Neetel Inside 文芸新都
表紙

ニッポニア
旭日編

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 私達はニッポニアからこの星の基本的な情報を聞き出した。この星が地球という名前で、かつて青く美しい惑星であったこと。見えない境界で区切られた国という地域行政機関が各々統治していたこと。ニッポンという国にニッポニアが属していたこと。しかし、我々がもっとも興味がある彼ら人類が滅びた理由を聞くと、とたんに口数が減った。
 技師長は別の角度から切り崩そうと、話題を変えた。
「我々は君の脳をいじくり回したり、言葉巧みに騙して情報を入手したりはしない。君が旧時代レベルだからといって、旧時代の野蛮な方法を用いたくはないのだ。しかし、君がだんまりを続ければどういうことになるか、分かるだろ」
 ニッポニアから見れば、我々は手の平に乗るような大きさである。こういう脅しが有効とは思えない。
「少々、長い話になるがいいか」
 どうやらこの男にも理性というものがあったようだ。ニッポニアがついに人類が滅びた理由を話し始めた。私は自分の仕事が書記であったことを思い出し、ペンを走らせた。



 文久三年正月二十一日の明け六つだから、西暦で言えば1863年2月25日午前6時ごろのこと。比叡山延暦寺から一人の僧が石段を下っていく。アカゲラが木をつつく音が遠ざかり、豆腐売りの声が近付いてくる。豆腐売りは町一番の早起きだ。庶民の朝食に間に合わせて届けなくてはいけないのだから。
 石段を下りきったところですれ違う。
「坊さん、豆腐は」
「すまぬが、それは石段を登った先で掃き掃除をしている小坊主にでも渡してくれ。拙僧は寺には戻らぬのでな」
 この僧はその日から還俗し、上中下之介かみなかしものすけと名乗のるようになる。還俗して侍に戻る。延暦寺から立ち上る煙を眺めながら、下之介は決心を固めた。
 今まで何度辞めようと思ったことか。修行僧には厳しい戒律がある。酒は呑んではならないし、肉や魚も口にしてはならない。妻を娶ってはならないし、女遊びなんてもってのほかだ。あれも禁止、これも禁止。下之介にはこの僧坊の暮らしは堅苦し過ぎた。今まで飛び出さなかったのは、自分でこつこつ集めた書物があったからだ。
 和紙の紙束が下之介の天地であった。日本外史が下之介にとっての娯楽であり、東海道中膝栗毛が下之介にとっての旅であり、源氏物語が下之介にとっての恋であった。しかし奔放な下之介を嫌う者たちによって、すべての蔵書を焼かれてしまった。書物がなくなった以上、もうここにいる理由はなかった。
 天台座主に啖呵を切って、山門を出た。後悔なんざ微塵もない。坊主なんてやめてせいせいした。そう思うと心が弾むようだった。いままで禁じられたことを全部やってやる。手始めに酒を呑もうと居酒屋を探すが、こんな朝っぱら開いているわけもない。店じまいをしている居酒屋をみつけて、ずうずうしく転がり込む。
「この店で一番上等な酒を頼む」
 おやじに一声かけて長い腰掛にどかりと座った。
 親爺は嫌な顔一つせずとっくりと猪口を出してくれた。
 初めて酒を呑む。呑み方なんて分からないから、水を飲み干すようにぐっと一息にあおる。美味い。酒とはこんなに美味いものか。下之介はよほど酒が気にいってしまったようだ。親爺が呑みっぷりがいいともう一本とっくりを出してくると、次々と空にしていった。
 居酒屋が見られるようになるのは宝暦(1751年から1763年までの期間)を過ぎてからで、それまでは量り売りが主流であり、その場で呑むことはできなかったそうだ。
 いったい何杯目の猪口だろうか。さすがに人の良さそうな親爺も迷惑そうな顔をしている。二百文(約3000円)払って気持ちよく居酒屋を後にすると、もうすっかり日は昇っていた。
 ああ、酒の味も知らずに生きてきたことがまったく馬鹿らしい。次は何をしようか。解き放たれた煩悩はとどまることを知らない。百八つでは足りないくらいだ。
 そうだ。せっかく侍になったのだから刀を買おう。千鳥足のまま番所を通って市中に入る。あちこちの家からかまどの煙が立ち昇り、炊き立ての白飯の匂いが空腹にこたえる。
 魚売り、野菜売り、惣菜売りの棒手振ぼてふりが売り文句で客を呼んでいる。棒手振ぼてふりとは天秤棒を担いで両端に売り物を入れた桶をかけて町を売り歩く小売業のことである。
 朝五つ(午前8時)、京の町はすっかり目を覚まし、裏長屋の井戸端からは活気のある声が聞こえてくる。店子(大家から家を借りている長屋の住人)の女房たちが井戸端で灰汁を使って洗濯をしている。洗濯を片手間におしゃべりに興じているいったほうがより正確だろう。 刀屋を探しながら、ついでに買い物を済ませてしまおう。この頃は旅支度には大層金がかかった。例えば最も人の往来の多かった京都と江戸を結ぶ東海道の場合、百二十五里(約500km)だから成人男性ならば13~15日ぐらいかかった。草鞋は半日も歩けばつぶれてしまうから、草鞋だけでも三十足、一足十五文だから四百五十文(約6750円)は必要になる。
 すっかり日も傾き、路地裏からは三味線の音色が聞こえてくる。お稽古事の三味線の師匠が奏でているのだろう。中京辺りでうろついているうちに見つけた刀屋に入ると、人を斬るための道具であることを忘れてしまったかのような豪華な装飾の刀がずらりと並んでいた。刀身が一つあれば鍔や柄、鞘を付け替えることができるので、その日の気分で漆塗りから派手な朱鞘に変えたりする粋な者もいるらしい。
 まだ懐に余裕はあったが、売り物に値札が付いていないから「この店で一番上等な刀をくれ」とは言えない。刀屋の番頭と交渉しだいで値段は変わる。下之介は安くて丈夫な刀を探したが、番頭に聞いても三好長道がどうとか、無銘業物ならどうとか言われて話が通じない。
「この正宗などどうでしょうか。お腰にさしてみてください」
 されるがままに刀と脇差を帯に挟まれる。体が左に傾き、たたらを踏む。
「ちと、重いな。もっと軽い刀というのはないものかね」
「いいものがあります。しばしお待ちを」
 そういうと番頭は奥の間にひっこんで、米のとぎ汁で拭き掃除をしている丁稚でっちを手招きする。
「蔵に献残屋から買った上り太刀があったろう。取って来ておくれ」
 献残屋とは今でいう贈答品のリサイクルショップのことで、武家では贈答品に必ずといっていいくらい、木で出来た模造刀を付けた。それが上り太刀である。下之介の世間知らずを見透かした番頭は、上り太刀を名刀と偽って売りつけた。エセ侍にはお飾りの刀で十分というわけだ。
 そうとも知らずに、下之介はおもちゃのような刀にご満悦で漆塗りの鞘を撫でている。あとはまげが結えるまで髪が伸びればと、僧形の頭をぺしりと叩いた。



 九回、時の鐘が鳴る。最初の三回は捨て鐘だから、暮れ六つ(午後6時)の鐘だ。刀が思ったよりも安く済んだので、夕飯は豪勢に料亭で食べようと丹虎という料亭に入る。
 下之介の身なりを一目見て、女将はやんわりと断った。
「お客はん、うちは一見様はお断りどすえ」
「女将、それはおかしい。誰でも最初は一見様じゃろうが」
 下之介と女将が押し問答を続けていると、すでにこの料亭の二階で酒宴を開いていた客が、騒動を聞きつけて降りてきた。
「その男は僕の知己ということにして、あげてやれ」
「よろしんどすか、清河はん」
 女将が清河と呼んだ男は下之介とは知り合いでもなんでもなかったが、どうやら助け舟をだしてくれるようだった。
 喜び勇んでふらふらと階段を登る。その後ろ姿について登ってきた清河は、下之介が酒を呑む前からすでに酔っ払っているのを見て、酒の座興にと同じ座敷に呼んでやった。
 素面ならば精悍なたたずまいであろう若侍たちが、髪も振り乱して高いびきをかいている。清河以外は酔いつぶれてしまって、代わりの話し相手を探していたのだろう。
「君は勤王派、佐幕派どちらだ」
「は」
 清河は下之介の反応の鈍さを見て、一気に興が冷めてしまった。
「勤王は幕府を倒し朝廷を御政道の中心とする思想、佐幕は幕府を支持する思想のことだ」
 時流に疎い者にも分かるように清河は噛み砕いて言うが、下之介は話しはそっちのけで一の膳の塩焼きの鮎の頭を噛み砕いている。
「それは必ず勤王か佐幕にならにゃいかぬのか。それよりもせっかく料亭に来たのだから、もっと魚を沢山食わせてくれ。シビ(マグロ)やコノシロはないのかい」
「君は本当に武士か。シビは死日に通じ、コノシロは『この城を食べる』で縁起が悪い。さらにコノシロは切腹をする者の最期の食事に出されるため、切腹魚とも呼ばれている。武士ならば絶対に食べない。君は先ほどから人の話も聞かず、こんな痩せて骨の硬い加茂川の鮎ごときに夢中になっているが、長良川の鮎に比べたら食えたものではない。鮎を食っている場合か。今、天下は揺れ動いている。千里の波濤を越えて夷人どもがこの国に押し寄せ、開国派の大奸物の井伊は水戸の勤王の志士たちによって討たれた。一昨日この京の都にもこの国を守る一党が結成された。武士ならば何か思う所があるはずだ」
 下之介は手付かずに残っている三の膳の豆腐田楽を口に運びながら、今ごろ寺ではまた精進料理を食べているころだと、ふと思った。
「正直に申すが、拙僧は侍というものが良く分からんのだ。拙僧は肥前佐賀藩の貧乏侍の三男坊として生まれたが、五つのときには寺に預けられていたから父親のことは良く憶えておらぬ。寺での生活は世俗とは隔絶されておって、今日還俗したばかりの拙僧にはわからぬことばかりじゃ。りっぱな侍となって故郷に錦を飾りたいから、一つご教授願えぬだろうか。侍とは何ぞや」
 下之介の問いに清河は寝息で答えた。
「なんじゃ。寝てしまったのか。人の話を聞かぬのはお互い様じゃな」
 下之介は冷め切った水菜の味噌汁を飲み干すと、侍とは何かを考えながら眠気に身を任せた。



 翌朝、先に起きていた清河に起こされる。
「大丈夫か、ずいぶんうなされておったみたいだが」
 うなじには汗がべっとりとして肌着が張り付いている。
「ああ、またか。毎度のことじゃ、心配には及ばぬ」
 下の介は気にも留めず、寝汗のびっしょりと染み込んだ着物を脱いで下帯姿になった。
「いったいどんな夢を見ていたのか」
 股引をはき、小袖胴着に腕を通す。
「それが一向に思い出せんのじゃ」
 腕には手甲、足には脚絆と紺足袋を履き、裁着袴たっついばかまを身に着ける。
 裁着袴たっついばかまは動きやすいように裾がすぼまっている袴である。
「あつい、あついと寝言まで言っていた。この都が火の海になる夢でも見たのだろう。君もこの国の動乱を肌で感じているから、そういう夢を見るのだ。国事について考える気になったら、また会ってやる」
 下がり藤の紋が染め抜かれた黒羽織、刀の柄には柄袋、一文字笠を被り、予備の武者草鞋を風呂敷に包み、肩にかけて背負い旅支度を整える。そこに清河の姿はもうなかった。気風のいい男だったようで、すでに下之介が呑み食いした分までまとめて払ってくれていた。
 故郷の肥前佐賀は出入りの厳しい藩だ。帰れば藩の中だけの生活が待っている。二度と清河と会うこともないであろう。

     

「ちょっと一度中断してもらおう」
 技師長が話を遮った。
「いつまでたっても人類が滅亡しないが、いったい今から何年前の話をしているんだ」
「私の先祖の話ですから、かれこれ200年ほど前の話です」
「なぜそんな昔話を聞かせるんだ。人類滅亡の原因だけ簡潔に述べたまえ」
「200年前にすでに滅亡の遠因はあった。まだ話のさわりですよ。聞く気がないのならば、もう話はやめだ」
「少々失礼するよ」
 速記を終え清書に取り掛かっていた私を、技師長が指揮所に引っぱっていく。技師長は顎から伸びる触手(ニッポニアがいうには我々の体と人類の体は外形がよく似ているらしく、この触手はヒゲという部位に相当するらしい)をくゆらせながら、いまいましげに呟いた。
「どうもおかしい。あの男は本当に人類滅亡の原因について話すつもりがあるのか」
「しかし、技師長。嘘をついたところでニッポニアにメリットはないわけですし、長話がしたいだけかも知れません」
 私の説得により、もう少し話しを聞いてみることになった。ニッポニアの方がへそを曲げてやしないか心配だったが、三人で遅めの朝食を食べながら自然と話の続きを語ってくれた。
「君達がそこまでいうのなら、少しかいつまんで話そう。文久3年4月13日(1863年5月30日)上中下之介が江戸の裏長屋にいたところからだ」
「エド? 下之介の故郷に帰る話でしたよ」
「そう。ところがその故郷の肥前佐賀藩に入れなかったんだ。肥前佐賀はあの薩摩藩よりも藩士以外の人間の流入にきびしかったんだ。この時代まで日本は鎖国という海外の人や物、文化を日本に流入させない政策をとっていたから、二重に鎖国をしていたようなものだ。どうも下之介の士籍がなくなっていたらしい。士籍というのは武士にとっての戸籍にあたるもので、菩提寺の寺が人別帳で管理していた。だから檀家が寺の機嫌を損なえば人別帳から士籍を消されてしまうこともあった」



 三畳一間の天井を眺めながら考える。昨日も江戸の佐賀藩邸に赴いたのはいいが、誰も取り合ってくれなかった。無理もない。下之介が寺にいれられたのは五つ(満年齢で4歳)のときだ。顔を覚えている者がいるはずもない。きっと食い詰めた浪人と思われたのだろう。
 貧乏徳利を傾けて寝酒をする。一番鶏はすでに鳴き終え、代ってホトトギスが鳴いている。テッペンカケタカという鳴き声に思わず頭を撫でる。あと数年先ならば散切り頭は流行の最先端だったが、この頃ではただの破戒僧にしか見られない。2センチほどの長さではまだ髷を結うことは不可能だ。
 表から棒手振ぼてふりの売り文句が聞こえる。豆腐屋、惣菜売り、野菜売り、魚売りなどの棒手振ぼてふりが長屋の路地に入ってくるのは京も江戸も変わらない。違う点は江戸には納豆売りがこれに加わることだろう。下之介は朝食を少し奮発して納豆汁にしようと、土間に出て戸を開けた。鰹の表皮のような派手な模様が目に入り、あわてて戸をしめる。寝ぼけた頭が、ようやく活動を始める。あの鰹縞の柄の着物は、大家の奥さんだ。
 引き戸が閉まりきるよりも早く駒下駄(一つの木材から作ったくりぬき下駄)をはいた足を挟んで、大家の奥さんが強引に入ってきた。
「朝から酒かい、いい身分だねぃ。あたしの紹介した仕事はどうしたんだい」
「口入屋(日雇いの仕事を斡旋する仲介業者)に新しい仕事が入ってないんだ。しょうがねえよ」
「だったら風呂にでも行っといで。朝からごろごろと見苦しいったらありゃしない。このままじゃ、あんた宿無しのころに逆戻りだよ。せっかく長屋の皆もあんたに気を置かなくなったのに」
 この口の悪い世話好きな鰹縞の奥さんに、下之介はまったく頭が上がらない。というのも路銀がつき浮浪者同然のなりで辺りをうろついていた下之介に、住む場所から仕事の面倒まで見てくれたのはこの奥さんだったからだ。大家は親、店子(長屋の住人)は子。この言葉に何度助けられたことか。会うたび見合い話を持ってくるのには閉口したが。
「それじゃあ、風呂にでも行ってくるかな。朝風呂だって十分いい身分って奴だけど」
 減らず口を叩いて下之介は家を出た。
 木戸をくぐり、遅咲きの椿の咲く小道をぬけ、喧騒の表通りを往く。地面がかすかに濡れ、雨上がりの埃っぽい匂いがする。狐の嫁入りでもあったのだろうか。春霞の空には虹が架かって、初春の終わりを告げていた。
 地価が高い表通りは二階建ての商家が立ち並んでいる。裏に蔵をいくつも抱える老舗の大商人の店が軒を連ねる。それでもこの八丁堀界隈は武家屋敷が多く、商家は少ないほうだ。江戸の町は江戸城を中心として西の山の手に武士の居住区が密集し、東の埋立地に商家が集中していた。それは江戸の町に限らず城下町全般にいえることで、住む場所ひとつとっても厳しい身分制度が敷かれていた。
 しかしこの身分制度の外にある治外法権の場所もある。そのひとつがこの湯屋だ。江戸の町は一部の例外を除けば、どんなに位の高い大旗本でもどんなに金持ちの大商人でも家風呂がない。従って武士でも商人でも同じ湯屋に通っていた。江戸時代の封建制度はけしてアパルトヘイトではないのである。
 今でもそうだが江戸の町は細い路地で家々が隣接し、火事と喧嘩は江戸の華といわれるくらい火災が頻発していた。そのため出火元となった家は厳罰に処せられ、過失がなくても死罪は免れなかった。江戸で家風呂持つということは死のリスクを背負うことに他ならない。武士でも商人でも同じ湯屋に通うのは、そういう事情によるものである。
 湯屋ののれんをくぐって、番台の婆に八文(約200円)渡す。男湯は朝方だからだいぶ空いている。爺と大工ぐらいしかいない。大工は汗をかく仕事だから朝と仕事終わりと一日二回風呂に入る。爺はなんだろう。隠居して暇なのだろうか。
 着物を脱いで柳行李に放り込む。柳行李とは柳の枝で編まれた背の低い多目的容器で、ここではロッカー用に使っている。
 かけ湯して、洗い場で前と後ろをぬか袋でよく洗う。ぬか袋とは名前通り手の平ほどの小袋に、ボディソープの役割の米ぬかを入れて使う。泡立ちは悪いが肌はすべすべになる。美肌に良いとされるウグイスの糞を米ぬかに混ぜて使うおなごもいたそうな。時代がかわっても女性の美への追究は変わらないらしい。
「はあ、極楽極楽」
 どんぶりと湯船に入ると、隣から聞き知った声が聞こえる。このしゃがれ声は同じ長屋の熊さんの声だ。この熊さんも下之介にとっての恩人である。なかなか長屋の仲間になじめなかった下之介によく話しかけてくれた。熊さん本人がどう思ってるか知らないが、下之介にはその一言がありがたかった。
「いい湯ですね。熊さん」
「おおよ、げのちゃん。八丁堀の湯は江戸一番よ。しかし、昔はもっといい湯じゃったぁ。なんせ入れ込み(混浴)だったからのぉ」
 江戸時代の銭湯はもともと混浴だったが、幕府は改革のときに風紀のみだれとしてたびたび禁止していた。初代アメリカ領事のタウンゼント・ハリスも混浴の銭湯を見学し、日記にこの忌まわしい風習を何としても止めさせるべきと書いている。旧約聖書で知恵の実を食べたアダムとイヴが自分達が裸であることを恥ずかしいと思うようになったように、西洋のカトリック的な禁欲主義の流入が混浴を野蛮なものとして排除する一因だったのかも知れない。話がそれた。
「いいなあ。熊さんは混浴に入ってたのか。昔の人が羨ましいよ」
「おおよ、あれはいい目の保養じゃったわい。昔といえば八丁堀の湯はもともと十手持ちの足洗いの湯じゃったんじゃよ」
「へえ、盗人やたかり強請ゆすりを捕まえて、足洗わせる同心が足洗う湯か。面白いねえ」
「今じゃ誰でも肩まで入れるからドブ湯と呼ばれてるがね」
 そういわれて下之介は慌てて湯船から飛び出した。
「はっはっはっ。そのドブじゃないから安心せぃ。どんぶり入るからドブ湯じゃ」
「ドブ湯?七不思議の話でもしとるんけぃ」
 下之介と入れ違いに筋骨隆々の大男が湯船に浸かる。一樽分ぐらいの湯があふれた。
「げのちゃんよぉ。こいつははっつぁんてんだ。大工をやってる」
「そうかい。よろしくな、はっつぁん。ところでさっきの七不思議ってのはなんだい」
「知らねぇのか。八丁堀には七つの不思議があってな。ドブ湯はその一つだ」
「他にはどんなのがあるんだい」
「奥様あって殿様なし、とかな」
「それのどこが不思議なんだい」
「与力の妻は奥様と敬語を使うのに主人を旦那様といって、殿様とは呼ばないからねぇ」
 殿様というのは御目見以上を呼ぶ敬称なので御目見以下の与力は殿様と呼ばれない。さらに補足するならば、江戸時代では人物の敬称に住んでいる建物を使っていた。御殿に住むから殿様と呼ばれ、奥に住まうから奥様なのである。普通、与力格の妻は奥に住むため玄関に出たり、外部の者と接触しなかったが、町奉行所与力の妻は例外だった。与力は今でいう警察幹部なので家にいなかったからだ。来客は頼みごとが多く、いかめしい男よりも女性のほうが訪問しやすくて、頼みごともしやすい、ということで妻が活躍するようになったのだ。
「鬼の住居に幽霊が出るってのもあるな。幽霊横町ってあるだろ。そこの鬼ってのは与力同心のことさ」
 負けじと熊さんも他の七不思議を語りだす。
「血染めの玄関というのがあってだな。かの由比正雪の子分に丸橋中弥ってのがいたが、これを見事召し捕った同心間米藤十郎が町奉行から褒美は何がいいか聞かれたんじゃ。間米藤十郎は是非とも与力になりたかったが、大それたことだったから言い出せなかった。そこで玄関を構えたいといったそうな。玄関を構えることができるのは与力以上と決まっていたから、何をいいたいか分かるじゃろ。ところが玄関を構えることは許されたが間米藤十郎はいつになっても与力にはなれず、表に玄関を構えることは恥ずかしいので、そっと裏に玄関を構えたということじゃ」
「そいつは面白い笑い話だ」
 下之介が手を叩いて喜んでいると、洗い場の方から冷や水をあびせる一言が響いた。
「毎日ぶらぶらして、朝風呂浴びてんだったら、お前さんも気の利いた話一つぐらいないのかぃ」
 目をやるとしまった体の男が三助に体を洗わせている。三助とは人名ではなく湯屋で人の世話をする職業のことだ。
 下之介はこの男のことを知っている。同じ長屋に住んでいて何かとつっかかってくる嫌な奴だ。
「何だ、福ちゃんか」
「てめぇに福ちゃん呼ばわりされる筋合いはねぇ」
「そんなら福郎さんよ。あんただってぶらぶらして、朝風呂浴びてんじゃねえか。気の利いた話の一つぐらいあるんだろうな」
「あるともさ。八丁堀の女湯には刀掛けがあるんだとよ。刀を持たないはずの女の風呂に刀掛けがある。これが一番の不思議だろ」
「いやもっと不思議なことがあるね。なんで女湯に刀掛けがあることをあんたは知ってるんだよ」
「いや、人から聞いた話だ」
「どうだかな。妖しいもんだぜ」
 福郎は言い負けて、すごすごと退散した。追撃を加えるべく下之介も風呂からあがる。熊さんはっつぁんも続々と風呂を出て、手ぬぐいで体を拭いて着物を着る。福郎を追っかけまわしていた下之介に熊さんが仲裁に入った。
「げのちゃんよぉ。もう勘弁してやれ。福ちゃんはよそ者が嫌いなんじゃ。さ、二階で茶でも飲みながら七不思議の話の続きをしよう」
 下之介はしぶしぶ熊さんの言に従い矛を収めた。
 銭湯の二階に入ることができるのは男だけである。休息所になっていて、茶代(八文)を払えば一日中将棋や囲碁を楽しむことができた。今ならありえないが、女湯を覗ける窓があるところもあったそうだ。
 地蔵の像なくして地蔵橋がある、金で首がつなげる、地獄の中の極楽橋などの七不思議を紹介されたが、数えてみたら七つ以上ある。七つ以上あるのに七不思議という新たな不思議が付け加えられたところで、下之介は飽きてきたので湯屋を出て長屋に帰ることにした。熊さんは囲碁を打ってから帰るらしいのでここで別れた。
「げのちゃんはちょっと喧嘩っぱやすぎるから気をつけなさいよ」
 去り際に熊さんが一声かけた。
 下之介はしずしずと腰を落として往来を歩く。これが武士らしい歩き方ということを、町を行く武士を観察して発見した下之介は、以来こうして実践している。しかし、武士が必ず往来の片側しか通らないことを見落としていた。武士は往来を歩くとき自動車と同じ左側通行である。これには理由がある。
 往来の右側を歩いていた下之介は、前から笠を深く被った侍が近付いてくるのに気付いた。右側によってかわそうとしたが、向こうも同じ方向にかわす。間一髪体をひねってすれ違う。
正面衝突は避けられたが、互いの刀の鞘がぶつかり合う。
 武士に左側通行の暗黙のルールがあるのは、このように左の腰に差した刀がぶつかることを避けるためである。刀は武士の魂、ぶつかれば流血ざたになることもしばしばあった。喧嘩のことを鞘あてという由縁である。
 「どこ目えつけてやがる」ととっさに叫ぼうとしたが、下之介は熊さんの去り際の一言がまだ耳に残っていたので思いとどまった。しかし相手はすでに笠を脱ぎ捨て、白刃を正眼に構えている。

     

