肝試し三人組
第一話 首のない幽霊
第一話 首のない幽霊
-1-
「初めまして、一ノ宮かずやです。よろしくお願いします」
と言ってからクジを引く。35番、窓際の奥の席だった。
黒板の隅っこに書かれた今日の日付を見て、入学式を終えて一ヶ月が経ったのを知った。教室の窓から見えていた桜の花も、今見てみると緑色の葉に置き換わっていて驚いた。まだ黄緑色の艶々した葉っぱが突風に揺れる。そう言えば最近、空気が湿ってきた気がする。
新生活に浮き足立つ僕を置き去りにして、季節はさっさと梅雨の準備を始めていた。一ヶ月をこんなに短く感じたのは生まれて初めてだった。短く感じる原因は、この一ヶ月間、びっくりする程何にも起きなかったからだろう。
入学式の時に感じた新生活への期待と、見知らぬ人達に紛れ込む不安は、未だに僕の心の片隅で燻って、消えかけの焚き火の様な黒い煙を出している。
キーンコーンカーンコーンキーン。
休憩時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。
新しい校舎には少し慣れてきたけれど、小学校の頃とは違う音のチャイムは未だに慣れない。中学では1回余計に鳴るから、いつもガクッと来る。無意識の内にチャイムの鳴り終わるタイミングを覚えてしまっていたのだ。義務教育の六年間は、そんな風に僕の深層心理にまで影響を残していた。
友達を作れていれば少しは気が紛れるのだろう。周りの同級生達はチャイムが鳴ってから先生が来る迄の短い間でさえ無駄にすまいと、各々が友達の輪を作っている。
そして僕は、ぽつん。
別に悲しくはない。人生、長い目で見れば、こんなのは一瞬の出来事だ。虐められている訳でも無く、無視されてる訳でも無い。ただ、友達の輪の中に入りそびれた。それだけだ。
「よーし、席に座れー」
担任がやって来て、ホームルームが始まった。一応耳を傾けるが、いつも通り自分の嫁さんの自慢に話が逸れて行ったので、視線を再び桜の若葉に戻した。
僕は親の仕事の都合でここ、平坂に引っ越してきた。時期は丁度小学校を卒業してからだった。変な時期に転校になるよりも、皆と一緒に入学出来るのは運がいい、そう思っていたが、それほど良くも無かった。
僕が通っている平坂第四中学校は同名小学校と校舎が繋がっている。地元の子供達はこの小学校に通い、卒業し、そして同じ敷地内の中学に入学する。つまり、今楽しそうに笑っている同級生達は全員が幼馴染で、気心の知れた親友同士なのだ。その中に一人、中学から入学して来た僕が居る。
実質的に僕は転校生なんだ。
この完成された友達の輪に易々と入れる程、僕は人付き合いが上手い訳じゃなかった様だ。もう少し上手いとは思っていたけれど……。
こんな事を悶々と考えていると、良からぬ想いが浮かんでくる。『みんなもっと僕に優しくしろ!』とか、『これだけ大人数なんだから、誰か一人位気を利かせて話しかけろ!』とかだ。
でも、みんな十分優しいし、それなりに気を使ってくれているんだ。判っているつもりだ。
別に悲しくはない。でも、寂しいなぁ。
「……なぁ」
突然、声を掛けられた。声の主へ視線を移す。黒ぶち眼鏡を掛けた、眉の太い男の子だった。肩に乗せたリュックのベルトを片手で握っている。名前が出てこないが、確かクラスメイトだ。
「ホームルーム終わってるよ」
周りを見渡すと、教室は閑散としていた。ぼーっと桜を眺めている内に、先生の自慢話は終わっていたようだった。
「本当だ。今気付いた」
「そっか」
そこで会話が止まった。彼は突っ立ったまま僕の顔を見ていた。僕は目を逸らすタイミングを失ってしまい、そのまま彼を見つめ返した。彼の顔は左目が二重なのに、右目が一重の、なんだかアンバランスな顔付きだった。彼の顔を見て初めて気付いたが、二重と一重では目の開き方が随分違う。一重は瞼が厚ぼったく、眠そうに見える。一方二重は大きく見開かれ、活き活きして見えた。
「あの桜の樹さぁ」
彼はフッと顔を逸らすと、窓の外に揺れる樹を指差した。
「知ってる?」
「何を?」
彼は急にジェスチャーを始めた。手をごにょごにょして、まきまきしたかと思うと、首の周りをぐるぐるして、最後に後頭部から上にキュッと引っ張った。彼の口から舌がはみ出る。
「……首吊り?」
「噂があるんだ」
幽霊――と彼は続けた。
一陣の風が桜の樹を大きく揺らした。若葉の音がさわさわと、僕の背筋に鳥肌を立たせた。
「夜な夜な、校舎を彷徨っているんだって。あんまりにも勢いをつけ過ぎたから、首が取れて無くなっちゃったんだって。だから、その首を探してるんだって」
首のない幽霊が、真っ暗な廊下をひたひた歩いている所を想像した。
――いけない!
