Neetel Inside 文芸新都
表紙

どどめ色の露
人食い花

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 とある花が流行していた。
 その花を窓際に置ける様な小さな鉢で咲かせると、ダイエット効果のある香りを発生させるのだとか。うちの姉はそういうのに目がなくて、それをテレビで見かけた次の日には家中の窓際にその花の種が植えてある鉢が配置された。僕はうんざりしつつも、花は嫌いな方ではなかったので、文句は言わないようにしていた。
 姉は美人だった。ダイエットの言葉には必ず食いつくけれども、比較的痩せ型で、なぜそんなにダイエットにご執心なのか理解できなかった。姉は僕に優しくしてくれた。勉強も両親が心配になるような成績はとったことがないし、運動もダイエットの一巻としてやっているので、まるでできない訳でもない。
 姉はダイエット狂だということをのぞけば、僕のようなさえない男には家族でもない限り、接点の持ちようもない、完璧な女性なのだ。だから、花が嫌いでも僕は姉に文句なんか言わなかったと思う。
 ある日、学校の帰りに何となく花屋によって例の花がないか探してみた。姉の植えた奴はまだ芽すら出ていないし、どんな花が咲くのか興味があったのだ。テレビでは、花の名前だけは盛んに言っていたのに、咲いた花の実物はおろか、写真さえも放送されなかった。僕は、興味があったのだ。
 ところが、花屋ではもう売り切れてしまっていて、サンプルの写真などもおいてはいなかった。僕は無駄足を踏んだと思いながら、ルドベキアなんかを眺めて、すぐに帰ることにした。
 家に帰ると姉は元気を無くしていた。あれだけ購入したにも関わらず、花が一つも咲かないまま枯れてしまったのである。そういえば、姉の動植物の世話の下手さを忘れていた。あまり記述したくはないが、姉が飼ったペットは一週間以内に衰弱し、運が悪ければ死ぬ。今のところ被害は小動物と、植物に限られているが、姉が赤ん坊などをこしらえたらと思うと、背筋が凍る。これも姉の数少ない弱点といえる。
 ある時から、あの花の噂が荒唐無稽だが恐ろしいものへと変貌していた。一週間ほど前から始まったとされる連続殺人事件の現場に、必ずそのダイエット効果があるとされる花が咲いていたのだそうである。人食い花事件と呼ばれたその連続殺人事件は、現代に忘れられかけていた、オカルトじみた恐怖を再び蘇らせていた。
 その事件の被害者の遺体は、欠損が激しく足りない部位すらあったため、野生動物に食われたのではないかと噂された。一部では現代の切り裂きジャックとも呼ばれたが、肉体には明らかな歯形が残り、人々は”人食い”の呼称を好んで用いた。だが、一方で山の麓でもない、獣が隠れられるような林もほとんどない町中で、野生生物の仕業だというのは無理があるとの指摘もあった。
 だが、これらは自称目撃者がワイドショーで証言したものを元にした類推で、果たして当てになるのかわからない。肝心の警察はというと、遺体の状況を治安維持の名目のもと伏せていた。証言通りであれば、人々の混乱を煽ると考えたのだろう。だが、この対応がかえって噂の信憑性を高め、町中に潜む野獣の噂が不気味な都市伝説のごとく人々を支配した。これに悪のりしたのか、本気でそう思ったのかは判断できないが、見も知らぬ野獣ではなく、事件現場の共通点、ダイエット効果のある花が、人間を食べてしまったのだという噂までが立ち始めた。それがすなわち人食い花である。人々は非公式だが圧倒的な浸透度を持った人食い花事件という言葉を、合い言葉の様に囁き合った。
 噂はあっと言う間にエスカレートしていき、本来薄い黄色のはずのその花弁が、血で真っ赤に染まっていた、等とのたまう輩まで出る始末だった。姉は、この噂を聞いてきたその日の夕餉に、枯れちゃっててよかったわ、などといっていた。僕はその言葉が残酷に聞こえて胸が痛んだが、噂を信じてはいないつもりでも姉と同様安心していたように思う。
