Johann,-ヨハン-
第1章 魔族の末裔
青白い光が閃いたと思った瞬間、警備兵が3人、呻き声も上げずに倒れた。周囲は既に闇に覆われ、月光が警備兵の首から溢れる血を鈍く照らす。
僕――アンリ・ノルベール――は、王立学術院に通う学術生だ。今日中にレポートを仕上げなければならず、寮に戻るのが随分と遅くなってしまった。でも、まさか、そのせいで野盗に出くわしてしまうなんて――。
とっさに身を隠しながら、警備兵の倒れた城門に視線をやる。
――でも、どうして野盗がこんな所に? 監視塔の警備を潜り、気付かれずに街を抜けてここまで? 警備用のクリーチャーだっているのに。
野盗――濃紺のマントとターバン、紅く光る眼――は血に濡れたダガーを仕舞うと城門を通り過ぎ、闇の中へ消えた。
「警備クリーチャーが全滅してたらしいぜ」
いい息抜きを見つけたとばかりに、ルイが意気込んで僕に話しかけた。
昨夜の事件は一夜のうちに聖都中に広がり、厳重な警備が敷かれるとともに、捜索隊が結成され犯人の捜索が行われている。
僕が偶然現場に立ち会ったことは、その後駆け付けた警備兵と一部の関係者しか知らない。
「無駄話してると、教授に叱られるぞ」 昨夜の事件の話題で盛り上がる気にはなれない。
「問題ねえよ。神話学なんて、真面目に聞いてるやついねえし。悪魔だの精霊だの、本当にいると思うか?」
「いるかもね」
「おいおい! そんなものがいたら、ヒューマンはとっくに絶滅してるよ!」
「そこ、静かに!」 教授の激が飛ぶ。
僕は小声で話す。 「悪魔と神は僕達の精霊界には干渉できないって、さっき教授が話してただろ」
「へっ。姿を見れないんなら、どうして存在するなんてことが言えるんだよ」
「‥‥お前、何でこの講義取ったんだよ」
「えーと‥‥ノルベール君。至急学長室に向かってください」 教授が突然講義を中断し、僕の名前を呼んだ。
――何だろう。まさか、昨夜のことかな。
僕は教科書を鞄に仕舞い、ルイの冷やかしを背に教室を出る。
「盗まれたものは何もなかったそうだ」
学長室へ入ると、予想通りヴァレリー学長が昨夜の事件について述べた。
「ただの野盗じゃありません。1人だったし、それに――」
――紅い眼をしていた。
「それに?」
「何でもありません」
つい喋ってしまったが、殺人事件に巻き込まれるなどまっぴらごめんだ。
学長は書類を書く手を止めると、僕の顔を覗き込む。
「ノルベール。君を呼んだのは、昨夜の事件について詳しく話してもらうためだ。何しろ狙いが全くわからないし、警備を潜り抜けクリーチャーを全滅させるなど尋常じゃない」
「僕は何も知りません! 真っ暗だったし、気付いた時には犯人はもう消えてました」
「話を聞きたいのは私じゃない、守護隊だ。今すぐ隊舎に向かってくれ」
学長はそれだけ言うと、机に視線を戻した。
――聖都守護隊。そうすると、やはり‥‥。
研究室を出て、守護隊舎へ向かって歩く。隊舎は昨夜警備兵が殺された城門から見て、ちょうど犯人が消えた方向と反対側だ。
聖都守護隊はその名の通り、野生のクリーチャーや野盗から聖都を護るのが仕事だ。しかし、単なる野盗や低級クリーチャーに対しては守護隊ではなく警備隊が対応することになっている。
――守護隊が動いているということは、昨夜の事件はただの野盗の仕業ではないと考えているということか。
「アンリ・ノルベール上級学術生だね」
隊舎内の一室に通されると、隻眼隻腕の初老の男が執務机にもたれかかって言った。
「私は聖都守護隊副隊長ギデオン・デュ・ゲクランだ。昨夜起きた警備兵殺害事件について、知っていることを全て話して欲しい」
