○-証拠偽造屋-
第2話 「補助者勤務開始!」
晝間さんの補助者として働くことになり、今日が出勤初日だ。気持ちを新たに、清々しい足どりで池袋へ向かう。
――小鳥たちが私の門出を祝っているわ‥。
空を仰ぎ、さんさんと降り注ぐ光に手をかざす。
そう。思い起こせば、この時の私は胸いっぱいの希望を抱いていたのだ。
RDL法律事務所に到着し、自動ドアを抜ける。
「おはようございます。ご予約はお済みですか?」
受付のお姉さんが素敵な笑顔で言った。
「あ、いえ。今日からここの‥認定司法書士の晝間さんの補助者として働くことになったんです。よろしくお願いします」
お姉さんの眉間がピクリと動く。
が、すぐに元の笑顔に戻り、こちらこそお願いしますと挨拶をする。
お姉さんの胸元を見ると、鈴木というネームプレートが見えた。
私はエスカレーターで2階へ昇る。
――あの鈴木さん、晝間さんの名前を聞くと妙な反応するけど‥なんだろう。
2階へ着くと、晝間さんに言われた通りカウンターを抜け、フロアを見回す。フロア内には壁に区切られた個室がいくつもあり、それぞれにネームプレートが付いている。
しばらくうろうろと歩くと、「認定司法書士 晝間 類」というプレートを見つけた。
「おはようございまーす!」
扉を開けると、スーツ姿の晝間さんがいた。数日ぶりに会い、どきりとする。
個室の中は、府中の事務所と比べるとずいぶん殺風景だ。机と椅子、それとパソコンが2つずつ。電話と複合機、本棚が一つ。それと、寝心地の良さそうな小型ベッドが置いてある。
「おはよう、円谷さん‥。これからよろしくね」
晝間さんが伸びをしながら言った。
「丁度補助者を雇おうと思ってたところだから、助かったよ。法律事務って、なかなか煩雑だから‥」
「あ、あの‥ベッドがあるんですけど‥」
私はまずおかしな点を指摘する。
「ああ、僕は基本的に夜に仕事してるから、昼間は仮眠してるんだ。役所や裁判所に書類を出しに行ったり、依頼者と面談するくらいかな。今日から円谷さんが入ってくれたから、寝れる時間が増えるよ」
「そ、そうなんですか。基本的に晝間さんはそこで寝てるんですね‥」
なかなか斬新な職場だ。
「わかんないことがあったら、遠慮なく起こしてね。あ、その机使って」
「わ、わかりました」
私はとりあえず椅子に座る。
「基本的に円谷さんにやってもらうことは、電話対応と書類の提出、証明書の取得をしてもらうことだから、慣れれば簡単だと思うよ。あとは、とりあえず依頼者が来た時に僕を起こしてもらうことかな‥」
早速書類を裁判所と法務局に提出するように言われ、事務所を出る。
電車を乗り継ぎ、晝間さんに言われた通りの窓口に書類を提出する。事務所に戻る頃には、半日が経っていた。
「ただいま戻りました!」
扉を開けると、晝間さんが気持ち良さそうに眠っている。
――け、けっこうきついかも‥。これ‥。
私は早くも後悔し始めていた。
晝間さんの下で働き始めて1週間。
いつも通り裁判所と法務局を回って事務所へ戻ると、晝間さんがすやすやと寝息を立てている。寝顔がかわいい。
何を隠そう、晝間さんの寝姿を眺めるのが私のささやかな楽しみなのだ。
晝間さんは上着とネクタイを脱ぎ、こちら向きに寝転んでいる。こうして見ると、やはりイケメンだ。
「うーん‥」
すると、彼女が寝返りをうち、仰向けになった。胸元が開き、鎖骨と首筋があらわになる。
――な、なんか‥エロいかも‥。