 人食い花事件は、僕が住んでいる地域だけではなくて、全国に広がっていた。たった二週間程度の間に、北海道で一件、東北で二件、関東ではなんと五件、近畿で二件、九州で一件と、一日に一件近く起こっている計算になる。そこで、単独犯の線は消えた。東北の一件と、九州の一件の犯行推定時刻がたった一時間の差しかなく、組織ぐるみの犯行か、模倣犯によるものかとも考えられたが、誰もが噂でしかない筈の被害者が食われた形跡に引っかかっていて、人間の犯行だと思えないでいた。
 だが、一方で、野犬や野良猫の犯行と言い切れる材料にも乏しかった。もし市街地で口の周りを鮮血に染めた犬や猫が居たら目立つはずだ。それに、被害者宅で飼われていた動物たちは近所の人間の証言によると、主人がそんな状態にも関わらず鳴き声の一つも上げなかったのだという。被害者の家族たちはどの事件の場合でも外出していて、被害者は家に一人でいたのだというが、年齢や性別はバラバラだ。
 もう一つの噂が流れ始めた。暗殺集団が、被害者家族の依頼を受けて、無職の穀潰しを殺害したのだと。なんだか、一気に作り話臭くなった気がした。そもそも、死体に噛みつかれた痕等なく、動物たちは犯行中薬か何かで眠らされていて、ただナイフか何かで殺されただけではないか。噂が尾鰭をつけすぎて、まるで大魚に見えているだけではないか。しかし、これでは警察の対応や、全国的な連続殺人として取り扱われている事実に納得がいかない。僕は納得がいかなかったが、僕の両親などはこの陰謀説じみた推論が的を射ていると考えたらしく、それで納得して以降この話題を出す事も、話題に乗ってくる事もなかった。たしかに、犯人が暗殺集団などと言う陳腐な組織名でなければ、幾らか納得がいく様な気もする。
 どれもこれも噂の域を出ない社会の暗部の話ではあるが、金さえ積めば殺人を含めた犯罪行為を請け負うような集団もいるらしい。犯行が全国に亘ったのは、インターネットの普及により、宣伝が全国的どころか、言語さえ通じれば全世界的なものと言えるようになった為かも知れない。金に困った連中が、組織立って殺人を犯した。
 とまあ、おおむね事件の概要と推論はこんな所で、噂の量に比べると、正規の情報は圧倒的に少なく、疑問に思えど答えに辿り着けよう筈もない状態だった。
 姉は今度はヨガにはまったらしく、新しく買ってきたマットの上に不安定な姿勢のまま、身体の細い線が露骨に浮かぶ服で、艶めかしくねじれていた。僕はどうしても気になってしまって、ちらちらと姉の方を見やると、時々彼女と目が合う。姉の部屋は散らかっていて充分な広さが無いのだ。姉は気が散るなら廊下でやると言うが、僕は自分もヨガに興味が有るだけだと、くるしい言い訳をする。だが、途中から姉は僕をからかっているのだと気付いた。最初は本気で廊下でやるつもりだったのかもしれないが、今は僕に自分の身体を見せつけているのだ。僕はそれが何となく癪だったので出かけることにした。日は沈みかけているが、駅前の本屋くらいだったら沈む前に往復できる。別に日なんかいくらでも沈んで構わないのだが、今日の晩ご飯はカレーらしいので早めに帰ろうと思っていた。そういえば、姉がヨガをやっているのと、夕餉の献立がカレーなのは何か関係が有るのだろうか。
 春先の街は穏やかな涼しさが占領していた。散歩にはちょうどいい。駅前は部活帰りの高校生が空腹に喘ぎながら足早に歩いていた。電車が鉄のレールを規則的に叩く。恐らく部活ではなく、ファミレスか喫茶店で時間を潰したのだろう女子高生たちが黄色い声を上げながら、丸でスクラムを組んでいるかのごとく横並びに進んでいく。