 鴻雁、かえる。マガンの群れが北へ向かって飛び去っていく。その空の下に二人の侍が対峙している。一人は刀を中段に構える。いわゆる正眼の構えだ。もう一人は刀も構えず、ただひたすら驚いている。
 下之介がまず驚いたのは相手の得物である。刀に大して詳しくない下之介でさえ、すぐに気付くぐらいその刀は奇妙な形をしていた。
 日本刀というのは本来外側に反っている。人を斬るためだけに特化していく過程でたどり着いた形なのだ。それが相手の刀は内側に反っている。刀というよりは農具に近い。鎌やナタのような刃をしている。
 それよりも驚いたのは、笠の下から出てきた顔が見知った人物だったことだ。
「清河さん、拙僧です。上中下之介です」
「上中……知らんな」
 多くの勤皇の志士や幕臣の間を渡り歩いている清河ならば、一度会っただけの浪人無勢をいちいち憶えていないことも無理からぬことだった。下之介は自分が侍として認められていないから、清河が知らないそぶりをみせるのだと思い、せいいっぱい侍らしくしゃべった。
「拙僧は京で清河殿とともに酒を酌み交わし、熱く語り合った者にござる」
 清河は名前を思い出さなかったが、顔は憶えていてくれたようだ。
「ああ、あの侍もどきの。しかし、ござるはいかんよ、ござるは。君」
 「ござる」という語尾は公式文書などで用いられる硬い言い回しで、今でいえば文語体で話しているようなものである。清川は大笑いですっかり怒気を失って、刀を鞘に納めた。
「己のことを拙僧という癖が抜けきっておらぬな。どれ拙者がひとかどの侍にしてやろう。ついて参れ」
 清河は以前にした約束を憶えているのかいないのか、今度こそ下之介に武士とはなにかを教えてくれるようだ。
 東海道の起点である日本橋を渡り、今でいうところの中央通りを直進する。交差する靖国通りに入り、道なりに西へ向かう。一之橋を渡って麻布に入る。ここにある清河の泊まっている宿に通された。今日は他の客はいないようで、下之介は清河の対面に座る。二人の前に馳走が運ばれてくる。
「さて、君が故郷の……」
「肥前佐賀」
「そう、その肥前佐賀に帰らなかったところをみると、勤皇の使命に目覚めたのだな」
 下之介が肥前佐賀に入ることもできず、江戸の佐賀藩邸でも門前払いされたことを正直に話すと、清河はさっそく失望した。
「君を受け入れようとしない故郷に、一体何の未練があるというのか」
「誰だって故郷には帰りたいものです。清河さんにも故郷がおありでしょう」
 清河はまるで自分の出身地にコンプレックスでもあるかのように、一瞬躊躇した。
「僕の故郷は庄内だが、君のような女々しい感傷に浸ることはない。どうせ浪人の身となったなら、その命を国のために捧げようとは思わないのか。脱藩してまで勤皇の志士になるものが後を絶たないというのに」
 脱藩とは自分の属する藩から脱走し、自ら主君を持たない浪人となることである。元の主君を見限る行為であることから大罪とされ、藩から捕殺命令が出される。当然故郷に帰ることはできない。
 日本は元禄期以降、庶民にいたるまで白米が行き届くほど豊かになっていったが、新しい領地の増えない下級武士はそれに反比例して困窮していった。特に家督を継げない無役の次男、三男坊は家では腫れ物扱いされ一生飼い殺しだった。強制的にニートをさせられるのである。それが嫌ならば下之介のように出家するか、武道か学問に打ち込んで頭角を現し養子に貰われるしか道はない。不満を持った若いニート侍達がすがることのできた唯一のものが、尊皇攘夷という思想だったことがこの時代の不幸だろう。
 天皇を尊び、夷人を討ち払う。ペリーの脅しに屈して開国した徳川幕府に見切りをつけ、天皇を政体の中心に据えて外国人を追い払おうという考えである。
 確かに巷には勤皇の志士が溢れかえっている。下之介も京でそういう熱気をじかに感じていたが、それにほだされて外国人の一人でも斬ってやろうという感情にはならなかった。
「そりゃ、わけのわからぬ連中がやって来たら誰だって不安になるさ。でもね、よそ者の気持ちも考えなきゃいかん。拙僧も江戸ではよそ者だったからよく分かる。誰かが受け入れてあげなくてはよそ者はいつまでたってもよそ者じゃ」
「国と国との問題を君の身の上といっしょにするな。ふざけているなら帰ってくれ」
 清河に一喝されても下之介はどこ吹く風で、鰹のたたきを肴に酒をあおっている。
「そうじゃの。そろそろお暇させてもらおう」 
「君を侍にしてやろうというのに帰る奴があるか」
「いや、清河さんが帰れといったんじゃが」
 清河が下之介を尊皇攘夷の道に引き込もうとするのには訳がある。清河は長州志士らと横浜の外国人居留地を焼き討ちにし、さらに外国人を殺傷して外交問題で幕府を苦境に陥れようと画策していたからだ。清河は幕臣を騙して幕府の金で浪士組を結成したが、一部の隊士が離反して京都に残り新撰組を結成したのは想定外だった。半人前の下之介でも手駒として頭数に入れたかったのである。後ろ盾になってくれるような大藩の出身であったなら、下之介のような一兵卒を自ら勧誘することもなかっただろう。
「しかし君は言葉も可笑しいし、往来も右側を歩く。侍としての礎がなっていない。佐賀の出ならば、葉隠はがくれを読んだことはないのか」
 葉隠はがくれは佐賀藩士田代陣基たしろつらもとが同藩士山本常朝やまもとじょうちょうに聞いた話を十一の聞書にまとめた本である。聞書一、二は山本常朝の言葉。聞書三から五は歴代佐賀藩主、順に藩祖鍋島直茂、初代藩主鍋島勝茂、第二代藩主鍋島光茂の逸話。聞書六が佐賀藩の昔話。七から九は佐賀藩の武士の話。十に他藩の武士の話。十一がこれまでに載せていないそれ以外の話という構成になっている。武士のふるまいかた在りかたを学ぶ実用書として、佐賀藩のみならず日本中の侍が必読していた。この書物の真髄を端的に示すとされる、武士道は死ぬことと見つけたりという言葉はあまりにも有名である。
「佐賀にいたのは五つ(数え年、満年齢で四歳に相当)までだ。以来二十五年間比叡山で暮らしていたから葉隠はがくれはまだ読んでおらぬ」
「比叡山でも書ぐらい読めよう」
 あの閉鎖的な比叡山で蔵書を燃やされたことを思い出して、ふつふつと鎮火したはずの怒りが再燃する。
葉隠はがくれはたまたま読んでおらぬだけで、平家物語や信長公記しんちょうこうきなどの軍記ものから、日本書紀や日本外史のような史書、豆腐百珍などの料理の専門書にいたるまで読破しておる」
「日本外史を読んでいて、なぜ尊皇攘夷に興味を示さない」
 日本外史は頼山陽によって書かれた幕府非公認の日本史である。勤皇思想が折りこまれたこの書物は、勤皇の志士たちのバイブルになっていく。
「はて、日本外史に尊皇攘夷論など書かれておったかな。拙僧は歴史の読み物として読んでおったから、分からぬ」
「君は凡庸だ。口先ばかりで、この国難になんら行動しようとしない。凡庸ならば考えることは先見の明がある者にまかせて、手足となって行動すべきだ」
 押しても引いても箸にも棒にも掛からない。清河は下之介を一人前の尊皇攘夷の志士にしてやろうと思っていたが、さすがに根負けして同志に引き込むことをあきらめた。
「このような危急存亡のときに、かたくなに田舎に引っ込みたいというなら、僕はもう何もいわぬ」
 清河は言葉通り議論をいっさいせず、下之介を客としてもてなした。例え議論で熱くなっても感情的にはならない。どうやら清河とはそういう男らしい。佐賀藩に入る方法まで考えてくれ、佐賀を脱藩した男がいる場所を教えてもらった。そいつに頼れということらしい。
「何から何までかたじけない」
「いや、僕も少し言い過ぎた。君は凡庸だが、良いところもある。例えば刀の趣味は良い」
 下之介の刀は漆塗りの鞘で、清川のそれと同じだ。刀の柄や鍔の形も良く似ている。こういうシンプルなつくりが清河の好みのようだ。
「そういえば清河さんの刀はえらく変わっとりますな。拙僧に見せてくだされ」
「やすやすと見せるわけにはいかぬな。この太刀は持ち主を何度も代える呪われた妖刀だからな。流星から鍛えた内反り片刃刀。二尺八寸(約85センチ)の刀身は燐光を放つ。まさに王者の太刀にふさわしい代物だ」
 製鉄する技術がまだなかった時代、人類が始めて手にした鉄はこういった宇宙からもたらされた隕石だった。清河の刀はそういう骨董品の類なのだろう。
「はははは。光ったり、人を祟ったりする妖刀ですか。清河さんも存外ホラ話がお好きなようで」
 清河は急に神妙な顔になり、刀を見せてやるからと下之介を表に連れ出した。なぜ刀を見せるだけのために、屋外に連れ出されたのか理由はすぐに分かった。自分の下宿を血で汚したくなかったのだ。
 目に殺気を漲らせ、刀を抜きながら言い放つ。
「さあ、刀を見せた。君も抜け」
 下之介は刀をぶつけて斬り合い寸前までいったのに、懲りずに同じ地雷を踏んでしまった。もはや避けることはできない。観念して鯉口を切る(鞘に添えた左手の親指で鍔を押し上げ、刀を抜きやすくする動作)。鍔と鞘の間から覗くのは美しい刃文(刀身の刃に沿って現れる波状の模様)ではなく、整った木目。慌てて鞘に戻す。
 今まで一度として刀を抜かなかった下之介は、ようやく今刀屋に木刀をつかまされたことに気付いた。
「どうした、抜け」
 抜けばなますのように斬られるだろう。冷や汗が頬を伝う。再び下之介は刀に手をかける。
 下之介は刀を抜いた。腰から刀を鞘ぐるみ引き抜いて、往来に放り投げた。
「お前さん相手に刀はいらぬ」
 無論はったりである。もともと木刀なのだから、有っても無くても状況は変わらない。下之介は清河の性格では丸腰の相手を斬れないと踏んでいる。はたして吉と出るか凶と出るか。
 清河は下之介の挑発に、苦い顔をしながら葛藤している。その間に娯楽に飢えた見物人たちが集まってきた。
「おい、喧嘩だ。喧嘩」
「なにやってんだ。早くやれよ」
「おっ、素手でやるのか。侍にしては粋じゃねえか」
 清河も下之介の刀の横に鞘ぐるみ引き抜いた刀を置いた。外野から歓声があがる。その声を皮切りに二人の殴り合いが始まった。
 汚い野次や声援が遠ざかっていく。下之介の意識はここで飛ぶ。

     

 まだ頭がくらくらして、体はぐらぐらしている。遠くでガマガエルが鳴き始め、やがて大合唱が聞こえてきた。
「お侍さん、起きとくれよ。いつまでもそこで大の字になられちゃ、商売の邪魔だよ」
 目を開けると浅黄色の着物の町娘が下之介の肩を揺すっている。
「野次馬たちと清河がいないな。もしかしてありゃ夢か」
「清河さんはお侍さんをたこ殴りにしたら気が晴れて、いそがしそうに帰っていったよ。お侍さん、大丈夫かい。酷くうなされていたけど」
「いてて。それは毎度のことだから心配御無用」
 下之介は倍ほどに腫れ上がったほほをさすりながら答えた。それにしてもひどくやられたものだ。血まみれ、汗まみれ、ほこりまみれ。せっかくの朝風呂が台無しだ。素手の喧嘩ならば勝算があると思ったのだが。
「お侍さん、運が良かったね。刀を抜いていたら命はなかったよ。あの清河って人は玄武館の千葉周作先生が塾頭にしようとしたほどの男だよ」
 玄武館といえば士学館、練兵館と並び江戸の三大道場と称される剣術の道場である。千葉周作はそれまで真剣や木刀で行われた稽古に、竹刀と防具を用いることを考案し剣道の基礎を作った人物である。下之介は今頃になって足が震えてきた。
 下之介は町娘に礼を言って立ち上がり刀を拾い上げると、それを杖にして八丁堀へ向かって歩き出した。心なしか刀が重い。刀だけでなく気も重いのはあんな夢を見たからだろうか。
 廃墟の中にたたずむ人々が巨大なしゃれこうべを見つめている。遠くからは地響きのような断末魔が聞こえる。気味の悪い夢だった。
 下之介は違和感に気付いた。刀が重過ぎる。いや、刀は本来重いものだ。しかし、下之介の佩刀は軽い木刀である。試みに刀を抜いてみる。光りこそしなかったが柳の葉のような形の清河の妖刀がそこにあった。刀を取り違えてしまっただけなのだが、下之介は当てもないのに走り出した。何か胸騒ぎがする。
 一之橋にさしかかると、人だかりができていてなかなか前に進めない。足踏みしていると、前の方から話し声が漏れ聞こえてくる。
「だめだ、もう虫の息だ」
「この人、剣術の達人らしいぜ」
「じゃあ何で刀を抜かなかったんだろうな」
 まさかと思い、人の波を掻き分ける。そこには突っ伏した清河の変わり果てた姿があった。首の刀傷とぱっくりと割られた背中からは未だ血が滴っている。下之介は清河のもとに駆け寄ると、妖刀を清河の手に返して泣いた。
「拙僧はあんなに良くしてくれたあなたに何とひどいことを」
 清河の手はまだ温もりがのこっていたが、それも徐々に失われ始めている。清河はまだかろうじて意識があるのか、下之介の手を弱弱しく握り返した。最期に何か伝えようと声を絞る。
「刀を……」
「肩身として故郷に届ければいいのじゃな。拙僧にはそのぐらいしかできないが必ず……」
 清河は下之介を目で制して、言った。
「……捨ててくれ」
 それが最期の言葉となった。
「どういうことじゃ。刀を捨てろというのか」
 もう清河は何も答えてはくれない。せめてもの償いに下之介は日が暮れるまで清河の傍らで念仏を唱え続けた。
 幕末の梟雄きょうゆう清河八郎は死んだ。単身幕臣の間を説いて回り、将軍上洛の警護の名目で京に勤王の志士たちを集め倒幕の兵に仕立て上げようと策略を巡らした。横浜の外国人居留地を焼き討ちにする計画が露見し、幕府の放った刺客によって暗殺された。享年34歳。
 清河は思惑通り勤王の志士たちを京都に集めたが、清河の意図から離れた壬生浪士組(新撰組の前身)をも同時に生み出した。ここに京都、維新志士、新撰組という幕末を彩る舞台装置がすべて出揃った。反政府テロと白色テロの横行する血腥ちなまぐさい時代の幕開けである。



 まだ日も落ちていないというのにまっくらな部屋から、密談をする二人の男の声がする。一つしかない小さな窓からは江戸の町並みが一望でき、うっすらと笠を被った富士の姿を遠くに見つける事が出来た。
 細身の男の顔が斜陽に照らされて闇の中に浮かび上がる。切れ長の目には自信が溢れ、小さな口から大きな声が響く。
「御上の御威光に楯突き、横浜の夷人(外国人)居留地を焼き討ちにせんとする計画を企みし清河めを、見事討ち果たしました」
 相手の顔は御簾の内側にあり、その表情はうかがい知ることはできない。
「清河などどうでも良い。それよりも刀だ。刀は無事か、佐々木」
「はっ。これに」
 佐々木と呼ばれた細身の男が刀を鞘ぐるみで捧げる。御簾みすの下から伸びた手が刀を受け取って、鞘の中身を検める。中からは妖しく光る刀身ではなく、整った木目。御簾みすの内から笑い声が聞こえる。その笑い声が喜びからくるものでないことに気付き、佐々木は無礼を承知で御簾みすのそばによる。
贋物にせものつかまされおって」
 甲高い声とともに、木刀が佐々木に投げつけられる。月代に当たり佐々木の額が紅潮する。「すぐに探しに参ります」
 佐々木は部下五人を引き連れて、急いで一之橋まで引き返した。



 清河を斬った後の高揚感で刀身を確認しなかったことを棚に上げ、佐々木の憎しみは清河にむけられた。切り落とした清河の首級を部下の方へ蹴ってよこす。
「窪田、橋にさらしておけ。人相書きを作るから、絵描きだけ付いて来い」
 佐々木は先ほど確保した野次馬の一人を裏道に引き出すと、ドスのきいた声で脅し始めた。
「お前さんが見た刀を持っていった男の顔を、包み隠さず吐けば今日中にでも帰してやる。だが、嘘を付いたら為にならねえからな」
野次馬は青くなって、刀を持っていったのが中肉中背の眼光の鋭い三十代の総髪の男だったこと、下がり藤の紋の入った着物を着ていたこと、南無阿弥陀仏と唱えていたことなどをしゃべった。佐々木は満足して約束通り野次馬を開放して、絵描きに人相書きを書かせた。
 下がり藤の紋は本来藤原氏の家紋だったが、人気が高く藤原氏と血縁がないものまであやかってつけているので、下がり藤の紋では刀を持っていった男を特定できない。しかし、髪型は特徴的である。総髪は月代をそりまげを結っていない髪型全般の名称である。通常オールバックのように後に流していた。髷を結うのが主流の江戸時代において、総髪にしているのは剣術の師範か、風変わりな学者くらいのものだ。この人相書きを張り出せば、必ず尻尾を掴むことができるだろう。佐々木はそう確信している。



 日暮れから降り始めた雨はより一層強さを増し、着物を濡らしていく。重く張り付いた着物が気分をさらにめいらせる。一体どこをどう歩いたのか一向に憶えていないが、下之介は長屋まで帰ってこれたようだ。おりからの雨のせいで、朝は見事に咲いていた椿の花が地面にごろごろと花弁を落としていた。
 下之介が長屋の木戸をくぐると、木戸番がいそいそと木戸を閉めた。何とか間に合って、締め出されずに済んだ。
 長屋には門限がある。表通りから裏道に入るところに木戸が設置してあり、町木戸と同じく夜四つ(22時)を過ぎると閉じて出入りできなかった。連座制といって長屋から犯罪者を出した場合、大家まで連帯責任をとらされたから、防犯のためにはやむをえないのである。夜中に出歩くような不審者は犯罪予備軍とみなされていたわけだ。では夜遊びをする若者がみな朝帰りをしていたかというと、そういうわけではなく抜け道があった。文字通り木戸を通らないで地元のものしか知りえない抜け道を使う方法と、木戸番にまいない(ワイロ)を渡して木戸を開けてもらう方法があった。
 下之介が長屋の一番奥の自分の家の戸に手をかけると、待ち構えていたようなタイミングで隣の家の戸が開いた。
「朝風呂に行って、なんでずぶ濡れになって帰って来るんだよ。傘ぐらい差せよ」
 今は福郎の悪態にいつもの様にやり返す余裕も無く、生返事をするのが精一杯だった。
「すまぬ、心配かけた」
「なんでい、気色の悪い。俺は別に心配してねえ。あんまり大家の奥さんに迷惑かけんなっつってんだよ。奥さんはにはな、生き別れになった息子がいるんだ。なんで奥さんが手前なんかに親切にするか、ちっとは考えな」
 初めて聞く話だったが、鬱々とした下之介は聞き流してしまった。福郎をほっといて、戸を開けて土間に入る。
 一枚しか持っていない手ぬぐいを懐から出して体を拭く。白地に鎌の絵と○と「ぬ」という字がガラになっている手ぬぐいだ。このガラは歌舞伎の七代目市川団十郎が十八番の演目「しばらく」で着物のガラとして使われて以来江戸中で流行っていた。はんじ物と言って絵と記号を組み合わせて当て字にする遊びである。こういう遊び心はネットスラングにも通じるところがあるかもしれない。ちなみに「鎌○ぬ」は「かまわぬ」と読む。
 軒下に干された着物と手ぬぐいから、極限まで大きくなった水滴が一度に三滴落ちる。それにつられるように雨漏りがたらいと桶に落ちて奇妙なリズムをとっている。下之介はすっぽんぽんのまま布団に潜り込み、耳をふさぐようにせんべい布団を頭まで引っ被る。
 遺体を見るのには慣れているはずだった。比叡山にいた頃に先輩といっしょに葬式に立ち会ったことがしょっちゅうあったのだ。しかし人の死に目を目の当たりにしたのは今回が初めてであった。きっと今夜もあの夢にうなされる。覚悟をして下之介は眠りについた。

     

 燈心にともる小さな炎がゆらめいて、ぼんやりとあたりを照らしている。御簾の内から平伏している佐々木に声が掛かる。
「刀はどうした。近う寄れ。面を上げよ」
 佐々木は平伏したまま這うよう御簾の前に来て、目を伏せながらゆっくりと顔を上げる。
「刀はまだ見つかっておりませぬが、持っていると思われる男の人相書きを作りました。これを江戸中の高札場にさらせば、労せずして捕らえることができましょう」
 自分の仕事の速さを誇示するように、書写した1000部の人相書きを手渡す。伸びた手がそれを御簾みすの内へ入れる。吟味しているのか、しばらく無音の間が空く。
「無能め。刀を持つ男がまだ江戸にいるものか。男が上洛し刀が長州の手にでも渡ったら、貴様の首だけではすまぬぞ。京にいる壬生浪士隊にすでに通達してある。この人相書きは京で役立ててやる」



 一方そのころ上中下之介はまだ江戸にいた。
 雨に煙る江戸の空に鯉のぼりが泳いでいる。旧暦の端午の節句は梅雨真っ盛りの時期だ。そもそも鯉が滝を登ると龍になるという伝説から鯉のぼりが生まれたのだから、滝のように降る雨の中こそふさわしい。
 下之介はあいかわらず仕事が無い。こればっかりはどうにもならない。西洋文化が入る以前のこの時代、七曜制や安息日は当然無い。しかし、月月火水木金金の太平洋戦争時とは違い、江戸時代にはちゃんと休日があった。雨が降ると商店は休みになるのだ。まるでカメハメハ大王の歌のようなのん気さだ。
 雨が降っているというのに、外からは子供の声がする。芝居がかった口上が聞こえてくるから、歌舞伎役者ごっこをしているのだろう。子供には休みはないようだ。広さ一畳半ほどの土間は台所をかねていて、へっつい(煮炊きするかまど)と木製の流しが備え付けられている。かたかたと釜のふたが音を立て、隙間から漏れる蒸気が部屋の湿度をさらに上げていく。下之介は料理は出来ないが、米のたき方だけは大家の奥さんに教わっていた。米のたき方は当たり前のことすぎて書物にも書かれていなかったから、とても助かっている。米さえたければ江戸では暮らしていける。
 江戸の町は独身男性の比率が高い。また参勤交代によって各藩の武士が江戸藩邸詰めとして集まっている。家族は国許においてくるから単身赴任のようなものだ。その需要に答えるように江戸には惣菜売りが多い。棒手振ぼてふりたちが別々の惣菜を売って歩くから、おかずに事欠くことはなかった。
 下之介は飯が炊けるまで待つ間にこれからのことを考えていた。故郷肥前佐賀に帰るだけでもやっかいなのに、最近さらにやっかいごとが増えた。あの妖刀のことだ。清河との約束とはいえ故人の形見を捨てるのはどうにも気がひけた。昨日ついに決心して長屋の共同便所の脇にあるごみ溜めに捨てることができた。ようやく肩の荷が下りたというか、憑き物が落ちたというか。
 故郷に入るためには佐賀藩を脱藩した江藤新平という男を頼れと清河がいっていた。江藤の所在は京都というから、せっかく打ち解けてきた長屋の皆とも別れなくてはならない。
 この江戸で何かやり残していないか考える。そうだ、まげを結いにいこう。肩に着くほど髪は伸びているから、そろそろ結えるだろう。
 ころあいを見計らってかまどの火を消す。あとは蒸らすだけだ。丁度よくちまき売りの元気な声が外から聞こえてくる。雨がまだ弱いうちに商魂たくましい棒手振ぼてふりが裏長屋にやってきた。これを逃す手は無い。
 米をおかずに米を食うようなものだが、背に腹は変えられない。引き戸を開けて草鞋をひっかける。間口を飛び出すと何かをふんずけたので、足元を見た。漆塗りの黒光りする鞘に収まったあの妖刀がそこにはあった。
 下之介は元気なちまき売りよりもよほど大きな声で悲鳴を上げた。
「捨てたはずの刀が帰ってきた。やはり妖刀か。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」
 今度は長屋を隔てる粗壁が向こう側から叩かれたので、下之介はまた悲鳴を上げた。粗壁は薄く、普通に話しても隣の声は筒抜けだ。長屋にプライバシーなどない。すぐさま隣の福郎が怒鳴り込んできた。
「朝っぱらから騒ぎやがって。ごく潰しが。あれだけ大家一家に迷惑かけるなっつったろ。朝は静かにしろ。あと、ごみ溜めにぶっそうなもの捨てるな」
「お前の仕業か。では、刀はどこに捨てればいいのじゃ」
「古道具屋かくず鉄買いにでも売り払えばよかろう」
 江戸時代の日本は高度なリサイクル社会であり、どんなゴミにでも買い手がついた。
「それは捨てたとはいわぬ。拙僧はこの刀を捨てなくてはならぬ」
「ならば隅田川の川下の永代島に捨てにいけ。これ以上面倒ごと起こすなら石川島に叩き込むぞ」
 永代島というのはゴミの埋め立てによって作られた人工島で今で言えば夢の島のようなものだ。ちなみに石川島も人工島で、鬼平犯科帳でおなじみの鬼平こと長谷川平蔵が人足寄場にんそくよせばを建てた場所である。火付盗賊改であった平蔵が作った日本初の犯罪者の更生施設といわれている。
「そういや、奥さんには生き別れの息子さんがいるのだったな。今生きていれば拙僧と近い歳ぐらいかね」
「そんなわけないだろ。奥さんまだ三十路だぜ。四年前の祭りの帰りの夜道でいなくなったのが四歳だからまだ八歳(満年齢で7歳)のはずだ」
「八歳の息子と拙僧が世話焼かれるのにどんな関わりが」
「お前さんがわっぱみたいに手がかかるってことだ」
 福郎の余計な一言にはカチンときたが、これで今日すべきことは決まった。髷を結った後、永代島に刀を捨てに行く。すっかり惣菜を買い逃した下之介は、ご飯だけの慎ましい朝食を済ませた。



 髪結いには得意先に訪問して髪を結う髪結いと、店で髪を結う髪結い床と二種類ある。以前語ったが風呂屋が庶民の社交場となっていたように、この髪結い床もさまざまな職業の人々が集まるため一種のサロンと化している。
 髪結いを待っている江戸っ子たちは店の床机に座り、世間話をしている。その中にはちらほらと見知った顔も見受けられた。熊さんと八っつぁんだ。今日は七不思議の話ではなく、10年前にやって来た黒船の話で盛り上がっている。下之介も会話に混ざり順番を待つ。
 江戸の人々は好奇心が強く、停泊地には黒船を見ようと見物人が押し寄せていた。幕府側はこれを取り締まっていたので、現場に役人が駆けつけると潮が引くように逃げていった。庶民にとっては黒船より役人のほうが怖かったようである。西洋人を極端に恐れた江戸幕府と違いいっさい政治に口を挟めなかった庶民は、幕府が黒船をどうやって追い返すのか高みの見物といったところだった。庶民のほうがよほど冷静で客観的な考えを持っていたのかもしれない。
 ようやく番となり、下之介のおかっぱ頭をまじまじと見る髪結いは言い放った。
「てめえ、風呂も入らずにきやがったな」
 職人気質の髪結いには汚い頭で来店した下之介が気に障ったようだ。すでにまげを結って八っつぁんと雑談していた熊さんが見かねて助け舟を出す。
「げのちゃん、風呂入ってこなかったのかい。せっかく今日は菖蒲湯だったのに。髪結いのだんな、次からは必ず湯に入れてから来させるから、わしの顔に免じて許してやってくれねぇかな」
 ここらで顔の利く熊さんのおかげで、まげを結ってもらえることになった。
「しかし大丈夫かねぇ。どうなっても知らねぇぜ」
 月代をそり落としながら髪結いは言う。すっかり頭頂部と額の髪をすべてそり終わる。 今、下之介の頭は落ち武者のような髪型になっている。髷を結っていない子供のような髪型からこの状態のことを大童おおわらわと言い、「おおわらわになる」の本来の意味はいくさでかぶとを脱いで髪を振り乱しながら奮戦することである。
「どんなまげを結うんだい」
 初めてまげを結ってもらう下之介は、まげにも種類があることを知らなかった。
「それでは、あんたにお任せするよ」
 髪結いは強い力で下之介の髪を集めると一本に束ねて元結をしめた。丁度10cmくらいの長さのポニーテールのような状態だ。しかし髷はこれを二つに折り曲げ頭頂部にもってこなくてはならない。いくらなんでもこれでは短すぎる。
 びんのあたりと襟足がきつく引っ張られている。髪結いが一息ついてから一気に形を整える。
「出来たよ」
 手で探ると小ぶりではあるが確かにまげのようなものが頭の上に鎮座している。しかし、りっぱなまげとは言いがたく、かりんとう程の大きさしかない。それでも下之介は一人前の侍になれた気がした。
 気分よく28文(約400円)払い店を出る。会う人、会う人、皆振り返る。下之介の頭を見て噴き出していたから自分のまげがどうなっているのか、うすうす気付いてきた。
 引き絞った弓のように張り詰めた頭で隅田川東岸の土手を上流に向かって遡っていく。川開きで舟遊びをする風流人が歌会を催している。岸には夜の漁のために昼寝をしている鵜飼がいる。やがて目の前に大きな橋が見えてきたので、両国まで歩いてきたようだ。左手には回向院も見えてきた。
 下之介は両手を合わせて黙祷する。回向院には明暦の大火(明暦三年、すなわち1657年に起きた大火災。江戸の三分の二を焼き尽くし、十万人の死傷者を出した。江戸時代を通して最も被害の大きかった火事)で被災した9600余名が合同葬儀され仏として眠っている万人塚がある。時の大老、保科正之の命によって作られた。実質的な行政機関である老中が4~5名であるのに対し、大老は一人に独裁的な権力が集中する臨時職である。明暦の大火の二年後、保科正之は保守派たちの反対を振り切り今度は200mの巨大な橋を隅田川に架けた。これが両国橋である。 
 当時隅田川には防衛上の理由により橋が一本も架かっていなかった。明暦の大火の折に対岸に避難しようとした人々が隅田川を渡れずに多くの死者を出してしまった。防衛よりも人命を優先して橋を架けた保科正之の存在は、この時代において奇跡としかいいようがない。
 保科正之は二代将軍徳川秀忠の側室の子として生まれた。嫉妬深い正室お江の方を恐れた秀忠は正之を庶子として迎えることができず、高遠藩の保科家に養子に出した。三代将軍徳川家光の片腕として尽くした正之は徳川家の親類にしか許されていない松平の姓を名乗ることを許可され、領地も山形二十万石から二十三万石に加増され会津の初代藩主となった。保科正之については話が尽きないのでこのくらいにしておこう。
 両国橋を渡り対岸へ着いたぐらいで、霧のようだった雨が本降りになってきたので下之介は笠とみのを着用する。雨足はさらに激しくなり、強い風も吹いてきた。顎紐を結んでいなかった笠は風にあおられ、隅田川に合流している鳥越川のさらに上流の新堀川へと飛んでいった。 笠を飛ばした風が遠くの畑の麦の穂を撫でていく。すぐに追いかけたが、あっとい間に笠は見えなくなるほど遠くに飛ばされてしまった。慌てて小川をさかのぼっていくと、両岸がごみで埋め尽くされている場所に出た。不法投棄された琴、琵琶、扇、釜、鍋、鋏、瓢箪、銚子が百鬼夜行のように並んでいる。河原には石を積んだ山もあり、まるで三途の川に迷い込んだ気分だった。新堀川に河童にまつわる言い伝えがあったことを思い出して、だんだん気味が悪くなってくる。早くごみの中に笠が混ざっていないか探して、この場を離れよう。
「おいらの川にごみを捨てるな」
 人気の無いところで急に大声でしゃべりかけられて、恐る恐る振り返る。蕗の葉を傘がわりにして身にはぼろぎれをまとった幼子が鬼のような形相で睨んでいる。
「出た。河童が出た」
 雨の日の河原にいるはずもない子供の姿に、妖怪の類と思った下之介はあまりに驚きすぎてまげを結っていた紐がはじけ飛んで、おおわらわとなった。
「おめぇの頭のほうがよっぽど河童じゃねぇか、河童のおっさん」
 子供は下之介を指差して笑い転げた。恥ずかしくなり懐から出した鎌○ぬガラの手ぬぐいをほっかむりする。子供のほうもようやく笑いが収まって話を聞いてくれた。

     