そう思った時には既に遅かった。視界が現実を離れ、悪夢が五感を奪い、妄想が暴走を始める。
きっと首が取れた時の出血で全身血まみれなんだ。辺りを見回そうにも頭がないので、残った首だけがクリクリと左右に捻じれるんだ。そして行方不明の頭に呼びかけるんだ。「おーい、頭ー」って。でも口が無いから喋れなくって、首元から息を出すので精一杯なんだ。目も見えないから手探りで、ひゅーひゅー言いながら彷徨っているんだ……。
心と体、人間の全部がゾッとした。
自慢じゃないが僕は怪談が大の苦手だ。苦手故に妄想が止まらなくなってしまうという最悪の癖がある。ちょっと怖い話を聞くと、頭の中で想像が膨らんで、聞いた話の何倍も怖いものにしてしまう。前の学校では「反応が面白い」と、性質の悪い同級生に執拗にからかわれた。
新しい学校ではそんな状況になるのは絶対に避けたい。僕は出来るだけ平静を装って、ふーんとだけ答えた。
答えた直後、鳥肌が波の様に押し寄せてきた。もう少し遅く答えていたら声が震えていただろう。危なかった。
僕の必死の返答を聞いて、彼はまた無言になっていた。どれだけ誤魔化せたのだろうか……彼の顔を見ても全く判らなかった。
「それじゃ」
そういうと彼は、黒いリュックのベルトを両肩に乗せると、さっさと帰っていった。新品の上履きが擦れる音が廊下に響いて、やがて消えた。
静かになった教室を僅かに傾いた西日が照らしている。
今のは何だったんだ。彼は何がしたかったんだ。一人ぼっちの僕を気遣って話しかけてくれたのか? それはそれで有り難いが、よりによってその話題が“怪談”だなんて……勘弁してくれ。
彼の去った廊下を眺めていると、後ろから不気味な音がした。唸る様な低い音だった。僕は座っていた椅子から飛び上がって振り返った。窓の外で桜の枝が風に揺れている。今の音は窓から漏れた風の音だった様だ。絶対そうだ。それしか考えられない。そう思いたい。多分そうだ。きっとそうだ。きっと……でももしかしたら……。
太陽が雲に隠れ、教室が一気に暗くなった。
鳥肌の波が押し寄せる。
僕は机の横に掛けていたカバンを引っ掴んで教室から逃げ出した。
多分、今夜はトイレにいけない。
-1-
「初めまして、一ノ宮かずやです。よろしくお願いします」
と言ってからクジを引く。35番、窓際の奥の席だった。
黒板の隅っこに書かれた今日の日付を見て、入学式を終えて一ヶ月が経ったのを知った。教室の窓から見えていた桜の花も、今見てみると緑色の葉に置き換わっていて驚いた。まだ黄緑色の艶々した葉っぱが突風に揺れる。そう言えば最近、空気が湿ってきた気がする。
新生活に浮き足立つ僕を置き去りにして、季節はさっさと梅雨の準備を始めていた。一ヶ月をこんなに短く感じたのは生まれて初めてだった。短く感じる原因は、この一ヶ月間、びっくりする程何にも起きなかったからだろう。
入学式の時に感じた新生活への期待と、見知らぬ人達に紛れ込む不安は、未だに僕の心の片隅で燻って、消えかけの焚き火の様な黒い煙を出している。
キーンコーンカーンコーンキーン。
休憩時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。
新しい校舎には少し慣れてきたけれど、小学校の頃とは違う音のチャイムは未だに慣れない。中学では1回余計に鳴るから、いつもガクッと来る。無意識の内にチャイムの鳴り終わるタイミングを覚えてしまっていたのだ。義務教育の六年間は、そんな風に僕の深層心理にまで影響を残していた。
