『【拡散希望】あの鉄道事故の被害者はゾンビ女ってほんと? 気になるんでわかるひとリプお願いします(^w^)』
けだるい昼下がり、僕とリリーは家からそれほど遠くはない駅前のネットカフェの一室で、コーヒーとか紅茶を飲みながら、いわゆるネットサーフィンをやっていた。家にいたらまた誰か来て面倒くさいし、テレビから得られる情報にも限りがあるからだ。――――本当はあまり僕は外に出たくなくって、というか家から百メートル以上離れた事が無かったので、最初僕の心臓は高鳴りっぱなしでリリーに色々お世話になってしまった。なんともみっともない限りである。
「あっ、これとか結構近そうですよ!」
リリーがつぶやきサイトに表示される多数の吹き出しの中から、一つにディスプレイに指を突きつける。
「なになに……『自分そいつと同じ学校です。一ヶ月くらい学校に来なくて、ある時ひょっこり学校にやってきてました』か。こんなの信用できるかな? リリー」
「うーん……でも、ウソついてなんか得があるんですかね?」
「まぁ、愉快犯ってのは往々にしてそういうものだよ。ネコがネズミを追っかけるのと同じ事さ」
「ははぁ……」
眉根にしわを寄せながらリリーはうなった。確かに、そもそもこれらのつぶやきや書き込みがウソなら、僕たちのやっていることは無意味だ。ただ、昨日の夜リリーにたっぷり話を聞かせもらった『バランス・ブレイカー』の話を聞く限り、鉄道事故の彼女は、身体能力の『回復』に関するなんらかの異常があるに違いない。ここ数年急激にバランスブレイカーが増えているということからも、彼女がそれであるという可能性は非常に高い、そうである。
「君のお父さんはイギリスの研究者、だっけ?」
「そうですよ。主に生物学を研究していました」
あ、また気になるつぶやきが、とマウスを動かすリリー。
「私の父はバランスブレイカーの存在にいち早く気付きました。それは」
「君がバランスブレイカーだった、から?」
「そうです。でも、バランスブレイカー自体がそもそも明確に定義されていないもので、誰にも相手にされませんでした。でも、バランスブレイカー自体は非常に都合のいい存在です」
僕は昨日の事を少し、思い出してみた。
○
――――昨日、リリーは僕が命を狙われる可能性を説明した。例えば、ある野心的な政治家がいたとしよう。その政治家はとにかく人望が欲しい。いのままに人々を動かしたいのである。そんな時、僕という人間はとっても都合がいいというのである。
「あなたがその政治家に脅されて、操り人形になったと仮定してください。恐らく、世の中は大変な混乱に陥るでしょう。幸いあなたは自分の能力を嫌い、否定的に考えいたから、家に引きこもっていました。そのおかげで、特に問題は発生していません」
でも……とリリーは続ける。
「いつあなたの存在に気付き、あなたを利用しようとする人間が出てくるかわかりません」
「ちょっと待ってよリリー。僕のこの能力がある限り、そんな事をする人は出てこないし、やろうとしてもそんな気にはならないはずだ」
「確かに、そうかもしれません」
少しうつむくリリー。
「――ごめんなさい」
次の瞬間、短く鋭い音が和室に響いた。リリーが僕のほっぺたを『ビンタ』したのだ。
「あっ、おっ?」
僕は思わず衝撃でのけぞってしまった。あまりにいきなりのことで、動揺してしばらく言葉を発する事が出来なかった。
「あっ……あっ……」
そんな僕を見かねてか、リリーは僕を無言で抱きしめた。きつく、きつく抱きしめてくれた。
「ごめんなさい、私……あなたに伝えることだけで頭が一杯で……」
涙声が僕の耳元から聞こえる。
「で、でも、これで分かりましたよね? たとえバランスブレイカーであったとしても、それは絶対的では無いのです」
「どっ……どういうことだい」
やっと息も落ち着き、僕はかすれた声でリリーにたずねた。
「私…今、あなたに『プレゼント』のつもりでほっぺたを叩きました」