 雨は峠をすぎ小降りとなり、商家と川原の間に挟まれた小さなたんぼのうねには白鷺が戻ってきている。下之介がわけを話すと誤解は解け、不法投棄の疑いは晴れた。
 伸びきったぼさぼさの髪の少年と、ほっかむりをしたエセ侍が川原に腰掛けて話している。
わっぱ、名はなんという」
「知らねえよ」
 この子供も当然河童ではなく孤児で自分の名前も知らないのだという。幕府は迷子や人攫いの問題に無関心であり、そのしわ寄せはいつも弱者である庶民に降りかかった。孤児は近所に住んでいるものが交代で面倒を見ることが一般的だった。江戸時代には栄養状態の悪さから子供の死亡率が高く、子供は町ぐるみで育てるという意識が高かったのである。シジミが取れる小川は大人は手をつけず、孤児が優先的に取れるようにした。それを売って歩いて生活費を稼ぐのだ。この子供が新堀川を自分の川と主張し、不法投棄に怒るのはそういう理由だった。
 生きていればちょうどこのくらいの歳ではなかろうか、下之介はこの子が大家の奥さんの息子に思えて歳を聞かずにはいられなかった。
「歳なんて知らねえ」
 まだ自分の歳も知らぬほど幼かったときに、親とはなればなれになったのかも知れない。下之介は聞き方を変えた。
「お前が親と生き別れになってから神田祭りは何回あった」
「そういや、祭りの夜にはなればなれになってからそれをあわせても二回しか見てねぇ」
 確か福郎の話では祭りの夜に生き別れたといっていた。さらに神田祭りは山王祭りと一年毎に交互に行われるから、歳もぴたりと一致する。
「お前、おっかあに会いたくねえか。拙僧が連れて行ってやろう」
「いきたくねぇ。おっかあはおいらを捨てたんだ。顔も見たくねえ」
 どういうことだろう。福郎の話と食い違う。向こうは祭の夜に迷子になったといい、こっちは捨てられたという。大家の奥さんの息子ではない可能性も出てきた。しかし、どちらにしろ奥さんに会わせてみれば分かることだ。
 この時代、保護された孤児を迷子なのか捨て子なのか見分けることは困難であった。幕府はおおざっぱに3歳以上を迷子、3歳未満を捨て子としていた。町奉行は迷子の捜索をしてくれなかったが、最低限のセーフティーネットとして奇縁氷人石というものがあった。湯島天神(湯島天満宮)の敷地内にたてられた石柱で、石柱の右側には迷子を捜す人が子供の特徴を書いた紙を貼り、左側には預かっている人が孤児の特徴を書いた紙を貼って情報を交換した。
「親に会いたくない子はおらぬ。子にあいたくない親もおらぬ。会えばきっとわだかまりも解けよう。さあいくぞ」
 下之介は強引に孤児の手を引っ張っていこうとする。
「嫌だ。おっかあなんて大っ嫌いだ。離せ、河童。この人攫い」
 孤児が大声で騒いだので、普段面倒を見ている商家のご隠居や暇をもてあました旗本の若衆が何事かと集まってきた。無理やりショタの手をひいて連れ去ろうとするほっかむりの男は、傍目からみれば変質者以外の何者でもない。下之介はさんざん追い掛け回され、石を投げられて、両国橋まで戻ってきたところでなんとか逃げおおせた。
 欄干に寄りかかって一息つくと、どんどん横道にそれていることに気付く。ほとぼりがさめるまで本来の目的の刀を捨てに行くことにした。
 しかし、どうすればあの子を連れて帰ることができるだろう。あれだけ大勢の大人があの子を守ろうとした。この町でよほど大切にされているのだろう。今のままでも十分幸せなのかも知れない。自分よりもよっぽど。
 考えても答えがでぬままに永代島に到着した。今のように分別されているはずもなく、無秩序に散乱したごみの山からは鼻を突く腐臭が発生し、砂ぼこりとまじりあって鼻の奥にこびりついた。下之介は口元を着物の袖で覆って、少しでも吸い込まないように注意しながら、刀を帯から鞘ぐるみ引き抜く。
「そこで何をしておる」
 突然話しかけられた下之介は色を失ったが、今度は妖怪の類ではなく見回り中の岡っ引きだった。
「拙僧はけして妖しいものでは。ただ刀を捨てに来ただけで」
「妖しいな。ならば顔を隠している手ぬぐいを取れ」
「いや、これは取れませぬ」
「ならば奉行所までご同行願おう」
「取りますから、それだけはご勘弁を」
 恥ずかしがっている場合ではない。このままでは伝馬町(罪人を収容する獄舎の所在地)送りになってしまう。下之介は手ぬぐいの顎の結びを解いて、落ち武者のような頭をさらした。
「ますます妖しい。どうしたらそのような頭になる」
 下之介は四半刻(約30分)もくどくどと説教され、灸を据えられた。永代島には個人でごみを持ち込むのは禁止されていて、普通はごみを運搬するごみ船を雇って運び込むのだそうだ。 福郎の適当な話をうっかり信じて酷い目にあった。結局のところまげも結えず、刀も捨てられず、今日収穫といえるものは何もない。せめてあの孤児だけは大家の奥さんのところへ連れて帰ろうと、再び新堀川へ向かう。
 下之介はどうにもあの孤児をほっておくことができない。五つで寺に預けられた自分の境遇と重ね合わせてしまう。口減らしのために寺に捨てられたようなものだと親をひどく恨んだこともあったから、孤児が親に会いたくないという気持ちは痛いほど分かる。しかし、どんな親であれ父を、母を、子が忘れることができようか。
 孤児は天邪鬼なことを言っているだけで、本当は親に一目なりとも会いたいはずだ。未だに望郷の念を抱き続けながら故郷に一歩も踏み込めない下之介は、すぐにでも会えるのに会おうとしない孤児を見て歯がゆく思うのだ。
 新堀川はすっかり静けさを取り戻し、水面に夕焼けを映している。川原のごみの山ではカラスがやかましく喧嘩をしているばかりで、あの孤児の姿はない。夕日が半分ほど沈みかけ、川に架かる橋の輪郭を切り絵のようにくっきり浮かび上がらせる。
 長さ4メートル、幅11メートルのこの橋が合羽橋で、後年新堀川も橋も無くなってしまい道具街のかっぱ橋商店街にその名を残すのみである。
 ふいに橋の下から長く影が伸びているのでたどっていくと、影の形は鮮明になってそれがうずくまった孤児であることに気付き駆け寄る。しっかりしろと肩を揺すると、こちらの心配もよそに寝息をたてていた。下之介は目を覚まさぬようにそっと負ぶって橋を離れた。
 八丁堀の大通りまで来て胸をなでおろすが、ほっかむりをして子供をおんぶしている下之介はあいかわらず好奇の目にさらされている。突き刺さる行き交う人々の視線に耐えかねて自然早足になる。
「おっかさん……」
 寝ぼけていたのか、寝言なのか、消え入りそうなか細い声だったが確かに下之介は聞いた。あんな悪辣な態度のわっぱもかわいいところがあるじゃないかと思ったが、目を覚ました孤児に負ぶっている間ずっと頭を叩かれ続け、すぐに前言を撤回した。
「降ろせ。降ろせ。河童じじい。文無し。馬鹿。人攫い。盗人。鬼。毛唐。あと馬鹿」
「ふっふっふっ。どんなに喚いてもここは拙僧の町だから、助けは来ぬぞ」
 ホームのはずの八丁堀で、すれ違っていく町人たちは冷ややかな視線を浴びせ、ひそひそ話をしている。
「バーカ。バーカ。バーカ。バーカ」
 悪口のレパートリーを言い尽くした孤児はひたすら同じ単語を繰り返す。
「腹くくれよ。嫌いでもいいから会うだけ会っておっかさんにいいたいこと言ってやれ」
「わかった。観念するから降ろしてくれよ」
 下之介はしゃがんで孤児を降ろすと、手をつなごうと右手を差し出した。孤児は無視してどんどんと先に進んでしまう。その真剣な眼差しには、子供ながらに心に秘めた決意を読み取ることができた。逃げる心配はしなくてすみそうだ。
 大家夫婦が暮らす大通りに面した屋敷に着いても、孤児は怖気づくことなく四年ぶりの我が家を睨みつけている。南面の白壁には蔦がはって地の色が見えないほどで、家屋は古い割りによく手入れされているところを見るとあえて伸びるにまかせているようだった。
 下女に用向きを話して中にいれてもらおうとしたが、大家も奥さんも不在とのことで外で待たされた。小雨とはいえ雨はまだ降っているし、辺りも暗くなり始めている。屋敷に入れてくれない下女の融通の利かなさに腹が立つ。下之介の信用のなさが問題なのかも知れないが。
 街灯がまったくない昔の夜道は想像以上に暗い。日没をすぎると人が近付いてきても顔が見えないから、防犯のために互いに呼び合い自分の名を名乗っていた。ぼんやりとした明かりが寄ってきたので、下之介も誰何すいかする。
「もうし」
 明かりはさらに近付き、それがちょうちんを持つ手だと分かる。ちょうちんの中にはろうそくが一本入っているきりなので、豆電球よりも暗い。顔はまだ見えないが、相手がちょうちんを落としたのは音で分かった。
「川太郎」
 聞き覚えのある声だが聞き覚えのない名だった。
「おっかあ」
 相手が駆け寄ってきて孤児を抱きしめたところで、下之介もそれが大家の奥さんであることと川太郎が孤児の名前であることを知る。川太郎の顔からは決意なんて吹き飛んで、どこにでもいる普通の子供の顔になっていた。
 いつもは憎まれ口をたたきあっている大家の奥さんから、何度も感謝の言葉を言われてこそばゆい。下之介は照れ隠しに口の端を吊り上げて笑顔を作って言った。
「大家は親、店子は子。だったら川太郎は拙僧と兄弟も同然、兄が弟を助けるのは当然のことじゃ」
 雨はいつのまにか上がっていた。

     

 文久三年(1863年)五月十日、尊皇攘夷派の中心勢力である長州藩はついに攘夷を決行した。長州馬関砲台がアメリカ商船を砲撃、二十三日にはフランス船、二十六日にもオランダ軍艦を砲撃して追い払った。この行為は文久四年(1864年)六月一日からの西洋列強四カ国艦隊の報復攻撃となって跳ね返った。尊皇攘夷の急先鋒であった長州藩はこの戦いで攘夷が無謀であることを学んだが、上中下之介にはまったく関係無い出来事であった。




 このタコ部屋とも今日でおさらばかと思うと、壁のシミさえ愛おしくなる。下之介はまじまじと部屋を眺めながらも、旅支度を整える。
 長屋は細長い建物の内部をいくつか粗壁で仕切っただけの質素なつくりをしている。家財道具はすべて売り払って部屋はがらんとしているが、もとから少なかったからあまり違和感は感じなかった。家具が極端に少ないのは何も下之介にかぎったことではない。江戸の町はその構造上火事が多く、焼け出されてもこの時代に火災保険はまだない。せっかく家具を買い集めても、すぐに火事は起こる。必然的に江戸っ子たちは蓄財をしないようになった。江戸っ子が宵越しの金を持たないのはそういう理由もある。火事で焼かれてはまた立て直す、クラッシュ&ビルドの繰り返し。
 脚絆をしっかり結んで外に出ると、待ち構えていた長屋の連中がわっとはやし立てて下之介の背中を叩いた。荒事が好きな江戸っ子らしい見送り方だ。肩を叩く熊さんにいつでも戻っておいでと言われて、こらえていた涙が零れ落ちる。
「何泣いてやがる。がらにもねぇぞ」
 福郎の嫌味もこれが聞き納めかも知れない。
「これ、もってお行き」
 大家の奥さんが餞別を渡そうとしたので、下之介は固辞する。
「これ以上甘えるわけには。路銀なら十分だから」
「何遠慮してるのかねぇ、この子は。大家は親、店子は子。親子で遠慮なんていらないよ」 そう言うと奥さんは下之介の懐に餞別をねじ込んだ。
 隣の長屋の八っつぁんやまったく知らない野次馬の連中までもが下之介を見送ってくれているのに、その中に川太郎の姿は無い。気になって探すと、奥さん袖の間からこちらをうかがっている川太郎と目があった。
 奥さんに背中を押されて、ようやく川太郎は下之介の前に出る。何が不満なのか最期の抵抗で顔だけはそっぽを向いている。
「なんで、出て行くんだよ」
「京に居る江藤新平に会えば拙僧は故郷へ帰れるのだ」
「すぐじゃなくてもいいだろ。隅田川の花火を見てからでも」
「そうもいかぬ。江藤新平は脱藩浪人だ。いつまでも危険な京に居るとも思えない」
「もういい。おめぇなんてとっとといっちまえ」
 そういうと川太郎はまた奥さんの後に隠れた。早かれ遅かれ別れは来る。長引けば辛くなるだけだ。下之介は決心して背を向けた。振り返らずに歩いていく。その姿が見えなくなるまで川太郎はいつまでもいつまでも見ていた。




 さて、ここで下之介の旅程を追ってもつまらないので、舞台を早々と京へ移そう。
 京の壬生八木邸では局長の芹沢鴨が人相書きを広げて隊士たちに捕殺命令を下している。隊士たちのうち、芹沢の話も聞かずにひとりうつむいている若侍がいる。腹が減りすぎて、畳のシミの一点をみつめることで紛らわしているようだ。
「そこ、聞いておるのか。姓名を名乗れ」
「新垣二郎と申す」
 注意されて細面の顔を上げる。歌舞伎役者の女形のように鼻筋が通り、つぶらな瞳は半月のようなまぶたと長くカールしたまつげに覆い隠されている。二郎は南国の人々特有の褐色の肌や彫りの深い顔のせいでよく夷人と間違われたが、出身は琉球王国なので確かに夷人には違いなかった。



 琉球王国は実質的には薩摩藩が二百年に渡って支配し続けたが、表向きは独立国だった。日本、中国、東南アジアのちょうど中間に位置する沖縄本島は、薩摩藩にとって密貿易の中継地として最適だったからである。二郎が琉球から出たいと思いたったのは今から十年前の嘉永六年(1853年)、五つの頃だ。その年の四月十九日に二郎の人生を決定付ける出来事が起こった。黒船来航である。ペリーが浦賀に上陸する、わずか四十三日前のことである。
 琉球王府は日本本土よりはるかに多く外国船を追い払い続けた。薩摩在番と呼ばれる駐屯している薩摩の役人の指示によるものであった。今回も伺いを立てたが、薩摩在番は黒船艦隊に恐れをなし姿を隠して、琉球サイドに折衝をすべて丸投げした。
 ペリーは沖縄本島が地政学上重要であることに気付き、琉球王国を占領することも視野に入れていた。首里城に入城したペリー一行を琉球側は堂々とした態度で歓待したため、ペリーは考えを改め琉球を日本遠征の拠点するに留める。六月九日、日本に向け出向する黒船を浜辺で見ながら、幼い二郎はいつかあの外国船を追って広い天地に飛び出そうと夢見るのだった。本国で南北戦争が始まったため、アメリカ船は日本や琉球王国と条約を結んだ後は再びやって来ることはなかった。日本、沖縄、アメリカの不幸な関係はこのとき決定付けられたのかも知れない。
 十年来の夢を叶える時がやって来た。二郎は薩摩の定期連絡船に密航を企てた。アメリカ船に密航を企てた吉田松陰は失敗して投獄されたそうだから、二郎も捕まれば同じ運命をたどることだろう。結果的には二郎の決死の密航は半分だけ成功した。捕まることはなかったが、船は奄美大島で立ち往生してしまった。二郎は自分の密航がばれたのかと思い、夜の闇にまぎれて船から脱出した。後で分かったことだが立ち往生は台風の通過を待っていただけのことだった。
 船が出港するまでの間、二郎は暇をもてあましていた。趣味の野草摘みをしてみたが、植生が沖縄本島と同じだったのであまり本草学のたしにはならない。しょうがないのでこの島で今人気のある流刑者に相談をしに行くことにした。いくら娯楽が少ないとはいえ島民たちは流刑者に相談することで何が解決するのだろう。話によれば島民が年貢の取立てが苛酷であると訴えると、その流刑者の菊池源吾という男は島役人を懲らしめてくれたのだという。何故ただの流刑者が薩摩の役人を懲らしめることができるのか。二郎は眉唾だと思いつつも菊池源吾の屋敷を訪ねた。菊池源吾は縦にも横にも大きな男だったが、その巨体に似合わず屋敷で寺子屋の真似事などをしていた。
 屋敷は藁葺き屋根の質素なものだったが、島民が野菜などを差し入れているようで特に不自由はしてないようだ。裏から縁側を覗いていると、丁度授業が終わったようで無言でこちらを手招きしている。二郎は応じて縁側から招じ入れられたが、菊池源吾は二郎を穴が開くほど見つめるばかりで一向に何も話さない。二郎も瞳が大きいほうだが菊池源吾のはさらに大きくまるで達磨の目玉のようだ。菊池源吾があまりに口数が少ないから、自然と二郎のほうが船が先に進まないことを打ち明ける。菊池源吾は黙って乗船許可証を差し出した。
「何故今日会ったばかりの私にここまでしてくださるのですか」
 菊池源吾は初めて答える。
「おはんにはどこかほっておけないところがありもす。その人徳を大切にしてくいやせ」
「私などよりも菊池殿のほうがよほど人徳があるように思いますが」
「人は己を写す鏡ば言いもす。おはんがそう思うならばおはんもよほど人徳があるということでごわす」
 さて、二郎は無事に奄美大島から薩摩まで渡航することができた。各地を観光がてら西海道を北上し、そこから山陽道を通って京都まで来たところで路銀が尽きた。口入屋で働き口を探すと、運良く仕事にありつけた。その仕事とは大名行列の随員だった。
 大名行列にも格があり、数十万石の大大名ともなれば随行する人数も多くなった。特に江戸から遠く離れている藩は随員の泊まる宿の手配や、食事代のような消えものも含めれば莫大な金額に上った。津々浦々の宿場町は潤ったが、反対に大名家は衰えていった。
 そもそも参勤交代には、仮想敵国である江戸から遠い外様大名を経済的に困窮させるという意図もあった。外様大名は幕末にどの藩も財政赤字に借金を抱えている状態でジリ貧だった。外的要因だけで国家が滅亡した例はない。確かに引き金を引いたのはペリーだったかも知れないが、江戸幕府の屋台骨はすでに揺らいでいたのだ。以上は余談である。
 各藩主は参勤交代の抜け道として国許から少人数の大名行列を送り出し、江戸に近い宿場町でアルバイトを雇って随員を水増しするということをやっていた。しかし京の口入れ屋に急遽舞い込んだのは外様の雄、薩摩藩からの依頼である。密貿易で経済的に豊かなはずの薩摩が江戸から離れた京で随員を募集したのはそれなりに理由があった。結論から言ってしまえば寺田屋騒動のせいで、大幅な欠員が生じたからだ。
 文久二年(1863年)三月十六日薩摩を出立した島津久光の行列は、千人以上の規模の堂々たる上洛を果たした。清河八郎らの謀略により島津久光は倒幕の尖兵となるため上洛したというデマが流れ、諸藩から多くの草莽の志士が京に押し寄せた。伏見に詰めていた血気にはやる薩摩藩士たちは倒幕の口火を切ろうと画策、暴発を恐れた久光によって上意討ちの命がくだされ、旅籠はたご寺田屋で薩摩藩士が同志相打つ結果となった。これが寺田屋騒動の顛末である。
 どうにも薩摩とは縁があるらしい。二郎は路銀を稼いだ上に江戸も見て回ることができた。ところが懐が温かかったのは一瞬だった。浅草で有り金全部掏られて、文無しになってしまったのだ。悲嘆に暮れていたところでちょうど浪士隊の募集があり、参加した。給料が出るというのに惹かれ浪士隊として京へ上ったのだが、給金は現在の金額にして月に十万円程度。これまで借用していた分の支払いで結局のところカツカツとなって今に至る。
 腹が減りすぎて走馬灯まで見えるようではいよいよ危ない。二郎は懐に手を入れて書付に触れる。この書付は二郎にとって命綱とはいえ、おいそれと使えるものではない。ままよと思い留まって手を引っ込めた。先月はツツジの蜜を吸って空腹を紛らわせた。今月も本草学の知識が役に立ちそうだ。




 十四日後、下之介は京の河原町の茶店で煎茶を飲んでいた。道中観光もせずに急いで上京したのだが時既に遅く、江藤新平は佐賀藩に向かって出立した後だった。落ち込んでいても腹は減る。頼んでおいた御手洗《みたらし》団子一皿をつぶれた饅頭のような顔の看板娘が運んできた。
 団子を一串手に取ると思いがけず視線を感じた。団子を食べている人間がそんなに珍しいのか、葛湯を呑みながらこちらをうかがっている若侍がいる。役者のような美男子だが、下之介にそっちの趣味はない。ただ睨まれながらは食べづらいから、声をかけてみた。
「何か拙僧に御用ですかな」
 若侍が答える前に腹の虫が返事をした。下之介から団子をもらいながら若侍は訳を話し始めた。琉球を出てから江戸で掏りに遭うまでのやたら長い身の上話を聞かされたが、とどのつまり葛湯一杯でねばっていたらしい。
 新しい客が入ってきて緋毛氈を敷いた床机に座った。この男もたいそうな美剣士で下之介を睨んでいる。下之介はまたかと思って団子の皿を持って立ち上がると、美剣士の方から声をかけてきた。
「お手前の藩名、姓名を名乗られよ」
下之介は相手が最近京で結成された浪士組だと悟り、正直に答えた。
「佐賀藩士、上中下之介」
「ははははは。もう少しましな変名偽名はなかったの」
「いや、本名だが。」
「二郎、こいつ人相書きの男だ。逃すな」
 美剣士はいつのまにか音もさせずに刀を構えている。二郎と呼ばれた若侍のほうも刀を抜きつつ下之介の後に回り込み退路を断つ。下之介は突っ立ったまま硬直して動けない。他の客は遠巻きに見物している。
「手向かいいたせば斬る。屯所にご同行願いましょう」
「何かの間違いでは。拙僧には身に覚えがありませぬ」
「その腰の物が証拠」
 下之介は清河には感謝していたが、死の間際に随分とやっかいなものを押し付けられたようだ。命をかけてまで守る価値がこの刀にあるだろうか。命を取るべきか刀を取るべきか。下之介は神妙に刀を抜いた。
「両方取ろう。おい、そこのあんた」
「沖田だ」
「沖田さんとやら。拙僧のような坊主くずれを相手に二人がかりとは、武士道にもとる。そうは思わんか」
「一理ある。ではどちらの相手をするか選べ」
 下之介は迷わず二郎を指差した。これで斬られることはない。なにせ二郎には貸しがある。貧すれば鈍するとはよく言ったものだ。
 二郎は刀をまっすぐに天高く掲げて、大上段に構えた。 
「待て。団子は。恩を仇で返すのか」
 二郎は振りかぶった刀を一瞬止めて躊躇した。
「団子は貴様の墓前に供えてやる」
 容赦なく振り下ろされた刀に下之介が横一文字に合わせた刀が激突する。

     

 人間というのは不思議なもので、命に危機が迫ると時間がゆっくりと感じるものらしい。それは相手を冷静に分析するには十分すぎる時間だった。二郎というこの若侍は前髪も取れていないからまだ元服もしていないのだろう。きゃしゃな体型から見て歳は十四、五といったところか。まだ幼さを残した顔は中性的ですらある。大きな瞳を半目にして(要はジト目)こちらを睨んではいるが、口の端には御手洗みたらしのたれが付いたままだった。まだまだ子供のようだ。下之介がいくら素人でも子供に力負けするわけがない。二人の刀が十字にぶつかると、二郎の刀は中ほどから真っ二つに折れてしまった。
 両腕を高く上げ胴をがら空きにするこの構えをとるのは、よほど振り下ろす速さに自信のある達人か、剣術の型を知らない素人だろう。二郎が後者だったおかげで斬られずにすんだが、代わりに二郎の刀の折れた切っ先がせっかく伸びた頭頂部の髪をかすめて飛んでいった。反動で刀を落とした二郎はその勢いのまま下之介を押し倒した格好になった。胸元にぶつかる衝撃に備えて反射的に目を瞑るが、顔を覆ったのは着物の上からでも分かる柔らかい二つの膨らみだった。初めての感触だったが本能的にそれが乳房であることを理解することができた。生命の神秘である。
 子供子供と思っていたがなかなか良いものを持ってらっしゃる。もう少し味わっていたい気もするが、脱出するならば今しかない。何故あの二郎という名の女が男装をしていたか気にはなったが、今は逃げることに専念した。女と斬りあいなんてまっぴらだ。
 茶屋を飛び出した下之介は刀を握ったまま往来を駆けていったので、皆係わり合いを避けて道を譲った。いったいどこまで逃げればいいのか。どこもかしこも浪士組の手がまわっている気がした。
 河原町通を左に曲がって御池通に入り直進、高瀬川を越えたあたりで右に曲がり木屋町通を下っていく。京の町は碁盤の目なりに区画された計画都市であり、何度も曲がっていると方向感覚が麻痺してくる。住み慣れたものでもなければ、いったい自分がどこを走っているのか分からなくなる。また左折して三条大橋を渡りきったところで走りつかれて尻を付く。怖くて後は振り返らなかったがここまでくれば撒けただろう。
 息を整えながらあたりを見渡す。追っ手はいないようだが、嫌なものを見つけてしまった。橋のたもとに高札が立てられていて、その人相書には良く見知った顔が書かれていた。下之介は読み終わった人相書を高札から引き剥がし、丸めながら独り言をいった。
「上中なにがし、この者恐れ多くも御公儀転覆(御公儀は徳川幕府のことなので倒幕と同じ意味)を企みし大悪人なり。なんで清河から刀の処分を頼まれただけで、悪党扱いされねばならぬのだ」
 得体の知れない陰謀に巻き込まれ始めている。このまま京にいれば、いつかは路傍に伏し無縁仏となるだろう。鴨川の川原に打ち捨てられた攘夷浪士の死体を見ながら、明日は我が身と思うのだった。
 強い向かい風が山の方からカナカナカナとヒグラシの声を運んでくる。名前通り日暮れが近いのだろう。キョッキョッキョッという鳴き声はクイナのような水鳥の声だろうか。汗を拭いながら耳を潤わせ涼んでいたのに、シンミョウニシロやオナワニツケといった喧しいヒトの鳴き声がすべてを台無しにした。もう浪士隊が追ってきたらしい。仲間を呼んだのか十数人はいる。
 隊士のなりはてんでばらばらで、浴衣を着流しているものや、袴を脱いでいるものもいる。六月無礼という言葉よりはただのゴロツキといったほうがしっくりくる。
 六月無礼とは旧暦の六月、即ち七月ごろからの軽装が推奨されていることで、江戸時代版クールビズのようなものである。
 余談はさておき、下之介はまた逃げねばならない。この蒸し暑さの中を全力疾走しながら鴨川沿いを下っていくが、けして体が強いほうではないからめまいがしてすぐに失速する。湿気のある土がまるで絡め取るように体力を削っていく。浪士組に追いつかれるのは時間の問題かと思われたその時、商家の表間口から延びた手が下之介の手を引いた。絹のように柔らかくきめ細かい手だった。
 なすがままに菊屋という店に導かれると、中には綿織物の反物や呉服の見本が高い天井から吊り下げられ、庶民向けの反物が売り買いされていた。下之介の手を引いていた商家の娘は、水色の半襟の上に藤色の下地に真っ赤な牡丹の柄をあしらったの着物、黄色い蝶の紋の帯に朱塗りの下駄を履いていた。そして抜けるような白い肌としなやかな手。この時代、人前で女性の手を握るのはとても大胆な行為だった。我に返った下之介は慌てて手を離した。
 浪士組の喧騒が遠ざかり、熱風が下之介の脇をすり抜けていく。
「なぜ拙僧を助けてくださったのか」
 涼しげな着物の娘は帯の間から人相書を取り出して答えた。
「あなた様はこの攘夷志士、上中様でございますよね。京の商人はみな攘夷志士の見方なんですよ」
 もはや下之介の顔は京中に知れ渡ってしまっているようだった。これ以上誤解される前に早いとこ京を脱出したほうが良い。
「この恩にはいつか必ず報います。しかし拙僧は京を離れなくてはならぬので失礼いたす」
 恩を返すあてなどあるはずもない。適当なことを言って商家を出ようとしたが、今度は袖を引っ張られた。
「今外を歩くのは危のうございます。丁稚に調べさせて参りましょう」
 娘は丁稚に駄賃を握らせて使いに走らせた。とても手馴れている。
 下之介は泥だらけの足をたらいに入れられ娘に洗ってもらった後、客間に通された。上座に座らされ、無表情の番頭がすぐにお茶を運んでくる。
「わては元〆もとじめの菊屋与兵衛と申します。以後お見知りおきを。ぜひとも当家で事をなすまでおくつろぎくださいませ」
 驚いたことにあの娘は数えで二十歳の与兵衛の箱入り娘だと言う。今までこんなにも歓迎されたことがあっただろうか。ちやほやされることに慣れていない下之介は当然疑問を抱いた。
「なぜ一介の浪人にすぎない拙僧をこのようにもてなしていただけるのでしょう」
 与兵衛は「あんさんが勤王の志士だから話しますが」とまず前置きした。下之介は自分が勤王の志士ではないことを説明しようしたが、口ごもっている間に与兵衛が話を継いだ。
「幕府は函館、横浜を開港しましたが結局のところそれは幕府の利にしかなりませぬ。もし勤王の世となれば天下の台所の大阪が開港し、わてら商人の活躍の場が広がります。その利は庶民の懐にも必ず届きます。だから庶民はみな勤王の志士の方々を御味方するのです」
 ただ一人苦虫を噛み潰したような顔をしていた番頭がやたらとお茶のお代わり勧めてきた。それは早く帰れと遠まわしに相手に伝える京都式の作法なのだが、知る由もない下之介は勧められるままに茶を飲み干す。
「貴君の勤王の志には痛く感服いたしました。ただ武士とは必ずしも高潔な人間ばかりではありますまい。武士だ商人だと分けるのは人の方便であって、一皮剥けばどんぐりの背比べだ。追い詰められれば間違いも起こすでしょう。貴君は交渉する相手をよく選んだほうが良い」
 今度は下之介の方が遠まわしに言ったが、与兵衛の目には謙遜する慎ましい若者と映ったらしくますます気に入られてしまった。