僕は男の眼帯と半分になった左腕に視線をやる。
「驚いたかね。初対面の者は、私の姿を見て必ず驚く」
「いえ‥‥」 慌てて視線を逸らす。
「気を遣わなくてもいい。聖都を護るために負った名誉の負傷だ」 ギデオン副隊長は誇らしげに左腕をさする。
「昨夜の事件のことは、僕は何も知りません」
さっさと用件を済まし、次の講義の課題を片付けたかった。ここのところレポートにかかりっきりで、課題にはまだ手を付けていない。
「警備兵が殺害された現場に立ち会ったんだろう? 犯人の姿も見たんじゃないのかね?」
「僕が気付いた時には、犯人はもういませんでした」
「それはおかしいな。事件後に君は、犯人は1人だったと警備兵に話している。本当は犯人を見たんだろう?」
「それは‥‥」 矛盾点を突かれ、僕は口どもる。やましいことなどないが、僕は昔から警備隊や守護隊に対して苦手意識を持っている。
「虚偽の証言はしないほうがいいぞ。監獄へ行きたくなければな」
ギデオンがパチンと指を鳴らすと、兵士が2人、出口を塞いだ。僕を部屋から出さないつもりだ。
「成績優秀な君なら、聖都守護隊の前身を知っているだろう」
「‥‥十字軍。魔族討伐軍です」
「その通り。我々ヒューマンのかつての仇敵。互いの存続をかけ、血で血を洗う闘いを繰り広げた。そして激闘の末我々は勝利した! 犠牲は大きかったがな」
僕は口をつぐむ。突拍子もないことを言われたからではなく、予想通りの話題だったからだ。
「犯人は魔族の生き残りの可能性がある」
「魔族は絶滅したと習いました」 下等教育の教科書にも書かれていることだ。十字軍と魔族軍が全軍をぶつけ合い、雌雄を決したのだ。この戦争はヒューマンの間では「聖戦」と呼ばれている。
「そう思っていた。しかし、生き残りがいる可能性が出たのだ。君は犯人の姿を見たんだろう?」
僕は沈黙する。
「魔族の特徴は暗闇でも周囲が見えるよう発達した紅い瞳だ。闇の中で紅く光る。君はそれを見たんじゃないかね?」
「僕は何も知りません」
「君は隠し事をしている。犯人を庇うのは反逆罪だ! 連れて行け!」
兵士が槍を構え、僕に近づく。
次の瞬間。僕とギデオンの間の空間が歪み、暗闇の中からゆっくりと『それ』が現れた。
ぼろぼろの黒いマントを羽織り、フードを被っている。ギデオンの方を向いているため、顔は見えない。
強烈な腐敗臭。鳥肌が立ち、本能的な恐怖が全身を貫く。
――何かわからないけど、やばい。‥‥逃げなきゃ、殺される!
暗闇から現れた『それ』は徐々に形を成すと、両手に持っている鎌を振り上げ、ギデオンの首を切り落とした。
「うわぁああああ!」 「化物だぁぁ!」
続けて『それ』は、逃げようとドアを開けた兵士の首をはね、腰を抜かし失禁している兵士に覆い被さるように覗き込む。
僕は震える脚をどうにか動かし、執務机の下に潜り込んだ。
鎌が空を斬る音。続いて、血飛沫が上がる音。
僕は震えながら目を瞑り、祈る。
『それ』が僕を覗き込む。
フードの下の骸骨。眼窩に光る赤い眼球。
その映像を最後に僕の記憶は途切れた。
―パチッ
焚き火の爆ぜる音。瞼の裏でぼんやりと揺れる陽炎。
――これは夢だ。子供の頃、図書館の書架に忍び込んだ時の記憶。
禁書を盗み見ようなんてつもりはなかった。ただ好奇心に負けて、図書館が閉まるまで隠れて、書架に入った。
そこで見たものは、恐ろしい記憶として今もはっきり残っている。十字軍――魔族討伐軍が、魔族を虐殺した記録。学校で教わった知識とは全く違う、見てはならない記録だった。十字軍の遠征は、ヒューマンの存続を賭けた戦いではなく、侵略戦争だったのではないか――?