 駅前の本屋は、個人で経営している小規模なもので、品揃えも大型書店と比べるとまるで足りないが、注文には丁寧に応えてくれるし、小中学校に教科書を納品しているので、経営は安定しているらしい。僕は、授業で紹介されて気になっていた芥川龍之介の河童が無いかと文庫を物色するつもりでいたが、平積みされているペーパーバックが目にとまった。例の人食い花の特集だった。未だ2週間と数日しか経っていないと言うのに、もうペーパーバックにするほどの情報を手に入れたのかと感心しながら、手に取って、立ち読みを始めた。中身はネットなどで手に入る様な内容ばかりだったが、よくまとめられている様子だったので、興味本位で買う事にした。


     



 カレーは激辛だった。やはりダイエットの一環だ。姉はヨガではなく、インド式ダイエットを始めていたのだ。時々母が姉のダイエットに加担する事が有るが、食を握っている母が姉の側につくと、無関係の人間には地獄と言って差し支えない性質の悪い生活が始まる。新陳代謝を高める為だか知らないが、カレーは激辛に為り、朝食に脂っこい物を食べさせられたその晩には、レタス一枚しか出されなかったり、継続してくれるなら慣れようもあるが、母娘揃って飽きっぽいので、一週間以上続いた試しがない。僕は唇を真っ赤にしながら、自室に戻り、ペーパーバックを開いた。
 改めて読み直してみると、独自取材をした記事が述べ10ページほどあり、そこには初めて見た情報もあった。関東での一件を除き、殆ど全ての被害者宅では、複数匹の犬か猫を飼っており、そのペット達は無くなった主のそばに寄り添って血まみれになっていたと言うのである。だが、自称被害者遺族Aさんの話で、ご丁寧に漫画での再現まであったから、やはり嘘っぱちかもしれない。その上、人食い花の香りにあるのはダイエット効果ではなく幻覚をもたらす、違法薬物のごとき性質なのだとまで書かれていたのである。全国的に有名になった植物がその手の調査を終えていないとは思えない。
 僕はばかばかしくなって本をそっと閉じた。また、この噂が下火になって懐かしくなった頃にでも読むとしよう。明日の休日は少し遠出をしようと思った。
 現実のものが見たかった。嘘っぱちの文章でもなくて、印象を意図的に誘導しようと言うようなプレゼンテーションでもなくて、ただそこにあるだけの、疑いようのない事実が。
 僕はそういうモノを見つけようと思い、通学用の定期券を片手に普段降りない駅で降りた。例えば、山や川とか、何十年も維持されている建造物とかが、僕の目当てだった。実際は神経質になるほどではなかった筈だが、この二週間ずっと夢の中でさえ人食い花の事を考えていたような気さえしてくる。それだけ、辺りがしようのない噂に溢れていたということなのだ。姉に言わせるとそれは僕が気にしているから、他にも多種多様ある情報から無意識に其ればかり選択してしまっているらしい。自分ではよく分からないのだが、視野が狭くなっているのならば、一度気にしている事を棄ててしまうのも一つの手かもしれない。
 初めて見る街は、なんだか息苦しかった。求めていた爽快さはまるでなかった。だが、それでも新しい物を目前にしたわくわく感はあり、駅が見えなくなるまで歩いてみることにした。
 線路沿いに歩いて行くと、トンネルを通してある小高い山に出くわした。悪戯心が騒いで登ってみようかとも思ったのだが、獣道すら見当たらない鬱蒼とした茂みに囲まれ、帰りに電車に乗る事を考えると、今一つ踏み切る事が出来なかった。ふと足元に鉢をひっくり返したように土が盛られているのに気付いた。黄色い花弁が土の下からのぞいている。僕は直感した。あの花だ。人食いと呼ばれた、可憐な花。不気味な噂に耐えきれなくなった人がこの人気のない所に捨てて行ったのだろう。僕はその花が哀れに思えたが、手に取る勇気もなくてそのままそこに放置した。だが、これでもまだ、僕が無意識に人食い花の噂の影を追っていると言うのだろうか。何か因果じみたものすら感じていた。
 僕は細心の注意を払いながら、茂みの奥へと行ってみることにした。僕は今一つ観察力が不足しているようで、少し茂みをかき分けると、無いとばかり思っていた獣道が隠されていた事に気付いた。僕は変に興奮していて、これは天のお導きだとさえ思った。
 僕が導かれた先には大量に遺棄された人食い花が有った。