 風鈴の音とししおどしの音が暑さを忘れさせる。透かし模様のはいった障子を大きく開くとりっぱな枯山水が広がっている。下之介にあてがわれたのはこの商家の奥の南に面する最上の部屋だった。床の間には値段の見当も付かない古壷と梅にウグイスの掛け軸がかかっている。
 江戸のタコ部屋は壁が薄く、隣から夫婦喧嘩の怒号や子供の泣き声、爺の咳に婆の屁が聞こえてきたものだ。夜中など屋根裏をネズミが走り回って、慣れるまでは眠れやしなかった。
 しかし、今となってはこの分不相応な部屋の方がよほど居心地が悪い。下之介は回遊魚のように落ち着きなく、十六畳の端から端まで言ったり来たりを繰り返したあげく、ついに耐え切れなくなって、桜が描かれた襖を開けて渡り廊下に飛び出した。
 丁稚たちが寝起きする部屋の前を通りかかった折り、さっきの苦い顔の番頭の声がした。えらい剣幕でまくしたてているので、悪いと思いつつも中を覗いてみる。
「お前、本当にかまどの火の始末をしたんかいな」
 番頭の顔はなまっちろいままで表情には表れないが、額には青筋が浮いている。怒られているおかっぱの少女は番頭の目も見れずに俯きながら小さく答える。
「はい」
「嘘付け。灰の上に手形が無かった。どうせ昨日の夕べ、かまどの始末を怠ったのだろう」
 江戸ほどではないが京でもことに商人の間では火の不始末にはうるさかった。最後にかまどの種火を消した奉公人は、証拠にかまどの灰の上に自分の手形を残すことが義務付けられていた。番頭はねちねちとそこを攻め立てた。
「使えない丁稚は出てけ」
 捨て台詞を残して無表情に戻った番頭はぴしゃりと襖を閉めて出て行った。赤い着物に涙が零れ落ちる。
 商人の世界は厳しい。十一歳ごろに親もとから引き離され奉公先に住み込みで働き始める。この少女は十二歳ぐらいにみえるから、まだ一年目ぐらいの新米なのだろう。十一歳から二十歳までのヒラの奉公人を丁稚と呼び、見習いなので給料はもらえない。八年から十年勤めた丁稚のうち二、三割が次のステップである手代に進むことが出来る。この丁稚から手代への最初の出世をとくに初登りと呼び、五十日の休暇と帰郷を許される。この時、旅費の他に小遣いまで貰え、立派な衣装を着て帰郷し、文字通り故郷に錦を飾るのである。二十代半ばで手代の中から特に優秀な者が管理職である名目役手代になる。恐ろしいことにここまですべて無給である。給料がでるのは四十をすぎたころで、結婚や自宅からの通勤も許される。奉公人のトップである番頭なれるのは全体の1%過ぎず、四十代半ばで抜擢されるから、四十前半のあの無表情な番頭はよほどの切れ者なのだろう。番頭はゆくゆくは店を譲られるか、のれんわけして新たに独立する。菊屋もかつては白木屋(居酒屋ではなく、老舗高級呉服屋。東急デパートの前身)からのれんわけしたそうだ。のれんわけは本店と同種の商いはタブーとなっているので、菊屋は庶民向け呉服屋にして競合を避けている。
 少女は声を押し殺してしゃくるように泣いている。下之介はこういう子供を見過ごせない。どうしても昔の自分に重ね合わせてしまう。汚い手ぬぐいで涙を拭ってやると、下之介を上役とでも思ったのか、奉公をやめて故郷に帰りたいと言い出した。
「うちはろくに台所の後始末もできまへん。番頭の助清様にいっつもしかられます。きっとうちは向いてないからお暇したほうが喜ばれます」
「あんないやみな番頭喜ばさずとも良い。あと一月で薮入りだろ、それまで頑張りなさいよ。薮入りには着物を新調してもらって、小遣いまでもらえるそうじゎないか。さらに一日休めるか、故郷に帰れるのだろう。その時に父母と辞めるかどうか話せばいいじゃないか。それにあの助清さんとやらも仕事の不手際よりも嘘をついたことに怒ったのだと思うよ」
 その時襖が大きく開け放たれて、助清と目が合った。
「あまり丁稚を甘やかさないでいただきたい。元〆もとじめはあんたを用心棒として使おうとしているらしいが、あんた本当に勤皇の志士か。どうにも臭い」
 下之介はつい着物の袖を嗅いでみてしまった。確かに臭い。さて、ここでもし本当のことをいえば危険な京の町中に放り出されるに違いない。かと言って舌の根も乾かぬうちに少女の前で嘘もつけない。

     

「拙僧は攘夷志士などというたいそうなものではない。坊主から還俗したばかりのしがない侍もどきじゃ。清河八郎という御仁の遺言でこの妖刀を捨てるように頼まれたせいで、浪士組から追われる身となった。本当はただ故郷の肥前佐賀に帰りたいだけなのに、どういうわけか人別帳から拙僧の藩籍が消えてしまったらしく、国に帰る方法を探しておった。だがその手段を知っている江藤新平はすでに京を発って肥前佐賀に向かっており会うことさえ叶わない」
 下之介は腹の中いっさいをぶちまけた。自分だけすっきりした顔をしていると、まだ話を消化し切れていない様子の番頭が尋ねた。
「あんたがこの店の用心棒には使えないというのはなんとなく分かったが、他がよく分からん。その江藤という男が京から肥前佐賀に着く前に、走っていけばどこかで追いつけるんじゃないのか」
「それは良い策じゃ。かたじけない」
 一礼した下之介はあっけにとられている番頭たちを尻目に菊屋の勝手口から走り出て行った。京の町を下之介は駆けていく。あれほど騒がしかった浪士組の連中が町から消え、京は静けさを取り戻したかのようだった。ちょうど良い。危険なこの町を脱出するのは今を持って他にないだろう。
 夕餉の支度をしにきた元〆もとじめの娘の琴が下之介がいないことに気づいて、番頭に詰め寄った。琴があまりに下之介を気にするので、本当のことを告げてやろうかとも思ったが、いなくなって安心したせいか番頭は言葉を飲み込んだ。
「あの者ならば出て行かれましたよ」
「使命を持っている者は座を暖める暇もないのですね」
 後にはただ一陣の風だけが残った。



 月もない闇夜に頼りない足音だけが響く。手探りしながら山道を抜けようともがく。もう一刻(約2時間)は歩いた気がする。闇の中では時間の感覚までも失ってしまうようだ。後先考えずに飛び出したせいで、絡西から花園に抜けるころには日が暮れていた。
 ちょうちんに火をともしてあたりにかざすと、気がつかなかっただけで宿場町のそばまで来ていた。
後ろからは同じように一人旅の武士が近づいてきたので会釈を交わし、顔を上げたとたん互いに仰天して叫んだ。
「貴様は上中下之介。私の……」
 最後は聞き取れぬほどにしぼんでいった。以前下之介に男装を見破られたことを思い出して恥じているのだろう。懲りずにまた男装している。
「そういうお前はあの男装の……」
 話を遮るように刀を抜いて、相変わらず上段に構えた。下之介も刀を抜き牽制する。
「新垣二郎だ。私の素性を知られた以上、生きて返すわけにはいかない」
 なんてことだ。宿場町は目と鼻の先だというのに。男装の女ごときに負ける気はしないが、歩き疲れていてはこちらが不利だ。しかも洛外に浪士組の二郎がいるのはどうにも妙だ。浪士組が忽然と京の町から消えたことと照らし合わせると、どうやらこのあたりに待ち伏せをしていたのだろう。時間をかけては他の隊士がやって来てしまう。長居は無用だ。どうやって撒こうかと思案していると、騒ぎを聞きつけた旅人や逗留客が集まってきた。
「弥次さん、見てみろ。仇討ちだ」
「いいぞ。やれやれ」
 しめた。何故か仇討ちと間違われているが、この野次馬に二郎がを気取られているうちに逃げよう。下之介はひらめくとすぐに行動に移した。脇の林に素早く飛び込み、二郎の死角の木陰から様子をうかがう。
「お侍さん、あの悪党はこの木の後ろに隠れているよ」
 ところが野次馬たちは下之介の方を仇と思ったらしく、二郎に協力的だ。二郎は男装と言わなければ眉目秀麗な若侍に見える。対して下之介はざんぎり頭の奇妙な男な上、一目散に逃げ出した。誰が見ても下之介が悪役だ。
 ここにいては見つかる。下之介はさらに林の奥深くに分け入った。女の足で追いつけるわけがない。必ず逃げ切れる。しかし、命の危機が去ったことで下之介の心には本人も気づいていない油断が生じていた。


 下之介を見失った二郎は仲間に知らせるため狼煙を炊いていた。もし自分が女であることを他の隊士に知られれば浪士組にはいられなくなる。あの男がそれをしゃべる前に早く殺さなければ。焦る気持ちを抑える二郎の瞳には狼煙の炎が映りこんでいた。
「お、助っ人だ」
「盛り上がってきたぜ」
 野次馬たちがざわめく。
「これはいったい何の騒ぎだ」
 やってきたのは浪士組副長格の土方歳三だった。二郎がことの成り行きをかいつまんで話すと、土方が一人で林に入ることとなった。
「やはり、私もお供いたします」
「だめだ。奴が宿場に戻るかもしれねえ。お前は引き続き狼煙を炊いて隊士を集めろ」
 土方はそう命じると、かがり火も持たずに林の中に消えていった。
 何もない闇の中に浮かび上がる青白い光。あれはちょうちんの火には見えないが、土方は引き寄せられていく。光は近づくにつれて三日月型に変わり、二間(約3.6メートル)まで肉薄するとその光が刀から放たれていることに気づいた。暗くて顔までは確認できないが、十中八九下之介に間違いない。局長からは下之介の生死は問わないが、刀は必ず確保するように言われている。
「さすがは尋常ならざる刀だ。蛍みたいに光ってやがる。上中下之介。その刀を置いて行くならば、命まではとらぬが」
「また、浪士組か。しつこい。この刀は亡き恩人の形見の品だ。渡すことはできない」
 下之介が立ち会ったあの新垣二郎は剣の腕前は素人同然だった。そのことが下之介の判断を誤らせ、浪士組を侮らせることになった。
 刀はいつか清河がいったように淡く青白い光を放っている。闇夜でこんな刀を持っていれば斬って下さいといっているようなものだ。下之介はあわてて鞘に収めた。
「どうした、臆病者。腰の業物は飾りか」と土方が誘う。
 下之介が返事もしないのにどこまでも追いかけてくる。息を殺しやり過ごそう。それならば光も見えず、音も聞こえないはず。辺りは静まり返っているが、土方はまだ近くにいるはずだ。十分待ってから動いたほうが良い。
 そのとき、うなりとともに肩に何かがたたきつけられる衝撃あった。伏せながら恐る恐る肩に触れると、熱を持っている。斬られてはいなかったが、刀を振った土方の腕があたったようだった。だんだんと間合いが正確になるにつれ、ようやく土方の恐ろしさに気づいた下之介は大声で叫んだ。
「お助けぇ。助けてくれ」
 大声を出して少し冷静さを取り戻し、土方が先ほどから闇の中でしきりに話しかけてくるのはなぜか考える。土方は自らの声の反響をたよりに自在に動いているのではないか。だとしたら、音を出さないようにしても、光を漏らさないようにしても意味はない。
 下之介は刀を再び抜き、大法螺を吹いた。
「こうなりゃ、自棄だ。北辰一刀流免許皆伝、上中下之介参る」
 下之介の叫び声が聞こえた方向に、淡い光が点るのを見ると、土方は考えるよりも体が先に動いた。
一足飛びに跳躍し瞬時に間合いを詰めると、下段に構えているように光る刀だけを闇の中で捉える。妙な構えだが声と光が同一方向にある以上、罠を張っていようがいまいが奴はそこにいる。雑念を捨て、土方は刀を突き通した。
 あたりはしんと静まり返り、刀には重い手ごたえだけが残っている。しかし妙だ、重すぎる。さっきからいくら刀を引いても引き抜くことができない。やはり罠だった。刀が深々と刺さっていたのは木の幹だったのである。
 枝の間から何者かと目が合い、ようやく気がついた。下之介は木の後ろから声を上げて、あえてこちらの動きを封じるために幹を斬らせたのだ。
 下之介は幹に立てかけておいた刀を鞘に収めると、ゆっくりとその場を離れた。刀を引き抜くにはそうとう時間がかかると踏んだ土方は、脇差を抜いて反撃にそなえたが、すでに下之介は遁走してしまった。
 
 

     

 空が白み始め、雀が路傍を元気に飛び跳ねている。それに引き換え夜通し歩き続けていた下之介は、血の気のない顔で肩で息をしている。あごが出て無様な格好だ。へとへとになりながらも足を止めようとはしなかったのは、浪士隊に追いつかれやしないかという恐怖があったからだ。しかしそれも限界が来た。
 朝日の眩しさに目を細める。山道が急に開け民家が見えてきた。どうやらここが西国街道の宿場町、芥川宿(現在の大阪府高槻市辺り)のようだ。立ち上る炊きたての飯の香りがすきっ腹にしみる。下之介は誘惑に負け、倒れこむように旅籠はたごにたどり着いた。部屋に案内されるとそのまま布団も敷かずに眠ってしまった。こんなことで本当に江藤新平に追いつけるのだろうか。


 下之介の捜索を中断して戻ってきた土方は拠点として借りている山崎宿(現在の京都府山崎町から大阪府島本町辺り)の旅籠はたごに入り、すぐさま二郎を呼び寄せた。
 一晩中捜索を続けていたにもかかわらず、土方の顔には疲れの色は見えない。二郎は姿勢を正して土方の前に座った。
「上中下之介の捜索は打ち切り、我々はこれより出立し屯所に帰還する。これ以上京を留守にするわけにはいかないからな」
 土方の命令に二郎は食い下がった。
「そんな。京の守護が我々の本分であることは百も承知です。しかし下之介はまだ遠くには行っていないはず。これを逃す手はないでしょう」
「早合点するな。何のためにお前を呼んだと思っているのだ。お前に上中下之介の追討を命じる」
「私一人でですか。もっと場馴れした者のほうが良いのでは」
「いや、お前が適任だ。お前、上中下之介が仇だというじゃないか」
「それは見物人が勝手に言っただけで……」
「いいか。仇討ちとしておけば、何かと都合が良い。仇ということにしておけ」
 相手は一人、しかも剣の腕は素人。適わない相手ではない。さらに屯所を離れることで男装がばれる危険はなくなる。考えてみれば良いことずくめなので二郎は追討の任を受けることにした。
「分かりました。仇の下之介を必ずや討ち果たして見せましょう」
 快諾して、すぐに身支度を整えながら、席を立つ。
「待て」
 鋭い視線を背に受けて、二郎は立ち止まった。冷たいものが首筋を伝っていく。ぎこちなく振り返る二郎に、土方は言葉を続けた。
「そんななまくらでは、また奴にへし折られるぞ。これを持っていけ。志津だ」
 土方の声が柔らかくなったことで安心したせいか、二郎はつい間の抜けた質問をした。
「私はあまり刀剣のことは鈍いのですが、この刀は良いものなんですか」
「分部志津と言やぁ正宗十哲の一人、志津三郎兼氏の鍛えた名刀だぞ。見ろ、この美しい板目肌。この乱れこんだ切っ先の刃文。二尺三寸三分(刃渡り約70センチ)の大磨上おおすりあ無銘むめい(刀の寸法を短くするため短く切り落とすことを磨上げると言い、銘が入っていた部分まで切り落としたものを無銘という)だから、小柄なお前でも扱えるだろ。あとお前でも追いつけるように馬を買って、外に繋いであるから、乗っていけ。最後に剣術を指南してやる。刀ってのは二三人も斬りゃ、脂がまとわりついて斬れなくなる。だが、ただ突くだけならできる。斬るのには技が要るが、突きは素人でも打てる。手前も無心になって突け。できるだけ早く刀を繰り出して、体当たりするように突進しろ」
 そう言いながら土方は自分の差両を二郎の兵子帯にねじこんだ。交換した二郎の刀を引き抜き、土方はそれをかざして言い放つ。
「突きの構えをとってみろ」
 二郎は両手で包丁でも持つように構えて、土方をがっかりさせた。
「馬鹿、刃を立てる奴があるか。それじゃ、あばらでつかえて心の蔵まで貫けねえ。こうやって刃を寝かすんだ」
 土方は手本を示すように二郎の眼前に刀を突きつけた。心臓を鷲づかみされるような殺気。土方に斬られていった浪士たちの気持ちを味わった気がした。二郎は刀をありがたく頂戴し、一礼してから逃げるように走って表に出た。
 土方が言っていたように外には、馬丁が栗毛の見栄えのする馬のくつわを取っていた。馬丁から手綱を受け取り、あぶみに足をかけて一息に鞍にまたがる。馬丁が感心してくれたが、二郎の故郷ではヤギやブタを飼うのが一般的だったから動物を怖がるということがなかった。
 すぐにコツをつかんで早足から駆け足にさせる。二郎は快速に飛ばしながら、土方がなぜ自分に身に余る大任を与えたのか考えた。もしかすると土方にも男装を見抜かれているのかも知れない。だとすると難題を与えて、体よく京から追い出されたのかも知れない。もはや自分が生きていくためには、下之介を討ち、妖刀を携えて凱旋するしかない。黒いたてがみをなでながら、二郎は決意を新たにするのだった。



 鳥の雛の鳴き声のやかましさに目を覚ます。軒下につばくろの巣でもあるのかもしれない。気を失うように眠ってしまってからどれほど時間がたったろう。痺れの残るほほを擦ると畳の目の跡がくっきりついている。
 井戸場で顔を洗っていると、旅籠はたごの仲居に昼飯はどうするのか聞かれた。
「昼飯の前に朝飯がまだなんだが」
「いやですよ、お客はん。寝ぼけてはるんですか。もう未の刻(午後2時)ですよ」
「未の刻だって。なんで起こしてくれなかったんだ。もう半日無駄にすごしてしまったじゃないか」
 仲居は下之介をなだめようと、気になること言った。
「急いでお出でなら、旅の達人に学んだらどうです」
「そんな人がいるのか」
「おりますとも。ちょうどお客はんの真向かいの部屋に泊まっている方は、二十六人も弟子がいる大先生だそうです。なんでも三日で伊勢と江戸を往復するといううわさです」
 伊勢から江戸までどんなに早い飛脚でも片道だけで三日かかってしまう。それだって一人でではなく駅伝の要領で走ってである。一人で伊勢と江戸を三日で走破することなんてできるわけがない。なんとも胡散臭い話だったが、わらにもすがる思いで部屋を訪ねた。
 気配でまだ外出はしていないようなので、宿帳で調べた名前で呼びかけてみる。なんともふざけた名前だと、下之介は自分の名前を棚に上げて思った。
「竹川竹斎先生。少しばかり話を聞かせていただけませぬか。」
 三度目の呼びかけで、根負けしたのか部屋のふすまが開かれた。目の前には眼窩のくぼんだ初老の男が立っている。隠居した商家の旦那といったいでたちだ。
「どうせ貴公も神足歩行術を習いに来たのだろう。断る」
 どうやらその神足歩行術とやらが飛脚を超える速さの秘密らしい。ますます胡散臭いと思った下之介はそっとふすまを閉じた。
 じじいの長話でさらに半日棒に振るわけにはいかない。旅籠はたごを出ようとすると、再びふすまが開け放たれた。
「話はまだ終わっておらぬ。否、始まってすらおらぬ。良いか。なぜ神足歩行術を教えないかというとだな、黒船じゃ。あの黒船がいったい何日で函館から長崎へ行くか知っておるかね。たった一日じゃ。そういう世がやってきた。いまさら、どんなに歩いても疲れない方法などは時代遅れだ」
「いや、まったくその通り。それでは失礼いたす」
「最後まで聞けと言っておる。伊勢の商人にすぎないわしが、黒船に詳しいのがなぜか分かるか。わしがかねてから目をかけていた勝麟太郎が軍艦奉行になったからだ」
 年寄りというのは若者に話したいことがよほどあるらしい。堰を切ったように聞いてもいないことを次々と語り始めた。こうなれば相手を怒らせて話を終わらせようと、下之介は話に割り込んだ。
「あんたのような一介の商人が軍艦奉行と懇意なわけがない。拙僧を無学者と侮ってそのような作り話をされるのだろう。事情があって蔵書を燃やされてしまったが、本屋にある書物はあらかた立ち読みしているから、時世の流れに疎いあんたの弟子のようには騙されぬぞ」
「えらい。わしも勝麟太郎も若い頃は本が買えなくて、よく立ち読みしたものじゃった。気に入った。神足歩行術、伝授いたそう」
 都合の良い部分だけしか聞いていないのか竹川はすっかり下之介を気に入って、走り方は平坦な道、上り坂、下り坂、砂地など地形によって変わってくる云々と講義を始めた。
 ここは下手に逆らうよりも隙を見て逃げ出したほうが良い。算段をつけた下之介は竹川に提案した。
「聞いているばかりでは、どうも要領を得ませぬ。実際に走り方を見せてもらいたい」
「うむ。一理ある。ではついて参れ」
 そういうと竹川は往来に飛び出していった。下之介はそれを追いながら、逃げる機会をうかがう。
「もっとへそに力を入れんか。気は丹田で錬られる。腹をもそっと気遣って走れ」
 みぞおちをたたかれ、檄が飛ぶ。
「これが神足歩行術ですか。これなら飛脚のほうがよっぽど早い」
 下之介の言うとおり、竹川は次々と後ろから来た飛脚に追い抜かれていく。しまいにはただの旅人にも抜かれてしまった。
「焦るでない。最初の一里(約4キロ)は体の凝りをほぐし、ゆっくり走りなさい。腰の凝りをほぐすことを大ゆるみと言い、ひざの凝りをほぐすことを小きざみと言う。体の動きをしなやかにして、滞りなく足先に伝達する。これを千鳥車言う。さすれば無駄な動きがなくなり、己の体が転がる球のように重心を保たれると心得よ」
 下之介は話も聞かずに、前を走る飛脚の動きを目で追いながら、腰をひねらず腕を振らず足音を立てずに走るなんば走りをまね始めた。このまま竹川をおいて逃げてしまおう。歩調を速め、いっきに差をつける。もう振り切れただろうと振り向くと、すぐ後ろを竹川がつけていた。まったく息を切らしていない竹川はそろそろ一里だからと早足に移る。
「次は掛け声を教える。平地では、サササ、ザザザ、オイトショと言いながら走ると良い。上り坂ではマダマダマダマダと言う掛け声に合わせて走る」
 竹川は言い終わる頃にはもう前を走る飛脚を抜き去っていた。ようやく下之介は神足歩行術の実力を認めて、真面目にに教わる気にになった。
 習い始めて一刻(約二時間)がたっても下之助はまったく疲れてはいなかった。郡山本陣の椿の木の新緑を楽しむ余裕もあったぐらいだ。自分の体が昨日までの疲れた体から生まれ変わったようだった。郡山宿(現在の大阪府茨木市)を抜けたからすでに三里(約12キロ)は走っていることになるがペースは落ちず、それどころかむしろ加速していた。
 下之介が走ることに快感を感じ始めた頃、それをかき消すように無粋な馬のひづめの音が近づいてきた。下之介が気付いたのと同時に二郎も気付いたように馬上から叫んだ。
「とうとう仇を見つけたぞ。上中下之介、神妙に刀を差し出せ」
 日もだいぶ傾いていると言うのに、仇討ちと聞いて物好きな連中がすぐさま沸いてきて、二郎を応援し始めた。馬を駆る二郎はどんどん差を詰めていく。どんなに神足歩行術が速くたって馬より速く走れるわけがない。あきらめかけている下之介を励ますように竹川は掛け声をかけながら併走する。
「サササ、ザザザ、オイトショ。サササ、ザザザ、オイトショ」
 二郎が二里追いかければ、下之介は一里逃げる。差は縮まっていくのに、アキレスと亀のように下之介は二郎から逃げ続けた。ところがそんな下之介をあざ笑うかのように、天まで続いているのかのような険しい坂道が目の前に広がってきた。
「観念しろ。」
「マダマダマダマダ、マダマダマダマダ」
 下之介は今度は自分から掛け声をかけた。ふいに、野次馬から歓声が上る。ついに二郎が下之介に並んだ。
 ところが、二郎の馬が舌を出してへばってしまった。全速力で心臓破りの坂を上るのは無理だったようだ。見物人からは落胆の声と、馬に競り勝った下之介への賞賛の声と両方聞こえてきた。
 坂を上りきった下之介は一番の恩人を探す。竹川は坂の手前の所にいた。いつの間にか追い抜いていたようだ。
「わしの教えることはもうない。これから伊勢へ帰る」
 下之介も叫び返す。
「今からですか。もう日が落ちますよ。」
「わしを誰だと思っておる。ここらは庭みたいなものじゃ」
 そういうと竹川の姿はあっという間に小さくなった。

     

 文久三年(1863年)八月十八日、京で大きな政変が起こった。尊皇攘夷派の中心勢力である長州藩が堺町御門警備の任を解かれる勅旨が出された。
 孝明天皇は尊皇攘夷運動を支持してはいたが、倒幕の意思はなく、朝廷と幕府が良好な関係を維持する公武合体こそ望みであった。それを知る薩摩藩が京都守護職の会津藩と謀り、薩摩系公卿を通じて天皇に働きかけた結果だった。
 この日以来、長州藩は京都政界から完全に排除され、三条実美を中心とする長州系公卿グループとともに都落ちした。
 翌年、再起を図った長州藩士たちが京に集結したが、御所へ火を放ち、混乱に乗じて天皇を奪回する計画が露見し、元治元年六月五日新撰組に踏み込まれた。これが池田屋事件のあらましである。
 もう後がない長州藩は嵯峨天龍寺、山崎天王寺、伏見長州藩邸の三方から直接御所を押さえようとして、会津、薩摩を主力とする幕府軍と衝突した。この禁門の変の敗北によって長州藩は今存亡の危機にある。




 芥川宿で下之介を取り逃がして以来、新垣二郎は完全に手がかりをつかめずにいた。二郎は馬にまぐさをやりながら、土方が言っていたことを思い出していた。下之介の妖刀が長州に渡れば恐ろしいことになるといっていた。詳しいことは何も分からないが、長州で張っていれば必ずかかるだろう。しかし長州は倒幕派の中心勢力で、二郎にとっては敵の懐に飛び込むようなものである。
 二郎は馬上の人となり、覚悟を決めて長州藩の萩へと向かった。



