Neetel Inside 文芸新都
表紙

夢の中の少女(仮)
第一話

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 薄い紫の空、黒ずんだ雲、灰を撒いたような地面。たまに生暖かな風が吹き、地に生えている木の紺色の葉がざわめく。
 俺はまた夢の世界に足を踏み入れた。システムエラーのせいか、この世界の色彩は酷く歪んでいるようだ。立っているだけでも気が滅入ってしまう。
 隣に立っている少女は、不気味そうに辺りの景色を見回した。
 「今日はこの場所のエラーを取り除くの?」
 「そうだな。まぁ、いつも通りにやれば間違いない」
 「んー……この場所、すごく怖いなぁ。ボクもう帰りたくなってきたよ……」
 「俺も早く現実に戻りたいが、この仕事を明日に回すのは面倒だろう」
 「それもそうか……仕方ないな。今日も一日がんばろうね」
 先程まで怖気付いていた少女は、ようやくにこっと優しげな微笑みを浮かべた。
 彼女の名は瀬城 京人。俺と共に『Daydream』のデバッグをこなす同僚だが、付き合いはそこまで長くない。
 その黒髪は肩に掛からない程度に短く、髪質のせいか少しぼさぼさとしている。ハスキーな声や中性的な顔立ちも相まって、その姿はまるで少年のようだ。
 「よし、そろそろ辺りを散策してみるぞ」
 俺は腰のホルスターから二丁銃を抜き放った。金属フレームに青い光の粒子が満たされているそれは、バグ消去のためのプログラムを可視化したもの。デバッグには必要不可欠なツールだ。
 「もう武器を装備しろ。この場所のデータは半分近く壊れてる。いつバグが来るのかさえ分からない」
 「ん、わかった」
 瀬城は右手首に着けたブレスレット型の端末を弄くり、自分の背にツールを具現化させた。木製のボウガンだ。装填された矢の先端には真紅の光が灯っている。
 「なんか、この瞬間はいつもわくわくするね。今日はどんなバグが待ち構えてるんだろうなー」
 「何にせよ、出来るだけ早く終わってほしいな」
 少しの温度差を抱えたまま、俺達は灰色の地を一歩一歩と歩み出した。

     

 「ねぇ、ユウイチくん……だっけ?」
 「もう二週間になるんだから、名前ぐらい覚えてくれよな。俺は深鶴来 雄一」
 「みつるぎゆういちか。どんな漢字?」
 「現実に戻ったら教えてやるよ。それで、何かあったのか」
 「あー、何となく雑談したくてさ。別に用があるわけじゃなくて」
 「……好きな色は?」
 「えっとね、ボクは黒が好きです」
 「俺は紺」
 「なるほど。だから紺色の服を着てるの?」
 「ああ」
 俺は『Daydream』内のアバターに紺のダッフルコートを纏わせている。この場所が仮想現実とは言えど、その着心地は本物とそう変わらないはずだ。
 だからこそ、この場所でコートを着用し続けるのは少し辛いものがある。着ているだけで僅かに暑く、ただでさえ生暖かな風が数倍も鬱陶しい。
 瀬城は白シャツと黒い薄手のジャケット、ライトグレーのジーンズで身を包んでいる。その姿のせいか、バイト仲間ではなく弟と肩を並べて歩いているような感じさえする。 
 「そういえば、お前はいつも黒い服を着てるな。なんだか不吉な男って感じがする」
 「なんだよ、別に良いじゃんか」
 「もっと女らしくしようとは思わないのか?」
 「うふふ、深鶴来くんは仕事熱心ですよね。ボク尊敬しちゃいますよう。うふふ」
 「うげ……似合わないな」
 「なんか酷いなその反応……まあいいや、さっさと仕事終わらせて早く帰ろうよ」
 「おっと、そうだったな」
 手首の端末の画面を覗き見ると、デジタル時計のアプリケーションが午前の11時をスクリーン一杯に示していた。
 ログインした時からもう数十分は経ってしまっている。時間が経つのは早い。
 握りっぱなしの銃が多少邪魔になったが、画面をどうにか指で数度つつくと、パソコンのそれと似たデスクトップ画面が開いた。
 その中からマップデータを指で選択し、モニターに表示させる。
 「どうやら、この場所の中心にはでかい城があるらしい。それがバグの発生源だな」
 「そうなのか。よっしゃー、ボクがんばって城壊すよー」
 「お前はそうやっていつも空回りするだろう。無茶も大概にしろ。城だけにな」
 「ちょっ、キミこそいい加減にしろよ。城だけにね」
 「……行くぞ」
 「きゃっ、スルーしないでほしいな? キャッスルだけにね。あはは」
 「二度スルーされてえのか」
 瀬城は端末にマップデータを表示させると、意気揚々と歩き出した。
 「相変わらず活き活きとしてるな、お前は」
 「うん! この仕事が大好きなんだよ」
 「仕事を楽しむのは良いが、あまりハメを外すなよ――ん?」
 ふと不穏な気配を感じ、感覚を研ぎ澄まして周囲を見回す。
 瀬城の背後辺りの空間に突然生じていた黒い文字の羅列。それは、今まで歪んだ色彩を映していた俺の視界に妙に映えた。
 「バグが居る。お前の後ろだ」
 「!!」