友達を作れていれば少しは気が紛れるのだろう。周りの同級生達はチャイムが鳴ってから先生が来る迄の短い間でさえ無駄にすまいと、各々が友達の輪を作っている。
そして僕は、ぽつん。
別に悲しくはない。人生、長い目で見れば、こんなのは一瞬の出来事だ。虐められている訳でも無く、無視されてる訳でも無い。ただ、友達の輪の中に入りそびれた。それだけだ。
「よーし、席に座れー」
担任がやって来て、ホームルームが始まった。一応耳を傾けるが、いつも通り自分の嫁さんの自慢に話が逸れて行ったので、視線を再び桜の若葉に戻した。
僕は親の仕事の都合でここ、平坂に引っ越してきた。時期は丁度小学校を卒業してからだった。変な時期に転校になるよりも、皆と一緒に入学出来るのは運がいい、そう思っていたが、それほど良くも無かった。
僕が通っている平坂第四中学校は同名小学校と校舎が繋がっている。地元の子供達はこの小学校に通い、卒業し、そして同じ敷地内の中学に入学する。つまり、今楽しそうに笑っている同級生達は全員が幼馴染で、気心の知れた親友同士なのだ。その中に一人、中学から入学して来た僕が居る。
実質的に僕は転校生なんだ。
この完成された友達の輪に易々と入れる程、僕は人付き合いが上手い訳じゃなかった様だ。もう少し上手いとは思っていたけれど……。
こんな事を悶々と考えていると、良からぬ想いが浮かんでくる。『みんなもっと僕に優しくしろ!』とか、『これだけ大人数なんだから、誰か一人位気を利かせて話しかけろ!』とかだ。
でも、みんな十分優しいし、それなりに気を使ってくれているんだ。判っているつもりだ。
別に悲しくはない。でも、寂しいなぁ。
「……なぁ」
突然、声を掛けられた。声の主へ視線を移す。黒ぶち眼鏡を掛けた、眉の太い男の子だった。肩に乗せたリュックのベルトを片手で握っている。名前が出てこないが、確かクラスメイトだ。
「ホームルーム終わってるよ」
周りを見渡すと、教室は閑散としていた。ぼーっと桜を眺めている内に、先生の自慢話は終わっていたようだった。
「本当だ。今気付いた」
「そっか」
そこで会話が止まった。彼は突っ立ったまま僕の顔を見ていた。僕は目を逸らすタイミングを失ってしまい、そのまま彼を見つめ返した。彼の顔は左目が二重なのに、右目が一重の、なんだかアンバランスな顔付きだった。彼の顔を見て初めて気付いたが、二重と一重では目の開き方が随分違う。一重は瞼が厚ぼったく、眠そうに見える。一方二重は大きく見開かれ、活き活きして見えた。
「あの桜の樹さぁ」
彼はフッと顔を逸らすと、窓の外に揺れる樹を指差した。
「知ってる?」
「何を?」
彼は急にジェスチャーを始めた。手をごにょごにょして、まきまきしたかと思うと、首の周りをぐるぐるして、最後に後頭部から上にキュッと引っ張った。彼の口から舌がはみ出る。
「……首吊り?」
「噂があるんだ」
幽霊――と彼は続けた。
一陣の風が桜の樹を大きく揺らした。若葉の音がさわさわと、僕の背筋に鳥肌を立たせた。
「夜な夜な、校舎を彷徨っているんだって。あんまりにも勢いをつけ過ぎたから、首が取れて無くなっちゃったんだって。だから、その首を探してるんだって」
首のない幽霊が、真っ暗な廊下をひたひた歩いている所を想像した。
――いけない!