  
 奇しくも下之介は件の長州藩の萩に到着した頃だった。山道から見ると城下町は深いもやの海に沈んでいるように見える。もやの中からにかろうじて頭を出している天守閣は、まるで無人島のようで頼りない。
 山道をずっと下って、もやの中に潜って行く。途中で誰ともすれ違うこともなく、番所に詰めている役人以外、誰とも会わなかった。三十七万石の城下だというのにまったく活気がない。静か過ぎて山道で鳴いていたヒグラシの声がまだ聞こえている。町全体が喪に服してでもいるかのように暗い。
「高杉さんじゃありませんか。僕であります。伊藤であります」
 ようやく人の声を聞いた気がした。しかし一体誰に話しかけているのだろう。見たところ話している小男以外誰もいない。
「同じ松下村塾の伊藤俊輔でありますよ。思い出せませんか。いくら僕が足軽の出だからといって話しぐらい聞いてくださいよ。ひどいなぁ」
 下之介の自分を指差すしぐさに、伊藤と名乗った男がうなづく。どうやら下之介に話しかけているようだが、こんななれなれしい小男は知らない。
「拙僧は高杉などという名ではない。人違いじゃないのか」
「何いってるのでありますか。そんな頭をしている人は高杉さん以外いませんよ」
 下之介はざんぎり頭をなでながら、人を顔でなく頭で見分ける失礼千万な男の顔を眺めた。奥まった目に団子っ鼻、いびつな形のまげ。確かに足軽らしい素朴な顔をしている。
「高杉さん、京からの早飛脚によるとお国の一大事だそうではありませんか。せっかく統一した藩論を佐幕派に牛耳られてしまいますよ。今が起つべき時ではありませんか」
 どこにでもまったく人の話を聞こうとしない人というのはいるものだ。誤解が解けそうもなさそうだから、下之介は適当に話を合わせてやり過ごすことにした。
「時期尚早だ。今はその時ではない。拙僧は忙しいので、これにて御免」
「僕だって松下村塾の末席であります。仲間に入れてくださいよ。誰に斬りかかって、天誅を加えれば仲間に入れてくれますか。幕臣でありますか。公武合体派の公卿でありますか。異人でありますか」
 血気にはやって伊藤は物騒なことを言っている。もてあました情熱が体を突き動かしているのか、手刀で空を切りながらエアチャンバラを始めた。若者にはしっかりと敵が見えているのだろう。
「どうしたんでありますか。顔が真っ青でありますよ」
 思えばこの若者のような勤皇の志士たちを下之介は幾人か見てきた。清河は策謀によってこの国を立て直そうとした。浪士組の連中も異人から国を守りたいという気持ちは同じで、幕府を助けることで実行していた。世間にはもっと大勢いるだろう。だが下之介はただ故郷に帰りたい気持ちだけがあって、それ以外のことは考えられなかった。故郷に帰った後にどうするのかさえも。
「拙僧はいったい何がしたいんじゃろう。世間じゃ朝廷のために異人を追い出そうという尊皇攘夷が叫ばれていたが、いつの間にか尊皇攘夷をしようとしない幕府は倒してしまおうという勤皇倒幕に発展してしまった。世間の流れは速すぎる、とても追いつけないほどに。拙僧はどんどん世間とズレていくようだ」
 伊藤は今受けた衝撃の大きさに比例して、大声を上げた。
「高杉さんでも悩むことがあるのでありますね。よくわからないけど、ほっとしました」
「ほっとした?」
「実は僕も世間の流れとおのれのやりたいことにズレを感じていました。ほんとは人斬りよりも金勘定のほうが好きなのであります。」
 そう言う伊藤の顔は年相応の明るさがあった。下之介は伊藤と歩きながら半刻(約1時間)ほど話したが、結局伊藤は下之介ことを高杉と勘違いしたまま、下関港に向かう途中で別れた。
「おのれのやりたいことが世間のためにもなるような、そんなズレのない世が来れば良いな」



 関門海峡を通る涼風がもやを少しずつ払っていく。薄もやを裂いて一艘の洋式帆船が近づいてきた。港に接舷し荷を降ろし始める。おそらく海峡を往復する船便だろう。早速乗り込もうとした下之介に、待ち伏せしていた新垣二郎が人馬一体となって襲い掛かる。
 下之介はとっさに船から離れる。乗ってしまえば、逃げ場がないからだ。しかし山道と違い撒くのは難しいだろう。船が離岸するタイミングで飛び乗るしかない。それまでは逃げ回って時間を稼ごう。
 騒ぎをどこから聞きつけたのか、すでに野次馬が沸いている。しめた。この中に紛れ込もう。
「いったい何の騒ぎだい」
「仇討ちらしいよ」
「京の仇を長州で討つと言う奴だな」
「あんた詳しいな」
「あたぼうよ。嫁を質に入れてでも、これだけは見逃せねえ」
「おい、仇が逃げるぞ。とうせんぼしてやれ」
 野次馬たちはここでも二郎に肩入れして、下之介の逃げ道はふさがれてしまった。こうなれば少しでも時間を稼ぐまでだ。下之介は土蔵の塀によじ登ると、芝居がかった調子で大喝した。
「この上中下之介、逃げも隠れもせぬ」
 逃げ隠れしてたじゃないかと野次が飛んで、場が笑いに包まれる。しかし、二郎は下之介から目を離さない。下之介も睨み返す。
 静寂は大きな水音に破られた。下之介が塀を蹴って飛び降りる。二郎は人馬もろとも突進する。勝負が付くと誰もが思った。
 だが、あろうことか下之介は踵を返し、港へ向かって走る。さっきの水音は錨が巻き上げられた音。それを待っていたのだ。
 船のへさきがゆっくりと動き始める。下之介は桟橋を走り、船端に飛び乗った。二郎も馬で追いすがってきたがもう遅い。
 ところが、二郎は馬の歩調を一向に緩めない。まさかと思ったとたん、二郎の馬が飛び上がった。きれいな弧を描いて、馬が飛んでいる。現実離れした光景だったが、すぐに現実の揺れが襲ってきた。船が傾いている。馬ごと飛び乗るなんて無茶をしたからだ。二郎は馬上、下之介に対峙した。
「もう、逃げられないぞ」
 

     

 水面が夕日で照らされて、燃えるように輝いている。魚でも跳ねているのか、カモメの群れは海面すれすれを飛び回る。
 波間を進む船からは、大海原にそぐわない馬のいななきと喧しい言い争いが聞こえてくる。
「もう逃げ場はないぞ。刀を渡せ」
 馬上、下之介を追い詰めた二郎は刀を渡すように迫まった。
「刀を渡せ渡せと言うが、この刀がどういうものか知っているのか」
「何っ。そんなことは知らぬ。私のような下っ端が知るわけないだろう」
「なんと。知らずに、ここまで追いすがって来たのかい。まったく呆れるよ」
「そこまでいうならば、お前は知っているのだろうな」
真剣に問う二郎に下之介は笑って答える。
「知らぬ。が、お主みたいに何も不思議に思わずに、お上のいうことに従いはせぬ。拙僧は清河八郎という御仁からこの刀を託された。清河は刀を捨てろと遺言し、死んだ。それから拙僧はこの刀を君ら浪士組から執拗に狙われ続けている。この二点からあらかた察しはついた。おそらくこの刀は妖刀村正」
「村正? 」
「君はそれでも武士か。刀剣に詳しくなくとも村正といわれればピンとくるだろ。村正とはかの徳川大権現の祖父、松平清康公が家臣の阿部正豊に刺殺されたときの刀だ。以来村正は代々徳川家に仇をなす妖刀として忌避されてきた。黒船やら夷人やらが迫り来るこのご時世に、刀一振りで大騒ぎして、馬鹿らしいと思わないか」
 蒸し暑い甲板に一時静寂が訪れる。下之介は男装の麗人、新垣二郎に追い詰められていたが、まだ諦めず状況が変わるのを待った。
「そうやってホラを吹いて煙に巻こうとしても、無駄だ」
「とにかく馬から下りてくれ。どうせ海の上じゃ逃げようがない。せめて門司の港に着くまでは仲良く行こうじゃないか。呉越同舟というじゃろ」
「だまされるものか。今すぐ縛に付け。船を下関に引き返させろ」
 二郎が叫ぶと、屈強な水夫が二郎を馬から引き擦り下ろした。そして、やすやすと荒縄で帆柱に縛り付けられている。それを楽しそうに眺めながら、下之介は勝ち誇って言う。
「呉越同舟といったろ。この季節、夕立やら大風(台風)やらで船旅は危険なんじゃ」
 いうだけいうと下之介は船べりから海を眺めた。このあたりは壇ノ浦だろうか。完勝の余韻に浸っているのか、はたまた感傷的になっているのか。下之介は懐から冊子を取り出して一筆したためはじめた。
「何を書いているんです。上中のだんな」
 飛脚の装いをした男が話しかけてきたが、その顔にはまったく覚えがなかった。
「なぜ拙僧の名前を。どこかでお会いしたかな」
「いえいえ。こちらがかってに存じ上げているだけで。西国街道の宿場でたびたび仇討ちを拝見させてもらいました。しかし、あっけない幕切れでしたね」
「いや、今まで追っかけまわされた身としては感慨深いものがある。この壇ノ浦は源平合戦の最後の大いくさがあった地、奇縁というものかも知れぬ。まあ、そういうことを日記につけておったのじゃ。急ぎの旅ゆえ今まで書く暇もなかったのでな」
「だんなは船旅でも退屈しなさそうでいいや。こいつを読む暇もなさそうだ」
 そういいながら、飛脚は肩に担いでいた荷物から三通の手紙を取り出して、下之介に渡した。二通は自分に宛てたものだったが、残りの一通は新垣二郎宛てだった。
「これは、拙僧のではないぞ」
「あっちのだんなに渡してくだせえ。では、あっしはこれで」



 日記を書き終えた下之介は、手紙を携えて二郎の縛られている帆柱に近づいて、ゆらゆらと二郎の目の前に手紙をかざした。
「それはお主宛の手紙だ。ちなみに拙僧には二枚きている。どうやら人望においても拙僧の勝ちのようじゃな」
 下之介は照れ隠しに憎まれ口を叩きながら手紙を二郎に手渡した。二郎は手紙を広げ、下之介にやり返す。
「たかが手紙二枚で人望とは笑わせる。おおかた二枚とも親からの便りだろう」
「当てが外れたようじゃな。この手ぬぐいで包んであるほうは京で世話になった菊屋の丁稚の娘からじゃ。わざわざ手ぬぐいを洗って送ってくれたのか。もう一枚は江戸の大家の奥さんから。息子の川太郎が拙僧が出て行ってから大泣きするので、早く帰って来いと書かれておる」
「どちらもわっぱからじゃないか。人望などとよく言えたな。私のほうはちゃんと同志からきたものだぞ。ほう、今は浪士組改め新撰組と名乗っておるのか。新撰組は京の町人から大層な人気があるそうだ」
 手紙には新撰組が池田屋においての激戦が詳細に綴られていた。長州志士側が灯火を消したために、暗闇の中での乱戦となったが新撰組側の即死一名に対して、七名の志士を即死させ、残りの十数名の志士も捕らえられ、ほどなくして死亡した。その後禁門の変でも薩摩藩や会津藩とともに新撰組は戦い、京の町を勤皇派の暴徒から守ったと手紙は締めくくられていた。
「じゃが、京の商家には勤皇びいきが多いぞ。新撰組は糸問屋の大和屋を襲撃したり、八木邸の主人を離れに追いやって母屋に新撰組のお偉方が居座ったりと、評判が悪いと書いてあるぞ」
 下之介は自分の手紙を指し示しながらいう。京の商家は確かに勤皇派に対して同情的だった。それは当然のことかもしれない。
 幕府が横浜、長崎、函館を開港し貿易が始まったものの、輸出できる品目は生糸しかなかった。そのため生糸の大半が輸出用に回され、市場から生糸が消えた。生糸の値段は高騰し、京の西陣織の職人は仕事がなくなった。
「一つ聞きたい」
「申してみよ」
「貴様は刀一振りに振り回されてあほらしいといった。ならば故人との約束とはいえ、貴様が命を賭してまで守る価値がその刀にあるのか。私をここで斬ったとて、貴様は一生追われる身、生きて逃げおおせられるはずもない」
 下之介は二郎が初めて自分で考えて話していると感じ、真剣に答えることにした。
「拙僧は、な。刀を守りたいのではなく、約束を守りたいんじゃ。清河八郎という御仁とはたった二回会っただけだったが、初めて拙僧を一人の侍として遇してくれた。武士は自分を知るもののために死すということじゃ」
 二郎は自分の身の上と重ねて、ぽつりぽつりと話し始めた。
「その気持ち、分からなくもない。私も上京した際、江藤新平という御仁にいたく気に入られ世話になり、佐賀の殿様の紹介状まで渡されたからな」
 下之介はその名前に聞き覚えがあった。下之介がはるばる西国街道を西進したのは、ただ一人脱藩した佐賀藩士である江藤新平を頼ろうと、まさに追いかけてきたからだった。ここまで江藤に会えず、半ば諦めかけていたが、その紹介状があれば故郷の佐賀藩に入ることができるかもしれない。
「その紹介状はどこにある」
「懐の中だが……」
 二郎が言い終わる前に、下之介は二郎の襟元から無遠慮に両手をつっこんだ。荒縄で帆柱に縛られている二郎は縄が食い込むばかりで抵抗することができず、手足をばたつかせながら「やめろ、うつけ。色魔」と罵った。
 下之介は紹介状を見つけ出すと、しばらく呆けたようにただただ見つめていた。下之介が気を抜いたその隙に、二郎は満足に動かせる肘から下の部分を動かして、器用に紹介状を奪い返した。そして、紹介状を破ろうと手をかけた。
「待て」
「それじゃあ、まずはこの縄を解いて貰おうか」
 二人の立場はまた逆転する。下之介は紹介状を横目に、しぶしぶ縄を切った。
「その紹介状をどうするつもりじゃ」
「よく分からぬが、この紹介状、お前にとってよほど大切な物のようだな。取引といこうじゃないか。その妖刀とこの紹介状を交換しよう。悪い取引じゃないはずだ」
 日が落ちて、涼しい風が吹き始める。
「乗った。まず、こちらに紹介状を渡してもらおう。さすれば刀を渡す」
 自分の持ちかけた取引が滞りなく進んでいたが、二郎には不満だった。先ほどまで命を賭してまで守ろうとした刀を、前言を覆し紙切れ一枚と交換しようとする下之介に失望したからだ。
「その手には乗らん。お互いに刀と紹介状を投げ合えばよかろう」
「それだと拙僧が丸腰になるからいかん。斬られた上に紹介状も取り返されては適わぬからな。提案なんじゃが、お主が拙僧の弟子になるというのはどうじゃろう。弟子が師匠を斬った場合死罪じゃから、それなら拙僧も安心して刀を手放せる。」
「やなこった。お前から教わることなど何一つない」
「何もそこまで否定せんでも。史学ならば、教えられると思うが、どうじゃ」
「史学は好まぬ」
 まったく取り付くしまもなく、二郎と下之介の交渉は平行線をたどった。

     

 遠くの山がかすかに色付き始め、稲穂がこうべを垂れている。見渡す限り赤と黄金色が目の中に飛び込んでくる。あれほど拒まれてきた故郷の肥前佐賀藩に、たった一枚の紹介状を番所で見せると易々とを通された。今までの苦労は何だったのかと思うほど、あまりにあっけなく下之介一行は実家に帰りついたのである。
 なかなか踏ん切りがつかず、下之介は小さな門構えの前で立ち止まる。下級藩士の邸宅としては貧しい部類に入るのだろう。門の朽ちた横木が今にも崩れ落ちそうだ。
 だれも取次ぎに出てこないところを見ると、中間ちゅうげん、小者、下女を雇う余裕もないのだろう。仕方なく下之介たちは勝手口に回ってみると、四十過ぎの女が軒に洗った着物を干していた。下女かと思い下之介が声をかける。振り返った顔には見覚えがあった。
「母さん。」
「あんた、下之介かい。父さん来とくれ。あの子が。下之介が帰って来たよ。」
 下之介の手を引いて、母は勝手口から座敷に上げる。土間で爪楊枝を削っていた下之介の父、上中下之丞かみなかしものじょうがのそりと奥から顔を出す。
「なんだ。母さん。大声を出して。」
「寺に預けた下之介がこんなに立派になって帰ってきたんだよ。」
 五つのときに叡山に預けて以来の対面だった。どちらが自分の息子か分からず、下之丞しものじょうは下之介と二郎の間をぼんやり見ながら聞いてみた。
「お前さんが下之介か。大きくなって。こちらの方は。」
「拙僧の弟子です。」
「誰が弟子だ。」
 刀持ちをやらされている二郎が横から口を挟む。
「付き人のようなものです。」
「付き人でもない。」
 怒った二郎はそのまま席を立ち、門から飛び出した。あわてて下之介が追いかけると、門前で二郎は妖刀を抜いて待ち構えていた。
「刀はこちらの手中にあるんだ。なにも貴様の茶番に付き合う必要はなかった。ここで切り捨ててくれる。」
「まあ、待て。話を聞け。」
「聞く耳持たぬ。」
「弟子が師匠を殺せば、主人殺しとして重く罰せられるぞ。」
「聞かぬ、聞かぬ。」
「なんでも鋸挽のこぎりびきの刑らしい。罪人を身動きできぬよう土中に埋めて路傍にさらし、行き交う人々が置かれているのこぎりで首を挽くのだそうだ。」
「げ。そんなむごいことを。」
 下之介は実際に鋸挽のこぎりびきが行われたのは江戸時代以前までで、いまでは形骸けいがいになりつつあることを知っていたが、あえて黙っていた。


 すっかり意気消沈した二郎を連れて、下之介は邸内に戻った。下之介が急に出て行ったので両親は心配そうにしている。
 この日は家族総出でもてなされ、心行くまで楽しんだ。料理は質素なものであったが、貧乏な上中家にとっては精一杯の歓待だった。
 道中の疲れに加えて、酒が入ってすっかり良い気分で下之介は寝入ってしまった。下之介の母親がかいがいしく布団を敷く。二郎の布団も隣に敷いてくれたが、下之介のいびきがのせいでまったく寝付けずにいる。二郎は音もなく刀を引き抜き、刃を下之介の首筋にあてがい、つぶやく。
「よく敵の前で寝ていられるものだ。」
 二郎が少しでも手に力を込めれば、すべてが終わる。
「……なにもかも、終わりだ……」
 二郎ははっとして、刀を戻した。
「起きているのか。」
 下之介は何も答えず、寝息を立てている。どうやら寝言だったらしい。
「……ほこりっぽい……熱……息苦しい……」
 布団を跳ね飛ばし急に苦しみだす尋常ならざる様子に、二郎は下之介を揺さぶって起こした。
「しっかりしろ。うなされて、なにもかも終わりとか言っていたが、どんな夢を見ていたんだ。」
「夢か。何か大切なことだったようだが、思い出せぬ。」
 二郎は刀を鞘に納めながら、言い訳がましく言った。
「この刀、本当に妖刀かもしれぬ。」
「それはどうじゃろう。わしはもともとよくうなされるたちでな。いや、待て、確かに前にうなされたときもその前も清河八郎と会っていたときだな。妖刀が近くにあったのは間違いない。」
 二郎は思わず刀を落とした。
「おっと、あまりぞんざいに扱いなさんな。もしかして今更怖くなってきたか。」
「ば、ばか者。怖くなどない。」
「無理するな。男装なぞせずにそうやって女子おなごらしくしてれば、まだ嫁の貰い手があるぞ。」
「くぅ、また馬鹿にして。」
「そういや、まだお主の本名すら聞いていなかった。二郎は変名(偽名)なのだろう。」
「ちるー。」
 下之介は予想外の返答に聞き返した。
「チルーと聞こえたが、こりゃ驚いた。随分と変わった名じゃな。どういう字を書くんじゃ。ここに書いてみてくれ。」
 下之介が懐から取り出した小冊子に二郎は「新垣鶴」と大書した。
「ほう、鶴と書いてチルーと読むのか。こりゃ変わっている。」
「変わってなどいない。琉球ではありふれた名だ。」
「そうか、ちるーは琉球の出だったか。もう目が覚めてしまって眠れそうにないから、故郷の話など聞かせてくれぬか。」
「なぜ私がお前のために寝物語ねものがたりをせにゃならんのだ。」
「拙僧が寝るまででいいぞ。」
 しぶしぶちるーは思い出話を語り始めた。すぐに眠らせようと冗長になんの脚色もせずに話したが、これが存外面白く、結局下之介が寝付いたのは空が白み始めてからだった。


 下之介が起きるとすでに父は外出していた。お勤めに登城しているそうだ。父は隠居もせずに城勤めを続けていると、茶碗を片付けながら母は言った。
 暇をもてあまして下之介は書棚にあった葉隠はがくれを読み始めた。
「お前には遠慮というものがないのか。」
「我が家で何を遠慮することがある。」
「親しき仲にも礼儀ありだ。」
「まあ、そうカリカリせずにちるーも読んでみると良い。なかなか良いことが書いてあるぞ。」
「新撰組に士道の説法とは噴飯ものだな。」
「はて、新撰組にまっとうな武士のなどいたかな。」
「く、確かに半農や薬売りの出のものもいるが、だからこそ武士であろうとしている。腑抜け揃いの旗本より、よっぽど武士らしいと思うが。」
 二人の険悪なムードを察して、母親が話しに割って入ってきた。
「ところで、下之介は何か用事があって帰って来たんじゃないのかい。こんなにのんびりしていていいの。」
 さすがに寺を追い出されたとは言いにくく、何も言わずに紹介状を見せた。
「お殿様の名前が書かれてる。どうしたのこれ。」
「江藤という人が拙僧らを殿様に会えるように紹介状を持たせてくれたんじゃ。」
「なんと恐れ多い。早く会いにお行き。」
「いや、今日はもう遅いから、せっかく帰省したことだし、墓参りにでも行って来るよ。」
 母親の顔はとたんに曇り、明日必ず行くように念を押した。
 最近花開いた庭の菊と数本の彼岸花を持って、二人は家を出た。教わった通りの裏山の道を上っていく。途中、本草学に詳しいちるーが「あの笹に似た葉はヤマユリだ。あっちは寒蘭だ。」と教えてくれるので、まったく退屈しなかった。
 せまい山道を分け入って、墓地に着いた頃には着物の袖はすっかり白露で湿っていた。桶に汲んでおいた湧水を柄杓ひしゃくで墓石に掛け、供えられていた花を取り替える。前の花が枯れずに残っていたところをみると、つい最近誰かが供えたものであることがうかがえた。目を閉じ、手を合わせて、経を唱える。しばらくして目を開けると墓誌に知った名前が見えた。下之介の兄の名前だった。父母は何も話してくれなかったが、気を使ったのかも知れない。


 翌日、昨日の秋晴れが嘘のように、分厚い雲が空を覆っていた。空模様が怪しいから登城するのは明日にしようかと下之介がいったら、母親にものすごい剣幕で家を追い出された。
「さて、どこで暇を潰そうか。」
「は、城にいくんじゃないのか。」
 お供に付いて来たちるーが驚いて聞き返す。
「殿様に拙僧のようなものが易々と会いに行けるか。恐れ多い。」
「お前のような嘘吐きでも、まともな感情があるのだな。」
「仮にも師匠に嘘吐きはないだろ。ほら吹きといって欲しいね。」
「同じじゃないか。」
 ちるーはだんだん馬鹿馬鹿しくなってきた。下之介は帰ることもできず、時間潰しに江藤新平を訪ねて見ることにした。殿様よりかはよほど会いやすい。
 江藤新平の住まいである八戸村(佐賀県佐賀市八戸)に下之介はやってきた。途中、行商人に道を聞き、会所通りをまっすぐ行くと、それらしき建物が見えてきた。江藤の自宅は下之介の実家と良い勝負のボロ屋で、障子の破れから隙間風が吹き込んでいる。
「人が住んでいるとは思えぬ。戸板に釘が打ち付けられている。」
「いや、これは閉門されているだけで、人は住んでいる。」
 下之介の顔から血の気が引く。江藤はおそらく脱藩の罪で閉門となったのだろう。藩から無断で出ただけで閉門ならば、非合法で藩に入った自分はいったいどんな罰になるだろうか。
 雨がぱらつきはじめ、往来をうろうろとしていた鶺鴒せきれいも一声鳴くと巣に帰っていった。本降りにならないうちに帰ろうと踵を返すと、見知らぬ男が立ちふさがっていた。まったく気配なく背後に近づいたにしては、図体の大きい男だ。尊大な面構えで小奇麗な着物を着ている。下之介はこの男が江藤新平かと思い、ちるーのほうを見た。ちるーは首を横に振る。
「何者だ。」
「我輩は石火矢頭人いしびやがしら、大隈八太郎であるのである。」
 石火矢頭人いしびやがしらとは代々長崎港の警備に当たった砲術長で、上士である。そのような人間がこんなところにいることを下之介はいぶかしんだが、恐る恐る紹介状を見せてみた。
「雨が降ってくる。ついて参れ。」
 そういって大隈は裏手に向かって歩いて行った。
「閉門されて入れないんじゃ。」
「閉門ではない。永蟄居えいちっきょだ。」
 蟄居ちっきょは部屋に軟禁される刑で、家の中ならば自由に動ける閉門よりも重い刑である。それも永蟄居えいちっきょとなればゆるされるまで半永久的にその状態が続くのである。
 大隈はくぐり戸から中に入ると、ふすまの戒めを解いて部屋の中に案内した。大隈も下之介もそっちのけで、ちるーを指差した江藤は開口一番にいう。
「君は……覚えているぞ、京で会った感心な青年だ。」 
「はい、京では世話になりました。江藤殿、この男が士籍を失くして困っている。どうにか藩主に働きかけることができないだろうか。」
「それは難しいだろうな。そもそも我が藩が出入りに厳しくなったのは、お上の動向やら勤皇派と佐幕派の抗争が藩内に波及するのを恐れてのことだ。お家騒動など二度と起こしてはならないからな。」
「死罪でもおかしくない江藤を蟄居ちっきょゆるしたことをかんがみれば、藩主鍋島直正公が藩のことしか考えていないとは思えないのであるのである。我輩は佐賀藩の帰趨きすうが最終的な戦局を左右すると見ている。直正公は最も労少なくして功名を得る機会を窺《うかが》っていると思うのであるのであるのである。」
 結局のところ、下之介の士籍は戻らず、不法滞在が続くという宙ぶらりんの状態は変わらなかった。雨はいまだに降り続いている。 

     

 慶応元年九月(1865年新暦10月)幕府は倒幕の機運を完全に断ち切るために、二度目の長州征伐の準備を着々と進めていた。対する長州藩も座して死を待つようなことはせず、秘密裏に薩摩藩と会合を重ね、過去の軋轢を乗り越えて薩長の間に同盟結ばせるべく蠢動していた。



 下之介はのんびりと薄もやごしの景色を眺めていた。遠くの山々は水墨画のようにさびしげで、家から漏れる灯火はにじませた水彩絵の具のように淡い光を広げている。下之介が佐賀に来てから、早いもので二年の月日が流れていた。最近は母からそろそろ身を固めるように催促され辟易している。まさか、ちるーが男装した女とばれたんじゃないかと疑ったほうが良いかもしれない。こうしてのんびりしてる間にも日々世界は動いている。こんなことをしていて良いのかと常に思い続けていたが、自問の答えも出ぬまま今日も日が暮れていく。ゆうげの平和な匂いがそんな疑問もかき消していく。今も日本のどこかではこの国のために血を流している人がいるというのに。
 母とちるーが箱膳を持っていそいそと台所と居間を往復する。いつもの夕方の風景だ。下之介もきまぐれに箱膳を運ぶのを手伝う。これからもこの家で暮らすのだからと、下之介はたまにしか親孝行していない。
「御免。」
 外から地鳴りのように突然、大声で呼ばれる。父の下之丞が応対に門前に出ると、そこには陣笠をかぶった横目付よこめつけ(藩士を監視する役職)と鉢巻にたすき掛けして尻はしょった姿の捕方とりかた数名が立ち並んでいた。
「何事ですか。」
「近隣の者から、見知らぬ男が住み着いているという密告があった。屋敷の中を改めさせてもらう。」
 捕方とりかたが下之介の目の前になだれ込み、六尺棒で殴りつけた。ほほから火がでるように熱くなり、景色がくるくる回る。体勢が崩れたところを、別の捕方とりかたが後ろから羽交はがめにする。乱暴はやめてとすがりつく母を振り払い、捕方とりかたたちはやたらめったら殴りつける。
 下之介の意識は妙にはっきりしている。まるで殴られている自分自身を客観視しているようだ。あまりの痛みに壊れてしまわないようにする心の働きかもしれない。
 下之丞は横目付よこめつけに下之介が息子であることと佐賀に入国した経緯をくだんの推薦状を見せながら説明したが、江藤新平なる人物は脱藩の罪人だからその推薦状は無効であると一蹴された。
 ちるーのほうへ目を向けると殺気走って柄に手をかけ、今にも刀を抜き放とうとしていた。いけない。
「拙僧が上中下之丞の息子というのはまったくの偽り。ただの食い詰めた無宿人よ。他の者は拙僧に騙されていただけだ。手出し無用。」
 ちるーの声が遠くに聞こえる。何を言っているのか、もう聞こえない。
 六尺棒の雨あられが止む。ぐったりした下之介を後ろでに縛り、捕り方が引きずっていった。後に残された両親はしばらく呆然としていた。
 我に返った母親は土足で踏み荒らされた畳を雑巾で拭き始める。何度拭いても涙がこぼれ落ち、畳に染みを作った。



 腫れ上がって熱を持ったほほをしっとりとした手が擦っている。誰かが軟膏を塗ってくれているようだが、まぶたが重くて目が開けられない。まぶたを押し上げようと右腕を上げると肘が固定されていて動かない。唯一動かせる左手でむりやりまぶたをこじあけると、目の前にちるーの顔があった。下之介を膝枕で介抱していたのはちるーだった。
「起きたか。良かったな、切り捨てられずにすんで。お前が長崎街道の脇に放逐されただけなんだ、ご両親のほうはお咎めなしだろうな。」
 日はまだ上っていないが明るく、腰丈ほどあるすすきの茂った原っぱの中にいることに気づく。
「何をしている。」
「今塗っているのは紫雲膏だ。外傷、やけど、凍傷、打撲、痔や脱肛、水虫なんかにも効く、かの華岡青洲先生が考案された漢方薬だ。ゴマ油に当帰、紫根、黄蝋、豚脂などが入っている。右腕は折れていたから、添え木を……」
「そうじゃない。何でついてきたんだ。」
「好きでついてきたわけじゃない。妖刀をお前が持ったままだったから。」
 下之介は腰帯から妖刀を鞘ぐるみ引き抜き、差し出した。
「二年も待たせて悪かったな。」
 固く結んだちるーのこぶしがわなわなと振るえている。今までの信念をあっさりとひるがえした下之介に対する怒りがこみ上げているのだろう。
「やはりお前は嘘吐きだ。死んだ人との約束だなんだと、偉そうな事を言っておきながら何も成していないじゃないか。」
「もう、どうでもいい。」
 顔を紅潮させたちるーが刀の柄に手をかける。
「未練はない。斬ってくれ。」
「今のお前にゃ斬る価値もない。」
 ちるーは心底失望したのか、無表情な顔を背けて、そのまま一度も振り返らずに去っていった。