唾をごくりと飲み込む。
私はベッドの前で暫く逡巡するが、誘惑に負け、晝間さんの鎖骨を指でなぞる。
「う‥ん」
彼女が声を漏らす。
――晝間さん‥やっばい‥。
続いて首筋をなぞる。
彼女がはぁと吐息をつく。
――た、たまらん‥。
私は興奮に身をよじる。
唇を見ると、柔らかそうに光沢をはなっている。
ごくりと唾を飲み込む。
「晝間先生、ご相談です」
突然、ノックの音が聞こえ、私は咄嗟に晝間さんから飛び退く。
「う‥はい‥。すぐ行きます」
晝間さんがむくりと起きた。
ネクタイを結び、上着をはおる。
「‥円谷さん、どう?」
「ば、ばっちりです!」
晝間さんが扉を開け、急ぎ足で会議室へ向かう。私は汗を拭い、ふうとため息をついた。
「この職場‥最高‥!」
30分程すると、晝間さんが戻ってきた。
「新規の依頼ですか?」
私は何事もなかったように澄まし顔で聞く。
「うん、証拠偽造の相談だった」
私が補助者になってから、証拠偽造の依頼が来たのは初めてだ。晝間さんは普段はぷち弁護士として活動していて、それと平行して証拠偽造の依頼も受けているようだ。
「それなら、忙しくなりますね‥!私も手伝います!」
通常の法律事務には飽きてきたところだ。
「いや、今回の依頼は受任できないかな。偽造してくれの一点張りで、依頼者が詳しい事情を話さないんだ」
「そ、そうなんですか‥」
「こういうことやってると、中には根も葉もない事実を捏造しようと考える奴らも来てね‥。そういう依頼は受任しないんだ」
確かに、証拠偽造屋の噂を聞けば、悪党が利用しようと考えるのも当然だ。
「晝間さんは、どうして証拠偽造屋をやってるんですか‥?」
前から疑問に思っていたことを口にする。
「それは‥昔の話だけど、僕自身、理不尽な目に遭ってね‥。親が元々司法書士だったってこともあって、この資格を取ったんだ。といっても、当初は証拠偽造をする考えはなかったけど‥」
晝間さんは机にもたれ掛かり、珈琲を一口飲む。
「どんなにもっともらしい綺麗事を並べたって、証拠の偽造は犯罪で、許されないことだからね‥。このことを知られたら、当然刑務所にも入るし、資格も剥奪される」
晝間さんが真剣な表情で言った。
「だから、円谷さんには証拠偽造の案件にかかわらせるつもりはないよ。あくまで、表向きのこっちの事務所で働いてもらうつもり。‥退屈かもしれないけどね」
「刑務所に入るかもしれないってわかってても、やるんですか‥?」
そういえば、私の事件についての報酬は一般の弁護士の相場と比べても安かった。何が晝間さんをそこまでさせるのだろうか。
結局、この日は裁判の期日があるとのことで晝間さんは外出し、話の続きは聞けなかった。
俺は大久保 画流(おおくぼ がる)、探偵だ。
俺は今、ある人物を追っている。その人物とは、どんな証拠も偽造するとの噂を持つ、通称・証拠偽造屋。名前は「晝間 類(ひるま るい)」だ。
彼女は認定司法書士という表の顔を持ち、裏では証拠偽造屋として暗躍している。
認定司法書士としての活動は、池袋のRDL法律事務所を隠れ蓑として行なっていることが判明している。しかし、証拠偽造屋としての拠点を掴むことはできていない。彼女は謎に包まれているのだ。
だが、俺は苦労して調査をした結果、ついに決定的な情報を得た。今日こそは間違いなく彼女を捕えることが出来るだろう。
――ふふ‥、首筋を洗って待っていろ、晝間類‥!