そう思った時には既に遅かった。視界が現実を離れ、悪夢が五感を奪い、妄想が暴走を始める。
きっと首が取れた時の出血で全身血まみれなんだ。辺りを見回そうにも頭がないので、残った首だけがクリクリと左右に捻じれるんだ。そして行方不明の頭に呼びかけるんだ。「おーい、頭ー」って。でも口が無いから喋れなくって、首元から息を出すので精一杯なんだ。目も見えないから手探りで、ひゅーひゅー言いながら彷徨っているんだ……。
心と体、人間の全部がゾッとした。
自慢じゃないが僕は怪談が大の苦手だ。苦手故に妄想が止まらなくなってしまうという最悪の癖がある。ちょっと怖い話を聞くと、頭の中で想像が膨らんで、聞いた話の何倍も怖いものにしてしまう。前の学校では「反応が面白い」と、性質の悪い同級生に執拗にからかわれた。
新しい学校ではそんな状況になるのは絶対に避けたい。僕は出来るだけ平静を装って、ふーんとだけ答えた。
答えた直後、鳥肌が波の様に押し寄せてきた。もう少し遅く答えていたら声が震えていただろう。危なかった。
僕の必死の返答を聞いて、彼はまた無言になっていた。どれだけ誤魔化せたのだろうか……彼の顔を見ても全く判らなかった。
「それじゃ」
そういうと彼は、黒いリュックのベルトを両肩に乗せると、さっさと帰っていった。新品の上履きが擦れる音が廊下に響いて、やがて消えた。
静かになった教室を僅かに傾いた西日が照らしている。
今のは何だったんだ。彼は何がしたかったんだ。一人ぼっちの僕を気遣って話しかけてくれたのか? それはそれで有り難いが、よりによってその話題が“怪談”だなんて……勘弁してくれ。
彼の去った廊下を眺めていると、後ろから不気味な音がした。唸る様な低い音だった。僕は座っていた椅子から飛び上がって振り返った。窓の外で桜の枝が風に揺れている。今の音は窓から漏れた風の音だった様だ。絶対そうだ。それしか考えられない。そう思いたい。多分そうだ。きっとそうだ。きっと……でももしかしたら……。
太陽が雲に隠れ、教室が一気に暗くなった。
鳥肌の波が押し寄せる。
僕は机の横に掛けていたカバンを引っ掴んで教室から逃げ出した。
多分、今夜はトイレにいけない。
-2-
四時間目の体育は非常に辛い。昼休み直前、空腹になる時間帯に更に腹を減らされては堪らない。自然とライン引きに掛ける力も抜けていく。
――早く終わります様に。
願いを込めて空を見上げる。校舎の上空に黒く濃い雲が迫っていた。生暖かい風が向こうから吹いている。どうやら一雨降りそうだ。
雨が降って中断、教室で自習、そうなれば早弁が出来る。
今日の弁当の中身を思い出しながら石灰を撒く。同級生がゴールを引きずって来てコートが完成した。今日はサッカーだ。
「準備運動するぞー。好きな相手と組めー」
みんな思い思いの相手と二人組みになって校庭に広がっていく。
うちのクラスは人数が奇数で、必ず一人余る。その必ず余る人が僕だった。いつも準備体操は先生と組んでやっていた。
「あ、あの!」
と、背後から呼びかけられた。振り返ると背の低い子が、くりっとした目で僕を見上げていた。セミロングの淡い栗色の髪で、前髪を持ち上げてヘアピンで留めている。
「あの、一緒に準備運動……しない?」
ドキっとした。一瞬女の子かと思った。でも、男の僕と組もうって事は、男の子って事だよね?
「あ……あぁ、いいよ」
今まで誰も話し掛けてくれなかったから、正直嬉しかった。でも、女の子みたいな子と一緒に準備運動っていうのは、何だか気恥ずかしかった。
というか、本当に男の子なんだろうか……。
「お? 今日は二階堂か」
先生が昨日の怪談の子と話している。あの眉の太い男の子は二階堂って言うのか、一ヶ月経った今になって初めて知った。
余ってた僕の替わりに二階堂が余ったという事は、男子の一組が解散してそこに僕が入ったって事で、つまり目の前に居る子は男子って事になる。
頬の薄い皮膚の下に鮮やかな血管が見え、うっすらと頬が染まっている。やっぱり男にしては可愛い。
「じゃー背中合わせて腕組んで伸ばせー」
互いに前傾し合って相手を持ち上げる体操だ。とりあえず腕を組む。やわらかい。
「あの、一ノ宮くん……」
と声を掛けられて気付いた。僕はこの子の名前も知らない。
「あーそうだ、ごめん」
「え? あ、ごめん話し掛けたりして……」
勘違いさせてしまった。
「いや、そうじゃなくて。名前、何だっけ?」
「僕?」
「うん」
「三浦だよ」
「あー……」
何だっけ、と言ったが、完全に知らなかった。
「ごめん、フルネームで」
「……三浦みつる」
急に声に元気が無くなった。名前を覚えてなかったのがそんなにショックだったのだろうか。まぁ悪いとは思うが……。
「あ、それでさっき言いかけたの、何?」
「あ、うん!」
声に元気が戻る。
「今日さ! 屋上で一緒にお弁当……」
と言い掛けた時、パラパラと雨が降り始めた。みんなが騒ぎ出す。
「先生ー、あめー」
「先生は雨じゃないぞ」
「雨降ってるって言ったの!」
「そうだな、じゃーみんな片付けー!」
一斉に不満の声が上がる。準備で終わる体育ほど煮え切らない物はない。
「降りそうなら最初っから中にすれば良かったのに。ねー?」