 草の間から日差しが漏れる。下之介は伏したまま、起き上がらない。赤とんぼが鼻先に止まる。
 頭にこびり付いたちるーの言葉が、下之介を責めたてる。下之介は自分の不幸を呪っていたが、路傍で屍を晒している名もなき志士たちよりは、まだましなほうじゃないのか。たった二年だったが、家族で過ごす時間があったのだから。妖刀を託した清河は親孝行できたんだろうか。息の白さに驚いてとんぼが飛び立つ。
 せめて遺言だけは叶えてやらなきゃな。そう思い立って、妖刀を杖に立ち上がる。街道を見渡して思案する。東西に延びる長い直線は、西へ進めば長崎、東に進めば小倉に行き着くだろう。
 日の出を拝んでいた下之介はその中にかげを見つける。それは次第に大きくなって近づいて、人の形をしていることに気づく。見覚えのある男装のシルエット。たった半刻の間の別れだったがひどく懐かしい。逆光で表情が見えないがいったいどんな顔して戻ってきたのやら。下之介はどんな憎まれ口を叩いてやろうかと考えたが、まずは礼を言おうと思い直した。
 ちるーの影が下之介の足元に届く。
「かたじけない。」
「ば、馬鹿。別にお前のために帰ってきたわけじゃないぞ。通行手形がなくて関所が通れなくてだな……」
 朝焼けのせいか、ちるーほほも朱を帯びている。
「分った、分った。では、長崎のほうへ行くか。海に関所はないからな。」
 二人はまた歩き始めた。


 

     

 もたつきにもたついた長州再征の準備がやっと整い、慶応元年十一月七日(1865年12月24日)、大阪城の本陣から諸藩に正式な出兵命令が下された。
 

 化石のような白い月が、西の空に取り残されている。朝日を浴びる松並木には腹巻のようにこもが巻かれ、冬の訪れを告げている。下之介は長崎の坂の多さに閉口して、景色を楽しむ余裕がない。うってかわって山茶花さざんかを見つけたり、坂の上から海を眺めたりする元気なちるーの姿を見ると、まだまだ子供だと下之介は思うのだった。
 長崎港にはひっきりなしに洋式帆船が往来する。ときには黒煙を吐きながら蒸気船がやってくる。ほんの十年前ならありえなかった景色だ。二人はそれをただ羨ましそうに見ていた。
「お前さんが琉球から密航して来たというから、もっと簡単に乗れると思っとったんだがな。」
他人ひとを無法者呼ばわりするな。危ない橋を渡らずに乗船する手はないか。」
「そんな都合の良い手があったら、こっちが聞いてみたいね。もうすでに一月も足止めを食らっている。路銀はあと三泊分しかないし、このまま長逗留していては長崎奉行にも怪しまれる。」
 あてもないのに今日も港に向かって歩き出す。立ち止まっていると落ち着かない。ただそれだけのことで、足を動かした。
 斜面にはびっしりと苦力クーリー(中国人などの単純労働に従事させられる移民者)の住居が張り付き、山の手には西洋風の建物が立ち並でいる。一番目立つとがった屋根の建物は、去年建ったばかりの大浦天主堂だ。
 隠れキリシタンが訪れたというから驚きである。下之介は二百年も信仰が続いていたことに深く感服した。
 港はいつも活気に溢れている。日雇いの人足が和船から米俵を慣れた手つきで下ろしていく。白袴の和装の水夫は洋式帆船に細長い木箱をいそいそと積み込んでいる。それを見ながら談笑する一組の侍。
「あっ。」
 笑顔から一変して、怖い顔で片方の侍が近づいてくる。
「貴様、高杉さんを騙った不届き物。」
 どこかで見たような顔だ。丸顔、奥まった目にだんごっ鼻。いや、どこにでもいそうな顔だ。
「ああ、思い出した。たしか長州の萩で会った伊藤なんとかいう……」
「そこに直れ。貴様に騙されて大恥かくところだったであります。高杉さんの挙兵に間に合ったとはいえ、赦せぬ。」
「いや、待て。拙僧は一言も高杉などとは名乗った覚えはないぞ。あれは貴公がかってに早合点して勘違いしたのではないか。」
 そう言いながら下之介は思案を巡らせていた。高杉と勘違いしていたことをネタにゆする。うまくいけば長州藩の船に乗せてもらえるかも知れない。
「悪い顔だ。」
 ちるーは自信たっぷりな下之介と顔を見合わせた。
「伊藤さん、随分な言いがかりをつけてくれたが、武士の面目を潰した落とし前はどうするつもりだ。こちらはあなたが拙僧と高杉殿を間違ったと言いふらすこともいとわない。」
「くっ、盗人猛々しい奴。どうすれば良いのでありますか。」
「拙僧らを江戸まで船で送り届けてほしい。」
 伊藤は苦い顔で逡巡しゅんじゅんしている。
「そういう権限が僕にあるわけが……」
「お困りのようですね。我々の船でお送りしましょうか。」
 突然、男が話に割り込んだ。伊藤と談笑していたあの侍だ。
「近藤さん、長州の恩人であるあなたにそんなことまでお願いできません。」
 下之介は近藤と呼ばれた男の顔をまじまじと見た。特徴的な頬骨の鷹揚おうような男の顔を。
「申し遅れました。手前は亀山社中(日本初の株式会社)の近藤長次郎と申します。途中三田尻へ寄り道する船で結構でしたら乗船できますよ。」
「結構、結構」
 下之介とちるーは声を揃えた。
「貴様ら馴れ馴れしいぞ。この方をどなたと心得る。幕府ににらまれて新式銃の買えない我が藩のために、薩摩名義で最新式のミニェー銃を買い入れてくれた偉い方なのであります。その褒美で我が殿、毛利敬親もうりたかちか公から直接お声をかけられたとてつもない方であります。」
 伊藤という男は余程うかつな男らしい。聞かれてもいないのに重要な薩長の密約の一端を漏らしてしまった。
「そんなたいそうな者ではないですよ。ただの饅頭まんじゅう屋のせがれです。」
「へえ。お前さん武士じゃなくて商人かい。」
「失礼なことをぬかすな。近藤殿は土佐藩主の父、山内容堂やまのうちようどう公にその才能を見込まれ、名字帯刀を許されている。」


 さて下之介とちるーは近藤の好意により亀山社中の洋式帆船、桜島丸に乗船した。船は当初の予定通り三田尻で積荷を降ろして、一路品川へと向かっている。
 その途上、下之介が腹が減ったというと、近藤は七輪とヒラメを一尾くれた。一緒に食おうと誘ったがちるーは船倉から出てこようとしなかった。反抗期だろうか。
 下之介は一人甲板に出てヒラメを焼き始めた。皮を焦がす香ばしい匂いが漂う。匂いに誘われたのか、奇妙な風体の男が近寄ってきた。 
「長州藩士の伊藤さんを言葉巧みに利用して、ちゃっかり船にタダ乗りしている面白い男とはおまんのことじゃろ。」
 馬鹿にされていると思った下之介はいやみたっぷりに言い返した。
「お前さんほど面白いなりはしとらんが。」
そろいの白袴をはいているところをみると亀山社中の一員なのだろうが、縮れ毛の頭をかくこの大男は、水夫にも火夫(機関士)にも見えない。
「ますます面白い。おまん、亀山社中に入らんか。」
 熱心に勧誘してくるところをみると、亀山社中のなかでもそれなりの立場の人間なのだろう。なまりから察するに土佐藩の出だろうか。伊藤の漏らした情報も照らし合わせて整理すると、土佐藩の者が薩摩名義で長州に武器を買い与えていることになる。わけが分らない。
「薩摩と長州といえば犬猿の仲。京都の政変でも、長州征伐でも薩摩は幕府側に付いていた。それがお前さんら土佐が間に入って三角貿易が成立している。いったいどういうことなんじゃ。」
「わしらはただの脱藩浪人じゃ。じゃからこそ藩同士の利害の外にいられる。わしらは な、感情的には対立している薩長を貿易で結びつけようと画策しちょるがぜよ。」
「拙僧も嘘吐きだなんだと言われるが、お前さんのような大ボラ吹きは始めて見た。」
「ホラではない。手を組むわけがないと思われている薩長の手を結ばせるから意味があるがじゃ。それができれば倒幕は成ったも同然。」
 面白い男かと思ったのにこの男も結局、他の勤王の志士と同じかと下之介はがっかりした。
「お前さんも異人に言いなりの弱腰幕府は倒してしまえという口かい。」
「確かに幕府は倒すべきじゃが、ちょっと違うぜよ。わしらはFREEDOM(この時代に自由という言葉はまだない)に、そして対等に異人たちと貿易がしたい。しかし対外貿易は幕府が独占しちょるぜよ。じゃから、まず邪魔な幕府を倒して、それから異人相手に大きな商いをしようっちゅう腹じゃ。」
 下之介はこの男が何を言っているのか分らなかった。ただ、邪魔だから幕府を倒すという気安さはなんであろう。他の志士たちにとって倒幕とは終着点であったが、この男にとっては通過点に過ぎないようだ。

     

 潮の匂いが薄まり、やがて都市特有の無臭になる。町は師走の朝ということもありにぎやかである。ひとりの棒手振ぼてふりが売り口上を叫ぶと、負けじとそこかしこから小気味良い売り文句が聞こえてくる。やはり江戸は活気に満ち溢れている。
 帰ってきた。無意識にそう思うほど、江戸の町はもはや下之介にとって故郷だった。
 さて、近藤という男の手配した帆船で品川宿まで送ってもらった下之介一行は、途中近辺を散策し、「そういや、この辺りの寺はまだ見ておらなんだなあ」と東禅寺へ参拝しようとした。東禅寺がイギリス公使館として使われていることを知らなかったため、警護の寺侍に攘夷浪士と勘違いされる一幕もあったが、疑いも晴れ無事江戸に到着することができた。
 ほんの三年前にはここに住んでいたから、裏路地、小道、みんな覚えていた。何も変わっていない。八丁堀の表通りからちょいと奥の路地に入って、入り組んだ迷路のような小道を抜ける。あいかわらずのうなぎの寝床に薄い壁。木戸をくぐると見覚えのある長屋が見えてきた。
「なんだい。都落ちして、お国に引っ込んだんじゃなかったのか? 」
 一番最初に会ったのがよりにもよって福郎だった。しかし小憎らしい顔も久々に見ると感慨深いと下之介は心の中でつぶやき、ちるーにひと通り紹介した。
「大家の奥さんに挨拶したいんじゃが。」
「また、やっかいになるつもりか、勘弁してくれよ。」
 もう二度と福郎の顔は見たくない。下之介は即座に前言を撤回した。
「奥さんなら、熊さんの部屋に見舞いに行っているぜ。」
「熊さんどっか悪いのか。」
「あの年だからな。せっているのもしょうがねえ。」
「嘘をつくな。あんなに元気だったじゃないか。」
「お前が出て行ってから幾月いくつきかして、急にぶっ倒れたんだよ。」
 下之介は足早に熊さんの部屋の戸口まで歩を進めると、そこで立ち止まった。
 ちるーがいぶかしんで尋ねる。
「どうした。」
 下之介は答えない。
 ちるーは持て余して、着物の袖の匂いを嗅いだり。何か考えごとをしている。
「入らないなら、私用を済ませてくるからな。」
 そうちるーは提案すると、そそくさと表通りに向かっていく。その一部始終を、福郎は品定めでもするかのようにじっと見ていた。
 下之介はいっぺんまぶたを深く閉じ、目を見開いた。
「熊さん入るよ。」
 下之介は努めて平坦な声色で断りながら、いつも通りのしぐさで戸を開いた。草鞋わらじを脱ぎ足の裏を軽くはたく。
「おお、げのちゃんかい。よく帰ってきたね。」
 随分と力のない声だったが紛れもなく熊さんの声だった。
 部屋では大家の奥さんが、布団に横になっている熊さんの額の汗をぬぐっていた。下之介は奥さん目礼すると、隣に座って無言で汗拭きを交代した。
 江戸の世に高齢者の介護施設などという気の利いたものはない。国許くにもとにいれば誰かしら親類縁者が面倒を見るが、江戸のような都市部では身寄りのないものが多い。自然長屋の住人たちがかわるがわる世話をするような不文律が出来上がった。
 熊さんは下之介の顔を見て安心したのか、静かに寝息をたて始めている。
 月日とはなんと残酷なものだろう。三年前の元気はつらつとした老人の姿は見る影もない。下之介の両目からこらえていたものがはらはらとあふれ出した。
「あんた、そんな顔、熊さんの前で決して見せるんじゃないよ。どれだけ熊さんがあんたのこと心配してきたか、知らぬは当人ばかりかい。祝言のひとつでも挙げて孝行したらどうだい。」
「拙僧が嫁をとるとどうして孝行になるんじゃ。」
 大家の奥さんが頭を抱えて少し不機嫌そうに言う。
「そんな鼻水まみれの顔じゃあねえ。湯屋にでも行って旅の垢といっしょに落としてきな。」


 くしくもちるーの用事というのも風呂だった。常に男装していたちるーは風呂ひとつとっても不自由している。今回も午前中の客が少ない隙に女湯へと入っていった。
 刀掛けに愛刀を置き、するすると帯を解く。なぜ女湯に刀掛けがあるのか不思議だったが、自分のような男装の者のためだろうと、あまり深くも考えず早合点していた。
 まげをほどき、脱いだ着物を几帳面に畳んで、柳行李やなぎこうりの中に入れる。鶴は風呂桶とぬか袋を手に洗い場に入った。
 湯気がたちこめ、天井から滴るしずくの音しかしない。
 ちるーは掛け湯してからぬか袋で体を洗い始めた。長旅で疲れきった体がきりきりと痛む。丹念に髪をすすいで、湯船に浸かる。貸切のように風呂を独り占めして良い気分だったが、あまりゆっくりもしていられない。
 男装して外に出るときに人に見つかったらやっかいだ。ちるーはすぐに湯殿から出た。
 手ぬぐいで上から髪、顔、首、腕、乳房と順にふいていく。
 そのときのれんを分け入って来た男と目が合った。無防備な姿を見られたちるーは生娘のように(生娘なのだが)甲高く叫んだ。
「十手持ちを呼ぶよ。」
「俺がその十手持ちの同心よ。なんで女湯に刀掛けがあるか知らねえみてえだな。女湯に人がいない朝方に入り、男湯の盗み聞きをする同心のためよ。」
 聞いた声だった。よく見ると先ほど会ったばかりの男だ。
「たしか福郎といったか。」
「そう、同心の福郎。下之介の野郎、臭え臭えと思って、長年張ってきたが、とうとうやりやがった。手前てめえらが幕府転覆を企む極悪人であることはとっくに割れてんだよ。」
 福郎は啖呵を切り、指笛を吹いた。さらにちるーが逃げ出せぬよう着物を奪い取った。
 これも妖刀のせいなのか。刀一振りのために町奉行までが動いているのか。
 騒ぎを聞いて女湯に飛び込んできた新たな闖入者と目が合い、再びちるーは叫んだ。
「下之介、なんでここに!! 」
「やい、福郎。とうとうやりやがったな。堂々とノゾキとはふてえ野郎だ。」
 福郎から隠すように両手を広げ、下之介が遮った。
「俺は同心だ。ノゾキというなら手前てめえのほうだ。」
「出てけ。」
 小さな手ぬぐいで裸体を必死に隠しながら、ちるーは下之介の後頭部に風呂桶を投げつける。
「あいたっ。拙僧はお前を助けに来たんだって。」
 下之介が振り返った。
「いいから、ふたりとも出てけ。」
 ちるーの剣幕に押されて、下之介と福郎はしぶしぶ女湯から出て行った。なんとも締まらない。


 外に出るとすでに湯屋は大勢の捕方とりかたに包囲されていた。福郎が味方を呼んでいたようだ。大捕物でも始まるのかと娯楽に飢えた江戸っ子たちもちらほら野次馬している。
 女湯から下之介のただひとりの味方も駆けつけた。ちるーは番頭の婆にでも借りたのか梅茶の矢絣やがすりを着ている。女物の着物にむりやり刀を差した珍妙な格好だ。
 ついに人を斬ることになるのか。下之介は観念して刀に手をかけた。
 抜けない。
 体がいうことを聞かないというわけではない。引き抜こうとすると一寸ばかりのところで何かに引っかかる。力まかせに何度も抜こうと試すが、派手な金属音が鳴るばかり。
「何やってる、早く抜け。遊んでいる場合か。」
 刀を構えながら鶴がまくし立てる。捕方とりかたたちはじりじりと間を詰めて、今にも飛び掛らんとしている。
 刀は貝のようにかたくなに引きこもっている。焦れば焦るほど思うように刀は抜けず、だんだん抜き方が分らなくなってくる。
 追い詰められた下之介は何がなんだか分らなくなって、寄せる捕方とりかたに一喝した。
「黒船だ、大砲だというこのご時世に、たかが刀一振りで右往左往。拙僧のような小者を大勢で追い回して、武士の誉れはどこへやら。」
 わずかだが捕方とりかたが浮き足立つ。逃げるならば今をおいて他にはない。下之介は強引に鶴の手を掴むと、真正面に向かってなだれ込んだ。数を頼んだ捕方とりかたたちは、まさか逆撃をこうむるとは思っておらず、あっけにとられるばかりだった。
「逃がすな。」
 遅れて到着した別の同心が捕方とりかたに檄を飛ばす。冷静さを取り戻した捕方とりかたたちが下之介たちに追いすがって殺到する。
 もはやこれまで。下之介の心は潰れかかっていた。足が前に出ない。
 いったいどこまで逃げればいい。自分を受け入れてくれる場所はどこにもないのではないか。
 下之介の上体が後ろにゆっくりと傾いていく。体に力が入らない。
 誰かが手を引っ張っている。ちるーだ。ちるーはまだ諦めていない。しかし目の前には福郎の率いる別働隊が回り込んでいた。
 助けの手は思わぬところから差し伸べられた。
「すまねえ。俺の勘違いだったようだ。この男のことはよく知っている。幕府転覆などと大それたことができる奴じゃない。」
 福郎が同僚に説明しはじめた。手配書に書かれていたのは男ふたり組みであり、片割れが女だから下之介たちは違うと証言したのだ。


 同僚は福郎の言を信じ、捕方とりかたたちは命令を受けるとあっさりと引いていった。野次馬たちもいずこかに散っていって後に残されたのは、下之介、ちるー、そして福郎だけだった。
「お前さんいい奴だったんだねえ。」
「勘違いするなよ。俺はあの長屋さえ平穏ならばいいんだ。あまり長くは持たねえから、すぐにでも出て行け。」

     

「出て行くだって。帰ってきたばかりなのに何言ってるんだい。」
 大家の奥さんの言い分ももっともだった。しかし長屋の皆に迷惑はかけられない。下之介は本当の理由さえ言うことができなかった。言えば連中は巻き込まれるのも覚悟の上で下之介をかくまうだろう。
「急なことで申し訳ない。わけは聞かないでくれ。」
「川太郎が悲しむよ。それに、分っているのかい。今出てきゃ熊さんとは今生の別れになるんだよ。せめて正月までは居れないのかい。」
 下之介は黙って首を振った。奥さんは強い口調で責めたてる。
「だったら熊さん安心さすために、嫁を貰うくらいの甲斐性はないのかい。」
「またその話か。そんな暇はないし、そもそも相手が居りますまい。」
 奥さんは下之介の部屋の隅で控えているちるーにちらりと目をやった。
「あの子は違うのかい。」
「違います。」
 双子のように息ぴったりに下之介とちるーが否定する。
「いや、待て。名案かも知れぬ。坊主崩れと男装の二人連れでは怪しすぎる。夫婦ならば道中切り抜け易かろう。」
「嫌だ。」
「何もまことの夫婦になるわけではない。ふりじゃ、ふり。」
「夫婦のふりなど、ますます嫌だ。女子おなごの一大事をなんだと思っておるのだ。」


 嫌がる鶴を説き伏せ、気が変わらぬうちにすぐ婚礼が行われることとなった。祝言の用意や旅支度で数日があわただしく過ぎていった。
 きたる大安の日、熊さんの部屋が掃き清められ、即席の式場が設けられた。長屋の者だけでなく近隣の者まで二人を祝おうと、手土産を持ち寄って詰めかけている。小さな部屋には入りきらず、外の見物人のために雨戸と戸板が外された。
「出て行く者にここまでしていただいて……」
 下之介は胸がいっぱいになり言葉に詰まった。
「なんの、なんの。江戸っ子は祭りが好きだからねえ。祝言に見送りに、ついでに正月まで前倒しでやっちまえばいいよ。」
 式場設営の音頭をとっていた大工の八っつぁんが、暗い世相を吹き飛ばすように空元気に振る舞う。
 一方、新婦のちるーは大家の家で化粧を施されていた。唇に紅を入れているちるーに、大家の奥さんは、自分好みの派手な京友禅をあてがった。
「私の祝言のときの、とっておいて良かったよ。」
「こんなきれいな着物、私などにはもったいない。」
「何いってんだい。とても似合ってるよ。これ着て、下之介の鼻をあかしてやんな。かかあ天下は初めが肝心だよ。」
 ちるーうつむく。
「この祝言はかりそめだから……」
「いいんだよ。人生なんてどうなるかわかりゃしないんだから。嘘から出たまことというじゃないか。」
 ちるー白粉おしろいを塗った頬の上に頬紅をつける。奥さんの着付けてくれた京友禅も相まって、鏡に映る自分の姿が信じられなかった。
「さあ、行くよ。」
「あ、待って、まだ気持ちの方が……」
 嫌がるちるーの手をぐいぐいと引き、下之介の待つ熊さんの部屋まで仲人役の奥さんが連れて行く。熊さんの前で両者が引き合わされた。
 ちるーの姿を見た下之介はにらめっこに負けたように笑い転げている。緊張の糸が切れたちるーは衆人環視なことも忘れて、思い切りひっぱたいた。
「やはりちるーだな。どこぞのお姫様がやってきたのかと思った。」
 ちるーは照れ隠しにまた叩く。
「なんだよ。もう尻に敷かれてんのか。」
 部屋の外から福郎が茶々をいれ、満場が笑いに包まれた。
 熊さんは自分の息子の祝言のように喜んでいる。下之介は嘘を付いていることにいたたまれなくなった。
 ここで仲人が高砂を謡うのが通例だが、たっての願いで大家の息子の川太郎が謡う運びとなった。
「高砂や、この浦舟に帆を上げて……」
 助けを求めるように川太郎が奥さんの方を見る。まだ幼い川太郎には高砂は難しすぎたようだ。奥さんが小声で続きを教える。
「月もろともに入り汐の、波の淡路の島蔭や近く鳴尾の沖過ぎて、はや住の江に着きにけり、はや住の江に着きにけり。」
 見物人の合いの手が入り、奥さんの助言はだんだん大きく響き、最後は皆で大合唱になっていた。
 やがて三々九度のさかずきを交わす。とはいっても、清酒ではなく酒かす混じりの濁った安酒で、器も三段の平盃ひらさかずきの代わりにぐい呑みだった。
 二度注ぐ振りをし、三度目に酒を注ぐ。二人はゆっくりと三度ずつ口を付けた。江戸っ子は伝統的な作法や手順にこだわらないので、誰かが酒の肴にと焼いているスルメの香ばしい匂いが漂っている。終いには正月用の餅までついでに焼き始めた。
「熊さん、餅だって。食べるかい。」
 何も考えず勧める下之介を、福助がたしなめる。
「馬鹿野郎、引導を渡すつもりか。」
 祝言は最後まで笑い声の中で幕を閉じた。厳粛な婚礼も、作法も何もあったもんじゃない。しかし下之介は気楽でいい加減なこの江戸っ子たちがたまらなく好きだった。
 二人はすぐさま旅装束に着替えた。お色直しではない。今日このまま門出するためだ。祝いのさかずきは、そのまま別れのさかずきとなった。


 一刻も早く江戸を出なくてはならない。福郎が同僚の同心たちを食い止めるのにも限度があるのだから。しかし、その前にやっておかねばならないことがある。下之介たちは隅田川沿いを北上した。
 土手を走る下之介にちるーがやっとのことで追いすがる。ちるーは今更ながら、路銀のために馬を売ってしまったことを悔やんだ。
「待てって。少しは嫁を労われ。」
「東海道までの辛抱だ。」
 下之介は振り返りもせず答えた。
「東海道なら道が違うだろ。」
「浅草の刀鍛冶のところに寄る。刀が抜けなくなってしまってな。」
「もともとその刀、捨てるつもりなのだろう。鋳潰してしまえばいいんじゃないか。」
 下之介が振り返る。
「何故それを早く言わない。」
 盲点だった。そんな解決策があるなんて。刀が消滅してしまえば、役人どもに追われることもなくなるだろう。下之介は歩速を緩めた。
 芝居小屋や歌舞伎の舞台に寄席、急いでいなければ見てみたいところは沢山あるが、下之介は目移りせずに刀鍛冶を探した。刀が無くなれば江戸を出る必要もなくなる。浅草ならばいつでも来れる。
 雷門に程近いところに鍛冶屋を見つけ、刀匠に刀を見せた。煤が染み付いたような赤黒い顔の男だ。
 刀匠が刀を抜くため漆塗りの鞘を割ると、中からはさびた刀身があらわとなった。鬼の形相で刀匠が下之介を叱る。
「この野郎、手入れをさぼっていたな。」
「刀とは、手入れがいるのか。」
「あんた、侍のくせに手入れもしらんのか。」
 あきれた顔で刀匠は手入れの仕方を実演してみせた。
「まあ、この丁子油を塗るだけなんだが、まず古い油を落とさにゃならねえ。」
 懐から取り出した和紙で峰側から挟み込み、切っ先に向かって拭き取る。打ち粉を付けてもう一度同じ要領で拭き取る。錆びもいっしょに削げ落ち、刀身に輝きが戻ってきた。
「ずいぶんと古い刀だな。直刀? やや内反りか」
 刀匠が刀をしげしげと眺める。
「何だこいつは。」
「まだ、何か。」
「焼き入れした跡がねえ。こいつは流星剣だ。」
 鶴が耳慣れぬ言葉に聞き返す。
「流星剣? 」
 そういえば清河もそんなことをいっていた。
「流れ星(隕石)を叩いて作った刀だ。鍛造するすべのなかった上古の昔は、鉄剣といえばすべてこれだった。三十年刀を打ってきたが、初めて拝んだ。」
 刀匠の瞳にまばゆい刀の照り返しが映る。
 目釘を木槌で叩いて抜き、鍔と柄板を外し、黒光りするなかごを露出させる。なかごには銘が入っているが、ところどころ磨り減っていて見えない。
 下之介は読めそうなところだけを繋げて読んでみた。神倭□和□彦□。
「まさかカムヤマトイワレヒコノミコト。」
 ちるーが要領を得ず小首をかしげる。
「神武天皇といったほうがわかるか。」
「いや、分らぬ。」
「今の天皇すめらみことの祖。初めて天下を治めた大王おおきみ。この国でその名を知らぬ者がおるとは。」
「あいにく、私は琉球人でな。」
 ちるーはこの刀の持つ意味がまったく分らない。
 しかし下之介はなぜ清河が刀を捨てるように遺言したのか、幕府が執拗に狙ってきたのか、ようやく合点がいった。
 三種の神器というものがある。剣、鏡、勾玉からなる宝物で、天皇の身分を証明するものだ。三種の神器がなくては天皇は即位の義が行えない。面白いもので、玉璽だったり王冠だったり、世界中のあらゆる王家に同じような役割をする家伝の宝がある。
 神器の三つのうち剣だけが失われていて、今御所にあるのは代用品である。平安末期、壇ノ浦において海中に没してから七百年来失われ続けた剣は、なぜ江戸の世に出現したのだろう。
「鋳潰さないのか。」
 ちるーの素朴な問いに、下之介は慌てふためいた。
「鋳潰せるわけがないだろう。」
「お前が刀を鋳潰すために来たんだろうが。じゃあ、どうするんだ。」
「幕府に渡っても、攘夷志士に渡っても、それぞれが都合の良い天皇を擁立するために使われるだけじゃ。」
 下之介の名残惜しむ顔が刀に淡く映っている。美しい刀だ。
「とても鋳潰せぬ。この刀は国の始まりから人々の営みを目の当たりにしてきたんじゃ。史学に携わる者ならばまことの値打ちに気づくだろうに。」
 ここまで話し続けて、下之介ははっとした。刀匠の前でうかつにしゃべり過ぎていた。
「職人さん、ここまで聞いたことはどうかご内密に。」
 刀匠は組んでいた両腕を開いて、顔の強張りを努めて解いて語った。
「刀って奴は持ち主を選ぶもんだ。あんたと巡り会ったことも、刀がそう望んだからだ。どうか刀の声を聞いてやってくれ。」
 刀が何を望んでいるか、それがわかるまでしばらくは、自分の腰を仮住まいにしてもらおう。下之介は刀匠が差し出した刀を受けて、帯に手挟たばさんだ。
 二人は刀匠にお代を払い、人目に付かない勝手口から出て行った。刀の正体を知った下之介とちるーは慎重に枯れススキの荒地を西に進んでいく。背の高いススキは身を隠すのにうってつけだった。
 向かい風が吹いている。枯れたススキが波立ち着物の袖を擦った。行く先に煙が一条立っている。野焼きだろうか。野焼きの季節にはまだ早すぎる。すると野火だろうか。
 煙が近づくにつれ、それが追手の放ったものだと気付く。捕方とりかたも気付き下之介たちに近づいてくる。方言丸出しで鶴が驚く。
吃驚はっさあきさみよー。」
「なんじゃ、お国言葉か。」
「まるで山狩りだ。ここまでするのか。」
 ちるーは煙を吸い込まないように、口元に袖を当てて話した。煙を避けて風上に出たいが、捕方とりかたたちは風上から包囲しようとしている。
 下之介は刀を抜き、鉈を振るうようにススキをなぎ払う。
「草薙の剣とはよくいったものだ。」
 内反りの刃は人を斬るより草を刈るのに適していた。
 炎がすぐそこまで迫る。熱気が肌をあぶり、煙が喉を燻す。下之介は逃げつつ刀を振るう。払い落としたススキを鶴が風下に向かってばら撒く。炎はものともせずススキを燃やし尽くしていく。ついに二人の足元まで炎が迫ったそのとき、枯れたススキが途切れ、目の前に緑が広がった。
「しめた。ちぃぱっぱの茂みだ。」
 ちぃぱっぱとは沖縄方言で石蕗つわぶきのこと。常緑の植物で日陰に生える。霜まで降りていたから、ここで炎の勢いが弱まることをちるーは期待した。しかし無常にも炎は茂みを蹂躙していく。
 ところが霜降り石蕗つわぶきは意外な効果をもたらした。大量に発生した水蒸気が捕方とりかたたちの目から二人を隠したのだ。下之介はこの隙を見逃さず、風上へ抜けることに成功した。突如炎は向きを変え、追っ手の捕方とりかたに襲い掛かった。
 無事逃げ切った下之介と鶴は背中合わせに死角を庇いながら、一息つく。
 まだ歩みを止めるわけにはいかない。刀を手放すその日まで。

