Johann,-ヨハン-
第13章 孤独な死闘
「すごい‥‥」 船から降り、聖都の全体が見通せる場所まで歩くと、シュジェが驚愕の声を漏らした。
「聖都を見るのは初めてか?」
「‥‥私はこの間まで聖域から出たことがなかったのよ」
ガルーザがからかうように聞くと、シュジェはむっとして答えた。
さらに暫く歩くと、聖都下層への門が見えた。 「どうする? 僕とウェンディは門から入れるけど」
ウェンディは先程から僕の背中で寝息を立てている。
「あの程度の高さなら、余裕で越えられる。俺たちは壁を越えて屋根伝いに教会へ向かおう」
そう言って、ガルーザとシュジェは一時僕らと別れた。
僕はウェンディをおぶって門を通過する。
――やっぱり、門を通るときは緊張するな‥‥。
「ちょっと待て」 突然、門番に呼び止められた。
どきりと心臓が跳ね上がる。
「可愛い娘だな。お前の妹か‥‥?」
「‥‥はい」
門番が僕らに近づき、ウェンディの寝顔を覗き込む。
すると、門番は先月自分に娘ができたんだと嬉しそうに語り始めた。
僕が適当に相槌を打っていると、門番はやがて会話を止め、引き上げていった。
「びっくりさせるなぁ‥‥」 僕はゲートを抜け、神聖教会本部へ向かう。
教会の扉を開けると、2人は既に到着していた。礼拝堂に入る。
「誰もいないようだ」 ガルーザが言った。
「出掛けてるのかな。直に戻ってくるだろうし、使わせて貰って大丈夫だと思う」
僕はウェンディを椅子に寝かせる。
「これからどうする?」
「精霊達はおそらく城内だ。まずは監視塔を潜って上層に移動しないと。それと、ヨハネスとも合流したい」
「どちらにしろ、行動を起こすのは夜になってからだな」
夜まで待ってもイヴ神父とネスビットは姿を見せなかった。
僕は何となく気になってネスビットの部屋に入る。机の上を確認すると、メモを発見した。
“魔族は城内の牢屋にいる”
ネスビットからのメッセージのようだ。
僕は悩んだ挙句、彼女を信じることにした。なんだかんだ言って、彼女はいつも味方をしてくれる。
「ヨハネスは城内の牢屋に捕まってるみたいだ」 僕はメモを見せ、説明をする。
「そうか。とにかく城内に潜入しないとな」
「警備クリーチャーはヨハネスが始末して今はいない。問題は監視塔と城門の警備兵だ。エル・シドが殺されたことから、相当厳重になってるはずだ」
「‥‥最悪、兵を全員倒すしかないな。銃を持っているとしても、所詮はヒューマンだ。俺とシュジェだけでもなんとかなる」
僕は頷く。 「殺さないようにね‥‥」
僕たちは聖都中が寝静まるのを待って、教会を出た。上層への階段に向かう。
上層へ移動する手段としてはエレベーターと階段があるが、監視塔が上層の入口を常に見張っている。そのため、気付かれずに潜入するなら階段で行くかない。
下層の階段に到着し作戦を確認していると、奇妙な現象が起きた。
突然、シュジェのバストが寄せて上がったのだ。
僕たちが唖然としていると、続けて僕の腰から剣――クインの剣だ――が抜き放たれ、宙に浮いてガルーザの首元で止まる。
理解不能な状況に硬直していると、何処からともなく声が響いた。
「――城内へ潜入して、クーデターでも起こすのか?」
緊迫した雰囲気だが、この状況を面白がっているような声だった。
――計画がばれた。
僕たちは依然として異常事態に身動き取れずにいる。すると、ウェンディが右手を上げ、ガルーザの後方の空間を水流が覆った。
「――うおっ!?」
どこかから驚きの声が上がり、クインの剣が地面へ落ちる。
「――‥‥そうか、あの時のウンディーネか」
すると、水球が弾け、男が姿を現した。
暗闇のためよく見えないが、砂色のマントとフードを被り、軽鎧を身に着け、土色のブーツとグローブをしている。腰に剣を下げ、身長はガルーザの頭2つ分程低い。顔は隠れており、スカーフの上から両目が覗いている。
男が姿を見せると、シュジェが決然と襲いかかった。彼女はかつてない速度で斬撃を繰り出す。
―ヒュヒュヒュッ!
目にも留まらぬ速さで男を斬り裂いた――かのように見えた次の刹那、男のシルエットが陽炎の様に消えた。
「美しい」 後ろを振り向くと、男がウェンディの手を取っている。
「噂に違わぬ清艶な美貌‥‥」
僕は無意識に蹴りを入れる。
「‥‥!」 腰を力任せに蹴られ、男は地面に四つん這いに手を着く。
「何をする‥‥」 男が唖然として言った。
「何って、何なんだお前は?」
僕が聞くと、男は立ち上がって僕に向き合う。男の目が笑う。
「クックック。伝説の風来坊、烈風のシルフとは我の事よ」
「シルフって‥‥まさか、風の精霊?」
「そうとも言う」
――こんな奴が‥‥?