と横に居る三浦に話し掛ける。が、返事がない。うな垂れて気落ちしていた。
「屋上……無理だね……」
その事か。
「屋上じゃなくても、一緒に食べられるし、ね?」
と助け舟を出すと、途端に明るくなった。
「うん! 一緒に食べよう!」
三浦はそう言うと、たたたーっと片付けに走っていった。
なんとも気分屋な子だなぁ。
四時間目の体育は非常に辛い。昼休み直前、空腹になる時間帯に更に腹を減らされては堪らない。自然とライン引きに掛ける力も抜けていく。
――早く終わります様に。
願いを込めて空を見上げる。校舎の上空に黒く濃い雲が迫っていた。生暖かい風が向こうから吹いている。どうやら一雨降りそうだ。
雨が降って中断、教室で自習、そうなれば早弁が出来る。
今日の弁当の中身を思い出しながら石灰を撒く。同級生がゴールを引きずって来てコートが完成した。今日はサッカーだ。
「準備運動するぞー。好きな相手と組めー」
みんな思い思いの相手と二人組みになって校庭に広がっていく。
うちのクラスは人数が奇数で、必ず一人余る。その必ず余る人が僕だった。いつも準備体操は先生と組んでやっていた。
「あ、あの!」
と、背後から呼びかけられた。振り返ると背の低い子が、くりっとした目で僕を見上げていた。セミロングの淡い栗色の髪で、前髪を持ち上げてヘアピンで留めている。
「あの、一緒に準備運動……しない?」
ドキっとした。一瞬女の子かと思った。でも、男の僕と組もうって事は、男の子って事だよね?
「あ……あぁ、いいよ」
今まで誰も話し掛けてくれなかったから、正直嬉しかった。でも、女の子みたいな子と一緒に準備運動っていうのは、何だか気恥ずかしかった。
というか、本当に男の子なんだろうか……。
「お? 今日は二階堂か」
先生が昨日の怪談の子と話している。あの眉の太い男の子は二階堂って言うのか、一ヶ月経った今になって初めて知った。
余ってた僕の替わりに二階堂が余ったという事は、男子の一組が解散してそこに僕が入ったって事で、つまり目の前に居る子は男子って事になる。
頬の薄い皮膚の下に鮮やかな血管が見え、うっすらと頬が染まっている。やっぱり男にしては可愛い。
「じゃー背中合わせて腕組んで伸ばせー」
互いに前傾し合って相手を持ち上げる体操だ。とりあえず腕を組む。やわらかい。
「あの、一ノ宮くん……」
と声を掛けられて気付いた。僕はこの子の名前も知らない。
「あーそうだ、ごめん」
「え? あ、ごめん話し掛けたりして……」
勘違いさせてしまった。
「いや、そうじゃなくて。名前、何だっけ?」
「僕?」
「うん」
「三浦だよ」
「あー……」
何だっけ、と言ったが、完全に知らなかった。
「ごめん、フルネームで」
「……三浦みつる」
急に声に元気が無くなった。名前を覚えてなかったのがそんなにショックだったのだろうか。まぁ悪いとは思うが……。
「あ、それでさっき言いかけたの、何?」
「あ、うん!」
声に元気が戻る。
「今日さ! 屋上で一緒にお弁当……」
と言い掛けた時、パラパラと雨が降り始めた。みんなが騒ぎ出す。
「先生ー、あめー」
「先生は雨じゃないぞ」
「雨降ってるって言ったの!」
「そうだな、じゃーみんな片付けー!」
一斉に不満の声が上がる。準備で終わる体育ほど煮え切らない物はない。
「降りそうなら最初っから中にすれば良かったのに。ねー?」
と横に居る三浦に話し掛ける。が、返事がない。うな垂れて気落ちしていた。
「屋上……無理だね……」
その事か。
「屋上じゃなくても、一緒に食べられるし、ね?」
と助け舟を出すと、途端に明るくなった。
「うん! 一緒に食べよう!」
三浦はそう言うと、たたたーっと片付けに走っていった。
なんとも気分屋な子だなぁ。
-3-
結局体育は自習で終わった。その間、僕は空腹と戦わねばならなかった。新しく出来そうな友達を差し置いて、一人で早弁する訳にはいかない。空腹を忘れる為に、僕はもくもくと宿題を進めた。驚いた事に、三十分ほどで全部終わってしまった。空腹が生む集中力は凄い。
昼休みに入ると、三浦は僕と二階堂を誘って、屋上へ至る階段に座って一緒に食べる事になった。
一昨日まで友達が一人も居なかったのに、昨日今日で二人も出来てしまった。これはとっても有り難い事だが、一つ問題がある。
会話がない。
二階堂はそもそも無口らしく、マイペースに食っている。三浦は逆に何か話そう話そうとしているみたいだが、良い話題がなくてモジモジしている。僕はと言えば、空腹でそれどころじゃない。弁当をかっ込んでる最中で喋るどころではない。そんな訳で数分間は扉の外から聞こえる雨音をBGMに、三人とも黙って食っていた。それは僕がある程度満足して来て喋る余裕が生まれてからも続いた。気まずい空気の所為で何となく喋れずにいた。
そんな沈黙を破ったのは二階堂だった。流石マイペース、頼りになる。
「この階段さぁ」
と言うと、立ち上がって下の踊り場まで降りると、僕らの後ろを指差す。
「知ってる?」
「何を?」
僕はそう返してからハッとした。このやり取りには聞き覚えがある。昨日の悪い記憶が甦る。このパターンは怪談を切り出す時の決まり文句だ!