     

 慶応二年旧暦六月七日(1866年7月18日)、長州藩の四方からついに幕府軍が押し寄せて来た。いわゆる第二次長州征伐の勃発である。関門海峡の対岸あたるため根城となった小倉城、幕府海軍と伊予松山藩によって占領された大島、彦根藩が主力の芸州口(山口広島間の県境)、石州口(山口島根間の県境)の拠点の浜田城などが主戦場となった。これに呼応した散発的な戦闘も全国各地で繰り広げられたが、いずれも小規模であるためここでは列挙しない。




 追手の役人は巧妙に二人を追い詰めていった。包囲網を少しづつ狭め、新撰組の活動する京へと誘導した。下之介たちは関所も越えることができず、京の洛外に追いやられていった。
 日は落ちているはずなのにうだるような暑さは続いた。汗で張り付いた襟口を開いて、空気を送り込む。じっとりた温風がますます体を重くする。花咲く合歓ねむの木、百日紅さるすべり。桐の枝には青い実がついている。まっすぐ行けば森を抜けられると信じながら、奥へ奥へと入り込んでいく。
 小さな木の根に蹴躓けつまづき、ちるーがつんのめる。
吃驚はっさあきさみよー。」
「またお国言葉が出たな。して、吃驚はっさなんたらはどういう意味なんじゃ。」
「もう良いだろう。」
「そう言わず教えてくれ。」
「しつこいな。ねちねち、ねちねちと。」
 弱みがある鶴は下之介の好奇心を満たすまで、琉球の島言葉をひととおり講義した。ちなみに「吃驚はっさあきさみよー」とは「びっくりした」とか「驚いた」といった意味である。
 ちるーは今朝の迂闊うかつな発言を悔いた。




 さかのぼること12時間前。二人は遠く関所を望みながら思案していた。
「どこかにかくまってもらう当てはないのか。」
「ないこともない。」
 下之介は以前京で世話になった呉服屋、菊屋与兵衛を思い出した。与兵衛の娘の琴や丁稚でっち奉公をやめたがっていた少女は元気にやっているだろうか。ふいに助清の顔が思い浮かぶ。
「だめだな。」
 自分が攘夷志士でないことを助清に打ち明けていた。あのやり手の番頭のことだから、すでに下之介の正体は皆に知れ渡っていることだろう。
「なあ、そもそも律儀に関所を通らずとも良いのではないか? 」
「関所ってのはな、津(川の港、渡し場のこと)や峠のように必ず通る処にあるから関所になる。」
「峠を通らずとも山中を迂回すれば良いじゃないか。」
 ちるーはすぐに対案を出した。
「森を抜けるのか。それは危うい。」
「追手よりはマシだ。山歩きならば私に任せておけ。」




 これが今に至る経緯である。
 ちるーの山歩きへの自信は琉球で培われたものである。当然本州の山の知識があろうはずもない。山に入ってからすでに14時間が経過し、二人は軽口を叩き合う余裕すらなくなっていた。
 空には半月と無数の星。どこまで歩いても景色は緑一色で、同じところをぐるぐる回っているような錯覚に陥る。足が上がらなくなり、それをかばうように歩いたせいで、今度は股関節がきりきりと痛み出す。喉の渇き、空腹感、慢性的なダルさ。
 それでも二人は歩き続けた。一度止まれば、一歩も歩けなくなると分っていたから。
 すさまじい地響きが足に伝わる。近い。ちるーかんざしを引き抜いて身構えている。幻聴ではない。
「追手か? 逃げよう。」
「そんな力は最早もはや残っていない。行き倒れになるよりは、ここで潔く迎え撃とう。」
 男装もしていないのにちるーはえらく男前なことを言った。
「それでは犬死じゃ。逃げよう。」
「お前は逃げてばかりだな。新撰組だったら切腹ものだぞ。」
「何? 新撰組のお歴々はだれも逃げたことがないのか。」
 ちるーは当然という顔でほこる。
「士道に後退の二字はない。」
「それでは新撰組はいつか負けるぞ。それは歩だけで将棋を指すようなものじゃ。」
 口論している間に三人の無頼漢が取り囲んでいた。追っ手にしては少なすぎるし、身なりが汚い。大男が手に持った松明で下之介と鶴の顔を交互に照らす。三人の中ではまだ小奇麗なほうの男がこちらが聞きたかったことを尋ねる。
「何者だ。」
「琉球国士族、新垣ちるー。」
 馬鹿正直にちるーが名乗りを上げたので、下之介もしぶしぶ名乗る。
「今は出奔しているが元肥前佐賀ご家中、上中下之介だ。貴様らこそ何者だ。」
「我らは筑波勢。」
 下之介は天狗党と言いかけて言葉を飲み込んだ。天狗党とは筑波山で挙兵した彼らが、天狗のように傲慢に振舞ったことからついた蔑称だったからだ。
「筑波勢にまだ生き残りがいたとは。なぜこんな獣道を? 」
「それはお互い様だ。我らは藩からも幕府からも追われる身。天下の表通りを大手を振って歩けるはずもない。」
 彼らもまた、追い詰められた者たちなのである。下之介と筑波勢は同じ境遇に置かれていることもあり意気投合した。天狗党の三人に道案内してもらい、無事に下山し、洛中にたどり着くことができた。




 下之介はちるーと口裏を合わせて、天狗党の三人の定宿に泊めてもらえることになった。
「あんたらもいればこの義挙も成功するかも知れんな。」
 天狗党はすっかり下之介たちを攘夷志士と信じ込んでいた。
「義挙? 」
「今、長州藩が負ければ尊王攘夷の火は消えちまう。だから我ら尊王攘夷の総本山である水戸の家中が助太刀しようというわけだ。」
 天狗党はそのほとんどが小浜藩で処刑されていたが、処刑を免れて拘禁されている者がいた。この天狗党の生き残りたちは時流を尊皇攘夷に引き戻して、拘禁されている同志を救おうという腹なのである。
 鴨川沿いを下っていく。京の町は似たような家屋が建ち並んでいるとは言え、見覚えのある路地が続く。店の前まで来て、ようやく下之介は気付いた。
「まずいぞ。ここは以前拙僧が世話になった菊屋だ。」
「なんだ。顔なじみならば、なおのこと良いじゃないか。」
「天狗党の三人組に拙僧たちが攘夷志士でないことが知れたらどうなることか。」
 下之介はひそひそとちるーに話した。
「そうなってから出て行けばいい。私はもう一歩も動かんぞ。」
 確かに下之介もへとへとで、せめて一晩だけでも世話になろうと腹を据えた。
 菊屋で冷たくあしらわれることを覚悟したが、一行は意外な歓待を受けた。どういうわけか、番頭は下之介の正体を明かしていないらしい。
「上中様、お待ち申しておりました。今宵は当家の離れにご滞在ください。」
 箱入り娘の琴が直々に宿として改装された離れに案内する。下之介が三和土たたき(玄関や土間のような床が板張りでない、土でかためられた場所)で穴の開いた草鞋わらじをぬぐと、琴が持ってきたたらいで足を洗ってくれた。ふいに琴とちるーの目が合う。
「上中様、そちらの方は。」
 下之介はちるーをどう紹介すべきか迷った。今までに考えたこともなかったからだ。下之介にとってちるーとは何なのだろう。
「うむ、何と言ったら良いか。かたきだったり、弟子だったりしたが、今は嫁におさまっておる。」
 カランコロンと音がする。琴が持っていた何かを落としたようだ。
「そうどすか。」
 何か怖いものでも見たように、琴は後ずさりする。元々白い肌が、透き通るように見る見る血の気が引いていく。琴はその場から逃げるように去って行った。
「この人は……。」
 ちるーは初対面であったが琴の気持ちが分るような気がした。だから追いもしなかった下之介に無性に腹が立った。
 下之介は琴の落としていったものをそっと拾い上げる。それは、かかとのところに下り藤の焼印が入った下駄だった。




 翌朝下之介が起きると、天狗党の三人組は消えていた。お膳を運んできた丁稚でっちの少女に聞くと、すでに朝食も済ませたそうで、何やら主人の与兵衛に談判しているらしい。
 下之介はさして気にせず、うれしそうに白米をほおばった。
「久々の白い飯じゃ。朝から焼き魚とは豪勢じゃな。この魚はなんじゃ。」
「キハダどす。京は海がありませんので、干物どすけど。」
「いや、うまいから一向にかまわぬ。」
「私が焼いたんどす。」
 丁稚でっちの少女が嬉しそうに言った。
「ふん。稚児ちご好み(ロリコン)か。」
 ちるーは昨日の怒りがまだ冷めていないようだ。
 そのとき母屋おもやのほうから言い争うような喧騒が聞こえてきた。丁稚でっちの少女が心配顔をして、離れを出ようとするのを、下之介が引き止める。
「お前さんはここにいなさい。どれ、拙僧が見てこよう。」
 そう言いながら朝食もそこそこに離れを出た。ちるーもその後を追う。




 千両箱を両手に抱え、天狗党の大男がわめき散らす。
「この金は軍資金として徴発してやる。」
「どうか、ご勘弁を。それを失っては、手前どもは生きてゆけませぬ。」
 大男の足にすがり付く与兵衛を蹴飛ばして、天狗たちは出て行こうとする。
「これが志士のすることどすか。恥を知りなさい。」
 与兵衛を助け起こし、琴は言い放った。天狗党の頭領とおぼしき男が足を止め、振り返る。取り乱し、逆上して琴につかみかかる。
「町娘風情が武士に説教垂れるか。無礼討ちにしてくれる。」
 刀が振り下ろされる。琴は固く目をつぶった。刀同士がぶつかる鋭い音。琴は片目を開ける。目の前に頼りない背中があった。下之介が刀を抜いて天狗の頭領と鍔迫り合いをしている。
 他の天狗二人が加勢しようとするのを後から入ってきたちるーがけん制する。
「これはどういうことじゃ。」
 下之介は大喝した。
「それはこちらの言葉。邪魔だて致すな。」
「お前らのしていることは盗賊と変わらぬ。」
 水戸藩は最も早く攘夷運動を始めた藩である。それに加え藩内の抗争のため人材が枯渇していた。目的を見失い、国を守るためとうそぶいて、庶民から私財を搾り取る。
「大義の前では小さきこと。」
 下之介が押し負け跳ね飛ばされる。
「小さきことだと。追い詰められれば何をしても良いというのか。恩を仇で返しても。」
 ちるーが下之介の後を引き取り、頭領に組み付いた。ところが下之介は刀を納め背を向けた。
「どうやら拙僧では適わぬようだ。」
「大言壮語したわりに逃げるのか。」
 天狗たちが嘲笑する。
「上中様、三年前に忠告を聞かなかった私どもが愚かでした。ですが琴は、娘だけはお助けください。」
 下之介は与兵衛に背を向けたまま、店先から母屋おもやを出た。店の隅で震えていた助清がひょっこり顔を出し、与兵衛に声をかける。
「旦那、無理ですよ。あの上中下之助という男は実は攘夷志士でも何でもないんです。ろくな男じゃありませんて。」




「確かに、何度愛想を尽かしたことか分らぬ。だが、あいつはどんなに追い詰められようとも、こやつらのように外道なことはしなかった。あいつはきっと戻ってくる。」
 ちるーは天狗の頭領を押し返した。しかし多勢に無勢。ちるーは囲まれ、大男に腕をつかまれた。
 外から下駄の音が近づいてくる。合戦の勝鬨かちどきのような大音声だいおんしょうまで聞こえてくる。
「新撰組の方々、この上中下之助隠れもせぬぞ。」
 下之助が新撰組に追われながらこちらに向かってくる。カラコロと特徴的な音をさせながら下之助が店先に飛び込む。
「筑波勢のお三方、どうぞ存分に大義をお通しくだされ。」
「何を、何を言っている。」
 天狗たちは色をなす。
「新撰組を巻き込んでやったわ。死なばもろともじゃ。」
「やはり同志のもとに逃げ込んだぞ。まとめて片付けろ。」
 一気呵成いっきかせいに新撰組が店先になだれ込む。下之助はちるーの手をひいて、そっと勝手口から出て行った。
「これだけめちゃくちゃにして、とんずらするつもりか。」
「あとは新撰組に任せる。あいつらのしつこさは折り紙付きだからな。」
 新撰組から見れば下之介たちも追うべき相手なのである。急いでここを離れなくてはならない。
 裏路地を行く下之介は何も段差のないところで蹴躓けつまづいた。さすがにお国言葉は出なかった。鶴が舌打ちする。
「いつまで下駄を履いているんだ。走りにくいだろう。」
「もうしばし、このままでいさせてくれ。」
 下駄の音が寂しく響いた。

     

 京を命からがら逃げ出した下之介たちは夜通し歩き、芥川宿(今の大阪府高槻市芥川町辺り)まで逃げてようやく一心地ひとごこちつく。旅籠はたごは危険と判断した二人は、町家に頼み込んで泊めさせてもらうことになった。
 蝉時雨が鳴き止まぬ中、質素ながらも風情のある離れに通される。庭には朝顔が咲き、縁側にはすだれがかかっている。これで冷やした西瓜でもあれば格別だろう。
 よほど疲れたのかちるーは旅装を解くとすぐに大の字になった。下之介は落ち着きなく部屋をあちこち見て回っている。
 三和土たたきに立派な大黒柱を見つけ、よってみると杉ともひのきとも違う芳香なので鶴に聞いてみる。
「この柱は何の木か、お前さんなら知ってるんじゃないかい。」
栴檀せんだんだな。薄紫色の花を咲かす木だ。」
 ちるーが気だるげに答えた。
「さすが商家だね。武家屋敷ではお目にかかれないよ。」
 ちるーが聞き返す。
「何故だ。」
「武士ってのは験を担ぐからね。栴檀せんだんは獄門台(さらし首が行われる台)に使われる材木だから避けられる。……って聞いてるか。」
 下之介は急に静かになったちるーに近づいて呼びかけた。寝息をたてている。揺すってみるが起きない。狸寝入りではないらしい。
 布団を敷いてやったが、暑いのかちるーは下之介が敷いたそばから掛け布団を蹴飛ばす。まったく寝ても騒がしい奴だと苦笑しながら、下之介は団扇で扇いでやった。涼しい風が部屋に入ってくる。



 下之介はすだれごしに外の様子を探る。見覚えのある浅黄の忠臣蔵のような羽織の男どもが旅籠はたごに出入りしている。早すぎる。もうここを嗅ぎつけるのも時間の問題だ。
 急いで起こそうとするが、泥のように眠ったちるーはなかなか目を覚まさない。下之介はすでに意を決していた。まだ寝ぼけまなこちるーの肩をつかんで、見つめる。
「拙僧は投降する。」
 一気に目が覚めたちるーは現実が受け止めきれず、下之介に食い下がった。
「よせ。今までだって二人で切り抜けてきたじゃないか。」 
「拙僧には策がある。お前さんが拙僧に従った振りをしていて、寝首をかいて捕まえたことにすればいい。さすればお前は……」
 ちるーは聞きたくなかった下之介の言葉を遮る。
「見損なうなよ。私がいつそんなことを頼んだ。お前を売って助かれというのか。」
 目の端に光る涙は寝起きだからではないだろう。下之介はちるーをこれ以上傷つけないように、とくと言い聞かせる。
「拙僧とお前とは一蓮托生じゃ。だからこそ後事を託したい。拙僧に何かあったときに刀を捨てて欲しい。これはお前さんにしか頼めないことじゃ。それにどうせ捕まるならば、お前がいいとずっと思っていたんだ。」
 ちるーは子供のようにいやだいやだと駄々をこねたが、最後には折れた。
 気を鎮めてから男装し、下之介の手首を後ろ手に縛り、腰に縄を掛けた。腰紐をちるーが引いていく。新撰組が本陣としている旅籠はたごの前まで行き、指揮を執っていた副長の土方歳三に下之介を引き渡した。
 土方がちるーの浮かない顔を見て探りを入れる。
「それが一番手柄を立てた者の顔か。あの男に感化されたのではないな。」
「まさか。」
 ちるーは生気の抜けた顔で言った。



 旅籠はたごの土間に造られた簡易的なお白洲に、白襦袢に着替えさせられた下之介が引き立てられる。むしろに座らされ、お裁きが始まる。下之介の顔は存外明るい。
「貴様腰のものをどうした。言え。」
 役人がすごむ。
木っ端こっぱ役人がけして手に届かぬところに返した。」
「おのれ愚弄しおって。何処いずこにあるか言わぬか。」
「あの刀は三種の神器の天叢剣あめのむらくものつるぎ。」
「な。」
 役人は誘導に乗って口を滑らせることはなかったが、下之介は見逃さなかった。その役人の顔色の変化こそがあの刀が三種の神器だと雄弁に語っていることを。
「返すならばみかど御陵みささぎに決まっているだろ。」
「貴様、なんと畏れ多い。継体天皇の御陵みささぎ(太田茶臼山古墳)に埋めたと申すか。」
 にわかに役人たちが動揺し始めた。
「ことは重大であり、我らの手に余る。上中なにがしの裁きは追って沙汰する。」
 ひとまずお開きとなり、鶴は胸をなでおろす。
「あの男はこれからどうなりますか。」
 ちるーは土方に聞いた。
「まあ、小伝馬町(牢屋敷の所在地)に送られて、それきりだろう。墓を掘り返して確かめられねえからな。」
 ちるーは打ち首が避けられたことにまずは安心した。下之介は刀を守りきった上に自分も生きるつもりだ。
 この時代、古墳を暴くような真似は不敬とされている。役人たちは手出しが出来ず、大坂城の一橋慶喜に伺いを立てた。



 大坂城はこのたびの長州征伐の本陣(総司令部)であり、将軍徳川家茂以下、幕府首脳が詰めていた。家茂は病弱で20歳とまだ若く、実権を握っているのは将軍後見職の一橋慶喜である。家茂にはそれも気に入らないし、自分に隠れて御所でこそこそやっていることも気に食わなかった。
 フランスの軍服を着た一橋慶喜は、城内を駆け回り各部署を精力的に視察する。軍服はナポレオン3世から贈られたもので、一橋慶喜はたいそう気に入って陣羽織の代わりに好んで着用している。腹心の佐々木只三郎はやっと渡櫓わたりやぐらで捉まえて一橋慶喜に報告した。
「新撰組が上中なにがしを捕らえました。」
「よくやった。して刀は。」
御陵みささぎに埋めたと申しております。いかがいたしましょう。」
 うってかわって一橋慶喜はさめた表情に戻る。
「無能め。御所に向かう用意をしろ。すぐにだ。」
 三種の神器の一つである天叢剣あめのむらくものつるぎが手に入れば、幕府が天皇即位の一端を握ることになり、公武合体派の一橋慶喜にとっては都合が良かった。
 しかし父、徳川斉昭に勤皇思想を叩き込まれた一橋慶喜には、王墓を掘り返せとは指示できるはずもなかった。
 一橋慶喜は佐々木の手配した籠で揺られながら、今まで古墳を掘り返した前例がないか頭を巡らせる。上古まで遡ったところで、古事記のある記述に思い当たる。仁賢天皇が皇太子のときに、親の仇である雄略天皇の御陵みささぎの縁を少し掘って仇討ちとしたというエピソードだ。
 皇族であれば掘り返せる。打開策を見つけた一橋慶喜は三種の神器のことを伏せて、古墳調査への協力を皇族に打診してみることにした。



 慶応二年七月十五日(1866年8月24日)、佐々木只三郎らが皇太子に随伴して太田茶臼山古墳に到着した。先に到着し、手はずを整えていた土方たちに、張り詰めた空気が流れる。 誰もが幕府と関係が深い輪王寺宮親王(上野寛永寺の貫主)が来ると踏んでいた。13歳とまだ幼く好奇心旺盛とはいえ、皇太子が手を挙げたことは嬉しい誤算だった。幕府にとってこれ以上の人選はない。ゆくゆくは天皇として即位するのだから、まったく問題はないだろう。実際に皇太子は翌年、明治天皇として即位することになる。
 古墳の周囲を巡るほりには急ごしらえの橋が架けられ、菊の御紋の陣幕が張られていた。籠から降りた皇太子がお付の者に手を引かれて橋を渡る。陣幕の外側で警備をしているちるーは中の様子をうかがい知れない。陣幕に映る影から察すると、いきなりくわを渡されて困り果てているようだ。隣の影はおつきの者でくわの使い方を教えているのかも知れない。
 影がくわの先で古墳の縁をほん少し掘り崩す。陣幕の内側で皇太子が農具を振るっている牧歌的風景を想像すると、時が遡って大昔に返ったようにちるーには感じられた。
 皇太子が行ったのは儀礼的なもので、あとは付近の村から駆り出された百姓が掘り進めて行くことになる。皇太子一行は安全のため、すぐに隣の郡山宿(今の大阪府茨木市辺り)に移った。
 陣幕が外され、百姓があちこちに穴を掘っていく。もっこで土が運び出され、橋をきしませながら汗だくの男たちが往復する。
 たまに土以外のものが掘り出されて歓声が上がる。役人たちが集まって検分すると、たいてい埴輪はにわか土器、木簡、良くて銅鐸などの副葬品である。
 役人たちはため息をついて、つまらないもののように埋葬品を雑に積み上げた。史学好きの下之介ならばよだれを垂らして喜ぶだろうに、役人たちには宝の持ち腐れだとちるーは思った。
 三日後、古墳は真夏の木の下みたいに穴ぼこだらけになり、働き通しの百姓はくたびれて抜け殻になった。何度かのぬか喜びの後、古墳に刀は埋まっていないと結論付けられ、下之介の取調べが再開される。



「よくも我々に恥をかかせてくれたな。」
 役人によって下之介が乱暴にお白洲に引き立てられる。
「拙僧は御陵みささぎと言っただけで、継体天皇の御陵みささぎ(太田茶臼山古墳)とは言ってないぞ。他の御陵みささぎも調べたらどうじゃ。」
「もう、その手には乗らんぞ。」
 襦袢をはだけ、役人は怒りに任せてむちを振るう。
「さあ、本当に隠した場所を吐け。」
 竹の先を二つに裂いて作られたむちはよくしなって下之介を打ち据える。見る見る肌が赤く色づき、くっきりと跡が浮き出てくる。打つ側が疲れぬように、役人たちが代わる代わる叩いていく。
 ちるーむちが手渡された。しめた。少し休める。その下之介の算段をよそに、ちるーは下之介の策がばれぬようにまったく手を抜かず叩いた。
 下之介は哀願するような目でちるーを見る。
「手ぬるい。」
 業を煮やした佐々木只三郎がちるーからむちを取り上げた。下之介は知らないだろうが、佐々木には一方的に恨みがある。清河八郎の暗殺という大任を果たしたのに、刀を下之介に盗られたせいでここまでの大事になってしまった。それはエリートコースを歩んできた佐々木にとって唯一の汚点だ。佐々木は力任せに滅多打ちする。女の膂力と違い、鍛え抜かれた武士の百叩きは、下之介の皮膚を破き、白い襦袢を血でにじませた。
 しかし、耐えられぬほどではない。まだ希望はある。下之介が吐かないかぎり殺されることはないはずだ。
 佐々木がにらみつけて言う。
「勘違いしてねえか。これは拷問ではない。牢問(拷問の前段階。要は下ごしらえ)だ。本番はこれからだ。」

     

 夕暮れ時、旅籠はたごの外に蚊柱が立つ。かやぶき屋根の上を何かが歩く音がする。鼠かと思ったが、鳴き声が聞こえて気の早いカラスだと気付く。旅籠はたごの土間では下之介への拷問が続いていた。
 止血のため傷口に砂が塗りつけられた。傷が乾燥し血は止まる。だが、焼かれるような痛みが走る。笞打むちうちよりもよほど辛く、下之介は苦悶の表情を浮かべた。
 がたいの良い男たちが二人がかりで米俵ほどの重さがある石の板を四枚もってくる。背もたれになるように大杭を打ち、おろし金のように凹凸のついた板を敷く。下之介をその上に正座させ、縛った両手首を背がのけぞるほどきつく大杭に縛りつけた。
 これは石抱きという拷問だ。さてはあの石板を一枚ずつ膝の上に積み重ねるごとに尋問するつもりだな。そう思っていると佐々木只三郎が無慈悲に一言。
「いっぺんに積め。」
 リズミカルに石板が膝の上に積み上げられていく。その度すねに凹凸が食い込み、下之介の体は通電されたようにぴょんぴょんはねる。下之介に考える余裕が消え、頭の中は「痛い」という言葉で埋め尽くされた。
 見ていられなくなり、ちるーはうつむいて自分の立っている地べたの一点を見つめている。
 もう、いい。お前はよくやったよ。刀を奪われてもいいじゃないか。しゃべって楽になっていいんだ。下之介に嫌われても構わない。ちるーは刀を渡して下之介を痛みから解放してやりたいと思った。
 しかし下之介は刀を隠した場所を教えておかなかった。苦しむ姿に耐え切れず、ちるーが刀を渡してしまうことを予見していたのかも知れない。
 ちるーは下之介が刀をどこに隠したのか考えた。
 下之介とは常に行動を共にしていた。刀を隠せる時間は限られてくる。ちるーが商家についてすぐ寝てしまった時間。そのわずかな時間ではそう遠くには隠せない。だが商家の周りに隠せる場所なんてあっただろうか。
 下之介は刀を託すと言っていた。ならばどうやって刀を隠した場所を伝えるつもりなのだろう。ちるーには分らなかった。



 下之介の足は圧迫により紫に変色し、死斑が出来かけている。
「分った、話す。どけてくれ。」
 下之介は恥も外聞も捨て、みっともなく泣きわめいた。
「話したら、どかしてやろう。」
 佐々木は石板に手をつき、半身を預けるようにもたれかかる。さらに石板をぐらぐらと揺すっていたぶり始めた。足の毛細血管が破裂し、痺れたような甘い痒みが広がる。
 下之介の足から血の気がひき、見る間に白くなっていく。足の感覚がなくなり痛みは消えた。
 今のうちに下之介は考えを整理する。古墳に埋めたという嘘をここまで早く見破られてしまったことは予想外。古墳を掘り返すことに躊躇している間に、幕府の情勢が変わるという目論見は外れてしまった。しかし現在、幕府は長州藩と戦争状態にあり、戦況しだいで下之介一人に構っていられなくなるだろう。
「長州の奇兵隊がここまで攻めてくるぞ。拙僧で遊んでいる暇があるのかな。」
「馬鹿な。確かに今は押されておるが、最後には幕府が勝つに決まっている。百姓を寄せ集めた奇兵隊などに侍が負けるはずがない。」
 幕府が負けると予期するものはいなかった。薩摩藩と秘密同盟を結んで最善を尽くした当の長州藩でさえ、幕府に勝てるとは思っていなかっただろう。
 だが、この時代に生きていれば肌で感じるものがある。幕府は民の心から離れ、民の心は幕府から離れてしまった。民に見捨てられた権力者の末路は一つである。幕府は命数を使い切った。
「この国の民は二百年間眠り続けたが、日は昇った。一度目覚めた民はもう目を瞑ることはない。」
「何を。民草などに何ができるか。」
「あんたらはもう終わりだ。幕府は民と諸藩から見限られた。」
 下之介は凄みのある笑顔で答えた。佐々木は背筋に冷たいものが伝うのを感じ、恐怖に駆られて下之介を鞭打つ。
 下之介の膝の上から石板がどけられる。人道的な措置ではなく、死んでしまっては拷問にならないからだ。
 足が戻るまでは同じ石抱きを続けることはできない。かといって幕府には下之介の回復を待つ時間はなかった。
「俺が吐かせてみせましょう。」
 痺れを切らした土方歳三が次の拷問から加わることになった。



