プロローグ
モモロヲよ、今日はわしは芝刈りにでかける。帰りは遅くなるかもしれない。しかし、わしが帰ってこなくても心配するな。お前にはわしの隠し財産がある。お前が成人するまで食べていくには十分なほどだ。だが無駄遣いはいけないぞ、モモロヲよ。世の中何があるかわからない。地割れ洪水雷火事。最近はこの辺りに夜盗が出るという噂もある。まえに話したと思うが一つの籠にたくさんの卵を盛るなということわざがある。お金は一箇所にまとめて隠すのでなく複数の場所に分散して隠そう。そうすれば泥棒に入られてもすべて持って行かれる心配は少ない。それと、夜盗が来ても無理に戦おうとしてはいけない。お前はよく木刀などを振っては侍のまね事をするが、あいつらは刀などお前を殺すだけの準備をしてきている。興奮してぶちのめそうなどと考えずひっそりと身を隠すのもひとつの手だ。たかだか物品のために命を落としてはたまらない。でもお前に一番注意を払って貰いたい存在はな、モモロヲ。
これはお前の生まれる前のちょいと昔の話になるので、モモロヲは知らないだろうが爺さんとお婆さんにはかつてモモタロヲという男の子がいたんだ。でもモモタロヲはお前と違って言うことを聞かない子でね。すきがあれば外に出て行って犬だのキジだのを叩き殺して残酷な遊びに興じていた。わしらはそんな気の毒なことするでないと叱ったが子供のすることだからと深刻には受け止めていなかったんだ。あるときモモタロヲは山へ行って猿を捕まえて殴る蹴るの暴虐の限りを尽くして、猿がぐったりして動かなくるとどこから運び込み設えたのかわからない大釜でぐつぐつゆっくりと茹で殺した。モモタロヲは極めつけに膨れた惨たらしい死体を木に括りつけて森の獣の餌とした。モモタロヲの凶行は森に知れ渡ることとなった。仲間を理不尽に虐殺された猿たちはモモタロヲに怒り心頭だった。猿達は怒りの叫びを三日間絶やさなかった。怒りの叫びは昼夜に渡り繰り広げられ村まで響いた。眠れぬ夜を過ごした。でもあるときぴたりと静かになり界隈は静寂を取り戻し、また何もない日常に戻った。モモタロヲもあの三日間眠れなくて、眼の下に隈を作っていたのをよく覚えているよ。あの子は実は気が小さいんだ。
それから一週間たった頃だ。秋だというのに虫の音もない静かな夜だった。突然街に鐘の音が鳴り響いた。それは火事を知らせる音だった。鐘の音が止むと外から慌ただしい声が聞こえてきた。表に出てみるとそこには大きな角を頭からつきだした鬼たちの集団がいた。鬼はだいたい庭の柿の木ほどの背丈だった。大きな手には大きな松明が握られていた。鬼たちは村の家屋につぎつぎと火をつけて回っていた。村人は圧倒的な暴力の前に逃げ回るほかなかった。村の衆は急いで子どもたちを山に逃した。勇敢な若い衆はその間鬼たちの注意を引きつけた。でも鬼たちは人間が逃散していくのを横目に放火に熱中していたのだろうね。人間を追いかける素振りは見せなかった。
子どもたちが逃げ終わったのを確認すると長老は若い衆に寄り添われる形で鬼たちの怒りを鎮めようと話し合いを持ちかけた。鬼たちは聞き取りにくい声で説明した。どうやら鬼たちはモモタロヲが殺した猿の仇をとるように猿たちから頼まれたと言うんだ。鬼たちはたいそう猿達に肩入れしてるようだった。長老はなんとか怒りを沈めてもらうよう懇願した。あんな大きな鬼を相手に怖っただろう。人語を解する鬼はモモタロヲのクビを差し出すように求めた。長老は二つ返事で了承したよ。その時はわしらは事実をまだ聞かさされなかったけど、村人の冷ややかな視線に薄々は感じ取っていた。モモタロヲは度が過ぎてしまったのだね。
村人はモモタロヲを探した。モモタロヲは村にいなかった。子どもたちと山に逃げ込んでいたんだ。鬼たちに事情を話すと、鬼たちはモモタロヲがくるまでしばし休戦としてくれた。長老は鬼に村で見つかりうる限りのありったけの酒を差し出して反抗の意思がないことを釘を押して示した。足腰と腕っ節に自信ある若い衆はモモタロヲを捕らえに山へ向かったよ。
若い衆が山に行ってから夜が明けた。若い衆がいつまでたっても帰ってこない。鬼たちは酒を飲むと気持ちよくなって眠りについていた。長老初め村人は眠ってなどいられなかった。なぜ戻ってこないんだ、モモタロヲのクビとともに。鬼の目が覚めるまでに戻って来なかったら村は、おいらたちはオシマイだ。爺さんはわしがやるしかないと一人モモタロヲ探しに山へかけて向かったよ。
わしが山で見たのは子どもたちの無残な死体の山だった。誰がこんなことをしたのかすぐにわしはわかってしまった。酒を浴びて寝ている鬼ではない。猿達でもない。モモロヲよ、この世には言葉にしてはいけない事もあるのだ。モモロヲ、答えを知りたければ、銀の峠を超えた先にある刀捨村に向かえ。この村にいる私の古くからの友人を尋ねるのだ。この者がお前に真実をの片鱗をお前に授けよう。