     

 瀬城が振り返って武器を構えるより早く、俺は文字列を狙って二丁銃の引き金を同時に引く。
 銃口から蒼い炎弾が吐き出され、無機質でシンボリックなバグに直撃して炎上した。
 蒼炎に包まれ徐々に形を失いつつある文字列は、まるで生物のようにうねりながら瀬城へ飛びかかる。
 ボウガンを構えた瀬城の腕に、燃え盛る文字列が蔓のように巻き付いた。
 「わああああっ!! た、助けて!!」
 「大丈夫だ。そいつは勝手に燃え死ぬ」
 大騒ぎする瀬城の腕に巻き付いたまま、文字列は静かに消し炭へと姿を変える。
 データが焼却されてしまえば、このバグはもうプログラムの誤動作を引き起こせない。仮想空間に設置されたただの一オブジェクトと変わりない。
 炭はぬるい風に吹かれ、灰塵となって散り消えた。
 「あ、ありがとう。助かったよ……へへ、面目ないなぁ」
 少女は照れたように、自分の外跳ねした黒い短髪を掻く。いたいけで可愛らしいその仕草に思わず苦笑いが漏れた。
 「説明は受けただろうが、デバッガーは痛みも熱さも感じないぞ。まぁ、怖さに慣れるまで時間がかかるかもな」
 「ほんとそう。意味の分からない物に襲われると怖くってさぁ……」
 「ボウガンは重いだろ。他のツールに替えた方が良い。剣と盾なんかが良いだろう」
 「あー、盾か!」
 瀬城は端末の画面をつんつんと弄くり、ボウガンのデータを格納した。
 その代わりに、赤く燃える鋼の盾と、刀身から火を発している鋼の剣が瀬城の手に現れる。
 「ぎゃー! 熱い!!」
 「とんでもないツールを具現化したな。使いこなせるか?」
 「うおお……ぎ、ギリギリセーフじゃないかな!?」
 「見た感じアウトなんだけどな」
 炎の盾で敵の攻撃を受け止め、炎の剣で反撃する。まるでゲーム感覚のデバッグではあるが、やはり新人は大きな恐怖心を抱くものなのだ。
 現に、デバッグ作業後に熱病をこじらせて寝込む者も多い。特異な環境は彼らに強い心労を与えるのだろう。
 せめて瀬城には元気なままで居てほしいものだ。しかし、その楽しそうな顔を見る限り、心配は無用なのかもしれない。
 「あまり無理するなよ」
 「うん!」
 「……大丈夫か?」
 「おう! アタッカーはボクに任せてね。怖すぎて逆に興奮してきたぞー!」
 「興奮してる時点で全然大丈夫じゃないと思うんだが」
 「平気だって。ほら、おばけ屋敷とか結構楽しいでしょ? あれと同じだよ。さっそくツール使ってみたいしさ、バグ探しながら歩こ!」
 「練習熱心だな。頑張れよ」
 俺達は会話を終え、端末をちらちらと確認しつつ城を目指してまた歩き出す。
 いつの間にか、温く鬱陶しい風が吹きすさぶのもあまり気にならなくなっていた。

     

 やがて、小さくぼんやりと城の影が見えてくる。
 冷たい印象を抱かせる、刺々しい灰色の城だ。上部には幾つもの円錐が紫の天を突くように立っている。
 「しろー……」
 瀬城も遥か前方の城に気付いたのか、そう呟いた。
 「あれを破壊するんだ。そうすれば日給を受け取って帰れる」
 「うむ、あと一息かな?」
 「だろうな」
 ぼんやりと歩き続け、やがて俺達は城の前に辿り着く。
 どれほど歩き続けたのかは分からない。どれほど無駄話を重ねたのかも分からない。
 どこを見ても灰色の地面、紺の葉の木、暗く沈んだ空と雲しかない。今の俺達に時間の感覚はほぼ無い。
 端末を覗くと、さっきのバグを焼却した時から三十数分が経っていた。
 俺は城に向き直り、
 「城の破壊を始めるぞ。瀬城、さっそくツールを試してみろ」
 「そうだね。ていっ」
 瀬城は炎剣を振りかぶり、刃をその外壁に叩きつける。
 大きな傷は付いたものの、城を崩壊させるほどの痛手にはならないだろう。
 「うーん、これだと時間がかかり過ぎちゃうかな」
 「そうか……なら俺がやる」
 俺は端末を弄り、二丁銃を格納して対物ライフル型のツールを具現化させる。
 「危ないから下がれ、瀬城」
 「おー、かっこいいねそれ」
 瀬城は黒光りする銃身に暫し目を奪われていたが、やがて俺の後ろにさっと隠れた。
 「ぐおっ……やたら重いぞこれ……」
 「がんばれ!」
 肩に対物ライフルを担ぎ、城に銃口を向ける。
 引き金を引くと同時に蒼白い光が炸裂し、轟音が辺りを駆けた。
 城に直径数メートルの大穴が空いている。
 その向こうに――佇む人の姿があった。
 今はデバッガーしか立ち入れないはずの場所に、見知らぬ第三者の姿。
 俺達は唖然と顔を見合わせる。
 「……どうして、こんなことするの?」
 人影の声は、抑揚に乏しかった。

       

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