俺は急ぎ足でRDL法律事務所を目指す。
自動ドアを抜け、エスカレーターに向かって進む。
「こんにちは。ご予約はお済みですか?」
すると、鈴木という受付嬢が俺に声をかけた。
「いや‥、晝間類という認定司法書士に会いに来たんだが‥」
俺が応えると、鈴木嬢はにこやかに笑い、2階の受付に言えば呼び出してくれる旨を告げた。そんなことは知っている。
エスカレーターに乗り、深呼吸をして気持ちを鎮める。‥いよいよだ。
晝間類を呼び出し、会議室で待機する。
緊迫感が漂う。
3分ほど経つと、扉が開き、晝間類が入室した。彼女はなぜか男物のスーツを着ている。
「晝間類、お前のやっていることはわかっている!一緒に来てもらうぞ!」
俺はすかさずそう告げて、彼女に書類を突きつけた。
すると、彼女は眉間を寄せる。
「‥‥嫌だ」
断固とした否定の言葉が返ってきた。
俺は落胆し、「AKIMORI」の新作ケーキ年間無料チケットを床へ落とす。
――‥‥ダメか。
今日も彼女のハートを捕えるチャンスは得られなかったようだ。
「資産調査の結果はどうだった?」
類が俺に尋ねる。
「‥ああ、そういえばその件で来たんだった。三井住友銀行の目黒支店に定期貯金がある。金額も条件を満たしてるよ。‥はい、報告書」
「そういえばって、本題を忘れるなよ‥。ありがとう。これで手続きが進められるよ」
すると、類の横に美女が立っていることに気が付いた。心なしか俺を睨んでいるように感じる。
「類、その人は?」
「‥気安く呼ぶなって言ってるだろ。蹴るぞ」
彼女が俺の左足の筋腱移行部の比較的筋の薄い部分を狙って蹴る。
「ごめん‥。それで、その人は?」
隣の美人に視線をやる。類とは違って背が低く、胸もあり、女性らしい容姿だ。
もっとも、そんなこと言おうものなら、類に殴られる。彼女は自分の容姿‥特に胸を気にしているらしい。俺に言わせれば、それも魅力の一つなのだが。
「この人は僕の助手だよ。先月から働いてくれてる、円谷ひなたさん」
円谷さんがぺこりと頭を下げる。可愛い。
俺の考えてることを読み取ったのか、類が意味深な視線を送る。
「ひなたに手を出そうとしても、無駄だよ。ひなたは僕の言うことなら何でも聞くんだからね‥」
円谷さんを見ると、彼女は赤面してうつむいている。
「え‥、たった1か月で、そこまで調教を‥?」
「ちょ、調教って‥!何考えてるんですか!晝間さんも、変な嘘をぺろっと言わないでください!」
円谷さんが勢いよく反論し、俺はびくりとする。
「な、なんだ‥。冗談か‥」
少しがっかりしている自分がいる。
「俺は探偵の大久保画流です。よろしく」
円谷さんに名刺を渡す。
「類‥ぐっ‥‥晝間の助手なんて、大変でしょ。めちゃくちゃな生活を送ってるからね」
「‥お前が僕の何を知ってるんだよ」
「最近のお気に入りはブルーチーズケーキ‥」
「死ね!」
類が少し腰を落とし、ウェイトの乗った左のボディブローを深めに打ち抜く。
女性なので当然だが、類は力が強くはない。‥でもこの腹パンは痛い。
「もう慣れました。それに、色々と楽しい仕事だし」
円谷さんが俺の質問に答え、むふふと笑う。
ちょっと笑い方が気にかかるが、可愛い。
――‥円谷さんもいいかも。
「大久保‥」
類に呼ばれ、視線をやる。
「とっとと帰れ」
俺はつれなく追い出された。
「あの大久保さんっていう人、どういう人なんですか?」
類さんが彼を追い返した後、私は聞いた。
「たちの悪いストーカーだよ。探偵としての能力を、女を追い回すことに使ってる」
類さんがボヤく。
働き始めてわかったことだが、類さんは多少気分屋なところがある。
「円谷さんも本気で気をつけた方がいいよ‥。でも、探偵としての腕はいいんだよね」
彼女が軽くため息をつく。
私達は会議室を出て、事務所に戻る。
類さんは彼から受け取った報告書をキャビネットにしまう。
「資産調査って言ってましたけど‥、それもぷち弁護士の仕事なんですか?」
「うん‥。交渉が成立しなかった場合、裁判を起こすことになるんだけど、その時に考えなきゃいけないことが相手に資産があるかどうかなんだよ。聞いたことあるかもしれないけど、苦労して勝訴判決を取っても、相手に資産がなけれはただの紙切れだからね‥」