「えっ」
「ごめんなさい、とは言いましたけど……その、とってもおいしいケーキを口に入れてあげる事を想像して、腕を振りました」
「それは、イギリス人のジョークってやつかい?」
僕は、叩かれた瞬間のちょっと嬉しかった記憶は心の奥に潜めながら、頬をなでた。ふぅ。
「ち、違います! 結局、バランスブレイカーの能力というのは相手に依存するってことなんです」
「と、いうと?」
相手に依存しているのは僕の方のような気がするが……
「スガさんは人間の『これをやったら相手が喜ぶ。気をよくする』という行動・感情を増幅させる、というのが能力なんです。私は、それを逆手に取って、相手に喜ばれる事が、実は相手に危害を与えるという『ギャップ』をあえて引き起こしました」
「そんなうまくいくものなのかい、それって」
リリーの説明は少し、ご都合過ぎるように思える。
「……じゃあスガさん、私、今から英語で喋りますよ。英語で喋りますからね」
頭をじりじりと寄せて、何度もリリーは僕に言った。一瞬の間が出来た後、ふっと、僕と距離を取ってからリリーは喋り始めた。流暢な英語を。
「…………」
ぽかーんと口を開けている僕を前にして、三十秒ほど英語を喋ると、リリーは近くにあった紙と鉛筆を手に取り『今から日本語を、日本語を喋ります』と書いて、僕の目の前に突きつけた。そのまま五秒くらい。
「…………」
「どうですか?」
再び聞こえてきたのは、流暢な日本語だった。
「スガさん、あなた最初に『この子、日本語上手いな』と思いましたよね? 私が最初に話した時に」
「そういえば……そうだね。『ハロー』とか言っておきながら、普通に日本語が聞こえたから『あ、上手いんだ』って素直に思ったよ」
僕はあの時のことを思い出して頷く。確かに、そう思った。
「まさか、それも能力を発揮するための下地なのかい?」
「えぇ、もちろんです」
得意げにリリーは笑った。可愛らしい笑みだ。
「普通はそんなことしないんですけど。なぜか同じバランスブレイカー同士は能力――暗示が効かない場合があるんです」
「へぇ」
いわゆるあれだろうか。過去に自分が同じ境遇に、例えば犯罪者だったりしたからこそ、今犯罪者を追いかける事が出来る有能な刑事っていう理屈、なのかな。
「それに、スガさんは危害を加えないといいましたけど……実際、家に引き込もらされているという『危害』を加えられているわけです。もし、普通の人と同じように学校に来るべきであるというところまで分かっているならば、あなたに対するやさしさは、あなたの家に来ないということでしょう」
「んー、わかるんだけど……なんともややこしい」
僕は頭を抱えてしまった。なんだか、暗示の掛け合い、というか謎掛け小説みたいで気味が悪い。もう、どれがどれだか本当にわからないし、僕自身が何者なのかがわからなくなりそうだ。
「確かに、最初はややこしいです。すごく割り切っていってしまえば、私たちバランスブレイカーは『歩く催眠術』なんです」
「歩く……催眠術?」
生き字引よりは厄介そうだ。
「えぇ。関わる人に暗示をかけて――それも、現実では到底考えられない暗示をかけて、それを能力とする。そういうものなんです。そして、それを破ることができるのは、人間だけなんです」
動物やモノは従わざるを得ません、とリリーはつぶやき、僕を一瞥してから、軽く手を叩いた。
「さ、さ。こんな難しいお話は終わりにしましょう!」
「あ、うん」
外はすっかり真っ暗だった。人間、夜になったら寝るものだ。例えそれがもし、暗示だったとしても、寝るものは寝る。寝るのはキモチイイのだ。あっ、リリーが僕の布団に入ってきた。なんだそれは、まだ今日会ったばかりだぞ。でも、うれしい。なぜだろう、僕をぶったから?
そうだ、僕は、彼女にぶたれて、きっと、きっと嬉しかったんだ。
なんて、とんでもない事を考えててるんだろう、僕は。
だから、寝る。
寝る。
寝るんだ。
―――――――――僕は、寝る。