 むせかえるような香りと、ぼんやりと輝きを放つクリーム色の花弁。僕はふと、ばかばかしいと思った筈の幻覚作用を思い出した。鼻を袖で覆ったその時だった。山の獣、タヌキや野鳥、猫までが僕の目の前に迫って来た。ほんの数匹ではあったが、明らかに普通の状態ではなかった。僕は後ずさりをして、何か武器に為る枝でもないかと足元を探った。すると、手頃な棒の感触が有ったので拾い上げると、それは人骨だった。怯えた僕が視線をそちらに向けると、食い散らかされて僅かの肉片と骨ばかりに為った哀れな被害者が、棺桶の様な窪みに嵌っていた。僕は骨を投げ出すと、威嚇し続けている動物達に視線を戻した。きっと、あの遺体は人食い花を棄てに来た処を、此の野生動物に襲われたのだろう。
 僕は確信しかけていた。人食い花の幻覚作用、血まみれのペット、食い散らかされた被害者、そして、例外の一件。鼻が利くためか、体格が小さいためか、人間より早く幻覚を見始めた動物達が、怪物と間違えたか、獲物と思ったのか、人間を襲ったのだ。そして、ペットを飼っていなかった家では、もしかすると二人の人間がお互いを食い合うと言う地獄絵図を演じていたのではないだろうか。警察はこの尋常ではありえない事件を、直ぐに公表するのは避けたかった。だから、他の事件まで連続殺人と言う形で括り、推測される事すら防ごうとしたのだ。
 だが、人食い花の処分を促す様な指示は出ていない。警察は人食い花の香りが持つ特殊な効果を知らなかったのだろうか、或いは科学的根拠に乏しいと言う事で処分命令には至らなかったのか。花の流行は全国的なもので対処のしようが無かったのか。いや、人食い花の効果は僕が勝手に確信しただけで、根拠もない。人々は頼りない噂を信じて、人食い花を自主的に処分した。だが、燃やさなければだめだ。何故こんな生物のいる場所にそのまま捨ててしまったのか。おかげで犠牲者が増えてしまったではないか。
 僕は誰に言うともなしに文句を思い浮かべながら、動物達の敵意の目を見つめ続けていた。しかし、何時までもそうしている訳にはいかない。袖を鼻に当てるだけでは、幻覚作用を抑えられるとも言い切れない。動物からも花の香りからも、僕は逃げなければならなかった。少しずつ後ずさりを始める。枯葉がガサガサとなる。動物達もじりじりと距離を詰めてくる。動物は兎も角、こんなに時間をかけては幻覚作用から逃げることが出来ない。僕は意を決して、一目散に走り出した。僕は猫があんなに速く走るとは知らなかった。あっという間に追いつかれ、猫は僕の背中に噛み付いた。爪が、牙が、背中の肉に食い込む。だが、立ち止まる訳にはいかない。転がり落ちる様に、獣道を真っ逆様に走る。
 タヌキに右腕を引っ掻かれ、鳥のくちばしが後頭部を何度か突いた頃、漸く麓に辿り着いて、勢いよく茂みから飛び出すと、背筋の伸びた中年の男性がスコップと鉢を持って立っていた。彼は僕の状態を見て驚いた様子だったが、手に持った武器で動物達を追い払ってくれた。斯うして僕は九死に一生を得たのである。
 警察とのやり取りの所為で、土日は潰れてしまったが、この件がきっかけで、花の焼却処分が決定したと思うと半ば誇らしい。僕を救ってくれた男性は、ダイエット狂の娘から取り上げた人食い花を茂みに捨てて来たは良いが、効果がはっきりと分からないとはいえ、人目につくような場所ではまずいのではないかと思いなおし、もっと山奥へ捨てに行こうと引き返して来たところだったそうである。
 かくして、13人の被害者を出した人食い花事件はひとまずの収束を見た。流行りの元凶となったテレビ局、対処が遅れた警察と、幾らか責任を追及されることとなった組織、人物もあったが、生物を惑わす、魔性の花は販売禁止となり、これらの話も他の都市伝説と同様に何時しか人々の記憶から失われていった。


       

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Neetsha