判決が紙切れになるっていう表現は、どこかで聞いたことがある。
「大久保さんに調査を頼んだってことは、これから裁判を起こすんですか?」
「そうだよ。‥今回は偽造案件じゃないから、円谷さんもやってみる?」
「やります!」
やった。正直事務作業には飽きて、最近は類さんの寝顔を眺めることがもっぱらの楽しみになっていたのだ。
さっそく打ち合わせを行う。
事件の概要は以下の通りだ。
先月の初め、深夜に渋谷マークシティの啓文堂前で人が殴られるという事件が発生した。被害者は全治1ヶ月の怪我を負い、警察へ被害届を出したが、被疑者は現在容疑を否認している。
そこで、民事的にも治療費・慰謝料等の損害賠償請求をするという案件だ。
依頼者(被害者)の名前は、干貝絵衣(ほしかいえい)、20歳の大学生。
相手方(加害者)の名前は、早乙女殴蹴(さおとめおうしゅう)、26歳の無職。
請求金額は治療費・通院費の合計金20万円、プラス、慰謝料として金100万円の合計金120万円だ。
「慰謝料の額は、どうやって計算するんですか?」
「最終的には裁判官がその事件の諸々の事情を考慮して判断することになるから、ケース・バイ・ケースだね‥。だから、過去の判例や文献を参考にして金額を決めて、請求する」
――はっきりとした基準はないのか。
「今回偽造はしないって言ってましたけど、証拠は何があるんですか?」
「医師の診断書と被害直後の写真、あとは相手方の供述調書だね。今は相手方が加害行為を否認しているけど、事件直後は殴ったことを認めてたんだ。‥だから今回の争点は、請求が認められるのは当然として、金額がいくらになるのかってことかな」
「なるほど‥ちょろい案件ですな」
私が調子をこいた発言をしたあと、類さんがこちらの主張を記載した書面(訴状)を作成し、証拠と一緒に私が裁判所へ提出した。
今から20年前、急進的な司法制度改革が行われ、弁護士、裁判官、検察官の法曹3者の人口が大幅に増加した。
その他にも司法試験の受験資格が緩和されるなど、様々な改革が行われたが、国民にとってもっとも大きな影響を与えたものの1つが、裁判手続の大幅な短縮だ。
従来は、提訴をしてから第1回期日が行われるまで早くて1か月。その後の続行期日も1か月毎に行われるのが通常だった。しかし、この改革によって期間が大幅に短縮され、2週間毎に期日が開かれるようになったのだ。
訴状を提出して2週間後、私は類さんと一緒に裁判所に来ていた。
――ひゃー‥裁判所には書類を出しに何度もきてるけど、緊張しまっす。
私達は荷物検査を受け、裁判所内へ入る。
エレベーターに乗り、第1回期日の行われる法廷へ移動する。
ちなみに、裁判所の地下には食堂や本屋がある。私はときどきそこの食堂で、堅苦しいおじさま達と肩を並べてランチをとる。裁判所でランチを食べるのは、なんか働いてるって感じがして好きなのだ。
私と類さんは法廷に入り、傍聴席に座る。まだ裁判官は入廷していない。
類さんを見ると、いつもより心持ち凛々しい顔をしている。
――痺れるぅ‥。
――‥っていうか、私、このままで大丈夫かな‥。
第3者が私の最近の行動を神の視点で眺めていたとしたら、変態に思われているような気がする‥。いや、誓って後ろめたいことはしてませんけども‥。
「円谷さん‥」
類さんに呼ばれて顔を上げると、いつのまにか裁判官が入廷し、みんな起立していた。
私は慌てて起立し、礼をする。
――起立、礼をしたのって、中学校以来だわ‥。
みんなが着席し、私も座る。
続いて、真っ黒な法服を着た事務員らしき人(あとで類さんに聞いたら、廷吏(ていり)というらしい。)が事件番号と名前を読み上げ、呼ばれた2人が傍聴席から柵を抜け、入廷した。
5分ほど裁判官とごにょごにょやって、退廷する。
私は眠くなってきた。今日はいい陽気な日だ。
「代理人の晝間類さん」
暫くすると、類さんの名前が呼ばれた。類さんは立ち上がり、入廷する。
――えーと、私も付いて行っていいのかな‥?
とことこと類さんのあとに続き、向かって左側の原告席に座る。特に誰も何も言わないってことは、私もここにいていいんですよね?