「いやいやいやいやいや、知らない! 知りたくない!」
僕は慌てて否定した。
しかし、マイペース二階堂は止まらない。
「夕方にこの階段を上ると……」
「うわー! 聞きたくなーい!」
自分でもびっくりする程大声で喚いていた。気付くと三浦にしがみ付いていた。
「あの世……」
「ぎゃー!」
「……への階段が」
「やめてー!」
「現れるんだって」
――聞いてしまった。
背中がゾクリとして、妄想が始まる。
あの世の階段っていう位だからきっと死体で出来た階段なんだ。蛆が湧いてて血みどろで、両脇に血まみれの金棒を持った鬼が見張ってるんだ。迷い込んだ人間をノルマがあるから死人扱いして、逆らう奴は金棒でぺしゃんこにするんだ。そして閻魔様の所に連れて行かれるんだ。閻魔様もノルマがあるから適当なお役所仕事で罪をでっち上げて、嘘だって言うと舌を抜かれて地獄へ連れて行かれてしまうんだ。地獄では血の池地獄で……。
「大丈夫?」
三浦の言葉でハッとした。
「怪談、嫌いなの?」
マズイ、バレてしまう。
「い……いや! そんな事無いよ!」
反射的に否定したが、むしろ逆効果だった気がした。こんなに騒ぎ立てて、顔面蒼白で三浦にしがみ付いていたら、怪談が大の苦手なんて誰が見ても判る。むしろ苦手なのを強調してしまったんじゃないか? と思っていたが、三浦の返事は意外なものだった。
「そっか~、良かった!」
三浦の明るい声が返ってきた。
――へ? よかった?
「僕ら今クラブを立ち上げようって話をしててね、名前も決まってて、“肝試し”の漢字二文字に……」
不吉な言葉が聞こえた。
僕は身の危険を感じ、プライドや世間体をかなぐり捨てて保身に回った。
「いや、ごめんね。僕の家ってそういうのしちゃいけない宗派でさ。ほら、神様? ご先祖様? とかが許してくれないっていうか……」
「大丈夫」
踊り場から二階堂が静かに口を開いた。
「家族には言わないから」
――違う、そういうことじゃない!
「いや、でも神様とかご先祖様とかはお空から見てるっていうか」
「一ノ宮くんも信じてるんだ!」
三浦が嬉しそうにぴょんぴょん跳ねる。
ダメだ、遠まわしに何を言っても自殺行為だ。
これは言うしかない、僕が怪談が大の苦手だっていう事を!
「あの……ちょっと静かに聞いててくれないかな……」
一息、深く深呼吸をした。隣で三浦がまだぴょんぴょんしてる。
「僕には悪い癖があってね。少しでも怖そうな話を聞いてしまうと、頭の中がその話で一杯になるんだ。別にみんなは怖くない様な話でも、聞いた途端にその話で一杯になって、怖い方へ、怖い方へと妄想が止まらなくなるんだ。判るかい? つまり僕は人一倍怖い話を怖く感じるんだ。だから僕は怖い話が……」
「スゴーーーいッ!」
三浦のぴょんぴょんが加速する。
「それって凄いよー! 羨ましいよ!」
「いや、違う! 最後まで聞いてくれ! 僕は怖い話が……」
慌てて弁解する僕の両手を引っ掴んで、二階堂がこっちを見ている。掴まれている両手をグッと握り、ゆっくりと、しかししっかり頷く。いつも以上に凛々しいその目が語っている。“お前の気持ちは良く判った。”
僕は二階堂の手を振り解いて叫んだ。
「ちがーう! 僕は怪談が大・大・大の苦手なんだー!」
――言ってやったぞ!
