夜遊び
こんばんは。
「こんばんは。」
夜の虫達が演奏の準備をしている十一月の夕焼け。一人の男がそう呟くと、湖の岸に静かに座りました。
綺麗ですね。
「綺麗です。」
どうしてここに来たのですか。
「子供の頃、よく来たんです。こことは違う湖に。だから懐かしくなったんです。」
そうですか。
「そうです。昔、両親とよく行ったんです。だから湖は好きなんですよ。」
湖で何をしていたのですか。
「そこはとても広いところで、自転車でサイクリングをしたり、アヒルに食パンの耳を切って、よくあげていました。」
食パンですか。
「私の家の近くのパン屋のです。私が食べてもおいしかった。」
アヒルはどうしていたのですか。
「食べていましたよ、とても元気に。耳を投げると近づいて皆で食べていました。」
「ここにあのアヒル達は居ないのですか?」
居ません。皆旅立ったのです。
「そうですか、残念です。」
あなたも旅立ちたいのですか。
リーンリン。ジュキジュキと、夜の虫たちは演奏を始めたようです。まるでそれはオーケストラのようで、とてもとても綺麗でした。
「自分でも解らないんです。
「怖いんです。」
「自分がここに居ないんです。」
あなたは戻りたいのですか。
「解らないです。ここに来れば変わると思ったから。」
だから来たのですか。
「そうですよ、本当は。それにここは綺麗な場所と聞いていたから。」
誰が言っていたのですか。
「私の周囲では、ほとんどの人がそう言って信じていました。そして本当に、ここは綺麗でした。」
貴方も解っている筈です。ここはたくさんの生物が産まれて、生きて、そして死んでいるのです。破壊と創造はどちらも同じ場所にある。だからここは美しいのです。
虫達のオーケストラは、カマキリが側に近づくと、皆演奏を止めてどこかへ行ってしまいました。
「もう帰りたくない、ずっとここで見ていたい。」
もうすぐ夜が来ます。それまでに…。
「知っています。ここは恐怖を感じないから。」
喜びもありません。あるのは無だけです。
「知っていますよ、そんな事は。貴方なら解るでしょう、今更私に戻るところなんて無いんですよ。」
解っています。
「じゃあ私は、何をすればいいんですか? どこに行けばいいんですか?」
何をしたいのですか。
「そんなの解りませんよ…。」
男はそう言うと、どこか悲しそうで、寂しそうな顔をしていました。
「お母さん、友達と湖に行ってくるね。」
「●●●。六時までには帰ってきなさい。夜遊びは駄目よ。」
「どうして?」
「世の中には悪い人も居るのよ。遅くまで遊んでいると、悪い人に連れてかれて帰れなくなってしまうの。だからよ、●●●。」
「うん、解った。」
日は落ちて暗くなり、最後のバスが来ると、バス停には誰もバスを待ってる人はいませんでした。