裁判官がごにょごにょと話し、類さんがそれにぺらぺらと返答する。
――あの裁判官、まさに裁判官って顔してるわね‥。なんで裁判官ってあまり精気が感じられないのかしら‥。あとで類さんに聞いてみよう。
私がぼーっと裁判官を見ていると、類さんから声をかけられた。
「あ、はい‥?」
「もう終わったから、出るよ」
類さんが立ち上がり、私に言う。
「え‥もう?」
私は慌てて立ち上がり、類さんの後ろにくっついて法廷を出た。
こんな感じで第1回期日は終了した。
「相手方、裁判所に来ませんでしたね」
帰りの電車の中でつり革にぶら下がりながら、私が類さんに言う。
「そうだね‥。相手からは事前に答弁書が出ていたから、出廷しなくてもペナルティとかはないけど‥。相手には和解をするつもりはないってことだね」
――和解をするつもりはない、か‥。
相手方が提出した答弁書には、加害行為を全面的に否定する主張が書かれていた。
――こっちには証拠もあるのに、相手は何を考えてるんだろう‥。ばかなのかな。
和解をしなければ、判決が出るだけだ。相手は単にやけくそになっているんだろうか。チンピラならありうる話だ。
次回期日は2週間後。このままいけば、その日にこちらの勝訴判決が出る。
ところが、そう上手くは行かなかった。
第1回期日から1週間後、相手方から新たな主張と、驚くべき証拠が提出されたのだ。
「そんな‥」
相手方の早乙女欧蹴が、不起訴処分となった。
そして、相手方がその刑事記録(不起訴記録)を証拠として提出したのだ。
「早乙女が犯人じゃないってことですか‥?」
「‥信じられないけど、警察はそう判断したみたいだ」
――一体なぜ‥?
類さんは急いで提出された不起訴記録に目を通す。次回期日までもう時間がない。
「警察が早乙女を嫌疑不十分とした理由は、監視カメラの映像だ」
類さんが呟く。
「監視カメラ‥?」
「早乙女が犯行時刻に新宿の居酒屋で監視カメラに映っている。これじゃあ、早乙女に犯行は不可能だ」
「やっぱり、早乙女が犯人じゃないってことですか?でも、供述では当初犯行を認めてたんですよね‥」
「くそ‥!時間がない!」
類さんが立ち上がり、珍しく悪態をつく。
「監視カメラの映像を入手して、詳しく分析する必要がある。‥しかし、証拠の信用性についてこちらが異議を述べたとしても、裁判所は期日の延期をしないだろう。なにせ、警察の捜査記録だ。もともとの信用性が高い」
「すぐに判決が出るってことですか‥?」
――今の状態で判決が出たら、勝てる可能性は低いんじゃあ‥。
類さんは、急いで証拠の信用性が疑わしい旨、期日の続行を求める旨を裁判所へ上申した。
しかし、上申は却下され、敗訴判決が下された。
類さんは、判決の出たその日のうちに控訴をした。
今回敗訴判決を出したのは東京簡易裁判所で、控訴(不服申立て)をしたことによって、今後は上級裁判所である東京地方裁判所で審理がされることになる。
事情を説明すると、依頼者の干貝絵衣さんは間違いなく早乙女欧蹴に殴られたんだと私達に証言する。
私の勘では、早乙女欧蹴が犯人で間違いない。いかにも犯人っぽい名前ではないか。
絵衣さんは半年前に街中で声をかけられ、早乙女と知り合ったそうだ。その後、交際をするようになったが、だんだん早乙女が暴力を振るうようになり、別れを申し出たところ今回の事件が起こったとのことだ。
「とにかく、監視カメラの映像を詳しく分析してみます」
類さんは干貝絵衣さんを元気づけ、会議室を出る。
私には絵衣さんが嘘をついてるようには思えない。しかし、彼女の態度がなにか引っかかる。必要以上に相手に怯えてるような‥。報復を受けることを心配しているだけかもしれないが、助手の勘は当たるものと相場は決まっている。
「あの、ちょっと気になることがあるので、絵衣さんと話をしてきます」
類さんは振り返って私を見る。
「そう‥、それじゃあそろそろ終業時間だから、そのままあがっていいよ。お疲れさま」
敗訴判決が出て落ち込んでいるのかと思いきや、類さんは意外と普段通りだ。この仕事を続けていると、敗訴も珍しくないのだろうか。気にならないでもないが、なんとなく尋ねにくい。