だが、そんなことを口にしようものなら、反逆罪で死罪だ。僕――アンリ・ノルベール――は、その恐ろしい疑問をずっと抱えたまま生きてきた。
―パチッ
場面が変わる。
暗闇に閃く鈍い光。血溜まりの中倒れる警備兵。闇に浮かぶ2つの紅い瞳。
―パチッ
強烈な腐敗臭。首から迸る血飛沫。骸骨の赤く光る眼窩。
「うわぁぁあ!」
跳ね起きると、辺りは真っ暗で、どうやら森の中らしい。直ぐ横で焚き火が揺れている。
悪夢を見たせいで、動悸が速い。べとつく汗を拭う。
――どうしてこんな所に‥‥?
「目が覚めたか」
声がした方向――焚き火の向こうに視線をやる。
「お前は、昨日の!」
視線の先には、夜色のターバンとマントを羽織った男が座っていた。肌は青白く頬はこけており、病的な印象を受ける。
深紅の双眸が薄闇に浮かび、陽炎が揺らめくたびに怪しく瞬く。
「貴様を利用させて貰った」 魔族の男が言った。
「ギデオン・デュ・ゲクランを殺すには、隊舎内に侵入する必要があったんでな」
僕の脳裏に気絶する直前の光景が浮かぶ。
「ギデオン副隊長も、お前が‥‥?」
「そうだ」
「一体どうやって。あの死神は?」
誰にも見つからずに守護隊舎へ侵入するなんて不可能だ。それに、あの時は間違いなく僕とギデオン副隊長、それと兵士しかいなかった。
「貴様も一緒に殺すつもりだったが、その前に聞きたいことがある」
男は僕の質問を無視し、冷たく言い放つ。
僕は唾を飲み込む。 「聞きたいこと?」
魔族の男がニヤリと笑う。 「何故俺のことを話さなかった? 警備兵を殺すところを見ていただろう」
「その質問に答えたら、僕も殺すのか?」
「答えなくても殺す」
――何で僕がこんな目に。あの時、図書館に忍び込んで、見てはならないものを見てしまったからなのか‥‥?
両目から涙が溢れる。
「あんな記録、見なければ良かった。真実なんて知らなければ、こんな目に会わずに済んだのに――」
僕が呟くと、突然、魔族の男が身を乗り出した。
「そうか、やはり貴様はあの戦争の真実を知っているんだな!?」
「え‥‥」
「言え! 何処で真実を知った!」 男は一瞬にして僕の背後に回り、ダガーを首に突きつける。
「俺はギデオンと貴様の会話を聞いていた。貴様はあの戦争の真実を知っているんだろう!? どこで知った!」
「‥‥大‥‥聖図書館の、禁書架で」
「図書館か」 魔族の男はダガーを離すと、何事か考えながら元の場所へ戻る。
「喜べ、貴様を殺すのは止めた。貴様は大事な証人だ」 咳き込む僕に男が告げる。
「証人‥‥?」
「俺の目的は、一族を滅ぼした奴等に復讐をする事と、真実を白日の下に晒す事だ。その為には貴様の協力が必要だ」
今すぐに僕を殺すつもりはないようだ。
「白日の下に晒すって、そんなこと、どうやって」
「貴様が知る必要はない」 男は淡々と告げる。
「ちなみに、逃げようとしても無駄だ。俺の下僕が貴様に取り憑いているからな」
そう言って男が呪文を唱えると、暗闇の中からゆっくりと死神が現れた。
悪臭の中胃液が逆流するのを感じながら、僕はまた意識を失った。
「ガルーザ! 無事だったのね!」
「クイン!」 ガルーザはクインに駆け寄り、荒々しく言う。
「ああ。だが、俺の部隊は全滅だ。クソ! ヒューマン共め、裏切りやがって! だから俺はヒューマンなんか信用できないって最初から言ってたんだ! 奴等は俺達のことをクリーチャーなどと呼んで、はなから見下してやがる!」
森には火の手が上がり、ヒューマン部隊の放った銃弾がクインの頬をかすめる。
「部隊は壊滅。集落は破壊され、仲間は散り散りになった。森も焼き尽くされるだろう‥‥ヒューマンに捕まれば、死ぬまで奴隷として働かされることになる。逃げるなら今しかない」