遂に言ってしまった、運命の言葉を。これで卒業までビビリキャラで弄られ続ける事になるだろう。しかし、肝試しをするクラブの創立メンバーなんかに成るよりよっぽど良い。不本意だが、堅実な判断だ。こうするより他に道はなかった。
「あはははは!」
急に三浦が笑い出した。何だ、何が可笑しかった? 二階堂を見てもニヤニヤしている。“またまたご冗談を。”って違う! 何で判ってくれないんだ! この二人、わざとか!? 僕の今までの挙動を見て、どうしたら怪談好きなんて稀有な人種と判断出来るんだろう。
呆れて言葉も出ない僕をよそに、二人は人数が揃った、クラブを立ち上げられると喜んでいる。
この二人の楽しそうな顔を見ていると、何だか悪い気はしない。一人ぼっちだった僕を仲間に入れてくれた大切な二人だ。
「仕様がない、付き合ってやるか」
「うん! 一ノ宮くん、よろしくね!」
「肝試し総会、略して肝試総会(きもだめそうかい)、発足だな」
二階堂が駄洒落を言った。
「何それ冗談でしょ?」
「え、ダメかなぁ?」
三浦が上目遣いに聞いてくる。いや、可愛くしてもダメだ。
「却下です」
「だが却下を却下だ」
「そんな変な名前のクラブ入るの嫌だよ」
「ダメ! 僕も却下を却下する!」
「じゃー却下の却下を却下ですー」
「だがしかし却下の却下の却下を却下だ」
「じゃーじゃー! 却下の却下のきゃっきゃきゃ……」
「ブー! 言えてないよ~」
「俺らの勝ちだな」
負けてしまった。
僕らは互いに顔を見合わせ、腹を抱えて笑った。
久しぶりに笑った。こんなに笑ったのは何年ぶりな気がした。
こうして僕は中学校で最初の友達が出来た。
結局体育は自習で終わった。その間、僕は空腹と戦わねばならなかった。新しく出来そうな友達を差し置いて、一人で早弁する訳にはいかない。空腹を忘れる為に、僕はもくもくと宿題を進めた。驚いた事に、三十分ほどで全部終わってしまった。空腹が生む集中力は凄い。
昼休みに入ると、三浦は僕と二階堂を誘って、屋上へ至る階段に座って一緒に食べる事になった。
一昨日まで友達が一人も居なかったのに、昨日今日で二人も出来てしまった。これはとっても有り難い事だが、一つ問題がある。
会話がない。
二階堂はそもそも無口らしく、マイペースに食っている。三浦は逆に何か話そう話そうとしているみたいだが、良い話題がなくてモジモジしている。僕はと言えば、空腹でそれどころじゃない。弁当をかっ込んでる最中で喋るどころではない。そんな訳で数分間は扉の外から聞こえる雨音をBGMに、三人とも黙って食っていた。それは僕がある程度満足して来て喋る余裕が生まれてからも続いた。気まずい空気の所為で何となく喋れずにいた。
そんな沈黙を破ったのは二階堂だった。流石マイペース、頼りになる。
「この階段さぁ」
と言うと、立ち上がって下の踊り場まで降りると、僕らの後ろを指差す。
「知ってる?」
「何を?」
僕はそう返してからハッとした。このやり取りには聞き覚えがある。昨日の悪い記憶が甦る。このパターンは怪談を切り出す時の決まり文句だ!
「いやいやいやいやいや、知らない! 知りたくない!」
僕は慌てて否定した。
しかし、マイペース二階堂は止まらない。
「夕方にこの階段を上ると……」
「うわー! 聞きたくなーい!」
自分でもびっくりする程大声で喚いていた。気付くと三浦にしがみ付いていた。
「あの世……」
「ぎゃー!」
「……への階段が」
「やめてー!」
「現れるんだって」
――聞いてしまった。
背中がゾクリとして、妄想が始まる。
あの世の階段っていう位だからきっと死体で出来た階段なんだ。蛆が湧いてて血みどろで、両脇に血まみれの金棒を持った鬼が見張ってるんだ。迷い込んだ人間をノルマがあるから死人扱いして、逆らう奴は金棒でぺしゃんこにするんだ。そして閻魔様の所に連れて行かれるんだ。閻魔様もノルマがあるから適当なお役所仕事で罪をでっち上げて、嘘だって言うと舌を抜かれて地獄へ連れて行かれてしまうんだ。地獄では血の池地獄で……。
「大丈夫?」
三浦の言葉でハッとした。
「怪談、嫌いなの?」
マズイ、バレてしまう。
「い……いや! そんな事無いよ!」
反射的に否定したが、むしろ逆効果だった気がした。こんなに騒ぎ立てて、顔面蒼白で三浦にしがみ付いていたら、怪談が大の苦手なんて誰が見ても判る。むしろ苦手なのを強調してしまったんじゃないか? と思っていたが、三浦の返事は意外なものだった。
「そっか~、良かった!」
三浦の明るい声が返ってきた。
――へ? よかった?