精霊シルフは曲刀を抜き、切っ先を僕に突き付ける。
「お前がウンディーネの伴侶だな? お前を殺せば、ウンディーネは独り身になるわけだ」 シルフは面白半分に告げる。
僕は唾を飲み込む。 「‥‥ウェンディは渡さない」
シルフは目を細める。
「面白い。ウンディーネを賭けて決闘しろ。我に勝てたら言うことを1つ聞いてやろう。明日の正午にお前の元へ行く。首を洗って待っているんだな」
そう言い残し、精霊シルフは姿を消した。
翌日の正午、僕は森の中にいた。クインの剣を握り締める。
――シードラゴンを殺し、ウェンディをあんな目に遭わせたのは、シルフの起こした竜巻だ。目にもの見せてやる。
太陽が僕の真上に回った頃、精霊シルフが姿を現した。
「‥‥僕が勝てば、言うことを何でも聞くんだな?」
「如何にも。我は強者を好む。我を負かすようであれば、お前に仕えてやろう」
―ギィン
僕とシルフは抜剣し、構える。
「いざ!」 シルフが掛け声を上げる。
すると、シルフの姿が5つに分裂した。
――分身!?
当てずっぽうで狙いを定め、5分の1の確率で横薙ぎに斬る。しかし、手応えはない。
僕は地面を蹴り、すかさず樹の陰に隠れる。
―ズドォン!
激しい音を立て、樹が真っ二つに斬り倒された。冷や汗が出る。
僕は即座に全力で横に跳んだ。
「うぐっ‥‥」 突然、腹部に強烈な衝撃が走り、吹っ飛ばされた。シルフに蹴りを入れられたようだ。
僕は地面を転がり、堪えきれず嘔吐する。
「その程度か?」 シルフが僕を見下ろし、拍子抜けした様に呟く。
――‥‥やっぱり、まともに闘ったら、勝ち目がない。
僕は森の宝玉を握り締める。すると、瞬時に周囲に霧が立ち込め視界を覆った。急いで身を隠す。
「何だ‥‥?」 シルフは旋風を起こし、霧を払う。
すると、彼はおびただしい数のウルフに囲まれていた。
「何っ!?」
ウルフが一斉にシルフに襲い掛かる。
シルフは立て続けにウルフを斬り捨てるが、膨大な数のウルフの群れが彼を呑み込んだ。
「小癪なっ!」
―ビュゥゥッ!
再度旋風が巻き起こり、ウルフの群れが勢いよく後方に吹き飛んだ。
しかし、シルフの脚に蔦が絡みつき、動きを封じている。
―ヒュヒュヒュッ‥‥
僕は怒涛の勢いで矢を放つ。
1発、2発、3発、4発、シルフの背中に命中する。
間髪入れず樹上から飛び降り、渾身の力を込めて袈裟斬りに斬り下ろした。肉を斬り裂く衝撃が僕の腕に伝わる。
――どうだ!?
僕は着地して、素早く後方へ距離を取る。手応えはあった。
「クックックックッ‥‥」 シルフが不気味な笑い声を上げる。
「森の精霊の加護を受けているとはな、驚いたぞ。だが、この程度では認めるわけにはいかんな」
すると、シルフを中心として突風が吹いた。彼の身体が宙に浮く。
僕は足を踏ん張って体勢を保つ。
―バキィィン
シルフが腕を振った刹那、突然クインの剣が折れ、刀身が宙を舞った。右腕に鋭い痛みがはしる。
「まだまだ!」
シルフは続けざまに腕を振るい、鎌鼬を放つ。
「ぐぅっ‥‥!?」
その寸前、シルフが片膝を着いた。
「これは‥‥?」 彼は苦しそうにうめき声を漏らす。
「‥‥痺れ薬だ。森の聖域の、特殊な樹木から採れる。シュジェから貰った奥の手だ」
僕は身体を起こす。右腕から出血しているが、指は動く。神経は切断されていないみたいだ。
「精霊相手に効果があるかは賭けだったけど、上手くいったみたいだね‥」 僕は半分になったクインの剣を拾い、シルフに近づく。
「ヒューマンめ‥‥悪知恵の働く‥‥」
左手でシルフの首元に剣を突き付ける。
「チェック・メイトだ! ウェンディは渡さない! 言うことを一つ聞いて貰うぞ‥‥」
シルフは片膝を着いたまま思案する。
「いいだろう。我の言葉に二言はない」
その言葉を聞くと、僕はうつ伏せに倒れ、意識を失った。