「私はヂードゥの誇り高き戦士。最後まで闘うわ」 クインは剣を握り締め、牙を剥き出して呻る。
「そう言うと思ったぜ」 ガルーザは笑う。
「しかし、お前は逃げろ、クイン。お前には森の精霊の加護がある。お前さえ生き残れば、いつか必ずヒューマン共に復讐できる。一族の仇を撃てるはずだ」
「なら、あなたも一緒に逃げて! 独りになるのは嫌」
ガルーザは、何事か考えながらクインを見つめる。
「‥‥分かった。お前は俺が必ず護る。行くぞ!」
2人は剣を仕舞うと、疾風の如く駆け出した。
豹型クリーチャー――ヒューマンの分類によれば――特有の強靭でしなやかな筋肉は、足場の悪さをものともせず、2人の身体を集落の北へと運ぶ。
ヂードゥ族の集落は、聖都の東側に広がる森の南部に位置する。森には様々な種類のクリーチャーが生息しているが、ヒューマンの言葉を理解するクリーチャーは上級クリーチャーと呼ばれ、昔からヒューマンと交易を行なってきた。ヂードゥ族も、野生のクリーチャーを手懐けヒューマンに提供するなど、友好な関係を築いてきた。しかし、ヒューマンから突然攻撃を受け、集落は壊滅したのだった。
「ここまで来れば大丈夫だろう」 集落から15キロメートルほど離れた湖で、2人は脚を止めた。
「この辺りはドレイクの縄張りだわ」
「事情を説明して協力してもらおう。彼らは助けになる」
ドレイク族は、ヒューマンの分類によれば魔虫型低級クリーチャーだ。蜥蜴のような姿で、猛毒を持つ。擬態が得意で暗殺に向いているため、手懐けてヒューマンに提供することもあった。
「ガルーザ! 上よ!」
クインに呼ばれ、空を見上げると、夜空を覆い尽くす巨大な物体が2人の真上を飛行していた。
「何だあれは――」
次の瞬間、爆音と閃光がガルーザの視界を覆った。
爆音と共に振動が響き、閃光が薄闇を照らした。
「今のは‥‥?」 衝撃で目が覚めた僕は、誰ともなく呟いた。
「ヒューマン共の兵器だ。しかし、あんな巨大なものは見たことがない」
魔族の男は樹上から飛び降りると、険しい表情を浮かべながら言った。
「兵器だって? 戦争を始めるなんて話、聞いたことがない。第一、誰と戦うっていうんだ」
「ヒューマン共に、侵略をするのに理由は必要ない。俺たちを虐殺したようにな。すぐに移動するぞ。準備をしろ」 男は手早く焚き火を消す。
「真相を暴く協力はする! だから僕を聖都に帰してくれ!」
「それは不可能だ。聖都に戻ったら、貴様は守護隊に殺される」
僕は耳を疑う。 「僕が守護隊に殺されるだって!? 何故!?」
「貴様にはギデオンと兵士殺しの容疑がかかっている。聖都に戻ったら、捕まって処刑されるだけだ」
僕は息を飲む。
「彼らを殺したのはお前じゃないか!」
「貴様がそう言っても、誰も信じない。魔族は既にヒューマンの手により絶滅したことになっているんだからな。俺の存在に唯一感づいていたギデオンはもういない。昨夜の事件も、ギデオン殺しも、貴様がやったと思われるだけだ」
「そんな‥‥」
――悪夢だ。昨夜遅くまでレポートをやっていたせいで、殺人犯になるなんて。
「諦めろ。先ほど自分で言ったように、あの戦争の真実を知った時に貴様の人生は変わったんだ。だが安心しろ、貴様は大事な証人だ。貴様の身体は常に俺の下僕が守っている。俺に協力している限り、死ぬことはない」
この男の言うことが本当だとすると、聖都に戻ったところで処刑されるだけだ。かといって、森の中には獰猛なクリーチャーが生息している。僕1人では夜を越せないだろう。
「‥‥分かった、協力するよ」
僕の言葉を聞き、魔族の男がニヤリと笑う。
「俺の名前はヨハネス・ゲオルクだ。よろしくな、アンリ・ノルベール」