「僕ら今クラブを立ち上げようって話をしててね、名前も決まってて、“肝試し”の漢字二文字に……」
不吉な言葉が聞こえた。
僕は身の危険を感じ、プライドや世間体をかなぐり捨てて保身に回った。
「いや、ごめんね。僕の家ってそういうのしちゃいけない宗派でさ。ほら、神様? ご先祖様? とかが許してくれないっていうか……」
「大丈夫」
踊り場から二階堂が静かに口を開いた。
「家族には言わないから」
――違う、そういうことじゃない!
「いや、でも神様とかご先祖様とかはお空から見てるっていうか」
「一ノ宮くんも信じてるんだ!」
三浦が嬉しそうにぴょんぴょん跳ねる。
ダメだ、遠まわしに何を言っても自殺行為だ。
これは言うしかない、僕が怪談が大の苦手だっていう事を!
「あの……ちょっと静かに聞いててくれないかな……」
一息、深く深呼吸をした。隣で三浦がまだぴょんぴょんしてる。
「僕には悪い癖があってね。少しでも怖そうな話を聞いてしまうと、頭の中がその話で一杯になるんだ。別にみんなは怖くない様な話でも、聞いた途端にその話で一杯になって、怖い方へ、怖い方へと妄想が止まらなくなるんだ。判るかい? つまり僕は人一倍怖い話を怖く感じるんだ。だから僕は怖い話が……」
「スゴーーーいッ!」
三浦のぴょんぴょんが加速する。
「それって凄いよー! 羨ましいよ!」
「いや、違う! 最後まで聞いてくれ! 僕は怖い話が……」
慌てて弁解する僕の両手を引っ掴んで、二階堂がこっちを見ている。掴まれている両手をグッと握り、ゆっくりと、しかししっかり頷く。いつも以上に凛々しいその目が語っている。“お前の気持ちは良く判った。”
僕は二階堂の手を振り解いて叫んだ。
「ちがーう! 僕は怪談が大・大・大の苦手なんだー!」
――言ってやったぞ!
遂に言ってしまった、運命の言葉を。これで卒業までビビリキャラで弄られ続ける事になるだろう。しかし、肝試しをするクラブの創立メンバーなんかに成るよりよっぽど良い。不本意だが、堅実な判断だ。こうするより他に道はなかった。
「あはははは!」
急に三浦が笑い出した。何だ、何が可笑しかった? 二階堂を見てもニヤニヤしている。“またまたご冗談を。”って違う! 何で判ってくれないんだ! この二人、わざとか!? 僕の今までの挙動を見て、どうしたら怪談好きなんて稀有な人種と判断出来るんだろう。
呆れて言葉も出ない僕をよそに、二人は人数が揃った、クラブを立ち上げられると喜んでいる。
この二人の楽しそうな顔を見ていると、何だか悪い気はしない。一人ぼっちだった僕を仲間に入れてくれた大切な二人だ。
「仕様がない、付き合ってやるか」
「うん! 一ノ宮くん、よろしくね!」
「肝試し総会、略して肝試総会(きもだめそうかい)、発足だな」
二階堂が駄洒落を言った。
「何それ冗談でしょ?」
「え、ダメかなぁ?」
三浦が上目遣いに聞いてくる。いや、可愛くしてもダメだ。
「却下です」
「だが却下を却下だ」
「そんな変な名前のクラブ入るの嫌だよ」
「ダメ! 僕も却下を却下する!」
「じゃー却下の却下を却下ですー」
「だがしかし却下の却下の却下を却下だ」
「じゃーじゃー! 却下の却下のきゃっきゃきゃ……」
「ブー! 言えてないよ~」
「俺らの勝ちだな」
負けてしまった。
僕らは互いに顔を見合わせ、腹を抱えて笑った。
久しぶりに笑った。こんなに笑ったのは何年ぶりな気がした。
こうして僕は中学校で最初の友達が出来た。