「しかし、おかしいな。こんなことは今までに一度もなかったはずだ」
CIAから派遣されて来たアラン・ホワイトは今回の任務に疑問を持っていた。
ことの発端は米海軍の原子力潜水艦ヘルでネジがひとりでに一本外れたというだけのことである。そのネジが核弾頭の部品であることが問題だった。
今回の任務はそのネジを外した犯人捜しだ。
日本国の携帯電話をすべて盗聴し、浦賀、原潜、ヘル、核弾頭、ネジといった言葉が多く使われている通話者をリストアップ。容疑者はすでに74人に絞られていた。74人の工作員がそれぞれに一人ずつ付いて調査をすることになった。
私が疑問なのは現地の協力者の不在である。日本は同盟国なのだから捜査を依頼すれば良い。それをしないのはこの国の情報機関を信用していないからなのだろう。
現地の協力者の代わりとして、ベテラン米兵を当局から紹介された。しかも、この男は日本在住五十年以上で日本文化に精通しているらしい。
「当局はこの国を危険視している。いったいどういう国なんだ、この国は? ニシキさん」
ホワイトはさっそく助手席に座る日本通の男、アルフレッド・ニシキに疑問をぶつけてみた。
「不気味な国だよ。太平洋戦争の最終局面において、我が国が二発の核弾頭を日本に投下したことくらいは君も知っているだろう。普通ならば怒るか恨むかするものだが、そんなことは顔にも出さない。ニコニコ笑顔でよき同盟者であろうとする。きっと面従腹背しているに違いない。いつ寝首を掻かれるか分かったものではないよ」
「意外です。あなたは親日派かと思っていました」
「なんだと!!」
枯れた老人とは思えないくらい、ニシキはつかみかかって激昂した。
このままでは車で尾行していることが、容疑者にバレかねない。
「すみません。親日派ではなくて知日派だったんですね」
「まあ、そういうことだな」
なんとかニシキの怒りが収まり、ホワイトは尾行に戻る。あまりに進展がないため、当局から送られてきた参考資料をもう一度読み直すことにした。
ホワイトが担当する容疑者の名前は上中定時。年齢二十四歳。独身。同居中の家族は両親のみ。住所は大田区緑町一丁目のアパート。職業は無職。いわゆる就職浪人というやつだ。
「どうだ。何かわかったか?」
イチョウ並木の路肩に停車した後、携帯をいじっているホワイトにニシキが聞いてきた。
「いえ、資料に書かれている以上の発見はありませんね」
「しかし尾行だけでは埒が開かん……らち!? よし、拉致して本人に自白させよう」
ニシキは車を降り、街路樹とガードレールの隙間から歩道に入った。
そして、定時に向かって歩いていく。
「ちょっと待ってください。いくらなんでも、それはやりすぎですよ」
慌てて、ホワイトも後を追う。
「大丈夫だ。私に任せろ」
そう言って、ニシキはイチョウ並木を歩く定時の背中を追いかけた。
「くそ、尾行が台無しになる。なんてジジイだ」
ホワイトが小走りで追いついた時、ニシキはすでに定時に話しかけていた。
「おいっ、そこの君」
「はい、何でしょうか?」
「我々は警察だ。ちょっと職務質問させてもらうから、あの黄色い外車に乗れ」
「ほんとに警察? 警官の友達いるんで、ちょっと電話で聞いてみますね」
ニシキが不必要なウソをついたせいで勝手に危機に陥っている。
定時は携帯で電話せずに、二つ折りにして装置の弾倉に込めた。
「ふざけるな。勝手に動くんじゃねえ。なんだ、その機械は。両手を挙げろ」
「はい」
定時は大上段に構えて、装置の銃口を上に向けて撃った。
パイプオルガンのような荘厳な音が響き、イチョウの葉が紙吹雪のように流れ落ちる。
ニシキは紺のスーツの内ポケットに手を突っ込み、拳銃の安全装置を外した。
「ニシキさん? まさか」
ホワイトがニシキの右腕をつかむ。周りに無関係な一般人がいるのに、銃撃しようとするニシキをなんとか抑えた。