 下之介は衰弱し、この二日間で一気に老け込んだようだった。
 後ろ手に縛られた下之介の手首に太い綱が結ばれ、土間の梁に架けられる。力自慢の男たちが三人がかりで綱を引くと、下之介の上体が持ち上がった。
 一見するとただ綱で吊り上げられるだけで、これならば耐えられそうだと下之介は思った。
 しかし、つま先が地から離れると同時に、両肩に激痛が走った。とうに脱臼した両肩に全体重がかかり、体は宙に浮いた状態になる。
 地面から一尺(約30センチ)離されたところで、柱に綱が巻きつけられ固定される。足に踏ん張りが利かず、下之介は痛みに抗うすべを失った。
 両腕をもがれるような強いショックが絶え間なく襲い、ついには失神。土方はこれを許さない。桶に井戸水を汲み、下之介の顔にぶちまけた。
 むりやり現実に引き戻された下之介は咳き込み、せっかく飲んだ水を吐き出した。むせるたび反動で綱が揺れて体がきしむ。
 何がいけなかったのだろう。身の程に合わぬ約束を清河と交わしたのが間違いか。そもそも僧坊を出ず、目を閉じ耳をふさいで、世を捨てて生きれば良かったのか。いや違う。もし外に飛び出さなかったら、藪を進むときの着物を擦る草の感触を下之介は知りえなかった。木陰の涼しさを、雲間から射す陽光を。
 土方は気絶することも睡眠することも許さず、そのつど水をかけて下之介を起こした。これが最も下之介を追い詰めていくことになる。
 拷問は永遠に続くかと思われ、底なし沼にゆっくりと沈んでいくような恐怖だった。土方は死すら許してはくれぬのではないか。
 だめだ。もうおしまいだ。このままでは自分の意思に反して、いつかうわごとで口を滑らしてしまうかも知れない。そうなる前に、すべてをちるーにゆだねよう。
 下之介はかすかに残る意識の中、決意した。
「少し気分が優れませぬ。外の風に当たってきます。」
 ちるーが耐え切れずに、土方に断って土間を出た。
 まずい、ちるーが行ってしまう。届いてくれと下之介はちるーの背に向けて、最後の力を振り絞って叫んだ。
きいぬ下んかい、あたらさるむのぬお、くぁっくぁち、ちぇえいびいん。」
「ははは。ついに狂いおった。」
 役人たちは口々に罵り、笑う。誰も下之介の言葉を理解できなかった。ただ一人ちるーを除いては。
 下之介の叫びはいつか教えた島言葉だった。あの言葉は自分だけに向けられている。そう思うとちるーは自然と早足になった。



 木の下に大事なものを隠したと島言葉で下之介は叫んだ。商家の庭に木などあったか。庭にあったのはアサガオくらいのものだ。いや、まて、栴檀せんだん。あの日、確か眠る直前栴檀せんだんの話をしたはずだ。あの時は眠気で頭が働かず、ただ聞き流してしまった。何と言っていた。思い出せ、大切なことだ。そうだ、栴檀せんだんは獄門台の材木で侍にとって縁起が悪いとかなんとか。なるほど奴らが絶対に手を出せぬ場所。栴檀せんだんの柱の根元か。



 ついに刀の場所を解き明かしたちるーは商家に向かって駆け出す。商家に入り三和土たたきにある柱の下を掘る。気持ちが焦り指先に血が滲むほど強く、土をかき出す。土は叩き固められているはずだが、柱の下だけ柔らかい。下之介が掘って埋めたからだ。確信したちるーの手が刀の鍔を掘り当てる。それを力任せに土から引き抜いた。
 土だらけになったみすぼらしい刀を抱えてちるーはひた走る。頼む、間に合ってくれと念じながら。
 早馬がちるーとすれ違う。血相を変えた役人たちが次々と通り過ぎていく。誰も刀に目もくれない。
 ちるー旅籠はたごから出てきた土方を呼び止める。
「刀を……」
「それどころではない。上様がお隠れになられた。急ぎ京まで戻るぞ。」
 ちるーの言葉をさえぎり土方は重大なことを伝えた。
 慶応二年七月二十日(1866年8月29日)、この日もともと病弱だった将軍徳川家茂が死去した。戦争中に総大将が病死してしまったのである。幕府首脳はすぐに次の将軍を立てねばならず、長州征伐も中止するしかなかった。
 しかしちるーにとっては将軍の生き死になどどうでも良かった。旅籠はたごから出て来る役人たちと入れ違いに、ちるーは土間に入る。
 そこにはいまだに梁から吊り下げられたままの下之介の姿があった。
 長時間の拘束により手首はうっ血し、鞭打たれた体は幾何学的な模様のような跡が幾すじも走っている。血色の悪い足はでこぼこに変形し力なく垂れ下がっている。
 ちるーは下之介を降ろそうと柱に結ばれた綱を解こうとするが、慌てすぎて結び目をかえって締めてしまう。
 ままよと刀を抜いて綱を断ち切る。下之介の体が赤黒く染み付いた地面に倒れこむ。ぴくりともしない下之介をちるーが背負い運ぼうとするが、女の体では支えきれず倒れてしまった。
 下敷きになったちるーの背に熱が伝わる。星が最期にひときわ輝くように、下之介の命が燃えていくようだった。
 下之介を冷たい土の上に寝せておくわけにはいかないと、ちるーは何度も転びながら畳のある部屋にたどりつく。
「医者を。医者を呼んでくれ。」
 土方たちの苛烈な責めを知っている旅籠はたごの人間は、関わりあいたくないと返事すらしなかった。
 ちるーは桶に井戸水を汲み、自分の洗い立ての着物を破いて布を用意した。布を濡らして、砂のついた傷口を洗う。布を巻いて止血し、赤く染まった襦袢から清潔な着物に着替えさせた。
「お前は勝ったんだ。あの幕府に。だから死ぬな。」
 ちるーにできることはもうない。ただひたすら祈るしかなかった。



「あんたたちついてるな。近くの村に往診に来てたから連れて来たぜ。」
 旅装束の若い男が部屋に上がりこむなり言った。どこにでも人物というものはいるものである。旅籠はたごの客だった若い男が隣の宿場で医者に会ったのを覚えていて、付近を捜してくれていたそうだ。後から弟子を二人連れた薬箱を持った壮年の男が入ってくる。総髪であるところを見ると蘭方医だろうか。 
「わては大阪で蘭方医しております緒方洪庵いいます。」
 挨拶もそこそこに緒方は下之介を診察する。脈をとり、下之介の口に耳を近づけた。か細い息が緒方の頬にあたる。
「先生。」
「うん。処置が早くて命拾いしたね。ここでの治療は限界がある。うちに来るかい。」
「はい。今は無理ですが一生かけて必ず治療のお代は払います。」
 ちるーが頭を下げた。
「いや、畳代だけで結構。」
「畳? 」
 緒方に言われるままにちるー旅籠はたごの者から畳一枚を買い取る。すると緒方の弟子二人が畳ごと下之介を持ち上げ、担架代わりにして隣の宿場の出張所まで運んでいった。



 緒方の治療により下之介は一命をとりとめる。だが足の傷が重く、立てるようになるまでには一年を要した。
 立てるようになってからも絶対安静は続き、今日も下之介は布団に包まれている。唯一の楽しみは出張所の東側の開いた障子から望む富士山ぐらいのものだった。いただきには雪が降り積もり始め、日がたつにつれて一層美しくなる。富士を背景に、アカトンボの一群が競うように飛んでいる。近くに水場があるのだろう。
 喧騒が近づいてきて、トンボが逃げ散る。
「ええじゃないか。ええじゃないか。」
 町人や田を捨てた農民たちが踊り狂う。男は女装、女は男装し、お祭り騒ぎではやし立てている。
「ええじゃないか。ええじゃないか。」
 幕末期の終わりに起こったこの民衆運動はそのまま「ええじゃないか」と呼ばれた。もともとはお伊勢参りの旅人が、空からお札が降ってくるのを見たことが発端だそうだ。私見を述べさせてもらうと、世の中がひっくり返るような社会変化を、機敏に感じ取った民衆たちが起こした一種の集団パニックなのではないかと思う。
 下之介は布団を這い出し、障子の枠につかまって立ち上がる。震える足で一歩一歩踏みしめて歩く。障子を大きく開けると、今帰ってきたところのちるーと目が合った。不意によろめいた下之介をちるーが抱きとめて叱る。
「歩くのは私がいるときだけにしろと言っただろ。」 
「昔のお前みたいじゃな。」
 ばつが悪いのか、照れ隠しなのか、下之介はええじゃないかに興じる男装の女を指差した。
 ちるーは下之介の介護の合間に、大阪へ通って緒方を手伝っている。薬代さえ受け取らない緒方への恩返しのつもりだった。
 緒方はかえって心苦しくなり、また戦があるからと二人に逃げるように言った。
「お前は足が悪いから大阪から船に乗るようにとおっしゃられた。」
「行くなら追手が来られぬように遠くが良いな。米利堅メリケン(アメリカ)に行こう。」
「何もそこまで逃げなくても。蝦夷地えぞち(北海道)あたりで良いじゃないか。」
「遠かろうが近かろうがどうせ見知らぬ土地じゃ。」
 下之介は下駄を履いて外へ出る。
「危ない。何をするつもりだ。」
 ちるーも追って外に出る。下之介は片足を上げて、足の指で器用に鼻緒をつまんだ。
「こうするんだ。表が出たら米利堅メリケン、裏が出たら蝦夷地えぞち。」
 下之介の蹴上げた下駄が空に舞った。

     

 徳川宗家そうけを相続していた一橋慶喜が十五代将軍に就任し、徳川慶喜となった。これまでの複数の老中による合議制から改め、家康、吉宗以来の将軍による専制を敷く。当初英明な君主として期待されたが、将軍の器ではなかった。部下や諸藩に対しては居丈高に、外国に対しては腰砕けに、その行動はブレまくる。慶応三年十月十四日(1867年11月9日)追い詰められ、政権を投げ出した。翌十五日、明治天皇が勅許し大政奉還が成立。同年十二月九日(1868年1月3日)王政復古の大号令が出され、薩摩藩と長州藩が中心となって新政府が樹立されることになる。



 函館港より降り立った下之介とちるーは、北上して渡島おしま駒ヶ岳のふもとの山道を下っていた。土砂崩れの跡が11年前の噴火の傷跡を生々しく伝えている。まだ11月だというのに小雪がぱらつき、日が落ちた途端に刺すように寒い。北海道の長い冬が始まっていた。
 今ごろ京では水仙の花が咲き、匂い起つたちばなの実が色づいていることだろう。二人は木枯らしに吹かれながら、凍てついた大地を踏みしめる。
 振り返って険しく荒々しい駒ヶ岳を見ると、よくぞここまで来たもんだと感傷がこみ上げてきた。渡島おしま富士と言うだけあって、そのシルエットは富士山そのものである。本土から見ていた富士山を思い出しながら、下之介は見知らぬ土地でのこれからの暮らしに不安と心細さを感じていた。隣にちるーがいなかったら泣いていたかも知れない。
 向き直ると目の前に漁村が見えてきた。今晩泊まる予定の鷲ノ木村だ。どんな寒村かと思ったが、小藩の漁村と思えないほど栄えていた。噴火湾の暗い沖合に烏賊いか釣り漁船の漁火いさりびがぽつりぽつりと輝いている。
 松前藩は北海道の南端にあるため、三百諸藩の中で唯一米が取れない藩である。日本の主産物であり、貨幣の代わりとしても流通していた米。その米が取れない松前藩が裕福だった理由の一つは、北海道アイヌとの交易を独占的に認められていたからである。しかしアイヌから見れば交易のレートは不平等であり、実質的には松前藩の植民地だった。この点は薩摩藩と琉球王国の関係と似ている。
 もう一つは地引網漁法の発達によってイワシが大量に取れたためである。食料を賄って余りあるイワシは干鰯ほしかにした。これが稲作にはなくてはならない肥料となり、本土の農民は自分たちの作った米を一生食えないほど貧しかったが、松前の漁民は白い飯を毎日食べられるほど裕福だった。
 下之介は未開の地だと思っていた場所に人が住んでいることに驚いた。150戸程の家々が立ち並び、人口は800人ぐらいだろうか。農村では見られない瓦葺かわらぶきの屋根がちらほらあり、蔵屋敷が軒を連ねている。村の中心地には立派な寺まであった。
 今日はあの寺に泊まろうということになり、下之介は交渉しに鷲ノ木寺と立て札に書かれた本堂へ入ろうとする。すると本堂の奥から阿弥陀如来が右に傾き、左に傾き、大きく歩いてくる。下之介は大層驚いて入口から飛びのいた。
 松明たいまつに火が点けられ、仏像を本堂の入口から外に運び出す群衆に気がつく。罪人のように巻かれた腰ひもにつないだ二本の綱を、村人たちが右に引っ張り左に引っ張り運んでいく。
 やがて独裁者の銅像のごとく、仏像は引き倒された。
「なんてことを。」
 元仏教者として下之介は黙っていられなかった。
 村人たちも本意ではないのか口をくぐもらせる。
「仕方なかろう。」
「天朝様(天皇陛下)の世になったから。」
「わしら言われるままやっとるだけで……。」
 下之介は村人たちに詰め寄る。
「誰じゃ、そんなことを言ったのは。」
 村人たちは指こそ差さないが、視線の先が示していた。
 下之介は烏帽子を被り神主の格好をした男に近づいた。神主はなぜか顔をそむける。年は下之介と変わらず三十路に見えるのに、襟足がつるりとしてまるで毛がない。もしやと思い、顔を覗き込む。見知った顔だ。
「ご同輩、いつ宗旨替えしたんじゃ。拙僧を憶えておいでか。ともに比叡山で修業した。」
「知らん、お前なぞ知らん。」
 そう言って神主はあきらめ悪く顔を隠した。
 下之介が神主の烏帽子をはしっこく奪い取ると、坊主頭があらわになる。
「どこかで見た顔だと思ったら、やはりな。拙僧も苦労しましたよ。なかなか伸びないもので。」
 エセ神主は顔を隠していた手で、今度は頭を隠した。
 村人たちがエセ神主に松明たいまつを近づけ、急に手のひらを返す。
「あっ、こいつ、鷲ノ木寺の住職じゃねえか。」
「本当だ。」
「なんで神主の格好してるんだ。」
「危うくだまされるとこだった。」
 エセ神主は観念したのか、開き直ったのか、正直に話す。
「御一新で世の中がひっくり返ったんだ。仏教は外国から来た邪教とみなされる。」
 これは、エセ神主だけが異常なのではない。まったくの妄信というわけでもなく、根拠があった。
 そもそも尊王攘夷をスローガンに始まった討幕運動は、いつの間にか海外と貿易して国を興すべしという思想にすり替わっていった。インテリ思想家たちは輸入した武器のおかげで幕府軍に勝てたことで外国の力を認め始めていたが、下っ端の運動家たちはついていけず不満だけが残った。
 このガス抜きのためにインドから来た宗教である仏教がやり玉にあげられた。まだ神仏分離令は出されていなかったが、空気を読んで過剰に反応する村もあったそうだ。政府の顔色をうかがう日和見主義は今に始まったことではない。
「お上を忖度そんたくして、誰よりも率先して仏像を壊そうとしたのか。仏に罪はないだろうに。」
 エセ神主は自分に言い聞かせるように、「私は悪くない」と言い続ける。
「お前も京にいたなら攘夷志士どもの凶暴さは知っておるだろう。逆らえば何をされることか。寺なんぞやっていたら、こちらがホトケになっちまう。」
「だったら拙僧がこの寺の住職になる。」
 ちるーが目を丸くして止める。
「いいのかい、あんた。侍になりたいんじゃなかったのか。」
「侍はもう、うんざりじゃ。拙僧は坊主に戻る。」
 そう言うと下之介は脇差でまげを切り落とした。
 エセ神主はよほど新政府ににらまれたくないのか、あっさりと寺の沽券(権利書)と住職の地位を下之介に譲り渡す。下之介は口先三寸で家と仕事を手に入れた。

     

 ちるーは知恵者の先見の明に驚いた。蘭方医緒方洪庵の言っていた通り戦が起こったのである。
 薩摩藩と長州藩を主体とする新政府軍は将軍職の辞職程度で徳川慶喜よしのぶを許さず、慶応四年一月三日(1868年1月27日)鳥羽伏見の戦いが始まった。幕府軍は終始優勢に戦っていたが、同月六日午後二時、皇族の仁和寺宮にんなじみやが出馬し錦旗が翻ると状況が一変する。錦の御旗が水戸黄門の印籠のような役割を果たしたか一概には言えないが、少なくともたった一人の人物には効果絶大だった。
 専制政治の最たる欠点とは、どんなに優れた人物が独裁者となっても、人間である以上完璧ではないということだろう。尊王攘夷思想の総本山水戸藩の藩主水戸斉昭なりあきの実子であった徳川慶喜よしのぶは、朝敵として歴史に名を刻むことを恐れ、同日午後十時、数人の幕府軍幹部とともに大阪城を脱出した。
 戦場に置き去りにされた幕府軍は各地で敗れ、新徴組を率いていた佐々木只三郎も戦死。新選組を率いて戦った近藤勇は狙撃され重傷となった。
 江戸に逃げ帰った徳川慶喜よしのぶは上野寛永寺に引きこもり、勝海舟に丸投げする。幕府側の代表である勝海舟と新政府側の代表である西郷隆盛の会談によって江戸は無血開城した。
 徳川幕府のなんともあっけない幕切れだったが、下之介とちるーは江戸の人々が戦に巻き込まれなかったことに素直に喜んだ。江戸で唯一戦闘のあった上野寛永寺も、土壇場で新政府についた肥前佐賀藩のアームストロング砲と長州藩の天才軍師大村益次郎の手によって、幕府残党の彰義隊は一日で新政府軍に鎮圧された。
 幕府残党と新政府の戦いは以後東北に舞台を移していったが、新しい生活に四苦八苦していた二人にとっては遠い国の出来事だった。



 北海道で初めて体験した冬はとても厳しく、村人たちの手助けがなければ冬を越すことはできなかっただろう。特に南国育ちのちるーは再び冬が巡ってきて、欝々とした毎日をすごしている。今日も昨日から降り積もったせいで本堂の雪下ろしをしていた。下之介は一年で村人たちと打ち解け、若い衆が雪かきを手伝ってくれるようになった。本堂の屋根は二人で雪を掻くには広すぎるため、とても助かっている。
「いいか、ちるー。上から順に掻いていくぞ。軒に立って雪に巻き込まれないようにな。」
 これも村人たちの受け売りである。そのほか雪国で生きていく知恵を村人たちは教えてくれた。
 村人たちも分け隔てなく接する下之介に心を開き、何かあればまず下之介に相談するようになった。この日も一人の村人が息せき切って駆け込んできた。「住職。大変だ。黒船だ。沖から8隻も黒船が。」
 下之介は驚いて軒に乗り出す。上から崩れた雪に巻き込まれ落ちた。
「あんた。無事か。」
 ちるーがはしごで降りて下之介を助け起こす。地面に積もっていた雪がクッションになり、下之介は無事だった。
 明治元年十月二十一日(1868年12月4日)8隻の軍艦が鷲ノ木沖に現れた。上陸したのは夷人ではなく、榎本艦隊の先遣隊である土方歳三が率いる約3000名の幕府残党だった。
 自分を追ってきたのだと思った下之介は戦慄し、寝込む始末。下之介の代わりにちるーが土方と本堂で会見することとなった。
 


「新選組副長、土方歳三と申す。」
「鷲ノ木寺住職の代理のちるーと申します。」
「ご住職はいかがなされた。」
「雪かきで屋根から落ちまして、寝込んでおります。」
「それはご自愛ください。」
 阿弥陀如来像の後ろから寝間着姿の下之介がこわごわと覗いている。男装をしていないせいか、かつての部下新垣二郎であるちるーに土方はまったく気づいていないようだ。寺の境内を橋頭保にするため貸してほしいと言う。
 寺院や神社は古来より城の代わりとして拠点となることがしばしばあった。日光東照宮を徳川家康が建てたのも、江戸が落ちた場合に拠点とするために建てられたものであり、江戸無血開城のおりに幕府残党が実際にそういう使い方をしている。
 土方が鷲ノ木寺を拠点にしようとしたのは必然だったが、その住職が下之介であったのはまったくの偶然だった。
 しかし、下之介は天命と受け取った。天が土方を罰しようとしているのだと。ちるーもきっと同じ考えで、土方の要求を蹴ってくれるものと思っていた。
「お受けいたしましょう。ごゆるりとおくつろぎください。」
 ちるーは快諾してしまった。
「待たれよ。神様仏様が許してもこの上中下之介が許しはしない。」
 仏像のほうから声がした。黙っていられなくなり下之介が仏像の影からしゃしゃり出る。
「ご住職、体はもう良いのか。」
 土方は下之介の名前を聞き、顔を見てもまだ思い出さないようだ。
ちるー、なぜ受けた。お前だって追い詰められ苦しい思いをしたじゃろうが。」
「私には古巣の新選組の苦境をほっておくことはできない。私が苦境のときに新選組は私を拾ってくれたんだ。あんたにとっての清河八郎と同じだ。」
 清河は下之介を初めて侍として遇し、故郷へ帰る手助けをしてくれた恩人である。それだけではない。朝方に店を開けてくれた京の居酒屋、棲む場所と仕事の面倒まで見てくれた大家の奥さん、長屋に溶け込めるようによく話しかけてくれた熊さん、式場を設営してくれた大工の八っつぁん、たどたどしくも高砂を謡ってくれた川太郎、同心であるのに見逃してくれた福郎。神足歩行術の竹川竹斎、だんごっ鼻の伊藤俊輔、まんじゅう屋の近藤長次郎、桜島丸の船上で会った縮れ毛の男、江藤新平、大隈八太郎。店でかくまってくれた琴、菊屋与兵衛、丁稚でっちの少女、助清。名も告げなかった旅人、緒方洪庵、鷲ノ木の村人たち。そして、命の恩人であるちるー
 激動の幕末の世に下之介がしぶとく生き残ってこれたのは、人々の親切心のおかげだった。
「お前さんの気持ちも分かる。お前さんの気持ちも分かるが……」
 下之介は言葉を詰まらせた。土方はまだ下之介のことを思い出さず、飲み込めない顔をしている。下之介は怒りを爆発させて続けた。
「……拙僧は土方を許せぬ。この男はたった二年前のことも思い出せない。斬った相手のこと、斬ろうとした相手のことなどいちいち覚えてはいないというわけだ。」
 土方はそれでも思い出せず、ただただ額を畳につけた。下之介はだまって本堂を出た。追いすがるちるーがあやまる。
「勝手に快諾しようとしてすまなかった。」
「いや、土方の申し出は受けよう。」
「え。」
「あの男、土下座までしおった。変われば変わるものだ。見ていて哀れに思えてな。」
「変わったのはあんたのほうさ。」
「確かに二年前とは逆に、今度は土方が追い詰められる番だからな。」
「そうじゃない。あんたが成長したから、相手を許す余裕が持てたんだ、きっと。」
 土方たちは一泊したあと、非戦闘員だけを本堂に残してすぐに七飯町方面に向かって進軍した。それ以後土方とは会っていない。最後まで下之介のことを思い出すことがないままに。



 幕府残党が負けた五稜郭の戦いが終わってほどなくして、下之介は風のうわさで聞いた。土方は最期に自分の小姓(身の回りの世話をする役職の少年)を逃がして戦死したらしい。
 冬の暗い閉塞感は残っているものの、見えないところで春への助走は始まっていた。雪の下ではフキノトウや麦が芽吹き、鳥たちは卵を温め始めている。
 嵐が過ぎ去さったのを知った村人たちは鷲ノ木寺に詰めかけた。
「幕府の連中に寺を貸すなんて、とんでもないことをしてくれた。」
「今度こそ官軍ににらまれる。」
「生臭坊主が。おめかけさんにたぶらかされたんじゃないのか。」
 村人たちは下之介とちるーの関係を誤解し、ちるーが土方の申し出を受けたことがいびつに伝わってしまったようだ。
 下之介は口々に罵声をあびせられながらも、なるべく正直に話した。鶴が元新選組であることだけはぼかし、幕府残党にくみしたのは「官軍を楽に勝たせ、苦も無く太平の世がくれば、人は得たものの尊さを忘れてしまう。苦労して手に入れてこそ、重みも増す。」ともっともらしいことを言った。
「今日のところは帰ってくれ。」
 村人たちは思い思いの顔で引き取っていく。何とか場を収めた下之介はちるーのことだけが気掛かりだった。村人たちの声は奥にいたちるーにも聞こえたはずだ。
 ところが当のちるーはけろりとした顔で普段と変わりないので、まったく油断していた。普段通り夕飯を食べ、普段通り風呂に入り、普段通り床についた。
 早朝、下之介は衣擦きぬずれの音で目が覚めた。ちるーの布団はすでにたたまれていて、玄関から旅装を整える音がする。
 下之介が慌てて玄関に向かうとちるーが出るところだった。
「どこへ行く。」
 下之介の声は震えていた。
「琉球。」
 ちるーの目は赤い。寝ずに一晩考えてのことだろう。
「帰るというのか。村人たちにはちゃんと説いた。お前さんが気をもむことはない。」
「別に、ここが寒すぎるから出ていくだけさ。帰れる故郷があることのありがたみをいやというほど味わったからな。」
「すまぬ。拙僧がはっきりしないせいじゃな。もうめかけなんて呼ばせぬ。拙僧の本当の嫁になれ。」
「私の決心を鈍らせて困らせないでくれ。もう、決めたことなんだ。」
 そう言ってちるーは悲しく笑った。
 下之介が見送るためにちるーを伴って歩くと、どこで聞きつけたのか村人たちが集まってきた。
「昨日から考え続けて、ようやくわかった。わしらが間違っとった。」
「官軍怖さのあまりちるーさんにもひどいこと言ってしまった。ほんにすまなんだ。」
「おねげえだ。わしらを見捨てんでくれ。」
 一人で発つ予定だったちるーは、思わぬ見送りを受けた。ちるーは山道に入る前に村人と別かれたが、下之介と別れを惜しんだ。一里すぎ二里すぎ、とうとう下之介は函館港までついて来てしまった。
 意を決し鶴は琉球行きの蒸気船に乗った。汽笛がなり、函館の町が遠ざかっていく。鶴は下之介の姿を探したが、見つけることができなかった。もはや駒ヶ岳しか分からなくなるほど遠ざかったところで、船内で下之介の姿を見つけた。
「最後までわけの分からぬ男だ。なぜ船に乗っている。」
「これが最後の旅じゃ。とやかく言うな。」



 西洋文明は何もかも変えてしまった。今江戸の町では、洋服を着て靴を履くもの、牛肉を食べるものも珍しくない。蒸気船の出現は旅の期間をうんと縮め、世間は狭くなった。
 蒸気船は江戸をすぎ、大阪をすぎ、一日で壇ノ浦に差し掛かった。夜更けに下之介は客室の寝床からはい出す。甲板に上がると夜風が冷たく、身震いする。
 海を眺めた。海はまだ暗い。星の光だけが海面に写っている。星の海を船は進む。
 下之介は決心がつかずにいた。海を見ながら思案していると、思い出すのはちるーのことばかりだ。そういや、この海だ。ちるーが無茶をして、馬ごと船に飛び乗ったのは。思えば二人の旅はここから始まったんだ。
「何をしているんだ。」
 当人から急に声をかけられ、下之介は驚いて振り返る。鶴が心配顔をして見ていた。
「実は見送りは口実で、ちと野暮用があってな。」
「何だよ、こっちはついでなのか。」
 下之介は船端に乗り出し、引き抜いた刀を壇ノ浦にかざす。
「どうするつもりだ。」
「元の場所に返す。」
 そういうと下之介は刀を沖に向かって投げ込んだ。刀は小さな水柱を上げ、見る間に沈んでいった。
「いいのか。史学にとっても重要なものなのだろう。」
「これでいい。まだ日本人が手にするには早かったようだ。」
 下之介は片方の懸念に決着をつけた。もう片方にも決着をつけねばならない。だが、どうしても決心がつかず、このまま琉球までついていこうかとも思った。次の停泊地の長崎で降りなければ、もう引き返せない。
 そんな気持ちをんでか、ちるーが諭す。
「あんたは古い約束をみごと果たしたのだから、新しい約束も果たさなくてはならない。今度は生きた人間との約束だ。鷲ノ木の村人たちはあんたを必要としている。」
 海が赤く輝き始めた。もう夜が明けている。
 下之介はこれから見知らぬ土地で生きていかねばならない。日本という国も苦しみながらも生まれ変わることができたのだ。きっと下之介にもできるはずだ。

       

表紙

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Neetsha