私は荷物を持ってRDL法律事務所を出る。
電車に乗って絵衣さんの下宿先に向かう。途中で思いついて、一度降りる。
絵衣さんの下宿先は、アパートというよりはマンションといった感じだった。女性専用のようで、セキュリティがしっかりしている。
守衛さんに声をかけ、絵衣さんを呼び出してもらう。
ロビーで5分ほど待つと、絵衣さんがエレベーターから降り、こちらへ歩いてくる。
「突然押しかけてごめんなさい。聞き忘れたことがあって、お邪魔しちゃいました」
「いえ、先程はありがとうございました。ロビーじゃあれなので、私の部屋でもいいですか?」
私は絵衣さんの部屋に入り、途中で買ってきた「AKIMORI」のケーキを出す。
「ここのケーキ、うまおになんですよ!類さんも大好きなんです」
「はあ、うまとおに、ですか‥?」
彼女は首をかしげる。
「それで、聞き忘れたことって‥?」
私は彼女が用意してくれた紅茶を飲み、口を開く。
「実は、何となくなんですが、絵衣さんが相手に怯えているように感じて。殴られたんだから怯えるのはムリもないんですが、それだけじゃない感じがしたので」
彼女は少し眉根を寄せる。
「早乙女の父親は、都議会議員なんです‥。だから具体的にどうってわけでもないんですが、もしかしたら何かされるんじゃないかっていう漠然とした不安があって」
「都議会議員‥」
父親が何らかの圧力をかけたってことは考えられるのだろうか。
「相手の父親が都議会議員だってことは、初めて聞いたんですが‥。なぜ今まで言っていただけなかったんですか?」
責められているように感じたのか、彼女は身体を縮める。
「すいません。隠していたわけではないんですが、実際に父親に会ったことはないし、今回の件と関係ないと思ったので‥」
――急いで類さんに伝えたほうがいいかな。
私は絵衣さんにお礼を言ってマンションを出る。
類さんのケータイにかけるが、電話に出ない。
――この時間なら、府中の事務所かな?そういえば、あれ以来あっちの事務所には言ってないなぁ。
うっかり類さんに求婚をした時以来だ。
――もしかしたら、私服の類さんを見れるかも。
京王線に乗り、うきうきしながら府中へ向かう。
「こんばんわー!」
地下室の扉を開き、声をかける。が、返事がない。
「あれ?出掛けてるのかな。でも、鍵は開いてるし‥」
カウンター越しに中を覗くが、彼女の姿は見えない。
――入ったらまずいかな‥。でも、助手だし、大丈夫だよね。
好奇心もあって、カウンターを抜けて中へ入る。
「類さーん!」
名前を呼びながら奥へ進む。
突き当りを左に曲がると、類さんの姿が視界に入った。
「類さ‥」
よく見ると、類さんの他にもう1人誰かがいる。私は咄嗟に陰に隠れる。
――る、類さんが2人きりで男と一緒に‥?
類さんが楽しそうに男と話をしている。
この間の探偵と違ってかなり親しそうだ。しかも、腹が立つことに結構なイケメンである。
「あ、あの野郎‥私の類さんに‥」
私の心に殺意が芽生える。
よく見ると、お酒を飲んでいるようだ。類さんが男によたれかかる。
「ぶぶぶ‥ぶち殺す!!」
私はなぜか床に転がっている鉄パイプを握る。
私の処刑宣告が聞こえたのか、男がこちらを振り向く。よく見ると、私の好みの顔だ。
――だからどうした!余計むかつくわ!
「地獄へおちろーー!」
私は泣きながら男に突進する。2人は口を開けて唖然としている。
――バキィ!
けたたましい音を立てて執務机が叩き割れ、書類が床へ散らばる。
「つ、円谷さん‥!?」
泣きじゃくる私を見て、類さんが驚愕の声を上げる。
「類さん、私というものがありながら‥。2人とも撲殺して私も死ぬ‥!」
「ちょ、ちょっと!!」
類さんが咄嗟に飛び退き、耳をつんざく激しい金属音が地下室に響く。
私はもはや目も当てられない状態だ。
「円谷さん、落ち着いて!」
すると、男が私を後ろから羽交い絞めにする。
「さ、触んなイケメン!エクスプロージョン!」
必死の抵抗を試みるが、男の腕力にはかなわず、瞬く間に私は鎮圧された。