ただでさえイチョウの落ち葉舞い、見通しが利かない。あわや大惨事となるところだ。
イチョウの葉が落ち切って、歩道が黄色く埋め尽くされる。
定時の姿はない。
黄色い外車もなくなっていた。
「逃げられた。私のミスだ。すまない」
ニシキはうつむいて、力なく言った。
「仕方ないです。それより早く彼の足取りを追わないと」
「ああ、そうだな」
ニシキは気を取り直し、再び歩き出した。
追おうにも車は盗まれている。しかたなくホワイトはタクシーを止めた。ニシキはまた助手席に、ホワイトは後部座席に座る。
何も悪いことばかりではない。運転から解放されたホワイトは上官に連絡することができた。
「私の担当のサダトキ・カミナカに接触した。銃のようなラッパのような見慣れない装置を所持している。この装置とネジの事件との因果関係は不明だが、私たちの車を奪い逃走したため容疑は深まった。至急サダトキの現在位置を探知してください」
上官は定時の携帯電話のマイクロ波を解析し、GPS機能を悪用して居場所を確認した。
「彼は関越自動車道を北上しているようだ」
「そうか。よし、我々も行こう。運転手、ここから一番近い乗り口から関越自動車道に入ってくれ」
「えっ、高速乗るんですか?」
タクシーの運転手は思わず声を上げた。
時刻は午後二時半。平日の昼間なので道は空いている。
「他のヤツをどんどん追い抜いて行け」
「はい……」
運転手は渋々承諾した。運賃が高くなるのは良いが、なるべくなら近場に降りてほしい。自分は帰らなくてはならないのだから。
そんな願いもむなしく、タクシーは埼玉県北部にに差し掛かかっても止まらない。嵐山パーキングエリア辺りでようやく止まったが、それは渋滞に巻き込まれただけだった。
「こんなところで止まっていては、サダトキに逃げられてしまう」
ホワイトは不満をぶつけた。
ニシキは空いている車線をみつけて促す。
「おい、運転手。一番左の車線が空いている。車線変更しろ」
「それは譲り車線ですよ。登坂車線と同じで、スピードを出さない車が後続車に道を譲るためのものです。譲り車線を追い越しに使うのはマナー違反ですよ」
ニシキの要求を運転手は懇切丁寧に断る。
「うるさい。言うことを聞け」
「わかりましたよ」
運転手は言われた通り車線変更する。
タクシーは最初、他の車線を尻目に独走していた。しかしすぐに、同じようなマナーが悪いドライバーが割り込んでくる。結局、身動きがとれない。
「何してる。止まるな」
「はあ?」
運転手の生返事にしびれを切らせて、ニシキは運転席に右足を伸ばす。
「よし、行くぞ」
運転手の足の上からアクセルペダルを思い切り踏み抜くと、タクシーは前方の迷惑車両を押しのけていく。車線をはみ出した車両が玉突き衝突。タクシーは側面をガリガリと擦りながら、なおも加速していった。
「うわぁー!!」
あまりの速さに運転手は悲鳴を上げる。次の瞬間、時速100キロを超えた。
周りを見ると道路を走る一般車両は数えるほどしかいない。ニシキたちが交通法規を無視して走ったため渋滞を脱したのだ。後方では新たに事故渋滞が起きていたが。
ホワイトはもう怒る気にもなれず、上官に連絡した。ニシキを別の者と交代させてくれと言うつもりだったが、その声は上官の焦りの声にかき消される。
「まずいことになったぞ。サダトキの携帯を探知できなくなった。探知に気が付かれたのか? ハイウェイで電波が届かないなんてことがあるのか?」
前からニシキが話に割り込む。
「何分だ?」
「はい?」
「ロストしてから何分か聞いているんだ」
「20分だ」
「おそらく関越トンネルに入ったんだ。関越トンネルは全長約11キロ、日本で二番目に長い道路トンネルだからな。今すぐトンネル出口に検問を張れ。我々の盗難車のナンバーはE00ー13、黄色い外車だ。すぐに見つかるはずだ」