上手くいかないんだ。毎日毎日できそこないなんだ。別に怠けてるつもりはないんだけどさ、ダメなんだ。
 大人ってのは大変なんだよ、本当に。ぼやっと生きてるとあっという間に時間が過ぎていって、その癖に生きていくのに不足ないお金は溜まっていって、そうするともうこれで良いかなんて思っちゃう。
 そうやって、いつの間にか安住を良しとするの。私はね、本当は学校の先生になりたかったんだ。先生の免許も持ってるんだよ。でも先生になるためのテストに合格しなくて、そのまま実家に帰ってきて事務職やって、恋人ができて、それで」

(酒を一口、そしてストローでエイト・ビート)

「邪魔者を一つ抱えたの。私は、まだ先生になる夢を諦められなかったから、邪魔者とさよならして、それからもう一度先生になろうと思ったんだ。
 でもねえ、それでもねえ、もういい歳だけれど、先生にはなれそうにない。なりたくてもなれない時があるんだね。夢を諦めるなとかいうけど、夢がこちらを向いていないんだ。
 なんにも上手くいかないんだ。だから今日も、私はここで泣くの」

 ◇

 バーテンは笑わなかった。
「笑ってもいいんだぜ」
「なんとも言えないね。俺バーテンだし。で、そこからどうなったんだい」
「寝た」
「寝ただって?」
「そうさ」

 彼女は長い独り言を終えると、そのまま眠りに落ちた。僕はもう帰ろうかとも思ったけれど、どうにもその場を離れられなくてね。もう家出なんてどうでも良くなっていたし、隣で眠る彼女は思った以上に美人だったし。なにより毛布も彼女もとても暖かかった。
 彼女が眠ってしばらくして、僕は彼女の髪を撫でた。柔らかくて細くてさらさらしていた。彼女は身じろいで、僕の肩にもたれた。あの時彼女が本当は起きていたんじゃないかって、今でも思うよ。何かを期待されている時の確信めいたものが僕の体にはあったんだ。でも僕はなにもしなかった。なにかしてやりたくなるタイプの女ではなかったし、なにかしてやりたくなるほど僕は熟れていなかった。

 そしてそのまま一睡もせず、空が白んだ頃になってトンネルを出ようとした。すると、彼女も目を覚まして、恥ずかしそうにこちらを見るんだ。
 もう行くの?
 うん、やっぱりバレない内に帰ろうと思って。
 僕がそう言うと、彼女は少しだけ寂しそうだったな。それから、眠そうな声で毛布を頭までかぶって言ったんだ。
 キミが大人になって、私みたいにしんどくなっても、こんな狭い所にいちゃだめだよ、って。

 家に帰ると玄関で婆さんが待っていた。僕はびっくりして、一晩中そこに居たのか聞くと、婆さんは今起きたところだと答えた。それから、ポカリセット飲んだかい? と聞いて、僕は飲んだよと水筒を返した。
 どうだ、元気が出ただろう。
 得意気な婆さんの脇を抜ける時に、出たよと言ってやった。そうして僕は自室へ戻り、婆さんは台所へ消えた。それ以来僕は、婆さんが死ぬまでポカリセットを腐らせることはなくなったな。相変わらずポカリセットは不味いままなんだけれどね。

 ◇

「だからジンで作ったソルティ・ドッグが好きなのか」
「そうだよ。ポカリセットみたいで昔を思い出すから」
「女とはその後どうなった?」
「二度と会うことは無かった。その後しばらくして、小学校に女の不審者がいるって回覧板が回ってたのには笑ったけど」
「そりゃ不審者だからね」
「僕にとっちゃ印象深い女さ。彼女が最後にあんなこと言わなかったら、僕は今こんなでかい街に出てきちゃいない」
 
 バーテンは大きく欠伸をして言った。
「惚れてたのかい、その女に」
 煙草を潰して、ソルティ・ドッグを流し込む。
「同じ酒を飲みたくなるくらいには」

 話はこんなもんさ。
 なぁ、ちょっと便所かしてくれ。
 この腹の中に溜まった酒を、全部ゲロと一緒に出しちまいたいんだ。

 

       

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Neetsha